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2011.04.26

速報→「ゲズントハイト~お元気で~」ナイスコンプレックス

2011.4.24 17:00

アタシは初見です。「臨床道化師(クリニクラウン)(wikipedia)」なる職業の男を中心に、小児科に入院する子供たちと職員、親たちをめぐるものがたり。125分。24日までgeki地下リバティ。

阪神の大震災の現場で、笑いが救いになると考えてお笑いのトリオのコントユニットを作った男。が、まったく芽のでないまま3年が過ぎ、一人は就職するといって去る。男は初心を思いだし、小児科の病棟で子供の心のケアを目的に、道化師として訪問させてほしいというが、医師たちは取り合わない。若い看護師、研修医を仲間にして、院長の気まぐれもあって月に一回の訪問を実現される。子供たちは本当に喜び、子供のみならず親たちも待ち遠しく思うようになっていく。が、難病の子供が倒れたときになにもできなかったことで自信をなくしてしまう。

正直にいうと、序盤、震災の大震災の現場で起きたこと、あるいは終幕直前の男三人の乗り込む車、というシーンはちょっと今この時期では観客としては距離感がつかめずに違和感を感じます。が、その違和感を乗り越えて、まっすぐに、この職業をまじめにとらえて描き出す彼らに、いつしか乗せられて、少し泣いてしまったりもするのです。

演出という点で見ると、やけに多く挟まる短い暗転でシーンをぶつ切りにするなど、もったいない感じも残りますし、物語も多くを盛り込みすぎている感もあるのですが、それぞれの人々の物語をきちんとまじめに描き出そうとする心意気。「ナイスコンプレックス」という劇団名からもうすこし斜に構えた感じかと思っていたのだけれど、ほんとうにまっすぐなのです。

職業を描き、まっすぐに、という点ではたとえば(最近は拝見してないけれど)劇団Turboが思い浮かんだりします。このやりかた、なかなか主流な感じではないし、題材以外は新しさという点で不利な感じは否めないのだけれど、作家が描きたいと思ったことが、そのまっすぐさで描かれるというのは見ていて気持ちがいいなとも思うのです。

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速報→「俺のカー・オブ・ザ・イヤー」売込隊ビーム

2011.4.24 14:00

関西の劇団、売込隊ビームの充電前最終公演。本編110分に、追加100円で一度観客を外に出しての300秒ショーは東京では初めてという「女子高生編」。24日まで「劇」小劇場。

キリでタイヤをパンクさせるイタズラが頻発している町。公にはされていないが、ついに人が刺される事態になっている。大学生の頃から持っていた軽トラで死体を運ぶバイトをしてしまった男は、15年ぶりにそのバイトを誘ってきた元同級生に出会う。すっかり裏社会の住人となっている彼は、再び死体を運ぶ仕事をしないかと持ちかける。その軽トラに声をかけてきた道すがらの女を抱いてしまった男は、彼女にバレて呼び出されてしまう。「万能棒」を売る営業の女二人は営業車のタイヤをイタズラでパンクさせられてしまう。

前に彼らの芝居を見たのは結構前の気がします。いったん休みに入ると聞いて行ってみた当日券は果たしてキャンセル待ち、満員。舞台には軽トラ。場によって回転させながらというのはしゃれています。運転席・助手席のシーンが作れるのもちょっといいけれど、入れてもらった当日キャンセル待ちの通路席(きっと当初想定されていなかった席だから)ドアミラーで一人の表情が完全に見えなかったりするのはちょっと寂しい。

物語だけ見ると終幕だけではなく、全体に陰惨なのだけれど、じっさいのところ、客席は笑いが絶えません。関西弁の威力というよりは関西の人々の会話のすごさというか、会話がどんどんずれていくのに、物語がきちんと進んでいく、という会話を細かく作り上げていくのは、ちょっとすごいのです。前に見たときはこういう印象じゃなくて、少し不思議な物語だった印象なのだけど、生きている今の関西弁、笑いこそ起きるけれど、掛け合いのような会話のリズムはやがて心地よさすら感じさせるのです。

迷惑がる男に旧友なのだといって距離を詰めていこうとする出所した男にしても、男を寝取って彼女に呼び出される女のずれっぷりにしても、営業所への戻りの途中で寄ったコンビニでドライバーの先輩を差し置いて勝手にビールを空けてしまう後輩OLにしても、それぞれが日常に少しありそうなずれを見せて、それが爆笑に近い笑いを客席に生むのにびっくりするのです。

終演後のコントは、男性の役者ばかり4人での「女子高生編」、シーに行くかランドに行くかで相談している、という他愛もない話だけれど、余興として楽しむのは吉。別料金が設定されている、というのはちょっとびっくりしたけどこれはこれでありな気がします。

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2011.04.24

速報→「グラデーションの夜《黒の夜》」KAKUTA

2011.4.23 19:00

KAKUTAのサウンドプレイ3週連続企画の2週目、ホラーテイスト中心の3+1本構成で115分。24日までアトリエヘリコプター。

安いラブホテルに入った男と金で買われた女。彼女は普段は会社勤めでどちらかというと地味。粗暴な男がシャワーに消え、心の中で悪態をつく女の前に突然別の派手な女が姿を現す「デッドガール」(桐野夏生)
祖母が亡くなるときに注意しろと云われていた和風の手鏡をのぞき込んだ高校受験前の女、そこには志望校の制服を着てほほえむ自分の姿があった「ささやく鏡」(今邑彩)
男の記憶は子供の頃から過去のことが曖昧だった。あるいはやったと思いこんだことは悪友の云っていた先祖の記憶が遺伝しているだけなのかもしれない。古井戸にしかけた落とし穴に落ちた少女が忽然と姿を消したのも、悪い女に手をかけ困ったあげく投げ込んだ同じ古井戸でまたも姿が消えたのも。母親は、自分の体が動かなくなったらちゃんと始末してほしい、どうせ面倒など見られないのだからと云っていて、果たして倒れてしまい「迷路」(阿刀田高)
旅行に出かけようとしている女の古い知り合いの男は漫画家で、かつて人気シリーズがあったが、善人だったはずのキャラクタが最終話で突如悪人となった後味の悪いラストだった。漫画家はその後次々と作風も物語も変えて描こうとするが、頭の中からどうしても離れない男のことがあって「グラデーションの夜」(桑原裕子)

怖い物語を中心に構成。地の文を読む「語り」がいるほかは、シンプルではあるけれど基本的には役者たちが芝居をしているという構成は変わらず。イラストレーターとのコラボレーションはマンガ原稿だったり、影絵のような味わいのある和テイストのイラストだったり。

「デッド~」は色っぽさ満載の序盤から不思議な体験へ巻き込まれる感の楽しさ。小説では表現し得ない、そこに生身のからだがあることと、そこにはいないのに見えることの対比はリーディングの効果。ヨウラマキの引き込まれるような色気にちょっとやられる。

「ささやく~」は不思議な手鏡というSF風の始まりだけれど、それは人間の想像や妄想というものの怖さを感じさせる終盤の落差が効果的。今作においても、ある種モテ役の若狭勝也がちょっとうらやましいけれど、その後の凋落でプラスマイナスゼロ、ということで(←意味のない比較)

「迷路」は阿刀田高らしいショートショートSFの切れ味のような終幕が強く印象に残ります。序盤から全体に貫かれる、曖昧な記憶、遺伝や風穴といった知識のつなぎあわせで不思議な出来事を「理解」しているけれど、そこに大きな穴がある、という物語の運びがちょっとすごい。

3週間を貫く一人の女性の出会う物語、「グラデーションの夜」は、ホラーテイストにあわせて、マンガ作家、自分の描いた登場人物から逃れられない、という物語は作家らしくて、じゃあ、本作の作家が逃れられないのは、あの登場人物かしら、と夢想する楽しみもあったりして、来週の「桃色」を楽しみにしてしまうのです。

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速報→「流通戦争だよ全員集合!」ギンギラ太陽's

2011.4.22 19:30

ギンギラ太陽'sの新作。どちらかというとイベント色が強く、博多や天神の物語を中心に据えなかったという意味で異色な一本。85分。23日まで西鉄ホール。

博多駅ビルが全面改装を迎え、多くの商業ビルを擁する天神地区はJRでやってきた観光客が駅の中で取り込まれ天神までやってこないのではないかと戦々恐々としている。かつて北海道・札幌も周辺の老舗百貨店が駅ビルの改装に苦しい戦いを強いられている。そんな中、新たにパルコが天神の地に仲間入りした。

パルコは開店にあたりギンギラ太陽'sとのコラボレーションを図ったようで、パルコを表す「ビルキャラ」も公募をもとにつくったよう。そのキャラクタの発表イベント、という意味合いと、夏に上演を予定している新しい博多駅をめぐる物語の先例、つまり切磋琢磨してきた地元の老舗百貨店が、JRと大手百貨店が手を組んでしかける駅直結の大型商業施設に苦戦を強いられる、という二つのパートで構成。

地元のネタゆえの笑いで勝負してきた彼らにしてみると、地元のビルがそれこそ「全員集合」する前半部分は客席をを大きく沸かせます。イムズ、三越、大丸、天神コア、岩田屋、ソラリアなどが勢ぞろいして、博多駅改装で売り上げが減るのは自分ではないかと危惧しまくるのはコミカルで楽しい。

それに続く中盤はいわゆる襲名披露のようなフォーマットを使って、呉服店時代からの歴代の岩田屋が勢ぞろい、パルコをどうかひとつよろしくお願いしますとばかりに笑いをとり、一般公募の中のボツ作でもうひと笑いとって、妹キャラという位置づけを与えられたパルコを登場させる流れは見事。これまで地下入り口前に岩田屋時代から設置された「河童」をパルコの代わりに使ってきたキャラクタから一気に新キャラに「モーフィング」、役者も同じ杉山英美で、そのギャップにびっくり。「妹キャラ」の舌足らずと表裏、しかも若い年代特有の計算高さというより生き残りへの真剣さを描くのが実はちょっとすごいと思うのです。バブルに乗ってイケイケだった頃とは違う今のパルコが今新規出店するというスタッフの真摯な気持ちが見えるよう。

後半は、そこから唐突な感じで、(いちおう博多とよく似ているので、という注釈を当日パンフにも劇中にも組み込んで)北海道開拓史に。五番館、丸井今井、丸ヨという聞きなれない店名、いままで博多の観客たちは経験したことのない「地元ではないネタ」、しかも笑いを少な目に作られた物語に客席は静かになるのです。が、注意深く作り上げられた物語は、天神・博多の商業ビルたちの物語に重なります。福岡側をあえてテッパンキャラである過去の「玉屋」ではなく、今の商業ビルたちだけで描くのは「これからここに起こること」を予感させるのです。

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2011.04.19

速報→「「SM社長」と「sexの終焉」」タテヨコ企画(ししゃも倶楽部)

2011.4.17 19:00

男二人芝居を2+1本構成にして3本の芝居を60分、ワンズスタジオ。毎日替えているらしい当日パンフも楽しい。17日まで。

大きなミスをやらかしたらしい男、亀甲縛りされ椅子に乗った男はなんとこの会社の社長なのだという。「SM社長」(作 前田司郎)
片づける作業員の男たち。ものすごい能力を手に入れたと語る男、もう一人はそれほど取り合わない。「転換(原題「月がとっても青いから」)」(作 太田善也)
陶芸作家の家を訪れた男。カルチャーセンターでの作家の教室に通う妻がこの講師と浮気をしていることを掴んで、尾行してきたのだ。講師は認めるが、二人の間にはセックスだけで愛情などないのだという。「SEXの終焉」(作 太田善也)

前田司郎、太田善也のそれぞれ過去の短編作を再演する企画。 あの「SM社長」が別の役者、別の演出なことにわくわく。もっとも「つよしとひでき」のあの癖のある社員と半裸の社長という出オチなインパクト勝負に比べると少々不利な感は否めません。全体にフラットな感じにすることで、社長と平社員という会社の力関係と、Mな社長との社員との会話という関係がテレコな感じでそのバランスの危うさが楽しい。

「転換」ちゃんと転換という機能を持つけれど、何の意味もないような、あるような、不条理のような不思議な会話が楽しい。

「SEXの終焉」はどうみてもインモラルな陶芸作家と、妻の浮気に起こって抗議に訪れた男という出発点。浮気には愛はなく、カラダの、もっというとセックスだけの関係だといいながら、相手の勘定と人格にしっかり向き合いながらセックスしてますか、という、じつはちょっと深い話に入り込んでいって、終幕近くでは陶芸作家の方が「正しい」ポジションに見えてきてしまう不思議。こういう面白さの一品、作家のたしかなちから。

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2011.04.18

速報→「グラデーションの夜 《群青の夜》」KAKUTA

2011.4.17 15:00

KAKUTAが定期的に続ける朗読企画、その1週め。125分。17日までアトリエ・ヘリコプター。

写真を撮るために世界を飛び回っている女が、久しぶりに帰国し馴染みの古書店に顔を出すと、祖父から受け継いで離れられないといっていた女主人の姿はなく、冴えない中年男が居眠りをしていた「グラデーションの夜」(桑原裕子)
歌舞伎町でノしてきた暴力団、その組長は暴走族あがりのどこか甘いいまの組ではこれ以上上には行けないと感じていた。ある店の客引きの男が組に入れて欲しいとやってくる。任侠映画を観て感動したのだという男はエセ広島をしゃべり甚だ怪しいが、その目の奥の鈍い光に組の未来を託そうと組長は考えてだ「ネオン」(桐野夏生, 文春文庫「錆びる心」所収)
女は、しゃべりおもしろくすることで居場所を得ている。酒場で出会った歯科医の男と3度寝たのに、ある日手痛く振られてしまう。傷心のまま夜の公園を歩くと、ピエロ姿の男が「動かない」パフォーマンスをしている。声をかけると返事があって、とりとめのない話をしたら、自分の気持ちが楽になることに気がついた「ピエロ男」(田口ランディ 文春文庫「ドリームタイム」所収)
ある朝目覚めると、ほかに比べてあまりに中途半端で同列に並べられることに自信をすっかりなくした「池袋」がやってきてグチを云う「正直袋の神経衰弱」(いしいしんじ 新潮文庫「東京夜話」所収)
父親が亡くなってから荻窪の一軒家で暮らす母親は兄や自分の同居の申し出を断っている。ある日、私は母と自分の車に乗せて温泉まで一泊旅行をすることにした。「夜のドライブ」(川上弘美 文春文庫「あなたと、どこかへ」所収)

朗読とはいいながら、ほとんどの役者には動きもつけられて、芝居に仕上げています。この朗読シリーズは、戯曲でない小説を使うことで、ト書きにあたる「地の文」もすべて読み手に読ませるという手法を、すっかりと彼らのものとしているのです。たとえばキャラメルボックスのハーフタイムシアターが時間を短くするために説明の台詞を数多くしてでもテンポよくまとめあげているのと同じように、地の文を「喋って」しまうことで、気持ちの動きすらもダイレクトに言葉として観客に伝えてしまうことで短い時間の中にわりときっちり物語を詰め込むことに成功していて、結果として時間のわりに密度の濃い仕上がりにしているのです。

全体を緩やかにつなぐオリジナルも含め、「東京で暮らす」ということにフォーカスした感じの物語を集めた「群青」編。

「ネオン」は、はいあがりたいというハングリーさの欠けた若者たちのなかにあって、見所がありそうな沸点の低い若者の物語。その若者を眩しく、あるいは自分の昔の姿を重ねて見ている組長との対比。そこそこに勢力を持ってきているためにどこかぬるま湯な今の幹部たちへの不満や不安がその気持ちを増大する、なんてのは、いまどきある程度の大きさの会社の経営者ならきっとみんな感じるだろう若者観が、暴力団という組織ですらも同じだというのがちょっとおかしい。急転直下なオチは音楽と、その(物語では語られない)部分を写真のスライドショーに仕上げたことで、より効果的に効いています。若い男を演じた尾崎宇内の野心に燃えた感じの表情はきりりと締まり、かっこいいし、スライドショーでの表情もちょっといいのです。組長を演じた成清正紀の人間味あふれる感じもいい。

「ピエロ男」は人間らしい気持ちのぶれを捨てようと決心したピエロの男と、うまくやってつもりなのに、手痛く男に振られてしまった女の公園での会話。何気ない会話、しかも驚くほど平板に答える男との会話が楽しく、どこか惹かれてしまう女。ピエロが答える「ロボットになりたい」が、さらに徹底して「あらかじめ予測してプログラムのように想定問答で作られている受け答えしかしない」というあたりに至って、これはいわゆる人工無能なんだけど、それを大まじめにやる男のこっけいさもさることながら、その会話に惹かれてやまないという女はどこかコミカルであって、実は深く悲しいのです。「雷に打たれたようにダメージをくらう」というあたりの演出はコミカルを通り越してまるでマンガだけれど、最近なかなか見られない桑原裕子のこういう演技は楽しい。優しいいい男キャラを独占している感もある若狭勝也は、このフラットな感じですら優しさに見えてしまうというのがすごい。

「正直袋〜」(あ、正直ふくろう、かもしかして)所詮山手線の中に居ることなんかできない田舎なのだという自責というか自信喪失してしまった「池袋」の物語は発送の奇抜さでいきなり物語に引き込まれます。擬人化という意味ではたとえばギンギラ太陽'sのスタイルだけれど、「まち全体」というもっと明確でないものを擬人化するというのは少し違っていてまた印象に残ります。「池袋」を演じた上瀧征宏のコミカルさ、落ち込み具合、擬人化キャラとしての圧巻。

「夜の〜」肉親だけれど、独立してそれぞれにある生活。今更娘や息子の世話になるのは躊躇する気持ち、旅行して時間を共有してゆるやかに流れる時間のなかで熟成されていく気持ち。それは何かの決心につながるかもしれないけれどその「過ごした時間」こそが重要なのだ、というのは頭ではわかるけれど、自分がまだそこに直面していないのだなとも思うのです。しかし、ふと目にした表情や容姿、あるいは声の「張りのなさ」といった母親の老化を自分の中で咀嚼し、沈殿させる作業を丁寧に描き出すのです。

オリジナルな物語はタイトルからして来週にもつながりそうな感じ。東京という場所に居続けること、滅多に帰らずに飛び回ること、東京という場所にでてきて夢破れるということなど、ゆるやかにそれぞれの物語をつなぎます。

「群青」は写真家とのコラボレーション。劇団のこともとり続けていた彼が撮った写真、ものがたりにきちんと寄り添うように風景も人間たちも描かれていて効果を生みます。「ピエロ〜」では公園を中心に360度のパノラマ写真をスライドして見せていくというのがうまい感じ

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速報→「裸の女を持つ男」クロムモリブデン

2011.4.16 19:30

クロムモリブデンの新作、インモラル感満載なのにシアタートラムでの上演。95分。24日まで。

作家の男、モーテルでドラッグを服用した女が死んでしまう。編集に相談し、編集は闇業者を手配して死体を片づける。いったんは現場を離れたのに、女の姉とカメラマンに疑われてしまい現場に戻る。いっぽう片づけの下請けを依頼された売れない役者はさらに危ない友達に孫請けさせる。隣の部屋には軟禁されている美女、モーテルを切り盛りするのは母にべったりの息子。そのモーテルを逃亡生活している元アイドルが訪れる。

ドラッグと芸能人をめぐる去年の大きな二つの話題。元アイドルと夫のドラッグを巡る逃亡生活、ホテルに呼んだ女がドラッグで死んでしまったのに適切な措置を講じなかったこと。「ボーリング犬~」の例を引くまでもなく、作家が感じる、世間で起きている「どこか変じゃないか」ということが原点なのだろうと思います。ドラッグをめぐる話、それをまるでラリっているさなかのように描き出すクロモリ特有の手法とのが合わさった絶妙な効果があります。

が、それを観ているアタシにとっては、その芸能人たちの話題があまりに遠く感じられてしまう、というのは彼らのせいではありません。311に横たわる大きなギャップは、やはりいかんともしがたいのも事実なのです。そういう意味では先週の北京蝶々も状況は同じなのだけれど、選挙にばっちりと重なるという奇跡が起きた彼らよりも、さらに不利な感じは否めません。

それでも圧倒的なちからを持つ役者を多く抱え、そこにたったひとりの客演としても圧巻な辰巳智秋。開演でそこに入るだけでトラムの空間を埋められる希有な役者のちから。 あるいは編集者を演じた渡邉とかげ、物語の要所を押さえるということもさることながら、いままではコミカルが強い印象だったのに実にスタイリッシュに美しく。 出落ちかと思わせるぐらいに印象が違う森下亮、ヤバいけれどヲタクとはちょっと違うサイコな感じが 実はスタイリッシュでカッコイイ。 久保貫太郎は序盤を支え、怪しいアジア人、仕事できる感じでしっかりと。元芸能人を演じた奥田ワレタの逃走生活の目だ棚さの中に光ってしまう何か、あるいは幸田尚子の色っぽさ。

息子と母親の造型、マザコンをこんなにもストレートにひとめでわかってしまう感じに作り上げたのはちょっとおもしろいと思うのです。

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速報→「三日月に揺られて笑う」BoroBon企画

2011.4.16 14:00

去年、タニマチ金魚が上演した土田英夫作を、新しいキャスト・演出で。115分。17日まで。江戸川橋駅近くの新しいカフェ付きのパフォーマンス空間、絵空箱。

記憶力のないアタシで、みる前は物語をすっかり忘れていたのですが、開演間もなく思い出した女たちのホラー。土田英夫が描く女性はわりと可愛らしくてでも怖い感じが多いのだけれど、まさにその女性たち三人を真ん中に据えた物語。 どうやって生計を立てているか、今一つ納得できない感じ遊覧船乗り場という不思議な空間。セミパブリックだけれど、他の人がほとんど舞台に現れなくても不思議はない感じ。 ★ネタバレかも★

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2011.04.11

速報→「15Minutes Made TOUR」Mrs.fictions

2011.4.10 18:00

今年はこれで打ち止めの15分対バン形式オムニバスは、東京に加えて大阪へのツアー形式。在阪劇団も加えての125分+トークショー(観られなかった)。10日までシアターグリーンBox in Boxシアター、そのあと大阪。

気になる女の子をクラスメイトと待ち伏せる駅前の喫茶店、果たして女の子は友達たちとやってきて「恋心」(ミジンコターボ)
一年生の時に出会った先輩は写真部なのに妙なストレッチをしていて、美しい人なのになぜか友達がいなくて。就職して久しぶりに出会って仲良くなったけれど、私は伝えなければいけないことがあって「わたしのせんぱい」(劇団競泳水着)
夏、部屋でおっぱいのことばかり考えてゾンビのように眠り続けるだけの生活をしていた男、が、そこに凍った少女を見つけて「vol.5.4 夏に」(ロロ)
自身はあまり伝えたくない隠れた偉人伝、ファーブルはひとり家に戻ると糞ころがしの生態を知りたくて、観察を続けるうちに、同化してしまうようで「M.Mushikun」(劇団ガバメンツ)
お風呂で一人、33年生きてきたけれど結構がんばってるけれど、ここの幸せ、まるでどこかに飛んでいってしまいそうなふわふわとしあ幸せ「浴槽船」(FUKAIPRODUCE 羽衣)
食事をする女、前に座る男。産むと決めた女に本当に大丈夫か、なにか助けることはないかと男は問いかけるが、女の意志は固く「殴る蹴る」(Mrs.fictions)

大阪の二劇団を加えて、気楽に楽しめる感じでバランスのいい仕上がり。

ネタバレかも

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速報→「東京の空」オーストラ・マコンドー

2011.4.10 14:30

マコンドー・プロデュースで、遠山浩司の作で95分。10日まで王子小劇場。

ワンルームのアパートに隣あう三部屋に住む女たち。「小宮夏」は一人、さみしいと思い電話をかけて話したいと思いながらも伝えることができず、酒に溺れ、毎夜違う男とひとときを過ごす。「星野雫」は引きこもっているが、毎日ドアの外で声をかけ続ける男が居る。「山田秋」は自宅を見知らぬ男に荒らされ、捜査の間行き場がなく先輩の女性の家に転がり込むが、そこには同居している同い年の男が居て。

三人の若い女性の物語を核に、周囲に居る男たちを添えての物語の構成に。それぞれに恋が成就したりしているエンディング。そのきゅんとする瞬間のようなものを描きたいのだろうなとは思うものの、物語のカタルシスというようなものは今一つ伝わりづらい感じ。女の想いが伝わる「夏」、男の思いが成就する「雫」に比べると、「秋」の終幕は少々とってつけた感じではあるものの、「もてない男(アタシだ)」への福音という一種のファンタジーという読み方をするというのもアリかもしれません。

なるほど、東京の空を共有する女たち男たちそれぞれの物語で、静かな感じの邦画にありそうな仕立てだけれど、このゆっくりと流れる物語の余白を濃密に成立させるのは相当に困難だという感じがします。

岡田あがさは、一途な想いのあまり酔って荒れたりする感じの迫力だけれど、居酒屋のカウンターに座り思いを寄せる幼なじみとパブリックな場所で見せる表情がすてき。梅舟惟永は、恐がりパニックを見せる序盤、先輩の家に転がり込んでからの安堵と「家」という場所の安心感の笑顔のコントラストがいい。後藤剛範と神戸アキコの軽妙な掛け合いと、終盤でのどこか幸せな感じもいいコントラストです。和希沙也という人を知らなかったのけれど、役柄の上からほとんど台詞がなく、舞台の上で居続けることで圧倒的な存在感が要求されるというのは少々荷が重い感じも。

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速報→「パラリンピックレコード」北京蝶々

2011.4.9 14:30

「あなたの部品」( 1, 2)の別視点の物語。前作から始めた外部演出が奏功の軽やかさ。95分。10日までシアタートラム。

障害者アスリートの男、ライバルに勝ちパラリンピックに出ることに。ライバルの男は失意のうちに引退を宣言する。イシハラ都知事は父親の果たせなかったオリンピック招致の夢を果たすが、日本のメダルの期待ができないことから、義手義足などを使ったパラリンピックにメダルの期待をかけるために補助金を増やすことにする。有害だと判断された出版物の規制条例は安定して運用されてきていて、いわゆるエロマンガは地下で取り引きされるようになっている。漫画家や障害者、精神的な弱者たちはビッグサイト跡地の地下に要塞を作り女王以下、隠れて暮らしている。
ある日、イシハラ都知事はサイボーグ化されたアスリートたちに拉致される。

トークショーによれば、一年半前に提出した企画書では統一地方選挙の日程は知らなかったのだといいます。あまりにタイムリー。が、これを書いてる時点ではこの物語の警鐘は果たされそうにない残念な感じ。

イシハラという名前の人を仮想敵として中心に据え、マイノリティーとの対立を軸に物語を作り上げていきます。障害者を物語で扱うとどうしても陥りがちな感動というものには繋げないというのはちょっと新しい感じで、たとえば障害も個性の一つ、という耳あたりのいい言葉で片づけないところに作家の覚悟を感じます。それでも、マイノリティーに配慮することができないという都知事の姿もまた、ある種の障害というかマイノリティー

正直に云えば、都知事、障害、マイノリティー、表現規制など、題材を盛り込みすぎているきらいはあって、広げた風呂敷や話題を回収し切れていない感じは受けます。

軽さやある種の薄っぺらさが全面に出てくる中屋敷演出だけれど、アタシが彼の演出で好きなのは、たとえば目をつぶっていても らしく、声や音を重視した演出がアタシは大好きです。たとえば姉を演じた帯金ゆかりや、女王を演じたコロの声の可愛らしさにやられます。あるいは、サイボーグを演じた4人にそれぞれ登場のテーマ曲を歌わせたり、スポーツライターを演じた安藤理樹の探るような声、あるいはアスリートを演じた堀越涼、山本卓卓の改造後には訛りのある言葉をしゃべらせたり、あるいは 「プリウス」というダジャレに至るまで、iPodに入れて繰り返し聞きたいぐらいに音としての楽しさにあふれています。

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2011.04.04

速報→「無い光」MU

2011.4.3 18:00

MU三本立て公演のもう一本は、「視点」と題された企画公演の中の一本を加筆改訂、男女反転した65分。3日までOFF OFFシアター。

臨死体験をした人々のインタビュー記事を連載しているライターの女。臨死から帰還した人々が例外無く「光を見た」という、という流れで連載が続いている。最終回としてインタビューしているのは有名なイラストレーターの男。同窓会をきっかけにやけに世話焼きな女もついてきている。三人は中学の同級生。締め切りまで間がない夜、ライターの家に来てインタビューの大詰めを迎えている。
終電の時間も近くて帰宅する男、中学校の頃に借りたままだったものを返すといって紙袋を渡す。懐かしいCDや本に混じって「遺書」と書かれた封筒が入っている。

実際のところ、トンデモ臨死体験になりかねないベース、そこから広がる実際の人々の思い。笑いは少ない物語だけれど、ぎゅっと65分の濃密さとあいまって見入るのです。

テキストはかなり大幅に増強した印象。もともと鴻上尚史の「トランス」へのオマージュとして書かれただけに、同級生、屋上の体験、というエッセンス。それよりもずっと下の世代らしく、合法ドラッグ的な尖ったものと、世話焼きな女のある種の強引さという時代の持つ優しさが同居する感じは新しい時代を感じさせます。

ライターの女を演じた古市海見子の恥ずかしがる告白のシーンが好き。アシスタントの年上の男を演じた成川知也、ほぼ一回り違うという(当日パンフでは10歳上、なんだけど)、年下の女に寄せる恋心が切なくて、でも告白できてちょっとうれしく思うアタシはどうなんだ、中学生か。世話焼きを演じた渡辺磨乃、ある種のうざったさをコミカルにしかし真摯に。

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速報→「あ、ストレンジャー」マームとジプシー

2011.4.3 13:00

深川の小さなギャラリーでの公演。4日までSNAC。50分。

海に電車ででられるようなほど近い町。カラオケ店のバイトを二日休みをもらった女の子、電話の向こうの同僚はちょっと不機嫌だったけれど。同居する女の子は何か気を遣っているよう。休みの日、なにをしよう、そうだ海に行こうと思い立ち。そこでカラオケ店のバイト仲間の男の子に会う。そういえば昔、ここに来たなって思い出す。

床にテープと文字。町を俯瞰したシンプルな地図になっています。電車(のおもちゃ)や様々雑多に置かれたものたちで舞台を作り出していきます。枠にはめたガラス一枚で窓にも鏡にもするというのはシンプルでスタイリッシュ。

コドモのシリーズをいったん終わらせて、湘南、江ノ電沿いを思わせる小さな町の四人の若者たちの話は彼らの等身大っぽさ。確かに恋だったりバイトだったりというのがトッピングされているし、それぞれの役者の等身大ゆえの、年齢なりの色気のようなものがどうしても出てしまうのだけれど、それでも、物語の骨子は、今までと変わらない感じがします。つまり、シンプルな想い、別れに際しての気持ちの激しい揺れとか。でも、当日パンフによれば、カミュ「異邦人」を部分的にモチーフにしているといいます。それを読んで、少しアタシの気持ちは変わります。

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速報→「トップ・ガールズ」シスカンパニー

2011.4.2 18:00

圧倒的な女優陣と物語のおもしろさは折り紙付きなのだけれど、加えておそらく演出、あるいはシンプルな舞台の装置の新鮮な驚きが楽しい150分(休憩10分込み)。24日までシアターコクーン。

人材派遣会社で男の上司を追い抜き、トップに立った、強いキャリアの女。それをしみじみかみしめる夜、パーティのように、歴史上の「トップ・ガールズ」たちが集まり、彼女に寄り添う。
現実のオフィス。職を求める女たち。若くキャリアアップが見込まれる女も、あるいは年齢がいって「転職してないことに焦る」女、あるいは働いたことなどない女など、どうみてもキャリアが望めない女もやってくる。トップに立った筈の女を田舎の姪っ子が一人で訪れる。実力主義で自分がのし上がっていくのが正しいと信じているけれど、どこか「足りない」姪っ子には将来のキャリアは望めない。思い出すように、少し前に田舎の姉の家を訪れた時のことを思い出す。田舎で沈んでいくような姉とはいつも口論になるけれど、姪っ子のことは気にかかってしかたがなくて。

脳内、歴史上の「トップ・ガールズ」たちのパーティの場面。不利な社会状況の中で男に負けないどころか超越する女への風当たり、足を引っ張るのは男も女も。恋の心、子供を持つこと、隠すこと。歴史上の女たちを並列的にならべることで、時代が進んでいるのに根本的なところでかわらない女性の社会的な立場というものを物語の下地として鮮やかに敷いていきます。

現代劇のパートは、人材派遣(というよりは転職・就職のエージェント、という感じですが)の会社で男性を押さえてマネージャになった女性を軸に、会社に訪れる女性たち。ふわふわとした憧れだけだったり。あるいは実力もあるし現職に不満もないのに、転職しなくちゃという焦り。そこからさらに変わった終幕は、そのマネージャーの姉の家でのできごとから、彼女自身の抱えるジレンマが、社会に置かれた女性の位置の変わらない障壁に起因していることが鮮やかに描かれるのです。

厳しい見方をすると、彼女自身の、ひいては女性たちの置かれた苦悩や厳しさを描くばかりで、じっさいのところ問題はなにも解決していないのだけれど、それはまったく問題ではありません。そこにいまある問題を見せる鮮やかさ。それは物語自体のすごさもさることながら、演出の鮮やかさが実にすてきなのです。

テーブルと椅子、舞台を区切る長方形のフレームの角度を変えたり、その次の場面から現れるのは背景に場所や大きさをかえながらするすると現れる「光る面」。ごくシンプルなこれだけの装置で、映像のようなカット割が印象的でなによりスタイリッシュに作り出されるのはちょっとすごい。実力めいっぱいの女優ももちろんだけれど、このパッケージというか見せ方は実にスタイリッシュで、キャリアの女、という物語の雰囲気にもよくあっている感じで印象的。なにより、するすると光の面が広がったときの、うあっという驚きとわくわくする感じ、やってることはシンプルなのに、広い舞台を濃密な空間に変える魔法がそこにはあって、気持ちを鷲掴みにされてしまうのです。

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速報→「変な穴(女)」MU

2011.4.2 13:00

MUが二週末を三演目する公演。90分。先週の男版よりも見目、楽しいのはまあ、あたしがオヤジですが。2日までOFF OFFシアター。

なんだかわからないけれど大金を稼ぐ男、阿佐ヶ谷のマンションの一室に「ドレー」と呼ぶ女たち。稼いだ大金を意味のないくだらないことにいかに浪費させるかに生きがいを見いだす男。意味の分からないくだらないことで悪くな給料がもらえる女たち自身だって、それほど困っている訳ではない。

言葉やシチュエーションは細かく変えつつも、びっくりするぐらい先週の男版と同じに物語も台詞も運びます。女たちには、家主の男に対する切実さは薄く感じられますが、そこに居つづけて場を保つことの切実さを強く感じるのはなるほど、「女性たち」の視点。

正直に言うと、物語の流れとしては「男版」のほうがしっくりきます。が、女たちが強く自立している平成の世では「女版」もいわゆる入れ替えのおもしろさ以上に現実の女たちに通じる片鱗がそこかしこに。ドレーな筈なのに、パワーバランスは圧倒的に女たちにある、といいう構図もおもしろいのです。

男を演じる太田守信は、インテリヤクザ風情だけれど、女たちへの愛情が平等で、深い感じ。コミカルなところも結果的にすべて引き受けていてきっちり。かき回す5号を演じた外山弥生は男版ともっとも違う印象の作り方だけれど、「寝間着姿」で「下手に」出つつ、その場を掌握する、という圧巻なのです。辻沢綾香はコミカルを下支えし、須藤真澄は華やかさを添え、松葉祥子はメガネに隠したかわいらしさ、島崎裕気の人の好さ感が楽しい。

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2011.04.02

速報→「廃墟」時間堂

2011.4.1 19:30

演目を変更して三好十郎の「廃墟」(青空文庫解説)をがっつり150分。10日までシアターKASSAI。

戦後すぐ。焼け出された教師とその家族、親戚、知人たちが洋館に一部屋焼け残った居間を借り受けている。戦争と教育の責任を感じた教師は学校に勤めず、闇買いに手を出さず、明日食うものにも困る有様。学生が見かねて復職するように勤めたりするが頑として聞かない。焼けてしまった家の工賃を取り立てに来る女もいたりする。 その教師、長男、次男、叔父たち男どもは共産主義と不良と教育の責任の激論を交わしている。家を切り盛りするのは次女。もう一人切り盛りする、元教え子の妹は叔父がつれてきたが、魅力的で長男は心を惑わせる。

2時間半という上演時間に恐れをなして、青空文庫でざっと読んでから観ました。直前まで読んでいた台詞、記憶力ないアタシでもそこかしこ割と覚えていて、そこから役者を得て立ち上がる舞台は不思議な感覚。読んでいなかったとしたら、この時間、自分が緊張感を全編にわたって維持できたかは甚だ心許ないところなのだけれど、この物語の濃密さと終盤のほっぽり出し具合を楽しく観られるのです。

頑固なまでに信念を貫く教師と、戦争が人生を変えてしまった人々。あの戦争はもう二度とごめんだ、という想いは同じなのに、その先どうしていくかは全く異なる意見の人々。

正直に言えば、地震の前だったらアタシの感じ方もずいぶん違っていたと思うのです。人間がやってしまった「戦争」と、天災である地震との違いはあれど、そこに翻弄された生活の場所を描き出しているのです。もちろん、その切実さは今のアタシ自身にはないのだけれど、それでもずっと身近に感じられるというのは、今のアタシだから、なのです。

酒が入り至った男たちの大激論。もちろん彼らはしごく真面目なのです。共産主義にしたって、崇高な教育の理念にしたって、あるいは世を儚んでの投げた感じにしたって、それぞれの男たちの言葉は、立派かもしれないけれどどこか虚ろに響きます。トークショーで演出家が言った「通夜の時に酔って激論する親戚のおじさんたちと、それを横目に片づけたりするおばさんたち」という構図がじつにぴったりする感じ。その片づけする女たちの地に足をつけた感じが力強い。

こういう役は珍しい気がする猿田モンキーの重厚、弱々しさと矜持とが同居する力強さ。酒巻誉洋の優男、斜に構えた感じがカッコイイ。菅野貴夫のきまじめ、鈴木浩司の軽やかに物語のリズム。高島玲の幼さないけなげさと、難しいことは判らなくても世界が「見えている」感じの説得力。百花亜希の色気、ああ確かに彼女が一つ屋根の下に居たら惚れるよな、というこれも説得力。

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