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2011.02.07

速報→「コドモもももも、森んなか」マームとジプシー

2011.2.6 14:00

2009年作の再演。がっつり110分。STスポットで7日まで。前売りは完売しているようですが当日券も少数ながら用意しているようです。

三姉妹が住む団地の5階。小学校に通う長女、次女。末っ子は保育園。母親は一人で子供を育てていて、長女次女が保育園に迎えにいくまいにち。小学校の友達は時々遊びに来るし、遊びに行くし、団地のタイボク公園が見える。兄弟とも友達とも喧嘩するし、お金のある家もあるし、男子はうるさい。
水族館にお出かけした日曜の次の日、友達と喧嘩してからその次の日曜日まで。

ここ一年続けてきた子供のシリーズはこれでいったん打ち止めとか。子供の頃という枠組みを使うのはたしかに効果的で、自分の努力ではどうにもならない家族や親のお金のこと、子供だって悩みを全力で抱えているのです。友達がかってもらったものも買ってもらえないし習い事もさせてもらえないなんておことやあるいは、ちょっとした恋心、あるいは親の都合でこの町をでていくこと、かれらにとっては全身全霊の悩みが、ちょっとした箱庭のように凝縮されて詰められている感じ。

一週間のなかで時間軸は頻繁に行き来します。曜日はいわれるけれど、前後関係は終盤に至るまであいまいなままです。同じシーンの繰り返しってのはアタシは苦手な演出なのだけれど、マームのそれは多用されているのにまったく飽きないし楽しいのです。たった一週間のできごと、というのも効果的。子供の頃は一日のコマがたくさんあって、めまぐるしかったなぁとか。(なんせ時間割だって6限まであって、そこまでいってもまだ3時前だ)

一方で、子供たちの物語ではあるのだけれど、それに限らないと思うのです。毎日がめまぐるしいからこそ、大人だったら時間かけて流れる時間がたった一週間でも、いろんな人間関係の「変化」を描ききることができるのです。だから 仲良くなったり喧嘩して口もきかなくなったりの些細なこと、それが彼女ら彼らにとっての重大なことなのは変わらないけれど、それをあからまさに口にできるというのは、子供という世界を設定したからこそなのだとアタシは思うのです。

大人の女性が子供を演じるということはもちろんメイクや演技の技術というのもあるけれど、ある種の特権的な肉体ゆえということすら感じます。それを特に感じさせるのが三女を演じた召田実子。全身で暴れ渾身に泣くのです。笑いもとりながら、迫力すらあるのは圧巻なのです。

男性の演じる子供、実は若者に見えてしまうなぁとか思っていたけれど、中学生になっても大差ない、なるほど高校生でも大学生でも大差ないまま成長していくのだよなぁ男子ってのは、とおもいつつ。それに比べると女優の演じる子供、そのあとの中学生の違いが楽しいな、と観てておもうのです。

いっぽうで、中学生になっても、この先に何かありそうなワクワクする感じがない、というのはテン年代の作家の描く時代の閉塞なのかともおもうのです。

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