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2010.12.12

速報→「国道五十八号戦線異状ナシ」国道五十八号戦線

2010.12.11 13:00

国道五十八号戦線の解散公演、2008年初演作の再演。75分。13日までサンモールスタジオ。

オキナワ在日米軍基地の将校のクーデターにより基地内の核発射施設が占拠される。が、主義も思想も持たない地元の若者たちの手によりあっさりシステムごとハッキングされ、核発射ボタンは将校の手も離れて若者たちの手に渡る。将校は日米政府と和解するが、熱に浮かされた数人の若者たちの独立する気運はワイドショーの格好のネタとはなったものの、半笑いの対象にしかならなかった。

沖縄に生まれ育った作家ゆえなのか、SFめいた荒唐無稽な物語ではあっても、どこかに私たちの今の感覚にうっすらつながるような印象の物語。初演は二段ベッド風で狭さが強調された、しかしもっとのどかな雰囲気すら残した印象の部屋だった気がします。再演のそれは、もっと広くなり洋服と酒が散乱し、時折通過する航空機の騒音以外には沖縄を感じさせるものはなくなっています。少なくと美術に関しては、オキナワという場所固有の物語ではなく、若者達一般、あるいが五十八号戦線という劇団のものとして作り上げられた印象があります。

確実にそこにはあるだろう「核」を身の丈に合わないまま手に入れてしまった若者たち。なにがそう感じさせるかわからないのですが、少々バカっぽくてもしかし彼らなりには真剣なキャラクタに感じられます。単純に独立に燃える首謀者たるセイテツとそれに巻き込まれる三人。オキナワネイティブではないけれど友人として共感している感のサトミ、なにを考えているかはいまひとつ掴めないエイリョウ、ハッキングの天才だが酒浸りのカシュウですら、どこか幼い感じすらします。対比するように、同年代で独立自体には興味がなくて、この場所とそこに居る彼らこそが大切だと考えるあかりや、もっと年上で実らない闘争の繰り返しであることを自覚している視点のスージーと、女性たちはどこか大人で、熱くはならず、しかし冷めきった視点でもない優しさに溢れる感じになるのは初演と同じなのです。

終盤、引導を渡されたはずの若者たちの大逆転な新しい「ちから」の使い方、みたいなのは、たとえば「沈黙の艦隊」の感覚ににていて、それをネットにゆだねよう、という感覚は初演当時のあたしには細かいところを吹っ飛ばしてもその楽天的な感覚が腑に落ちる感じでした。が、あれから2年。オキナワの基地の問題は大騒ぎになりながらも解決の糸口がないまま忘れ去られようとし、ネットが政治を直接的に揺り動かすような漏洩などが起きた今の目で見ると、それもまた一種の若気ゆえの楽天的な感じに見えてしまうのは彼らのせいではありませんが痛し痒し。一方でこの終盤についての説明はスピードと大音量ゆえか少々伝わりづらい感じがもったいない。

それでも「はじける若者たち」の若気の至り的で瞬発力、それが未来に向かって開いていってる、という高揚感がある物語は、理屈をふっとばして気持ちよかったりもするのです。

役者としてみるのは初めての詩森ろばの年齢不詳な怪しさ感、ちょっとかわいらしさすらあって楽しい。ハマカワフミエは優しさで包むようなところ、目を奪うようなかわいらしさが見え隠れでぼおっと観てしまう感じ。山本卓卓の鉄炮玉な感じ、さいとう篤史の友情厚い感じ、佐野功のクールな感じ、伊神忠聡の格好良さ、浅倉洋介の誠実そうに見えて怪しさいっぱいの感じも物語によくあっています。

あたしは、どうしても解散公演という舞台外の文脈と断ち切って観ることができません。彼らにしてもそうでしょう。もっともチラシ情報宣伝含めて、解散押しで告知しているわけで、(たとえ初見だったとしても)観客はある程度その文脈に呑み込まれている前提と考えてもいいのかもしれません。メンバーたちと同じ大学の出身である演出家は、その文脈込みでの演出で、一種の送辞をなしているのだなと思うのです。

物語には荒っぽさもあるけれど、「We are "Route58"」と題したA4びっしりな彼らのエピソード、その幾ばくかの物語を彼らと共有してきた、という物語とか芝居の外側の文脈込みであたしにとっては大事な一本なのです。

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