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2011.03.29

速報→「国民の映画」パルコ

2011.3.26 19:00

三谷幸喜、といえばコメディという気がしますが、笑の大学に近い感じの重い物語。4月3日までパルコ劇場。そのあと大阪、横浜。休憩を挟んで185分。

宣伝大臣の自宅。「風とともに去りぬ」が好きで、国策映画をつくることが役目で、検閲の権限も持っている。 自宅の豪邸には映写機が置かれ、豊富な映画の知識をもつ従僕の男と会話を交わしながら映画を観るのがなによりの楽しみだった。
ある日、映画人たちを招き、ホームパーティを開くことにする。重鎮や新進気鋭の俳優や監督たち、果ては出版が禁じられた作家までが招かれる。招待していないのに親衛隊隊長や空軍元帥までが現れる中、宣伝大臣は、最高のスタッフとキャストでドイツが世界に誇れる最高の映画を作りたいのだと打ち明ける。

意識して予定をくんだわけではないのですが、ナチスとユダヤ人、収容所という史実を下敷きにした、わりと重い話を昼のパラドックス定数に続けて観ることに。実在の人物を登場させて、記録として残っているエピソードを描きながらも、「描かれていない場面」を作家の豊かな想像力を飛翔させて、説得力を持って描き出す、という手法もよく似ています。パラ定では定番だけれど、三谷幸喜の描くものとしてはちょっと珍しい感じだけれど、「笑の大学」に通じるところはありますが、こちらの方がさらに数段話題も事態も深刻です。

芸術を監査・監督する職業、という大臣を軸に。映画が好きだということの想いはあふれても、実はその感想すらも借り物で自分の言葉で語れない、というのはまあ少々嘲笑なニュアンスはあるものの、アタシにもおもいあたる節が。 しかし、芸術を保護するという権力の前にすり寄る映画人たち。それは映画が作れるというだけではなくて、自分の命を守るための切実さ。そのすり寄るという行為自体を非難することができないのです。

本筋の物語の凄惨さ、その予兆は物語のそこかしこに蒔きながらも、前半までには、ほのかな恋心や、野心、コミカルな虫好き、あるいは女好きと笑いもたくさん。時代背景の深刻さはあっても、楽しく観られる感じ。休憩後もしばらくはミュージカル風の場面があったりとなごやかに進みます。が、終幕近くになって、不用意に聞かれてしまった一言。少なくとも表面的には一つの目的を何とか共有できていたその場の人々のチームは一瞬にして崩れさり、決裂は決定的になるのです。人間がある民族を5年で消し去ろうとする、「あの方の意向」を疑問として感じない思考停止、そこでやっと席を蹴ることの時すでに遅し感。それは表現を規制するという点では今の日本の私たちにだって通じる何か。例えば表現規制をイマドキ強引に薦めてしまう知事とか。そこで声を上げておかないと、取り返しがつかなくなるのだ、ということを静かに、しかしまっすぐに描き出すのです。

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