速報→「天使は瞳を閉じて」虚構の劇団
2011.8.7 14:00
第三舞台の88年、91-92年作、ミュージカルの03年を経ての再演。マスター役をオリジナルの大高洋夫というキャスティングも評判。劇団サイトの直前予約が便利です。21日まで池袋、シアターグリーン BIG Tree Theater。120分。
未来または並行世界の、自然災害による原子炉の溶解、30kmの区域外避難のボーダーライン。すべてを出そうとする電力会社と警官。が、そこを突破した人々は区域内へ。立ち入り禁止の区域に入った人々は、区域を覆う透明な壁に覆われ、もう決してでられないことに気づく。
それからずいぶんの時間が経つ。人類がほとんど居なくなり、天使は暇な時間を過ごしている。受け持ち区域の外に町があることを見つける。天使には受け持ちがあって、そこをはずれてはいけないのだが、そこには受け持ちの天使はいないようだ。少人数のこの町は不思議なことにマスからソーシャルまであらゆるメディアが揃っている。喫茶店に集った人々が結婚したパーティ、盛り上がる楽しさに天使の一人は人間になると願い、果たして叶ってしまう。テンコと名乗る。
集っている若者たちは代理店、テレビ局、役者、ミュージシャンの卵、やりたいことをみつけたい人。マスターの店でテンコは働いている。
正直に云えば、あの役はオリジナル (1, 2)ではこの役者だろうなというのが見え隠れ。特にテンコは山下裕子の印象が強くなってしまうのですが、大杉さほりはそれとは全く違うアプローチという点で印象的です。 若い役者の演じる向こう側にオリジナルの役者が見え隠れしてしまうのはいた仕方ないのだと思うのです。映像でもきっと観ていると思うし、ましてやオリジナルと同じ演出家とマスター(大高洋夫)です。
電通太郎、というのはあのころは圧倒的な力のあるメディアの元締め、おそらくミュージカルの頃はすこしばかり嘲笑の対象、今現在となっては悪役という位置づけになるのだろうけれど、今作においては物語の構造でそこまでは悪役にはなりません。冷徹な視点という重要なポジションでもあります。こういうアイコンは、やはり物語の作られた時代のようなものを感じさせます。 あるいはメディアミックスという手法あらゆるメディアが同じ方向を向く危険。それは古くなりあからさまにしない(悪質な方向の)メディアアーキテクチャ(メディア飽きちゃった、というネタが楽しい)なんてネタのちくちくとやる感じの鴻上尚史節が楽しい。
幸せなドームの中、その間に何があったかはわからないけれど、ドームの外は全く変わってしまっているのです。それは例えばベルリン、例えば経済体制の違い。ドームの中の人々は外にでたいと思う。私たちはそのあこがれられてる壁の外側に自分が居たと思い続けていたけれど、311の後は、(いちおうその外側ではあるけれど)たぶん、自分の生活や未来に思いを馳せるような作りになっているのです。鴻上尚史が描いているのはいくつかのごくごく小さな物語だとおもうのだけれど、それを時代に合わせて変更を加えています。そのいくつかのレパートリーの一つ、集団は崩壊するものだ、という通底する物語。世界も時代も変わっているのに、物語が古くならないという凄みがあるのです。
クールなのに笑いをしっかり取るケイを演じる大久保綾乃、不器用な女優が似合う役・テンコを演じる大杉さほり、優しい天使で語り続ける小沢道成、スタイリッシュな高橋奈津季が演じた自分探しを続けている女一途な想い、三上陽永が演じたプロデューサーのしっかりとした感じ、青森生まれらしくリンゴのかぶりものが楽しい。マスターの味わいを増した大高洋夫によく似ていると思っていた渡辺芳博、さすがに並べてみると違いがあるのだけれど、なるほど大高・小須田の両方のような確かな力。
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