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2011.06.19

速報→「モリー・スウィーニー」世田谷パブリックシアター(シアタートラム)

2011.6.18 18:00

どいういう経緯のキャスティングかはわからないけれど、わりと知られていない戯曲をトラムで若手の演出(訳も兼ねる)というフォーマットはちょっと凄いのではないかとおもいます。休憩15分込みの160分。19日までシアタートラム。劇場正面にあった喫煙所は廃止されています(タバコを吸わないアタシでも、これはくだらない施策だと思います)。

生まれてすぐ視力を失った女。子供の頃は父親が花の名前、見分け方を訓練してくれて、大人になってちゃんと凛と自立して、仕事をして、結婚してきちんと暮らしていた。
夫になった男は、視力を回復すべく症例について調べ尽くして、ある医者に行き着く。
医者はかつて天才と呼ばれた眼科医で、失意のうちにこの田舎町に流れ着いていた。エリートだったころの功名心は失っていたけれど訪れた女の視力を回復する可能性はゼロではないと判断して、手術に踏み切ろうとかんがえたとき、かつての輝きが取り戻せるかもしれないと思う。

基本的には三人の役者がそれぞれ回想を語るモノローグで進む物語。会話のシーンがないわけじゃないけれど、わりと独特な感じの見栄え。同じ場面を複数のモノローグで語り直すことで、視点が違って見えるところがいくつかあって、物語全体を貫く「それぞれの世界」を体現しているよう。

目の見えない世界を生きてきた40代の女性を中心に、功名心がもたげてしまった医師、あるいは実はその症状に対して興味があっただけという男、かれらがおもう視力の回復は無条件に幸福をもたらすという(アタシだってそうおもっちゃう)無邪気なきもちとの谷の深さが気持ちを刻みます。

見えている世界というものか、本人にとってのそれぞれの世界があるということ、いわゆる医学の領域と心理学の両方につながる領域。それぞれにとって、世界はどう見えているのかということに興味があるだろう演出家は、決して分かりやすくはないそのギャップの存在を丁寧に描き出そうとしているように思います。小林顕作演じる夫、大汗をかき、客席を巻き込み、笑いを生む圧巻。どこまでが書き込まれたもので、どこからがアドリブなのかいまひとつわからない感じで、静かに描き出されるべき世界にたいして騒がしくてノイズが多すぎるという向きもありましょうがアタシはこの騒々しい感じがわりと好きだったりします。舞台を平板にせず、起伏をきっちりつくるちから。

ネタバレかも

一幕目、カーテンのようなものの向こうにうっすら見える明滅は視力のないときの彼女から見えていた「世界」、たとえばパーティのシーンではすこし色が付いていたりと、なるほど効果的。
そのカーテンが取り払われた瞬間、まぶしい世界が見えているという演出の妙があって印象に残ります。

南果歩演じる、モリー、凛として誠実、中央にいつづける力。後半、彼女だけの世界ゆえの絶望をどう観客に対して納得させるか、というのはどんな役者をもってしても難しい感はあります。ましてや物語としてみれば、どんどん自閉していくわけで、外から見ても観客はそれをしる術がありません。 その対策というわけではないのだろうけれど、終幕ちかく、真っ暗な客席通路を歩きながら台詞をしゃべらせるという圧巻の演出。なるほど注意深く通路にはみだした観客の荷物を細かく係員が注意するのは納得。アタシは参加したことがないけれど、ダイアログ・インザ・ダークを傍観している感じかと思いながら。南果歩の声が耳元でささやかれるような不思議な体験の空間。

相島一之演じる医者は、夫に比べると少々印象が薄くなってしまうのは否めませんが、失意と回復、再びの失意という流れにたいして誠実さの説得力があります。

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