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2011.08.16

速報→「クレイジーハニー」パルコ

2011.8.15 14:00

本谷有希子の新作、初舞台となる長澤まさみとリリー・フランキーをメインに据えるというキャスティングも評判です。28日までパルコ劇場、そのあと金沢、福岡、大阪、名古屋を巡ります。

携帯小説でデビューした女性小説家のトークイベント。一時期は人気を博したものの、悪友の飲み屋のママと知り合ってから実体験をもとにした作風やルポを活動の軸に移してから人気が落ちてきている。トークイベントの観客も多くはないが、定期的な開催で固定したファンは続けてきている。ある編集者が、その場を利用して今までにない企画の本を出すという提案をする。観客の中の何人か筋金入りのファンを選び会場に呼び戻して「第二部」の幕が開いた。

面倒くさい強烈な自意識の主人公という路線はお手のものだけれど、いままでは小説家といった類の「つくり手」を全面に押し出したものはなかった気がします。どちらかというと家族だったり友人だったりという枠だったものを、小説家とその仲のいい友人、ファンという構図に持ち込んでの物語。

ファンとクリエイターの面倒くさい関係とでもいえばいいのか。最初の頃は(世間的にみて)素直な路線でいけばそこそこに売れていたのに、友人の影響で路線が変わり、おもしろいと思うことがどんどん追いつめられてファンが置いてきぼりを食らう、というまあ小説に限らずよくあるといえばよくある構図。変わった路線は好きじゃなくてもかつてのファンがまだついていたり、少数派ではあっても最近の作品の方が好きだというファンがいたり。

小説家は、ファンを突き放してみたり、でもそれはちょっと寂しいとおもったりな感じをうろうろしている感はあって、彼女自身の気持ちが流れていかず、延々逡巡しているのが停滞しているようにみえたりもするのです。ファンはほしいのかどうなのか、その逡巡がもうちょっと見ている側に手に取るようにわかるとうれしいなと思ったりおもわなかったりします。

後半で見せる、小説家とママをあざ笑うかのように小声でひそひそと話すファンたち。ネットの向こう側に顔のわらかならい人がいて、自分のことを評価したりあざ笑ったり、馬鹿にしたりするといういいしれぬ不安感のようなものは、なかなか私たちには本当の怖さは感覚としては理解しづらいところだけれど、あの場面の嫌な感じというのは、それをしっかりと描き出しているように思うのです。

本谷有希子自身が、小説家でもあること、エッセイなどでみせる自意識の強さ、あるいは美人ゆえに売れてる側面がなくはないわけで、彼女自身が投影されているように見え隠れしますがまあきっとモデルってことじゃないんでしょうが。

長澤まさみもリリー・フランキーも初舞台ゆえかどうか、少々キャラクタ先行という感はあるものの、強烈な存在感が印象に残ります。物語を進める役割の成河(ソンハ)はその役割をきっちり。吉本菜穂子はもっとみたいなぁともおもうけれど、気の弱いかんじもきっちり。

まるでロフトプラスワン(もしかしたら阿佐ヶ谷かもしれない。AJAGAYAとか書いてあるし)のようなトークイベント居酒屋。リリーフランキーといえば、といえば確かにそうだし、爆発的な売れ方をしている人よりは、その直前やあるいは少し落ち着いた売れ方の人がラインナップになりやすく、面倒なファンが集まりがち、というのもこの芝居の場の特性によくあっっています。 なんせ丸テーブルに卓上のメニュー、店員呼び出しの札がおいてあったり、トイレ周りの雰囲気とか壁の落書き感とかも、あのロフト系列店の雰囲気をよくつかんでいます。東京離れてわかるもの、こういう雑多なイベントがそれこそ毎日のように開かれている東京という場所の奥行き。この芝居、地方の公演も多いようだけれど、その文脈というか雰囲気というか、はたして伝わるものかどうか、というのはちょっと不安な感じもあります。

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