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2011.02.14

速報→「ゾウガメのソニックライフ」チェルフィッチュ

2011.2.13 14:00

神奈川芸術劇場のオープニングシリーズの一本。チェルフィッチュの新作。90分。神奈川芸術劇場大スタジオ。

夢の中でみた彼女はすでに居なくて、でも現実にいる彼女はもちろんまだ生きていて、いろんなことを考えて動いている。旅にでたいできれば海外にというけれど、僕はそうしないで済む現実の日常を大切にしたいということを考えて、煮詰まってしまう。

ずいぶん久しぶりに拝見した気がします。ほとんどがモノローグで、旅に出たいという彼女と日常が大切だという彼氏の、前半は彼氏側の語り、終盤は彼女側の語りという感じ。モノローグで全体にゆっくり、しかもぽつりぽつりという感じで、せりふの数は多くありません。若者の言葉の騎手のように言われることもおおいけれど、会話はほとんどなくて、メタなとらえかたをした言葉が多く、作家はすでに日常の若者たちの会話、ということには興味が亡くなっているのではないかと感じます。

クラブらしい場所の三人の会話がほぼ唯一の会話らしい場面。ここでみせる山縣太一の誇張した若者っぽさが客席の笑いという反応を誘うほぼ唯一のパート。数少ないピースを、自分で大量に補完して作家の描きたいことを想像する、というのはたとえば短編の詩のような味わいといえばそうかもしれませんが、アタシが芝居に求めてるものからはさらに遠くなってしまった、という感じではあります。

かつてのチェルフィッチュでは会話があり、リアルな会話の無駄な反復やノイズ、所作の合わさったあたりが注目を集めたとおもうのです。物語としてみるとごくシンプルなささいな気持ちの動きを描くという感じなのは変わりません。が、言葉は二人の男女のかみ合わない会話の内面に拡散し、所作はまるで様式のように、その会話とは無関係に存在しているという風に感じてならないのです。

ネタバレかも

ゆっくりと生きるゾウガメと音速のように早い人生であるソニックライフという言葉の組み合わせ、それを象徴するようなできごとのあと再び電車に乗る女を淡々と描いての終幕は、何か切ない感じで印象的。

冒頭に描かれる、「彼女が死んでいたらいいのに」というのは、ことばだけ聞くとめいっぱい極悪非道な感じだけれど、独りで生きていれば考えがずれるということはない、というのを端的に、ショッキングに揺さぶられる感じではあります。が、日常を大切に、という彼のことばには、自分一人の日常、ということだけで誰かとともに生きる、という視点がこれっぽちもないのだな、というのはちょっと不思議な感じすらします。もっとも、人と生活していないアタシがいっても、それは全く説得力がないわけですが。

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