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2011.03.31

速報→「変な穴(男)」MU

2011.3.27 17:30

MUの3本立て公演。男女の二版あるうちの男版。90分。3演目を交互に3日までOFF OFFシアター。

なにをしているかはわからないが、高収入を得ている女。マンションの一室にドレーと呼ぶ男たちを囲っている。湯水のようにドレーたちに金を与え、どれだけくだらなく無駄に使えるかを競わせている。妻子を持つものもいて、ほかに働かなくても十分暮らしていける。マンションの一階にあるコンビニで働くかわいい女の子には同じコンビニで働く3号と呼ばれる男と、別の仕事もしている4号が恋心を抱いている。

MU常連、という感じではない見慣れない役者たち。荒唐無稽な設定を説得力というよりは、より芝居臭い作りものっぽさを全面に押し出した感じで正面突破。拘束されているわけではなくて、高収入と引き替えのノルマと罵倒という感じで、むしろ喜々としてそこに居るのです。自分の心にあるという「穴」を埋めてほしいと女は切実に訴えるのだけれど、それは明らかにされません。今時の人々、それなりの欠損感のようなものと、そこを埋めてほしいという切実な気持ちはあるのだろうけれど、じっさいのところ、そんなものはないんじゃないか、あるいはそれは埋められるものじゃないんじゃないか、なんてことを少々の苦笑とともに描き出しているという気がするのです。

あとからやってくる厚顔なドレーを演じた浜野隆之、この部屋の主を演じた渡辺磨乃の作りもの感が気楽な笑いのベースを支えます。コンビニ店員を演じた奥野亮子は男たちが夢中になっちゃう説得力と、裏の顔の落差が楽しい感じ。

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2011.03.29

速報→「裏屋根裏」燐光群

2011.3.27 14:00

燐光群2002年初演の代表作を初めてスズナリ公演。140分。31日まで。

一人が寝ればほぼいっぱいの小さな組立式ボックスは稀少なオリジナル版からコピー版が大企業からも発売されたり、改造用パーツ、マーケットまで発生して一大エコシステムとなった。オリジナルには人型の落書き「屋根裏ハンター」が描かれていてオリジナルの証となっていた。
いわゆる引きこもり、夫から逃れたい女、張り込みの刑事、避難用山小屋の代用、とアングラではあるが広がりを見せたが、中から死体が見つかるなどの事件を経て禁止されていく。海外の紛争地帯での防空壕、ホームレスの住居などにも使われていく。
男は、学生寮の中に置かれていた屋根裏で死んだ弟のことを追い求めて、製造している工房を探している。

「裏」屋根裏、と題してはいるものの、英語・韓国語をミクスチャしてる以外は拍子抜けするほどオリジナル版と同じ印象。役者はかなりシャフルしているよう。オリジナルでアタシが好きな登校拒否の少女を江口敦子から樋尾麻衣子になっていて。初演では色っぽい女を演じていた彼女の変わりように、ああ、女優って怖いなぁって想ったり想わなかったり。まあ、「ゴリラ」ってあだなつけられそうもないのが難点といえば難点。

初演が2002年。思えば9年も経ってるのだけれど、おもしろさのようなものは衰えず。そういうエポックメイキングが社会を変え、それが禁止されての使われ方のようなものを描いていくのは、「引きこもり」ということ自体があまり目新しさを感じさせない題材になっているにもかかわらず、芝居としての鮮度が落ちていかない感じなのです。

コンパクトな場所にこその価値ってのは、ある種「茶室」につながるようなところがあって、クールに感じさせる、というニュアンスの題材だった気がします。今作はその日本のクールさという部分が減った感じで、もっと冷静な、沈みゆく日本、のようなニュアンスを感じてしまうのは、観ているアタシの側が変わったのかなぁとも思ったり。

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速報→「国民の映画」パルコ

2011.3.26 19:00

三谷幸喜、といえばコメディという気がしますが、笑の大学に近い感じの重い物語。4月3日までパルコ劇場。そのあと大阪、横浜。休憩を挟んで185分。

宣伝大臣の自宅。「風とともに去りぬ」が好きで、国策映画をつくることが役目で、検閲の権限も持っている。 自宅の豪邸には映写機が置かれ、豊富な映画の知識をもつ従僕の男と会話を交わしながら映画を観るのがなによりの楽しみだった。
ある日、映画人たちを招き、ホームパーティを開くことにする。重鎮や新進気鋭の俳優や監督たち、果ては出版が禁じられた作家までが招かれる。招待していないのに親衛隊隊長や空軍元帥までが現れる中、宣伝大臣は、最高のスタッフとキャストでドイツが世界に誇れる最高の映画を作りたいのだと打ち明ける。

意識して予定をくんだわけではないのですが、ナチスとユダヤ人、収容所という史実を下敷きにした、わりと重い話を昼のパラドックス定数に続けて観ることに。実在の人物を登場させて、記録として残っているエピソードを描きながらも、「描かれていない場面」を作家の豊かな想像力を飛翔させて、説得力を持って描き出す、という手法もよく似ています。パラ定では定番だけれど、三谷幸喜の描くものとしてはちょっと珍しい感じだけれど、「笑の大学」に通じるところはありますが、こちらの方がさらに数段話題も事態も深刻です。

芸術を監査・監督する職業、という大臣を軸に。映画が好きだということの想いはあふれても、実はその感想すらも借り物で自分の言葉で語れない、というのはまあ少々嘲笑なニュアンスはあるものの、アタシにもおもいあたる節が。 しかし、芸術を保護するという権力の前にすり寄る映画人たち。それは映画が作れるというだけではなくて、自分の命を守るための切実さ。そのすり寄るという行為自体を非難することができないのです。

本筋の物語の凄惨さ、その予兆は物語のそこかしこに蒔きながらも、前半までには、ほのかな恋心や、野心、コミカルな虫好き、あるいは女好きと笑いもたくさん。時代背景の深刻さはあっても、楽しく観られる感じ。休憩後もしばらくはミュージカル風の場面があったりとなごやかに進みます。が、終幕近くになって、不用意に聞かれてしまった一言。少なくとも表面的には一つの目的を何とか共有できていたその場の人々のチームは一瞬にして崩れさり、決裂は決定的になるのです。人間がある民族を5年で消し去ろうとする、「あの方の意向」を疑問として感じない思考停止、そこでやっと席を蹴ることの時すでに遅し感。それは表現を規制するという点では今の日本の私たちにだって通じる何か。例えば表現規制をイマドキ強引に薦めてしまう知事とか。そこで声を上げておかないと、取り返しがつかなくなるのだ、ということを静かに、しかしまっすぐに描き出すのです。

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速報→「Nf3 Nf6」パラドックス定数

2011.3.26 15:00

パラドックス定数の二人芝居を改訂再演。27日までアートコンプレックスセンター。舞台には椅子がありますが、むしろチェス盤で向かい合うシーンの方が多いので、そちらを中心に。100分。

捕虜収容所の一室。目隠しされた捕虜らしき男と軍服の男。銃殺されるところを危うく助け出してつれてくる。一局、二局。チェスを指すふたりはかつて数学者として共同で論文を書いたこともあった。軍服の男は暗号を解読され自軍が劣勢になってきていることに焦っている。捕虜の男が、その暗号解読に関わっているのではないかとおもって探し出したのだ。

パラドックス定数の初演では壁一面を黒板とみせての演出が印象的でした。サンモールスタジオ主催の再演にも黒板がありました。今回はすこし演出を変えて、チェス盤と紙に書いた数式という体裁。彼らの話では珍しく、ウエットに兄弟などの想いをからめた感じなのだけれど、それを初演よりもさらにウエットにしたかんじがします。

小さな盤の上で行われるさまざまの戦い。上演台本に棋譜はあるようですが、芝居としてはほとんどその盤上野出来事は語られません。でも、二人の間に流れるある種の熱気と緊張感が存分に。

わかりあう空気、向かい合ってはいなかったけれど、一つの美しい「暗号」の向こう側に相手の姿を見つけていたふたり。決定的に悪くなっている状況は互いにわかってはいるのだけれど、それでもやはり離れたくない気持ち、お互いの立場のはっきりとした溝。

期せずして夜の「国民の映画」と同じ時代の話。規模感の圧倒的な差はあるけれど、史実の隙間に作家の豊かな想像力を紛れ込ませる、という点ではこちらのほうがむしろお家芸。緊張感持たせたまま走りきるということのすごさも感じさせるのです。

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2011.03.23

速報→「解ける/恍ける」セカイアジ

2011.3.21 14:30

26.25団の杉田鮎味と従妹の星野多過去という二人ユニット、105分。21日まで。21日夕方に設定されていたイベントは中止になっています。

タコしか採れない小さな町。温泉地だったが最近は団体客目当てのいかがわしい店が増えている。海を望む古い喫茶店。三姉妹と長男が営む。とうてい儲けなどないのに使用人を雇い、学校に行かない三女のために家庭教師をつけられるのは、本家の父親が養ってくれているから。大きめの蛸壺の中に赤ん坊が入れられたという10年前に起きた事件は、古くから伝わる「いけにえの儀式」とのつながりから噂になり、時折物好きな観光客が訪れたりしている。
いよいよ父親の余命いくばくもなく、どうやって生活資金の提供を本家に続けさせるのか考えた結論は。

全体にはおどろおどろしい、横溝正史っぽい感じのホラーミステリーテイスト。正直に言えば、謎が謎をよぶ、というよりはたくさんの謎を唐突においていきながら、それを回収しないまま放りっぱなしの印象で、物語を楽しむと云うよりは、ミステリーっぽい骨組みを新劇っぽい口調で演じ、苦笑系の笑いが混じるような体裁。役者のそういうわざと作った「お芝居感」に乗っかれるかどうかがこれを楽しめるかどうかを分ける気がします。

古い喫茶店を舞台にしてぜんぜん生活感のないまま不自由なく暮らしている姉弟たち。町に伝わる「いけにえ」の風習、特殊な毒蛸の存在、やたらに長女が固執するバルサン、手に手を取って逃げる使用人と男、本家の父親という設定など、ミステリーっぽさの断片を並べて見せているけれど、それを繋げたものがたりにする、という感じではなくて、ちょっとびっくりします。

長女を演じた異義田夏葉は、滅多に観られない真っ赤な口紅に上品な口調。あるいは旅行者を演じた前園あかりも可愛らしいふつうの大学生っぽい感じが、ちょっと新鮮。

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2011.03.21

速報→「夏への扉」キャラメルボックス

2011.3.20 14:00

ロバート・A・ハインラインの名作SF (wikipedia)を初めて舞台化(DVDは当面発売なし)。福島正実訳の文庫版(2010.1初版)で350ページを越える原作はさすがにそのままとはいきませんが、スピード感と想いのあふれる140分。地震の影響かどうか、週末も含めて当日券は厚めにでているとのことです。27日までル・テアトル銀座。( 予告編動画)

猫とロボット(ハイアード・ガール=家事を行う)設計をするエンジニアの男。共同経営者のはずの男、婚約者に裏切られる。それでも経営者の11歳の娘はその婚約者のことが嫌いで、猫のことが好きで。裏切られて酒浸りの日々の男は「コールドスリープ」で30年後に目覚めようと考える。裏切った二人にもう一度会いにいった男は術中に落ちて意図しないまま、コールドスリープさせられてしまう。

当日パンフに演出家が書いているとおりSF冬の時代。それでもスピード感と想いにあふれるタイムトラベルものの名作の輝きは失われません。彼らが連作している「クロノス」のシリーズや「スキップ」につながる、名作SFの舞台化は、キャラメルボックスの一つのお家芸になりつつあって、安心感と信頼感いっぱいなのです。

昔に読んだはずなのだけど、本棚にどうしても見つからず、終演後もう一度買い求めました。もちろんいろんなところのことばは古いけれど、SFの醍醐味がつまった物語。少ない役者で多くの登場人物を演じ分けるためにキャラクタに走る演技には好みが分かれるかもしれませんが、ストーリーラインをしっかりと語りつつ、笑いもはさみ、演出で走りきるのです。本を読んでみれば、主役の立場で語られる物語が俯瞰になっていたり、ずいぶん端折ったり、変えてるところもあるのだけれど、舞台として成立させるための手法だということはよくわかります。

猫を演じる筒井俊作、男を演じる畑中智行、娘を演じる實川貴美子を中心に走る物語は、しっかりと劇団の新しい世代の成長を感じさせます。コミカルを演じる坂口理恵、渡邊安理がしっかりと支えます。ロボットを演じる四人の見事さ。

なによりアタシの心を動かすのはヒールの役割を一手に引き受ける岡田さつき。美しくて男を手玉にとる前半、それから30年後の醜悪という後半のコントラスト、彼女なりの理由があるのだろうけれど、説得力と迫力で演じきるのです。

普段のキャラメルボックスではカーテンコールが二度三度が常態化しているのだけれど、電力削減のためにと一回で打ち切ると 云われ残念な気持ちになった直後、代わりに通路を通って役者が退場というプレゼントが見事。そう、こういう細かな工夫と観客を喜ばせるということの積み重ねがキャラメルボックスだということを実感するのです。あるいは、開演前にプロデューサーが語りかける地震の注意点が、実に細やかです。照明が音を立てて揺れる程度で芝居を止め、それ以下なら続けること、前方列がオーケストラピット上に作られていて役者の動きが振動になること、携帯をマナーモードにしても地震速報で鳴ることがあること。この細やかさは特筆に値します。

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2011.03.20

速報→「劣る人」elePHANTMoon

2011.3.19 19:30

elePHANTMoonの新作、初日の変更を乗り越えて90分。23日までサンモールスタジオ。

駅前の再開発からははずれてしまったカラオケ、カウンタ、テーブルのあるスナック。ママ、売れっ子、若い娘、慣れない娘。男二人の客、普段着で訪れる依存症気味の妻、その夫、入れあげる中年、酒屋、タクシー運転手。狭い街の中で色恋。

同じ劇場の一つ前の公演は一日も公演を打たずに中止、今作も初日をずらして、という非常事態。避難場所や劇場の安心感をきちんと説明するというのは、しばらくどこの劇場でも続くと思うけれど、小さな劇場ほどこういう情報は確かに安心に。

なるほど、友人たちの好評がうなずける、さまざまな立場にリーチする構成。スナックで起こる恋物語、依存、嫉妬、片想い、金のこと、一途さ。群像劇のようにさまざまにスケッチしていく感じの運び。どこで集約していくのだろうとは思いつつ、それぞれのダイアログ、役者がそれぞれきっちりと説得力を持って立ち上がります。

こんな美人揃いの場末スナックはどこにあるのですか、という(オヤジ的な)楽しさ。見目麗しく、華やぐという眼福。瀬戸山美咲を役者として観るのは初めてな気がしますが、なかなかどうしてな説得力。終幕近く、永山智啓との二人きりの会話の圧倒的な密度、その数分間の観客にたいする開示の仕方の鮮やかさはもちろん作家手柄だけれど、役者二人が演じることて圧巻で今作のアタシにとってのベストシーン。

ふつうの会話をする芝居を初めて観た気がする二階堂瞳子、早くあがりたくてママに許可を求めるシーンが好きです。川嵜美栄子は身体の大きさと不器用さが若さに、主婦を演じる重実百合は他では観られないような微妙に病んでいる感じにみえるのが、それぞれに説得力があるのです。あるいは江ばら大介がみせる貸し借りの解決のあまりのかっこよさ。保田泰志の演じる入れあげた男がアタシにとってはむしろ近い感じで、明日は我が身の戦慄なのです(笑い事じゃない)。

ネタバレかも。

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速報→「〆(しめ)」自転車キンクリートSTORE

2011.3.19 14:00

自転車キンクリートSTOREの新作、120分。27日までRED/THEATER。

アパートの一室に籠もっているライトノベルの作家の男。書いてきた人気作最終巻の締め切りはとっくに過ぎ、現行の催促を怖がって電話もテレビもネットも遮断してゲームに没頭している。
突然現れたファンだと名乗る女が部屋に上がり込んでくる。いきなり世間の人々がゾンビ化している、自分も噛まれたのだが理性や知性をなくす前に、大ファンの物語の結末を読みたいがために、やむにやまれず訪れた。夢見がちちゃん、虚弱体質のかまってちゃん、逆境のなか強くいきる母親、とことん男らしいのに純粋な乙女体質、と次々現れるファンは、最終巻が締め切りを大幅に過ぎているのに一文字も書けていないことに絶望しつつも、必死で理性をたもち、脅し、なだめすかしてなんとか最終話を書かせようと部屋に軟禁する。

部屋の外は「滅びそうな世界」、書けない作家を物語を求めるファンが軟禁という構図。作家の書けない節という話は数あれど、ぶっとんだ設定でほんとならコミカルに突っ走り逃げきり、終幕のちょっと不思議な余韻を楽しむという感じなのでしょう。ここからの謎解きが見たいという気もします。が、ゾンビ、というSFな設定をもってしても、現実の惨事の余韻のなかにいるアタシには、笑ってみているのに、物語に没頭できない何かがじゃまをします。現実に直接リンクするような台詞はない(注意深く手直ししているのかもしれない)けれど、意識しないでみるのは、アタシにはちょっと無理があります。そういう意味ではアタシが現実に引きずられる観客である以上タイミングの不幸というのを感じずにはおれません。

直接の知り合いではないけれど、blogなどを通じて感じる作家・飯島早苗(にアタシにはみえる)がそこかしこに顔を見せる感じなのがおもしろい。 劇中の作家の書けないままに傍目には遊んでいるようにしかみえない、というあたりだったり、 作家がおもしろくないと感じてしまったがためにまったく頭の中で動かなくなってしまった物語だったり。あるいはファンの人々、乙女がちも男らしさもきっぱりとした強さもどこかに作家の姿が見え隠れします。

作家を演じた瀧川英次はだめ人間一人語りの序盤から巻き込まれ型だったり一途さだったりとしっかりと。和田ひろこのクールビューティーというのは意外に見ない気がしますが、なかなかにしっくりと。

ネタバレかも。

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2011.03.15

速報→「未来永劫」年年有魚

2011.3.13 13:00

年年有魚、再演企画として2007年のオリジナル版と、2011年の改訂版を交互上演企画。アタシが見たのは2011年版です。95分。13日まで相鉄本多劇場。

四人姉妹の長女が自宅を開放して営む助産院。三女夫婦が出産を控えてここで寝泊まりしている。忙しさから口数の少ない四女が家事全般をこなしている。ある日、両親の七回忌にも姿を見せなかった次女が、親友の結婚式に出るために訪れる。

初演は拝見してないのですが、観たひとに聞くと、ほとんど別の物語になっているのだといいます。その友人がいうには、洗濯物の取り込みだけが共通、といってもいいぐらいだといいます。真偽はわかりませんが、女たちの暮らす日常の家事のなかから、洗濯物で取り出したのだとすると、食事のどこか高揚した感じとは違う淡々とした日常を描きたいのじゃないかと思ったりします。

見慣れた年年有魚の役者は一人だけ、の2011版、三女はことさらにコミカルに、四女はひときわ伏し目がちで静かに、助産助手は宝塚男役風と、かなり強くデフォルメされた描き方で、正直にいうと少々戸惑います。オリジナルとなる2007版を観ていればまた違う印象なのではないかという気もします。

結婚して妊娠までひと、婚約したけれど結婚していないひと、恋人はいるけれど結婚が見えない(不倫の雰囲気も)ひと、人を好きになったことがないひと、を四姉妹に。強く何かを主張するというのではなく、女性の断面をそろえて見せるコントラストの妙。

口数少ない四女の雰囲気が好きです。感情を排した口調なのだけれど、姉妹にはすこしばかり突っ込んでみたりというのはリアルな感じ。長女三女があまりにキャラクタを強く持っているのでその対比としても静の部分を背負っていることは印象を強くします。全体に地味に描かれた四姉妹の中でひときわ華やかな次女、アクセントとしても印象に残ります。

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2011.03.13

速報→「5seconds」パラドックス定数

2011.3.12 19:30

公演中止が相次ぐ( 1, 2)中の上演。開演前に地震や停電による中止もありうる、というコメントのついた100分。いままでより少し長めになっています。13日までアートコンプレックスセンター。ほぼ二人の位置は座ったまま変わりませんから、開場時の椅子の位置関係を参考にして二人の表情を狙いましょう。

羽田沖で着陸直前に墜落させた機長と接見する弁護士。事実関係はほぼわかっているが、機長がなぜその行動をとったのか。

パラ定の再演(1994)、風琴工房の上演に続いてのアタシ的には3演め。いままでの印象は、わりと暗い照明のなか中で息詰まるような男二人の濃密な会話劇でした。今作では全体に舞台は白っぽく無機質、役者の違いもあってずいぶん印象が異なります。息詰まる台詞の応酬ばかりではなく、そこに生きている人物がもっと浮かび上がるような印象が強いのです。

ネタバレかも

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2011.03.08

速報→「サザンカの見える窓のある部屋」カムヰヤッセン

2011.3.6 18:30

カムヰヤッセンの番外公演、劇団員の役者5人だけでがっつり80分。6日まで「楽園」。

東京から夫婦が訪れる。迎えた家には研究者の男とその息子、家政婦。男は「チップ」開発の第一人者。脳に入ってきた記憶を埋め込んだ記憶媒体に蓄積する技術を、自らの脳にも、息子の脳にも埋め込んで実験をしている。限りのある記憶媒体なので時々外部にバックアップする必要がある。訪れた男もまた研究者で、そのチップに書き込まれた記録をたどって「失われた記録」を取り戻そうとしているが、その目的は隠している。
が、親子両方の記録を嘘をついてまで手に入れたことがわかり、訪れた夫妻は目的を話すしかなくなり。

体に埋め込む「チップ」に記憶を記録する、というSF風味の設定、記録が改竄されてしまったという事件の仕立て。現実にはまだ生きている妻(母親)を死んだものとしていたり、居たはずの家族がないことになっていたり。「記憶のゴミ」と呼んでいる周辺記憶の断片からなくなった記憶がよみがえる、というのはSFに限らずわりと実感できる感じなのも説得力を感じさせるひとつなのかもしれません。

記憶の回復、という感動のシーンを見せる演出上の効果は物理的にビックリさせる、というごくシンプルな手法だけれど、目が覚めるようなインパクトを与えていて、ちょっと巧い感じがします。

作演を兼ねる北川大輔は役者としてみた場合には発声などがかならずしも良くはないけれど、父親とか研究者という落ち着きに説得力があるのは今作でも健在で、役者としても好きです。遠藤友香里は少々コミカルさがちょっと意外な感じもするけれど、包むような「相談を受けるシーン」のしっとりはちょっといい。甘粕阿紗子はもまた、別の視点で男を包み込むよう。劇中語られる「おおきな中学生」というのは作家自身に向けられた言葉なのか、と思ったりもします。いや、勝手な想像ですが。

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2011.03.07

速報→「したごころ」恵比寿駅前バー

2011.3.6 16:30

エビス駅前バーを使ったオムニバス形式で4本、ロングラン。60分。12日まで。チケット料金とは別に1ドリンクの注文が必須、というスタイルです。ちらし持参や、「したごころ」割引が設定されています。こちらも予告編映像があります。

ゆるやかに繋がる四つの物語。
(1)勉強に余念がないけれど、レシピも会話もいまいちあか抜けない女性のバーテンダー。木曜日だけの雇われだが、料理blogで人気が出た幼なじみと一緒に週一回、店を任されている。
(2)マダム風情の身なりのいい女、待ち合わせたのは若いホストの男。男は偶然居合わせたチンピラ風の男に弱みを握られているよう。ホストではあっても、真剣に結婚すら考えている男が意を決して告白しても、女はすでに結婚を決めていて。
(3)恋人の男を連れてきた常連風の若い女。結婚の約束をしていて海外挙式をどうするかなんて会話をしている。が、バーテンダーはその女が別の男とも婚約していることを責めるが女は意に介さない。別件の待ち合わせに訪れた別の女が、その男を別の名前で呼んでしまって。
(4)待ち合わせの女。チンピラ風の男とつきあっていて、女は自分が悪いのだと自分を責めて、別れることができないという。居合わせた男はこの手のもめ事に詳しく、それはカウンセリングによって低すぎる自己評価を正しくして別れる方策を練ろうとする。

(1-2)忙しかった一日、互いにいい歳の二人、親もうるさい。結婚なんてさらさら考えていないのだけれど。

バー公演数あれど芝居のために料理を用意するというのはさほど多くありません。料理やカクテルのレシピをうまく織り込み、恋や愛の小さな物語を作りだします。レストランとバーという形の違いはあれど、遊◎機械全自動シアターの人気企画「ア・ラ・カルト」を彷彿とさせる感じ。

小気味いいちいさな物語、その間に挟まる「客の流れ」を示すインターミッション。たとえばふわふわしたまま金も払わずに帰る女だったり、「ノルウェーの森」を持って顔を知らないまま待ち合わせた文学カップルのすれ違いとか、終電で走って帰る女二人連れとか、茶番ちゃあ茶番、コスプレといえばそうなんだけど、これがなかなかで、「バーという半公共の場所」を印象づけます。

探偵を演じた山﨑雅志の誠実さと妙な正義感。 空気読めない、少々間抜けなバーテンダーを演じた蒻崎今日子は、ありそうでなかなかない役柄で新鮮、コミカルさの間のすごさのようなものが。 美しいのに真面目さゆえにあか抜けない、さらに不幸が似合ってしまうという意味で鈴木麻美は今作においても絶品で、強く印象に残ります。まさかの看護師役二連チャンなのだけど、ぴったりなのです。

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速報→「ネズミ狩り」チャリT企画

2011.3.6 14:00

王子小劇場での2008年初演作を再演。キャストを入れ替えたバリエーションで13日まで、こまばアゴラ劇場。125分。予告編映像があります。初演は王子小劇場・佐藤佐吉賞「最優秀脚本賞」の一本。

物語のさわりを書いてしまうと、ネタバレになる感じがします。まっさらな状態で観て欲しいので、物語は『続き」に。

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速報→「とりどりの咲く歌」スミカ

2011.3.5 19:30

準備公演を経てのスミカの旗揚げ。85分。6日までAPOCシアター。

その家にはおばあちゃんと女の子が住んでいる。おばあちゃんは花壇を綺麗にしていて、花を育てるのが得意。ある日、おばあちゃんは突然家を出て行方がわからなくなる。認知症が出たのだ。

かわいらしいチラシ、物販も可愛らしいグッズがいっぱい。そういう印象とは裏腹に、わりと切実に消えゆく人を描く物語は少々重い話ではあります。根幹をなす祖母と娘の物語のほかに、交番を中心とした昔とこれからの恋の物語の予兆は示されますが、それほど大きな物語にはなりません。アタシは作家の書くこういう物語に興味津々ではありますが、今作では物語の軸を一本に絞ったのでしょう。

まだ幸いにして、認知症や徘徊の介護という経験はありません。親が長生きすればいつかはこうなる、ということを見せられた感じ。なるほど言葉ではわかっているつもりだった「否定せず受け入れること」というのが実感できる感じ。

象が死ぬときには人目につかないところへいくのだ、という挿話される話は。なるほどこれが終幕直前にリンクするのです。

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速報→「漱石小遣帖」菅間馬鈴薯堂

2011.3.5 15:00

菅間馬鈴薯堂の新作。「台所から見た夏目漱石」を描く90分。7日まで王子小劇場。公演前から草稿がサイトにアップされていたりして、ページの体裁は素朴でも実に「今」を感じさせる劇作です。

明治44年の5月末、漱石が修善寺で吐血し死にかけたあとの非。妻の鏡子が身ごもり、女中のお房が名古屋に嫁ぎ、長男がジフテリアにかかり、という日々のこと。

漱石の史実を取り込みながらも、軽快な語り口だったり音楽に乗せたりと、不思議なファンタジーの仕立て。登場人物がずらりと並び口上のように自己紹介したりという軽快さを見せたかと思えば、嫁ぐ女中と奥さんの静かな会話劇だったり、あるいは強烈な夫婦喧嘩を見せたかと思えば、互いを思いやる気持ちの交錯が見えたり。物語というよりは、風景の点描を手を変え品を変え見せる、という感じがします。

草稿を書いたものとして読むと題材もあって、少々古い言葉な感じはします。でもそれを俳優が喋るときに、そこにある、私が生きている今の空気もまとうようにかんじる言葉が並ぶのです。

夫婦喧嘩の迫力あるやりとりとそこはかとないウィットがなかなか若い作家では書けないような感じ。演じた小田豊のとぼけた感じも、稲川実代子の高いテンションも印象的です。くず屋を演じた加藤和彦の軽やかさも印象に残ります。

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2011.03.01

速報→「ホテルロンドン」国分寺大人倶楽部

2011.2.27 18:00

国分寺大人倶楽部の新作。支援会員セレクションという枠だそうです。27日まで王子小劇場。105分。

ラブホテルの三つの部屋。もう3日も逗留してひたすらセックスし続ける年上の女と学生らしい男。センセイと呼ばれる優しそうな男と若い女。あいてる部屋を自分の住処にしている女とアルバイトの男。近くでは札付きの男が殺された、という話で少し騒がしく。

劇場を2×3のブロックにし、客席と舞台を市松に配置。3つに分けられた舞台がラブホテルのそれぞれの部屋。どの席でも見やすい、というわけにはいかないけれど、客席が舞台にとけ込んでいる感じになっているのはうれしい。どの舞台に近い席かによっても印象は異なる気がします。

3日逗留の男女は、ひたすらに抱き合い、しりとりに興じ、時間をつぶします。訳ありの年上の女に溺れる若い男、ではあるけれど、ここに居つづけている理由は、女のひとことを発端にした終盤で明かされますが、じっさいのところ、その理由は重要ではなくて、そういう「溺れるように」居続けるというシチュエーションとその「気持ち」こそが描きたいことだと思うのです。全体に女のキャラクタを厚めに描いているのだけれど、このパートに限ると、その溺れる男の気持ちにこそあたしの気持ちは寄り添ってしまうのです。終幕のオチは、まあ男ってのはねえ、と、これも身に染みる。

センセイと若い女の部屋。誕生日だという客の電話にケーキを買ってきたり無料でマッサージしたりというやたらにアットホームなある種のいい加減さが、ラブホテルという場所だけれどその暖かさみたいなものが見え隠れするのが楽しい。センセイの秘密とそれでも包み込むような若い女という構図は印象的ですが、そこから派生する結末は余りに悲しいけれど、その抱擁が素敵。

住んでしまっている女は惚れた男がイギリスに行っているのだと信じきっていて、彼の「一時帰国」の結婚という言葉に簡単に乗って金を渡してしまう、というのはステロタイプな描き方だけれど、女の純情、その裏を知ってしまったのに、女に真実を話すことできない友人の男の純情もまた切なさすら感じるのです。

物語のうねりだったり、大きな感情や感動の動きのようなものというよりは、そういうシチュエーションでの細かな気持ちのゆらぎを描くことに作家の視線は向いている気がします。ラブホテルという設定で、下着姿の女優たちを観る眼福はさておいても、その過激そうに見える舞台設定は、裸であること、パーソナルな空間であることゆえの「裸の気持ち」が、その「ゆらぎ」さえもあからさまになる、という装置として機能させているラブホテルという場所の使い方は印象に残るのです。

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速報→「石神井ポルカ~平成編~」散歩道楽

2011.2.27 15:00

同じ古いアパートの部屋での二つの時代のものがたりのうちの平成編。アタシはこちらがわだけ観られました。90分。27日まで「劇」小劇場。

古いアパートの部屋、もう住人も減っていて男二人だけが住んでいて、管理人も居なくなって、大家も滅多に顔を出さないのに、まわりは立て替えられているのになぜかこの建物だけが古いまま。ろくに働かない部屋主の男は寝坊や欠勤が続いてバイトをクビになってろくなことはない。彼女は決して裕福ではないが、彼のことが本当に好きで金を渡したりする。
ある日、部屋で深酒をした二人が目覚めると、見覚えのない浮浪者の中年女が寝ていた。その女を捜してチンピラが殴り込んでくる。連れ去られる時に女はこのアパートに住んでいたのだといい、大家について調べて欲しいという。

もう一本の昭和編がベースの物語のようです。こちらだけで見ると、浮浪者の女がかつて暮らしていたアパート、そのアパートをめぐる物語が骨子になっています。アパートを買い取って昔のままにしておく大家の想いというようなことが物語の一転突破のポイントでファンタジー。物語はごくシンプルなのだけれど、そこに肉付けするようにだめ男とよくできた彼女、というある種バカップルぶりだったり、あるいは間の抜けたチンピラというちょっとぬるい感じのコミカルが全体を貫きます。この微妙なぬるさゆえに時間を長く感じさせるように思います。

鶴ひろみというベテランの声優にホームレス風だったりガーリーな服を着せたりという一種の出落ちをねらっているけれど、そこよりはやはり声というものの圧巻が印象に。三好絵梨香は可愛らしく麗しい。なるほど、客席の男子率の高さは彼女故というのも納得。安東桂吾はこういう緩いダメ男風をやらせると圧倒的に巧い。すっかり可愛いポジションの鉄炮塚雅よ、アタシの座った場所が失敗、表情がほとんど観られなかったのは残念。

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速報→「ドロシーの帰還」空想組曲

2011.2.26 19:00 空想組曲の新作。オズの魔法使い(プロジェクト杉田玄白)を下敷きに、クリエイターたちの物語を120分。27日までレッドシアター。

ダークファンタジーを描き続ける作家、救いのない人がばたばた死ぬ話をかいていたら、それをまねして殺人事件が起きた。でも、それの悲しさがわからない。父親に拒絶され、あえない。が、その物語を読んで救われる人もいて。

若い作家たち、それぞれの欠損や得意技を見つけたりしながら、そこに集まっている意味、居続ける意味。嫌われて叱咤激励をする意味。

若い作家たちの「トキワ荘」っぽい場所と、彼らがあこがれる20年選手の作家・ドロシーの物語。ダークファンタジーで世間からの強い糾弾を受けたけれど、なぜそうなったのか理解できないドロシー。糾弾が作家の深さを増した面はあっても、恋愛すらしたことがないまま、物語の中に閉塞するような作家の姿。

いっぽうの「作家の卵たち」は、集い高め合うばしょがあって、開かれているように見えます。心というものがどうしても理解できなかったり、仕上げることも、恋人と距離をとって仕事に打ち込むこともできない弱気だったり、あるいは自分の強みはテクニックだということはわかっていても、肝心の語るべき物語がなかったり。それぞれの若者たちの欠損、それを自覚するステップは、ちょっと眩しい感じすらします。

父親の元に戻りたい、という「オズの魔法使い」でのドロシーに物語は重なります。それを後押しするのは、自分にかつて勇気を与えてくれた読者の手紙の主が、目の前で賭だそうとしている若い作家だったというのはよく考えると直接の関係はない気もするのですが、物語の雰囲気というかある種のグルーブ感に巻き込まれたアタシは、その力強く家に戻る一歩を進めたドロシーに気持ちが揺れるのです。 小玉久仁子、久保貫太郎は得意技を封印。居続ける人々の静かなつながりをきちんと描き出します。井俣太良は圧巻の格好良さと色気。梅舟惟永の恋心が好き。川田希の一途さ。中田顕史郎の嘘を説得力でねじ伏せるちから。ファンタジーだけれど、しっかりと隅々まで存在感と説得力のあるものがたりを語りきる力は、俳優陣の隙のなさにもある気がします。正直に言えば、少々登場人物の数が多い気がしないでもありあませんが。

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