速報→「投げられやすい石」ハイバイ
2011.2.20 14:00
ジェットラグ名義での初演をハイバイとして再演。大野城まどかぴあ大ホールという大劇場だけれど、その舞台上に客席もしつらえるという「狭く使う」ことで、東京での上演と規模感としては変わらないと想像します。20日まで。85分。
新進気鋭の画家として注目を集めていた男。あこがれを持っていた僕は彼にどこか気に入られていて、持ち上げてもらうような感じだった。しかし、彼はある日突然姿を消す。2年たったある日。すでに僕は当時の彼の彼女と結婚して絵を描かなくなっていた。突然連絡をよこした彼と待ち合わせたコンビニでは万引きのふりを見とがめた店員に理不尽な目に合わされたりもするが、彼自身もやせこけ、頭髪もまだらに抜けたという見た目ばかりでなく、激高しやすく、絵を描いているというプライドは高く、突然姿を消したにもかかわらず、彼女に言い寄ろうとして、あまりにも変わり果てていた。
初演の時は、ともかくコンビニ店員の理不尽な暴力、みたいなところが強烈な印象が残っていて、軽く扱われる私たち、みたいなとらえかたをしていたのだと思い出すのです。 じっさいのところ、そのあとに描かれる彼の変わり果て具合、のようなところは物語は思い出すものの、相対的な印象としては薄かった感があります。
が、芝居が変わったのか、それともアタシが歳を取ったのか、今作での印象はもう少し違っていて、もっと 才能というのとは違うけれど、ある種の「むかしの栄光」とそのプライド、一方でほかにはあてがなくなってしまって「昔の彼女に言い寄る」という情けなさのないまぜだったりというところの苦みが、アタシの心に深く刺さります。
あきらかに狂人の領域に足を踏み込みかけている、かつては輝いていた近しい人、というフォーマットで世間に広く認知されているのは、機動戦士ガンダムの最初のシリーズのアムロと父親というのが思い浮かびます。ガンダムの設計者だったけれど、その改良と称して作っている箸にも棒にもかからないような小さな装置ともいえないようなガラクタを「こんなもの」といって投げ捨てるシーンの強烈な印象。それが、友人であり恋人でありという関係の中で、同じ年代の友人として見えることの悲しさ、みたいなものはより強く気持ちにひっかかります。
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