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2011.07.25

速報→「バーン・ナ・バーン」ワワフラミンゴ

2011.7.24 17:00

まさかまさかの急展開の話だけれど、まあそれでもワワフラの世界。村上春樹「納屋を焼く」を目指してまったく違う話だといいます。30日まで下北沢cafe viet acro。45分。

レモンとケーキの抗争、人里に降りてきていたずらするタヌキ、ともだちになった人間なんて話。終盤の急展開はびっくりするけれど、なんか話を投げ出してしまう感じで、ちょっとかわいらしい。

なぜかガムテープをめぐるレモンとケーキの抗争、予約制なのに自分たちこそが王者とばかりに好き勝手をするケーキ、ガムテをさわったことのないちょっとばかり弱気なレモンの抗争が一つの山場。物語とはまったく関係ないけれど、ここ数週間、「クエン酸」にはまりまくっているアタシとしては、ケーキよりレモンにアドバンテージを与えたい、がんばれなんてことを、みながらおもったり。 こちらの方は物語らしいものがしっかりあること、人数が少ないことが功をそうして、おそらくこちら側が見やすい感じがします。 それにしても抗争があったりとなかなかにハードボイルドなタッチで、これはこれで不思議な感じです。けっこうなパーツを過去から拾ってきているようなのですが、たぶん物語にはめ込むやりかたが違うのでしょう。 そういう意味では物語を転がすための会話というよりは、どうでもいいわき道な会話の濃密さが彼女たちの持ち味で、それが実に楽しい感じ。時間の短さもあいまって、素敵な一本なのです。

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速報→「野ばら」ワワフラミンゴ

2011.7.24 14:00

ワワフラミンゴの二演目連続上演企画。55分。飛び飛びで30日まで下北沢のカフェ、cafe viet arco。

ほぼ2、3人のシーンが延々続きます。互いのシーンはつながってるようだけど、唐突で個々のシーンのおもしろさがあっても、全体で何かの大きなものがたりというわけではありません。時々SF風味だったり、恋愛相談だったり、時に冗談めいた感じの、しかし大騒ぎしないで体温低いままにぼけてつっこんでいる感じというか。飲み屋での大騒ぎじゃなくて、女子同士の静かなクスクス感を楽しみます。 物語が構成されないこういう話は苦手なはずのアタシなのですが、じっさいのところ、ワワフラミンゴは欠かさず観たい劇団の一つです。いわゆる女子の会話をのぞき観るような感じが大好きなのだということが大きく影響しているということは間違いないのですが。

恋人の話、振られて貰った慰謝料という名前の小金のはなし、年下のカレの話、デートはあぶないからやめた方がいいよという説得、あるいは男友達のために代わりにつきあって、と伝えること、大事なものをとりあげちゃうんだよ、という恋愛のコツなど、互いには関係ないけれど恋愛にまつわるさまざまな断片。作家自身の恋愛に直結してるとはさすがに思わないけれど、でもどこか覚めた視点で恋愛を見つめているのに、そのわくわく浮かれる感じのにじみ出させ方も含めて、こんなにバラバラなのに世界観としては筋が通ってるかんじの強さがあると思うのです。それに見事にのっかれるアタシもどうかしてますが。

めがねを探すシーンで現れる謎のメモ。台本のように男子学生二人の会話劇、という体裁の短い対話。何気ないけれど、どこかきゃっきゃしているホモソーシャル((c)宇多丸/TBSラジオ・ウイークエンドッシャッフル)感がにじみ出るようで、もしかしたらBLかと思わせる感じも、こういう女子たちの世界のなかに置くのは生々しさがない「何か」を観ている彼女たちの世界の見え方の一つに感じられておもしろい感じがします。

この年下のカレを語るシーンのちょっとお姉さんはいってる女子語り、後輩にデートは危険と説く先輩女子の語り、 恋愛に正解はないけれど、頭おかしい感じもおもしろい。 同級生らしい男の告白を仲介するシーンもありそうな感じでなんかおもしろ感じ。私自身が一番大切、という自身たっぷりな語り口も、今の女子っぽくておもしろい。 それにしてもこの濃密な会話というのはすごい感じ。わずか50分ちょいぐらいの時間だけれど、シーン相互の綱我が薄いということを差し引いても、実に濃密に語ります。戯曲は本当におもしろそうだなぁ、ちょっと読んでみたいよななぁとおもいつつ。pdfで売ってはくれないかと思ったり思わなかったり

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速報→「葉山」3.14ch

2011.7.23 19:30

猫☆魂の役者、ムランティン・タランティーノの作演による、3.14chのニ本め公演。24日までワーサルシアター、100分。

葉山にある元リゾートホテルという建物。CM撮影に使う予定で押さえた広告代理店の女は、アクシデントで空いてしまったこの部屋を自分の恋人のバンドとそのメンバーたちの夏の数日のバカンスに提供することにする。喜びいさんでやってくるメンバーや友人たち。が、その日から台風が接近し、刑事がメンバーの一人を参考人として話を聞きたいと訪ねてくる。

ワーサルシアターの幅を目一杯使って建て込んだリゾートマンション風の部屋、夏のリゾートを満喫するかのように、惚れたはれたどころか、ナンパして女の子連れ込んで飲み会してみたり、別れを切り出すタイミングを伺っていたり、あるいは曲作りや小説というクリエータの一面だったり。アタシの実感としては伴わないけれど、きっとこういう夏の過ごし方もきっとどこかにあるのでしょう(泣)。無理矢理感はともなうものの、夏らしい眼福があったりとところどころに楽しめる感じも。

中盤に現れる刑事の告げる、元カノの謎の死亡、こわれてしまう元カレ。ここまで追い込んだ後に、一転して、くるりと世界が裏返ったような不思議な展開。何か異世界をのぞき観るような不思議な手触りの作り方で、芝居だから生きるバランスを感じます。そこに起きたことはなんだったのだろう、もしかしたら夢だったり薬のなか朦朧とする意識の中でみた何かという感じにも見えて、ちょっとおもしろいのです。

当日パンフで演出自身が云っているように、正直再前列では視界が広すぎるという点でも、イスやソファに起因する死角が多すぎる感じがします。致命的というわけではないのですが、どうしてもいらいらは溜まります。
あるいはメンバーの一人の恋人からみとはいえ、到着していきなりの彼らの仲間内の方向性の確認のような会話は、それが距離ある他人の場ならいきなりやるのは違和感があるし、とても親しんだ間柄なら、いまさらはなすようなことじゃない気もして、こちらも違和感があります。あるいは「プール」の水の扱いにしても、そのシズル感は楽しいけれど、床一面にぶちまけ、水をたらしぱなしというのは、なんかふつうの感覚として違和感があるのです。まあ、実際のところ「くるりと世界が裏返る」のだからそういうリアルを追い求める芝居じゃないのだから、そこに突っ込みを入れるべきではないのかもしれません。

部屋の中のプール、という無茶な設定。物語の上でどうしても必要という感じでもないのですが、いやいや、なかなかのしずる感もあるし、それよりなにせ、眼福です(←オヤジ)。 あまり長いこと引っ張らないのも、アクセントとして効果的です。

_ 中央に写真を配して、まわりを折り込んだちらし、なるほど、文庫本サイズのブックカバーとして使える仕様なのだそう。なるほどなるほど。ちょっと面白い。

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速報→「再/生」東京デスロック

2011.7.23 15:00

東京デスロックの転機となり賛否両論を巻き起こした作品の再演ツアースタート。アタシは初見です横浜の2バージョンのうち、より進化したというデスロック版を。95分。24日までSTスポット。そのあと京都、袋井。

幸せについて考えている女、焼き肉屋のちいさな風景、繰り返すこと、変化していくこと。

YouTubeで見られる初演版 (10分版)により近いのはもう一つの、通称タダフラ(多田淳之介+フランケンズ)版のようで、鍋を囲んだ若者たちの死にゆく風景の繰り返しの描写で、ある程度の物語を持っているようですが、残念ながらアタシ、そちらは今回も見られず。

今作は物語の断片のようなものは、幸せに考えているという一人語りの女、焼き肉屋の風景だけで、物語も流れもあったもんではありません。そこにあるものを理解しようとしてもおそらくそれは徒労に終わります。表現や身体の動きのようなものを楽しむか、あるいは自分に強く引きつけて大部分を補完して読み説くか、という方向にどうしてもなるざるをえないんじゃないかと思うのです。

アタシの知り合いの観劇巧者の中でも大泣きの感動を口にする人もいれば、どうにもこれは受け入れがたいという考えの人もいるまっぷたつな感じ。あたしもどちらかというと後者です。ダンスの文脈の読み方とか、あるいは絵画や彫刻の読み解き方に近いように感じていて、それがとことん苦手なアタシにはそこにあるものはそこにあるだけのものにすぎず、どうとらえていいかの戸惑いだけが残るのです。だから、ひょんなことから自分にとっての何かの意味が読みとれたりするともしかしたらものすごく楽しめたりするんだろうなとも思いつつ。

大嫌いになりそうなこの芝居なのだけど、でも役者たちは愛らしいし、観てて飽きない感じではあります。隅々まで心配りが行き届いて作り上げられていることもよくわかります。それは役者も演出も確かな力を持っていることだろうなと思うのです。

もうひとつ、俳優の訓練として、あるいは演じる側の楽しさという側面はあるように思うのです。これ、どう考えても(この完成度でできるかはさておき)、ぜったいに観るより演じる側の方が楽しいんじゃないか、という疑い(言葉が変だな。えーと)が拭えません。もっとも、この作品に関してよく語られていた「肉体の疲れ」の課程を見せているのだという割には、全体のシーケンスはとことん練り込まれていて、おそらく何回でも同じ完成度で演じられるのだろうなとも思うのです。

実は東京デスロックに対しては遅れた観客のアタシはこの「再/生」の初演すらも見逃し、そのあとから観始めています。そのなかで、「再/生」以前の何作品かをリバイバルで見たりしても居ますが、「3人いる!」の唸るような完成度、こういう芝居がやっぱりアタシは好きなのだなと思うのです。が、まあ、彼らはきっとそこはもう飽きてしまって、次の地平が「再/生」で、さらにその先の地平が今作なのだろうなと思うのです。こういう路線で、アタシが楽しめる時がくるのかなぁ。作演も、役者たちも本当に巧くて、大好きなのですが。

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速報→「赤ペンスタンプラリー」

2011.7.22 20:00

瀧川英次のスタンドアップコメディ風のスライドトークショー。基本的には文字ベースのスライドと語りだけで見せる135分(休憩20分込み)。22日、ロフトプラスワン。

出会い系サイトの待ち合わせを繰り返して山手線の全駅に行き、24時間以内に踏破するという企画。出会い系サイトの課金メールのやりとりだけで、当然出会うことも基本的には叶わず、すっぽかされながらも全駅に行く、という趣旨。

全駅踏破、24時間という制約をうまくいかしていて、もはやネタとしての完成度も高い感じ。中で本人が話している通り、完全なドキュメンタリではなくて、ここでネタになることの何倍も出会い系サイトで話しているなかからの選抜されたネタは確かに強力です。でも、出会い系サイトの破壊力のあるメールのネタよりも、こういう無茶な企画を思いついて実行に移し、ぎゅっと圧縮した構成、それを勢いのあるトークで押し切る話術の面白さゆえの完成度。実際のところ、これが実際の出来事なのかということはそれほど重要じゃなくて、その話の面白さ、その光景を想像させるような語り口にどんどん引き込まれる感じがします。

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2011.07.18

速報→「NUMBERS-再開ー」サンモールスタジオP

2011.7.17 14:00

3月の震災で公演スケジュールの途中で中止となった企画公演をリバイバル。確率をテーマに30分ずつ4団体。アタシは初見ですが、それぞれ何かしらの変更は入っているようです。18日までサンモールスタジオ。5分の休憩を挟み150分。終演後に1/4の確率で団扇が当たるイベントを実施しています。

部屋で気がつくと、人々は眼がつぶされ、口をふさがれてころがされていた。部屋には6桁の暗証番号で開く扉が一つ。目的も犯人もわからないまま、人々は混乱していて。「ブラインド・タッチ」(DART'S/作・演出 広瀬格/テーマ 1/1000000)
身勝手なバイトに切れ気味疲れ気味の店長が女性を採用面接している。そのパチンコ屋、新台は往年のアイドルをモチーフにしているが、並ぶ人もまばら、みせはちょっと危ないらしい。でも、並んでいる人の中にはその往年のアイドルが好きだった人もいて「轟くヘヤー!!」(世田谷シルク/作・演出 堀川炎/テーマ 1/10)
人間の運命はすべて台本にかかれていて、その出来事すべてをフォローしているのが黒子姿の何者か。黒子になれば自分の台本を書くこともできるが、見習いの「グレコ」は示された台本どおりに事を運ぶ訓練をしているが、なかなか思い通りにはいかない。そこに探検隊なる未知の生物を探そうとする一団が通りかかる「蝶々一匹。夏を変える。」(The Stone Age ブライアント/作・演出 鮒田直也/テーマ 1/100)
妻はかつてホステス結婚してて子供が居たが、入れあげた客の男が新たな夫となったが、子供は不慮の事故で亡くなり、それ以来夫婦仲もぎくしゃくするようになっていて「ロマネコンティ2006」(同居人/作・演出 山本了/テーマ1/2)

「ブラインド〜」DART'sらしいといえばらしい、救いのない感じの緊迫した空間での物語。謎解きとなる犯人は中盤で明かされるけれど、そうなってしまった手駒の人々がどこに着地するのか、というのが後半の緊迫感ではあるのだけれど、最初から眼を失っているという設定ゆえに誰が助かっても助かった感が薄く感じてしまったり、この救いのない空間で犯人はなにをしようとして、どういう結末を描いていたのか、あるいはどういう偶然がこの状況を招いたのか、というあたりがあまり提示されないので、緊迫感が見えてこない感じはあって、惜しい感じもします。

「轟く〜」は、確率というテーマに対してパチンコというシチュエーションを持ってきたというアイディアと、そこで働く人々の行き場のない感と、そこに通うおじさんたちの日常の感じが絶妙の会話の空間なのに、ダンスをこれでもかと詰め込んだ楽しさも併せて持っていて、ものすごい密度感がわくわくと楽しい。普段女性を中心としたキャストになっている世田谷シルクでは珍しく、男性たちの迫力あるダンスも見所。紅一点となるえみりーゆうなのかわいらしさと、「かつてのアイドルに似ている」というどことなく昭和な香りの説得力。パチンコ屋の呼び込みというかMCのハイテンションと、スタッフ部屋でのローテンションと怖さをあわせ持つ店長を演じた堀越涼の個人技が光ります。

「蝶々〜」はベタな関西弁で無理矢理にでも観客を引っ張る序盤は力技でたいしたもの。人の生き死に、一生を見守る神のような存在と、その中間の「グレコ」という存在を置いて対比させていく感じはよくあるといえばそうなんだけど、そのベタさ加減でちょいちょい笑いをとったり、前時代的なラジカセを持ち出すなどのそこかしこの昭和感の落差が楽しい。

「ロマネコンティ〜」は夫婦の機微というか、心に刺さった抜けないとげのまわりを思いあぐね、先に進まないような進むような、行きつ戻りつな感じ。その結末を託した1/2に「生きて、誰が思い出してあげるの」というのは妻の側の説得力だけれど、夫がそれを受け入れるのはちょっと説得力が薄い感じがしないでもありません。

終演後のイベント企画は、客席を4つに分け、くじ引きで勝った劇団(に区分された)観客に団扇のプレゼント。夏で震災に絡んだ彼らの、確率をもったイベント感は楽しい。

全体の中では、アタシにとっては世田谷シルクが圧巻で楽しい感じ。わりと原作となる物語を持つことの多い作家なのだけれど、こういうオリジナルの、ファンタジーではない日常の空間での台詞が絶妙で、アタシはもっとみたいよなぁと思うのです。その会話と、ダンスなどの組み合わせでリズムに変化が生まれて楽しくみられるのです。

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速報→「tea for ONE ヒットパレード ONE act」tea for two

2011.7.16 19:30

一人芝居の三本立て。劇団のストックからの再演だといいます。80分。17日までキッド・アイラック・アートホール。

出勤の準備は万全、間に合うように家を出ようとするが、乗ろうとしている電車では不都合があって、一本遅らせていくことにしたが「朝のサラリーマン」
営業の会議。女は一人で会議を仕切り、チームをまとめようとするが、とうの部下たち、あるいはサポートすべき課長や部長までもが、まじめにやっているとは思えない態度で「会議中の女」
楽屋で台本を読み一人で稽古したりする女優。テーブルの上には無造作におかれた、葬式の礼状があって。

よく知られた歌謡曲を物語の骨組みにした「ヒットパレード」の一人芝居集。突発的に企画された公演のようで、既存のストック戯曲から立ち上げた企画公演の様相を。

「〜サラリーマン」は、バリバリ働き盛りの男の出勤直前、その後ろ髪を引いているのが、いい女、というのではなくて自分の中のある種の脆さ、というのがイマ的です。行かなきゃいけない、という責任感とのせめぎあい、アタシたちが直面する瀬戸際感にはよくあっているシチュエーションではあるものの、マンガ的に扱われる「ジェニー」の存在がそれを「気持ち悪い」と感じさせる方向に行く紙一重な感じがあります。もっとも、ここもコミカルに感じ取れればそれは大きな問題ではないのですが。

「会議中〜」は大阪生まれだけれど、大阪には帰らない、という意地を張る「女」の姿。優秀な女にモチベーションだだ下がりする男たちというのは、ここまであからさまなのは少々マンガ的な感あれど、その逆境にこそ力強く生きる女性の姿というのは今の感覚には合っている感じがします。

「楽屋〜」は既存の名作戯曲の部分部分を拾った台詞に、とシチュエーションを示すための礼状の読み上げ、ちょっと漏らす心情の一言二言だけで芝居を成立させるというワンアイディアがすばらしい。モチーフになっている歌の、歌い手のもとに届いた知人の訃報、というのが実にうまく効いていて、そのシチュエーションを事前にしめしているがために何倍にも効果的に。

キッドアイラックホールに以前来たのは何時のことだったか。駅前の再開発にともなって立て替えられたようで、新しい建物に。コンパクトな劇場で、タッパがあるというちょっと珍しい空間で、こういうコンパクトな一人芝居には向いている感じがします。綺麗で駅から近いのもいい感じです。

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速報→「11のささやかな嘘」ジェットラグ

2011.7.16 16:30

ブラジリィー・アン・山田の作、古川貴義の演出にバラエティに富んだ11名の役者たちのプロデュース公演。90分。18日まで銀座みゆき館劇場。

自殺した作家の四十九日。デビューで賞をとった一本以来、未完の連載ばかりで作品が発表できていなかった作家だが、出版社の担当編集や次の作品の準備を進めていたという別の出版社の担当、友人と名乗る男や生前のトラブルで示談交渉しにきた男、弟子を名乗る人々、12年ぶりに会いに来た女などさまざまな人々が現れてもめ始めるが....

それぞれの人物が少しばかりのいくつかの嘘をついていて、それを持ち寄っていく感じ。正直にいえば、この作家であればもっといけるはずだという期待感はあって、それぞれの役が一つづつの、ある程度の大きさの嘘をついていてくれたり、嘘のベクトルがそろっていれば構造としてきれいだろうなあと思いますが、そこまでは至りません。

ベースとなる物語はベタな愛憎や金にまつわるもので、下世話なゴシップにはなっても、それだけでは芝居にはならないもの。解き明かすべき謎や嘘よりは、観客も含めた全体の枠でそこかしこに隠された嘘をこれでもかと明かしていく感じの物量感で流れを作ります。

当初はなかなか正体を現さない男の正体、という嘘のあたりは鮮やかだし、一人のはずの弟子の二人目が現れた時の一人目のテンパり具合にしても、あるいは謎めいた女が12年待ち続けた理由や、出版といいながら仕事をしているとは思えない女の嘘の色っぽさも、ちょっとやられる感じ。反面、11人の登場人物を少々持て余している感もあって、これだけそろえた割にはちょっとバランスがよくないもったいなさ、というのもオールスターになりがちなプロデュース公演の弱点という気がします。

李千鶴は舞台にい続けることで、ここに居ない作家に寄り添う感じに。清水那保は珍しいパンツスーツ姿にちょっとどきっとする美しさが。梅舟惟永の大事に育てられたのだろうな、と思わせるまっすぐさがよく似合います。飛鳥凛は今風の「箸が転がっても笑う」若い女の子を見事に体現しています。

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速報→「僕の時間の深呼吸-21世紀の彼方の時間にいる君へ」ジェイ.クリップ

2011.7.16 13:30

25年前の遊◎機械/全自動シアターの代表作のひとつを21世紀版としてリニューアル再演。18日まで青山円形劇場。そのあと兵庫県立芸術文化センター。135分。

小学生の山田のぼる、父親も忙しく、母親も働いていて帰りが遅い。親がいないのをいいことに学校をさぼり、部屋でレコードを聴いたりしている。同級生からの電話で学校の様子を聞いたり、父親と約束していた映画が見に行けなくなって残念だったり。母親の帰宅は今日も遅くて、冷凍食品のグラタンを温めるように云われるが、オムライスが食べたくて。

記録が残ってないのですが、1994年の四演を観ています。恥ずかしながら、じつは物語全体の構成だどうだったのか、怪しいので21世紀版が構成としてどう新しいかはよくわからないのですが、 記憶にはオムレツ談義のコックたちの大騒ぎ、小学生の同級生の女の子の強さ加減とかが印象的でした。 今作はCGが使われたり、コックたちもきっちり決めている感じ。以前はもっとファンタジー色が強かった印象だったけれど、全体に祝祭感は減って、そぎ落としてスタイリッシュに。

当日パンフによれば、「先の時間を夢見ることを恐れず、夢を軽やかに語ってもらいたい」と考えた21世紀版なのだといいます。オムライスを巡る騒ぎ、彼を待ち伏せる同級生の少女、病院での悩みの吐露、図書館の綺麗な司書への憧れと新しい本との出会い、映画館で見かけた少女と父親のぎこちないデート、バーで呑んだくれてグチを云ってみたりと、さまざまな場面の点描を積み重ね、人生の場面を夢見ているという体裁にしたのかなと思うのです。

ゆりかごのような宇宙船のような狭い空間で音楽を聴いている少年に見える未来は、夢いっぱいの広がりなんかじゃなくて、同級生の女の子、飲み屋のクダ巻き、退職の地味な感じと、手の届くようなコンパクトな未来。今の感覚にはよくあっているけれど、これが25年前のままというのならすごいことだと思う反面、それは地に足のついた女性の眼からみた世界の見え方なのかなとも思うのです。その想いの強さを強く印象づけます。

同級生の女の子・タニガワさんを演じた新谷真弓、いままでは可愛くなくて少々押しつけがましいお節介焼き、という感じだったこの少女像を、可愛くて、でもうざったい押しつけがましいという新たな造形をしっかりと。高泉淳子の少年・山田のぼるの絶品はびっくりするほど変わらず魅力的。

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2011.07.11

速報→「完璧な世界」タカハ劇団

2011.7.10 15:00

タカハ劇団の新作。階下では「よつばと!」の原画展開催中という偶然にしちゃできすぎのタイミングで17日までルデコ4。85分。

大学時代に同人エロゲーをヒットさせた男はそのあと鳴かず飛ばずで30歳になっていた。頭の中の妄想彼女をつくり童貞のままで部屋に閉じこもっている。心配した友人たちは、あの時のようにもういちど同人ゲームを作ろうと誘い、プロジェクトがスタートするが、肝心のストーリーが進まず、挫けようとする男。なだめすかしてなんとか進めようとするが。

いわゆるオタク、同人エロゲームにかかわる人々の物語。頭の中の「完璧」で理想的な世界は、彼らそれぞれが持っているけれど、それは三次元の「リアル」な女性たちの代替などではけっしてない、理想の妄想彼女との世界。もっとも、主人公の男以外は家庭やつきあってるリアルな女は居るようで、それはそれという別枠のものとして生活しているようだけれど、主人公の男だけは、そこに逃避する何かが。

ありがちなクリエイターの話というよりは、それを商業に乗せる人々、あるいはそれで食っていけないという同人レベルのあれこれが出てくる序盤について、作家の目は冷静です。小劇場の話というわけではないけれどそれに通じる感じも。実家通いだったり余裕が有る人々でなければ続けられない小規模な創作活動、それがいい悪いではなくて「アート」という心地いい言葉に逃げずに、それで生きていけるのかどうか、という真剣さは作家の信用できるところだと思うのです。

ネタバレかも

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速報→「愛情爆心地はボクのココ」ぬいぐるみハンター

2011.7.9 19:30

ぬいぐるみハンターの新作。100分ほど。毎日終演後のイベントが設定されています。18日まで王子小劇場。

小さな町、余裕がなくさまざまな理由で子供を見放す親たちが多発し、ストリートチルドレン化して、商店を襲撃したりして集団で生活している。今日、また離婚した父母は子供をそのままほっぽりぱなし。町長は起死回生をはかり、町全体をテーマパークにしようと考えて工事を進め、町民たちの雇用を始めている。ストリートの子供たちの居場所はどんどんなくなっていき..

親から見捨てられたのにこの町を離れずに子の町にこだわってここに暮らしてる子供たち。大人は保護しようとしているけれど、でも大部分の大人たちは自分たちが生きるのに精一杯、という感じではあって、それはモンスターペアレントだったり、ヤクザまがいだったり、あるいは権力者だったり。

正直にいえば、(いやな属性としての)大人たちの記号が単発で存在しているものの、有機的につながっていかない、というもどかしさを感じます。 前回観たのが初めてなので、彼らの持ち味がどこにあるのか今一つ知らないのですが、今作においては、仲間内の喧嘩しながら物事が進んでいくかんじだったり、あるいは終盤、反乱というか慌てた人々、高いテンションと混乱した「わーっ」、という猥雑な感じが持ち味なのかなと思ったりもしますが、これはこれは回数を重ねることで、この座組での熱量が熟成されていくという感じがするので、後半にむけてどんどん良くなっていくんじゃないか、という感じはあります。

チラシで強くフィーチャーされる久保ユリカは可愛らしい感じで遜色なく魅力をたくさんに。片桐はづきは、箱庭円舞曲では見せないような高いテンションやコミカルさが魅力。子供たちを保護しようとする大人を演じた竹田有希子の妙な色っぽさ(多分意図的なものじゃなくて、アタシの性癖の問題かもしれないけれど)、モンスターペアレントを親にもつ子供を演じた伊比井香織の物わかりの良さというか大人っぽさが印象的。神戸アキコはもちろんこの劇団に欠かせない看板ですが、こういう飛び道具的なポジションを一手に担うのは負荷が少々高い感じも。そんな中で セクハラ裁判を巡る町長(神部アキコ)と秘書(片桐はづき)のコント風のやりとりは、その余白感こそがちょっと楽しかったりします。

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速報→「牡丹燈籠」ハイリンド

2011.7.9 14:00

落語、歌舞伎としても語られる牡丹燈籠 (wikipedia, web いくつも解説/あらすじがあります。)、がっつり物語るハイリンド版の5年ぶり再演。アタシは初見です。125分。10日までd-倉庫。

これだけさまざま上演されていながら、アタシは実のところお恥ずかしながら観たことがありませんでした。

幽霊・お露と惚れられた男・新三郎の悲恋を巡る物語は、一方で私は何も変わってないのに、「たかが死んだだけで」心変わりしてしまう男をなじる女の迫力。 お札はがしで新三郎を亡きものとしながら引き替えに金を手に入れ、商売は成功するものの妻以外の女にうつつをぬかし転落する伴蔵・おみねの業のようなもの、 演出家が当日パンフで取り上げている因縁因果を背負って生きている孝助なる男。それぞれの物語は複雑に絡み合うというのは、たしかに都合がいいともいえるけれど、巡る因果を感じさせる骨太な物語なのです。

色の違う同じような和装、落語の口調、語り手の言葉を挟みながらすすむ物語は、落語っぽい空間を作ります。舞台は二段になっていて、ほぼ何もない空間ですが、一瞬にして場面が立ち上がり、一瞬にして消え去るなど、展開が実にスムーズでかっこいい。中盤のところにインターミッション的に数分、素の役者の場面を置くのも、いい感じです。

金に目がくらみ、人の道を踏み外す夫婦を演じた伊原農、枝元萌は、ときにコミカルに、ときに強い業をきっちりと。前半の悲恋を支える鬼塚俊秀、牛水里美の美しい光景、日本的な所作の前半での死のシーンよりも、後半で使用人が取り付かれるシーンに見慣れた感じがしてしまうのはご愛敬ですが、どちらもかっちり。 阿川竜一、小林愛演じる夫婦もまた愛欲と金に目がくらんだクチだけれど特に小林愛演じるお国のヒールっぷりは徹底していて魅力的。

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速報→「博多駅がやってきた!ヤア!ヤア!ヤア!」ギンギラ太陽's

2011.7.8 19:30

福岡の街をリアルタイムで描くコネタ集とのふれこみだったけれど、わりときっちり物語に仕上げた90分。10日まで西鉄ホール。次回は11月。新幹線を描いた「Born to Run」を劇場映画として全国ワーナーマイカル系で上映予定とのアナウンスもあります。

新しくなった福岡駅の「王子」、四世。母エキの三世、専門店街アミュプラザ、集客の要となった百貨店阪急は金の亡者のように見えて、列車旅の旅客収入での復権を夢見る若き王子だった。母・三世はより財政基盤を強固にすべく、阪急の二階のオリジナルブランド「ハカタシスターズ」との縁組みをもくろむが、四世は違和感を持つ。そんなある日、沸き立つ博多の街にたたずむ、若い娘に目を惹かれる。その娘は北天神のダイエー専門店街・ショッパーズだった。慢性的な赤字体質を父親・ダイエーがやっとの想いで支えてきたが、その力も及ばず、7月末で閉店が決まり、余命いくばくもない娘に援助を申し出、一緒になろうと約束する四世だったが。

ギンギラ太陽'sでは定番のいわゆる「流通大戦争」の流れの物語。赤字に苦しんだ先代の福岡駅いわば女帝たる母と、あたらしい商業施設に沸き立つ「おぼっちゃま」の王子たる新しい駅と、その政略結婚の名家(波及)と娘(ハカタシスターズ)。それに対比する陰として描く北天神(天神とはみなさない、というギャグがわりと多用されていて、これは共感を得やすいようで、客席が沸きます)のダイエー、閉店近づく専門店街。たしかに開店と閉店という対比、それを名家の母・息子、没落した父・娘に病魔というなんというか、実に王道の物語に。

躍進しようが没落しようが親の子供に対する愛情、親の心子知らずとはいえ少々甘い感じで、しかし懸命に生きる子供たちというもう一つめの骨格はしっかりと強固です。 正直に言えば、現実の人々の生活に立脚して「想い」をかぶりものという無生物として描くギンギラの路線に対して、王子と病魔の娘の悲恋という構図を支える現実にあたる部分がないのが惜しい。

それでも、変わり続ける街の姿と、現在の人々の「気分」を巧みにすくい上げ、物語として仕上げるという地産地消ならではの「地元ネタ」のオンパレードで引っ張る90分は飽きることがありません。天神・博多に挟まれて苦戦するというキャナルシティをコネタとして挟みながらも、もとの福岡の物語に巧みに組み込んで、お嬢様が強い女として生まれ変わるあたりのサイドストーリーは圧巻です。

そのハカタシスターズを演じた杉山英美はかわいらしいお嬢様から強い女までの変幻自在、はまり役「玉屋」に匹敵するキャラクタになりうる可能性を感じさせます。立石義江は眼鏡キャラがちょっとかっこよくて新鮮。 三世、女王を演じた上田裕子の溢れる想いの描写に涙し、悲恋をまっすぐに演じた古賀今日子と中村卓二も王道っぽい。

タイトル間違えていました。福岡駅 →博多駅 でした。ご指摘感謝。(2011.7.11 23:00)

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2011.07.04

速報→「銀河旋律」キャラメルボックス

2011.7.3 19:30

もともと来年予定していたというトリプルキャスト、劇団総動員でのハーフタイムシアターを緊急公演という形で上演。サポーターズクラブ限定ステージという土曜を含め、わずか4日間×一日4回公演×一回60分というハードなスケジュールを、山野ホール。決して芝居に向いた劇場ではありませんが、芝居のスピード感と映像の効果的な使用であまり大きな問題ではありません。5日まで。あたしがみたのはブルーステージ。

タイムトラベルによる歴史の改変が目に付くようになった時代、振られた男が、その彼女をものにしようとタイムトラベルを繰り返し執拗に自分の思い通りの歴史にしようとする。たびかさなる改変にも関わらず、偶然の出会いを繰り返しなんとか保つ二人だったが。

キャラメルボックスのスタンダード。どの役者をどう組み合わせても成立させてしまうだけの強烈な力のある一本。多少の差はあれど、今回の座組はどれもキャスターの二人にベテランを配し、恋人の女に中堅、若い天気キャスターにむしろベテラン組の女優を配するという雰囲気の座組。観られないグリーンキャストに、生徒たち3人を男性を配するというのがどうなってるのかちょっと気になったりします。物語の強度はさておいても、ああ、なるほどこれならコンプリートしたいとう気持ちもよくわかります。どちらかというと、ファンのためのお祭り企画としての魅力にあふれるのです。

前回の舞台は急病により降板した西川浩幸の復帰ステージ最初のステージとなった3日夜。正直にいえば発声の点で完全に本調子とは言い切れないけれど、舞台に居続ける気力と、まだできる、という将来にむけての希望に、役者本人はそういう形での観客の想いは望まないと思うけれど、その姿に心動かされる観客もここにいるのです。

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速報→「東京ねじれ」東京ネジ

2011.7.3 17:00

2004年初演の東京ネジ旗揚げ作、当時は架空だったはずの東京を襲った大地震を題材は今となってはあまりにセンシティブだけれど、力のある物語を90分。3日までワーサルシアター。

「東京南部直下型大地震」から一年を経た多摩地域にある大きな家。住んでいるのは姉妹と、緑色の怪しい液体をもちあるきあらゆる水に入れてしまう少々いかれた女、行き場を失ったという元教師の女、ネット経由で女性と勘違いして招いたものの、実は男だった若者。その家の中にはもう一人..

大きな声ではいえないけれど、初演を見たときにその暗い静かな感じに記憶が飛び飛びだったりしました。確か会社帰りだったのかな、と言い訳しつつ。今作その心配はあったけれど、ずっと見やすくなったという感じがします。

かつては架空の物語だったはずの震災は、今のあたしたちにはリアルな現実になってしまいました。「フィクションの強度」という意味失ったものもあるけれど、ある種現実を借景にしたような別の側面をもって感じられるように思うのです。 直下型という特性ゆえの被災地域の狭さとその強烈さというコントラストは作家の発想は阪神淡路からだとは思いますが、311とは別に松本に住む私にはこの週末、630という現在の話としてリアルに感じられるのです。

銀座にでかけたきり行方不明、父親と末っ子の二人きりの「デート」の場面はしかし、やはり物語でしか語り得ないファンタジー。現実はそんなにキレイなもんじゃないよ、という声もありましょうがある種リアルの体温を持ってはいるけれど、やはりファンタジーに浸りたい気持もあるのです。あるいは、 緑色の水と赤の水を混ぜ合わせたときの「審判」、双子でずっと一緒に生きてきたはずなのに、アイスクリームの食べ過ぎという本当に些細な出来事が二人を分かつという震災の理不尽さをしっかりと。

双子の生き残った姉を演じた佐々木香与子のアイスクリームを食べるラストシーン、前向きに生きる姿となるこのシーンが愛おしい。居なくなった双子の妹を演じた佐々木富貴子の無邪気や暴れっぷりも楽しく。この二人のカーテンコールでの一曲「東京ねじれの歌」はジャズ風味でもあってちょっとかっこいい。長姉を演じた小玉久仁子を飛び道具ではなくしっとりとうちに秘めた想いの存在の役としたのは彼女の新しい魅力を引き出していると思います。

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速報→「2」コロブチカ

2011.7.3 14:30

30分の二人芝居三本立て公演、5分の休憩を挟んで100分。3日まで雑遊。

自分の部屋を突然訪れた知らない女、向こうの部屋で寝ているおばあちゃんに、自分は誰だと問われて、鏡で自分に自分は誰かと問いかけると「sweet motion」(作演・コロ)
縛られ監禁されている男。自分の妻を寝取られたことを盗み見た妻の日記で知った夫の仕業だった。が、妻の行方は二人とも知らず「グットフェローズ」(作・竹内佑)
オヤジに援助交際している二人の女子高生、金を持っているそのオヤジを金属バットで殴り殺して金を巻き上げようと相談している「来週は桶狭間の合戦」(作演・中屋敷法仁)

わせ。

「sweet〜」はコロとしての作演(初?)挑戦だそう。どこかで見たような名前の文字が含まれる二人の登場人物、自ら誰だと問い続けるとわからなくなる、という「ゲシュタルト実験」という言葉を通しての自分という存在をあわせ鏡。自分探しの結果というのではなくて、痴呆気味の祖母に「おまえは誰なんだ」と問いかけられたということがきっかけになったというのがどこかリアルを感じさせます。モデルのように見目麗しい二人をあわせ鏡にするというのは眼福な時間だけれど、わりと抽象的だったり唐突だったりと続く思索の物語を背負うのは少々荷が重い感じはするけれど。

「グッドフェローズ」は寝取られた男と寝取った男の二人、その愛憎劇かと思わせた序盤から、居なくなった妻をめぐるホラー風味。終幕の一瞬にかいま見える何かのタイミング勝負だったりもするけれど、結果、芝居ではなかなか難しいビジュアルのホラーをきっちりとしているのは「ウーマンインブラック」のような味わい。 ブルーシートを敷いてまでも血塗れにして見せるというのは確かに見ためのホラー風味はあるけれど、こういう短編集の中の一本にするなら、その準備・撤収の間延び感がもったいない感じがします。 コント風味の軽快さやパワーというのは役者の力が存分に。その復讐劇かとおもっていると後半に至って姿の見えなくなった妻の謎めいた「ずっと一緒」という言葉に至り一気にホラーの強度があがります。
日光すげー、あの寺(間違い)いつかブレイクするね、というあたりの日記の軽いニュアンスはおもしろい。

再演だという「来週〜」は役者一人の駆け引きのように見えて、きっちり作り込まれたと思われる芝居のおもしろさ。状況を説明していく序盤は芝居の体裁なのだけど、途中は漫才のような軽やかさと会話の密度。 来週の「奇襲」に向けての相談を時にずっこけ、ときに無理矢理感を漂わせながらしていくのは本当に漫才の風味でもあって楽しい。 じつはあんまり意味のある会話をしているわけではないけれど、実力のある役者のぶつかり合いをみるだけでこの濃密感がすごい。可愛らしさと迫力をあわせ持つコロ、声の幅に惚れる。それに加えてオヤジも一瞬演じる堀越涼のダイナミックレンジの広さはホントにスゴいなと思うのです。

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2011.07.03

速報→「5分だけあげる」MU

2011.7.2 19:00

2008年初演作を3年ぶり再演。観てるはずなのだけど、アタシの記憶力のなさにガッカリしつつも骨格が鮮やかに思い出される60分。終演後に過去作品の映像を上映。土曜夜は「便所の落書き屋さん(2009.5)」

地方都市、学級が崩壊している感じの小学校。6年生の授業参観日。同級生の二人は 早めに登校するが、ほかの同級生は教師が気に入らないと云って授業をボイコットする。担任はといえば、早朝の教室の教卓の下に時限爆弾を置いている。二人だけの児童で授業参観が始まるかに見えたが、昨日の出来事を知った親たちが校長室に怒鳴り込んでくる..

教卓、机。廊下は教室をぐるりと取り囲むようにみたてたシンプルな空間。底上げされた床の部分に文庫本が並べられたりしていて、ちょっと素敵な感じです。 反吐を吐くような悪意の満ちるネットのサイト、ここを出て行きたい幼きロミジュリ、地方都市の現実。作家の生まれがどこかはわからないけれど、何もないというよりは、中途半端な巨大モールとロードサイドのチェーン店が出来てしまえばこの土地でも暮らせていける半面、ここからは出られなくなってしまうのだというある種の危機感、現在進行形の地方都市をリアルな感じで作り出します。

思わせぶりだったり、意味ありげな言葉がちりばめられたいちいち密度の濃い台詞。少々抽象的な感じはするものの、リズムのようなものがあるのか、聞いていて気持ちを載せやすい感じが気持ちいい。 教室とファーストフード店店内を同じ空間で切り替えずにやるというのも、やってしまえばそれほど違和感のないもので、全体の尺をコンパクトに収めることに寄与しています。

終演後のロビーで作家を捕まえて聞いてみれば、初演ではもっとコミカルな感じだったものを空間に合わせて演出を変えたようです。それは成功しているようで、シンプル故の物語の強さが際だちます。役者も入れ替わります。小学生の女の子を演じた今城文恵が大人と子どもの狭間をしっかりと。強く未来を考え、いまをまっすぐにいきる小6を説得力をもって演じます。久保亜津子は個人的には決して好きなタイプの役者ではありませんが、静かに内面に燃えさかりしっかりと軸のある人物を好演し、この物語に実にマッチします。女の子の母親を演じた大久保千晴の面倒くさい感じも実にいいのです。

当日パンフに手を抜く劇団数あれど今作の当日パンフは読みやすく必要な情報が細やかに作り込まれて丁寧です。言葉の一つ一つがきちんと書き込まれていて、作家の想いも伝わってくるようです。その当日パンフ、「フィクションの強度」を気にして再演を決めるという判断力、ああ、なるほどなぁ、それは大切だよなぁと目から鱗。

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速報→「不都合な四日間」クロカミショウネン18

2011.7.2 14:00

四人の作家がリレー形式で一本の話に仕上げるという企画公演。3日までテアトルBONBON。120分。

閉店を決めた喫茶店のマスター。閉店までの4日間。不倫カップル、毎日訪れる怪しい客、予約したいというわがままな5人組、セールスをする客、夫の浮気をグチる主婦など、さまざま訪れるが...

前の作家から後ろへの作家への一方的なパス回し。期間を区切って執筆させるということで後ろからのフィードバックがない、という点で、お祭り公演的なおもしろさを楽しむのが吉。シチュエーションコメディで四苦八苦する登場人物よろしくすべてを引き受けて最後にまとめるというあたりで、最後を引き受けた野坂実が自ら体を張ってのシチュエーションコメディを演じている、というのが透け見えて楽しい感じ。

序盤を書いた上野友之は恋愛も不倫も怪しい登場人物もとふんだんな複線を張りまくり魅力的なシチュエーションをつくります。ほっぽりっぱなしといえばふつうは悪口だけれど、これはそういう役割。

二日目を書いた関村俊介は前段のシチュエーションを確実に受け止めつつ、店内のセールスやら怪しい人物の正体やらの情報やシチュエーションを足しつつ、予約の五人の扱いを後段にそのままスルーパスするという地味ながらやったもの勝ちな荒技があったりして底ぢからを見るよう。

三日目を書いた下西啓正は、電話におびえるバイト男とその白日夢のような奇妙な世界をつくり少々強引に自分の土俵に引っ張り込んだ感じ。条件として設定されている「それまでのストーリーを踏まえて書く」という意味では少々反則気味の感あり。もっともコメディーにすることという条件はないし、各劇団の世界観という別の条件もつけられているのだからこうするしかなかったという気もしますが。不倫されている妻をエキセントリックに描くのも女性怖いという作家の感じが良くでています。

二日目の夜にあっただろう出来事が三日目の描写の中で扱われ、正直コメディーとして成立させるためにはかなりな障害になっています。ここには苦労した感ありあり、むりやりまとめた感はありますが、まあ、これも企画公演の楽しさ。本筋となる離婚とか不倫シチュエーションコメディの無理矢理感は野坂実の得意技で、不倫男に対するむちゃくちゃな解決策も含めて楽しむ感じ。

正直にいえば、少々人数が多すぎる感はあって、120分の芝居に18人をさばくのは厳しい感じ。どうしても本筋じゃないところをいくつか作るしかなくなるのは惜しい感じ。

舞台となる喫茶店の質感が実に素敵で、この場所の力というものを感じさせる説得力があります。

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