2011.4.17 15:00
KAKUTAが定期的に続ける朗読企画、その1週め。125分。17日までアトリエ・ヘリコプター。
写真を撮るために世界を飛び回っている女が、久しぶりに帰国し馴染みの古書店に顔を出すと、祖父から受け継いで離れられないといっていた女主人の姿はなく、冴えない中年男が居眠りをしていた「グラデーションの夜」(桑原裕子)
歌舞伎町でノしてきた暴力団、その組長は暴走族あがりのどこか甘いいまの組ではこれ以上上には行けないと感じていた。ある店の客引きの男が組に入れて欲しいとやってくる。任侠映画を観て感動したのだという男はエセ広島をしゃべり甚だ怪しいが、その目の奥の鈍い光に組の未来を託そうと組長は考えてだ「ネオン」(桐野夏生, 文春文庫「錆びる心」所収)
女は、しゃべりおもしろくすることで居場所を得ている。酒場で出会った歯科医の男と3度寝たのに、ある日手痛く振られてしまう。傷心のまま夜の公園を歩くと、ピエロ姿の男が「動かない」パフォーマンスをしている。声をかけると返事があって、とりとめのない話をしたら、自分の気持ちが楽になることに気がついた「ピエロ男」(田口ランディ 文春文庫「ドリームタイム」所収)
ある朝目覚めると、ほかに比べてあまりに中途半端で同列に並べられることに自信をすっかりなくした「池袋」がやってきてグチを云う「正直袋の神経衰弱」(いしいしんじ 新潮文庫「東京夜話」所収)
父親が亡くなってから荻窪の一軒家で暮らす母親は兄や自分の同居の申し出を断っている。ある日、私は母と自分の車に乗せて温泉まで一泊旅行をすることにした。「夜のドライブ」(川上弘美 文春文庫「あなたと、どこかへ」所収)
朗読とはいいながら、ほとんどの役者には動きもつけられて、芝居に仕上げています。この朗読シリーズは、戯曲でない小説を使うことで、ト書きにあたる「地の文」もすべて読み手に読ませるという手法を、すっかりと彼らのものとしているのです。たとえばキャラメルボックスのハーフタイムシアターが時間を短くするために説明の台詞を数多くしてでもテンポよくまとめあげているのと同じように、地の文を「喋って」しまうことで、気持ちの動きすらもダイレクトに言葉として観客に伝えてしまうことで短い時間の中にわりときっちり物語を詰め込むことに成功していて、結果として時間のわりに密度の濃い仕上がりにしているのです。
全体を緩やかにつなぐオリジナルも含め、「東京で暮らす」ということにフォーカスした感じの物語を集めた「群青」編。
「ネオン」は、はいあがりたいというハングリーさの欠けた若者たちのなかにあって、見所がありそうな沸点の低い若者の物語。その若者を眩しく、あるいは自分の昔の姿を重ねて見ている組長との対比。そこそこに勢力を持ってきているためにどこかぬるま湯な今の幹部たちへの不満や不安がその気持ちを増大する、なんてのは、いまどきある程度の大きさの会社の経営者ならきっとみんな感じるだろう若者観が、暴力団という組織ですらも同じだというのがちょっとおかしい。急転直下なオチは音楽と、その(物語では語られない)部分を写真のスライドショーに仕上げたことで、より効果的に効いています。若い男を演じた尾崎宇内の野心に燃えた感じの表情はきりりと締まり、かっこいいし、スライドショーでの表情もちょっといいのです。組長を演じた成清正紀の人間味あふれる感じもいい。
「ピエロ男」は人間らしい気持ちのぶれを捨てようと決心したピエロの男と、うまくやってつもりなのに、手痛く男に振られてしまった女の公園での会話。何気ない会話、しかも驚くほど平板に答える男との会話が楽しく、どこか惹かれてしまう女。ピエロが答える「ロボットになりたい」が、さらに徹底して「あらかじめ予測してプログラムのように想定問答で作られている受け答えしかしない」というあたりに至って、これはいわゆる人工無能なんだけど、それを大まじめにやる男のこっけいさもさることながら、その会話に惹かれてやまないという女はどこかコミカルであって、実は深く悲しいのです。「雷に打たれたようにダメージをくらう」というあたりの演出はコミカルを通り越してまるでマンガだけれど、最近なかなか見られない桑原裕子のこういう演技は楽しい。優しいいい男キャラを独占している感もある若狭勝也は、このフラットな感じですら優しさに見えてしまうというのがすごい。
「正直袋〜」(あ、正直ふくろう、かもしかして)所詮山手線の中に居ることなんかできない田舎なのだという自責というか自信喪失してしまった「池袋」の物語は発送の奇抜さでいきなり物語に引き込まれます。擬人化という意味ではたとえばギンギラ太陽'sのスタイルだけれど、「まち全体」というもっと明確でないものを擬人化するというのは少し違っていてまた印象に残ります。「池袋」を演じた上瀧征宏のコミカルさ、落ち込み具合、擬人化キャラとしての圧巻。
「夜の〜」肉親だけれど、独立してそれぞれにある生活。今更娘や息子の世話になるのは躊躇する気持ち、旅行して時間を共有してゆるやかに流れる時間のなかで熟成されていく気持ち。それは何かの決心につながるかもしれないけれどその「過ごした時間」こそが重要なのだ、というのは頭ではわかるけれど、自分がまだそこに直面していないのだなとも思うのです。しかし、ふと目にした表情や容姿、あるいは声の「張りのなさ」といった母親の老化を自分の中で咀嚼し、沈殿させる作業を丁寧に描き出すのです。
オリジナルな物語はタイトルからして来週にもつながりそうな感じ。東京という場所に居続けること、滅多に帰らずに飛び回ること、東京という場所にでてきて夢破れるということなど、ゆるやかにそれぞれの物語をつなぎます。
「群青」は写真家とのコラボレーション。劇団のこともとり続けていた彼が撮った写真、ものがたりにきちんと寄り添うように風景も人間たちも描かれていて効果を生みます。「ピエロ〜」では公園を中心に360度のパノラマ写真をスライドして見せていくというのがうまい感じ
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