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2011.08.29

速報→「くすり・ゆび・きり」エビス駅前バープロデュース

2011.8.28 18:00 [CoRich]

離婚式を挙げるカップルたちを中心にした想いのすれ違いを描く65分。30日までエビス駅前バー。チラシなどの割引のほか、薬指に何かをつけるだけで割り引きなどを設定。チケット代のほかにドリンク代が別途かかります(ビール¥650など)

女は駆け出しの作家でまだ食えない彼女に対して売れるまでは自分が会社員として稼ぐとプロポーズしたこのバーの上階フロアで、離婚式が執り行われる。あの時は急死した夫の跡を継いでこのバーのマスターとなったばかりだった女はまだこの店のマスターをやっている。 司会の男、幹事とその妻。いたたまれない会場の空気から逃げるようにしてこのバーに入れ替わり立ち替わり。スキャンダルをかぎ回るライターやら、この店の常連で階下のダイニングからケータリングで運んでくる店員もその場に混じり。

エビス駅前バーといえばの作家・米内山陽子の脚本に、新たに板垣雄亮の演出というコンビ。どこか余白というか、空気を完全に埋めないというある種のゆるさと間が持ち味な演出の仕上がりになっています。情報量は相当に多いし、時間もぎゅっと1時間程度ですから、濃ゆい感じになるのが必至かと思えばそうでもない、というのはちょっと意外な感じもあります。

相手の何に対して自分は結婚したのか、敏感に感じ取った相手がとった行動が離婚式、というのが全体の枠組み。相手の何を好きだと思ったのか、というのは情緒の問題になりそうなものだけれど、女性の本作の作家、わりとクールな見せ方で、相手の才能だと言い切ります。 あるいは、もてる夫にやきもきする妻と浮気相手だけれど、一方的に妻を被害者にしないのもわりとクールに。

だてあずみ演じる食堂店員は、序盤から飛ばし気味できっちりとかき回します。中盤以降はマスターに取って代わるように離婚カップルの間にたったり、あるいは恋人にやきもきしたり。表情がくるくると替わって目が離せない感じ。特にカウンターの向こうで首から上だけを出して首を傾げたりというだけの表情が実によくて。あるいは浮気を公認した妻に驚愕する終幕近くの表情はかわいらしい。

鈴木麻美演じる妻が浮気相手と会い、後から現れた夫に、「お友達?」と訊ね、互いの紹介をしてほしいというのに夫が気づかず、再び妻が語気を強めて「お友達?」と訊ねるあたり。なかなかお目にかかりそうでかかからないこういう細かな会話ひとつとっても絶妙です。その後に徐々に三角の辺が延びたり縮んだりするような感じが実にいいのです。名前を訊ね、だって奥さんというのは嫌だというのも、雑ないいわけ、口止めもしないことに浮気相手が内から怒るという絶妙。たいへん失礼ながら鈴木麻美はどうしてもこういう不幸というか理不尽な仕打ちの女をやらせると実に強くて印象的で大好きなのです。ほぼ巻き込まれ側の司会を演じた島田雅之も、こういうポジションで汗をかきながらな感じがじつはよく似合うのです。

生きてるんだから、話しなよ、いってたしなめるシーン。死んでしまうことが見えない老後よりもわかりやすい、ということなのだけど、それはゲイゆえに老後より死がより身近に感じてしまう、というのは深読みし過ぎかなぁ。単に著感的に考えやすい、というだけの気もしますが。

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速報→「サヨナラ サイキック オーケストラ」Mrs.fictions

2011.8.28 14:00 [CoRich]

15MinutesMadeの主催団体として名を馳せるMrs.fictions のひさしぶり本公演。アタシも初めて拝見します。90分。29日まで上野ストアハウス。新しいきれいな劇場です。「おわりの会」と称した出入り自由のトークイベントの最中にだけドリンク類を販売するというのはいいアイディアです。

地球に迫りくる巨大隕石群から地球を守るため、米国などの本命の対策の予備として日本が用意したのは、超能力者を集めて対応するという方法だった。が、会場となったのは環境省の屋上に集まったのはヤンキー風の透視能力者、女子高生風の予知能力者、プチ有名人の霊感主婦、自らを宇宙人と名乗る男、屋上に出入りする念写能力者のホームレスだった。どうにもかみ合わない会話、罵倒しあったり、ぶつぶついったりどうにもかみ合わない。少し遅れて、和服姿の女を連れた男が現れる。

終演後のトークショーによれば、Mrs.fictionsには複数の作家や役者が居て、それを年間計画でローテーションを組んでいるのだといいます。今作の中嶋康太のように(トークショーによれば)寡作といわれる作品を手持ちにできる巧いやりかただと思います。

環境省の屋上という場所だけれど、体裁はまるで学校の屋上のよう。それは制服姿の北川未来がフィーチャーされたチラシの効果ですが、みんながある種の未熟さや踏み込めなさ、あるいはゆるさとか甘さをそれぞれに持っているように見えたりもするので、あながち大きな勘違いというわけでもないなあとも思います。。

表面的にはヨーロッパ企画の「サマータイムマシーンブルース」や「冬のユリゲラー」に似たような緩いテイストと笑いにあふれます。が、登場する人物たちの裏側、長期間に渡って受けた怖いほどに理不尽な仕打ちの堆積が見えてくるに至り、それでも生き続けるという弱いなりにも前向きの決意が重く、しかし爽快に言い切る気持ちよさ。たとえばいつでも自分の時間が横取りされていて、自分の人生が来る順番を待っていた、なんてことばの絶望的な重さ。

311以来だと、こういう話はどうしても現実に引きづられがちですが、終末感はありつつも、現実とはすっぱり切り離したのも成功しています。

不思議な感じがするのは、世界にはヤンキーとそれ以外からなりたっているという極端な世界観がどこか貫かれている感じ。透視能力者、霊能力者はヤンキーで、それ以外は(搾取される側、という感じすらして、実にキャラクターのたち位置が明確です。 日本中でヨサコイが一定の流行になるのと同様に、こういうヤンキーなる世界観というのは、日本人にとってはどこか土着な感じで(ヤンキーではなかった)アタシにもはまる感じがするのです。

子供の時はビックリマンシールを百発百中で当てられたのに、そこから引っ込みがつかなくなっている透視能力者を演じた松本哲也は物語をしっかりと牽引します。チラシモデルでもある北川未来のところどころの腹痛のネタがなんか可愛らしい。 理不尽な仕打ち故にその理由を見つけて悪霊にたどりついた霊能力者を演じた萱怜子のヤンキー的なつっぱり具合が楽しい。まさかの、はんなりな喋りと着物姿という石井舞とそのマネージャ風の男を演じた稲川の包み込み包み込まれの関係がきれい。ホームレスを演じた夏見隆太の力の抜け具合、その愛情の深さゆえの念写という説得力。立ち上がるだけで笑いをとるという飛び道具としてではあっても、できそうでなかなかああいうのはできない感じの今井圭佑が実にいいのです。気の弱い公務員を演じた岡野康弘は歪んだような笑顔にいい瞬間がいくつもあって舞台写真としてみたい感じもします。

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2011.08.27

速報→「明けない夜 完全版」JACROW

2011.8.27 19:30 [CoRich]

2009年にサンモールスタジオで初演(1, 2) した劇団の代表作をトラムで再演。28日まで。125分。

初演では物語の骨子を語る本編と、登場人物たちに焦点をあてた外伝の二本立てでした。二つを一つに取り込んだことで実にわかりやすく、きちんと物語を隅々まで語っている仕上がりになっています。友人は小劇場ゆえの分かり難さ、あるいは余白、中劇場でのわかりやすさというハコの大きさに応じた作り込みが成功しているといいます。なるほど。

初演に比べて大きく変わったものの一つに舞台美術があります。居間だけだった初演に対して、広くなった舞台を埋めるように玄関、階段、二階の廊下を雰囲気いっぱいに建て込んでいて、作家の頭の中にだけあった、居間の外での出来事を外挿したかのよう。
初演であったシーンもより印象駅でわかりやすくなっていて、たとえば、犯行の瞬間に何が起きたのか、証言が食い違ったのはどうしてなのかを明確に見えるようになっています。正直に言うと、下手側のアタシの席からは、玄関や階段のてっぺんで交わされる会話の表情がみえなかったりするのは残念。

戦後のいくつかの誘拐事件をモチーフに。アタシの記憶のある時代よりは少し昔だけれど、がっつりと昭和の物語。今ならばそういう嘘はつかないだろうとか、運行情報ぐらいチェックしてるだろうとか時代を感じさせるある種のわかりやすい人物の行動は、全てが観客の目に見えるという点で物語は緊迫しているのに、登場人物の行動にはある種の緊迫感があります。

計画を指示した人、実行した人、補助した人。それぞれの理由は終盤に丁寧に描かれます。それぞれの行動は許されることではないけれど、自分のしたいこと、求めるものに追いつめられたゆえの行動ということはしっかりとわかって、そういう意味ではドラマとしてしっかりと作られています。

社長を演じた仗桐安と妻を演じた蒻崎今日子の間の夫婦のバランスの危うさと外面のギャップ、特に妻は感情で押し切らなければいけない役だけに役者には相当な負担と思いますがしっかりと。本庁側で現場の混乱を抑える主任を演じた今里真にしても、所轄の跳ね返りを演じた菅野貴夫にしても、小役人ポジションの課長を演じた川本裕之にしても現場の緊張感や力学を丁寧に描きます。従業員を演じた谷仲恵輔は下町の工場と人情という現場の空気を造り、鉄鋼所の図面描きを演じた岡本篤は静かな一途さを他人とは思えず。いわゆる職場のアイドル、純ちゃんを演じたハマカワフミエの清楚さと、情の厚い愛情の深さから生まれる行動は眼福ではあるけれど、そうするしかない、という彼女の気持ちがしっかりと。

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速報→「寂寥」セロリの会

2011.8.27 14:00 [CoRich]

play unit-fullfullのヒロセエリが新たに立ち上げたユニットの旗揚げ公演。105分。28日まで「劇」小劇場。

四半世紀前には五人姉妹のアイドルユニットとして一斉を風靡したが、あるスキャンダルをきっかけにして引退に追い込まれたアラフォーな女たち。まだ芸能界に未練があったりあるいは目立たぬよう堅実に静かに生きていこうと思っていたり、恋をしたりとそれぞれの生き方をしている。近隣からは浮いた感じというより嫌がらせを受けたりしているが、5人は肩を寄せあうように一軒家に住んでいる。
ある日、母親の残した住居の屋上にバーを開店しようと考える次女。姉妹たちはあまり乗り気ではないが...

四半世紀前とはいえ、少々アイドルっていうのは無理がないか、というのはまあ云わない約束だけれど、年齢を重ねると考え方で見た目が変わるというのはなるほどな感じ。肩寄せあって静かにくらしている女たち、近所からは理不尽な嫌がらせを受けているけれど、それでもアイドルを引退し母親が亡くなってからも独身のままここに暮らしている。社会生活を送っていないわけではないけれど閉じこもるようにくらしていて、ここから出ていくなんてことは夢にも思ったことは無かったのだけれど、という枠組み。作家の何かの生活の変化があったのか、という雰囲気を感じさせます。まあ、まったくの当てずっぽうですが。

アラフォー女子たちの結婚できない節というよりは、「誰かに必要とされて生きていたい」という一点の感覚を執拗に丁寧に描くのです。近所からは必要とされていないし、でも必要とする人が現れたり、必要とされるところへ彼女たちは移っていこうとするのです。ところが、それが必ずしも前向き一辺倒という感じにならず、むしろ「自分(たち)は必要とされていないんじゃないか」というネガティブな視点が見え隠れしながら描かれます。

新たな生き方というのはつまり、女たちは分水嶺に立っているということだと思うのです。ずっと一緒だった人々が新たな道を歩んでいく、という感じ。まるでキャンディーズ「ほほえみ返し」のようだけれど、終幕の少しずつ人数が減っていって、そこに残されたという感じの終幕。 あたたかくほっこりした話ではあるのだけれど、どこかそういう一種の暗さが漂うのがヒロセエリ脚本の真骨頂だと思うのです。

まあ、もっともそれでもだめんず的だったり、恋愛に不器用だったりの女たち。個人的な好みをいえば、この手のある種の痛さを笑い飛ばせるような力強さは作家が女性故にアタシは期待してしまうところではあるのですが、今作はそういう意味ではさらりとした印象。 芳賀晶は唯一の男性として、気持ち悪さぎりぎりのところでストーカー紛いな好意の男を好演。遠藤友美賀は受け止めるような優しい感覚にあふれた物語の芯をしっかりと。岡田美子を拝見するのは遊気舎以来か、派手好きな感じにはまります。小山待子は真の巣良さをしっかりと体現します。日替わりでの少しの役、広瀬喜実子を観られたのは本当にうれしい。

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2011.08.25

速報→「塩ふる世界。」マームとジプシー

2011.8.22 14:00

マームとジプシーの最新作。85分。22日までSTスポット。

海辺の町、海に行こうという同級生の女の子たち。もうすぐ、もうすぐ彼女は遠くにいってしまうから。先週の木曜日の出来事があってから。この小さな町での一週間ばかりの間のこと。

表現としても物語としても実に盛りだくさん。わずか一週間の間の出来事、たかだか7人の子供たちのことなのだけれど、一人の子の母親の投身自殺を核にしながら、そのときにその娘が居たプールのこと、同級生のうちに遊びに行ってそのお兄ちゃんと交わした会話、あるいは海に行く前日のボートでの墓参り、誘い合う風景、いつも同じ顔ぶれの登校の風景とそのマンネリへの嫌気と妥協、大人への階段少しばかり上る女の子のこと。

前半の30分ほどは、海に行った女の子たち、その前日の風景をひたすら繰り返しつつ、女の子の母親の自殺を核に据えます。そこから、ラップだったり肉体の疲労だったり、これでもかと詰め込んだ表現の手法と、小さな物語をいくつも。部分的には維新派のようなリズムだったり東京デスロックでの肉体の疲労という影響というか片鱗を感じなくはないのですが、それが同居してぎゅっと詰め込まれているような濃密さを感じます。

こういうスタイリッシュで身体を使う芝居をしているとダンス畑の方に寄り添っていってしまう予感というのがあって、アタシ個人としてはそうなるとどうにも苦手です。大音量の音楽の中で聞こえない台詞に一瞬その危惧をしてしまうのだけど、発声のあるテキストを核に据えている間はアタシにとっては嬉しいかたち。これで発声伴うテキストがなくなるととたんに自分は興味を失ってしまいそうな気がしますが、今作のバランスは絶妙です。

いままでになく、大人になりかけた子供たちの描写が印象に残ります。同級生のお兄ちゃんに好きだと告白を伝えたいかった女の子と、どうしていいかわからず逃げ出してしまう男の子との間の男女の差、その後の男の子の昼寝とか、あるいはその朝の女の子の夢だとか。特に女の子の夢の方はどうにも色っぽい。複式学級の二つの学年の間での大人と子供の境界線などさまざまな溝というか境界線を強く感じさせる中盤が印象的です。その前段となる、訪れた妹の同級生たちを前にした男の子の「ココが気に入らない」というシーンは客席を爆笑に巻き込みますが、アタシも好きなシーンです。

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2011.08.22

速報→「Caesiumberry Jam」DULL-COLORED POP

2011.8.21 19:00

4年の時を経ての再演、あの時とはアタシたちも状況がずいぶん変わってしまいました。125分。28日までシアターグリーン、Box in Box(中劇場)。初日二日目まではフルカラーのパンフが無料でついてきていて読み応え。役者紹介ではなく登場人物のバックグランドを描き込むというのがちょっとうれしい。舞台上には本物の土があり、ほこりを嫌う観客にはマスクの配布があります。

チェルノブイリにほど近い村。警戒地域で避難を勧告されているけれど、この村に残りあるいは戻ってきて暮らしている人々。人々は元気で、農業をして、酒を飲んで、それまでと変わらない生活をしている。

この演目で再演という仮チラシを目にしたのは震災の前だと記憶しています。311のあとでこれを書くとするとそうとうあざとい感じもするし、難しいところだと思います。アタシが4年前にこれを観たときはやはりどこか絵空事として見えていたのだけれど、きっとある種のリアルがこの中には混じっていたのかもしれないな、と思うのです。現実がそれに追いついてしまったことで、些細なことに敏感に反応してしまう自身に気づきます。

初演に比べると舞台も格段に広くなり、殆どの役者が入れ替わり人数も増えています(初演11名、再演+5名)。猫の物語は無かった気がしますが、そこに暮らしているのは人間だけではないというのも、福島の事実として感じとれる今はリアルを感じます。

初演は清水那保が演じて強烈な印象を残した子供を今作では中村梨那が。底抜けに明るい表情と声が実にいいのです。堀奈津美はこの場所にいつづける業をしっかりと。その夫役は日替わりキャストですが、21日夜は瀧川英次。ほとんど笑いのない物語ですが、誠実さと明るさが全面にでたいい夫婦をしっかりと。この土地での生活を支える女たちを演じた田中のり子、百花亜希たちの苦悩と恐れがしっかりと。

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速報→「待ってた食卓、」マームとジプシー

2011.8.21 15:00

マームとジプシーの三ヶ月連作のうちの第二部。作家の故郷・北海道伊達市で上演したものを横浜公演中に2ステージのみの特別上演。21日までSTスポット。

久しぶりに兄弟3人が集まった家。姉と妹は家を出ていて、父親が亡くなってからは長男一人でこの家に住んでいる。あれから一年、幼なじみや近所のおばさんたちも集まってきて、食卓を囲むが、父親が生きてここにみんなが住んでいた食卓とはやはり何かが違っていて。

故郷を出ていて久しぶりの里帰り。男一人暮らしで姉や妹たちは掃除をしなきゃとかなんとか口々に過ごす一日。彼らが得意とする、せりふの細かなリフレイン、円形のちゃぶ台を囲む兄弟たち。故郷という場所だったり一緒に住んでいた父親に対する慕情をそれぞれの視点で描きます。さらに10年前にここを離れた幼なじみの再会、10年前にここを訪れたことがあるけれどほぼ記憶がなくて初めて訪れるような外来者の女、ここに住み続けている「おばさん」というごくごく小さな世界の奥行き。

故郷という場所、団らんがあったという感覚はあるし、今日は確かにみんな集まっているけれど、「戻ってきた」という感覚をもてない姉と妹。ここで暮らし続けている長男にとってみればそれは過去からの連続だけれど、出ていった人にとっては確実に非連続なのです。6月の公演がこの部分をズームアップしていて町の広がりという別の座標軸を基準に描いていて、この一点を要として深みをぐっと増しています。「故郷を離れる」という感覚はあたしには実感としてわかないけれど、その奥行きゆえに強い印象を感じてあたしは泣いてしまうのです。

今作においても、召田実子は少々飛び道具な感があって、海を目指して歩き、地元民と話すつっこみの会話が強烈な印象。物語の根幹というわけではなくむしろ積極的にリズムを崩して緩急をつけているという感じなのだけれど、この会話が実はとても好き。

物語というか描いていること自体はごくシンプルですから、何か記憶とか時間軸の提示の仕方に秘訣がありそうだということはわかっても、どこがどうすごいのか、ということはアタシの中ではまだ消化できずにいます。でも、たとえば繰り返すリフレインの中にひょいと新たな情報を紛れ込ませたりと、だんだん見せ方のバリエーションを獲得しているなぁと感じます。

正直に言うと、どこかスタイリッシュで芸術めいた感じ、たとえば坂の上スタジオとかフェスティバル東京とか、あるいはチェルフィッチュといった類いの小劇場演劇はどこか苦手意識のあるアタシです。なんか行政に近い感じとでもいいましょうか。マームとジプシーもどこかそれに近い感覚があって、表現の手法があまりに深化しすぎてしまうとアタシには苦手になってしまいそうな予感があります。でも今のところは、こんな想いが積み重なっていく物語の美しさに浸るのは実に楽しいのです。

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2011.08.21

速報→「ハッピー・ジャーニー」フライングステージ

2011.8,20 14:00

フライングステージの新作。ゲイを扱ってはいますが、じつはその母親たちの物語に見応えがあります。105分。28日まで駅前劇場。来月には札幌でレインボーマーチに合わせて公演があります。

法事のために北海道に行くことを決めた母親に、息子が珍しく一緒に行こうという。久しぶりの家族旅行だから、という息子と東北新幹線のホームで待ち合わせた母親は息子からもう一人連れが居ると明かし、母親は戸惑いながら一緒に行くことにする。息子はゲイで連れはその彼氏なのだ。車中ではもう一人、昔の彼とも出会い奇妙な「家族旅行」が始まる。

ソートンワイルダーに同じ枠組みの物語( 1)があるようです。私は知りませんでしたが、劇中の語り部がそれをきちんと云うのは真面目気もしますが誠意と敬意が感じられます。。 毎年九月に札幌で行われるレインボーマーチは性的マイノリティたちの社会との共生を訴える催しで今年は15周年。物語はこの催しへ参加したいゲイたちとその母親という枠組みで札幌に向かう人々を描きますが、息子からゲイであることのカミングアウトを受けている母親こそが物語の中心なのです。

■ネタバレかも■

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速報→「不識の塔」野の上

2011.8.20 19:30

野の上の新作は実在の人物をもとにした作家の創作だという75分。下手側やや後方(青い椅子)がオススメですが、ああしはうっかり下手最前列で。パンフに折り込まれているマンガ仕立ての「斎藤主物語」をぜひ事前に予習を。21日までアゴラ劇場、そのあと青森公演。津軽弁というインパクトが印象的な劇団ですが実は女性たちの会話のえげつなさと日常のミックスこそが魅力。同じ魅力の前回公演の「臭う女」の京都公演が10月に予定されています。

青森のある小さな村で灌漑を成功させたもののその後の原野の開拓には協力を取り付けられなかった男。そのあとに寺を煉瓦造りで移築したり塔を建築たりしたが、その病床の末期。妻と二人の妾たちが遺産を目当てに集まっている。生前の告知で知らされたのは、三番目の妾の存在と、自身の遺体をどうするかについて、だった。

モデルとなった斎藤主(さいとうつかさ)の子孫たちも来場しているとか。それにしちゃかなりヒドい描かれようではあります。いわゆる田舎で「浮いて」しまった男、その孤高ゆえの寂しさの先に妾たちという存在をベースにしています。病床に伏せって意識も危うい男の前での女たちの会話が物語の骨子。チクチクと嫌みを云ってみたり喧嘩してみたりするのに、いざ決行という時になれば一致団結という繋がり。相続というカセでその場から離れられないという場を作るのは巧い。

後半にはちょっとサプライズ。人間の背丈ほどの高さの上面が見下ろせる高さに観客の視点があるとベストなのだけどあたしが座った最前列ではそれが見えないかわりに、座り芝居の多い前半を堪能。もっとも、あたしの観た土曜夜の回、トークショーによればそのサプライズの仕掛けに失敗したのだそうで、結果的にこの回に限れば最前列でも問題なかったので、まあよしとしましょう。

本妻という立場ゆえの強さ、妾ゆえに想ってもらっているという強み、あるいは病的ですらある男の拘泥ゆえの想われの強さ。それを女たちのそれぞれにきちんと語らせていています。男側が本当はどう思っているのかは検証されたりはしませんが。孤高故の孤独、それゆえの歪んだ愛情が人間くさくて実に楽しい。

劇場での打ち上げを終演後に知り合いに限らず客席一般に呼びかけるフレンドリーさも芝居一座っぽくて楽しい。なかなかそうもいかない昨今ですからこれは楽しい感じ。装置も近寄って見せてもらえたりして、お得感があります。

藤本一喜は中堅として難しいバランスをきっちり。乗田夏子はいままで先頭を切ってディープな津軽弁だったところ(なんせ、方言指導だ)を今作ではもっとも標準語に近くて観客へナビゲーターとしての役割。 結果、三上晴佳がもっとも難解な津軽弁という位置づけの「山に住んでいる」役に。ほとんどなにを云ってるかわからないところもありますが、物語がそう込み入ったものではありませんから、感情の起伏を追いかけられれば大きな問題ではありません。さすがにこれだけの方言となるとこの若い役者のとっては訓練の賜物のようです。 若い役者ですが、本拠地のナベゲンでもここ野の上でも力をめきめきつけている感があって見応えがあります。

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2011.08.17

速報→「範宙遊泳の宇宙冒険記3D」範宙遊泳

2011.8.16 14:00

新宿眼科画廊、という名前のギャラリーの地下にできた新しい劇場のこけら落とし公演。50分。17日まで新宿眼科画廊地下。

男が目覚めると知り合いがいた。宇宙船に連れていかれて、火星に行こうという。

男性の役者三人の構成。板張りの床、壁にかかるいくつかの小道具。アンドロイドと名乗る登場人物は、物語を引っ張りボケ倒していきます。物語は宇宙を巡る冒険なのだけれど、登場人物はバイト先の店長や顔は知ってるけれどシフトが全く重ならない別のバイト。全体を貫くのはゲームの枠組みで、ゲームのシステムの中での選択しがごく狭くて、壁の中のものを探すのもほとんどいちいちエラーメッセージが来たり、あからまさまにセーブを勧めてくる場所があるかと思えばセーブできないシーンがあったりとままならない強い制約の中。プレイヤーの返答をほとんど聞いていないというのも、レトロなゲームな様相。

アタシの年齢だとドラクエ第一作が大学生ぐらいだったのですが、ハマる友達を横目にそこをスルーしてしまったアタシは、老後の楽しみとうそぶくだけで自分でこの手のゲームをやったことがありません。なので、まあ雰囲気はわかるけれど、ゲームのリテラシは低いアタシには、やりたいことが今ひとつ見えない感じでは有ります。

ごく狭い暮らしの範囲を登場人物として、ゲームの中の枠組みというごくごく狭い世界。かかれたゲームのシナリオに沿わない行動ができなかったりというのは現実とゲームの境目が曖昧ということなのかとも思うのです。店長を棍棒で叩いて殺す、というのは一歩間違えば起こりかねない現実という怖さがあります。途中に挟まる現実のコンビニのシーン、店で盗まれたものの犯人として疑われた自分という構図が一瞬挟まりそこからさらに夢の世界に戻るのは、全体のキーポイント。この一つのシーンが現実と夢があいまいになっている世界を描いているように思えてならないのです。その世界にはまり込むような感覚は、たとえばネットコミュニティにはまり込んだりする、という感じで腑に落ちるなぁと思うのです。

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2011.08.16

速報→「クレイジーハニー」パルコ

2011.8.15 14:00

本谷有希子の新作、初舞台となる長澤まさみとリリー・フランキーをメインに据えるというキャスティングも評判です。28日までパルコ劇場、そのあと金沢、福岡、大阪、名古屋を巡ります。

携帯小説でデビューした女性小説家のトークイベント。一時期は人気を博したものの、悪友の飲み屋のママと知り合ってから実体験をもとにした作風やルポを活動の軸に移してから人気が落ちてきている。トークイベントの観客も多くはないが、定期的な開催で固定したファンは続けてきている。ある編集者が、その場を利用して今までにない企画の本を出すという提案をする。観客の中の何人か筋金入りのファンを選び会場に呼び戻して「第二部」の幕が開いた。

面倒くさい強烈な自意識の主人公という路線はお手のものだけれど、いままでは小説家といった類の「つくり手」を全面に押し出したものはなかった気がします。どちらかというと家族だったり友人だったりという枠だったものを、小説家とその仲のいい友人、ファンという構図に持ち込んでの物語。

ファンとクリエイターの面倒くさい関係とでもいえばいいのか。最初の頃は(世間的にみて)素直な路線でいけばそこそこに売れていたのに、友人の影響で路線が変わり、おもしろいと思うことがどんどん追いつめられてファンが置いてきぼりを食らう、というまあ小説に限らずよくあるといえばよくある構図。変わった路線は好きじゃなくてもかつてのファンがまだついていたり、少数派ではあっても最近の作品の方が好きだというファンがいたり。

小説家は、ファンを突き放してみたり、でもそれはちょっと寂しいとおもったりな感じをうろうろしている感はあって、彼女自身の気持ちが流れていかず、延々逡巡しているのが停滞しているようにみえたりもするのです。ファンはほしいのかどうなのか、その逡巡がもうちょっと見ている側に手に取るようにわかるとうれしいなと思ったりおもわなかったりします。

後半で見せる、小説家とママをあざ笑うかのように小声でひそひそと話すファンたち。ネットの向こう側に顔のわらかならい人がいて、自分のことを評価したりあざ笑ったり、馬鹿にしたりするといういいしれぬ不安感のようなものは、なかなか私たちには本当の怖さは感覚としては理解しづらいところだけれど、あの場面の嫌な感じというのは、それをしっかりと描き出しているように思うのです。

本谷有希子自身が、小説家でもあること、エッセイなどでみせる自意識の強さ、あるいは美人ゆえに売れてる側面がなくはないわけで、彼女自身が投影されているように見え隠れしますがまあきっとモデルってことじゃないんでしょうが。

長澤まさみもリリー・フランキーも初舞台ゆえかどうか、少々キャラクタ先行という感はあるものの、強烈な存在感が印象に残ります。物語を進める役割の成河(ソンハ)はその役割をきっちり。吉本菜穂子はもっとみたいなぁともおもうけれど、気の弱いかんじもきっちり。

まるでロフトプラスワン(もしかしたら阿佐ヶ谷かもしれない。AJAGAYAとか書いてあるし)のようなトークイベント居酒屋。リリーフランキーといえば、といえば確かにそうだし、爆発的な売れ方をしている人よりは、その直前やあるいは少し落ち着いた売れ方の人がラインナップになりやすく、面倒なファンが集まりがち、というのもこの芝居の場の特性によくあっっています。 なんせ丸テーブルに卓上のメニュー、店員呼び出しの札がおいてあったり、トイレ周りの雰囲気とか壁の落書き感とかも、あのロフト系列店の雰囲気をよくつかんでいます。東京離れてわかるもの、こういう雑多なイベントがそれこそ毎日のように開かれている東京という場所の奥行き。この芝居、地方の公演も多いようだけれど、その文脈というか雰囲気というか、はたして伝わるものかどうか、というのはちょっと不安な感じもあります。

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2011.08.15

速報→「さよなら また逢う日まで」ブラジル

2011.8.14 18:00

2008年5月初演、劇団としての再演。いくらお盆期間とはいえ、14日(日曜夜)初日の16日千秋楽は過酷すぎる気がします。果たして初日は満員、15分遅れの開演。120分。

廃工場らしい場所、4年ぶりに出所した男。それを出迎えた男。4年前の7人で企てた強盗に失敗していた。みな4年の間一度も会うことはなかったが、出迎えた男の呼びかけで集まってくる。ある男はタクシー運転手としえまっとうに生きていて、ある男は相変わらず女と暮らしていてで、ある女は企業をやっていて、ある女は結婚していて。かつてリーダーだった男もやってきて。
刑務所で一緒だった男がもちかけてきた現金輸送車の強奪計画。7億円。現金輸送車の運転手までも仲間に巻き込んで、計画は完璧だ。

黒づくめの人々、犯罪の現在進行で仲間ではあるのだけれど、どこかそれぞれが信用していなくて。印象としてはレザボアドッグ(wikipedia 観たことないけど)という感じのハードボイルド。でも、過去の疑い、現状の疑いがそれぞれに。

初演の時に友人の云ったパルコ劇場でも、というのは着実に階段を上っています。正直に言えば、紀伊國屋ホールは今の若い観客では相当にみづらい劇場なのが残念。ぜひともパルコで観たいという気はします。初演のアゴラでの狭い中に人数が多すぎる感じは、紀伊國屋の舞台には栄えるバランスになりました。

アタシにとって初演のハードボイルド、謎解きの印象は、今作においては男のロマンティック、友情を最後は信じている人々の想いの物語という印象になっています。 物語というか、そこにいる人々の奥行きがぐーっと広がるような感じがします。

中川智明、怖い印象だけれども、信じるまっすぐな気持ちが通底していて観客の視座をきちんと。西山聡の想いとコミカルな感じ。櫻井智也の斜に構えた軽い笑いも印象的。奥田ワレタは美しい人妻に、高山奈央子はその細さゆえのクールさがかっこいい。

初演では6億だったのが7億になったり、4年のあいだに起きた出来事をラー油とスマートホンという新しい話題にいれかえたりはしているけれど、たとえば5月にこだわる理由はないわけで、そこを直さないのはなぜだろうと思ったり。

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速報→「ながぐつをはいたねこ」柿喰う客

2011.8.14 14:30

東京ミッドタウンのビジネス施設の一部、絨毯敷きの会議室フロアを利用しての子供向け夏休み企画の一環。「ながぐつをはいたねこ」の上演45分に、子供用のワークショップを30分ほど。14日まで東京ミッドタウン・カンファレンス(メインタワー4F)。

親の遺した猫を助けた末っ子は猫のいうままに立派な長靴を買い猫に与えた。猫は毎日のようにウサギを捕まえては王様のところに送り届け、主人を訊ねられて伯爵なのだと答えてしまう。あわてる男だが猫はお膳立てをしていって。

子供向けにはなっていて、せりふの速度も内容もやさしい感じになっていますが、柿のテイストは存分についこのあいだまで本番だったと思えないぐらいに、きっちりと。まあ、再演だからかもしれません。

ワークショップというにはさすがに少々こどもたちの年齢は低すぎる感はあって、それでも大声、楽しさの表現、小声というパーツを練習してから、それをじゃんけんや悪者を倒すという目的のために場面に応じて使うというこことをわずか30分の間に。見た目にはお遊戯そのものだし、この30分で何かが完璧に子供たちに定着したということはないとおもうのだけれど、自分の感情や想いを伝えるというゲーム仕立てはたしかに「教育」の一環だよなぁとおもうのです。

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速報→「トロンプ・ルイユ」パラドックス定数

2011.8.14 12:00

地方競馬を舞台に丁寧に作られた嘘が楽しい105分。14日まで劇場HOPE。

地方競馬の競馬場、そこで走る競馬馬たちの住む厩舎。調教師と助手は預かった馬は丁寧に走らせ育てている。父親の遺した最後の15歳馬を持ち込んだ牧場主の二代めはここで飼育員となり、中央競馬で傷ついた馬は再起をねらった馬主がここに預けてくる。そういう厩舎の中、馬たちもそれぞれに思うところあって。

競馬の話ではあるのだけれど、どちらかというと競馬馬たちの想いを基点にしてつくられた物語という感じがします。馬同士がしゃべってみたり、それぞれに考えがあったりと、どこかファンタジーめいたところすらあります。だいたい競馬場として設定してある丸亀には競馬場はないようですし、中央競馬の晴れ舞台といってる根岸競馬場だってとうの昔になくなった競馬場。丁寧に丁寧に研ぎすまされた虚構の物語を軽い語り口で楽しめるエンタメな路線なのです。

(2011.8.29追記 昨今話題になっている荒尾競馬場がモデルになっているよう。熊本で海辺にあって、現存する日本で最古の競馬場ということのよう。なるほど。こういうあたりに眼を付けるのがさすが。)

競馬を舞台にした小劇場の芝居というとラッパ屋の「サクラパパオー」が浮かびますが、競馬場のオジサンたちのファンタジーであるサクラパパオーに比べると、馬自信の物語だったりと、もっともっとファンタジーな味付け。パラドックス定数で時折現れる現実に立脚しない物語が強い印象を残すのです。

すべての役者は馬の役と人間の役の二役。全体をみつめる調教員と馬たちのボス、騎手に成り損なう挫折を経験した助手と中央競馬から流れてきた馬と、それぞれの人間の立場と人間をリンクするように役を割り振ったのはしゃれた感じですが、「人間と馬を重ねるな」なんてことを劇中で語らせるバランスのよさなのです。

馬の役と人間の役を、手綱を胸元につけるかどうかで切り替え、ことさら四つん這いにしたりしないところがスタイリッシュ。これは役者を共有する二つの役がそれぞれに似た境遇の人間たちにみえてくるような効果があって物語に深みを与えるのです。

競馬場の予想屋と若者の会話、少々奇妙な性癖のある馬主など、コミカルに強く振ったつくりなのも、気楽に楽しめる仕上がりなのです。

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速報→「降りそそぐ百万粒の雨さえも」キャラメルボックス

2011.8.13 14:00

劇団の人気作(1996,2001,2009)「風を継ぐもの」の後日譚となる時代劇。2002年の「裏切り御免」とあわせての三部作の完結編と紹介されています。120分。28日までサンシャイン劇場。そのあと名古屋、神戸。

鳥羽伏見の戦いに敗れ江戸での再起をかけた新撰組だったが隊士は半減し、沖田総司の労咳も思わしくなく隊から離れ養生することになった。再起をかける新撰組は幕府の命令で甲府に向かうも敗退、会津へと向かう。

再演版の「風〜」のキャストを核に、そのあとを追う物語。新撰組という集団が衰え、分裂していく時期の中で、「信じる気持ち」をまっすぐに描く熱い物語になっています。史実をベースにしながらも創作の人物を描くものがたりになっています。

アタシ自身はキャラメルにかぎらず時代劇やそれより昔の物語はその背景の知識の薄さもあって、じつのところあまり強い思い入れを持てずにいます。今作もその例には漏れないのですが、シンプルに作られた舞台をところ狭しと走り回る役者たち、その熱い想いのようなものに、心が動くのです。

衰え滅んでいく人々の物語。物語そのものはあまり前向きだったりしないというのも本当のところ。 裏切りだったり脱退だったりという人の気持ちの変化と、その中にあっても変わらず新撰組を一途に想う沖田、あるいはそこに集う人々を真っ直ぐに想い続ける、ということこそが本作の核で、マイナスな状況の中での人間の気持ちを信じているということがこの劇団らしい物語の作り方だなとも思うのです。 左東広之は情けなさというよりは真っ直ぐさが勝る印象で主役をきっちりと。畑中智行演じる沖田総司は丁寧にゆっくりと、衰えゆく時期の造型をしっかりと。 その世話係で思いを寄せる町娘を演じた實川喜美子は、発声よりも身体の動きが早いという形で、カラダをめいっぱいを使って振り絞るように想いを伝えるようすを幼さという見せ方で作り出す新しい魅力が伝わります。

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2011.08.10

速報→「ドールハウス」THE RED CARPTES

2011.8.7 17:00

千秋楽カーテンコールの作家の目に浮かぶ涙、久しぶり彼女の作る物語にアタシも嬉しい125分。7日までRED/THEATER。

精神科の診察室。乖離性同一性障害の若い女性。7つの人格が交互に現れ、経験が不十分な医師は戸惑いながらも治療に当たる。

いわゆる多重人格の治療の過程、統合への物語。アイドルを中心に据えてきちんと丁寧に舞台を形成します。精神科の患者を巡る物語は沢山あって、正直に言えば、なにか新しい物語がそこにあるわけではないのだけれど、きちんと観続けさせるまっすぐな力があるのです。

女医を演じた北嶋マミがアラフォーでしかも未経験の女医という設定には少々無理がありますが、誠実に聴き続けるというひたむきさに説得力。アメリカ帰りのスーパービジョンを演じた細見大輔は笑いをとりつつきちんとバイプレイヤー。ソーシャルワーカーを演じた千葉おもちゃ、いつの間にか子供のいるような役、コミカルの間の圧巻。やせる筈だったじゃないかという梨澤彗以子、あらまびっくりの子供の役がしっかりと舞台を締めます。脚線美の美しい作家、金房実加、要所要所をコミカルに押さえて楽しい。

天使に見間違えられる別の患者というのは早々に底が割れるけれど、それを終幕近くで説明するのは蛇足な感じも。 多重な人格をドールハウスになぞって舞台両袖にカプセルのような舞台装置、それぞれを色分けしているのは見た目に印象的です。自分の中の他人「たち」ということを観ただけでわかる感じにするのに効果的です。

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2011.08.09

速報→「天使は瞳を閉じて」虚構の劇団

2011.8.7 14:00

第三舞台の88年、91-92年作、ミュージカルの03年を経ての再演。マスター役をオリジナルの大高洋夫というキャスティングも評判。劇団サイトの直前予約が便利です。21日まで池袋、シアターグリーン BIG Tree Theater。120分。

未来または並行世界の、自然災害による原子炉の溶解、30kmの区域外避難のボーダーライン。すべてを出そうとする電力会社と警官。が、そこを突破した人々は区域内へ。立ち入り禁止の区域に入った人々は、区域を覆う透明な壁に覆われ、もう決してでられないことに気づく。
それからずいぶんの時間が経つ。人類がほとんど居なくなり、天使は暇な時間を過ごしている。受け持ち区域の外に町があることを見つける。天使には受け持ちがあって、そこをはずれてはいけないのだが、そこには受け持ちの天使はいないようだ。少人数のこの町は不思議なことにマスからソーシャルまであらゆるメディアが揃っている。喫茶店に集った人々が結婚したパーティ、盛り上がる楽しさに天使の一人は人間になると願い、果たして叶ってしまう。テンコと名乗る。
集っている若者たちは代理店、テレビ局、役者、ミュージシャンの卵、やりたいことをみつけたい人。マスターの店でテンコは働いている。

正直に云えば、あの役はオリジナル (1, 2)ではこの役者だろうなというのが見え隠れ。特にテンコは山下裕子の印象が強くなってしまうのですが、大杉さほりはそれとは全く違うアプローチという点で印象的です。 若い役者の演じる向こう側にオリジナルの役者が見え隠れしてしまうのはいた仕方ないのだと思うのです。映像でもきっと観ていると思うし、ましてやオリジナルと同じ演出家とマスター(大高洋夫)です。

電通太郎、というのはあのころは圧倒的な力のあるメディアの元締め、おそらくミュージカルの頃はすこしばかり嘲笑の対象、今現在となっては悪役という位置づけになるのだろうけれど、今作においては物語の構造でそこまでは悪役にはなりません。冷徹な視点という重要なポジションでもあります。こういうアイコンは、やはり物語の作られた時代のようなものを感じさせます。 あるいはメディアミックスという手法あらゆるメディアが同じ方向を向く危険。それは古くなりあからさまにしない(悪質な方向の)メディアアーキテクチャ(メディア飽きちゃった、というネタが楽しい)なんてネタのちくちくとやる感じの鴻上尚史節が楽しい。

幸せなドームの中、その間に何があったかはわからないけれど、ドームの外は全く変わってしまっているのです。それは例えばベルリン、例えば経済体制の違い。ドームの中の人々は外にでたいと思う。私たちはそのあこがれられてる壁の外側に自分が居たと思い続けていたけれど、311の後は、(いちおうその外側ではあるけれど)たぶん、自分の生活や未来に思いを馳せるような作りになっているのです。鴻上尚史が描いているのはいくつかのごくごく小さな物語だとおもうのだけれど、それを時代に合わせて変更を加えています。そのいくつかのレパートリーの一つ、集団は崩壊するものだ、という通底する物語。世界も時代も変わっているのに、物語が古くならないという凄みがあるのです。

クールなのに笑いをしっかり取るケイを演じる大久保綾乃、不器用な女優が似合う役・テンコを演じる大杉さほり、優しい天使で語り続ける小沢道成、スタイリッシュな高橋奈津季が演じた自分探しを続けている女一途な想い、三上陽永が演じたプロデューサーのしっかりとした感じ、青森生まれらしくリンゴのかぶりものが楽しい。マスターの味わいを増した大高洋夫によく似ていると思っていた渡辺芳博、さすがに並べてみると違いがあるのだけれど、なるほど大高・小須田の両方のような確かな力。

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速報→「ナツヤスミ語辞典」キャラメルボックス×柿喰う客

2011.8.6 19:00

キャラメルボックスが別劇団と組むアナザーフェイス、久しぶりの公演。柿喰う客の中屋敷演出で。120分。11日まで新国立劇場小劇場。配役をシャッフルする乱痴気ステージも評判だったよう。

端役の仕事で足を痛めて家にこもっている男のもとに、もと勤めていた学校の生徒たちから夏休みの宿題だという手紙が届く。夏休みのちょっとした事件のことが書いてある。
中学二年生の夏休みの補習である水泳がイヤで毎晩プールに忍び込んでは水を抜くヤンマだが、見つかってしまいかばった友達と罰を受ける。その晩、ふたたびプールの水を抜こうとするヤンマ、それを見張ろうという同級生はなぞめいた女や男と出会う。カメラマンと名乗る男が撮った写真には、人影はおろかプールさえも写っていない。この学校には夏にでる幽霊の噂があり...

キャラメルの初期作品で、2003年の本公演を観ているものの、印象が薄れてしまっているアタシです。劇団10周年記念のPHOTO BOOKにあるあらすじを読んだ感じでは、演出こそ大幅にポップになっているものの、物語は原作に実に忠実な感じ。たった一粒の物語の種を共通にしながらも物語を悪意にあふれたものに作り替えた名作(実に面白かった)とはさすがに本家ではそうするわけにもいかないのでしょう。本作は原作に実に忠実で、しかし演出の新しさが印象に残るのです。

夏休みを終わらせなくてもいい、という物語の骨格。来年は受験でやりたいことができないけれど、今年はやりたいことを存分にやるのだという「ほんとうに沢山の休み」という夏休みってものの記憶はアタシには遠い日のことだけれど、それは中学生たちだけではなくて、教師を辞めて役者という没頭したいことに突き進むという決意もまた、ナツヤスミの物語なのです。

柿喰う客では十八番の八百屋舞台をも遙かに越え、強烈な段差(サンシャインシティの外の階段広場のよう)の、しかしシンプルな舞台。上り下りするだけで大変なことになるし、降りてくるときは直滑降のよう。千秋楽まで怪我のないようにと願うばかりです。この舞台を走り回る役者たち。腰を落とした独特の安定感は柿に一日の長があるけれど、普段の芝居とこれだけ色合いのことなる芝居にしっかりとついていく力もっている(まあ、若手だからなんとかなってる、ということはあるかもしれないけれど) キャラメルボックス陣、客演陣もたいしたもの。

オリジナルでは中心となるヤンマを客演の熊川ふみ(ここは歴代、ボーイッシュこそが持ち味のポジション)を据えたり、コミカルと格好良さで要を締める森下亮、オープニングの勢いを飾る川田希(この座組のなかでは背も高くないし、年齢だってけっして若い方じゃないのに、この舞台の大変なこと。驚いて気絶したあとの下手側での小技にわく客席。)といった具合に柿とのコラボにとどまらず、今の時代の若手の役者たちを贅沢に存分にという側面が見えます。

代わりに柿喰う客の役者を、三人ずつほどのちいさな集団(クラスタ)の中心に配するのは、大人数での柿の公演でみられる配役の手法。オリジナルとは人物たちのバランスが少しずつ変わっている感じはありますが、それを補ってあまりあるほど、世界に深みが生まれているのです。 意地悪な同級生たちはコミカルの要で、まるで漫画のようなふくれっ面が強い印象を残す七味まゆみ。ヤンマの母親は一人で娘を育て、こんなシチュエーションでも信じ続けていたという心の強さをコロ。ある種ヒールな水泳教師をどこまでもコミカルに造型する村上誠基。もう一つの同級生たち、友人クラスタで物語のきっかけをつくる役どころを深谷由梨香という具合に実に巧みな配置。

迎えるキャラメルボックスの役者、若手劇団への客演にも積極的で客席でもよく見かけるぐらいにきちんとほかの芝居を見ている渡邊安理がクールな美女をきっちり。 物語の語り部となる多田直人、若手だとおもっていたらさすがの貫禄すら感じさせます。

写真がフィルムだったり携帯電話がなかったりと、さすがに物語は時代を感じさせるようになっていますが、なんせ夏にふさわしい幽霊はデジカメではサマになりません。演出がこんなにポップになることで新しい命が吹き込まれた一本になっているのです。

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2011.08.08

速報→「マッチ・アップ・ポンプ」キリンバズウカ

2011.8.6 15:00

キリンバズウカの新作、105分。14日まで川崎アートセンター アルテリオ小劇場。

学校と商工会議所と鉄道とバスぐらい以外は何もない町、二浪した女は予備校の寮から呼び戻されこの 町で暮らしているが不満も多い。母親は10年前に男を作ってでていき、兄は三年前に姿を消して戻ってこない。父親との二人暮らしだが腹が立つ、最近は家庭教師が通ってくる。ある日、予備校の時のクラスメートが女を訪ねてやってくる。

タッパのある舞台、何階層かに組み立てられてきちんと高さを埋めてつくられた装置に見応え。町をぎゅっと圧縮したトミカの町のような。箱庭の一種だと思うのだけど、それを平面に展開しなかったのは正解ですが、きっとお金もかかってるし俳優の負荷もかかってるんだろうなぁと余計な心配。

終演後、今一つぴんときてないアタシに、友人が教えてくれた一つの解釈は、二十歳そこそこの若い女から見えているのは父親もなんかダサいし、ほかにもいろいろ腹が立ったりするけれど、実際の世界はそこまでシンプルじゃないよ、ということ。それぞれの理由があったりする、ということの視点のギャップだという解釈でした。なるほど、これは軸の物語として腑に落ちる感じがします。

閉息した地方の土地、この土地で生きていくことをすでに選んだ大人、同じぐらいの世代でも就職している人はここで暮らしていくことを選びとっているけれど、まだ自立してない感の若い女。離婚した母親への仕送りをつづけたりしているのは、彼女には理解出来ないし、 この町で就職するのが一番可能性がないじゃん、という台詞は若い女性らしい感覚。でも、たぶん日本の大部分に当てはまる現実の姿は、その土地で暮らし続ける人であり、傍目にはそうしてそこまでするかわからないような理不尽だったりを生きる人々。その閉塞感という現実は、今のアタシにはよくわかってしまうのです。

これだけ陰の薄そうな人物を演じているのに強烈な印象を残す小笠原結。ダメ人間の男に自覚しながらもひきづられているのにあっけらっかんと、しかしぽわんとした雰囲気のギャップから醸し出される薄幸さが圧巻で破壊力すら。
気のいいどころか、断れないを通り越して惚れっぽくて少々軽い女を演じた渡邉とかげは、なかなか他ではみられないない感じの色っぽさと翌朝の後悔というギャップも鮮やか。あるいは自分は三軍でモテる彼女は教室で一軍だった、だという自覚のバランスの良さを持つ人物の造型がしっかりしていて説得力があります。
ちょっとした間できちんと笑いを作り出していく日栄洋祐は舞台のテンポを作り出します。

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2011.08.02

速報→「モンモンハウス」ボタタナエラー

2011.7.31 18:00

けっこう久しぶりに拝見した気がします。「棚からぼたもち、をエラーする」という劇団名の由来を会場時間中にスタッフに尋ねる観客もいたりするわりと満員の日曜夜。110分。31日まで「劇」小劇場。

もと暴力団の屋敷の小部屋を下宿に貸し出している家。とっくり暴力団は解散していて、長女と夫、次女が住んでいる。売れない役者や、女に追いかけられている男が借りている。スーパーの店長がやっているNPOは若いホームレスの自立支援のためにこの家の離れを借りたいと交渉しにきていて。

大きめの和室、窓に面した廊下は階段に繋がっている。上手に一段高く舞台のように、下手に神棚。

昨今もちろん反社会勢力な暴力団なのだけれど、行き場をなくした人々の避難所で、それは生きていけることだという意味は確かにあったのでしょう。そういうノスタルジー込みで作られてる物語はわりと暖かく、人々を包み込むのです。ヤクザにあこがれている人やヤクザを演じているひと、あるいはヤクザそのものだったり。そのかっこよさだけじゃなくて、任侠道にある、人間を支える何かということをしつこいほどに描き出します。

黒髪が印象的な高橋唯子を久しぶりに観られるのはうれしい。びっくりするほどに胸元のあいた序盤から、きりりとしめた和服姿の噺、花札でのかんざしと実に変幻自在。惚れるような声がよくて。 松下知世、かつては多かった人間関係がうまく作れなかったり人見知りなキャラクタを久しぶりにみた感じがしますが、これも破壊力抜群で、こういう地味な感じで動きが妙だったりするけれど、じつに魅力的なのです。 畑雅之、大間剛志演じる役者たちの物語は十分に生かされている感じではないけれど、生き生きとした造型が世界を支えます。ウザいスーパー店長を演じた中野博文はデフォルメがすごくて漫画的ですらあるけれど、どこかでリアルにいそうな造形をしっかりと。

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2011.08.01

速報→「ペッジ・パードン」シスカンパニー

2011.7.31 13:00

2011.7.31 13:00

三谷幸喜作・演出、2ヶ月にわたる長期公演の千秋楽は作家自身のカメオ出演のサプライズありで、休憩15分を挟んで3時間10分ほど。世田谷パブリックシアター。31日まで。

ロンドンの下宿屋に移り住んで来た日本人・金之助。もと英語教師で留学で滞在しているにもかかわらず、自尊心とコンプレックスとから英語がどうにも苦痛で、なかなか社交的になれずにいて、イギリス人は誰もが同じ顔にみえてしまうほどだが、下宿屋に住むイーストエンド育ちのコックニー(wikipedia)の女中と階下住むもう一人の日本人とは気兼ねなく話すことができた。女中はそれは、自分より下に観ているものには緊張せずにはなせるのだと鋭く見抜く。
ロンドン滞在の日々はすぎていくが、ほとんどロンドンの人々と話すこともなく、英語の先生に紹介されたロンドンの上流社会の人々と会ったりもするが、それは物珍しさだけで自分と会おうとする人々に嫌気がさし、どんどん閉じこもってしまう。

夏目漱石のロンドン留学、日本人と英語の問題から始まって、当時の英国の自覚なき差別意識のようなものを、日本人を差別される側として描くというのが新鮮な感じがします。全体は笑いに包まれ物語は進むけれど、先進側だと思う人々の自覚のない差別の存在を描き続ける前半。が、その日本人側にしても、女中やその兄たちに対して劣等感がないという意味で、人に貴賤をつける感覚の存在。後半、日本に残してきた妻からの手紙の返事がないことを理由に女中とともに暮らそうと決める男が、妻の変わらぬ愛情を知ったとたんに、何事もなかったかのように女を捨ててしまうこと、しかし失った女の存在が創作に必要だと考え落ちぶれていくさま。

支えてきた女の存在を失った作家、というのを本編の作者に重ねたりして考えるのはワイドショーに毒されたあたしの感覚かもしれませんが、何か大切なものを失う、という普遍的なものとしてかんがえるべきなのかもしれません。

正直に言うと、物語の力点が、その差別意識だったり嫉妬だったりという部分にある感じがして、作者の語りたいことの中心がどこにあるのか、判断しかねる感じはあります。後半の愛情と創作の物語の部分よりも、その差別が根っこにあることを描いている部分の方が断然おもしろく感じてしまうのです。どうも執筆中に震災というタイミングだとパンフにあるといいます(ああ、しまった、震災への寄付金になる当日パンフ買い損なった)。もともとはもっと暗い内容を明るいコメディに転換したのだといいますが、アタシの感じる違和感はそこに起因している感じがします。

深津絵里は、「Hを発音しない」という設定で無茶ぶりされている感のある台詞を越えて、がさつさも含めて愛らしくて観客すべての愛情を一身に集めるよう。彼女のかわいらしさが存分にでていて魅力的です。後半の「する?」という台詞が色っぽくならないのは痛し痒しだけれど、まあそういう芝居ではないのでこれが正解なのでしょう。

ものを知らないアタシがしゃべっても誰にも笑われない、それが昨日みた夢をしゃべることだというアニー(ベッジ)の台詞は切なくて、実にいい台詞だと思うのです。これはそのあとがあって、「夢はわたしのものだから」なるほど。この台詞が終盤のあれ果てた下宿のシーンに効いてきます。

浅野和之は、いったい何役やってるのだろうというぐらいのすごさ。それもこれも「イギリス人がみんな同じ顔に見える」という一点のためなのだけれど、どれもこれも違う人物に造形されているし、みんなが魅力的でちょっとすごい。野村萬斎はストレートプレイで観たことがあるのはあっただろうかと思うけれど、翻弄され心身が衰弱していくさまをくっきりと。大泉洋はある意味ヒールだけれど、軽い感じが実にいいのです。浦井健治はミュージカル畑なのだそうだけれど、軽い身のこなしと若者らしいかんじに。それにしても、存在するだけで輝く人ってのは居るわけで、それが芸能人というものだということを存分に感じる舞台なのです。

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速報→「パール食堂のマリア」青☆組

2011.7.30 19:00

青年団リンクをはずれた青☆組、10周年の新しい一歩。120分、7日まで三鷹市芸術文化センター星のホール。 前半のソワレにはトークショーを設定。

港町の繁華街の一角、小さな食堂を営む一家、父親が店主、住み込みのコック、姉はかいがいしく働き、妹は教師となっていて、同僚の男性教師と近づいている。向かいのバーの店主は野良猫を引き取って飼っているが、もうずいぶん見送っている。妹の教え子は難しい年頃の男子、その母親は美容院を営み店の常連だが、資金繰りに頭を悩ませている。ストリップ小屋の売れっ子は内縁の夫の浮気で喧嘩をている。

今までは春風舎というごく小さな空間が主だった彼らが選んだこの劇場。数多くの劇団がこの舞台の広さに苦労する難しい劇場だと思うのですが舞台をめいっぱい使い裏通りの街角を出現させ、階段の多い路地という場所を設定したのは正解で高さ方向にも空間をきちんと埋めています。横浜いうよりは横須賀っぽいなぁと感じるのは、まあ時代の違いやあたしの思いこみでリアルじゃないということではありません。

横浜の伝説の街娼、メリーを思わせる一人の女と、猫と名付けられた町を眺める視点を配しながら、ごくごく小さな繁華街の裏通りでの出来事。敗戦の記憶はまだ町に残っている時代(戯曲によれば昭和47年の設定だそう)。ちょっとしゃれた外国の風景かと思えば、食堂の中の昭和を感じさせるテーブル、イス、姉の風体など中心でここが日本であることを確かに。

いままでの見慣れた青☆組とは少し違う雰囲気を感じます。群像劇であること、余白が多い芝居であること、必ずしも作者の肌感覚が届く人々の物語じゃない、というところが新しい感じで、そういう意味では手慣れてるというわけにはいかず、10年目、青年団からの独立という新しいチャレンジの気合い。

チラシに書いてある群像劇、というのをすっかり忘れていて中心となる物語を探しながら観てしまったアタシはちょっと失敗で、なるほどこの街に住み、稼ぎながら暮らしている人々の話をベースに、去った命に目を配って、パンフォーカスのように全体が一つのトーンの中に、どれかに特段ピントが合うわけでなく、全体とした街を描き出しています。アタシの観た土曜夜のトークショーでMONO主宰・土田英夫の指摘した「ダブリン市民」(wikipedia)は未見ですが、きっと同じ印象なのかな、とちょっと嬉しく。

ネタバレかも。

続きを読む "速報→「パール食堂のマリア」青☆組"

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速報→「プラすマイなす竹」7%竹

2011.7.30 15:00

武藤心平のコントユニット。7月に7人で70分のふれこみだけどちょっと多い80分。さすがにチケットは777円とはいかないか。30日までミニシアターFu-。

通夜、香典の額が少なすぎると詰め寄られる男、そこに知り合いらしい女がやってきて「通夜泥棒」
デート風のカップル、女は男に契約を迫るが、どことなく強気で「保険の勧誘」
くじをひいてスパイを決めてゲームを始めるが「スパイゲーム」
ウエディングプランナーを訪れる婚約したカップル。女はちょっと強気、司会は友人といっているが、プランナーはプロを薦めて「アドヴァイス」
ありがとうございます、の挨拶が今回のスキット「ナパタケ流あいさつ講座vol.3」
女子四人が集まって呑み回でテンション高く「武藤流女子会」
もう劇団をやめたいという女を説得しているが、決心は固く「去るものは追わず」

ネタとしてみた場合は爆笑編とはいえず、かといっていわゆる苦笑系とも違う感じ。なにをぼけているかさっぱりわからなかったり、時に独特の口調の挨拶を繰り返すことだったりと、確かに「身内受け」という看板には偽りはありません。が、それを身内じゃない客にどうおもしろがって貰うかというあたりが勝負という気がします。

どうしても作家の分身という風に見えてしまう登場人物や語り口がけっこうあって、そんなに彼の人となりを知っているわけでは無いけれど、過去拝見している別での芝居とか、どこかの客席で拝見してた姿とか、その微妙な間合いとかに見え隠れ。それゆえに誰がやっても、というわけにはいかないのが厳しいところなのだけれど。

「保険の勧誘」はいわゆるデート商法の話だけれど、むちゃくちゃな丸めこみに爆走する根本宗子がおかしい。あんな態度で傍目にはどうしてだまされるかわからないけれど惚れた弱みでむちゃくちゃが成立してしまうという状況に説得力。

「アドヴァイス」はカップルの女のどっしりと構えた感じ、プランナーの女の微妙な色気、終盤でその理由もあかされます。 「~女子会」はある種のクラスタに属するような独特の口調や独特の受け方、モテない感満載がちょっと楽しい。

武藤心平はこの世界をしっかり。出番は多いわけではないのだけれど、彼の身体とかからでてくる味わいというかおかしさのようなものが。畔上千春は、ちょっと暴走するクセをもった役をさせると巧くて、このユニットの柱の一つとしてしっかりと。根本宗子は弁護士、保険勧誘の女、カップルの女、女子会の遅れてくる女と、かわいらしさと瞬発力に魅力。

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