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2011.01.31

速報→「くちびるぱんつ」ぬいぐるみハンター

2011.1.30 19:00

アタシは初見です。90分。途中入場が難しい客席構造なので、早めの入場を。31日まで王子小劇場。

宇宙を漂っているヤンキー風の二人組は通りかかった銀河鉄道に拾われる。同じ列車に乗り込んできたのは機械の体を探しにいく少年たち。あるいは何百年ものあいだ宇宙を漂い続ける家族たちは、毎日騒がしく暮らしている。学校に行きたくない女子高生は、公園で出会ったホームレス風の男が誘う地球防衛軍に入ったものの何事もおこらない毎日。
ある日、地球防衛軍の集う公園の裏山に謎の物体が二つ続けて飛来する。いよいよ地球防衛軍の発動か。

王子小劇場の舞台を反対向きに使い、中央にジャングルジムのように組まれたイントレ、キャットウォークの左右端に梯子と滑り降り棒を設置。テンションの高い音楽と走り回る役者たち。特にジャングルジムを中心にして解放した扉を使ってトラックのように設えて疾走したり、キャットウォークを縦横に走り回る感じ。こういうと、バナナ学園が思い浮かびますが、迫力やテンションという点ではそうともいえますが、こちらはずっと芝居寄りで、たとえば往年の双数姉妹のよう。

宇宙と恒久の時間の流れを扱ってるわりにはずっと身近で下世話な感じがアタシの身の丈っぽくて親しめます。それでも終盤で見せる友達とか、親しいもの、という想いの「続きそうな感じ」というのは確かにアタシにとっての恒久の時間。役者が円形に走り回るなど「わが星」な広がりの要素がないわけではありませんが、なぜかそれが矮小になっていく感じが面白い。

それほど多くの出番ではありませんが、劇団のプロフィールに「怪優」と名指される神戸アキコは確かに圧巻で、テンション芝居の役者として目立つというよりは、どこかぼやき漫才風情の突っ込み具合が面白い。そのわりにエアロビクス風にガンガンカラダを動かすというのも今更ダンスか、とおもいつつも、その熱気というかテンションに気持ちが煽られてると感じるのは、自分が年取ったからかなと思ったりも。

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速報→「明るい表通りで― On The Sunny Side Of The Street―」文月堂

2011.1.29 19:30

三谷智子の文月堂の2007年旗揚げ公演をパワーアップ再演。90分。30日までシアタートラム。

古い商店街のたばこ屋。母を亡くしたあと、三人姉妹の長女が店を切り盛りしている。次女は結婚し家を出てバリバリと働いている。三女は芝居に明け暮れていて、住む場所のなくなった先輩の男も泊めたりしている。この商店街を貫くように幹線道路と駅をつなぐ道路工事が持ち上がり、商店街には地上げの男たちが出入りするようになる。そろそろ潮時だろうという次女だったが、頑として聞かない長女は、この場所に居続けたい理由があって。

昼にみた猫の会と不思議なほど背景となる地上げと頑なな主人公という構図は似ています。そこに居続けなければならないことという点では一方は文学というクリエイター目線だけれど、今作は待ち続けている女、というもっともっと普通にありそうで女くさい視点。

まだまだ何にでもなれる、どこへでも飛んでいけるという三女の若さと、もう結婚も諦めなければならない、自分はどうなるんだろうという長女の対比、あるいはその中間点のように置かれた次女は結婚だった妊娠だったりで生き方がぐるりと変わる立場として。ある年代の女性のステージを三つにグラデーションにして姉妹として描くことで幅広い観客にフックするような厚み。

作家を評して「昭和の」とか「商業演劇のような」という指摘はおおくて、まさにその通りだと思うのです。でも、おしゃれおしゃれ、先端先端では疲れてしまった脳味噌が、こういうシンプルな「昭和っぽい」物語を、これぐらいの規模で見られるってのはやっぱりどこか「カラダが求めてる」栄養の一つなんだなと想ったりするのです。そんな昭和の風景なのに、タイトルはスタンダードジャズから。カッコイイなぁ。1

保育士から地上げに転職した、という役を演じた瓜生和成が、終盤で勝平ともこ演じる長女と二人で会話するシーンが圧巻。情けない感じすらする、力の抜けたような動きとせりふなのだけど、その一つ一つから目が離せなくて、物語に引き入れるのです。が、その直後、長女を巡る二人の男のカットは不穏な空気の後味に。結末は明確には語られませんが、浴衣を取りに行った男の明るい表情が切なさを感じさせます。

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速報→「水底の静観者」猫の会

2011.1.29 15:00

猫の会の新作。サマカトの澤唯を演出に迎えての90分。31日まで「劇」小劇場。

すでに営業していない古い旅館に住む男。この旅館の客だった有名な作家を祖父に持ち、彼自身も作家になりたいと考えているが芽が出ない。その旅館をつぶして町の再開発のための道路をつくろうという話が持ち上がっている。

古い旅館の広間らしい部屋を舞台に。文章で名をなした祖父とその束縛からなかなか逃れられない孫たち。四人兄弟の一人が真っ先に名をなすけれど、この家の現在の主たる主人公の男は、働くでもなく、書きつづけてはいるけれど、ものになる感じがしない。書きたいものはあって、その衝動もあって、繰り返し形にはしているけれど、才能というものは努力だけではどうにもならないところもあって、かといってほかにできることもない、という絶望に近い感じ。

どうにもならないと感じ続けている中での連続飲酒というのはわかりやすいアルコール依存の姿。本当の依存という姿からは少々リアリティがないけれど、朴訥とした雰囲気で静かで優しさにあふれる風体の佐藤達が演じるとまたいい味があるのです。もっとも、作家はアルコールが好きなんだろうなということは薄々感じていて、その酒飲み視点での雰囲気はあたしの気持ちにどこかマッチしたりして、明日は我が身と自戒して。

ずかずかと上がり込み、遠慮のない物言いをする編集者は、この物語の中ではかき回す意味でも、正論をプロットしていくうえでも重要なやくどころ。演じた力武修一は、終盤に至っては笑いすらとってしまう力技が冴えていて、強い印象を残します。

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速報→「Prism」*rism(アスタリズム)

2011.1.29 13:00

堀奈津美たちのユニット、*rism(アスタリズム)の写真集「Prism」の発売記念公演。90分。30日までルデコ3。

自分の部屋で大人になりたい、と呟いた女の子が開いた童話集。
町の中心、塔のてっぺんにある像の足下で羽を休めたツバメ、像に語りかけられ町の幸せでない人々に像に埋め込まれた宝石を届ける「幸福の王子」(オスカー・ワイルド , 吉田小夏)。
決して豊かではない家、小間使いのように使われている末の娘、しかし朝は寝坊するし。昨晩の舞踏会に招かれた娘、しかし王子の関心を引くことはできなかったのに、あの灰かぶりはうまいこと「ドリゼラの憂鬱」(「シンデレラ」, 谷賢一)
二人の子供を流行病で亡くした母親は甘いお菓子を作り続けて。家を追い出された姉弟がたどりついたのは、その母親の住む「おかしのいえ」(グリム童話「ヘンゼルとグレーテル」, 成島秀和)
神様はほとんどの生物を作った。最後から二番目につくった狼を手に入れたくて、交換のために悪魔は羊を作るがその可愛らしさに交換を躊躇ううちに、たくさんの失敗作を作る。その失敗作の最後にできたのは人間で「神様のけだものと悪魔のけだもの」 (グリム童話, 小栗剛)

白いコットンの、という風情の「可愛らしい」で統一された雰囲気。少女から大人の階段、とはいいながら特に女性という視点だけに拘泥することなく、貫く信念の切なさ、閉塞した中でも生き続けるということ、母親と子供の成長、人間というもの、といういくつかの物語。一つ一つの物語にはつながりは薄く、それぞれの作家の語り口を楽しむ趣向。

「幸福の〜」はどこかの国での物語じたいも、語っていることも、基本的には原作となったものがたりをストレートに。貧しい母親と娘の会話や、あるいはツバメが声をかけるスズメの「トランジスタグラマーちゃん」なんていうという言葉の選び方に現代の作家らしさを感じます。全体のバランスの中では少々長めに感じるところで、筋肉質にそぎ落とした感じで観たいなとも。

「ドリゼラ〜」は古典的なシンデレラを、ふつうなら悪役側の継母や姉たちからの視点で描くことでシンデレラを悪役に仕立てる視点の転換が絶妙。「坊ちゃん」を視点転換で描くあの名作「赤シャツ」(青年座、マキノノゾミ) と同じ手法だけれどぎゅっと凝縮15分で圧巻。今回の4本の中では凝縮感も高くてもっとも印象に残ります。

「おかしの〜」はヘンゼルとグレーテルの、そのおかしの家側の事情を厚くふくらませて描きます。子供を亡くした母親が他人の子供を迎え入れる愛情の囲い込みはやがて強い拘束となり、独立したい、本当の家に戻りたいという気持ちをもつ姉弟の決心の残酷さ。短い時間の中で唐突な感じもあるけれど、まあ童話ってのはそういうものだよなとも想います。駄々をこねた弟のために女が買ってきた(甘くない)「ポテトチップス」という小道具が効いていて、叱りながらも愛情をもつ母親の姿は、そこに居なくなっているがためによりいっそう強調されるのです。

「神様の〜」は、けだものの最悪のものが人間、という視点を。カミを食べる山羊を神が嫌うというのは少々ダジャレ感も漂いますが、それは大きな問題ではありません。悪魔を演じた百花亜希はどちらかというと可愛いタイプの顔立ちなのに、こんな感じの意地悪な視線を投げるときには強い印象を残すのだということを久しぶりに思い出したりも。

可愛らしさ、オンナノコ全面押しの写真集に比べると、舞台の雰囲気はその雰囲気を継ぎつつも、物語はそのコットン・オフホワイトの向こう側に見える残酷さやもの悲しさが強く印象に残る、という物語で構成。なるほど、オンナノコの裏側ってのは写真集では出てこないわけで、それが見え隠れするというのは立体としての奥行きが出てくる感じなのです。

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2011.01.24

速報→「SWEETS」ehon

2011.1.23 14:00

葛木英の立ち上げた新ユニットehonの立ち上げ公演。23日まで座・高円寺1。110分。

20歳で引きこもっている男。母親が呼んだ医者が時折往診に来るが、母親とはあわずにいる。女兄弟は生まれつき耳の聞こえない彼とつきあっているが、家には寄りつかない。母親は若い中古車店社長と三回目の婚約をしているが、先の二人の失踪に疑問を抱くライターと名乗る男が鍵回っている。医者や、母親が頼んだ引きこもり解消の先生の努力の甲斐あって息子は家を出る決心をする。

広すぎる座高円寺の舞台を、絵本とリアルの境界のようにつくった舞台。リビングと息子の部屋と、玄関や外の部屋になる回転するステージの3カ所の構成。上には息子の部屋の外の廊下。現実の部屋の配置を意図的に無視している感じ。なるほど、それぞれのステージが突然目の前に現れるような「絵本」ぽさがいっぱい。

引きこもり、障害者のこと、母親の想いのベクトルの間違い加減など、ひとつひとつの題材は10年来、それどころかわりと手垢にまみれるぐらいに扱われてきた題材。が、それらの組み合わせ方の妙で、舞台の奥行きはぐっと広がるのです。

どこにでもある話ではないけれど、どこにでも起こりうる話。それを支えるのが個々のパーツのリアル。「花ぐらい飾らないと」という母親の言葉というごく小さなものから、コールセンターの手順とその理不尽な要求とそれに対応する最近の手順、あるいはわりときっちりとした手話など、少なくとも違和感を感じさせないというのはたいしたものだと思うのです。

理系男子としてはMSX2(というパソコンの規格があったのです、大昔)の生産完了から20年というのにも心奪われたりするけれど、いまでも中古や互換機がいくらでも手に入るファミコンではなくて、それなりに売れたゲームプラットホームだけれど、物語の要となる「リセットできない」という故障を訴えられてもメーカーどころかだれも解決できないことの象徴として持たせるのはアタシには腑に落ちるのです。

佐藤みゆきは前半でわりとヒールを一身に背負い、上から目線という甘露を体現しながら語り部でもあり、観客のわたしから地続きを感じさせる要。地続きという意味では古山憲太郎の演じた婚約者の視点も。幸田尚子はクロムモリブデンではもっとエキセントリックな感じ(まあどの役でもそうだけれど、クロムは)なのだけれど、リアルに美人で、想いがきちんと見えるのがすてき。瀧川英次は出番は少ないけれど、怪しさ満点で楽しい。

気になるところが全くないわけではありません。 医者は息子が出て行くきっかけでおしまいなのか、拘泥するパソコンは交換するのではなぜだめだと彼が考えているのかとか、あるいは象徴的に扱われる「蟻が見える」とか、思わせぶりでかつ魅力的なアイテムがそのまま、ということがいくつか。

が、それを上回るぐらいにきちんと作り込まれた物語はたいしたもので、見応えのある、芝居らしい感じは、たとえば大きくなりはじめのときの大人計画やナイロンを見るようで、これからが楽しみなのです。

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2011.01.23

速報→「エモーショナルレイバー」ミナモザ

2011.1.22 19:30

ミナモザが一年半まえに上演したものの再演。より多くの人の目に触れるシアタートラムの企画に乗ったのは嬉しいのです。100分。23日まで。

マンションの一室。振り込め詐欺のかけ子たちの「職場」。男ばかりのこの場所に一人認められた、女を捨てた女。そこにもう一人女が連れられてきて。

ざわざわと騒がしい男たち。この「店」の売り上げに血眼になる店長、金のためと割り切った男たちの「感情労働」。感情を切り売りしているがために、割り切ったはずなのに、あっさりと崩れたり、あるいはそれまでだめだと思われていた人が頂点に立ったりのさまざま。振り込め詐欺の現場というのは、初演からこれだけ時間が経って、事件自体だって減っていないのに芝居として成立させているのはほかに例がなくて、今の時点にあわせていくつかのネタを仕込みながらも、骨子が変わらないままできちんと成立できるのは物語のちから。

物語で全体を包むのは、母親という視点でみた男たち。なるほど犯罪の現場でのいざこざも、変わらず日常に戻る男たちにこんなにポップな音楽をあてるのも、「自分のおなかの中で起きている」物語なのだというと腑に落ちるのです。装置じたいも胎内を思わせる枠と、その外側に戦争と、胎内から出ていく突破口なのか外からの光なのか、という二重のプロセニアムなのは空間をきっちり埋めるという意味でも物語に強くコミットしているという意味でも印象的です。

だし子グループのリーダーを演じた中田顕史郎は怪しさ満点で舞台の中心にいるのに物語を支えます。「あばずれ女」を演じたハマカワフミエは初演の名嘉友美とは違うベクトルに仕上げて成功しています。ケイを演じた井上カオリはびっくりするぐらい初演の木村キリコに似せているような印象ですが、より自閉感の強い方向へ。

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速報→「アレルギー」ギグル(giggle)

2011.1.22 15:00

王子小劇場のプロデュース企画。チラシをまかず、USTREAMやtwitterなどをフル活用した盛り上げ方も濃い85分。23日まで王子小劇場。

ドキュメンタリー映画のプロデューサーと監督。彼らが撮ろうとしてるのは、有名な指揮者を父に持った三人姉妹のインタビューだが、長女は旦那を放り出して実家に戻ってきていて、次女はもてないキャラいっぱいで製作会社での勘違いの日々、三女はタレント事務所の所属だが上の二人とあんまり似てなくて。

コント企画と聞いていた気がしていたのですが、「エチュードで立ち上げるライトコメディ」でした。全体をゆるい物語でむすびつけながら、役者の瞬発力が存分に盛り込まれた個々のシーンを作り込むという感じ。意図されたものかどうか、いわゆるアドリブに強そうな役者がわりと前面に出てきていて、そういう意味では役者の魅力を楽しむ感じ。

懐かしい感じすらするように存分に暴れる森下亮に笑い、野口雄介・古川貴義の安心してたのしめる掛け合いの絶品に笑い、こいけけいこの不思議キャラの貫徹に笑い、山本真由美の押し掛け女の落差に笑いなど個々のシーンの役者の楽しさ。が、あたしが今作において目を奪われたのは小笠原結という女優で、トークショーでさんざん「幸薄そう」と揶揄されてはいても、どこか隙のあるような、しかしベクトルの間違ったポジティブさがツボにはまります。それが彼女の地なのか、作り込まれたものなのかは知る由もありませんが。

正直にいうと、これだけの役者をそろえて、コント企画となれば期待感はものすごくあるわけで、その高い期待に100%応えられていたかというと、少し食い足りない感じもあります。もちろん楽しめたのは事実なので、 こちらの期待のハードルがやたらに高かった、ということであるのですが。

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2011.01.17

速報→「ヒールのブーツ」オーストラ・コマンドー

2011.1.16 18:00

アタシは初見です。街角を借景にしたつくりが楽しい75分。19日までJORDI TOKYO(代々木体育館近く)。

小さな洋服屋。高校生の仲良し男女4人や、引っ込み思案な女子高生がこの店を訪れる。すこしくらいうるさくても、店長は寛大で見守ってくれる。それから8年経ち、グループの一人は店員として店長のよき片腕になり、もうひとりのスタッフを抱えるほどになった。男たちは売れてないけれどミュージシャンになり、もう一人の女は就職し、引っ込み思案だった彼女も店の常連になっているが。

上野友之作なのだけれど、彼特有の緻密さという感じよりは、もっとゆるい友達同士の会話だったりある種のバカ騒ぎのエネルギーのようなものを、町を借景しながら描き出しています。高校生、その8年後、あるいはその間のどこかの時点などいくつかのポイントとなるシーンを抜き出しランダムに並び変えています。物語の濃さという点では物足りなさが残らなくもないのだけれど、かれらの関係とそれを醸し出したこの場所を描こうとしているのだと思うのです。

川村紗也は、シンプルで可愛らしく物静かな女性を好演。渡邊安理は、序盤、強いテンションでかき回したり、物語に波紋を投げかける役どころ、物語にリズムを作ります。成川知也は見た目の派手さとは裏腹に彼らを見守る視線が優しい。

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速報→「ドードーの旗のもとに」ガソリーナ

2011.1.16 14:00

じんのひろあき新作、三部作の第一章を朗読劇として上演。130分。16日まで萬劇場。

録音スタジオに集められた俳優たち、100年の年月を掛けて制作される映画のプレスコの為に集められたのだ。
ある王国、王子の誕生日を祝うパーティ。終盤にさしかかったところ、クーデターが勃発する。国王以下王家は抹殺されるが、王子だけはすんでのところを、厨房の奥から通じる隠された屋根裏部屋に逃げられた。旧王家に忠誠を誓う料理長以下厨房のスタッフは、毎夜新国王の舌を満足させる料理を出すことで生かせ続けられていた。屋根裏部屋にはかつて北の国からの亡命作家を匿っており、彼の書いた本と、膨大な蔵書、王宮の各部屋を覗くことができるようになっていた。絶滅したはずのドードー鳥の雛とともに、王子は屋根裏で過ごすことになった。

王家の攻防と、作家の書いた小説という体裁の脱獄劇とアマゾネス物語をプレスコの体裁で朗読するという趣向。ニ本のマイク、舞台奥の高みにしつらえられた監督の座る調整室というごくごくシンプルな装置のほかは役者たちが控えに座るという椅子だけ。

笑いもシニカルもあまりでてこない、がっつり直球の王家のサーガ。確かに芝居の体裁でやろうとすると小劇場の規模では相当難しいタイプの話であって、どちらかというと映画に向いているタイプの話ではあります。王家を巡るクーデター、幼い王子の成長物語と、そこにまぶされた愛情というか性にまつわるものがたり。これだけのボリュームの芝居を、これだけの人数で成立させるレベルの高さにうなりますが、じゃあ、これは芝居でなければならなかったのか、ということはいまひとつみえない感もあります。が、終盤にかけての旅立ちのシーンの迫力はたいしたもので、映画の予告編のような高揚感があります。

監督を演じた伊藤栄次は圧巻の声質が迫力いっぱいで説得力。主役の王子を演じた下釜千昌は幼さと力強さをしっかりと。北の国の逃走劇で明るく場面をつくった丹聡、山猫を演じた土田ひろ子も印象に残ります。

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2011.01.16

速報→「終わりなき将来を思い、18歳の剛は空に向かってむせび泣いた。オンオンと。」青年団若手自主企画 だて企画

2011.1.14 19:00

ガレキの太鼓の舘そらみが、青年団演出部名義で上演する若手自主企画。毎回30名に限定されたの観客は40名の高校学級の一員として組み入れられて水曜日の朝から一時限分を体感する90分。春風舎で25日まで。受付・客入れすらもその一部なので早めに劇場へ。観劇というよりは体験とでもいうべき本公演は好き嫌いが別れるかもしれません。

高校の教室の朝。じょじょに登校してくる生徒たち。クラスは学年で成績もイベントもわりと最下位クラス。若い女性の担任は数学担当だが、毎日出される宿題プリントもほとんど誰もやってこない。その朝、担任は出席せず男の体育教師が現れる。

40人学級にしつらえられた劇場。受付は女子高生姿でタメ口から雰囲気いっぱい。名前を読み仮名も含めて付箋に書いて提出して出席簿を作りながら。客入れは客入れ中の役者やスタッフの誘導に従って自分で席を選んで座ります。指名されたり、まわってくるメモに従ったり、と教室の中で自分自身も何かを答えたり何かをしたり。チラシにあるような「お客様にも出演者の一人になって」というのはまさにそのとおり。配られる数学の因数分解のプリントを解くかどうか迷ったり、どこかの悪ふざけ、廊下での痴話喧嘩、なんてものに眼も耳も奪われてしまうのです。

全体には学園ドラマでよく使われる濃密なエピソードをぎゅっと圧縮した感じ。先生の喋ることがいちいち正論だったり、セイシュンめいたりしていて、ベタと云えばベタなのだけれど、そこの場所で傍観ではなく、巻き込まれたりしながら体感していくなかで、自分のまわりで起きた事件だと感じられるのです。じっさいのところ、たぶんリアルな高校生がここにいても、ハリボテに感じるかもしれません。 子ども向けのキッザニアがそうであるのと同様に、大人が追体験する高校生活、という意味では 高校卒業した年齢から遙かにダブルスコアになったアタシには、価値があるように思います。

受付の女子高生っぽさは、タメ口から始まるのも含めてラブプラスからラブを抜いた(それは意味があるのかどうかわからないけれど)ぐらいにはアイコンとしての高校生活。出演者と観客である自分がしゃべるときの言葉の距離をぐっと縮めるために重要な装置として働きます。

個人的には 海老根と伊藤、二人のシーンを映像にするのは惜しい感じ。観客であるアタシには知るべき情報だけれど、出演者で教室に居つづけているアタシには知るべきじゃない情報で、そこの折り合いを映像という形にしたのだと思うのですが、そこはライブでがんばってほしいと思うのです。いっぽう、オープニングでざっと映像でクラスの属性というか置かれた位置を共有させるのは、音楽のノリのよさと相まって、参加する気持ちを高揚させるのです。 ネタバレかも

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速報→「キョム!」悪い芝居

2011.1.15 15:00

関西発の劇団で、アタシは初見です。130分。大阪を経て駅前劇場で16日まで。

劇場で暮らすホームレスたち。行方のわからなくなっていたそのうちの一人が殺され、警察の捜査が入る。彼のことはいい人だったという声もあるが、実際の彼は仲間の食べ物をとるような卑屈なオトコだった。

おおきくわけて三つのパートで構成。 殺された男・マツモトを巡って、殺された後の捜査を描く前半、マツモトという男と彼らのできごとを描く中盤、その男を中心に据えたものがたりの終盤。

物語、という意味では男が死んだ、その男をめぐるあれこれ。犯人が誰かとか動機はどうかということはわりとどうでもいいのだと思います。殺された「山本さん」やその娘、あるいはほかの人々との間でホームレスをどうとらえ、扱うのかということが世界の底を支えます。この手のホームレス芝居というのはなぜか大阪が連綿と強いと思うのはアタシの勝手な思いこみでしょうか。

ホームレスたち、それぞれを紹介するように作られた前半は、一人一人の役者をたっぷり観られるような作り、一人がでてきては何かを語る、というソロパートが充実していて、どこか「青木さん家の奥さん」を彷彿とさせて、底抜けに明るいホームレスというのも、なぜか大阪が強いという印象でなつかしい感じすらするのです。

中盤から後半にかけては、どちらかというともっと人間の暗い部分に目を向けた感じ。なぜ彼は死ななければいけなかったのか、あるいは「虚無」に至るできごと。この中では殺された男だけが圧倒的に明るくて、その娘にしても元彼女と男の話にしても、もっと深く暗い部分にはまりこむようで、怖いような気もするのです。

北川大輔が圧巻の活躍。特に中盤からあとはMCのようなポジションですが、このバランスには好き嫌いが出るかもしれません。浅田奈緒子はかわいらしさに説得力、それに惚れ込んだ高校生を演じた池川貴清の木訥とした雰囲気が中盤で舞台をかき回す爽快。西岡未央はかっこよく、ときにずっこける看板の雰囲気。

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2011.01.10

速報→「愉快犯」柿喰う客

2011.1.9 18:00

劇団員の役者5人だけで構成された柿喰う客の新作。これが終わるとしばらく東京の公演はない予定の85分。16日まで東京芸術劇場小ホール2

コトブキ家は金もあるし幸せがずっと続いてきたので不幸とか精神的なストレスに対しての耐性が著しく弱い。それでも大学受験しようとしている息子はがんばる。クリスマスの日、娘が部屋で死んでいた。どこから家族の歯車は狂い始める。

トークショーによれば現代口語演劇の対極にある芝居っぽいものを作るのだといいます。なるほど、新年の口上から始まり、きちんと締めるという形式を重要視した演出。急傾斜の八百屋舞台も劇団員公演らしく。

物語は金持ちすぎて血筋としてストレスに弱くなった一家の狂った歯車、モンスターチルドレンばりの娘が死んだけれど降臨、そこからの後日譚。スピード感と静寂、会話のリズムの緩急(トークショーで作家は一定のリズムにしないために「足をひっかける」のだといいます)。対極のはずの青年団が明るい照明だといっても一定ではなくてゆっくりと明度を変えている、というのに近いかんじがするのです。

劇団員全員の高い身体能力がこの舞台を支えます。玉置玲央のずば抜けているのはもちろん、どの役者もあの傾斜の舞台でひっくり返ったり転がったり飛んだりしながらきちっきちっと決めていくのです。

コロがここまで色っぽい役、というのは劇団の公演では記憶がありません。美しく、強さも色っぽさもあわせもつ役柄と相まって印象に残ります。

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速報→「みきかせプロジェクト・アロマブレンド」みきかせプロジェクト

2011.1.9 15:00

リーディングとはいいながら、体裁とは少しばかり違うフォーマット「みきかせプロジェクト」の新作。95分。10日までワーサルシアター。

毎日続く献花台の初仕事を終えて帰宅の途中で神様を拾って帰った男は彼女が浮気している現場を目撃する「雨、稀に晴れ。」(劇団エリザベス)
大学でつきあい始めた彼氏はウルトラマンおたくで、観続けるうち面白くなって卒業できない彼より前に卒業した女は円谷プロを受験して受かってしまって、しかも企画部に配属され、新作をつくることになる。「ウルトラマンPRADA」(Mrs.fictions)

初見のエリザベスは、ドラクエをベースにしているということはわかるのですが、自分から見える切り取った世界、そこには神様と彼女と友人というシンプルな世界こそがゲームっぽい。いまひとつ物語が腑に落ちない感じで観る軸を見つけられなかったのはあたしがドラクエをやったことがない、ということが足かせになっているのかもしれません。熊野善啓は要所要所を笑わせながら緩急を付けて印象的。遠藤友香理演じる「彼女」は可愛らしくすこしばかり色っぽくてこちらも印象的。何人かの役者は名前や役名が衣装につけられていますが、わからない役者も多くて役者名が判らないのは残念。

対してMrs.fictionsの厚かった題材はウルトラマン、あたしにジャストミート。それを新時代のウルトラマンを若い女性にターゲットを絞るという発想のおもしろさが抜群。コミカルで現代的なウルトラマンは、たしかに今までのファンにとっては台無しで失敗するかもしれないけれど、劇中に引用されるイケメンライダーがそうであるように、フォーマットが時代に合わせていくという一つの姿を妄想する楽しさがあるのです。 あるいは時折挟まる放送の音声というのもいいのです。終幕はの二人はちょっと切なくて気持ちを揺らします。

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2011.01.09

速報→「冬に舞う蚊」JACROW

2011.1.8 20:00

JACROWの新作は、前回の企画公演(未見)から敷衍したという110分。10日までサンモールスタジオ

設計から営業に異動した男。会社を支える営業1課は公共工事を担当している。そこに残る談合の芽を、彼は我慢がならない。正義を振りかざしたその男を待つのは。

今の日本の断面を描くのが得意な作家。でも会社員の現場という芝居はあまりない気がします。会社員のアタシ、会社がそういうことをやっているというわけではなくても、多かれ少なかれどんなオフィスにでもありそうな小さなことも含めて何かおおっぴらにいえないこと、ってのはある、というのを共有する感じは腑に落ちます。前回の企画公演ではひたすら「いじめる」という構図の30分だったようなのですが、さすがにそのままで時間を延ばすのは無理だったと見えて、会社という現場を舞台にしたことが功を奏しているように思います。

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速報→「テスタロッサ」ドリルチョコレート

2011.1.8 15:00

MCRとドリルチョコレートがどう違うか今ひとつ判らないアタシですが、騒がしいコメディにみえてなかなか深い恋人たちのものがたり75分。16日までアゴラ劇場。

パンクバンドをやっている三人の男にはそれぞれ恋人がいる。もっとも年上の作詞担当は彼女とラブラブにも関わらず女はヤキモチやき。パンクな歌詞が書けなくなっているのをほかのメンバーに責められている。
ギター担当の男の彼女はどこか冷めていてバンドのライブにも来ないし、もう心が離れている感すらあるが、男は恋しくて仕方がない。
もう一人の男はもっともパンクな言動でバンドを煽るが、その彼女は勝手に練習に付いてきたばかりか、空気を読むこともなく暴れ回る。
作詞担当は元カノからの手紙をめぐる痴話喧嘩の末、彼女に「過去の曲はもう二度と歌わない」といってしまう。が、ライブはもうすぐなのだ。

三組の恋人たちの物語。ラブラブのあまりパンクの作詞に差し支えるほどだったり、ほぼ片思い状態だったり、どう考えても頭おかしいかんじだったりと、人から見たら変だな妙だなと思うようなカップルだって、当人どうしの深いつながりだったり、当人だけにわかる符丁があったり、あるいは些細なきっかけで壊れてしまうような危うさだったりと、三組の恋人たちのものがたりがしっかり。

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2011.01.04

速報→「大きな豚はあとから来る」渡辺源四郎商店・工藤支店

2011.1.3 18:00

渡辺源四郎商店の劇団内ユニット、工藤支店初の東京公演。青森公演を経て3日までアゴラ劇場。80分。

銀行のATMに戸惑って職員の女が声をかけた男は中東の小さな王国の要職で、本国へ送金する資金あつめのほかに王子の結婚相手を捜しているのだといい、女がその候補なのだと告げる。

アタシが青森で観たのとは別バージョンにあたるChikako版。女の職業がキャバクラ嬢から銀行員になり、終盤で大金を動かして男に貢ぐという構造はこちらのほうが腑に落ちる感じ。

見た目が洗練されているのに素朴さが勝るShizuka版に比べると、素朴さというよりは実直にまじめに会社員を勤めあげてきて、気がついたら行き遅れた、のだという設定のChikako版。主演となる工藤由佳子はこういう役をやらせると圧倒的に似合う不思議な空気がある、という3日夜のトークショーゲスト・多田淳之介のコメントはまったくそのとおりだと思うのです。美人なのに、素敵なのに、もちろんバカなんかでは決してないのに、どこか男に騙される隙がありそうな感じが実にいいのです。終盤に至っては、騙されていることに気づいているのにもかかわらず、それを押し切って王子ではなく、目の前の男と結婚に寄り切ってしまおうという迫力すら感じさせるのは圧巻で印象に残ります。

その騙す男を演じた大林洋平はもう一つとそう大きくは変わらない印象で、実直さをにじませるうまさ。3日夜の「もう一人の女」は山藤貴子で関西弁という新しい言語が加わることで不思議な深みが物語全体ににじむ感じが楽しい反面、彼女がなにをしている人か、という属性を削ぎ落としてしまっているのはもったいない感じ。青森ではもう片方のキャストなので、職業が観ただけでわかるのがよかったのだなと思いつつ。

ネタバレかも

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速報→「新年工場見学会2011」五反田団

2011.1.3 14:00

正月恒例のアトリエヘリコプター企画。4日まで。休憩を挟み170分。

女が帰宅すると同居の弟は相変わらずうるさい。早々に寝ることにするが、夢に現れたのは白塗りに半ズボンの大人になりたくない永遠の子供・黒田パンだった。彼に 誘われるように"永遠の国"に行く。現実の世界では行方のわからなくなった姉を捜す捜索が始まり、その力は永遠の国の住人たちを大人にしてしまう..「黒田パン」(五反田団)
テルミンとギターと不思議な楽器の演奏と、不思議な掛け合いのデュオ・プーチンズの「玄米・白米・五穀米」
追われたウサギは薪の火の中に飛びこんで。伝統芸能風の踊り。「兎陀?」(白兎会)
夫はリストラされ妻は風俗で働き家計を支えている。腰の重い父親をファミレスのバイト面接につれていった帰り、二人はファミレスでヤンキーからボコボコにされている息子の姿を見つける。憤慨する父は、ヤンキーのリーダーの元へ単身乗り込んだきり三日も戻ってこない。「ハイバイのヤンキーのニセモノ」(ハイバイ)
警官に呼び止められ職質を受ける演劇人の歌「ポリスキル」

劇場の体裁が整い、いわゆるお祭り感は減ったものの、公演としてのクオリティは上がっている感。とはいえハイバイ・五反田団のかつての素舞台っぽさで、良くも悪くもお金の掛かってる感じに比べると素朴でワンアイディアを押し通し、コンパクトにまとめられた舞台のブートレグのような味わい、これはこれで味があります。

「黒田パン」はまあ、ピーターパンですが、白塗り半ズボンという異様な風体と脱力感がバランスした黒田大輔という役者でこそ成立する芝居。支えてティンカーベルを演じた菊川朝子の色気や、ウエンディを演じた木引優子の素朴感が好きです。

「ヤンキー〜」は猪股俊明という年齢が上の役者を引っ張ってきて、その微妙な感じを正月ゆえの酔ってるだろう、という脱力感と、勢い余って言葉が追いつかない感じに見せるのが良くも悪くも全体の雰囲気を作ります。しっかりものの妻を演じた浅野千鶴がキャラクタらしくよくあっています。

「ポリスキル」は大きなバックを抱えた男ならばまあ経験のあるだろう職務質問の腹立たしさ加減。それをプラスティッキーなリズムに乗せてはやりっぽく仕上げる楽しさ。

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2011.01.02

速報→「ヨネヤマナイト・バナ☆キス」ホチキス・バナナ学園純情おとめ組

2010.12.31 22:00

ホチキスによる一芸企画+紅白ネタ+カウントダウン+バナナ学園+公開打ち上げを180分ほど。王子小劇場。

役者たちがそれぞれプロデューサーになり、それぞれに役者を一人プロデュースする1分企画。序盤のドラフト映像は手間かかりつつ冗長だけれど、人間を鳩にする大技や、サラリーマンの電話の風景など役者の力を感じる出し物。

紅白歌合戦は、女優三人×俳優五人のグループで対決。女優三人は「バキューム」と名付けられてしまったけれど、練習(を本番の合間に)したんだなぁという楽しさ。俳優五人のほうは映像で頑張りすぎる感はあって、そのあとのでてきたのがわりとだらんとしてるのが惜しい。当然のように紅組の勝ち。

カウントダウンは映像で秒以下の数字を流して、わりときちんと時間通りにカウントダウンできて楽しい。フォーマットの正しさ。

バナ×キスは、ホチキス・米山和仁の熱唱をバナナきちんと踊りきるオープニング。そのあとはバナナのおはぎライブ的な新作。大人数がきっちりそろい、あるいはバラバラにやっていたり、いくつもの舞台が現れ消えて、人間で幕をつくったりの次々とスペクタクルに。
バナナってのは文化祭の熱気だと思うのです。そのとき流行ってる音楽、ダンス、あるいはその世代特有の熱気、天才的な何人か、それを指揮統率するリーダー。アタシの学校で云えば、高校生の時に新入生男子が課せられる体育祭の出し物「可愛娘(かわいこ)」。男子のみの学校だった伝統から起こってた、女装させて踊らせるという企画、なんてことを思い出すのです。

そのあとは公開打ち上げ、とはいいつつ、ホチキスが劇団がやってる打ち上げ(大入り袋とか役者賞とか)を舞台でやっているのを客席に見せる、という企画。

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