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2011.06.29

速報→「確率論」岡田あがさ×須貝英

2011.6.26 17:30

岡田あがさ、須貝英という二人の役者の魅力あふれる演技を楽しむ40分。26日まで雑遊。

空港で足止めを食って、居合わせた男女。緊急を告げるアナウンスを聞き取れず、日本人らしい男に声をかけた女。すこしおびえる気持ちの女に、それは確率としてとても低いのだという。

作家の女、金融商品を開発する会社員という二人。その出来事に出会うかどうかの「確率」をめぐってのさまざまの会話。それらしい感じではあるけれど、物理が確率としてできあがっているというのは現代を生きている私たちにとっては量子が登場する以前のスキームなので違和感を感じる向きもありそうです。それでも、金融商品開発とか、あるいは私たちの生活の実感という点では、むしろ、この時代の「ラプラスの悪魔」の時代の方が感覚的に腑に落ちるようにかんじられます。もっとも、劇中で語られるように直感なんてものは信用ならないわけですが。

岡田あがさ、とくに舞台に現れた瞬間の美しく可愛らしく感じ取れるのはちょっとびっくりする感じ。美しくはあっても、可愛らしく見えるというのは今までない感じです。須貝英はほぼ始終冷静な抑揚の少ない男。珍しい感じだけれど、かっこいいなぁ。

理系の大学に行った割には工業系だったからといいわけしつつ、こういう物理論にはダメなアタシです。なので、 宇宙のすべてを把握しているという「ラプラスの悪魔」も恥ずかしながら新鮮で、そこから 感情まですべてが必然になっていくという感覚は新しく感じるのです。

どれほど理屈を並べ立てても、物語の結末は人々の想いに帰着しているような気がしてならないのです。それは二人の俳優を見慣れているから過去の役が重なって見えてしまうからかもしれません。でも、静かな中に、ほんの少しだけ動く気持ちというのは説得力を感じるのです。

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2011.06.27

速報→「20年安泰。」東京芸術劇場

2011.6.26 14:00

東京芸術劇場の改装に伴う閉館期間の拠点でもあり、稽古場施設でもある水天宮ピットで若手5組を集めての80分。27日まで、大スタジオ。

海辺で友達とはぐれた男の子、招かれるままにお姉さんのところへ。何かがあるようで、でもぶくぶくしてしまって、助けてもらって友達にも再会できて、でもまたお姉さんが招いているようで「夏が!」(ロロ)
演劇の上演にゲストとして招かれたのは物語のモデルとなったウサギの一家はその描かれ方に不満で「うさ子のいえ」(範宙遊泳)
デモか何かで東京が閉鎖されている。交通機関もことごとく止まっていて、足止めを食らう人々。ある人はバイトに遅れないように歩き始め、ある人は教えを広めたいと思い歩き始め、警備員は迫りくるデモの集団を阻止するべく警戒していた「私たちの考えた移動のできなさ」(ジエン社)
「バナ学eyes★芸劇大大大大大作戦」(バナナ学園純情乙女組)
電車を降りて家までの20分を歩く。交差点で止まる、後ろには電車で乗り合わせた登山帰りらしい女性。横断歩道の向こう側にも信号を待っている人、バスが前を通り過ぎる。 「帰りの合図、」(マームとジプシー)

主催者がなにを持って20年安泰というタイトルかはいまひとつピンときません。20年を越えた劇団はそうはありません。チェルフィッチュだって青年団だって、シベリア少女鉄道だってスタンダードにはなったかもしれないけれど、最先端でいつづけることはできないわけで、劇団たちが、ということはさらさら考えていないと思いますがこういう20代の若者がここで演劇をしている、というジャンルというか業界としての安泰だということか、と理解します。そういう目で見れば、なるほどショーケースとして楽しい。

「夏が!」は少年の夏の日、海辺の年上のお姉さんとの思いでだったり、恋人っぽい女の子との思いでという体裁。シンプルに5人の登場人物、ほぼブルーシートだけで空間を区切ります。海にしたりマントにしたり、時間の裏表にしたりと変幻自在。大人になりかけの男の子のようで、大人の階段上ったのか、あるいは当日パンフにあるように人魚の物語で取り込まれてしまった(からロクロまわすのか)のかは明確にされない感じではあります。
男の子を演じた篠崎大悟はきちんと子供と大人の境界線の 危うさをきちんと。マチコを演じた望月綾乃のスリップのような姿の色気にクラクラとし、同級生っぽい感じの島村を演じた多賀麻美の可愛らしさ、ローラを演じた島田桃子の妖しさにも目が離せず。のび太、という役を演じた亀島一徳は、なるほど、そこに待っているはずのともだち、ということに説得力があります。

「うさ子〜」は、ありがちなトークショーのなま暖かい空間をくそくらえと思ったのかどうか、モデルの家族が不満たらたらどころかあわよくば芝居を壊してやろうかという序盤の悪意に満ちた感じは彼ららしい。場所、空間を生かした演出、そこにいる人々のイノセントとの対比にしようとしたのか。表面的には悪意の見えない日常と、劇場という空間はもっと暗く陰湿な場所ではないかと思ったのかどうか。
劇中劇として演じられるのはわりと子供向けのハッピーエンドな物語風。それはたとえばミッフィーや著作権ゴロのネズミをちょっと露悪に描く(結婚前の)西原理恵子にも通じる感じではあります。
うさ子(だよな)を演じた竹中香子の可愛らしさとやさぐれ感のギャップが楽しい。敵意を燃やされまくるチコを演じた熊川ふみの笑顔が楽しい。戸谷絵里のコドモっぽさと併せて、小柄な人々ゆえの劇中劇感が。 刃向かえないとわかった相手に対しての表面的な服従、その内側に燃えたぎる無念。まあ、喧嘩に負けた子供の感じで。

「私たちの〜」足止め食らった人々の「移動できなさ」をモチーフとしての作り。同時多発の三カ所、それぞれの会話が被さったりして描かれます。三ヶ月前の東京を肌身で感じているからこその新聞(しんもん)詠みのような効果があります。
東京タワーを赤いコーンで模してみせるのはもうちょっとしたら出来なくなるネタですから、そういう意味ではうまい感じ。キャットウォークを回るというのも歩き続ける風景を見せるやり方として効果的なのはミナモザの「日曜日の戦争」にもにた感じです。宗教じゃないという「教え」を授ける人、受ける人というのもありそう感じではありますが、その二人の昨晩の出来事という俗世間感。その様々が集結する場所、なるほど何かを守るという東京の風景なのだなあと思うのです。久しぶりに会った人、ぐうぜん、自分が先に行けない感じも「動けなさ」なのです。 

バナナ学園はもはや物語を語り、伝えるということには興味を失っているのでしょう。これだけの人数を舞台に上げ、カオスのような空間をあっという間に作り出し、あっというまに片づけてしまうというノウハウが凄いことになっていて、これならあちこちにパッケージで持っていけるなぁと思うのです。
再前列だと見えないシーンがあったり、全体像が見えないのは残念で、 きっと作り込まれたそれぞれの物語はあるのでしょうが、観客としてはその物語は断片でしか感じ取れません。カオスのような圧倒的な物量で示す「空間」をつくりだすのだということに彼らの興味があって、これだけの人数とあのテンションというある種の人海戦術はもちろんこれだけ広い空間でももちろん通るのです。それはたとえば、ダンスに対してどうしてもアタシが興味を持てないというのと同じで、やはり物語が観たいのです。

とはいえ、最前列を楽しむのは、あわよくば女優(もしくは男性の俳優)の小道具を預かったり、なんかカラダが触れてみたり、チュっていう音が耳元で聞こえるというライブ感なのです。

「帰りの〜」はほんの20分にも満たない時間、しかも大部分を交差点の信号待ちにあてて、その刹那を時間軸を手を変え品をかえ、空間をくるくると軽やかに回して視線を次々と変えていくなど、軽快でおしゃれな感じ。私たちは、どこにどうやって帰ろうとしているのだろう、この町にはもう帰れない、帰らないという気持ちにはならないけれど、毎日どこかに帰っていく、あるいは久々に訪れたここにくるとよみがえる記憶のめくるめく感は楽しい。
召田実子演じる「山ガール」がくらいつく瞬間が楽しい。富士山上ってきたんだよ、こちとらが実に楽しい。見つけたい人生の何かを内に秘めている感じなのです。

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速報→「THE NIGHTHAWKS」ネオゼネレイタープロジェクト

2011.6.25 19:00

いわゆるホラーではなくてB級SFという枠組みで芝居を作るというのはありそうでなかなかない感じ。作り込まれていたり、コミカルも山盛りで気楽に楽しめるエンタメ110分。7月3日まで「劇」小劇場。

隕石らしい爆発が起きた土地。通信が途絶え、上空にはもやがかかり中の様子がわからない。探索に立ち入った人も機材も行方がわからずひとつとして戻ってこない。その地域にある研究施設を目指す一団。建物の損壊は少ないのに、人っ子一人おらず、建物の内部は激しく荒らされているが、生き残りだと思われる人間を見つけるが、すこしばかり様子がおかしい。

謎の生命体、体を乗っ取られる恐怖、謎の研究施設、特攻野郎たちという枠組み。それぞれの小ネタ的なコミカルを挟みながらも、わりときりきりとSF的に追い込んでいく前半。後半はその対抗手段と仲間の発見という王道なれど、その手段のばかばかしさと、それをとことん突き詰めていくことで「B級SF」テイストたっぷりの、娯楽作の仕上がり。 それっぽいSF風味のテイストをまぶしながらも、結局のところはこの痛快さが見やすい感じを生んでいて、気楽に楽しめる一本になっています。

地元生まれらしい道案内の民間人を演じた森口美樹の見た目のかわいらしさと、アクションのギャップは猛禽類(失礼)のようで楽しい。前半で観客の視点で物語の枠組みを説明するやくどころのジャーナリストを演じた依田朋子はコミカルを交えて、前半の観客のテンションを保ちます。隊長を演じた木村健三やその右腕を演じた佐々木康二は、その風貌からしてアメリカ人気テレビシリーズのようで、エンタテインメント感を満載に。いわば敵役のボスを演じた皆木正純はそのクールさかっこよさを生かしての一貫しての恐怖の対象をしっかり。もっとも、あのステップを彼が踏むところを見たかったりもしますが。

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速報→「標本」乞局

2011.6.25 15:00

乞局の短編集、80分。30日までリトルモア地下。

汚い部屋の男の一人暮らし、なにもする気が起きない。さっきからうるさく飛び回る虫「蜂」
男と暮らしていた女、浮気を見つけてしまいそれをみのがさなかったと詰られた女は男を殺してしまう「蠅」
ツナギ姿にサングラスの兄妹。交尾したくてしかたがない兄と、人の秘め事を覗きたくてしょうがない妹。二人は一線を越えることはなかったのだが、兄のことを覗いてしまったと告白した妹は一線を越えたのだといい「蜻蛉」
水商売のバイトをクビになって帰ってきた女。部屋にもどり化粧を落としたときに店で惚れ込んだ男が部屋を訪れて、一夜を伴にしてしまう「蝶」

ことさらに露悪的でもなく、もちろん感動的でもない、ずれている人々の物語。

「蜂」は部屋で鬱々とする一人男。リア充に対する並々ならぬ敵意をベースにした感じだけれど、作家にとっては過去の話なのだろうという雰囲気で、切実感には少々物足りない。序盤で使う仮面はちょっとおもしろくて、それがだんだん正しい向きの芝居にみえてくる不思議。

「蠅」は女の深い情欲に説得力の高尾祥子が圧巻。浮気をされているのに、それを見とがめたがために詰られて逆上という感じといい実にいい雰囲気。死んでいたはずの男が語りかける後半で見えているのは、かつての過去の風景なのか、女の情欲が見せる白日夢なのか、という体裁で雰囲気がいっぱい。

「蜻蛉」はどういう兄妹かは見えない序盤だけれど、ちょっとコミカルでもあって。兄と妹の越えてはいけない一線を踏み越えたのはどちらなのか、というインモラル感のバランスがいい感じ。兄の秘め事にももうひとおしあるのは短編としておなかいっぱいな感じで密度を生み出します。

「蝶」も塗りたくった顔の島田桃依のコミカル。美人というのとは少し違う顔立ちなのだけど、惚れ込んだ男が押し掛けてしまう、という感じの男好きな感じなのは演出なのか彼女のキャラクターなのかと思ったり。 唐突な一夜を過ごした女と男の迎える朝の離れがたい甘ったるさがちょっと好きだったりします。

★ネタバレかも

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2011.06.21

速報→「処方箋ライター」れんげでごはん

2011.6.19 14:30

松本の劇団、「れんげでごはん」の新作。松本ではもっとも気になる劇団で、わりと大きなピカデリーホールの客席がきっちり埋まる人気のエンタテイメント指向。他劇団とのハシゴが可能なタイムテーブルは嬉しいところだけれど、平日遅めの時間で観られると嬉しいのにな、と個人的には思う75分。19日まで。

薬局に勤める薬剤師の女。同僚の冷たい視線をものともせず、仕事そっちのけで小説を書いたり、客を捕まえて感想を聞いたりしている。ある日、店で見慣れない薬を見つける。効用に「飲んだ人に勇気がわいてきて、躊躇することを後押ししてくれる」とある。半信半疑だが、来た客に飲ませてみると、無くなったはずの漫画本を隠し持っていることを白状したり、バイトの面接に行きたくないといってふらふらしている女が突如面談に向かうと言い出したり、勤め先の先輩に想いを寄せる女が勇気百倍で家を訪ねると決心したりと、効果はてきめんで、 ものすごい効果だと思われたが、向精神薬を処方されている男に前向きになるように飲ませてみると、 決心をしたといって、カッターナイフを取り出してしまう。

小説を考えて読み聞かせてみると、窓を模したカーテンが開いて劇中劇のように寸劇が展開。世界の誰かが死ぬ代わりに自分の願いが一つ叶う話だったり、勇気のでない消防士の話だったりと、どこか残酷な童話の話だったりして、「人間風車」や「パコと魔法の絵本」風の体裁の後藤ひろひとが頭に浮かんだりしますが、それ自体は物語の核ではありません。でも、この序盤のテンポは見やすくて、芝居の世界に引き込まれるよう。

不思議な薬を見つけて次々現れる客があまりにコミカルに前向きの勇気を貰って出て行く中盤のあたりはコミカルでスピード感があってかなり楽しい感じ。コント的でもあるし、そのちょっとオカシめの人だったりと、客席もかなり沸いて楽しい。

その不思議な薬が必ずしも前向きの決断だけを後押しするというわけではないことが見えてくる後半、 たとえば童話のどこか教訓めいた感じの仕上がり。物語の着地点を探してすこし停滞しているという風に感じられなくはないのだけれど、思い過ごしかもしれません。

キャスト表に役名がないので、実はちょっと役と役者があっているのか自信がありません。小さなコミュニティだから、知り合いの客は多いとは思うものの、そうではない一般の観客を取り込むのならば、そこを明かさない特段の理由がある訳じゃないから、役名がとの対比表が欲しいところ。だから間違っていたらゴメンナサイ。

薬剤師の女を演じた馬渡理子はほぼ出ずっぱり、自分勝手をとことん推し進めて振り回す序盤、どこか憎めない可愛らしさを併せ持っているコメディエンヌから、振り回されてみたり、あるいは人の想いをきっちり、というさすがに中心に居続ける確かなちから。加藤吉はいやみな上司を一貫してきっちり。宗基は気の弱さ、実直さが見えるようで物語の要をしっかり。渡辺千春は、すこしおかしな人、という役どころだけど、コミカルに徹していて間合いの面白さとあわせて実は安心して笑える感じ。小澤鮎美は可愛らしくて、でもストーカー気質というあたりに説得力のある可愛らしさ。常連客を演じた遠藤優はちょっと説明がめんどくさい序盤のシチュエーションを観客に力づくで納得させるちから。(役者名を誤解していました。劇団blogの情報で訂正しました。2011.6.21)

松本市の小劇場文化の核となるのはこのピカデリーホールだと思うのですが、 三鷹芸文はおろか、吉祥寺シアターよりもタッパのあるスカスカになりがちなこの大きな空間を観客数の点でも劇作の点でも埋めるのはたいしたもの。劇団のフラッグを劇場に掲げたり、劇場ロビーに薬箱を沢山並べて薬局風にしたり、あるいは(前売りたった1000円なのに)劇団ロゴ入りのクリアファイルを配ったりと、たとえばキャラメルボックスの過剰ともいえるサービス感溢れる感じは近いモノがあります。芝居の楽しさだけじゃなくて、こういう小技も劇場に来た楽しさがあって、一般の観客をとりこむだけの確かな力があるなと思うのです。

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速報→「チェリーの巣」ユニットニット

2011.6.19 13:00

ワークショップを中心とした「芝居塾」の卒業生による地元・松本の女性三人のユニット、二回目の公演。70分。19日まで信濃ギャラリー。平日夜遅い公演があったり、隣の劇場とのハシゴが可能なタイムテーブルなど、個人的には嬉しい配慮も。

父親の虐待の末死んでしまった女の幽霊の居る部屋。その無念を晴らすべく捜査のために女刑事が部屋を訪れるが、彼女の姿を見ることができず、「霊能力捜査官」なる特殊技能の女を高額で雇い補助を求める。

わりといい歳のはずの女性三人。女子高生、婦人警官、バスローブ姿とコスプレチックな衣装は出オチの感もあるけれど、とってつけたような終盤での種明かしよりは、それぞれの役割をシンボリックに表す、いわば「着ぐるみ」というべきのような機能を持っているのかと思ったりもします。一方で、いい歳の女のコスプレというある種の痛さも含めて作り込もうという一種の覚悟、という気もします。

女の霊と、それを強く助けたいとおっもう刑事、高額な報酬がどうにも怪しい女。それぞれのある種、狸の化かし合いのようなところ。女子高生の虐待の末の死亡の謎は徐々に明かされていきますが、 霊能力捜査官なる女の正体や、刑事の持つやけに大きなバッグの中身と、その意味はなかなか明かされません。その化かし合いならば、コンゲームのような鮮やかさが欲しいところだけれど、少々手間取る印象なのはもったいない感じがします。もっとも、コミカルで進むわりには「覗いちゃいけない、(心の)穴」という要素も多くて、どういうジャンルの芝居なのか、という点では少々判断にとまどいますから、何が正解なのかというのはわからないわけですが。

正直にいえば、そのコスプレ衣装のわりには、それぞれの役はほとんど説明のないまま、謎めいたままの状況で、進む序盤はどうにもとらえどころに戸惑う感じがあったりもします。もう少し枠組みを早く見せてくれた方が個人的には嬉しいなと思ったり。

ドタバタと慌てふためくようなコミカルは気楽で楽しい感じ。信濃ギャラリーというごくコンパクトな空間ゆえの濃密さがあって、ステージ数を増やしていくというやりかたのほうが、元映画館という規模のピカデリーホールよりは、少なくとも今のスタイルの芝居ならば、彼女達にはフィットしている感じがします。

キャスト表に役名がないので、どうにも一致がとれないのですが、 一番若い、と紹介されたバスローブ姿で突っ走る青柳孝子(だと思う)は奮闘する感も含めて印象に残ります。

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2011.06.19

速報→「モリー・スウィーニー」世田谷パブリックシアター(シアタートラム)

2011.6.18 18:00

どいういう経緯のキャスティングかはわからないけれど、わりと知られていない戯曲をトラムで若手の演出(訳も兼ねる)というフォーマットはちょっと凄いのではないかとおもいます。休憩15分込みの160分。19日までシアタートラム。劇場正面にあった喫煙所は廃止されています(タバコを吸わないアタシでも、これはくだらない施策だと思います)。

生まれてすぐ視力を失った女。子供の頃は父親が花の名前、見分け方を訓練してくれて、大人になってちゃんと凛と自立して、仕事をして、結婚してきちんと暮らしていた。
夫になった男は、視力を回復すべく症例について調べ尽くして、ある医者に行き着く。
医者はかつて天才と呼ばれた眼科医で、失意のうちにこの田舎町に流れ着いていた。エリートだったころの功名心は失っていたけれど訪れた女の視力を回復する可能性はゼロではないと判断して、手術に踏み切ろうとかんがえたとき、かつての輝きが取り戻せるかもしれないと思う。

基本的には三人の役者がそれぞれ回想を語るモノローグで進む物語。会話のシーンがないわけじゃないけれど、わりと独特な感じの見栄え。同じ場面を複数のモノローグで語り直すことで、視点が違って見えるところがいくつかあって、物語全体を貫く「それぞれの世界」を体現しているよう。

目の見えない世界を生きてきた40代の女性を中心に、功名心がもたげてしまった医師、あるいは実はその症状に対して興味があっただけという男、かれらがおもう視力の回復は無条件に幸福をもたらすという(アタシだってそうおもっちゃう)無邪気なきもちとの谷の深さが気持ちを刻みます。

見えている世界というものか、本人にとってのそれぞれの世界があるということ、いわゆる医学の領域と心理学の両方につながる領域。それぞれにとって、世界はどう見えているのかということに興味があるだろう演出家は、決して分かりやすくはないそのギャップの存在を丁寧に描き出そうとしているように思います。小林顕作演じる夫、大汗をかき、客席を巻き込み、笑いを生む圧巻。どこまでが書き込まれたもので、どこからがアドリブなのかいまひとつわからない感じで、静かに描き出されるべき世界にたいして騒がしくてノイズが多すぎるという向きもありましょうがアタシはこの騒々しい感じがわりと好きだったりします。舞台を平板にせず、起伏をきっちりつくるちから。

ネタバレかも

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速報→「リミックス2」国分寺大人倶楽部

2011.6.18 14:30

国分寺大人倶楽部の過去作品のエッセンスをリミックスするわりとお得な構成の120分。19日まで王子小劇場。

仲間うちの家呑み。呑みながらの罰ゲームは少しばかりエスカレートしつつ、恋人が他といちゃつくのを快く思わないヤキモチ「ストロベリー remix」
21年目にして初めてできた彼女を紹介しようと友人を自宅に招いた男、はたして紹介された彼女に戸惑う友人たち「ガールフレンド remix」
僕は家庭教師のオンナの人に悩み相談をしようとする。お母さんが死んじゃった後に切り盛りしているのはお姉ちゃんで、お父さんはちょっと怖くて「グロテスク remix」
男と女はホテルにずっと逗留していて、無駄に時間をやり過ごそうとするけれど、女はそろそろ去らなければいけないと思っていて。「ホテルロンドン remix」

舞台上方に吊られた看板を模したタイトル。それぞれありそうな感じのグラフィック。今回の公演には含まれない過去公演のタイトルも混じっていて楽しく、セクションの分かれ目ごとにちゃんとタイトルが点灯したりするのがしゃれています。にしても、カラオケにしたって「ハローワーク」って店に行くかな、と思ったりするのも楽しみのうち。

もともとは別々の公演なのだけれど、一本にまとめるにあたって、同一人物がそれぞれの短編まじっているようにしてあげています。特に後半の二本のつながりは効果的に作用しています。

「ストロベリー〜」は(今回の中ではもっとも強く)性愛めいたシチュエーションで序盤をつくりつつも、もっとシンプルなヤキモチというところでコンパクトに圧縮。根岸絵美の好かれる感じの美しさに説得力、そのちょっと色っぽいシーンに喜ぶおやじ(←アタシ)。えみりーゆうなのヤキモチっぷりが(他人ごととして見れば)楽しい。アオイを演じた後藤剛範が見かけに反して(失礼)、可愛らしくポイントを押さえます。

「ガールフレンド〜」劇中でも語られるとおり、全体のバランスの中ではちょっと長め。いわゆるアニメヲタク(ああ、ラブプラスねとか思っちゃうのもダメなアタシ)な男を演じる今村圭佑の見た目と、体温の低さ感、そこから彼女ができてはしゃぐ感じの楽しさと現実の落差。彼女・ナナを演じた深谷由梨香は実に可愛らしくて魅力にあふれています。
この作家のスタンスからすれば、ヲタ男たちは唾棄すべきものだと考えてると私は認識してるのだけど(本当かどうかは不明)、初演ではわりとマッチョな男たちにそれをやらせることで緩衝にしていた気がします。今作では、わりと中央をまっすぐに突っ切ったキャスティングの印象もありますが、おかげでよりシンプルに伝わるようになった気がします。水野さんを演じる大竹沙絵子の気持ちを吐露していくシーンが実によくて、去っていくナナがほんとうに切ない。
台詞で圧巻でおかしかったのが、(正確ではないけれど)「彼女できたの、まさか二次元じゃ」「そんなことはない、三次元だよ」「3DSを買ったってこと?」っていうのはテクノロジーゆえに生まれる台詞で、そのリアルタイム感こそが小劇場のうれしさ。
その終幕のシーンのゲームは初演での印象がないのだけど、この物語全体が実は、というようにもとれて奥行きが生まれます。

「グロテスク〜」は塾の話だった初演とはずいぶん違う印象になっています。頭の足りない、という役と、制服を着て走り去る、という役を切り離すことで、四本目につながる切り口になっていて、物語の印象ががらっと変わるのは不思議で楽しいのです。お姉ちゃんを演じた板倉奈津子の変化がすごくて、なるほど女優(あるいは女性)のこの印象の変わり様は怖いとおもいつつ。
終幕、制服に着替え走り去るシーンってちょっとすごいなと思うのです。制約から説き放たれた彼女がしたかったことは、(制約の象徴のはずの)制服だったというのがちょっとすごい。なるほど。もちろん、そのシーンの眼福はきっちりと

「ホテルロンドン〜」はもともとラブホテルのそれぞれの部屋で起こっていることを並列で見せる芝居の中の一室を取り出して。誕生日のプレゼントとかケーキというのは別の部屋の話だったけれど、それをきっちり濃縮するのはremix。今作の女は、三本めから繋がる構成のおかげで、ずっと深みが役として書き込まれていて、そこにすぽんとはまった感もある板倉奈津子、実に美しい。そこから終幕の時間の流れもちょっとオンナってすごい。後藤剛範のかわいらしさは、ホテルに泊まってはいても本当に「してた」のかどうかという感じに見えるのが一本めとの相乗効果。

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2011.06.15

速報→「いないいない」ガレキの太鼓

2011.6.12 17:00

ブリキの太鼓の新作、12日までアトリエ春風舎。95分。

「通知」がくると、家が奪われたり、やがて姿を消したりしてしまうという時代。 通知がくる理由もわからないけれど。ひとたび受け取れば絶望な日々。 それでも圧倒的少数派ゆえに、社会は淡々と日常が進んでいる。
通知が来て、逃げてどこかに隠れようと考えた人々、どこかの部屋を借り、 家具を部屋として隠れ住んでいる。外に出ることはできないので兄が物資を補給してくれる。

「通知」とか、そこから逃げなくてはいけない理由とか、物語の背景に当たる部分は ほとんどといっっていいほど語られません。アンネの日記を思わせる隠遁の生活、あるいは 若い女性の日記の体裁で語られるフォーマット。 いつ、どういう理由で自分のところに降り注ぐかわからない災難、それは通知かもしれないし、 「いじめ」なのかもしれない。あるいは「震災」「放射性物質」かもしれない。でも それに直面していない「一般のひとびと」はそれまで自分が暮らしていたのと同じ 日常を、ほとんど変わりなく送っていて、ちょっと騒ぎがあったとしても、簡単に 風化していきそうな、そういう感じはよく出ています。

物語を期待してしまうアタシには、その時代の背景は「恐怖」だけが語られて、どういうことなのか、 ということに対して説明がないのはいらいらするし、やがて飽きてしまう感じもします。 が、現実の311の後、あるいは911の後の私たち、たしかにその背景をしたり顔でもっともらしく説明することはできても、 「なぜ、それが今わたしが直面しなければならないのか」という理不尽さは、直面してみれば やはり納得はできないと思うのです。直面してしまった、その現場で、自分の命をつなぐためにできる選択肢は何なのか、というシミュレーションと感じて観るのがいいのかなと思ったりもします。

作家が何を考えてこの物語を作ったのだろうと想像するのです。たとえば震災の現場に 行ってみたり、あるいは世界の放浪の末のなにか、なのかもしれません。その片鱗すら自分では 体験していないアタシには、地に足が付いたようには感じ取れないのだけれど、これを観て人によって感じ取るモノのさはものすごく大きいという気もするのです。それをしっかりとする作演のちからは確かに感じ取れるのです。

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速報→「圧縮」げんこつ団

■げんこつ団「圧縮」

2011.06.12 14:00

げんこつ団、20年目の記念[秘密]公演と銘打ってのベスト選。12日までしもきた空間リバティ。120分。

なんだかんだいって、結構な頻度で見続けてしまうげんこつ団。かつてはもっと障害者のネタだったり、いろいろ微妙なネタがあったりもしたけれど、いまは全体的におとなしい感じではあります。でも、こうなってしまった今の現実から見ると、その批判する精神はいろいろ重要だなとおもうのです。

記憶力のないアタシですが、そのなかでダントツに印象に残っていた、「関西風、うどん風」 という小ネタが入っているのがとても嬉しい。 あるいは著作権ゴロのあのキャラクターをがっつり揶揄するネタなんてのも嬉しくて。霊で回している会社、大きな赤ん坊、増殖する今風若者、通貨単位LOVEなど、観れば思い出す懐かしいネタの数々。それをうまく再構成して、前半で振っておいたネタを後半でかいしゅうするなど、構成の妙で、単なるベスト盤にしないあたりが巧い。

岡本恵美、武輪加奈子、古庄由香理、笠愛などのここでしか見られない歴代の役者を映像という形であるにせよ久しぶりに観られて涙が出るほど嬉しくて、あるいは、最近はここでは見られない菊川朝子、高井浩子、舘智子なんて面々の昔の映像もわくわくします。

いっぽう、植木早苗、春原久子、大庭智子、大場靖子というあたりのベテラン勢は気負うでもないけれど、きちんとその役割を。ダメ若者、 可愛らしい女の子のあたりを植木、かっこいい男子を春原、大庭。この中で見ると、大場演じるオヤジはすでに圧巻で、鈍感な感じからペーソス溢れる感じまで さまざまなバリエーションを一手に担います。

かつての役者に重なるような印象の役者が育ってきているのも、いい感じで、たとえば久保田琴乃の若い男の子からちょっとお宅っぽい感じは岡本恵美を彷彿とさせて、印象に残ります。あるいはいわゆる美人ポジションの池田玲子のは笠愛や武輪加奈子につながるよう。もちろん、それはアタシの好みというかどう見えているか、というだけのことなわけですが。

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2011.06.12

速報→「桃色淑女」渡辺源四郎商店・工藤支店

2011.6.11 15:00

作家と女優二人で始めたはずの工藤支店、女優二人が出演できないという事態の新作は男ふたりを中心に据えた、音楽劇の様相すらみせる95分。青森・アトリエグリーンパークの後に、下北沢・ザ・スズナリアトリエ春風舎。

元アイドルトリオ・クッキーズの解散後、女優としての道を歩んでいたサユリが亡くなった。ソロで歌を歌っていたミツル、ふつうの女の子に戻るべく芸能界から姿を消していたレイはほぼ引きこもっている状態。グループのヒット曲「スマイル」を求める世間ギャップを感じていた。
その解散コンサートをポテチとコーラ片手にテレビで見ていた男子二人。先に死んでしまったもう一人の男子は性同一性障害を抱えていて、アイドルになりたいと思いながら、命を絶っていたが、その想いを継ぐ二人。

解散したアイドルグループ・クッキーズの少女二人と、高校生の男二人を同じ男性の俳優二人が演じるという構成。 それぞれに亡くなった人がいて、二つのトライアングルが相似形をなします。 一方で男の俳優が女性アイドルを演じ、同じ俳優が性同一性障害の友人をもっていた男子高校生を演じることで生まれる対称のかたち。

解散したトリオグループの一人が亡くなった、という意味ではキャンディーズを感じるところだし、タイトルはなにせピンクレディーですから、そのアイドルとか音楽業界のことだったりを描きつつも、失った友人を巡る二つのトライアングルが並行してすすみます。

これだけの相似と対称なのだから、並行して提示したものをアタシの中で混ぜ合わせて何かの「化学反応」がうまれるはずと思うのだけど、正直にいえば、アタシにはそこにもう一歩食い足りない感じがするのは、何かこなれ具合によるものという気がしないでもありません。それは初日らしい全体に堅い感じだという気もします。

観客の結構多くを占める高校生たちにはどう見えているのだろう、とも思うのです。アタシは作家に近い年齢で、モチーフになった二つの象徴的なアイドルに熱烈ではないにせよファンなので、一晩中語り明かせそうな題材なのですが。(逆にその後のアイドル、たとえば「猫っこガールズ(を、現代口語津軽弁らしい感じ)」 にはとんと疎いわけですが)

当日パンフにあるとおりに、たしかに可愛らしい感じがよく似合う三上陽永という役者ゆえの物語という感はあります。津軽出身で、今作で初めて目にした「現代口語津軽弁」の物語にもかっちりとはまります。そこに対比するように工藤良平は二重構造を最初に提示するポジションゆえに難しい序盤こそ戸惑うものの、確かにそこに可愛らしさが生まれて女の子に見えてしまう舞台の不思議。魅力的な二人の姿を描き出します。

三上晴佳は最近の活躍がめざましく、本作においてもその力はいかんなく発揮されます。テレビのベストテン番組を見てアイドルの振りまねをする子供(これが絶品)から、女子高生の妹、少々怪しい感のある大物歌手に至るまでダイナミックレンジが広く魅力的です。

年齢を重ねたフォークシンガーを演じた田中耕一は、今作の昭和な感じを支え、年齢を重ねた男ゆえの味わいが印象的。お茶の間で子供との距離間をはかりかねる父親という役もとてもいいのです。

青森公演にだけに出演する畑澤聖悟は、ダブルキャストゆえか、普段みせる怪しい飛び道具の破壊力は封印されている感もありますが、医師の一人語りなど、普段よりも地力の強さが前面にでていてこちらも新しい魅力。

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速報→「賢治島探検記」キャラメルボックス

2011.6.10 19:00

三演め、の賢治島( 1)、初演は2002年のシアターアプルでした。被災地にもっていくための路上前提の演出で。17日まで、サンシャイン劇場。もともと4つの短編からなりますが、3つに減らして、二つのバージョンで上演。千秋楽以外にはトークショーを設定、ラスト4ステージには療養していた西川浩幸の出演が発表されました。

この場所にあると突き止めた賢治島研究の教授。学生たちを連れてフィールドワークに訪れる。
二人の男、山中で迷いたどり着いた店は「注文の厳しい料理店」
楽団の男、うまく弾けなくて怒られたり。深夜の自宅で 練習しているといろんな来客があって「ゴーシュ弾かれのセロ」
病弱な母親の牛乳をもらいにいって、待つ間にうつらうつらと「光速銀河鉄道の夜。

「注文~」は実にコミカルで笑いにあふれます。テレビのバラエティのような笑いのとりかたですが、これはこれで見慣れない観客の敷居を下げるのに効果的。物語がもともと持つ、はちゃめちゃなシュールさとのバランスがとてもいい感じがします。

「ゴーシュ~」もコミカルな雰囲気。初演からこの公演の企画をしている坂口理恵の魅力にあふれます。歌声だったり、暗転中の表情だったり。暗転の瞬間に一言、ちょっとよけいなことを云う大内厚雄の味は作り込んでいるのかアドリブなのかはわかりませんが、力の抜け具合が絶妙で肩の力が抜けてうれしい。

「光速~」は銀河鉄道の夜をそのまま舞台にあげた感じ。前の二つと異なり、コミカルは影を潜めていて、全体に平板なトーンが続く前半のテンションの維持が少し難しいアタシです。観客が立ったまま、つまり途中から見たり立ち去ってしまう可能性のある路上での上演を意識するなら、演じる側の宮沢賢治へのリスペクトは強く感じつつも、もうちょっとシビアにタイトに作り込みたいところ。 たとえば前後半にわけて、間に演奏を持ってくるとか、別の物語を挟むとか、という感じのメリハリがほしい感じがします。 たとえばKAKUTAのリーディング公演のそういう感じがいいのかなと思ったり思わなかったり。

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速報→「水平線の歩き方」キャラメルボックス

2011.6.10 15:30

再演となる「水平線~」(初演)60分、19日までサンシャイン劇場。どちらか一本なら、こちらを。

失意の男の前に現れた、死んだはずの母親。どうやって生きてきたのかを訊く過程は男の過去を観客と共有する貴重な時間。

客席のすすり泣きがそこかしこ、というぐらいに観客を組みしだいて逃さない物語。母親の幽霊というと「蠅取り紙」が思い浮かびますが、どこか繋がる感じもあって、働きすぎているぐらいに働いていて、底抜けに明るくてというあたり、子供が思い浮かべる母親の思い出って、きっと笑ってる姿なのだよなぁと思ったりもします。

男を演じた岡田達也は、もともとの出演予定だったこちらのほうが自然で魅力的。(もちろんそれには事情があるわけですが。)母親を演じた岡田さつきはほぼ始終舞台上に居続けるしっかりとした芯。そのオフショットのコミカル、たとえばお菓子食べたり、なんていうのは可愛らしく。それは終幕に向かってゆるやかにつながります。なるほど、生きていくことは食べること、というコントラスト、作ってくれた人の姿、その味覚の記憶。味覚や思い出から広がる安堵感を感じさせるいい幕切れなのです。

子供と母親の物語であると同時に、一人で生きていく、という男の物語でもあって、誰かに頼ることはしたくない、という終盤の男の台詞はちょっとガツンときます。

あるいは年齢が進んだ男の、引き際の物語でもあって、これは自分の年齢がそれなりになってるから感じるのなと思いつつ、ここもガツンと。 スポーツこそが自分の選びとるもの、という想い、あるいはいつかは引退しなければいけないということはわかっていても、それに踏み切れないままに悩みもがくのもまた人生の姿。そこに寄り添う女を演じた前田綾の想いがあふれる瞬間も好きなシーンです。

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速報→「ヒア・カムズ・ザ・サン」」キャラメルボックス

2011.6.10 14:00

キャラメルボックス、怒濤のハーフタイムシアターの新作。60分ぴったり。大阪のあと、19日までサンシャイン劇場。東駅袋駅からの地下通路で濡れずにいけるのもうれしい6月。

出版社で編集をしている30歳の男、品物や場所に残された記憶が見える能力を持っている。同僚の女性にプロポーズをしたけれど、その返事の代わりに、成田に20年ぶりの父親を迎えにいってほしいといわれる。

コミカルに始まる序盤。プロポーズの場、その女性の過去の記憶を読んでしまったが為に始まるある種のめくるめく感が楽しい。

映画の仕事をしているはずの父親のモノから読みとる記憶はそれを表していないという謎はやがて、20年会っていなかった(離婚した)妻と娘に会うために帰国する理由にゆるやかに繋がるのです。些細な言葉を少しずつ刻みつつ進む物語はやがてパノラミックに広がるラストシーン。

正直にいえば、「水平線~」と対比すると新作特有の違和感というかこなれていない感が残ります。それが何か、というのはよくわからないのだけれど。

男を演じた阿部丈二は情けない感じから頑張って脱皮する感じ。岡内美喜子の泣きじゃくるシーンが美しい。軽やかな序盤、ラストシーンの後ろ姿、指先まできっちり、とても素敵。妹を演じた渡邊安理の物語を転がす感じ、妹キャラっぽいのがうれしい。

出版社の人々も、父親の造形もやけにヤクザっぽい感じはキャラメルでは珍しい感じ。もっとも、父親の造形に関して云えば、西川浩幸の降板による代役をきっちりと岡田達也が「地平線~」とのコントラストをつくるため、とも思います。

平日昼公演、アタシは有給休暇を使って。さすがに集客はきついと見えて、劇場の通路より後ろの席は高校生の団体を。ざわつく感じも懐かしいけれど、きちんと芝居は静かに観て。

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2011.06.06

速報→「四番倉庫」二騎の会

2011.6.5 18:00

二騎の会の新作。105分。15日までこまばアゴラ劇場。

今は使われていない四番倉庫。スーツ姿の男が片隅の机に向かっている。扉が開いて現れた男はカップ麺を片手に持ち、友達から自由に使っていいといわれたから、という。スーツ姿の男は前の会社でこの倉庫を使ったことがあって、この場所で自分の友達と待ち合わせているのだという。迷惑がる住人に、スーツの男はお構いなしで。

当日パンフでは作家・演出家ともダメな人、のことを語りますし、なるほどそういう人々が出てくるのだけれど、もっと深刻な「孤独」を執拗に描きます。友達だと思える人がどれだけいるのか、この倉庫の住人はおろか、スーツ姿で現れる男二人も、あるいはこの倉庫を使っていいといった友人さえも、友達とよべる人が本当にいない、ということを描く作家。なるほど仕事があったりあるいはお金があったりならば見えてこない、底辺近くに居るからこそ見える自分のまわりの本当の姿。

たしかに社会生活に適合できない感じに唐突にキレたりというこの部屋の主はなるほど、これでは仕事は続かないよな、という感じ。キレる若者というのはよくあるけれどそのまま歳を重ねてしまった感じ。些細なことでも「どうしていつもこうなんだ」と嘆き当たり散らすばかり、ネガティブスパイラル真っ逆さまというのは、あららと思うけれど、ちょっとボタンを掛け違えば明日は我が身の怖さ。

都会の孤独、といってしまえば陳腐だけれど、自分が本当に困ったときに助けを求めたり、あるいは求められた助けに答えたりということができる「友人」はどれだけいるのかな、ということが頭の中をぐるぐると回る感じ。

正直にいうと、そのなにも進まない、同じところを回り続け、あるいは生き方のポリシーのようなものに相入れない人々の会話ですから、かみ合いません。それを観続ける徒労感があるのは少々疲れる感じがします。その徒労感ややりきれなさというものが物語と不可分だから、ここを変えるのはちょと大変だと思うのだけど。

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速報→「泣けば心がなごむけど、あなたの前では泣けません」世田谷シルク

2011.6.5 14:00

世田谷シルクの新作。主宰が好きなのだという「クレヨン王国のパトロール隊長」に原作をとった140分。6日まで「劇」小劇場。

自然環境クラブに所属する高二の日登美。幼なじみのヒデオと一年生なのに何かとつっかかってくるマサタカ、顧問の右田先生の四人で自然公園に出かけた夕方。岩場で絵を描いていた日登美にふざけてマサタカがクレヨンを崖に落としてしまう。喧嘩して駆けだした日登美が気づくとクラブからは離れ、「王国」に迷い込んでしまった。
日登美は選んだ服からパトロール隊長に任命されたが、その王国では火の精と水の精が戦争をしていた。

よく知らなかったのだけれど、47冊からなるシリーズの「クレヨン王国」(wikipedia)の物語の中の一編を原作に。心に傷をもつ子供が王国に迷い込むというのが基本のながれなのだそうで、今作においても、再婚した父、継母、その連れ子たる妹、妹の事故という背景をもった女子高生が主人公。原作にあるとは思えないのだけど、男の教師との間の心の傷だったり、リストカットという要素もあったりします。

リズム、音楽、振り付けという部分が相対的に少なくなって、物語に重点を置いた描き方という印象。ベースとなる家族の物語と、それを投影するかのような王国と戦争の物語を実に丁寧に。ファンタジーらしく、草花や動物たちがはなしたりするのはコミカルに可愛らしく描きますが、全体の印象はどちらかというと静かで寂しさが漂う感じに描かれています。

正直にいえば、劇小という空間は、この物語を世田谷シルクが描くには少々狭いという印象は否めません。あいているのをいいことに再前列中央に座ってしまったアタシは、すこしばかり長い上演時間と、再前列ゆえに全体が見渡しづらかったというのは少々誤算で、今作に関していえば少し後ろから俯瞰で観たかったなとも思うのです。実は広い空間の方が向いているのじゃないかとも思ったりして、世田谷パブリックシアターでの公演も予定されているようなので、実は楽しみだったりします。今作では狭さを生かした部分もあって、いくつも置いたモニターや、あるいは劇場に風を巻き起こすような演出はこの空間だからこそできることで印象に残ります。

何かのトラウマを抱えたというところを女子高生に設定したからか、教師との問題という別の側面を加えているのは、作家らしい感じがします。

主人公を演じた下山マリナは陰の部分の多い役だけれど、なぜか弾けるような「生」を感じて、ほぼ出ずっぱりの役をきっちりと。教師と「病気を収集する怪物」を演じた半田周平は怪しさいっぱいを時にコミカルに時に怖いぐらいに。幼なじみを演じた堀雄貴は思いやりに溢れやさしく、妹を演じた野村美樹は可愛らしく。序盤の「王国」という飛躍をコミカル織り交ぜ観客を乗り越えさせるという点で前パトロール隊長を演じた高見靖二の力もしっかり。要塞攻略を伝える運び屋を演じた堀川炎の突き抜けたコミカルは実に楽しい。

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2011.06.05

速報→「IN HER TWENTIES」TOKYO PLAYERS COLLECTION

2011.6.4 19:30

競泳水着の上野友之による別ユニット、TOKYO PLAYERS COLLECTIONの新作。一人の女性の二十代を十人の女優が演じるというフォーマットの発明が楽しい70分。5日まで王子小劇場。

音大に通う二十歳の私。留学も大学院にも行って将来は音楽で身を立てていきたいと思っている。しなきゃいけないことはたくさんある。
三十歳目前の私。音楽もあきらめて、バリバリと働いた結果体を壊したりはしたけれど、仕事も徐々に復帰できそう。

上手下手端に椅子、その間にベッドを模した箱状のもの、その奥にゆるやかに弧を描くように椅子が八脚(序盤は七脚)。上手端が二十歳音大生の私、下手端に二十九歳の私。この二人は何かのインタビューを受けている風情で客席に向きあい。残りの八人は一歳刻みで順番に並んで、それぞれがその歳を、まるで時間軸を輪切りの断面のように鮮やかにグラデーション。端点を外部に向け、その間を脳内と見立てた「二十代断面の一人芝居×10人」という このフォーマットを発明した、という時点で勝ったも同然だと思うのです。音大生というある種の特権性のようなものはあれど、希望と挫折と恋と仕事、追い立てられる感の強い女性の二十代の物語は、たとえば実在の誰かを描いてもさまざまにおもしろくなりそうな、フォーマット自体の強さがあります。

基本的にはすべてが一人芝居、それを(実年齢に近い)女優たちが演じること、その年代なりの顔や個性の変化のようなものもある種のグラデーションに。まったくの一人芝居で演じる(三谷幸喜のマダムバタフライ、なんかがそうだ)というフォーマットとは別の魅力。

このフォーマットから生まれた別のうま味もあって、たとえば、就職の面接をする側と受ける側、たとえば母親との電話といったシーンで、別の場面の受け答えをあわせて見せるシーンを時折挟むのは、単調になりがちな一人芝居の流れのリズムを崩す感じで、実に見やすいのです。

恋の遍歴、初めて出会ったり、ラブラブだったり、分かれる寸前だったりという二十代前半の恋の軸、友人の結婚に焦り、不倫にはまり、年下と恋仲になり、アバンチュールという名のある種のやけくそ感の時期がはさまったりという恋愛体質ってのも、そういう話しが大好きなあたしには楽しい。仕事や実家という要素ももちろん挟まるけれど、この恋愛を軸にする、ということに上野節を感じられてならないのです。二十代が無駄にならないという感じも、実に優しい視線。

あるいは泣き出した全員がマシュマロで泣きやむシーンの女性たちの可愛らしさ。王道な手法なら笑顔まで持っていきそうだけれど、そこまで行かない寸止めのセンスの良さ。

長い大恋愛の末、恋を失う24歳を演じた梅舟惟永.の少々ハードなポジションなのに前向きで暗くならずにコミカルに演じる確かなちから。あるいは若くても仕事バリバリキャリアな27歳を演じた甘粕阿紗子の説得力が、年下への恋に傾く瞬間が素敵。29歳を演じた冬月ちきの落ち着きも気持ちいい。

物語の力なのか、役者のちからなのかいまひとつつかめないのだけれど、20歳はキラキラと輝き、仕事も結婚も、将来の夢をこれっぽっちの疑問も持たずに語るシーンがあまりにまぶしい。若いってことの輝きが全身から溢れるよう。榊菜津美はそれを溢れんばかりの説得力。半面、 「男の人で結構な歳なんですけど、なにやってるかもわからないし、目標とか気合いみたいのも感じられないし、たぶん何となく名にもしないで毎日を過ごしている」という台詞は私に切っ先が向けられたようでイタタ、という感じも。

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速報→「帝国」セカイアジ×劇26.25団

2011.6.4 14:30

劇26.25団の杉田鮎味とセカイアジの星野多過去の共同作演のニーゴーアジの公演。5日までギャラリー・ルデコ4。90分。

日本のパリを標榜する我忘市は自治体を挙げての芸術支援を売りにしているが、その政策に対する批判も多い。亡くなった一人の画家。古物商にだまされて描いた模倣画の詐欺幇助で罪に問われ無罪になったにも関わらず、突然亡くなってしまった。残された二人の娘は未公開の絵も含めて処分をどうするか迷いながら、知り合いのギャラリーオーナーの勧めを受けてすべてを非公開のオークションにかけることにする。一方、市の芸術振興課職員は最後に市が依頼した絵の行方がわからずたびたび訪れる。オークションには画家のファン、裸婦画のマニアックなコレクターなども集まってくる。未公開の所蔵品の中には、マニアの間では相当に有名な裸婦画も混じっている思われている。

芸術振興都市に隠された黒い謎と、画家の死を巡るミステリー風味。当日パンフにある二つの劇団の「ちょっと変わった人々」や「シュール」が作用してかどうか、追いコンだ感じというよりは、もうすこし緩い感じで苦笑系混じりの不思議な味わい。

これも当日パンフによれば「フジコフジオ方式」という協議したプロットに二人が互いに書いたもの持ち寄り、演出するという形に。最終的な書き起こしや役者への伝達を一つのチャンネルに絞ろうという努力はされていて(それはまっとうで正しいことだと思う)、正直に言うとアタシに彼らが本当に描きたいのが「人々」なのか「謎解き」なのかがいまひとつアタシには見えない感じ。もちろんどちらかにしないといけないということはないし、異物感という感じでもありませんが、食い合っているというよりは突き抜けることを遠慮しているかのように感じてしまうのです。あるいは、実は何々、という登場人物もある種の荒技なので、多用しちゃうと実は物語がぼやけちゃうように思うのです。

圧倒的にコミカルにキャラクタを作り、舞台をかき回す「ドミンゴ」を演じた長尾長幸は舞台のテンポを作ります。芸術振興課職員という公務員でありながらむしろ怪しささえ醸し出してしまう杉元秀透も存在感。須藤真澄はギャラリーオーナーはあめ玉で相手の懐に入るというネタの人なつっこさが出てしまうのは役柄としてはいたし痒し、最初の先回りのテンポがちょっとおもしろい。

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