速報→「20年安泰。」東京芸術劇場
2011.6.26 14:00
東京芸術劇場の改装に伴う閉館期間の拠点でもあり、稽古場施設でもある水天宮ピットで若手5組を集めての80分。27日まで、大スタジオ。
海辺で友達とはぐれた男の子、招かれるままにお姉さんのところへ。何かがあるようで、でもぶくぶくしてしまって、助けてもらって友達にも再会できて、でもまたお姉さんが招いているようで「夏が!」(ロロ)
演劇の上演にゲストとして招かれたのは物語のモデルとなったウサギの一家はその描かれ方に不満で「うさ子のいえ」(範宙遊泳)
デモか何かで東京が閉鎖されている。交通機関もことごとく止まっていて、足止めを食らう人々。ある人はバイトに遅れないように歩き始め、ある人は教えを広めたいと思い歩き始め、警備員は迫りくるデモの集団を阻止するべく警戒していた「私たちの考えた移動のできなさ」(ジエン社)
「バナ学eyes★芸劇大大大大大作戦」(バナナ学園純情乙女組)
電車を降りて家までの20分を歩く。交差点で止まる、後ろには電車で乗り合わせた登山帰りらしい女性。横断歩道の向こう側にも信号を待っている人、バスが前を通り過ぎる。
「帰りの合図、」(マームとジプシー)
主催者がなにを持って20年安泰というタイトルかはいまひとつピンときません。20年を越えた劇団はそうはありません。チェルフィッチュだって青年団だって、シベリア少女鉄道だってスタンダードにはなったかもしれないけれど、最先端でいつづけることはできないわけで、劇団たちが、ということはさらさら考えていないと思いますがこういう20代の若者がここで演劇をしている、というジャンルというか業界としての安泰だということか、と理解します。そういう目で見れば、なるほどショーケースとして楽しい。
「夏が!」は少年の夏の日、海辺の年上のお姉さんとの思いでだったり、恋人っぽい女の子との思いでという体裁。シンプルに5人の登場人物、ほぼブルーシートだけで空間を区切ります。海にしたりマントにしたり、時間の裏表にしたりと変幻自在。大人になりかけの男の子のようで、大人の階段上ったのか、あるいは当日パンフにあるように人魚の物語で取り込まれてしまった(からロクロまわすのか)のかは明確にされない感じではあります。
男の子を演じた篠崎大悟はきちんと子供と大人の境界線の
危うさをきちんと。マチコを演じた望月綾乃のスリップのような姿の色気にクラクラとし、同級生っぽい感じの島村を演じた多賀麻美の可愛らしさ、ローラを演じた島田桃子の妖しさにも目が離せず。のび太、という役を演じた亀島一徳は、なるほど、そこに待っているはずのともだち、ということに説得力があります。
「うさ子〜」は、ありがちなトークショーのなま暖かい空間をくそくらえと思ったのかどうか、モデルの家族が不満たらたらどころかあわよくば芝居を壊してやろうかという序盤の悪意に満ちた感じは彼ららしい。場所、空間を生かした演出、そこにいる人々のイノセントとの対比にしようとしたのか。表面的には悪意の見えない日常と、劇場という空間はもっと暗く陰湿な場所ではないかと思ったのかどうか。
劇中劇として演じられるのはわりと子供向けのハッピーエンドな物語風。それはたとえばミッフィーや著作権ゴロのネズミをちょっと露悪に描く(結婚前の)西原理恵子にも通じる感じではあります。
うさ子(だよな)を演じた竹中香子の可愛らしさとやさぐれ感のギャップが楽しい。敵意を燃やされまくるチコを演じた熊川ふみの笑顔が楽しい。戸谷絵里のコドモっぽさと併せて、小柄な人々ゆえの劇中劇感が。
刃向かえないとわかった相手に対しての表面的な服従、その内側に燃えたぎる無念。まあ、喧嘩に負けた子供の感じで。
「私たちの〜」足止め食らった人々の「移動できなさ」をモチーフとしての作り。同時多発の三カ所、それぞれの会話が被さったりして描かれます。三ヶ月前の東京を肌身で感じているからこその新聞(しんもん)詠みのような効果があります。
東京タワーを赤いコーンで模してみせるのはもうちょっとしたら出来なくなるネタですから、そういう意味ではうまい感じ。キャットウォークを回るというのも歩き続ける風景を見せるやり方として効果的なのはミナモザの「日曜日の戦争」にもにた感じです。宗教じゃないという「教え」を授ける人、受ける人というのもありそう感じではありますが、その二人の昨晩の出来事という俗世間感。その様々が集結する場所、なるほど何かを守るという東京の風景なのだなあと思うのです。久しぶりに会った人、ぐうぜん、自分が先に行けない感じも「動けなさ」なのです。
バナナ学園はもはや物語を語り、伝えるということには興味を失っているのでしょう。これだけの人数を舞台に上げ、カオスのような空間をあっという間に作り出し、あっというまに片づけてしまうというノウハウが凄いことになっていて、これならあちこちにパッケージで持っていけるなぁと思うのです。
再前列だと見えないシーンがあったり、全体像が見えないのは残念で、
きっと作り込まれたそれぞれの物語はあるのでしょうが、観客としてはその物語は断片でしか感じ取れません。カオスのような圧倒的な物量で示す「空間」をつくりだすのだということに彼らの興味があって、これだけの人数とあのテンションというある種の人海戦術はもちろんこれだけ広い空間でももちろん通るのです。それはたとえば、ダンスに対してどうしてもアタシが興味を持てないというのと同じで、やはり物語が観たいのです。
とはいえ、最前列を楽しむのは、あわよくば女優(もしくは男性の俳優)の小道具を預かったり、なんかカラダが触れてみたり、チュっていう音が耳元で聞こえるというライブ感なのです。
「帰りの〜」はほんの20分にも満たない時間、しかも大部分を交差点の信号待ちにあてて、その刹那を時間軸を手を変え品をかえ、空間をくるくると軽やかに回して視線を次々と変えていくなど、軽快でおしゃれな感じ。私たちは、どこにどうやって帰ろうとしているのだろう、この町にはもう帰れない、帰らないという気持ちにはならないけれど、毎日どこかに帰っていく、あるいは久々に訪れたここにくるとよみがえる記憶のめくるめく感は楽しい。
召田実子演じる「山ガール」がくらいつく瞬間が楽しい。富士山上ってきたんだよ、こちとらが実に楽しい。見つけたい人生の何かを内に秘めている感じなのです。
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