速報→「いないいない」ガレキの太鼓
2011.6.12 17:00
ブリキの太鼓の新作、12日までアトリエ春風舎。95分。
「通知」がくると、家が奪われたり、やがて姿を消したりしてしまうという時代。
通知がくる理由もわからないけれど。ひとたび受け取れば絶望な日々。
それでも圧倒的少数派ゆえに、社会は淡々と日常が進んでいる。
通知が来て、逃げてどこかに隠れようと考えた人々、どこかの部屋を借り、
家具を部屋として隠れ住んでいる。外に出ることはできないので兄が物資を補給してくれる。
「通知」とか、そこから逃げなくてはいけない理由とか、物語の背景に当たる部分は ほとんどといっっていいほど語られません。アンネの日記を思わせる隠遁の生活、あるいは 若い女性の日記の体裁で語られるフォーマット。 いつ、どういう理由で自分のところに降り注ぐかわからない災難、それは通知かもしれないし、 「いじめ」なのかもしれない。あるいは「震災」「放射性物質」かもしれない。でも それに直面していない「一般のひとびと」はそれまで自分が暮らしていたのと同じ 日常を、ほとんど変わりなく送っていて、ちょっと騒ぎがあったとしても、簡単に 風化していきそうな、そういう感じはよく出ています。
物語を期待してしまうアタシには、その時代の背景は「恐怖」だけが語られて、どういうことなのか、 ということに対して説明がないのはいらいらするし、やがて飽きてしまう感じもします。 が、現実の311の後、あるいは911の後の私たち、たしかにその背景をしたり顔でもっともらしく説明することはできても、 「なぜ、それが今わたしが直面しなければならないのか」という理不尽さは、直面してみれば やはり納得はできないと思うのです。直面してしまった、その現場で、自分の命をつなぐためにできる選択肢は何なのか、というシミュレーションと感じて観るのがいいのかなと思ったりもします。
作家が何を考えてこの物語を作ったのだろうと想像するのです。たとえば震災の現場に 行ってみたり、あるいは世界の放浪の末のなにか、なのかもしれません。その片鱗すら自分では 体験していないアタシには、地に足が付いたようには感じ取れないのだけれど、これを観て人によって感じ取るモノのさはものすごく大きいという気もするのです。それをしっかりとする作演のちからは確かに感じ取れるのです。
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