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2010.12.31

速報→「贋作・Wの悲劇」フライングステージ

2010.12.30 14:00

フライングステージの年末企画。第一部「贋作・Wの悲劇」第二部は6本の出し物。29と30。シアターミラクル。全体で200分。

新劇の劇団、研究生の女、幼なじみのフカマチがいる。彼女は劇団内のオーディションに落ちるが、旅先の公演でホテルで隣の部屋に泊まる看板女優の部屋に招かれて腹上死した男を引き取ることになる「贋作・Wの悲劇」
こたつの部屋で首をつった男、それを発見した三人の男「カリカチュア」(作・門戸大輔、出演・森潔、門戸大輔、吉岡明夫」
天竺に向かう僧侶を「レズビアンエロチカコラボ官能小説朗読 西域女怪奇譚」(原作・ツヅラカズサ、出演・水月モニカ)
友人の四人を呼んだ誕生会、そこで指輪からはずれた真珠をテーブルに置いてわずかな隙にその真珠がなくなる「女優リーディング『真珠』」(作・三島由紀夫、出演・関根信一)
ダンス「リヴァイタル」(出演・モイラ)
コピーをとるOL、デートの約束を断られて、切ない気持ちが「天辺歌劇場2」(出演・松之木天辺)
昭和歌謡のショー「時をかけるジオマン 昭和へGO!」(出演・ジオラマ マンボ ガールズ)

「~Wの悲劇」は角川映画版をかなりしっかり描きます。ほぼ誰も似ていないけれど、薬師丸ひろこや三田佳子、高木美保など、それをいいそうなキャストの雰囲気。そこに原田知世、あるいは深町(高柳良一)のでてくる「狙われた学園」をリミックス。漫画家・ゆうきまさみ(パルコパート1でやってる原画展がすごく楽しい)初期のパロディ「時をかける学園」に近い「Wの学園」もしくは「ねらわれた悲劇」というべきリミックスの楽しさ。なるほど、贋作。

年代がそう離れているかんじではないのかしらん、あのころの角川映画をみてるかということ、渡辺典子の曲がかかったりするのもたのしい。

第二部は全体に出し物な感じ。「カリカチュア」「レズビアン~」「リヴァイタル」は今一つぴんとこない。「女優リーディング」は5人の婦人たちの駆け引きのすごさのものがたりをきっちり一人のきっちりとリーディングで演じきるのです。「天辺歌劇場2」はコント仕立ての序盤と終幕、間を当てぶりで。いわゆるOLの制服を男が着るけれど綺麗な脚と迫力と、ストッキングのずり落ち具合で笑わせます。「時をかける~」は完璧に昭和歌謡。30年代という感じが楽しい。

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2010.12.30

速報→「ボーナストーク」ホチキス

2010.12.29 19:30

ホチキスの新作。年末にうれしいハートウオーミング120分。日替わりゲストを迎えながら31日昼まで王子小劇場。31日夜はカウントダウンイベントが予定されています。

チンピラの男、なぜか想像妊娠で隔離病棟に入院している。妻は久しぶりに長い時間一緒にいられて嬉しい。男の腹から出てきたものは、魔界の王になるべき王子だった。人間界に修行に出てきた王子は、その男に7つの大罪を犯させれば王になれるのだという。

役者はあちこちで拝見していても、劇団公演はずいぶん久しぶりに観た気がします。メインの役者三人をきっちりフィーチャーする骨組み。飛び道具交えつつ気楽に楽しく笑わせて、ほろりとさせる、という意味では実にオーソドックスなエンタテインメントなのです。

チンピラの男と妻。一緒にいられるだけで幸せだという妻と、素直にはいえないけれど彼女のことを考える夫、気持ちが近づき離れしているようには見えても、深くつながる二人の話。終幕近く、妻が出ていこうとするシーンの 「もう好きじゃないのに、どうして出ていけないんだろう」という台詞が好き。終幕「最後の報酬」がほろりと。

もう一つの軸はチンピラの男と彼から生まれた魔界の王子。いつしか二人の間に生まれる愛情とも友情ともつかない不思議な感情は、終盤の高いテンションで存分に発揮されます。

小玉久仁子演じる女王はもはやこの世のものではない作りもの感満載、説明台詞に対する照れというか楽屋落ちっぽい台詞を挟みながらも舞台を高いテンションで支えます。加藤敦演じるチンピラはほぼベッドの上という拘束された中でもテンションと情感。村上直子演じる妻の一途さ。橋本哲臣・山崎雅志の掛け合いも楽しい。
須貝英演じる神父は実直さ、細野今日子演じる天使は、なかなかみられない作りもの感満載のコメディエンヌとしての魅力。

あたしの観た29日夜のゲストは箱庭円舞曲の作演の古川貴義。携帯電話を切れ、という前説男の体裁で出てきて、携帯電話の電波とコケシとの関連について話そうとしてまわりが理解できない、という感じで少々すべりぎみ、というのも年末のお祭りっぽくて楽しい。

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2010.12.29

速報→「可愛い怪物」劇26.25団

2010.12.28 19:30

15minutes madeの短編から始まる120分。29日まで駅前劇場。

2012年、大学に入った女は隣に住むイケメンの大学生が好きでたまらず、壁越しに盗聴たりしていたが、実際にあってみれば憧れはもろくも打ち砕かれ、現実が嫌になって逃避、中学時代に戻っていく。 中学生のころ、あの思い出したくない日々。塾であこがれていた先生が痴漢だといわれクビになった時にバイト先の制服で怒鳴り込んできたり、親戚の家で口うるさい母親がどうしてもイヤで行方不明になった犬の原因押しつけようとしたり、ほんとにいやで。

大学生、中学2年生、中学3年生という三つの時代。隣家の男に惹かれながらも壁に越しの物音を聞くだけ、という引きこもり気味で不器用な女、なぜか時空をこえて自分の中学時代の自分に会う、というSF風味。中学生の頃だって、緊張すると異常なほど手に汗をかいてしまってからかわれたりするのだけれど、そんなことすべてを母親のせいにして、母親にあたり。でも母親はそんな娘を体を張って全力で守る、という一種ノスタルジー。 母親の想いと、その死後になってからその想いに気づく娘。時間は誰にも平等に取り返せないものだけれど、取り戻せそうなというよりは、自分なりの決着をつけるような流れが見事で見応えがいっぱいなのです。

娘はリング式のノートを日記帳にして、中学のころも、いまもそこにきっちりと書いていて。母親に読まれたりもするけれど、日記をやめることはなくて、彼女にとって不可欠な「表現」になっているというベース。舞台美術の方も横倒しにしたノートを開いたような感じで、紙を一枚めくると食堂のカウンターが現れたりと象徴的なものとしてノートを使っています。

正直に言うと、このミニマルな物語に対して役者というか登場人物が少し多い感じはあって、もうすこしタイトにみたい感じはあります。チラシで受けた印象と物語のテイストが少し違う感じもあって、もしかしたら物語とキャストがジャストフィット、ということじゃないのかもしれません。

杉田鮎味の挙動不審で冴えない感じの女がぴったり。その中学時代を演じた宮本愛美も絶妙。中学二年生というのを芝居に乗せるのははやりなのかと想ったりもするけれど、それにしても中学時代の友人(公立中学校の制服、という説明が絶妙)を演じた中川鳶はちょっとすごい。

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2010.12.27

速報→「女優(おんなやさしい)」ろりえ

2010.12.26 18:30

小劇場で休憩ありとはいえ170分。装置もびっくり。26日までシアターグリーンBox in Box。

女子ばかりの海辺の中学校でたった7人の男子生徒、綱引き部だが、練習場所を確保できずメンバーの一人の家で練習をする。エースだった友達をなくし、新しいエースを迎え、三年目の夏合宿で盛り上がる6月。が、その家の妹をメンバーたちが。

物語は大きく二つ、前半7割を引きこもる兄の語り、後半2割9分9厘は優しい妹視点の語り。残り1厘はカーテンコールのあとの幸せの予兆に。場面は大きく中学時代と10年経ったあとの変わらない人々というシーンになっていて、物語とシーンを組み合わせて進むのです。

それにしても身勝手な男たち、それを女性にはあくまで包容力で包み込んで欲しい、という気持ちはアタシだって男だからわからないでもないけれど、実に男の身勝手な視線。 ラッパ屋もある種の身勝手なファンタジーだったけれど、女性にもしっかり人格が描きこまれていたと思うのです。が、本作、女神のように美しくどこまでも優しい女性に男どもが何をしても、というのは 女性はどういう気持ちでこれを観ているのだろう、というのは聞いてみたい気もするのです。

上演時間の長さは理由があって、物語とは関係ないけれど、たとえば序盤の「綱を忘れた人探し」とかという無駄に思えるものを切り落とさず、あの日々をダイジェストしつつも日常感として描いていると思うのです。が、正直90分ぐらいで観たいな、とおもうのも事実なのですが、達者な役者をそろえていることもあって、小ネタ的な小さなシーンがいちいちたのしいのです。

横スクロール、わりとサイド側でみていると、廊下を複数のブロックにキャスターという装置の作り方で見事。維新派かと見まがうばかり。終盤、途中であるはずの玄関の外がなくなって寝室に繋がるというのも効果的に働くし、臍の緒を引っ張るという綱引きのシーンも見事に機能して、ダイナミックな感じ。終幕、ほぼカーテンコールで全部なくなって奥に広がるというのもきちんと効果を持ちます。

正直にいって、物語の密度に対して上演の時間が長いというのはあまり好きなことではありません。休みで時間に余裕があるから、さまざまな遊び、役者の魅力を楽しむ気持ちのゆとりがあるときに観たことが、今作にプラスに働いていると思うのです。これが普段の週末だったらここまで鷹揚なきもちで観られたかどうか、というのはアタシの個人的な事情ですが。

開場時間含め3時間近くでずっぱり、終始抑えつつしっかりした力で舞台を支える堀越涼。脚本の描く通りに人格をある種封印してミューズであり続ける梅舟惟永。思い続ける一途さを背負う高木健。終幕のスペクタクルを一気に走りきる安藤理樹。主にコミカルパートであっても、舞台の全体のリズムを刻み続ける尾倉ケント。その相手となって二回のやりとりが楽しい徳橋みのり。

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速報→「こ こ ち  り」miel

2010.12.26 15:00

元東京オレンジの金崎が立ち上げたパフォーマンス。レインボーカラー7色をテーマに7人の作家の短編を依頼し、7人の役者で構成する77分、とか。27日までアトリエセンティオ。

日没の赤色が他の女の元にかえる男の背中に「赤く赤に」(赤澤ムック)
それは土曜の朝、君のひとこと。「オレンジみたい」(本田誠人)
美術館、写真を撮ろうとする男を警備員が制止する「黄色ってなんだろう(原題 ゴッホ)」(上田誠)
人間が森の中で死んだらそこから。「黄緑を摘んでみたら」(佐藤久)
男が友人を連れてくる。部屋にある大きな木を「吸血(木)」だという。そういえば同居している姉の姿が見えない。半年前に死んだのだという「緑の手触り」(ほさかよう)
すごくいい人って訳じゃない彼の、どうでもいい思い出をバックパック旅行先のベッドで死にそうになりながら思い出している「青いふたり」(加東航)
今夜いてくれるだけでいいの、紫で塗りつぶされるそのまえの「紫の滲む夜に」(上野友之)

舞台は白一色、役者もほぼ白(または少しの黒)のモノトーンの衣装。椅子と毛糸が時折でてくる以外はほぼ素舞台。ダンスっぽい動きを短編の間に挟みながら、テキストのある短編を挟む構成。どちらかというとリアルな会話というよりは、詩歌に近いようなリズムの言葉が多くて、物語を運ぶよりは、動きにあわせて言葉を乗せる、だったり、あるいは雰囲気のある二人の間に落ちる言葉を広い集めるような感じで、パフォーマンス寄りの仕上がり。

いわゆるダンスパフォーマンスっていうのには今一つ乗り切れないアタシです。本作、言葉が乗っているシーンが多く挟まれているというだけで、ずいぶんアタシには飲み込みやすくなっていて楽しいのです。反面、きっと身体のキレ、という意味では専門のダンサーたちのそれに比べると不利だという感は否めません。

反面、男女の話である「赤」「青」「紫」やある種のアブノーマルを見せる「緑」では、ダンス的な無機質さよりも、もっと泥臭い人間の動きという感じになっているおかげで、けっこう色っぽかったりしてアタシは好きなのです。

ふつうの会話により近い感じにみせる「緑〜」や「黄色〜」「青〜」がよりアタシには楽しめる感じ。「赤〜」の切なさ、「紫〜」の不思議に解け合うような感じも印象に。

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速報→「黴菌」Bunkamura

2010.12.25 18:00

シアターコクーン×ケラリーノサンドロヴィッチの「昭和三部作」の二本め。休憩15分を含んで210分。26日までシアターコクーン。

昭和20年。戦争末期の物資がない時代だというのに裕福な家。長男は脳病院を経営、次男は軍の要職の影武者、末っ子は国民学校の教師と結婚しようとしている。父親は離れに住んでいるが、顔を合わせるということはほとんどなく若い女が愛人として囲われている。彼らには幼い頃になくなったもうひとりの兄弟がいた。

昭和初期のレトロモダンな感じだった全作に比べると、猟奇とか怪奇小説という感じで仰々しさやおどろおどろしさが勝るようなタッチ。絵に描いたような金持ちとその没落、ってあたりがいかにも時代らしい。

兄弟たちと舞台には登場しない父親。ずいぶん前になくなっていた三男をめぐる想いが交錯、というのがおそらくは中心となる物語なのだろうけれど、徴兵から逃れるために嘘の診断書を書いてもらっていた夫婦を実験と称して囲い込んだり、離れの父親のところに通う愛人の兄が入り浸っていたり、脳病院の退院者を使用人として使っていたり。果ては「火星人襲来」のラジオドラマの冒頭部分なんてのが使われたり。

群像劇というフォーマット故か、中心のなる物語がみえにくい気はしまが、全身全霊を傾けて、昭和20年という昭和と戦争の物語を、全体の空気感とともに書ききっているのだという感じがします。

絶望の先の希望、三人姉妹のようで美しい。

「愛するものへのこだわりをじょじょになくしていく薬」という実験。愛する夫婦を地下室に住まわせ、夫にだけその薬を食事に混ぜていく、邪険にされても、夫のことを献身的に愛し続ける妻、という悲しい話、ベタだけど好き。妻を演じた犬山イヌコのぶれのない静かでまっすぐな想いが沁みます。

なぜか独特のしゃべり方をするキャラクタ重視と想われる人物が何人か。その向こう側にナイロンの役者がみえてしまうのはちょっと厳しい。仲村トオルには三宅弘城がみえてしまい、少々厳しい。池谷のぶえにもたぶん峯村リエが向こう側に見えるのですが、彼女に関しては自分のものとなっていてあまり気になりません。北村一輝という役者はCMでしかみたことがないぐらいに知らないのだけれど、きっちり。緒川たまきはすっきり、という印象が強かったけれど、今作で印象に残るのは声の素敵さ。

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速報→「YMO ~やっとモテたオヤジ~」ラッパ屋

2010.12.25 14:00

ラッパ屋の新作。オヤジのファンタジーの先に着地する120分。26日まで紀ノ国屋ホール、1月に北九州公演。

51歳、中堅の会社の部長になったが、妻とは離婚して10年。それからずっとモテることとは無縁の生活をしてきた。同僚もみんな同じぐらいに出世して、なんとなく横並び。ふとしたきっかけで同じ会社に派遣社員として勤める41歳の独身だという女に心惹かれ、勢いもあって、呑みに誘ってしまう。女は、学生のころからの男友達とと再会し、つきあわないかと誘われていたが、彼には家庭があって。

大の大人が恋心、そこに都合よくはまる、まさにオヤジ好みの女性、というラッパ屋黄金のパターンではじまるものの、作家は会社とか人生なんてことまで標的に入れている感じがして。それに違わぬ役者陣がうれしい。

大きくはない会社とはいえ、部長までにはなって、それなりに会社側の人間となり、しかし定年まであと4年というのも見え隠れする世代。ある種牧歌的なバブルの名残。年が離れているとはいえ、女性のほうもぎりぎりバブル入社ぐらいの世代。女は可愛らしく、大人で、癒してくれそうなふんわりした感じ。そんな女性とまさかつきあうことになろうとは、というドタバタ人情の喜劇、というのはラッパ屋の黄金パターン。

しかし、本作はそれにとどまりません。小さい会社ゆえに見え隠れする社内の派閥争い、いやおうなく巻き込まれていく彼らの世代。顧客よりも会社のため、というあまりにわかりやすい無茶な権力闘争の枠組みをあえて持ち込み、そこに汲々とするサラリーマンたちの「あがり」を矮小に見せ、そこから飛び出す宣言をする男のかっこよさ。

終幕は少々泣かせ、と感じないことはないけれど、おおげさにいえば「男子一生の」なんて言葉を感じさせる深みのあるものがたりをコンパクトに詰めこむ、という巧い方法だと思います。 不条理感すらある「やっともてたオヤジ」を演じた俵木藤汰、主役というのは珍しい感じもするけれど、それに違わぬ活躍。派遣社員を演じた三鴨絵里子は癒しを感じさせる確かさ。いままでも声が特徴的で、舌足らずが売りだったりしたのだけど、今作、そこに落ち着きが上乗せされた結果、声に不思議な魔力すら宿っていて声を聞いているだけで脳が喜んでる、ぐらいに。その友人を演じた。岩橋道子はもう少し下の「バブル後」の女性視点を支えます。 社内抗争に巻き込まれていく同僚を演じた岡山はじめの終幕は、常にいい人でありつづけることの多い彼には珍しいけれど、それゆえに否応なく、ということを強く印象づけます。

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2010.12.20

速報→「15minutes made 10」Mrs.fiction

2010.12.19 18:00

人気のショーケース企画もついに10回目。19日までシアターグリーンBox in Boxシアター。120分。

2000年を迎える大晦日、部室に集まり酒を酌み交わす演劇サークルの面々の前に現れたのはノストラダムスと名乗る男。彼は、あと15分で世界は滅亡するといい、ここでジェンガを15分続けることができたら滅亡が回避できるという「"僕ら"と"ノストラダムス"の1999年の大晦日」(少年社中)。
首に巻いたマフラーのダサさ加減に我慢がならず夫の外出を制止する妻。夫は怪物を退治にいくのだという。押し問答を繰り返していると、近所の「怪物」が母に付き添われて訪ねてくる「血がみどり」(ぬいぐるみハンター)。
三姉妹。三女と結婚の約束をしている男が、次女にも手を出して三女の怒り心頭。父親は留守がちで一年間も連絡もないまま戻ってこない。母親はそれを待ち続けたまま死んでしまった。もうすぐ一周忌になる。母親の漬けた最後のキムチで鍋をしようとしたそのときに父親が戻ってくる「君とは無理」(トリコ劇場)。
美大、デッサンの授業。男のヌードモデルを前にざわめきながらもデッサンの進む教室。実技なしで入学して自信が ない女、中央でポーズをとる男が突然「運慶」に。ヒートアップする教室「model:unkei」(世田谷シルク)
重力という避けられない運命に翻弄され抵抗する人々「ミートくん」(田上パル)。
ベンチに座るホームレスの男。朝。顔見知りの女は大荷物で、東京に行くのか、と声をかけ「東京へつれてって」(Mrs.fictions)。

「僕ら〜」は、ノストラダムスの理不尽な要求に巻き込まれる人々、ジェンガはあっという間に失敗し、皆が殺され。最後の一人、提案された最後のゲームに勝った男、したかったことを叫ぶ、終幕。世界は終わらなかった、続く。テレビの男の最後のセリフが聞こえなかったので、そのあとのノストラダムスを名乗る男の「いい加減ですね」のつながりがよくわからなくて残念。繰り返す滅亡を示唆して終わる、逆ビューティフルドリーマー。ほかの団体に比べて決して若いわけではない彼らなのだけど、そこで勝てている感じがしないのは初っぱなのハンデを加味してもちょっと厳しい。

「血が〜」のぬいぐるみハンターは初見。サザエさん的家庭&ご町内ドラマを根底にしてヒーローものの物語に業界ドラマを足して、のワンアイディアがおもしろい。ふつうに暮らすヒーローとそうじゃない家族という枠組み自体新しい発想ではないけれど、そこにまるで友達の家に遊びに行きたい子供の姿のようにみせるのはちょっと巧くて、そのあとの来訪者が効いてきます。怪優の噂も名高い神戸アキコの破壊力はさすが。

「君とは〜」は、嫁に出たり家を出たりした長女次女、実家を一人で守る三女。三姉妹に言い寄ってきた男と、苦労したまま死んだ母親と出ていったきりの男。愛憎家庭ドラマという風情。舞台上で作り続けるキムチ鍋、ごま油で炒めて、という匂いの破壊力がすごい。男が本当にほしかった女は、という着地点のおもしろさと、三姉妹の母親が見える終幕がキレイ。 戻ってきた男を演じた成川知也はこういうしょぼくれた中年をやらせると巧くて、愛情をわかっていながら不器用な感じもちょっといい。モテ男を演じた芝博文がうらやましいw、キャスト交代を乗り切った小山待子も末っ子っぽくてかわいい。

「model〜」はスタイリッシュにみせる序盤がキレイ。 美大ってのがどういう場所か実感としてはわからないけれど、まわりがみんな巧くて自信をなくしかける女の子、という構図はたとえば西原理恵子の「上京ものがたり」などに通じる切なさがあって、それを重ねて勝手に涙するアタシはこの物語が大好きなのです。 文化祭でちょっと作ったアクセサリがかわいいと評判になって教室を開いたり、なんてのが美大を志した原点。こどものころに何かを誉められたり、何かをおもしろいと思ったから決めた将来、観客それぞれの中に思い当たる節があるというあたりでまたダー泣きするのです。 夢オチ、とするのが得策かどうかはわからないけれど、それが「芸術」を志しているもののこの時点の現実という終幕は地に足がついた感じでふわりとアタシたちの現実に軟着陸するのです。

「ミートくん」、重力に逆らうのはマッスルなんじゃないか、という野暮はいわない約束。これまでとは違う実験作だというけれど、重力という宿命という発想はおもしろい。やってること自体はドリフな感じなのは、それを越えないといけないわけでちょっと厳しい。

「東京〜」、よく描かれるのは東京という遠い場所へのあこがれと希望なのだけれど、今作ではもはやすいう高揚感すらないフラットな男。電車で東京まで6時間の距離のこの地元でホームレスしてきた失敗からシフトするために東京にいくのだというニュートラルすぎる感じは今の彼らの世代の圧倒的な絶望を感じるのです。彼女からもだったラブレター一つに打ちひしがれて小説家の夢をあきらめるという男のふがいなさも、ついていくけれど生活を夢見る女の強さの対比がちょっといいのです。

どれが、というと迷うけれどアタシは世田谷シルクの完成度の高さに惹かれます。

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速報→「サンタクロースが歌ってくれた」キャラメルボックス

2010.12.19 14:00

上川隆也、近江谷太朗の退団した二人に看板の西川浩幸の三人の男たちの物語に変わった印象の四演め。大阪、北九州を経てのサンシャイン劇場、25日まで。125分。別キャストによる10 days limited versionもあり。

クリスマスイブの夜、恋人の居ない二人の女は映画を見に出かけることにするが、一人は乗り気じゃなくて遅刻する。先に入っていた一人、たった一人の客席。映画は序盤のクライマックス、芥川が犯人をみつけるその瞬間、その犯人が銀幕を越えて逃げ出す。理不尽に犯人とされた彼女はその繰り返しに耐えきれない。追いかける登場人物たち。彼女を戻さなければ物語は進まない、上映の2時間までに戻らなければ、光の産物であるの彼らは消えてしまうのだ。

25周年のお祭り騒ぎ、祝祭のような盛り上がる劇場。テレビで人気の俳優、ということはあるけれど、それだけではないのです。退団した二人をそろえて、という豪華なラインアップ、お約束なこと、決め台詞なんてものがいちいち楽しい。おなかいっぱいなぐらいに笑わせ泣かせ。7500円という値段は安くはないけれど、きっちりエンタメの2時間は釣りあっている気がします。

アタシがみたのは97年版だけ。あのとき映画の客の二人を演じた(あの頃からの)ベテラン二人(坂口理恵、岡田さつき)をメイドという配役で支えに。その圧倒的な力、年齢を、なんてギャグも楽しい。その客を演じた若手の二人、コミカルな温井摩耶が実は結構好き。前田綾も力の抜け具合がよくあっています。サヨというもっともコメディエンヌな役の渡邊安理、まっすぐなフミを演じた實川喜美子もじつになじんでいるのです。世代を変えていくことを確実にやっているのです。

何度みてもあたしが好きなシーンは後半、芥川と彼のファンのすずこのシーン。先を知っている女が云いよどみ、でも書くことを再開できる喜びにあふれる芥川、というシーン、役者が変わってもそのテイストは変わらないのです。

六本木のテレビ局に近い場所、ということでそれまで池袋だった映画館の場所が渋谷になったりする、なんてのも未続けている楽しみだったりするのです。

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速報→「あなたの部品リライト」北京蝶々

2010.12.18 19:30

2008年の作品を全面改定したのだといいます。90分。19日までギャラリールデコ4。

義肢装具士の職場。片足を失ってもなお情熱を燃やすアスリート、上半身爛れた歌手の手術、ヘルパーの恋人に付き添われた車イスの女。そこに訪れる両手両足を戦傷で失った自衛官。

初演では迫りくる中国に囲まれた日本という国、その国の部品たる国民、という近未来の枠組みだったのですが、リライトと名付けられた本作では、もっと小さな、直接見える/見えた人、という限定された枠になっています。なるほど、少し先のことを描いている彼らにとっての再演ということのハードルの高さはここにあって、追いついてしまった現実をきれいにそぎ落として、物語の骨子を人間の物語ににしてより強く浮かび上がる感じになっています。

完全体という人間はいない、障碍はよりそれをつよく見せるのだけれど、世間でいうノーマルに近く見える装具士と医者の恋人という関係はやがて、ひとつのひずみを持っていることがわかります。それをみている療法士の男の鬱屈。ののしりあうけれど深い愛情で結ばれた夫婦、仲睦まじくみえるのだけれど対等になりたいという気持ちと支配したいという気持ちがすれ違っているのに結果一致する恋人たち、複雑な気持ちを抱えた結果暴走する自衛官。それぞれの人物は誇張してイビツに描かれるけれども、いくつかある立場のどれか一つは観客にフックしそうなさまざまな人物の造型。

舞台の上にいるままだったり、クラップなどリズムを挟む構成はいままでの作演兼ねる形では決して得られなかっただろう、作と演出を分けた今公演の成果。観客の私たちの足元から地続きに感じられる感覚はより多くの観客が感じ取れるようになっていると思うのです。もっとも、電子マネー、格差なんて今までの語り口だって十分私たちの地続きなのだけれど。

静かではないけれど喧嘩しあう夫婦、という妻を演じた帯金ゆかり、きりっとしたクール感を初めて拝見したように思う医者を演じた岡安慶子、クールな顔立ちなのにちょっとおかしかったり不器用な役をやらせると木村キリコは圧倒的にうまい。金子久美は美しいということに説得力、酔っぱらって言い寄るところは茶目っ気もあって落差で楽しいのです。

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速報→「The Lifemaker」DART's

2010.12.18 14:00

緊張感あふれる120分。DART'sの新作。19日までギャラリールデコ5。

業績好調なIT企業の実験的プロジェクト、集められた参加者たちは開始から10年間の拘束で予算をもち人口もしくは所持金の目標達成によって成功報酬が支払われる。どこだかわからないこの土地で経済活動を回すことを目指す参加者たち。

ネタバレかも

オンラインゲームの出来事を明らかにせずに見せる前半。オンラインゲームなのだということがあかされる後半以降こそが物語の主題なのだろうけど、それなしでは感想にならない感じ。なので、ネタバレの方へ。

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2010.12.13

速報→「オンナの平和」あおきりみかん

2010.12.12 17:00

前回公演の戯曲が劇作家協会の新人戯曲賞を受賞した鹿目由紀のあおきりみかんの新作。名古屋公演を経てシアターグリーン Box in Box。105分+ごく短いコントつき。12日まで。

道の真ん中で「モテたいんです、ハーレム作りたいんです」と叫ぶ女。まわりを歩く人々は気にも留めないが、どうして、と理由を聞いてきた男がいた。モテる人々をつかまえては、モテを会得しようとしていく。

ほぼ素舞台。会場時間から舞台を横切るように多くの役者。舞台奥には何種類かの大きさのフレーム。椅子にもテーブルにも部屋にも通路にもさまざまに変幻自在。モテと女と平和と、という結論の出なさそうな命題を、さまざまに切り取り、悩み、提示しながら、このフレームをさまざまに使って魅せる様はどこかフィジカルで、見た目にも美しくてちょっと不思議な仕上がりになっています。

アタシがあおきりみかんという劇団が好きなのは、語られる人々の強気も弱気も美人も不美人も可愛らしさも、どこか作家・鹿目由紀の分身にみえる、と勝手に思いこんでいるからにほかなりません。モテというものに少々底意地わるく語る(モテ5原則-女ウケのいいファッションは男にモテない、メイクも同じ、同じことを何回聞いても初めて聞いたフリができる、など)あたり、あるいは美人は必ずしもモテないとか、地味で素朴に見える彼女こそが一番モテるなんてのも、よく語られることな気もしますが、作家の語り口がみえるようで楽しいのです。

世界の平和とモテ、という無茶ぶりな世界の構築なのだけど、そこに男たちのやってることは戦争なのだ、という補助線を引いてだまされるように納得感が持たせられるのはあれよあれよという感じで楽しい。

間に二カ所挟まれる、オフィスのシーンがちょっと好きです。静かに働いているオフィス、徐々に人が帰り、少なくなったのを見計らって(恋愛)相談を始めるとか、それほど仲良しじゃないけど一緒に帰ろうと声かけられてご飯を一緒に食べて、その同僚が惚れているらしい店員をみたり、コンビニで立ち読みしている気になる男がいたり。全体に騒々しいくてファンタジーな物語だけれど、ほんの一晩のわずかな(少なくともリアルに見える)出来事が、この騒々しい世界を支えているのだ、ということが感じ取れて引き込まれるのです。

大屋愉快は大変な体力で舞台を疾走し続けて元気をもらう感じ。気にしてしまう男を演じた松井真人、祝福し続ける男を演じたとみィはカッコいい。美人と自ら名乗る手嶋仁美は違わぬ美しさがさすが。

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速報→「非実在少女のるてちゃん」笑の内閣

2010.12.12 13:00

当初上演しようとしていた劇場での上演拒否、という評判と、再可決直前という絶妙な時期の東京公演。120分。12日までシアターKASSAI。京都での追加公演が予定されています。

都の高校。青少年健全育成条例をつくるメンバーのひとりはこの高校の教師で、その成立を前にロリ、BL、暴力などの同人誌を描いているマンガ研究会を廃部に追い込もうとする。反対の声も上げられない彼らの前に現れたのは、マンガの国から飛び出してきた「非実在少女・のるてちゃん」の主人公だった。マンガに理解のある彼らの担任教師とともに反対の活動を始める。

今提案されている案からは削除されているようですが「非実在青少年」というキャッチーでつっこみどころ満載の言葉から広げた物語の世界。いわゆるロリコンものの規制だから自分は大丈夫だろうと考える私を含めた多くの人々に対する、恣意的解釈のできる表現規制がいかに怖いものかを描き、その向こう側に透け見える権力のエゴだったり権力のもつ暴力の怖さを描きます。しかし、全体のトーンは基本的にはコメディというよりはコントに近くて、暗転ぶつ切りな感じといい、全体に素舞台な感じといい。

趣味嗜好をのたぐいを販売の規制ではなくて表現として根絶するということの危うさ、そういう力に権力が魅せられるのだということをきっちりと。現在審議進行中の内容を扱い、法案阻止した、通したという結論にしないで、そこから「趣味嗜好は自由に持てるようにしなければならない、相手の同意と、子供の保護さえ担保されていれば」という着地点。横一列の圧巻な討論会から、終幕のパロディ(元ネタみといてよかった)「自分の趣向の発露」という着地点は、題材にもよくあっていて、うまくまとめた感じがします。

討論会の横一列という配置はうまくて、さらに舞台から張り出すように机を並べます。観客であるわたしたち、ひとりひとりに対して賛成も反対も語りかけるようで、どちあの主張もきっちり届く感じがするのです。

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2010.12.12

速報→「国道五十八号戦線異状アリ」

2010.11.11 19:00

劇団解散にあたり、過去の短編3本に新作1本を加えた75分。13日までサンモールスタジオ。

地球滅亡のカウントダウン、恋人が落ち合い、まさに最後の瞬間になるはずだったのに手違いで延期になってしまう 「さっき終わったはずの世界」(初演)。
切迫した場面にピザを配達にきてしまった男。大家と寿司職人を前に払わないという高いテンション。が、それには理由があって「テンパってる奴」。
芝居ってのは嘘なんですがね、終電で会社をサボって女と一緒にいる同僚を見かけた男が二人が降りた三鷹で後をつけて殺そうと企むが、なぜか上水路に二人は落ちて「三鷹の女」。
今度結婚するんだけれど、相方の男がマリッジブルーっぽくうだうだ。明日会おうといわれてるんだけれど「三鷹の男」。

15分枠でのショーケース企画で上演された「さっき〜」は役者を一新しての別の魅力。風琴工房ではみられない浅倉洋介の突っ走る感じはコントな感じで軽い笑いで楽しい。宇宙人のレトロポップな感じも可愛らしくて楽しい。

アタシは未見のギリギリエリンギ用が初演の「テンパ〜」はアドリブ率が高そうな感じで役者の魅力を楽しむのが吉。明大騒動舎っぽさが溢れてて、ステージごとに印象がことなりそうです。

これも未見、おなじ大学出身のエムキチビート(となりの劇場で公演中だ)用につくられた「三鷹の女」は、男の一人芝居、というよりは語り。コメディーじゃないけれど、フォーマットとしてはスタンドアップコメディ風。三鷹にまつわる作家を取り上げながら、史実に現在の彼らというか私たちのものがたりを滑り込ませる絶妙さ。

新作となる「三鷹の男」は、「〜女」と対比する感じで。劇団解散、という補助線を引いてみる感じ。作家も演出も役者も、そしてチラシで喧伝されてるために観客すらも解散というキーワードがわかっているはず、という作戦かもしれません。女ひとり、チェルフィッチュ風の語り口、結局のところ、結婚を約束した彼との細かなズレポイントと、そんな彼に対する愛情の深さ。恥ずかしげもなくという言葉がぴったり。遠く沖縄に離れた状態で作家が下記、別の人間が演出するという形だからこそこれだけのストレートな「のろけ」。ハマカワフミエという劇団の看板役者というよりはもう一つの柱への強い強い(恋愛とは違う風の)愛情を感じる一本。

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速報→「mug couple」東京ネジ

2010.12.11 16:00

東京ネジのカフェ公演。本公演ではあまり扱わない「恋バナ」を核として二人の会話を数珠つなぎに60分。12日まで、十条、Gallery & Cafe FIND。

5歳の子供を抱えて離婚した女が一緒にブラジル旅行に行くという相手は従姉妹の女の元彼で。ブティックの店長になった女が酔って同僚の若い男の家に転がり込む。男の姉は子供を預けたまま東京の弟の部屋に来て四日も帰らない。カフェの店長と懇意にしている客の女、少し離れがたい気持ちもあるが店長は結婚の予定があって。女の彼氏は役者らしいがとことん仕事しないだめんずで、女の携帯電話をのぞき観て。。同僚の若い男の部屋に結局何度も訪れる店長の女はクリスマスの予定を尋ねて。だめんずの彼はカフェの店長とフットサルでいつの間にか意気投合していて。東京から戻る日にカフェを訪れた女、残してきた娘に電話をして。

十条駅から徒歩5分ぐらい、住宅地の中にあるおしゃれカフェの二階、小さな空間、二つのテーブルを囲むように観客、ワンドリンクを手に気楽に観られる感じ。二人の会話のシーンが中心に構成。

男女6人、すごく若いわけでもなかったりバツイチだったりする女たちと、若かったりダメだったりすてきだったする男たち3×3。はっきりとカップルとなっているのは一組だけ。恋する女と母の間、仕事と恋いの間、男二人の間で揺れ動く女たち。トレンディドラマというわけじゃないけれど、あまりに狭い人間関係のなかで下手すりゃドロドロなわけですが、そういう愛憎を声高に語るというよりは、三十代という年齢なりの、おんなのさまざまをアソート。

で、オジサンになってずいぶん経つのに、いや年齢とは関係なく、そういう三十代ぐらいの恋バナ芝居が好きなアタシなのです。そういう甘酸っぱさみたいなものもずいぶんご無沙汰な(泣)アタシですが、そういうキュンとする感じの芝居がどうにも好きでたまりません。

たとえば若い男と年上でおまけに上司の女との微妙な駆け引き感。そこを絶妙に落とすクリスマスの予定の下りのコミカルさが好き。たとえば元彼と海外旅行に行くという双子のようににている従姉妹とその男にたいする観秒な感じ。たとえば離婚して次の男という女友達に対する、スタートすらしてないという周回遅れ感。結婚を前にすこしばかりブルーな男と女の微妙なしかし近づかない駆け引き感こういう細かな、もしかしたらあったかもしれない恋の場面の小さなキュン、が凝縮した感じで楽しいのです。

東京ネジの三ヶ月連続カフェ公演の一本目として予定されていた公演。佐々木香与子、佐々木富貴子が次回野田地図へのアンサンブル出演が決まったため残りの二本は来年秋への持ち越しとの告知あり。大切に紡ぐものがたり、少しお預けだけけれど楽しみなのです。

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速報→「国道五十八号戦線異状ナシ」国道五十八号戦線

2010.12.11 13:00

国道五十八号戦線の解散公演、2008年初演作の再演。75分。13日までサンモールスタジオ。

オキナワ在日米軍基地の将校のクーデターにより基地内の核発射施設が占拠される。が、主義も思想も持たない地元の若者たちの手によりあっさりシステムごとハッキングされ、核発射ボタンは将校の手も離れて若者たちの手に渡る。将校は日米政府と和解するが、熱に浮かされた数人の若者たちの独立する気運はワイドショーの格好のネタとはなったものの、半笑いの対象にしかならなかった。

沖縄に生まれ育った作家ゆえなのか、SFめいた荒唐無稽な物語ではあっても、どこかに私たちの今の感覚にうっすらつながるような印象の物語。初演は二段ベッド風で狭さが強調された、しかしもっとのどかな雰囲気すら残した印象の部屋だった気がします。再演のそれは、もっと広くなり洋服と酒が散乱し、時折通過する航空機の騒音以外には沖縄を感じさせるものはなくなっています。少なくと美術に関しては、オキナワという場所固有の物語ではなく、若者達一般、あるいが五十八号戦線という劇団のものとして作り上げられた印象があります。

確実にそこにはあるだろう「核」を身の丈に合わないまま手に入れてしまった若者たち。なにがそう感じさせるかわからないのですが、少々バカっぽくてもしかし彼らなりには真剣なキャラクタに感じられます。単純に独立に燃える首謀者たるセイテツとそれに巻き込まれる三人。オキナワネイティブではないけれど友人として共感している感のサトミ、なにを考えているかはいまひとつ掴めないエイリョウ、ハッキングの天才だが酒浸りのカシュウですら、どこか幼い感じすらします。対比するように、同年代で独立自体には興味がなくて、この場所とそこに居る彼らこそが大切だと考えるあかりや、もっと年上で実らない闘争の繰り返しであることを自覚している視点のスージーと、女性たちはどこか大人で、熱くはならず、しかし冷めきった視点でもない優しさに溢れる感じになるのは初演と同じなのです。

終盤、引導を渡されたはずの若者たちの大逆転な新しい「ちから」の使い方、みたいなのは、たとえば「沈黙の艦隊」の感覚ににていて、それをネットにゆだねよう、という感覚は初演当時のあたしには細かいところを吹っ飛ばしてもその楽天的な感覚が腑に落ちる感じでした。が、あれから2年。オキナワの基地の問題は大騒ぎになりながらも解決の糸口がないまま忘れ去られようとし、ネットが政治を直接的に揺り動かすような漏洩などが起きた今の目で見ると、それもまた一種の若気ゆえの楽天的な感じに見えてしまうのは彼らのせいではありませんが痛し痒し。一方でこの終盤についての説明はスピードと大音量ゆえか少々伝わりづらい感じがもったいない。

それでも「はじける若者たち」の若気の至り的で瞬発力、それが未来に向かって開いていってる、という高揚感がある物語は、理屈をふっとばして気持ちよかったりもするのです。

役者としてみるのは初めての詩森ろばの年齢不詳な怪しさ感、ちょっとかわいらしさすらあって楽しい。ハマカワフミエは優しさで包むようなところ、目を奪うようなかわいらしさが見え隠れでぼおっと観てしまう感じ。山本卓卓の鉄炮玉な感じ、さいとう篤史の友情厚い感じ、佐野功のクールな感じ、伊神忠聡の格好良さ、浅倉洋介の誠実そうに見えて怪しさいっぱいの感じも物語によくあっています。

あたしは、どうしても解散公演という舞台外の文脈と断ち切って観ることができません。彼らにしてもそうでしょう。もっともチラシ情報宣伝含めて、解散押しで告知しているわけで、(たとえ初見だったとしても)観客はある程度その文脈に呑み込まれている前提と考えてもいいのかもしれません。メンバーたちと同じ大学の出身である演出家は、その文脈込みでの演出で、一種の送辞をなしているのだなと思うのです。

物語には荒っぽさもあるけれど、「We are "Route58"」と題したA4びっしりな彼らのエピソード、その幾ばくかの物語を彼らと共有してきた、という物語とか芝居の外側の文脈込みであたしにとっては大事な一本なのです。

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2010.12.11

雪が降りました

ちょっと間が開いてしまったけれど、そろそろ書き始めようと思った矢先、松本に雪が舞いました。そろそろ冬、です。横浜は暖かいなぁ。

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2010.12.06

速報→「測量」タテヨコ企画

2010.12.5 15:00

タテヨコ企画の新作。三姉妹をめぐる温泉旅館のロビーでの物語、115分。5日まで笹塚ファクトリー。

温泉旅館の女将となった長女はサラリーマンの夫とも結婚し、母親が男と逃げ、天災で父親を亡くした後の温泉旅館をなんとか軌道にのせてきた。次女は家を飛び出しカメラマンとして活躍し始めたところ、三女は大学に通っている。ある日、家を出ている母親からの葉書が届き、「そろそろ戻る」という。東京に居る次女もオフを利用して戻ってきた日、大雨の夜。

その場所に居続け場所を守り続けてきたが、夫の転勤に心乱れる長女、この場所を大切に想いながらも奔放に生き仕事では成功をつかみかけているが恋愛という点では泥沼にはまっている次女、自分自身の人生を歩み始めようとしている三女という三姉妹の物語。この場所が嫌いというわけではないけれど、どこか「三人姉妹」の雰囲気だったり、あるいは「東京ノート」の雰囲気を感じるような、静かで隅々まで気を張ったものがたりの厚み。

温泉地で洪水を治める神と崇められる蛇の、子供を育てる悲しい民話を物語のバックグランドに。物語そのものに強く影響を与えるわけではないけれど、出ていったとしてもあるはずの、母親の想いのようなものを、母親自身を出ことなく物語の底に敷いているのです。ちょっとミステリアスというかオカルトっぽい感じの物語をぴりりと効かせて。

ものすごく影響を与えてる話ではないけれど、僧侶が弁当を食べながら、聞くとはなくほかの二人の話を聞いている、というシーン。何気ないけれど、ちょっといいなあとおもうのです。

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2010.12.05

速報→「アラカルト2」

2010.12.4 18:30

去年の改装準備公演を経ての新装開店、「アラカルト2」のタイトルにふさわしく、これまでの香りも(スポンサーも)残しつつ、次の一章を飾る初日。26日まで青山円形劇場。有償のワインサービス付き休憩10分を挟んで170分。あたしの観た初日は、川平慈英をゲストに。

一人で訪れる女「マラスキーノ・チェリー〜マティーニ3杯の幸せ」
タカハシは後輩を連れて来た「クリスマスのレストランで彼女を攻略する方法〜あなたに今夜はワインを振りかけてプロポーズ」
ゲストを呼んでのトーク「おしゃべりなレストラン〜ワインは喋っているうちにおいしくなるらしい」
幼なじみの男女、恋人ではないけれど「フランス料理恋のレシピ小辞典〜恋と料理は見る目を変えたら味わい深くなる」
休憩を挟んで、
ショータイム(ギャルソンショー、タップなど)
老年にさしかかる男女、くだらない駆け引きもふくめて「シュー・ア・ラ・クレーム〜恋人たちの予感」
一人で訪れた女、相手は訪れない、店が閉店するそのときに「シルク・ストッキングス〜クリスマスの晩の予期せぬ出来事」

「〜プロポーズ」はどちらかというとタカハシというキャラクタを続けるための苦肉の策という気がしないでもありませんが、先輩と後輩という新たなフォーマットの発明が偉大。「フランス料理〜」はアドリブ感満載だけれど、毎日替えているとは思えないので、どこまでが作り込まれているのかなぁと思ったりするのも楽しい。「〜予感」は、「(今日のディナーに誘ってくれたのは、他の人に断られれて)三番目でしょ」ってあたり、男が釈明のように「上から三人じゃなくて、高嶺の花だから」みたいなこというのだけれど、あながち嘘って感じじゃない、という絶妙さが好き。独り者の女のオープニングとエンディングが少しばかりのハッピーエンドになるのは、クリスマスらしくて楽しい。

去年のプロトタイプに近い印象。それまでの出演者とがらりと変わった座組。今のところキャラクタに頼らず、気持ちだったり、その会話のある狭い場所の空気感を大切に抽出してぎゅっとした印象に。

もう一つ去年からのフォーマットの特色は、家族の物語がきれいにそぎ落とされて、すべての会話が恋か恋人の基本を持つ形に。大切な人と過ごす風景を全方位で取り込んできたこれまでと比べて、さまざまに織り込みつつもカップルたちの物語、という狭いところを探していく感じ。いままで以上に誰か大切な人と一緒に観たい、と思わせる感じだけれど、一人で噛みしめながら観てみるのもまたよし。もっとも舞台の方は軽快でコミカルで、楽しい!というだけで過ごせてしまう3時間。

たとえば、典子さんとの結婚生活を送るタカハシ、ゲストトークのマダムジュジュというキャラクタを残したり、恋人未満の男女の駆け引き、女一人、などこれまでのシリーズの残り香も残しています。それを知っていればより楽しいけれど、知らなくても大丈夫。

「 初日のゲストは川平慈英。スポンサーについての会話、パソコンなら富士通というところをソニーのバイオなんていってみたり、カビラ家はアメリカの親戚の家にいった夜、子供だった彼がトイレに起きると、なんて会話で盛り上げ、そのあとの芝居もアドリブ風に楽しく、もちろんショータイムの活躍。浴衣姿でのタップダンス、なんていう趣向も楽しい。

毎年変わらずそこにあることが価値の「定番ステージ」なのだけれど、去年からのフォーマットは、新しい世代のそれに文字通りリニューアルしつつも、まちがいなく「ア・ラ・カルト」のそれ。またこれが年月と物語をゆるやかに重ねていく端緒になるのだと思うと、やはり見続けて行きたいのです。

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速報→「バウンティハンター」ロンドンパンダ

2010.11.4 14:30

London Pandaの新作、90分。5日まで王子小劇場。

ガレージに住む若者、仕事もなくふらふらしている。ある日、中学時代の友達を誘って金儲けを思いつく。それは指名手配犯に掛けられた報奨金が目当ての「賞金稼ぎ」だった。

北関東のいわゆる「ヤンキー」で仕事のない若者たち。ネットやら知り合いやら、犯人に近づくパスがやけに短いじゃないか、ということはあるものの、現代日本のニートのヤンキー、という読み換えをした西部劇的賞金稼ぎのものがたりの枠組み。それなのに、たった一部屋で展開するってのがちょっと面白い。

とはいえ、すっきり爽快感のあるものがたりではありません。当日パンフに云う「負け犬」というのは定職を持たないということではなくて、大きな力に対する「負け犬」感と読み取りました。後半は作りもの感あれど、少しばかりほろ苦くて物語に厚みを感じます。

土曜昼に設定されたトークショーによれば、作家自身はヤンキーにいじめられる側の生徒会長だったりして、実際のところは嫌いだとかいいながら、コミカルさだったり終幕のある種の格好良さだったりと、情に厚くて愛すべきキャラクタとして描かれるのは、どこで生まれても日本人のどこかに潜むヤンキー気質のようなものに共振する感じで、それはヤだなぁと思いながらもヨサコイの踊りにちょっと体が動いてしまう、なんてのとちょっと似た感じで楽しい。

これもトークショーによれば、奇数回にきっちりしたサスペンス調、偶数回にわりとゆるめの物語という色づけのよう。今回は奇数回にあたり、コミカルさと、どこか作りもの感はあるのでリアルというのとは違うし、都合がいい物語の運びだなと感じないことはありません。が、ヤンキーな二人、わりとふつうめの二人、中年の男という五人が、物語にのっかっていく感じで、時間を感じさせないようなエンタテインメントとしての物語の運びはたいしたもので、印象に残るのです。

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