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2010.11.29

速報→「演劇入門」本広企画

2010.11.28 19:00

平田オリザの7万部を越える新書を下敷きに、岩井秀人の脚本、本居★の演出という話題の「演劇入門」演劇。100分。13日までこまばアゴラ劇場。

引きこもりだった岩井は、カルチャーセンターの演劇、大学の演劇学科で教えられていた演劇のどうしようもない違和感が拭えないでいた。大学卒業後、なにをするでもなくふらふらしていた。そんなある日、岩松了の「月のつつしみ」に衝撃を受ける。

新劇的なもの、青春アングラ的な演出や芝居のつくりかたというものの違和感を揶揄する序盤。それらの芝居に対する敬意のようなものすらないあたり、充満する悪意。とはいっても、序盤のイキオイづけ、という感じてはあって、笑いも多いのです。青年団の役者ではおそらくみられない芝居(のデフォルメ)がみられるというのも、役者のファンだったりするとちょっとうれしかったりします。

「月のつつしみ」から「東京ノート」の一部を抜き出しての解説というのは、なかなかありそうでない感じ。「この芝居がどう(私にとっては)すごかったのか、ということをこんな風に現物を交えてみせられることはそうはありません。ある種「演劇(をみることの)入門」という形になっています。

あるいは、自作の二編「ヒッキー・カンクーン・トルネード」「手」の部分を通しての自分と演劇、あるいは自分と自分の家族を描くこと、というのを自伝のように描くあたりも「演劇(をやること)入門」という感じになっています。ハイバイを続けてみていて、トークショーなどを通じて岩井秀人という作家が描いてきたことの断片を知っていると、この後半部分は岩井秀人の自分語り満載になっていて、こんなにわくわくするものはないのです。その芝居(の稽古)の外側に居る父親という存在が置かれているのは実に刺激的なのです。

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速報→「夜のジオラマ」SPIRAL MOON

2010.11.28 14:00

ジャブジャブサーキットがSPIRAL MOONに2007年に書き下ろした作品の再演。120分。28日まで「劇」小劇場。

どこかの、なぞめいた部屋。ジャーナリストの女が引っ越してくる。世間の逆風から逃げるようにして、しかしジャーナリストとしての野心も失っていない。この部屋は、オーナーの意向で、部屋を出るときに必ず一つ、ものを残していくことが契約条項に入っている。30年後、同じ部屋を訪れる、その女の息子。懐かしさはないが、母親の断筆の原因がこの部屋にあると考えて、調査を依頼しにきた。その間をつなぐもう一つの時代、住んでいたのはその女のもう一人の娘で。

みたことない話だと思っていたら恥ずかしながらたぶん初演を拝見しています。はせひろいち独特の、少々頭良さそうでありながら、皮肉も交えたりな軽い語り口。直接に語らず、もって回ったような語り口というのも作家の特質で、そこについていくのはなれないと少々苦労する感じもあります。

建物に残る記憶で、そこで起きたことの再現がされるというSF風味。ジャーナリスト、カルト、母親と子供たちの思い、さまざまをきれいにつないでいく感じ。正直に言うともう少し刈り込んだタイトな感じでみたい気もしますが、まあそれは作家も演出も持ち味とは違う感も。

後半でしっとりする七味まゆ味、前半でのはじけるような感じが好きです。もっと作りもの感の役は多いけれど、こういう感じは実はちょっと珍しい。 秋葉舞滝子の終幕ちかくは、さすがに力を感じさせます。たったひとりで時間のながれを感じさせるしっかりとしたちから。なぞめいた不動産屋を演じた岩井太郎は、飄々とした感じがあっています。ロボット(?)を演じた村岡あす香は、一本調子の静かな感じで通していますが、午前中にみたロボット演劇とか展示との対比でみると少々古典的なロボットに感じてしまうのはテクノロジの進歩なのか、うむむ。

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速報→「働く私」経済産業省・日本機械連合会(ロボット大賞)

2010.11.28 11:00

日本科学未来館でのロボット技術にまつわるイベントの一環として、2008年初演の30分作の再演。28日一日限り。イノベーションホール。

家事全般をロボットがこなすようになりはじめている。夫婦二人の家に、二台のロボット。夫は仕事をしていない。ロボットも一台は仕事ができなくなっている。

三菱重工製のコミュニケーションロボット。 音声認識ではなく、役者の台詞に会わせて袖で操作しているということのよう。 ミリ秒単位で追い込まれた動作をロボットにさせるだけでも感動を生める、みたいなことをどこかで読んだ気もしますが、すくなくともあたしはそこまでは至りません。相手を推し量る、というかなり高度な感情を表現させようとしているということも、少々無理な印象があります。

働くためのロボット、という枠組みの対比としての「働かない私」という人間とロボットの姿という描き方、人間なら鬱などの形でわりと身近に感じられるようになってきましたが、その原因がわからないままにロボットにも起きているというのがちょっとおもしろいのです。

同時に開催されている「日本ロボット大賞」の展示もちょっといい。ヒューマノイドだったり、あるいは運転支援のための仕掛けだったり、イチゴ摘みだったりと今のひとつの姿をみせていて、見せ物的な好奇心を満たしてくれるのです。しかし、この箱ものの建物、すごいなぁ。

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速報→「サンタクロースが歌ってくれた(10days limited version)」キャラメルボックス

2010.11.27 19:00

13年前以来の4演め。25周年のお祭り企画的な別キャストバージョン。28日までサンシャイン劇場。120分。

恋人のいないクリスマスに映画に出かけた女二人。ガラガラの映画館で上演されていたのは「ハイカラ探偵物語」。怪盗黒蜥蜴に対決する若き日の芥川龍之介と江戸川乱歩、という物語だが最初のクライマックスシーンで、犯人の筈の女が画面から居なくなる。画面の中は大騒ぎになるが、どうやら銀幕からこちらがわの世界に逃げてきたらしい。

映画の登場人物がこちら側に、という設定からしてSFマンガ風味。10年目ぐらいまでのキャラメルボックスには多かった冒険活劇てんこもりな感じで楽しい。最初のこの無茶な設定に乗り切れないと少々厳しい感がありますが、前のめりにのっかっていくのが吉。

でも、メインの物語よりは、タクシーの中、あこがれの作家と二人きりになった女の静かに溢れる思いのシーンや、幼いころの二人のシーンというあたりの方が強い印象を残します。初演の時のあたしの感想を読み返すと同じようなことを書いているので、そういう意味では物語じたい、あたしにフックするところがそういうところなのだ、ということかもしれません。

最初はあそびだったはずの、「警部が反対側の電車に乗ってしまい懸命に走る」というシーンを、今作においては仕掛けもふくめてもう少し強力にフィーチャー。やりすぎな感はあるのだけど、それをばかばかしいぐらいに押し込んで作り上げることで疾走感のようなものが生まれるのは楽しい。でも、それ、物語に関係ないんだよな、という野暮はいわない約束。オリジナルキャストの近江谷太朗の印象も強い役ですが、阿部丈二が好演。

真柴あずきのアネゴ的キャラ作りが楽しい。岡内美喜子のまっすぐ感はミツという役によくあっていて。伊藤ひろみの長髪姿はちょっと珍しく、可愛らしくて印象的。

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速報→「ハロースクール、バイバイ」マームとジプシー

2010.11.27 14:00

マームとジプシーの新作。前売りは完売していますが、当日券でもぐり込みました。100分。28日までシアターグリーンBaseシアター。

かもめ中学校の女子バレー部。三年生が抜けて二年生に代替わりした6月。ちょうど一年前、一年生のとき転校生でやってきた「るな」とエースになった「しほ」、チームメイトたち、級友たち。合宿のあとのバレーボールの試合、不利なままの前半。でも頑張るチームメイトたち。

年に一度の転校続きで部活動にも、おそらくはクラスにもあまりなじめなかった転校生。半ば強引にさそわれ入ったバレー部、初めて教えてもらった、誘われてほんとに仲良くなった二人。この二人を枠組みにしながら、物語半ばで語られるように中学校の生活の日々がまるで水槽の中のグッピーのよう。そう多くない場面を断片を思い出として描き丁寧に積み重ねる前半が集約されるような場面がちょっとすごい感じ。

胃が弱くてトイレから出られないとか、運動音痴とか。中学の部活というある種、専門化していって分化する前の一瞬を切り取ったからこその、ミクスチャなさまざまゆえの人々。 初めてのマクドナルドの外国な感じ、不良の先輩のこと、部室で腐ったカツサンドとその犯人、教室掃除の時間、合宿の前の日のある種の高揚が中盤までもりあがるのです。アタシの友人がいう「チェル+王者館+ビューティフルドリーマー」というのはものすごく腑に落ちる感じ。そういう90分が実に濃密で。あるいは少々ほれっぽい感もある片思いな風景、消えゆく風景、近所の銭湯という家族とは切り離せない中学という時間で、それは切ないのです。

あるいはもう一つ感じるのは、成長していくために必要な過程。いわゆる体育会系部活動には無縁だったアタシは40歳過ぎてからわかったのだけれど、今作、 幼いなりに「プレーのために」がんばる集団マネジメントの萌芽。

合宿の二日目の朝に語られる、たったその一言だったり、見慣れた風景がなくなってしまうということだったり、片思いだったりという、切なさいっぱい、溢れるあの時間をパッケージしたような感覚。断片として繰り返し語られるというのも記憶で断片を思い出しているような感覚にとらわれるのです。「リピート芝居」が好きじゃないアタシですが、自分の波長にぴったり合うと、こんなにも楽しいのです。

この切なさの感覚は理解できるし好きなタイプの芝居なのは事実なのだけど、 何人もの観劇巧者の友人たちの大絶賛、たとえば手法のすごさというものは、あたしがチェルフィッチュのすごさを説明してもらうまで理解できなかったのとおなじように彼らの手法のすごさというのはじっさいのところ、まだ巧く説明できるような言葉になっていないのが、自分ではもどかしいのです。

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2010.11.22

速報→「~あの素晴らしい闘争(まつり)をもう一度~」バナナ学園純情乙女組

2010.11.22 10:30 / 13:00

桜美林・明治・早稲田の大学祭イベントを巡り、ツアーファイナルとなる一日限りの劇場公演を王子小劇場で。75分。

彼ら自身がヲタ芸と呼ぶ、楽曲にあわせた群舞を中心とした「おはぎライブ」をたっぷりと4ブロックで構成。祭りとか大学紛争とか恋心とかの断片は見え隠れするものの、物語のある芝居ではなく、かといって美しい身体表現とも違う、強いテンションのライブ。長い期間をかけて練りこみぎりぎりまでチューニングしているわりには、どこか危なっかしかったり完成度とは違う何かの到達点を目指しているようで、そういう意味では「素人の芸」だという指摘はあたっているような気がします。

切実に何かを表現したいという欲は痛いほどに感じられるのだけれど、それがこういう発露をするのはエンゲキに近いフィールドからはあまりみられず、アキバ芸の領域にちかいのだけれど、アキバ芸とは観客のとの距離の取り方が結果として微妙に遠いのがあたしには心地いい。アキバ文化は嫌いじゃないあたしだけれど、目指すべきはそこじゃなくて、クラブ、しかもあたしが気後れしない程度にはダサい感じがほしい。なんてのはまったくもってあたしの個人的な感覚。

最近さわがしい「ヨサコイ」はいわゆるヤンキー文化の発露でそれが表現に向かったかたちだと想っているのだけれど、バナナはそのテンションも見え方も似てる感じがするけれど、あたしは、表現の形態としては対極にあるのだなと思うのです。

それでもこれだけ濃密に詰め込むテンションの若者から発露する何かというのはあります。もう一つあたしの希望からすると、やっぱ物語のある演劇を含んだフォーマットたるバナナが残ってほしいなあと思うのです。

この手のライブでうるさいこと云うのは野暮だけど、どうもDJとそれ以外のマイク系統の音のバランスがおかしくて、あとしとしちゃ演者側の声が聞きたいところ。

ところで当日売ってたCD、イキオイで買ったはいいものの、だいじょうぶかしらん、いろいろ。

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速報→「果実の門」乞局

2010.11.21 15:00

乞局の劇団創立10周年公演の第二弾、過去作品のキャラクターたちを詰め合わせて、新しい物語として構成する110分。23日までアゴラ劇場。前売りは完売しているようですが、当日券はそこそこに出ているようです。

その町には、他では居られなくなった秘密を抱えた人々が、余生を「弱火で過ごす」ためにやってきて静かに暮らしている。大きなもめ事は起こらないし、起きそうになると浮浪者たちがそれこそカラダを張って、暮らしを守るという。そのことに感謝する人々は引き替えに食べ物などをこっそり彼らに渡したりする。そんな町に一つの家族が引っ越してくる。家族から離れ一人でやってくる人の多いこの町では家族ぐるみというのは珍しい。元警官の夫は何かをやらかして、警官を続けられずここに来たのだが、秘密を抱えた多くの人々に疑念を抱き、自分の正義を貫こうとして、町の人々から疎まれて。

殊更に露悪的なものを散りばめた物語が多かった乞局なのだけど、気持ち悪い作風は残しつつも、家族を描くことが多くなってきた最近。人殺しから万引き、どうしようもない性癖や珍しい身体的特徴などをそれぞれにもつ、過去作品の「えぐい」キャラクタを集めていますが、そんな彼らが内面では陰鬱としながらも、少なくとも表面的には穏やかに暮らす町、という描き方。

新たにやってきた家族、この街がどん詰まり、居られなくなったらもう行く当てがないと考えて馴染もうと必死な妻や、若いなりに街に受け入れられ、若い女故に自身の危険が迫っているのにまだ無自覚な娘、このコミュニティでは警官という役割ではないのに、自分の過去の仕事をそのまま無理に続けようとして勝手な正義を振りかざし、上から目線で街に接しようとする夫、その軋轢を経て牙を抜かれてしまう姿。 あるいは家族以外でも、結婚できないままに屈折し、好意を寄せる男からは邪険にされ、自分に好意を寄せてきている男のことは無自覚に邪険にするという女など、さまざまに。

描きかたこそ癖がありますが、どこでもありそうな新参者とコミュニティの軋轢や危機をコンパクトに描き込んでいて、じつは明示的に描かれない、この街の人々の内部で起きていることが怖いな、と感じさせるのです。

早くも枯れる指向に行ってしまっていいのか、という気もしますが、これもまた「家族がいるゆえに支えられている」ということと「家族がいるゆえの苦悩」のようなもので、作家自身の今(現実はどうであれ、考えている)を描いてることとしてのある種のリアリティだよな、と想うのです。

序盤、浮浪者二人が日本語ではない何かの言葉(まあ、多分でたらめなのだけど)でこの街を説明するというシーンが圧巻。後半にで描かれる居酒屋のシーンも、そこまで積み上げてきたこの街の隠れたマグマが噴出しそうになる軋みが見えてきて楽しい。

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速報→「りんごりらっぱんつ」競泳水着

2010.11.20 19:30

しばらくの活動休止を発表した競泳水着の新作。120分。23日までサンモールスタジオ。当初の前売りは完売したようですが、月曜昼に追加公演、当日券も出しているようです

姉妹。仲良く育ち、姉はパティシエの学校に行くために上京したいと考える。妹にも上京を勧めるが、親と恋人の心配から姉は上京を諦める。それでも妹は大学入学を果たし上京する。姉の果たせなかった夢を追いかけるように、妹はレストランでアルバイトを始める。恋もして、ルームシェアで友人たちを得て、東京で暮らし続けている。

姉妹の育つ姿をオープニングに、その背景を持って描かれる本編は主に細野今日子演じる妹の上京10年を軸に描かれます。上京にまつわる物語、というとトープレが記憶に新しいところですが、どちらかというと男目線で、作家自身の物語に見えてしまうある種の生臭さを持っていたのに比べると、今作は女性を物語の主軸に据えながらも、作家自身の体験に見えるような細かい「おかず」を入れるという方法で、客観視した物語と切実なリアリティの厚みとを両立することに成功しています。

成長する姉妹と母親のシーンに序盤からがっちり物語に取り込まれます。子どもを演じた細野今日子、川村紗也が本当の子どもから成長していくコンパクトに切り取られたシーンは鮮やかなだけではなく、妹が姉や母親に対して抱く想いを台詞ではなく、観客にも体験として与える凄さがあります。物語全体の流れは映像にも十分耐えうる強度がありますが、この部分は大人の役者自身が成長する鮮やかさをもっていて、映像では作り出せない舞台ならではの醍醐味。

あるいは終盤での「中央線」で偶然であった二人の女性の会話もちょっとスゴい。上京直後で慣れない臆病さをきっちり描くだけではなく、独立した点に過ぎなかった物語のピースがするするとはまっていくよな快感があって印章に残ります。

結構な人数の出演者たち、いくつかのクラスタに別れながらも、いわゆる使い捨てのキャラクタが居ないというのも印象的。恋愛を主軸にした「トレンディードラマ」路線も、緻密にくみ上げられた「ミステリー」路線とも違う第三の路線とでもいう女性の成長譚の物語になっているのです。こういう路線が得意なのはNHKの朝ドラですが、その骨格の物語にもなりうるような強固な物語になっているのです。でも上に上げたように映像ではなしえないような舞台ならではの演出で作り込まれていて、芝居好きのアタシは喜んでしまうのです。

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速報→「エンドレスサラヴァー」あなピグモ捕獲団

2010.11.20 15:00

あなピグモ捕獲団の新作。90分。21日までOFF OFFシアター。

締め切りに息詰まる作家、その作家の元に現れたのは書生を名乗る男。大学の文学サークル、このサークルに在籍していたらしい作家の昔の文章の痕跡を探して部誌を探し回る人々。

表現するということを割と大上段に構えた感じ。締め切りという区切りで千切ること、門番なる編集者らしきものの存在。妻の人となりが曖昧なのを次々と変わる役者で表現したり。正直に言うと、思わせぶりでキャッチーにちりばめられた物語の断片、あたしには少々抽象がすぎるようで、物語としての流れを理解するに至りません。 何かの悩みを抱える作家の気持ちの溢れる吐露だということは感じるものの、二つの世界がどう対比され、結局はどういう話なのかということが、いまひとつしっくり感じられない感。

第三舞台の「朝日〜」の世界のような抽象っぽさはスタイリッシュだし、カッコイイ。役者たちは魅力的。装置だって狭い舞台の上をうまく生かすような「からくり」がたくさん。奥にしつらえられた押入れは動いて中央に通路が出現したり、舞台袖が動く仕掛けもおもしろくて、OFF OFFの狭さを逆手にとって驚きになるのです。

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2010.11.21

速報→「月と牛の耳」渡辺源四郎商店

2010.11.19 19:30

作家畑澤聖悟が弘前劇場で上演した戯曲を東京デスロックの多田淳之介の演出で、渡辺源四郎商店との合同公演として。23日までアトリエグリーンパーク、そのあと、きらりふじみで上演。120分。

青森のターミナルケア施設。かつて武道家として名を馳せた男が入院している。病気で、大学生だった長女のところに恋人が結婚を申し込みにやってきた7年前の春の一日を毎日繰り返している。4人の子供たちは毎年、母親の命日である6月に集まり、その一日を演じている。7年前のままを演じることに無理を感じてきた子供たちは今年限りでやめることにした。

舞台奥の壁はタイル状に板。物語の中心には絡まないけれど、記憶のピースを象徴的に表しているよう。舞台はヘリのない畳が敷き詰められ道場のようになっています。

わりと情に訴える感じのウエットな物語。デスロック流のノイズを多く含む演出。ト書きをリーディングのように読み上げたり、結婚の申し込みをあたかも決闘のような対峙として描いたりと、一筋縄ではいかないとんがった演出はウエットさが勝る一種ベタな物語と組み合わせると、とんがりすぎず、不思議なバランスがあっておもしろい。

普段とは違うタイプの演出となるナベゲンの役者にはどことなく戸惑いを感じないことはないのだけれど、新しい一面になっているよう。

多田演出は肉体の疲れによる変化みたいなものを主眼に据えることも多いのだけれど、今作においては夏目慎也文字通り一人で背負っていて、ドンキホーテを演じた時につながるかっこよさすら感じさせます。

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2010.11.15

速報→「マウンテンみるく、波打つ」市ヶ谷アウトレットスクウェア

2010.11.14 18:00

「ガヤスク」の旗揚げ本公演を「フルオープンステージ」と銘打って。70分。14日までシアターミラクル。

港町。中学生の頃に天才どころかバレーボールの神と崇められた少女。最後の試合での手痛い敗北をきっかけに高校生になってからは表舞台から姿を消したばかりでなく学校にもいかなくなってしまった。そんな日常の港町をおそったのは人間に恨みを持つ海神だった。バレーボールの技で襲いかかる海神を止めようと奮闘していたのは、牛と、その下僕となって働く風神・雷神だったが、どうにも歯が立たない。

まあ「荒唐無稽」なファンタジー。疑問を差し挟む間もなく一気に観客を巻き込もうというのは正しい。 「血肉」をもたざる鯛焼きの権化で本物の鯛となって海に戻りたい風神雷神、血肉はあれど自分のものではなく人間の為になってしまうのだという不満を抱える牛、命の源なのに人間に傷つけられ続けた海。自分の為に血肉を使えて能力もあるのに一回の挫折から立ち直れない主人公を復活させたのはシンプルな「応援する人」の存在と、その声援。ごく純粋でシンプルな骨子に、少年ジャンプ的なヒーローとか熱い想いのトッピングという体裁で物語がかtられます。

正直にいえば、この、少々わかりにくい人間でないものたちの想いというものを、もっとすんなりだますなり納得感を持たせるなりしてほしいなあと思ったり思わなかったりします。リアルなんてことはあり得ないのだから、序盤でのテンションは、ここまで一気に引き吊り込んでほしいなぁと。

左右二つのスクリーンを演者自身が操作して画面を送るのは段取りになりがちだけどちょっとおもしろい。神を「ネ」「申」と分割するネットスラングっぽさを「魚」「周」とするバリエーションがもちょとあればとおもいつつ、実は中央に大きな役者が来ると見えないというテクニカル(もっと左右端にするとか)なところも、まあはたあげっぽさ。

彼らのいう、表現したいという噴出「アウトレット」がなになのか、というのはもう少し、観てみないとわからないかな、とも。

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速報→「PUZZLE」PLAT-formance

2010.11.14 14:00

コントユニット、PLAT-formanceの公演。値段と時間を変えた3バージョン、21:30公演などのバリエーションも嬉しい。15日まで王子小劇場、アタシの観た日曜昼の「ハード版」は60分の本編に、国道五十八号戦線のハマカワフミエをゲストに迎えての追加コントつきで休憩込み合計80分。

それぞれのパートに特に観客に知らされるタイトルはついていません。アタシが便宜的に。
(1)遅れてくる「エンドウ君の人となり」を紹介します。
(2)いろいろやってみる二人の「脳トレ」は余りに点数が低くて。
(3)浄水器をうりつけようとしつこく繰り返される「電話セールス」。
(4)記録に挑戦しようとする「長なわとび」の二人の息がなかなかあわなくて。
(5)地図を頼りに男がやってきたのは、死んだ人と出会えるという「心霊スポットのベンチ」で。 (6)「夜店で買った金魚」を、はたしてどうしたものか、なんてダラダラ二人語り。 (ゲストコント)夜の街角に立つ男女はそれぞれのパートナーに「秘密の仕事」をしていて。

たとえばラーメンズ、にたとえられる「テレビに出なく」て、「スタイリッシュ」なフォーマット。ラーメンズ未見なアタシには、たとえば「シティーボーイズ」が近い印象。どういう背景のメンバーか今一つ知りませんが、二人のずれた会話の楽しさと間をつなぐ音楽の使い方がおしゃれめなのだけど微妙な親しみやすさがあるように感じるのがアタシにも見やすい感じ。

オープニングのビデオが結構秀逸。もっと凝ったおおがかりなものはNYLON100℃が最近やっているけれど、この規模の劇団で生身の役者と映像をブリッジするようなカッコイイものに出会うのはなかなかありませんが、これはごく短いけれど素敵。

「脳トレ」「電話セールス」「長なわとび」と安藤理樹がどんどんずれた会話に吉田能をひっぱりこんでいく感じがグルーブですら感じさせて楽しい。特に「電話セールス」のむちゃくちゃぶりが好きですが、電話セールスに辟易したことがあるとなかなか微妙な感じではあります。

ゲストのハマカワフミエは初コント、というふれこみ。空想組曲の破壊力のあるアレはコントじゃなかったのかぁ。可愛らしくて勝ち気なオンナノコ、という見た目のアイコンに少々苦戦した感もありますが同年代だという三人のやりとりは楽しい。

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2010.11.14

速報→「迷子になるわ」五反田団

2010.11.13 19:30

五反田団の新作。115分。14日まで東京芸術劇場小ホール1

喫茶店らしい場所。女が相談している。なにかもやもやひて晴れないが、原因も結果も分からない。それは両親のことかもしれないし、ずっと昔の不倫の彼のことかもしれないし、久々に再会してつきあうことになった実直な彼のことかもしれない。

どうしてもおしゃれ感いっぱいのフェスティバルトーキョー(F/T)の演目は気後れしてしまいがちなのですが、アタシの友人の大絶賛が後押しに。女性目線で、現実か夢想かの境界がはっきりしないような物語に不思議な強みがあるとアタシが思っている作家、なるほどそのちからが存分に。

喫茶店での実在しない姉との会話に端を発して、そこで再会したばかりのはずの男とも、ずっと昔の男とのことも、両親とのことも、あるいは将来生まれてくる子供のことも。時間軸をすべて見渡すように、自覚すらせずに自在に行き来する軽やかさ。それを少々手垢にまみれた四次元、なんて言葉じゃなくて、「時間を平面に」という、ずらした(しかしわりと本質的な)言葉に言い換えたのは秀逸だと思うのです。

別れ際に、未練たらしく続けようとする男と、(少し長い距離を歩いても)今日でオシマイとする女のシーンが切なく思えるのは、自分がその未練側のあれこれを勝手に思い出すからかしらん(泣) 。

伊東沙保はほぼでずっぱり。この混乱しがちな流れの中の観客の視座をしっかりと担保するたしかなちから。派手な動きではないけれど、街歩きの細やかさから、病院での恥ずかしさとコミカルの同居、終幕のちょっとびっくりするところまで、振り幅の広さが魅力。後藤飛鳥の小柄を逆手にとった母親の洗濯物を畳むシーンがちょっと好きだったりします。

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速報→「蛇と天秤」パラドックス定数

2010.11.13 15:00

38℃」の改訂版といいながら、結構体裁は変わってる感の90分。15日まで恵比寿ギャラリーsite。横に広い客席。OHPも見えるなるべく長辺中央を。公式忘年会の告知つき。オマケも楽しい。

大学病院が主催する結核についての市民講座。帰るように促されながらも聴講者に混じっているのは製薬会社の研究者と営業。この病院で少し前に連続して8人の患者がが死亡したのはこの製薬会社の新薬に原因があるとしたことに抗議するためで。

製薬会社と医者、たんなる金銭的な癒着ともちがう、新薬や治験といった一種の持ちつ持たれつ。病気を治したいといういわば絶対善は共有されているのに、なにかのネジがくるっている閉じた世界。

ネタバレ。※どうもアタシ別の作品の記憶と混同してたようです。2010.11.14朝に訂正しました(削除を取消線、追加を下線)。

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2010.11.08

速報→「20年目の正直」双数姉妹

2010.11.7 17:00

旗揚げから20周年、20年続けてきたことを二つの時代で見せるセルフポートレイトのような仕上がりは切ない。最近ではなかなか難しくなってきた現劇団員総出演がうれしい95分。13日までRED/THEATER。

徳川幕府の財宝を掘り当てようと、父親から受け継いだ古文書をもとに山梨の山奥で発掘調査を続ける人々。初めてから3年目、手がかりとなる木片の発掘でテレビ局の取材に沸く一同。大学を卒業しようという時期で、これを続けるべきなのかに迷いと軋みが生じてくる。それから17年目、まだ発掘を続けているがめざましい進展はない。かつての仲間で山を下りた女の娘が、親から匿ってほしいとここを訪れる。

20年続いた団体の3年目を若手が、20年目をベテラン勢が、という布陣に。同じ場所で転換することなく平行して進む物語や、なにをしている人々なのかなかなかわからない序盤は戸惑うものの、そのフォーマットがわかってしまえば激しい切り替わりも何のその。

物語自体は、劇団の話ではないけれど、大学卒業あたりで起こる出来事、果たして掘り進む先に成功があるのかどうかさえわからないまま進まなければならないことなど、彼らが通ってきた20年の厚みを感じさせるつくり。もっとも、ほんものの双数姉妹のほうは表現の形態をがらりと変えたり、メンバーも相当入れ替わっているわけで、今作の「一つに拘泥して何も変わらないまま埋没していく」彼らとはすこし状況は異なります。

この場所を維持していきたいという想い、そのためには手段を選ばない、というあたりの「木片」の使い方が巧い。じゃあ、劇団ってもののそれは、なんだろう、小さな成功がやめるタイミングを逸しさせるということかしらんと思ったり。若いときならいざしらず,20年経ったあとで梯子をはずされたときの足下のゆらぎ感は大げさだけれど、気持はよくわかる。

時代を隔てた二つの場面、同じ人物をつなぎあわせるためにことさらの特徴的なしぐさを共通に演じさせます。この演出家がそのような手でしかつなぎあわせることができないとは考えづらいので、ことさらに戯画的にして生臭さを消そうとしてる、というのは考えすぎかなと思ったり。 同じようなことは、時々唐突に現れる不自然な振りというか身体の動きにも感じます。内面を台詞ではなく身体表現としてやろうとしているのかな、なんてことをつらつらと考えたりもします。

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速報→「俺の屍を越えていけ」七里ガ浜オールスターズ

2010.11.7 15:00

渡辺源四郎商店の畑澤聖悟の短編を七里ガ浜オールスターズの瀧川英次の演出で。小劇場的にオールスター的な顔合わせも楽しい70分。7日まで雑遊。

ラジオテレビを持つ青森の地方局。経営状況は悪く、建て直しを期待されて乗り込んできた新社長は、若手社員を集めて管理職からリストラ対象者を一人選ぶように命じる。

安定した役者に密度の高い物語。初めて見る観客にも、過去の上演をみた観客にもリーチします。会議を取り仕切る中堅のラジオ制作が物語の雰囲気を決める気がしていて、今作で演じた野口雄介は、熱く燃える気持ちと抑えた大人の会話のバランスがよくて、小気味いいのです。 一番の若手を演じた佐藤みゆきは微妙に挙動不審な感じで一番の若手という戦略、ちょっと楽しい。報道という役柄の浅野千鶴は、男勝りながさつさ、というのがポイントなのだけど、なかなかそう見えない可愛らしさが出てしまうのが惜しいといえば惜しい。瀧川英次の演じる営業の暑苦しい熱さはらしくて好き。須貝英はまっすぐな気持ちと最後のどんでん返しまでの秘めたる気持ちまでの静かさ。この座組の中で唯一再登場となる葛木英は、追い落としたい上司のよくないところをあげつらうあたりの崩れ方が前に観たときよりもずっと説得力な感じ。 たとえば「月並みな話」や「召命」といった、一人を選ぶコンパクトな会話劇というのは魅力でいろんな座組で観ていきたい感じがするのです。

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速報→「シックス・ストーリーズ( フェルマー版)」4LDK

2010.11.6 16:00

六つの物語、というタイトルなのに12本できてしまったとのことで6本ずつにパッケージした2バージョンを交互上演。アタシが観たのは「フェルマーの最終定理公式版」。(なんか言葉が変だけど)。今回のまつもと演劇祭の中では唯一の現代を舞台にした芝居です。短編だけあってコント風の仕上がりも。55分。7日まで信濃ギャラリー。

トイレもないような小さな蔵の中。客席を四方に作って、ぎゅっと近い空間。いわゆる「現代口語演劇」をやっているのは今回の5本のうちこれ一本。もちろんアングラもエンタメも楽しいけれど、そこに生きている人々の息づかいや気持ちというふわふわしたものを表現に昇華するというのがアタシが芝居に求めていることだったりするので、そういう意味ではいちばんしっくり。一本あたり10分弱で、物語をつくりあげるというよりは、どうしてもワンアイディアの着地点だったりアイディアの提示で終わってしまうので、こういう感じでの物語を見たい感じも。それにしても2バージョンというのは悔しい。いつか120分枠にして一挙上演してはくれないものか。(で、できれば平日遅めの夜公演を)。

ネタバレかも

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速報→「花街夜想曲(ノクターン)」新太屋プロデュース

2010.11.6 14:30

まつもと演劇祭のなかの一本。劇団の前回公演からのスピンアウトなのだそうです。55分。7日まで上土ふれあいホール。

色街で青衣を手に入れた花魁は松の位という最高位を手に入れることができる。今の松の位を手に入れたのは白波太夫。ある頃から、白波と関わりをもった客は鬼の仕業で人隠しにあう、という噂が立つ。白波を妬ましく思う花魁もいて。

江戸時代の和ものというよりは時代活劇の様相。ニヒルでハットをかぶる陰陽師崩れの探偵もどきがいたり、可愛らしくボケをかますドレス風和服の女の子が出てきたりと、スピード感のあるポップな舞台。どこかで観た雰囲気に似ているとおもったら、カーテンコールの拍子木で気がつきました、これ新感線な雰囲気。こういうエンタテインメントな路線の芝居は一歩間違うとえらく安っぽくなりがちで、それから逃れるために新感線はどんどん高額な舞台になっていってしまったのだけど、セットだけには頼らず、シンプルでポップに仕立てた和服風の仕上げでなかなか見せるエンタテインメント路線に仕上がっています。

鬼に魅せられてしまった欲深さから操られてしまう人々、そのダークフィールドに取り込まれずに凛と立つ女という姿が美しい。鈴音を演じた武井あずさはひとり現代的な衣装とボケまくりなところ張りつめた物語のテンションをゆるめ緩急をしっかり。白波を演じた太田理恵子は落ち着いた美しさで舞台をしっかりと支えます。取り込まれる旦那を演じた島津則雄は味わいがあって説得感があります。

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速報→「凪ノ國」P.s マークII

2010.11.6 13:00

ワークショップ卒業生によるユニットの公演。50分。7日までピカデリーホール。

秋田の海辺の町。崖の上から風車を投げて風神を鎮める奇祭、「来奈津まつり」の季節。姉からの手紙を受け取って久しぶりに故郷に戻った妹。しかし、姉の姿はなく、叔母の旅館を手伝って姉を待つことにした。離婚、病気、リストラを受けた姉を池袋で見かけた気はしたが。同じ日合宿だという女子高生たちが宿に泊まっているが様子がおかしい。

松本の小劇場演劇の核となる劇場で、もっともキャパシティも大きい劇場。演劇ワークショップ本年度卒業生ということだけれど、正直に言うと、役者に関してはまだまだ技術という点では追いつかない感もあります。姉と妹を巡るなぞめいた物語の一点収束と、終幕の美しさで舞台を支えるという戦略はある程度成功していて、「芝居をみた」という感じのする仕上がりになっています。

それでも、こういう一般市民向けのワークショップと継続的な発表の場を持つというのはなかなか大変なことで、それを続けていることはたいしたものだなと思うのです。

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2010.11.06

速報→「未完のフーガ」演劇実験室◎経帷子 & Godsound+Studioend

2010.11.5 20:30

まつもと演劇祭のなかの一本。人形劇と人間の芝居のコラボレーション。旧鶴林堂ビルの2Fで60分。7日まで。

自分が何者なのか何処に行こうとしているのかわからないまま歩き続けるのに、いつも同じ川辺に戻ってきてしまう。「ワタシのためにピアノを弾いて」という言葉の記憶だけがずっと頭の中で繰り返している。街ではかつてヤクザの情婦だった女が弟子たちをつかってターコイズリングを持つ男を血眼で捜している。そこにかつての男が自分の作った人形につける「左手」を探しにやってくる。

ごくごくシンプルにファンタジーめいたしかし切ないラブストーリー。何者かわからない自分と、ミステリアスな女、ピアノや指輪、人形といった道具立て、大量のスモークや白塗り。少々取っつきにくい感じもある、いわゆるアングラの範ちゅうなのでしょう。それでもあまりこの手の芝居が得意じゃないアタシが60分が短くすら感じる不思議な体験なのです。

棒の先につけた顔(というより面)にカラダを模した布、もう一本の棒で腕と手というごくごくシンプルな人形。「アングラ人形劇団」という触れ込みのGodsound+Studioendなのだけれど、使い手のカラダのダイナミックな動きと、人形から溢れる情感のような何か、特に男女二人での猥雑な色っぽさといったらないのです。

難しくなりがちなフォーマットなのに、観客を暖めるのはハリセンやらのベタなギャグ。物語そのものに強くかかわるわけではありませんが、こういう息抜き感のような緩急はアタシにとっては結構大事なのです。

松本市街地中心部、観光名所の縄手商店街の入り口ちかく、閉店した地元大型書店のワンフロアに一杯の観客。松本市が寄贈を受けているよう。タッパもあまりないので専用の劇場のようにはいきませんが、それでもほどよくこじんまりとした感じで、役者との距離も近いこの空間は実に素敵で、拠点になるといいなと思う場所なのです。

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速報→「ふし穴」信州大学劇団山脈

2010.11.5 19:00

第15回目を迎える「まつもと演劇祭」の一本目。松本にある信州大学の劇団、久々の学外公園だといいます。7日まで時計博物館4F 本町ホール。65分。初日はアタシのみる限り満員。

テラヤマと名乗る男が取り調べを受けている。訳あって三姉妹だけで暮らす家の中を覗き見ていたのを本人は認めているのだが、男も三姉妹も証言が曖昧。それではと刑事が促し、順を追って出来事を話し始める。
電車で町に降り立った男は、引き返すのに間に合う電車をやり過ごし、駅前を歩き始める。町で出会った少女に町のことを聞く。彼女に惹かれるように家のほうに向かってしまい。

ランドマークのようになっているわりには入ったことのない建物。新しいらしく全体に綺麗。天井の低いフラットな空間。当日配られる演劇祭専用のフリーペーパー「まげぼん」によれば、ほぼ全員が平成生まれで、彼らは自ら「偽物の昭和」を作り出しているのだといいます。なるほど、少々サスペンスチックだったり、刑事が取り調べているという形だったりと、謎めいたものがたりを進めるために陰が必要だったのだろうと思うのです。なるほどそれには昭和がぴったりで。

女性の作家が描く物語。テラヤマがつかまり、被害者たる三姉妹との証言が食い違うだけの理由は、という主軸の物語は太くきっちり一本筋が通っていて、見やすいのです。

でも、アタシが楽しいと思うのは三姉妹の会話。この秘密の原因となった長女、キャバレーのホステスの次女、セーラ服姿の三女の会話。成績は悪くないのにオツムは良くない妹を心配する姉二人の会話だったり、序盤での男に告白できない三女の話を聞く何てシーンが絶妙な空気。

三人の女性が織りなす会話劇というのがことごとく好きだというあたしの好みを別にしても、時代考証何のその、ああなるほど、女性達の会話ってのは太古の昔(大げさ)から連綿と続く話題ってのがあるんだろうなと思ったりも。キャバレーでのホステス酒癖のわるい感じが絶妙ですき。三女の大暴れも、長女のなぞめいた感じも実に素敵。

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2010.11.04

松本・安曇野

先週末は松本に残って、両親や妹夫婦が来ての松本観光。温泉やら蕎麦やらわさび農園(これは安曇野)。刺激の強いモノはないけれど、やはり観光地だよなぁとおもったのんびりな週末。

今週末は、長野県松本市での「第15回まつもと演劇祭」。5団体がそれぞれ1時間程度の上演を5つの劇場で行います。土曜日なら一日で全部回れそうなタイムテーブルが設定されています。翌週13・14日は演劇ワークショップ&講演会。後藤ひろひと"大王"です(観られないけど)。土曜日を使って、一通り観てみようかと思っています。街中のアウトリーチをかさね( 1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9, 10) 先週末ごろから劇場入りしているようです。

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