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2011.05.29

速報→「ビタースイート」studio salt

2011.5.28 18:30

StudioSaltで初めてのオムニバス短編集。笑い溢れるけれど、その向こう側に透け見えるちょっと辛辣な視点の80分。29日までSpace早稲田。

オウド国の旅行者を装って偽造旅券で日本への入国を試みたキョアイ人の兄妹が捕まって入国管理事務所で取り調べを待っている。国の指導者は絶対だと教育されてきたが、入国に失敗し自決のための薬を口にしようとしたが、最後に妹は待ってる間に出されたチョコレートを口にする「パーフェクトワールド」
日雇い労働者の街の簡易宿泊所を訪れる男。ここに寝泊まりする父親を訪ねてきた。家族を捨てて長いこと会っていなかったが、余命幾ばくもないと知った父親が息子の職場をふとしたきっかけで知り、呼び出したのだ。どうしても父親が許せない息子だったが「金柑」
ファーストフードの清掃メンテナンスのバイトをしている男たち。ある日、新入りで若い女性が入ってくる。左半分はものすごく美人だが、右目が鼻まで垂れ下がっている顔は美しいとは言えない。が、真面目で前向きな彼女の姿に心惹かれた男、告白を決意する。きっと好きだと言われたことなどないはずだ、これは絶対にうまくいく「半熟目玉」
放射能汚染された立ち入り禁止区域となった、みなとみらい地区に住み続ける男。防護服に身を包んだ取材クルーがやってくる。住んでいる男はタンクトップ一枚で、ここで育てた立派なキュウリをばりばりと食べているが、クルーたちは腰が引けている。

どんな劇団でも名刺代わりに短編をいくつか持っているべきだと思っているアタシです。リーディング作品としては短編があったけれど、アタシが愛してやまないこの劇団が短編集を手がけたのは純粋にうれしいのです。

ほとんどの作品は笑いに溢れているのだけれど、たとえば北朝鮮に対する日本人たる私たち、あるいは障害者に対する健常者たる私たち、あるいは汚染地域とその外側に安住する私たちというある種の差別というか哀れむというかの微妙な差別意識のようなものを鋭く描き出すという点では作家の色がきちんと出ているのです。あるいは、作家のもう一つの特色である、食べることと生きること、ということを軸に据えてじっくりと描くのです。

「パーフェクト〜」言わずとしれた北朝鮮がモデルのスパイの話。彼らの世界は私たちからは荒唐無稽かもしれないけれど、彼らにとってはパーフェクトに作られたもの。薄々感じていても、その世界に固執する人々。それなのにたった一口のチョコレートがそれを突破する、というのがアタシの感覚にとてもよく合うのです。かっちり髪型を決めた東享司のコミカルなきまじめさ、終幕の表情のすごさ。妹を演じた鶴田まやの好奇心にあふれた表情が美しい。

「金柑」死にゆく長期間連絡の取れなかった父親と、いまは立派に成長した息子の対面の静かな時間。びっくりするほどにゆっくりで、丁寧にきちんと描きます。感動巨編というのには少々この時間では難しいし、ほぼ最初に提示された枠組みの中だけで続けるには俳優の味が少々食いたりない気もします。が、こういう時間を描こうという心意気、向き合う役者は心強い。息子を演じた山ノ井史が丁寧に。

「半熟〜」は半分は醜い女に恋した男をイキオイとコミカルに描きます。が、作家の少々意地悪な視線は、男がまったく意識しないままに、彼女を哀れみ、実は蔑み、彼女が好きになったオレだけれど、告白すれば彼女は喜ぶし、きっと自分のものになる、あるいは遺伝とか気にしたりするあたり。酷いと思うけれど、アタシの心にだって、いや恋心にだって、どこかそういうものがないとは言い切れないぐらいに鋭い切っ先がこちらに向かうのです。 元が小説だというだけあってモノローグ主体の多い台詞をきっちりと高野ユウジのイキオイと、悪意のない差別意識のいっぱいの笑顔が圧巻。女を演じた声も片目だけで作る表情も実にかわいらしく、なるほど、これなら惚れてしまうのです、アタシが。

「もろきゅう」は何年か前に書いたもので、チェルノブイリの森の話として書いたものだといいます。あまりにタイムリーで、汚染地域に無邪気に住む人というのはあまりに踏み込みすぎていると一瞬頭をかすめるけれど、それでも客席が笑っているのは、不格好な防護服で気にし過ぎるクルーたちなのです。なるほど、みなとみらい地区が宇宙みたいで人工的すぎて気持ち悪いという感覚から、人間が入らなくなったここが緑に溢れて「地球っぽくなっている」という感覚は腑に落ちます。住み続ける男を演じた麻生0児の味がいいのです。

3話は全体の中では独立している感じがします。その絶妙の差別意識の描き方が秀逸。残りのものがたりは人物がゆるやかにつながります。不法入国者を捕まえた管理官の父親との物語、入国に失敗した兄妹のいる空港に放たれた強い光は航空機テロかとおもったけれど、実はなるほど、爆弾と考えれば汚染地域の物語につながります。

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速報→「紅き深爪」風琴工房

2011.5.28 14:00

風琴工房の詩森ろばの代表作のひとつ、まったく新しいキャストでの3演。初演(2003)も再演(2006)も拝見しています。65分。29日までギャラリー・ルデコ4。

母親の連鎖する虐待、奔放な姉の妊娠も、誠実に看病を続ける妹の娘も、すべてが悲劇の連鎖。

いままでの上演に比べて大きく台詞を変えたわけではないようですが、上演時間は短めで、姉の印象がむしろ泣きに寄っている感じはするのに、全体で観ると乾いているというかすっと流れるようなタイトさがあるように思います。

この芝居の中心となる虐待の連鎖とそれに苦しむ周囲の物語よりも、アタシが以前観たときから心に強く印象を残すのは、姉と夫の捻れた関係です。ホモセクシャルではなくて、あくまで男の体、抱くのは女なのに自分の気持ちの中では女、というトランスセクシャルという関係は何度観ても、アタシの気持ちに強い印象を残します。 奔放な姉を演じた葛木英は、勝ち気のスタイリッシュという印象が強い役者ですが、これだけ泣きの芝居というのは珍しい感じもします。登場した瞬間の華やかさも新しい印象を強く残します。看病を続ける妹を演じた浅野千鶴は秘めたるエネルギーゆえの怖さをあくまでも静かに描きこれも今まであまり拝見したことがないような感も。姉の夫を演じた佐野功は、いわゆるオネエ言葉っぽいのをつかっても単なるホモセクシャルではない、という難しい役を説得力のある「おとこ」として描く確かなちから。 正直に言うと、センター席とサイド席ではずいぶん印象が異なってしまうという感じはあります。小さな空間ゆえの濃密さはルデコが勝ちますが、どうしても席による見え方、感じかたの差はまちがいなくあって、それゆえにセンター・サイドと客席を予約順で売り分けたというのは誠実なことだと思うのです。

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速報→「パ・ド・ドゥ」七里ガ浜オールスターズ

2011.5.28 11:00

飯島早苗、1999年初演の二人芝居はサードステージの企画公演シリーズの一本として初演されました。がっつり100分。29日まで王子小劇場。

チンピラ弁護士と揶揄される弁護士。金持ちの離婚調停や麻薬取り締まり法違反の若いタレントの弁護など、ちょっとばかり金になるチャラい感じ。ある日呼び出されて接見に訪れた相手の女は番組製作会社で働くやり手だったが、男を四階のベランダから突き落とした殺人未遂の疑いで捕らえられている。簡単に不起訴になるとあっさり場を去ろうとする弁護士の男を、女は必死に呼び止める。実は二人は一年ほど前に離婚していて、死んだ男は、二人を引きあわせ、離婚後は不倫の関係になっていたのだった。

だだ広い劇場の中央にガラスを隔てた接見室。向かい合う二人を横から見るように設えられた対面の客席。開演直前の暗転で 狭い部屋を一瞬にして作り出します。この鮮やかなこと、密室での会話劇という世界に一気に引き込まれます。

男の浮気が元で離婚した二人。気づいているのに気づかないふりであっさり帰ろうとする男を引き留めようとする女。死んだのは男の友人で二人を引き合わせた男で、恋人の関係になっていることを知り食いつく男。

ネタバレかも

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2011.05.25

速報→「青に白」ペテカン

2011.5.22 17:00

ペテカンの新作。声優の田中真弓を主演に迎えての父と娘、家族の物語。125分。22日まで赤坂RED/THEATER。

新婚旅行の地・宮崎に夫婦で旅行中だった父が亡くなり、痴呆の進んだ母を迎えに行く娘である私、とその娘(孫)。娘の夫は若い女のところに入り浸ってなかなか帰ってこない。孫は付き合ってけっこう経つ彼氏も居るが、いまひとつ結婚に踏み切れない。空を眺めて雲を「おなら」だと云って笑わせてくれた父のことは大好きだったけれど、母、あの人は私のことを産みたかったわけじゃない、といった。許せなかった。

アニメ声優としてはベテラン組の田中真弓、世間ではルフィ、クリリンの声優として知られるけれど、あたしにとっちゃアニメをそこそこ観ていた時代、ラジオ番組「アニメトピア」前後のダッシュ勝平、忍豚(さすがの猿飛)あたり、という馴染み、なんてのはどうでもいい話。全体として低いトーンのままの芝居でちょっと意外な感じも、と思っていれば終演後の挨拶では「こんなに暗い役はやったことがない」といういつものテンション風で楽しく。

適齢期の娘がいるほどの年齢になっても、惚けてしまった母親に対する素直になれないというよりは恨みに近い陰鬱とした気持ちを持ち続ける女。娘に対しても辛く当たりつづけている。物語の骨子となるこの部分は静かな、というよりは暗い物語。対して賑やかな葬儀会社の人々だったり、笑いを生むほど過剰でコミカルな色気を振りまく愛人だったりと、飽きたりしないままにきちんと進み、きちんと語られる物語は丁寧です。

まるで新劇のよう、というのはアタシにとっては必ずしも誉め言葉ではありませんが、だれにでも寄り添うような物語。反面、アタシにはヒットしない感じなのは、血縁の女性たちの間の確執が腑に落ちる感じでもなく、かといってアタシがとても見たいものというのとも違うということに起因するのかも知れません。

大好きだった父親、浮気する夫という二役を安定して演じ分ける山口良一、愛人を演じた帯金ゆかりのオーバーな感じが楽しい。婚約する男を演じた濱田龍司のコミカル。あるいはダメ葬儀社の中で押さえどころのベテラン社員を演じた四條久美子の歌が圧巻。彼らが勢揃いする葬儀のシーンはこれでもかの盛り上がりで実に楽しいのです。

不満は不満として、それを呑み込んで先に進んでいこうとする女たち、力強いなと思うのです。

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速報→「解体されゆくアントニン・レーモンド建築 旧体育館の話」趣向

2011.5.22 13:30

「趣向」の公演。トークショー見損なったけれど、アントニン・レーモンド設計の東京女子大学旧体育館取り壊しをめぐる女子学生たちの物語。130分。神奈川芸術劇場大ホールで、23日まで。初稿がオンライン公開され、USTREAM配信の録画もまだ観られるようです。

大学に入る。勉強するため、遊ぶためだったりの女子学生たち。学生寮に入ったり、2時間かけて通ったり。体育の授業やサークル活動が行われる旧体育館、そこですれ違ったり待ち合わせたりサボったり、居合わせたり。哲学の本に共感したり、学祭に頑張ったり。やがてその旧体育館(Q体)が取り壊される予定だと知って、動くひともいて。

場所から発想した、というよりはその場所を過ごした作家がかいた「自分の居た世界」の物語。演出は後半の彼女達の後日譚から発想したのかどうか、時間の奥行きを感じさせる感じに。決して影響されたわけではないと思うのだけど「わが星」を観てしまったあとでは少々不利な感じは否めず、浮揚感には欠けるものの、あれよりは身近な4年ぐらいの時間軸で、しかし女性たちの動く動く姿が実に美しいのです。

戯曲を読んで思い出した、「永遠を望むのが女子のたしなみ」も実にいい台詞。

広い素舞台、疾走する感じが実に楽しくて、それを観ているだけで幸せな感じ。聴いただけでは馴染まない(同じ音の言葉が他にもあるから)熟語が多いのは、当日パンフであらかじめフォローしようというのは有り難いけれど、特定の用語はともかく、熟語を耳にして迷わないような言葉だと嬉しいのです。

序盤、2時間かけて通う自宅生と寮住まいのある種の自由さと規律が並行に演じられるシーンが結構好き。アタシは2時間側でしたが、ああ、そうそうそういう感じという共感。丁寧に丁寧に描いた彼女達の毎日が続いたあとに提示される体育館のこと、場所に寄り添ったスパイスが加わることで、彼女たちの日常が少し変わったり、変わらなかったりするコントラストが楽しい。熱心に体育館を残したいと思う「哲学」よりも、もっとセンスのいい効率的なやり方を難なくやってしまう「奔放」や

さまざまな女性達に寄り添うように、カウンターパートだったり内面の否定的な声だったりと自在に変化する菊池美里は時に怖く時に大いに笑い、美しさと圧巻の活躍。サキヒナタ演じる真面目な女学生・哲学のまっすぐさを体現するようで素敵。敬虔を演じた清水久美子の才色兼備、なぜかすこしばかりの色気を感じたり。あるいは奔放を演じた辻村優子にもやられ。女優達のそれぞれの魅力が沢山。

この手の史実や建築に立脚した物語はwikipediaとビールを片手にさまざま読んだり眺めたり、というのはアタシの好きなタイプの芝居。そういえば大学生の頃に一回だけあのキャンパス、学祭に行ったよなぁ、でも当然Q体なんて知らなかったから見て無くて惜しいことしたよなぁ、なんて少々甘酸っぱい記憶が蘇ったりするのも、個人的には楽しい。こんど吉祥寺に行ったときにでも、女子大通り歩いてみるか、ならば、横浜じゃなくて、吉祥寺や三鷹の劇場で観たいよなぁと思ったり思わなかったり。

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速報→「DUST CHUTE UTOPIA」PLAT-formance

2011.5.21 19:00

PLAT formance、桜美林大学での企画公演を全面刷新したもののようです。100分。23日までタイニイ・アリス。公演終了後にセットリストが公開されています。

暗い作業場所に白いレインコートのようなものを着て集められた人々。石炭の採掘、とは云っているが何の作業かは今一つわからない。金をためようと思ったり、他に仕事がなかったり。「Prorlogue - introduction(前説)」「4-1 UTOPIA-USER」「4-2 UTOPIA-LOVER」「4-3 UTOPIA-BUZZER」「4-4 UTOPIA-BACKER」
トゲムという名前もの。最初は木彫りのアクセサリーだったはずなのに、いつしかさまざまな機能を持つようになり、いつしか短いスパンでの新製品を客たちが望むようになっている。その工場、新製品の世間の期待が高まる中、発表は間近に迫っているのに、新製品につける新しい機能のアイディアがまったく出ない。いるのはデザインの担当者、事務職の女子社員、やたらに元気のいい新入社員。出入りの木材店、取材に訪れたライター。「1. Useful-Needless」
引っ越してきたカップル、手伝ってくれる男友達に任せきりで二人はいちゃついている。もう絶対に離れたくない二人。隣には扉の奥からじっと見つめる女が居た。「2. From BOX」
婚約指輪がはずれなくなったといって夜中に友達を呼びつけた女。よくよく聞いてみれば、彼氏は元カノと頻繁にあっていて、本当に婚約なのか甚だ怪しい。でもそれは人の男を強引に盗ったからなので。「Girlly×Girly×Girly」

作業場の物語を橋渡しにして、3つのものがたりをつないでいる構成。最初はバラバラの物語にみえるけれど、それが終盤になって、時間軸がはっきりとして、するするとつながっていくさまは、スタイリッシュでかっこいい。

作業場の物語、人がつながる希望のようなものをみせつつも、レインコートの白い作業着姿、無機質な無数の配管を思わせるセット、外部から遮断されていつ終わるともわからない作業をしているすがたから、原発建屋内部での作業というある種の絶望的状況を想起せずにはおれませんが、それを直接に描いたりはしていません。

工場の物語(Useful-Needless)、掃除ばかりさせられているうざったい男の話は終盤でその種明かしでロボットらしきもの だったのではないかというのがどこかSFっぽくてかっこいい。単にちょっとしゃれたというだけのものだったはずなのに、いつしか起きた機能競争と、そこから先に進めなくなってしまったというのは、日本のものづくりのある種の絶望感に透け見えたりするのは、ちょっとあたしの思いこみにすぎるでしょうか。女子社員を演じたハマカワフミエがばっちり決めるビンタが気持ちいい。

引っ越しの物語(From BOX)、理不尽なほどに手伝う男に仕事を任せっぱなしのカップルはある種シュールに映ります。引っ越しのために買ったのがアナログテレビにVHSデッキというのがちょっとおかしい。AVコードの配線がいつしか亀甲縛り、というのもするすると決まります。

アタシが一番好きなのは、女二人のぐだぐだ話(Girly×Girly×Girly)。しかも恋愛にまつわる、というあたりでもっとも。エピローグに繋がる、友達が少なそうな女子と、自身の破壊力で恋愛にひどく前向きなのに自覚のない女子の仲よさそうな、そうでもないような感じの距離感が楽しい。しかし、ラン、スウ、ミキって、時勢に乗ってる感じもスタイリッシュ。いろんな意味で破壊力一杯の堀奈津美、惚けてるような突っ込んでるような黒木絵美花の掛け合いの絶妙さが実に好きなのです。

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2011.05.24

速報→「バナナ学園★王子大大大大大作戦」バナナ学園純情乙女組

2011.5.21 16:00

バナナ学園純情乙女組の新作。王子小劇場との共催企画シリーズ「×王子小劇場」の初っぱな。おはぎライブのみで構成する90分。22日まで王子小劇場。

いわゆる芝居の部分はほとんどありません。あばれまわるためかどうか、マイクもほとんどが壊れていたりなくなったりしていて、ときおりある台詞らしいものも爆音の中ではまったく聞こえません。物語とかストーリーを見たいあたしにとっては、少々不満が残るのも事実です。

それでも大勢の若い役者が、統制をとってめいっぱい踊り狂うというのは、たとえば維新派や、たとえばライブハウスでのライブなどに類型がないわけではないのですが、若い彼らの勢いとか、パッションといったものが本当に濃密に詰め込まれていて一つのスタイルを作り出しています。それでも、こうもメッセージが伝わりづらいと、毎回同じに見えてしまいそうで、実は飽きずに観続けるのは結構ハードルが高いという気がしてしまうのです。

おそらく毎回作り込んでいる昨今のライブは毎回何かのメッセージがきちんと組み込まれていると思うのですが、それが何なのか、自分の中でいまひとつ明確になりません。今作においては、軍服での行進があったり、独り残らず倒れてしまうなど、いままでのライブでは見られなかった種類の演出が加わっています。地震と原発事故を経験してしまったあたしには、どこかそれがある種の将来に対する絶望として感じられてなりません。そんな中、雑踏の、あるいは混乱の中電話でつながるというシーンは、絶望の中の希望、という感じで糸電話を使って効果的に見せていて、強く印象に残ります。

七味まゆみは、極道風を交えたりして凛々しく。高野ゆらこの歌声にもしびれ。重実百合はわりといい年齢のはず(失礼)だけれど、制服風もスクール水着もなんだか似合ってかわいらしい。

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2011.05.16

速報→「さよならバカヤロー」デフロスターズ

2011.5.14 19:00

アタシは初見です。映像畑らしいユニットの演劇公演。110分。15日まで高田馬場ラビネスト。

宮崎の電気工事会社社長だった父親が亡くなり、東京に出ていた弟は葬式で社員たちの望みをかなえようと、会社を継ぐことを決心するが、経験を積むためにしばらく近くの同業の会社で働くことにする。母親は戻ってきて一緒に暮らせるようになることが嬉しいが、姉は、本当に働くことができるのかと懐疑的だった。

弟はしかしほどなく仕事のしんどさに口数も少なくなりまじめさも失っていく。姉はいつまでも独りでいることを心配した友人夫婦が人の良さそうな男を紹介してくれることになった。

田舎に戻ってきた男、その家族たち。情にほだされて社長を引き受けようとしたものの、現実はそれほど甘くなくて、という物語が骨子。これから社会に出ていこうという世代特有の、まだ選択肢がたくさんあって、でも家族のこと、父親を継ぐことというしがらみのようなものとの板挟み。

演出のベースはストレートな新劇っぽいつくりだけれど、語られているのはミニシアターでかかりそうな邦画の物語。ベタといえばベタだけれども、それが作演に見えている世界なのだろうと想うのです。鬱々とした弟、まじめだけれど男とうまく付き合うことが出来ない姉の物語とあわせて、どこか巧くかみ合わない世界を。爽快感のある物語ではありませんが、執拗で丁寧です。

人のいい恋人、を演じた佐藤達は得意技の領域にある「木訥としたいい人」を存分に。結果として全体に笑いのとりづらい物語のなかで、きちんと客席を沸かせ、リズムを作り出す安心感。母親を演じたほりすみこも安定しています。

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速報→「一本背負いブルース」ハリケーンディスコ

2011.5.14 14:00

福岡発の劇団、アタシは初見です。115分。参宮橋トランスミッションで15日まで。

大学を出たのにバイト生活をしている友人を、金貸しの男が仕事に誘う。中州のクラブの取り立てを替わった男は、それまでの脅し一辺倒から、着実な返済計画で確実に回収することに成功し、めきめき頭角を現し、暴力団に目をかけられるようになる。
仕事がないまま旅を続ける男女、どうにもだめ男なのに惹かれてしまう女は、それでも男を叱咤激励する。男は大金の入る仕事を見つけたという。それは、自転車事故で法外な請求を受けた男が、勤め先のDJクラブ金に手をつけようとする手伝いなのだが、そういう仕事だということは知らされていない。

ほとんどが福岡の言葉、なにを云っているか判らないという感じではありませんが、どちらかというとチンピラ、水商売のような、昭和の香り漂う迫力のある言葉が並びます。

「くだらないバイト」と揶揄して、しかし学校の頃からの友人なので目をかけ、助けようとする男、旭。こちらも昭和な感じの人のつながり。大卒なのにジャージ姿で引きこもり気味の友人・勇次は、誘われ金貸しになり、頭角を現し、一人前のチンピラに育っていくに従い、二人の立場は 完全に入れ替わっていくのです。本当の暴力団に取り込まれてしまうことを危惧する旭と、おもしろくなってしまったのか、頂点を目指したくなったのか突き進む勇次の物語は暑苦しいほどに男っぽく。バットを打ち合う二人のシーンは、グラインダーの火花と相まって、ちょっと劇画っぽくもあり美しい感じ。筑豊の炭坑の出で、親の残したゆいいつの「炭団」を肌身はなさず持つ男の目に映る蒸気機関車、というのは唐突と云えば唐突なのだけど、叙情的ですらあって、最後にどーん、という意味でのアングラっぽさが満載。

二人の男を演じた鎌田貴嗣・石橋勉の熱さはに引き込まれる感じ。まじめではあるのだけど、人とズレている感じを自覚できない40過ぎのダメ男にひたすら尽くす女を演じた異儀田夏葉は、一つ一つの会話が、笑いを生んだり想いが詰まっていたりとダイナミックレンジがおおくて新しい一面を見るようで印象に残ります。クラブオーナーを演じた江崎稔の、すこしひねたような、斜に構えたような雰囲気も印象的なのです。

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2011.05.09

速報→「あしたはどっちだ」渡辺源四郎商店

2011.5.7 19:00

ナベゲンの二本立て公演の二つ目は「どんとゆけ」後日譚。死刑囚の獄中結婚、死刑執行員制度なる架空の設定を引き継いだ2年後の物語。90分。青森のあと、8日までザ・スズナリ。

確定した死刑囚と獄中結婚を繰り返す女の家。幼稚園で金属バットを振り回して幼児と園長を殺した男の死刑が行われる。最近の改正で、絞殺刑に限らない手段での死刑執行が事前の申請により可能になり親たちは金属バットをもって集まる。
まったく反省の色が見えない死刑囚は、むしろ死刑になることを望んでいる。
殺された園長の妻もまた幼稚園の先生で、犯人は彼女を訪ねてきたのに止められなかった、と悔やんでこの場にきている。和解は成立しているが、親たちとのわだかまりも完全にはなくなっていない。そろそろ時間だが、自分の手で撲殺するというやりかたに被害者の会の親たちの集まりも遅れがち。

と、物語だけ書き出してみると深刻な物語だし扱っている事件の質の違いもあって、「どんとゆけ」に比べるとコミカルさやほっとする感じは少し薄め。死刑執行員制度というものが数年たってふつうのものになっている、ということもあって、執行員に申し込むことの抵抗が薄れているけれど、だからといって簡単に「人を殺せるわけではない」ということが物語の根幹に。一組の夫婦(被害者の会の代表の夫とと広報的役割の妻)、シングルマザー、事件後脱サラして居酒屋を始めた男という殺された園児たちの親のコントラスト。結果的におんな親たちは執行に賛成し、おとこ親たちは執行に反対するという構図になっているけれど、それを単に母性の問題として描かない、というあたりが作家の少し意地悪なところ。表にたつことを生き甲斐にしたステージママの妻に対して、夫は再婚してそもそも距離がある、ということだったり。

「聖職者」という立場を置いたのは人間の行くべき方向の理想。対比するように、どうしても犯人を許せない、どうしても手に掛けてでも殺したいと考えるシングルマザーを 対局に置くことで観客の気持ちの振れ幅をしっかりとみせる安定感。

というような被害者たちの物語とは別に、このシリーズの「獄中結婚マニアの女」の位置もしっかり。彼女のこの「性癖」の原点すこし提示し、どういう男と結婚したいのか、というのは異常な感じは見せつつも、ホラーテイストがきっちり描かれています。二本ともに出演する工藤由佳子の表情が実はとても怖くて、死刑囚を救おうという要素にはまったく興味がなくて空虚な目をしていることの怖さ。かと思えば、おもねる強い色気にやられそうになるのです。終演後に(主宰)のいうアンケートのお願いに添えて「続編の要望などなど」というのはちょっとみてみたい。続編というよりは、この女がせりふで少し語った、最初の恋人の物語をエピソード1としてみたくてたまらない。

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速報→「どんとゆけ」渡辺源四郎商店

2011.5.7 14:00

未来の架空な死刑執行の制度を描く2008年初演作の再演。90分。青森公演のあと、ザ・スズナリでは8日まで。

死刑執行員を一般の公募で選び、候補者が居なかったとき、執行の拒否があった場合は自動的に無期になるという「死刑執行員制度」。殺人の罪で死刑が確定した男、獄中結婚した妻が場所の提供を申し出た。死刑囚、連行し執行を補佐する拘置所の保安課長、執行を申し出た被害者の父と妻がやってきて。まさに死刑が執り行われようとしている。

裁判員制度の話題だった頃に、その先の「死刑の執行すらも人々にゆだねるようになった架空の設定。実際に可能かどうかは別にしても、執行する人、つまり手を汚すひとがいないのならば死刑は行わない、という制度の考え方自体は(死刑制度廃止のベクトルを持つとはいえ)はもしかしたら悪くないんじゃないかと思うのです。死刑執行とはいえ、人を殺すということではあるわけで、死刑廃止反対論の「被害者家族の気持ち」は汲みつつも、死刑執行自体だって背負わなければいけないのではないか、という視点は結構腑に落ちる感じもあります。もちろん、実際に、と考えれば相当に荒っぽいわけで、アタシの素人考えですが。

初演に続いて獄中結婚した女を演じた工藤由佳子はより強い色気の演出という印象なのは重ねた年輪なのか、それともアタシがそう読んじゃう気分なのか。終幕であかされるこれが初婚じゃない、というあたりのある種のホラー感をよりリアルな感じに。保安課長を演じたささきまことも初演から引き続き。木訥さと、規則に忠実な感じ、時に規則を忘れてトランプにふけってしまうのも味があって生きている役。死刑囚を演じた工藤良平は最後の悪あがきな感じの小物さが印象的。父親を演じた田中耕一は犯人憎しだけれど、揺れてしまう気持ちをしっかり。トランプのシーンのかけ声も絶妙。初演では(看板女優のひとり)工藤静香が演じた被害者の妻を演じたのは三上晴佳はその年齢に見えないというのはご愛敬だけれど、なかなか見られない、ヒールでいつづける難しい役を見劣りなくきっちりと。

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2011.05.08

速報→「エクレア、ヘディング」ナカゴー

2011.5.6 20:00

ナカゴーの新作。劇団員主体の配役。3本の中ではアタシの好みにもっとも近い70分。8日までアルシェ。

酔っぱらった勢いで持ってきてしまった「いけふくろう」を返しに行こうかと待ち合わせている女たち。そこに迷子らしい子供。池袋に行かなきゃいけないので連れてってと云う。かわいらしさに盛り上がり、連れていくと約束したのに、気が付けば女の部屋で宴会になっていて。いつになったら連れていってもらえるのやら。

まあ、端的にいえばお姉さんたちが男の子をいいようにしちゃう、なんて話なのだけど、女たちのかみ合っているようでかみ合っていないような駄話が延々続いたりするベースの話に組み合わされるのが、ほぼ飛び道具のような子供を演じた篠原正明の破壊力、見ているうちに本当に可愛らしく見えてきてしまうのが怖い。「月餅」とのコントラストがすごくて、目が離せないのです。

男に対するある種の鬱屈の吐露が暴走し、蹂躙に結びつく、とい「暴走する女たち」に対する男の恐怖のようなものが見え隠れするのは、どこか腑に落ちてしまう自分が悲しい。けれど、親族じゃない年上の女性に対するある種の恐怖っていうのは確かにあるよなとおもうけれど、アタシにとってはそれもまあきっと遠い過去の話(泣)で、なんか懐かしい風景に見えてしまいます。

今回の三本いずれも、そこかしこに震災のちょっと斜に構えた香り付けをしています。もっとも色濃く影響しているのが今作で、震災ノイローゼとでもいう女は物語そのものには影響しないけれど、印象に残ります。節電を強制し、揺れてないのに揺れてるといい続け、勝手に被災者だと思いこみ、そのくせ水を買い占めていたり、悪意いっぱいに描かれていてそのデフォルメ具合が圧巻。どう向き合うか、というところまで行けばすごいけれど、若い作家の視線としてはこの悪意感がまず大事な気がします。

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速報→「月餅」ナカゴー

2011.5.6 17:30

ナカゴーの新作三本立て公演、劇団員・客演をバランス配置した感の月餅編。65分。8日までアルシェ。

転校していく友達にヒドいことを行ったと友達に責められた女の子は、その転校していく友達のところに謝りにいこうということになる。その道すがらふとしたきっかけで、別の女の子のコンプレックスの逆鱗にふれてしまい、それをなだめるために女の子の家に寄ることにするが、その家では、母親の浮気に逆上した姉とその恋人が、不倫相手の男を監禁して責め立てていた。

一人の頭のおかしい女がターゲットを変えて誰彼かまわず攻撃していく「パイナップル」に比べると、いじめる側いじめられる側が次々と変わっていく子供まるだし感がいっぱいで、少し身に覚えのあるようなリアルさがあります。あまりナカゴーの芝居をたくさん見ているわけではないのだけれど、もっともナカゴーっぽい感じがします。

前半部分は特にそうで、さえないいじめられがちな男の子と、人気者っぽい感じの女の子の序盤の会話は子供の頃に限らず劣等感のある男の子視線で見るとアタシも痛いのです。神戸アキコ、篠原正明という飛び道具役者二人を得た後半は、子供にとっての「どうにもならないという恐怖」はある種の化け物にあってしまったような閉塞した緊張感が存分に。その二人が強力すぎて他が少々かすみがちなのはご愛敬だけれど。

すこし詩的な「世界は友達も学校も広すぎる」という台詞は嘲笑の対象という感じだけれど、言葉自体は結構しみこむ感じで印象的。

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速報→「パイナップルの食べすぎ」ナカゴー

2011.5.6 15:00

ナカゴーの新作。65分。3つの物語を交互上演のうちの表題作は、客演主体で構成。8日まで阿佐ヶ谷・アルシェ。

近所のうちに小さい頃からよく遊びに行っている女の子。おじさんとおばさんは親切に次々とパイナップルを食べさせてくれる。家にはペットの掃除機と付属品のヒトが居て、とてもかわいがられてるし、女の子にもなついている。近所のなかさんは気っ風もよくて、でもご飯食べさせてくれとよくくる。女の子のバイト先の店長は言い寄るためにこの家を捜し当てて訪れる。そこに、商店街でパン屋をやっている女が訪れる。店を閉めるのだという。かつて飼っていた掃除機は死んじゃったけど、彼氏ができて引っ越すのだという。突然女は、おじさんおばさんの二人にこれで対等になったのだと、食ってかかる。

ゆるゆるとした前半。飼われている掃除機と付属品のヒト、というあたりで笑わせている感。

主体となるのは最後に現れる女の突然の怒り。いままで劣等感の固まりだったのだと食ってかかる女を一人で背負った墨井鯨子が圧巻。平行線で全く議論が組み合わないまま一方的な怒りが果てしなくループする徒労感をどっぷり。 ループをひたすら繰り返すという手法の芝居というのはあまり得意じゃないアタシですが、そのイヤな感じが迫ってくるよう。論理は無茶ぶりの一点突破、標的は誰彼かまわずなわけで、しかも途中までは表情を見せないままやっているので、怖い感じすらあって、役者の力を感じます。

そこに至る直前、自分の不幸と彼氏ができたのだと告白するあたり、背中を向けて横になったり仰向けになったりするあたりが妙に色っぽいのは不思議な感覚。そこに物語の意味があるわけじゃないとおもうのですが。

「なかさん」を演じたシンクロ少女・シンクロ少女ののべらんめい、ところどころ落語の口調もちょっと好き。色っぽさに振った芝居が多い彼女なのだけれど、その親方気質というか江戸っ子みたいな感じというのは意外にあってる感じ。藤原よしこ・加瀬澤拓未はにこにこした感じが、不幸の降りかかる感にうまくマッチします。それにしてももっともターゲットとなり、いじめられ方が半端じゃない藤原よしこは役とはいえ少々お気の毒な感も。

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速報→「dressing」feblaboプロデュース/TorinGi

2011.5.5 18:00

@feblaboのプロデュース、米内山陽子の脚本との組み合わせユニット、TorinGiの新作。ガールズバーの開店前の60分をリアルタイムで描くのです。10日まで、エビス駅前バー。 #toringi ハッシュタグをつけてつぶやいた画面を見せると割引になるなどの設定あり。

開店前、カウンターのあるバー。ママと今日採用の新人が入ってくる。続々と出勤する女の子たち、あるものは可愛らしく、あるものは喧嘩腰、あるものはうざったかったり。新人の女はこの店の指令塔たるバーテンダーに対決を申し込む。

それぞれの出勤の格好、メガネ姿だったりの私服感を堪能する序盤。そこから決して若くはないけれど熱い新人の想い、気弱な女の理由、嫉妬が入り乱れたり、手なづけられる女、それぞれの女たちの過去がきっちり描きます。

核となるのは、新人とバーテンダーの対決という構図。 オミズの花道的体育会系な負けず嫌い、あるいはもう私は引退したのだという感覚。ガールズバーとはいえ、花の命は短くて、な限られた時期の間でしかできないしごとゆえの壮絶さ、になりそうなのだけど、それをもうちょっと緩い感じに描いているので、痛い感じにはなりません。むしろ大学生だったり、おとなしそうだったりな素人っぽい女の子たち。

物語の核となるのは、新人の女のこ、見るからに経験者風情で、劇中でも語られるとおりちょっとこの店全体から見たら異質な感じ。が、それゆえのかきまわし役をしっかり。バーテンダーを演じた細井里佳は、静かにで可愛らしい感じなのだけれど、秘められた物語故の自信がきちんとオーラとして見えるも、過去の事実の説得力も圧巻。

この作家・米内山陽子×演出・池田智哉の組み合わせ、ここ数本見る限りでははずれなくなっていて、安定感すら漂わせます。細井里佳の落ち着いた風情と笑顔、(店の司令塔としての)実力を漂わせる感じに惚れます。ナンバーワンを演じた椎谷万里江は、ほわんとした感じの中に仕事として割り切るコントラストが見事。ママを演じた中谷真由美は、いわゆるおばちゃんキャラ満載だけれど、この店を仕切るという説得感。

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速報→「スカート裾まつり」スカート裾まつり実行委員会

2011.5.5 15:00

30代のためのファッション(表紙が)文芸誌(中身が)、雑誌di-remma創刊のイベント、という体裁の140分。劇場に住んでいる女性の部屋を見学できる、というふれこみだったり焼きそばや生のジンジャエールが楽しめる休憩20分込み。5日までアトリエヘリコプター。

ダンス、シンポジウム、プーチンズのミニコンサート、映画、合唱など。

フェイクなイベントを設定。30代女性のための、という雰囲気の編集長と著名人のトークセッション、という風情に、いくつかの出し物を組み合わせた、ビッグサイトとか東京国際フォーラムとか、あるいはもう少し小さなホールでよくあるといえばよくあるパッケージをまるまるフェイクに仕上げています。芝居じゃないけれど、そのイベントすべてをどこか揶揄する感じに描くというのは、たしかにインスタレーションのようなおもしろさがあって、確かに表現だよなぁと思うのです。 コピーで作ったであろう、その文芸誌を売ってみたり、アルコールがあったり、料理があったり、のさまざまはゴールデンウィーク的なお祭りの感じでもあって楽しいのです。

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2011.05.06

速報→「珍しい凡人」箱庭円舞曲

2011.5.4 19:30

新しいテイストを感じさせる箱庭円舞曲の新作。120分。11日まで駅前劇場。

兄の住む家と、戻ってきた弟の住む母屋。兄は結婚して妻と大学生の子供の三人暮らし。妻の妹は40近くになっているのに仕事もせずに金の無心をするばかり。弟は東京から戻ってきて、アートのNPO法人を立ち上げ、アーティストを抱え、webの展開を本格的に始めようとしている。もともと絵描きだった弟を助けたいと東京から訪れる女も居る。目と鼻の先に済んでいるのに、兄弟はほとんど顔を合わせることすらない。
ストが激しくなり、物流も交通もまともに機能しなくなり始めているが、このあたりはまだ、なんとか大丈夫なある日、兄は裁判員に選ばれて教師の仕事をしばらく休むことになる。

舞台は中央にあり、客席は入り口側手前と奥の対面に設定。舞台上の飛び石を渡って(それ以外は土なので石の上を渡るように繰り返しアナウンスするけれど、導線として少々無理な感はあり)奥にいくというのも捨てがたい(あたしが座った席)けれど、きっとリビングのテーブルの前も捨てがたい。庭とリビングという二カ所を横長に配置しているのと、客席の対面というのは結構難しくて死角も多いし座った場所で見える情景が違うというのも正直いってある気がします。リビングなら家族をとりまくこと、庭なら自分の生きることや仕事ということが中心の視座に見えるのかな、と思います。

あたしにとっては「仕事の現場」という印象の強い彼らなのだけれど、家族や兄弟の問題を核にして、それをとりまくさまざま、たとえば裁判員のこと、アーティストやNPO、そのファンと名乗る人々、ネットの噂の影響の大きさとそのきっかけのアンバランスなどをぎゅっと濃縮し弁当箱に詰め込んだよう。おそらく執筆の途中で起きた震災はそのままの形ではないものの、「揺れて」みたり、ストでさまざまが麻痺していたり。時事ネタはあまり描かない作家だけれど、さすがに影響なしというわけにはいかないようで、しかしそれを片鱗として、フレイバーにしてしまうすごさに舌を巻きます。それでもすこしばかり題材が多くて観ているアタシが整理しきれないというところはあって、戸惑う感も少しばかり。

ネットの噂の些細な発端と自覚のなさ、その影響の大きさとそれにうろたえるというアンバランスの怖さ。それをきっちり演じた湯舟すぴかは美人という役が多いところをあえて恋人のできない40前という役に据えた配役の妙。
押し掛ける女を演じた小笠原結は少々病的なほどに一つのことしか見えていないという怖さに、時たま可愛らしく見えてしまう瞬間、あるいは突進したときのすごさなどをあわせ持つ感じ、若い役者ゆえに比較的派手な演出が効いてきます。

裁判員の女を演じた清水穂奈美、おとなしさとある種のやけっぱちのギャップは「私」と「社会」のもっとも激しいぶつかり合いをたった一人で演じる難しさがありますがしっかりと。 行政書士を演じた片桐はづき、あんまりそう見えないというのがご愛敬だけれど、もっとも「世間」を体現する大切な視座。

もう一つの、ビジネスという「世間」を担うのが情報の仕掛け人を演じた小野哲史。怪しさいっぱいでときにかっこよくスタイリッシュ。ちょっと惚れてしまいそうに素敵なのです。

正直にいうと、アタシたち会社員をとりまく仕事の現場の物語を実感を持って描くことのできる数少ない作家だと思っているので、芸術や家族の物語を選んだということは少し意外な感じもします。それでも、芸術家の苦悩というよりは、それをとりまくビジネスの話、として描かれていることでアタシにもある程度実感を持って感じ取れるという気がするのです。

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2011.05.05

速報→「淑女」ブス会

2011.5.2 19:30

大人気の公演、当日キャンセル待ちでなんとか潜り込みました。75分、3日までリトルモア地下。

個人宅の清掃を請け負う会社の事務室。パートに支えられている。古株の二人、モデルをしている女。そこに新人が入ってくる。

アタシの好物、という女性ばかり少人数の会話劇。彼女たちの日常を覗き見るような感覚は楽しいのですが、内在する悪意こそが物語のカナメだと思うのです。

たった4人、舞台には出てこない仮想敵との関係、あるいは仲の良さそうな二人だったり、仕事に身の入らないちゃらっとした感じだったり、若いのにしっかりしてる人だったりのキャラクタがしっかり。カラオケをめぐる人間関係の些細な揺れで更にお互いの関係の強さや諸さも提示しながら進みます。

前半でしっかり作った土俵の上で、 それぞれの正体が明かされていく後半はさまざまなことが次々と起こって楽しい。実は、実は、みたいな繰り返しはヒーローものの悪役のようでもあって(物語は全くそんなことはないのだけれど)、おもしろいのです。

そんなことがあって、空中分解したかに見えた終盤、終幕近くで、再びこのチームで仕事に向かうというのは今の女性たちの力強さとあいまって、仕事への真摯さ、あしたへの元気がもらえるようで、素敵なのです。

リーダーを演じたもたい陽子は少々押しつけがましい明るさと引っ張る力。サブリーダーを演じた岩本えりは気に病む感じがキャラクタとして強くてかき回す立場としてもきっちり。仕事に身の入らない女を演じた遠藤留奈は眼福だったり刺激的なシーンも多いし可愛らしい役者なのに、これが女たちの中でもヒールにならないようになっている力。新人の女を演じた望月綾乃は作家というもののある種の意地の悪さを見せているような視座、あたしの身近ではないけれど、おもしろい感じ。

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2011.05.03

速報→「犬と花」(花編)黒色綺譚カナリア派

2011.5.2 16:00

赤澤ムックの作を別の演出でつくるという二本立て、ベテラン組とされる「花」編。70分。2日までOFF OFFシアター。

犬→花という順番で偶然観たアタシですが、逆だとするとまったく意味が分からない気がします。役者の層の厚さでぎりぎり成立している感じはしますが、作家の書いた物語を放棄して、別の物語を、台詞をいっさいなく載せるという手法を実験している気がします。この推測が正しいと仮定すると、でも、まったくつながりのない二つを持ってきて片方は視覚、片方は聴覚に分ければ形になる、なんて行ってしまってはどんな組み合わせだっていいわけで、この物語にこの手法、という点で説得力も納得感もないのがつらい。

夏目慎也の焦点の定まらない目の表情はちょっとすごい。姉を演じた山下恵の清楚な感じからの終幕は眼福ですが、縛られるまでの時間が長いのは(バナナ学園なら30秒だ(笑))残念。

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速報→「犬と花」(犬編)黒色綺譚カナリア派

2011.5.2 14:00

赤澤ムックのホンを二人の外部演出に託しての若手「犬」編。ストレートに物語をきっちり堅実に。2日までOFF OFFシアター。

犬の肉をさばいて店に卸す二人の男、その肉を買う焼き鳥屋の女は兄に惚れているが、弟分が女に惚れている。エロ写真を秘密の工場から泥棒して売る少年はその商売のことを姉にいえずにいるが、貯めた金で姉とこの街を出ようと考えている。姉は父親のもとから離れたいと思っているが、弟とふたりというよりは誰か男に父親を殺してもらって、という青図面を描いている。

若手と位置づけられる犬編。谷賢一の演出はきちんとアングラっぽく、しかしそこかしこがポップだったり、あるいは若い役者ゆえに身体能力を信じてスピード感や躍動感に寄った演出をしていると感じます。

ストレートに物語に寄り添い、伝えるべき情報をきちんと伝えるというのは当たり前だけれど、そのあとに観た「花」編のあまりの入れなさ加減を体験したあとだとそれを強く感じるのです。

正直にいうと、コの字型の客席の上の辺の端っこという場所からでは牛水里美の強い色気、あるいは少年を演じる井上みなみのまっすぐな表情が少な目なのは残念。なにより 可愛らしい印象の強い17歳(だと思う)が犬のように従順な「少年」を演じることなのです。「犬」を演じた松崎みゆきの少し情けない感じもいいのです。

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速報→「わが星」ままごと

2011.5.1 15:00

2009年初演であっさり岸田國士戯曲賞を受賞した「ブレイクビーツ・ミュージカル」の満を持しての再演。1日まで三鷹市芸術文化センター星のホール。90分?。いわき公演は残念ながら中止ですが、ツアーは三重・兵庫・愛知・福岡へ。サイトで余韻を楽しむのもいいのです。

団地に引っ越してきて友達ができて、お姉ちゃんと喧嘩して、家族の団らんがあって、誕生日に望遠鏡もらって、次のがほしいから自分で回ってどんどん時間を進めて。「ちーちゃん」が生まれてから、死んでいくまでをずっと見つめている男の子。何万光年も離れていてもう、その娘はそこには居ないのだけれど、会いに行く。

初演も観ているし、私にしては珍しくわりとちゃんと覚えてる芝居なのだけれど、再演の印象はびっくりするほど変わりません。もっとも、開演の時の時報など、もっと「口ロロ(くちろろ)」の「AM0:00:00」という独立した曲とのコラボっぽさを全面に押し出していた初演に比べると、もうアルバム発売後だからか、「わが星」の世界にすんなり一体にとけ込んでいて、これ全体が一つのパッケージになっていると感じます。

初演のDVDと見比べると、団らんのシーンをもっと広げていたり、細かいところで調整しているのがわかります。円形の客席のどこに座るかは迷いどころだけれど、アタシが座った10時の場所(音響卓、というか演奏場所を6時として)は、わりと満足な場所でした。終盤のスターボール、あるいは団らん、正対するふたりなど、きっちり。

星が生まれて滅亡して、それを見ている「僕」がボーイミーツガール、なんだけれど、それを見ているアタシたちの方が初演と再演の間で変わってしまいました。星の一生というほどではないにせよ、滅亡とか、死んでしまうということがあのときよりもずっと現実のアタシに隣あったものして感じられるようになってしまった今では、特に終幕近くの明るいリズムで奏でられる「滅亡」は、もっともっとアタシにせまったものとして感じられるようになっているのです。

それにしたって、びっくりするほどにそのリズムに身をゆだね、物語に浸り込んでしまうあたしなのです。女の子が出会い友達になり、「ままごと」をするシーンも、父・母が毎日という日常を繰り返すシーンも、寿命が近いテレビの前の団らんのシーンも、実にいとおしいのです。最近はなるべく買わないようにしていたDVDだって戯曲だって調子に乗って買い込んでしまうぐらいに浸り込んでしまうのです。

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速報→「グラデーションの夜《桃色の夜》」KAKUTA

2011.4.30 19;00

KAKUTAの三週間連続企画の最後を飾る「桃色」編。恋の話ではあるけれど、演出や役者たちの年齢を重ねた感じのセレクションが楽しい3本。1日までアトリエヘリコプター125分。

雑誌に浮かされて旅にでるけれど、他の人みたいに大騒ぎできない私が思いついたのは、道すがら、見知らぬ男性に尋ねることだった「いま何時?」(田辺聖子)
恋も離婚も経験して、今ひとりの私、週に何度か定食屋で会釈するだけの若い男に浮かれてしまう「わか葉の恋」(角田光代)
オレは彼女のことが大好きで、すべてを賭けて守ってもいいと思っている。彼女もオレのことが大好きだと行っているけれど、もうひとりいけ好かない男が割り込んできて「春太の毎日」(三浦しをん)
一人旅に出た女が泊まった宿では帰ってこない男をずっと待っている猫が居る「グラデーションの夜」

「いま~」は、「ギャル」たちが雑誌片手に旅に浮かれる世間だけれど、気持ちは同じなのに同じように乗っかれない女の出会いの物語。「いま何時?」と訊くことで一人旅でも寂しくないし、妄想も広がったりする、という女、声をかけてきた男は妻帯者だけれど、漁船借りて見た洞窟などの楽しい出来事。今晩の宿を替えて男と同じ宿に、という終盤、期待と不安のゆきずり感はそのシチュエーションを作れるという意味でも30代のドキドキ。
野澤爽子がメインは珍しいけれど、ちょっと内気なのにけなげなほどに声をかけるというのはよくあう感じ。絵描きを演じた尾崎宇内は今回、三本通してみて印象に残る役者。

「わか葉~」はアタシと同い年の作家、ストレスが嫌いで「楽な恋」を見つけてしまう女、定食屋で会釈するだけの若い男にときめいて、明るい色のスカートを買ってしまうという浮ついた感じが春めいて楽しい。 一人でご飯なんて、呑んだりするなんて、という若い感覚から一人でも大丈夫という大人を経て、大人が恋してしまうというのは実感としてよくわかっちゃう感じがします。
女ともだちと飲んだくれた朝、買い物に行ったコンビニで出会う奇跡はできすぎだけれど、若者を演じた渡辺昇の無防備さがぴったりとフィットします。西田薫が演じた女の日常感は腑に落ちる感じ。その友人を演じた高山奈央子の酔っぱらい具合が楽しくて、定食屋に乗り込もうって勢いも好きです。一本目のカップルが定食屋の夫婦というのは意図したのかどうか、でもこれが実にマッチするのです。

もっともコミカルよりな「春太~」は過去のKAKUTAのリーディングにも登場する( 1, 2)「神様」(川上弘美)にどことなく近い、人間と動物の恋物語。テレコな感じに入れ替わっていて素敵に対照をなしているのが楽しいのです。 自分が居なくなった後の世界に残された彼女はどうするのか、あるいは守らなきゃという男の側の論理は「草原の昼食」の感じも。「神様」では頼れる男に付いていくのだ、という女の側の論理。楽しく観られるひとつは、春太を演じた実近順次のオーバーなほどにコミカルさ。あるいは語る若狭勝也のアニメのような声の説得力。柴田さやかのかわいらしさもいいのです。

オリジナルストーリーは、待っている人のこと。澁谷佳世は決して巧い役者ではないと思いますが、モモは実にあっている感じがします。待っていれば報われる、ハッピーエンドなのです。

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2011.05.01

速報→「Classic on the Carpet Tile」トリのマーク

2011.4.30 16:00

トリのマークの新作。どこでもないココ感が復活した感じもする20周年公演は15ヶ月ぶり、65分。1日までザ・スズナリ。

そこにかつて街のようにたくさんの屋台があった場所。今はたった一つの屋台しかない。ここがかつてのその場所か、と捜し求める探検風情の男女だったり、屋台の主人らしき男と、ほんとうは居ない誰かだったり。

場所から発想して、という彼らだけれど、さすがにスズナリで続けていると、そこの物語という感じではなくなります。かつてそこにはあったはずの賑わいの場所、それがゆっくりと衰退していく様、という風にアタシには読めてなりません。復活のためのさまざまな工夫も一過性の効果しか生まない、あるいは続く暗中模索というゆるやかな絶望感。と、読んでしまうのはアタシの一方的な思いこみ。日本のどこででも起きている、たとえば映画館あった商店街の話、といってしまうと言い過ぎかもしれません。時節柄いいづらいけれど、日本全体の現実の基調、という風に感じてしまうのです。

アタシはこう読んだけれど、実際の舞台は笑いも多くてみやすい感じがします。物語の筋らしきものがあってないのはいつものこと。 屋台の主人を演じる山中正哉、ちょこまかと動き回る人を演じた柳澤明子の二人の掛け合いは、ボケたりつっこんだりの繰り返しで彼らの王道だけれど、それが多くて長くみているアタシにはうれしい。藤田早織演じる「どこかに行き損なった人」は可愛らしさが素直にコミカルになっていてみていて楽しい。劇場ロビーや美術を作り込んだ感じにしていることが多かったけれど時節柄か、そのあたりはずっとシンプルな印象。

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速報→「堕落ノ詩」BLUES

2011.4.29 20:00

松本で学生劇団を謳うBLUESの三回目公演。90分のアナウンスに対して110分ほど。上土ふれあいホール、30日まで。

お嬢様の誕生日には毎年余興を見せる若い執事たち。今年の余興の台本があがらず、1時間ほどでいい加減に書いた話は、貧乏な夫婦が娘の誕生日の思案にくれているところに強盗が押し入ってきて、父親に妻と娘を殺せば命を助けてやるという..という話だった。あと1時間で本番だというのに、もっとお嬢様に気に入ってもらおうと、好きそうなことを取り入れて台本を変えようとしている。

劇中劇としてちょっと無理筋な一つの物語を、貧乏な夫婦の話、SF風味、ラブストーリー、サスペンスなどとさまざまにアレンジを加えて行きます。特に前半は笑いを多めに(じっさいのところ、観客の主体である学生とおぼしき女性たちは実によく笑うのです。で、その空間にいることはアタシ結構好きだったりします。←芝居の話じゃない)しています。終盤でそこからすとんと落とすあたりの発想はちょっとびっくりしますが、時間がかかりすぎているように感じるのがもったいない感じ。

前半はセットが安っぽいのはご愛敬としても、そこかしこでかんでみたりと、全体に完成度という点で厳しいなぁと感じるのもちょっともったいない感じ。もっとも、それをあえてやってる気がしないでもありません。劇中のキャラクタに頼って笑いを取るのも、後半になれば生きてきます。 ★ネタバレかも★

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