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2010.10.25

速報→「激流としるし」play unit-fullfull

2010.10.24 17:00

フルフルの新作。105分。24日までせんがわ劇場。

父親は著名な陶芸家でその死後、にぎやかだった工房は娘が継いでいる。新人賞で若くしてデビューしたものの、作品はなかなか売れない。工房に引っ込んだまま、表には出たくないと考えている。ここに出入りするのは、力をどんどんつけている若い女性の弟子、父親の弟子だった男はバイヤーとして表と唯一の窓口になっている。
女の叔母は金を貸したりしてここを支えているが、元アイドルの俳優に入れあげている。ある日、この広い洋館に、俳優がお忍びで休みに来るという。

とりあえずは安心できるこの場所、守りたいというよりは、ここから踏み出したくないという、臆病に起因する「引きこもり感」を描かせると巧い作家。それをいわゆる引きこもりとして描くのではなく、

ファンの女二人をちょっとすごい感じで描きます。暴走するファン、それを押さえるように引き気味で寵愛を受けて豹変する女、この対比もちょっとすごい。

才能がないわけじゃないけれど、いまひとつ大売れというわけには行かない作家と俳優、その弟子を相似の軸にした構造。アーティストというフォーマットで描いているがために、よくある作家の泣き言っぽく感じるけれど、それよりはもっと内側、引いた枠の外に一歩踏み出せない感をよりつよく描きます。あるいは、今はまわりににぎやかに人がいるけれど、きっとみんなはここから去ってしまうという諦観と恐れが静かに、しかし物語全体を貫くのです。

広瀬喜美子はその臆病さと頑固さで物語を貫きます。あくまでもやさしい男を演じる堀文明は物語をやわらかな空気にしっかり。小山待子の終幕近くでの師匠への決別の表情がすごい。遠藤友美賀はオバさん感満載を一手に引き受けるけれど、今作では重要。迷惑な暴走ファンを演じた大西玲子は暴走の痛さと、陰に回ってからのちょっと凄みすらある表情のコントラストが印象に残ります。「大女優」というざっくりすぎるといえばそうだけれど、そのアイコンをきっち背負う境宏子、強い上昇志向を体現して説得力。

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速報→「どうじょう」コマツ企画

2010.10.24 14:00

コマツ企画の二ヶ月連続上演の二ヶ月目。105分。31日までOFF OFFシアター。

新橋、古い雑居ビルの一室。結婚相談所の看板を抱えているが、登録した女性を顔写真とプロフィールと金額を書いたカタログで斡旋する風俗店舗。店員の男はながくとつめているがやる気があるようなないような。女はインストラクターだが次の仕事を見つけるまでの間のアルバイト。入り浸って常連になっているジジイ、オヤジたちや、登録に訪れる女性たちが入れ替わり立ち替わり。

ぶっちゃけていえば出会い喫茶のようなものだけれど、やる気の無い店員とわりと年齢の高い常連達ゆえにまったりと、ぎらぎらのない感じ。それでも風俗店という日常と非日常を金が結びつける現場。譲れない一線、妥協してしまうところがせめぎ合います。

意地悪いほどの人間観察眼。風俗店の常連のオヤジ、微妙に値切ったり、一万円で食事だけの女を無理にホテルに誘おうとするじいさん、傍観者でいつづける男、あるいはまっすぐに女を愛する男など、さまざまを愛おしさと馬鹿馬鹿しさが同居。一方の女性たちはといえば、作家の意地悪い視点はさらに厳しく、店とはつりあわないような美人なのになぜか登録するマドンナだったり、金が必要だと登録したものの、後から後から考え直しまくってしまう女だったり、この店の特定の客にどこかハマってしまった女、もっと違うなにかがある女など。

そこに店員の男の世間に期待しない感じ、この場所を守ることがいちばん重要だという体温の低さ感がすごく今どきのリアルな感じ。実直そうな女性店員が恋愛感情なんかじゃないのに常連のオヤジに親身になってしまうあまり感情が昂ぶってしまうのとの対比が見事。

めんどうくさそうな墨井鯨子の依存感、宍戸香那恵の気品と背徳な感じはありそうでなかなかないキャスティングで印象的。斎藤加奈子はこの店の中では無垢さすら感じさせる、丁寧に育てられたのだろうなと思わせ、きちんとマドンナで観客の視座を。小林タクシーをまっすぐな役で使うのは珍しいけれど、それでも漂う怪しさすら魅力に。終盤近くの小松美睦瑠は飛び道具にすぎますが圧巻。

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2010.10.24

速報→「10月突然大豆のごとく」シティボーイズ

2010.10.23 18:00

シティーボーイズの年に一回のライブ。例年の5月から10月に変更して。24日まで新国立劇場中劇場。そのあと名古屋公演を予定。105分、長いカーテンコールもすでに味に。WOWWOWでの放映も予定されています。

タイトルは、勝手につけています。 「アフリカ行きの船を待つ男」は10月の記憶がない。
「10月に突然」、いろんなことが起こる点描。
「脳内のハードディスクを整理してくれる病院」を訪れた男。
「大家族の家に住んでいるMr.カトー」その家のさまざまをして、その家の為に働き。
「結婚式に来た先生の祝儀袋の中が空だった」ことに文句を付けに来た男、その文句故に見いだされて。
「新婚の同僚の家に行った独身男」を待っていたのは年上女房の会。
「叱りバー」を訪れた男、果たしてそのまえに店員の若者が。
アシカショーのアシカを撲殺してしまった男が誘われたのは「さておきクラブ」で。ハンズ店員、料理番組(アナログ)、高校生クイズ、国の借金まで、コント番組。
井の頭線の中、久しぶりに居合わせた薄い関係の男二人のまわりに「コロス」。
「アフリカに行く3人」の前に、果たして船は来たけれど。

尖閣諸島(拍手が起こった)から、事業仕訳、日本を動かしている大きな力、若者を叱れない大人が増える今なんて時事ネタっぽいものも散りばめて。下宿している筈がいいなりになるMr.カトーのネタはアメリカにいいようにされてきた日本の姿に重なって見えたりもします。

こういう見せ方があったのか、というのは「ハードディスク」。こういうネタが普通に見えるようになってきたのは感慨深いけれど、頭の中の混乱っぷりをアイコンの散らばるデスクトップとして見せるってのはなかなか。他人事ではなく。あるいは「叱りバー」の懐かしい感じすらする大竹まこと。あるいはアナログ停波をネタに折り込む「さておきクラブ」。「コロス」で踊りまくるジジイたちも楽しいけれど、題材になってる微妙な距離感の顔見知りからどうやって離れるかというネタも身につまされる。

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速報→「THE COBE[ザ・コーブ]」チャリT企画

2010.10.23 14:00

チャリT企画の新作。上演禁止が話題となった映画「THE COVE」のタイトルをもじった「THE COBE」というタイトルで、75分。24日まで王子小劇場。

THE COBEというタイトルで上演を計画していたチャリT企画は妨害工作によって作演の降板に至り、劇団名を「口口(くちくち)」というどこかで聞いたような劇団名にして「ボーイミートボールガール」というタイトルでの上演をしようとするが...

バンカラポップ、笑いに転換した社会派でこのタイトル。イルカを食べるのがダメで牛(なんせタイトルが「神戸」だ)を食べるのはいいのか、というあたりを鋭くしかし軽快にやっつけてくれるものだという期待感はしかし、あっさりとうっちゃられてあらぬ方向への展開。ダンスが多かったり、確かに「舞台」にこだわった感じにはなるものの、チャリTであたしが見たいある種の社会派っぽさという点では食いたりない感じもします。

ネタバレかも

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2010.10.18

速報→「女ともだちのそうしき」ロニーロケット

2010.10.17 17:00

今年4月と7月に上演した「ともだちのそうしき」を女性二人のキャストにかえた翻案版。おおまかな流れは同じながら、細部を女性用に変えての75分。18日まで。大吉カフェの狭い空間も心地いい。

通夜の営まれている家の離れ。酔いつぶれて寝ている女のところにカメラを提げた女が現れる。互いは高校までと、大学からの親友だと名乗り、思い出を語り始めるが、浪人期間を挟んだ二人の語る友人の姿はあまりに違っている。

「役者」から「ダンサー」など少々の変更はあれど、全体の流れはたぶん一緒。33という歳の女性ということをもう少し強く押してくるかと思って、それに答えそうな役者陣かとおもうと「中途半端な歳で」ということ以上には踏み込まない感じ。多少の生々しさはあるけれどある種のおとなしさというか上品さが災いして、職業がそうはみえづらいところが厳しいところ。

これで男×男、女×女の版ができたわけでさまざまな役者たちで上演される素地となりうるベース。ミステリーに見えてファンタジーに着地するあたりは、何回も、というわけにはいかないので会話だけでなんとか結末がほしい感じもしますが、それでも、終幕、ふたりは友達になるよね、という「つながり感」のようなものはきっと作家が書きたい何か、だと思うのです。

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速報→「性的敗北」シンクロ少女

2010.10.17 13:00

シンクロ少女の新作。90分。17日まで王子小劇場。

いくつかのカップル。いつまでも一緒にいたいという言葉を伝えあう。
仲むつまじく恋人のように暮らし続ける男女、子供のできない夫婦、ちょっと不思議ちゃんだけれど恋人ができるが、それを嫌ってひんぱんに呼び出したりする女友達。いい歳になったがバイトとセックスの日々の恋人。近所で最近評判の「うどんヤキソバ」の店へ。

ネタバレかも

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速報→「バベルの塔」れんげでごはんP

2010.10.16 19:00

松本の劇団、「れんげでごはん」のプロデュース公演、宗基の一人芝居。65分。17日まで。

ある国の中心にそびえるバベルという名前の塔。そこに居住するためには厳しい試験をくぐり抜け、厳密に階層が決められたフロアを上に上がるにも選抜を受けなければならない。塔と同じ名前の田舎に住む絵描きの青年も友人ととも試験に合格し、住むようになるが、なかなかはいあがるきっかけがつかめない。工業を志す友人はやがて「塔の未来を考える会」に出入りするようになり、昔からのあこがれだった飛行機の訓練を受けるために塔を一時離れることになる。

伝説といわれるバベルの名を引きながら、七階建ての巨大建造物ということ以外には創作の体裁。立身出世の希望に満ちた日々と、挫折、そこにつけいる急進的な思想の人々とそれに巻き込まれる若者の物語をぎゅっとコンパクトに一人芝居に。主人公の絵描きがほとんどを占め、友人などを含め四人が役として登場します。シンプルに作られた舞台や衣装の転換など、物語というのはごくごくシンプルに見せるのもいい味だよな、と思わせるのです。

正直に言えば、二つの世界大戦の後という設定の割に飛行機が「あこがれ」のレベルだったり、塔の建設があまりに手作業に頼りすぎていたりなど、物語の設定で違和感を感じさせてしまうのは少々残念。すでにある伝説と同じ名前と、時代を特定して描いてしまわないほうが素直に見られたな、という感じがします。

「れんげでごはん」は松本に引っ越すにあたってネットで探しただけの情報で、あたしがもっとも見たかった劇団なのです。本公演がどうかということはなかなかわからないけれど、サイトの作りだったり劇団のトレードマークというかアイコンがつくられていたりと、全体に丁寧に劇団として成立させている感も。実際には劇場前には劇団のフラッグが張り出され、当日パンフも見やすくて、席に置かれた携帯電話・飲食禁止の説明文のセンスもよく、劇場を出るときには劇団アイコン付きのストラップが貰えたりと実に充実。もちろん、たとえば東京でもその手の周辺が充実してもダメな劇団てのはあるわけですが、芝居を見るってことの敷居が相対的に高い地方都市では、こういうところの充実こそがまずは必要なもののひとつだと思うのです。

物語への違和感はあっても、シンプルな想いをシンプルに伝えるコンパクトな物語と、それをきちんと出しゃばらずに伝え、ロビーをささえる雰囲気も含めたスタッフワークもきっちり。ああ、また観たいなとおもわせるのです。

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2010.10.15

秋が来れば

思い出すわけではないけれど、すこしばかり人恋しくなって、一人よりは同僚と呑みにいったりすることが増えそうな。週末にバーベキューに誘われたり。自転車で行こうとおもったけど、標高差300m弱に恐れをなしてw。

日帰りの週末。この先にはまた青森にも、とか。

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2010.10.11

速報→「やわらかいヒビ」カムヰヤッセン

2010.10.11 15:00

カムヰヤッセンの新作。100分。11日まで三鷹市芸術文化センター星のホール。

平成が歴史の授業で教えられるようになった時代。国内最大の原子力発電所の事故をきっかけに、最高峰の研究をおこなうために設立された「アカデミー」。人文・社会・自然科学の分野に5000人の研究者をそろえるが、運営は秘密のベールに包まれていて、次の法改正ではほぼすべての運営が政府の判断を仰がずにできるようになる見込み。そのアカデミーに招かれた反重力の研究者、数学オリンピックで優勝した高校生は。

少しだけ遠い未来の話。政治ではなくアカデミーなる、研究によって立国するというビジョンにたつことを決めた、という今を生きるあたしにはにわかには信じられない国の行く末だけれど、それは設定なので大きな問題ではありません。

アカデミーの暗部とか、教育評論家の家庭のこと、あるいは研究者同士のレベルの低い確執、子供ができない夫婦、夫と妻の収入の格差、教室のこと。ずっと未来に至っても、この国も人々もなにも解決できていないのだ、という解釈をしてしまうあたしは若い作家が描くこの絶望的な物語に打ちひしがれるのです。

あたしの友人が終演後に話していたのは、「(空間に)余分な一人をおいておきたいのだな」ということ。なるほど、物語の本筋には関係ないままに、居る人、というのがそこかしこに。その余白のようなものは作家の語り口というか味の一つなのだなと思うのです。

物語をドライブしているのは基本的には歴史の教師を演じた板倉チヒロ。二つの別個の物語と想いをたった一人で背負う特異点のような存在。もちろん役者としても想いが爆発する気持ちの発露が美しく切ないのだけれど、それをきっちりと。その妻を演じる奥田ワレタとの関西のことばでのやわらかな会話、何気ないのだけれど実に豊かなことばなのだとおもうのです。

理不尽なテンションで演じることを強いられるという点で役者に負担がかかりそうなのは、研究者のひとりの甘粕阿紗子や密売人の森田祐史。じっさいのところ場面は少ないものの、安心感。研究室のなかでベレー帽をかぶる「画家」を演じた笠井里美の異物感だったり、ちょこまかした感じは、全体に低いテンションで語られるものがたりの中ではあたしの気持ちの持続にとって重要で助けられたなと思うのです。

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速報→「葬送の教室」風琴工房

2010.10.10 19:00

1985年の日航機墜落事故を題材にした物語は緊迫した一幕、芝居としても、一つの視点としても観ておくべき110分。13日までスズナリ。

事故から5年、現場の山を望む村。事故調査委員会の報告書が出ている。遺族会の一人は墜落時の航空機の乗客の安全をテーマにした講演会を企画する。その準備のために集まった人々。遺族たち、航空会社の社員たち、それぞれが一枚岩ではない。

あたしが受験生で夏期講習に通っていた予備校の教室でセンセイがいつまで経っても現れないな、と待っていたあの時間。あの頃から25年の今だから語れること、癒えるために必要な時間のひとつの区切りなのかもしれません。芝居でも「赤い鳥逃げた」や「CVR」という名作があるけれど、それぞれとは違う視点。

事故直後の混乱と癒しに必要な時間のあと。遺族といっても会社側の遺族、そこから次の事故での生存率向上につながる方向を考える研究者、チームとしての遺族会を維持することを優先と考える町工場の社長、航空会社から来たひと、航空会社に所属しながら遺族に寄り添おうと考える人、自分たちの失ったものから癒えきれていない夫婦、あの現場を見た医療関係者。外側の視点として、あるいは報道というものの問題を抱えた立場としての新聞記者。悪くいえばあまりに都合よく少人数にまとまっているそれぞれの代表だけれど、それを違和感として感じさせたりしないし、静かに語られる物語の確かな力は圧倒的なのです。

もととなった物語を自分のリアルタイムに重ね合わせられるのはおそらく30代から上。若い観客がこれを見てどう感じるかは想像がつきません。とはいえ、前半は一つの突破口に向けて、理性的に積み上げ、詰めていく物語と、どちらかというと、家族や想いといった情動に訴える物語が混在しているのは珍しい感じ。

山口雅義は、会社の代表としてここに居る立場の貫禄が圧巻。理知を積み上げて周りが見えないところもある研究者を演じた佐藤誓、この張りつめた空気を張りつめさせ続けすぎないように緩める岡森諦は実にいいのです。会社と遺族の両方の立場を一人で背負う清水穂奈美は派手さがないけれど、しっかりとした印象を残します。

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速報→「ウラの目と銀杏の村」qui-co.

2010.10.10 14:00

qui-co.(キコ)の二回目公演は山村の人々と「鬼」の物語。115分。13日まで王子小劇場。

その山には鬼が棲むといわれている。鬼と目があった子供は一言もしゃべれなくなる。ボーイスカウトのリーダーの一団がキャンプの下見のため、大きなアスレチック公園を訪れるが、他の地域から招かれたスタッフには別の期待がかかる。果たして鬼たちと出会った彼らは、山から下りることができなくなってしまう。命からがら一人下山した男は、村役場で働く女のもとに駆け込む。

いわゆる里の人々と「鬼」を作り出した地域の歴史を背景にした物語。もちろんもともとは同じ人間が、どうして差別され、お互いに「いないこと」として共存していくに至ったかという話。そのきっかけとなった二十余年前の悲惨な出来事にそれを持ってくるのはいいことなのかどうかよくわからないけれど、彼らにとっては一種の天災ととらえる見方は少し新しい。今週丸かぶりの題材の芝居をやっているところがある、というのは誤算かもしれません。

物語としてとる題材は全く異なるけれど、物語の運びのリズム感、音楽と音圧、終盤に向けての駆け込む感じはひとまわりしてキャラメルボックスと同じような印象を受けます。それは一種の完成系でもあります。

まさかの八百屋舞台、そのなかで声を張り駆け回るのはこの年代の役者たちにとっては逆に新鮮なことかもしれません。どこか巫女めいた雰囲気を持つ堀川炎演じる町役場の女と、静かな表情にみえて感情が爆発する表情が印象的なサキヒナタ演じる鬼の二人のつながりの終盤。それ以外の人々の物語を作り込んでしまったために、ここにそれだけ場面を押し込まなくてもいいのに、という感じが少し残念。鬼を演じた清水那保の素朴に「出会いたい」という気持ちの吐露、あるいは同じ鬼を演じた、こいけけいこの「ともだち」に対するまっすぐな想いをきっちり。「ヨソモノ」を演じた如月萌も印象に残ります。

しかし、ボーイスカウトってのは男子のものだろうと思っていたあたしは古かった。あたしの子供の頃はそうだったのだけれど、いまは女子も受け入れているのね、なんてことを考えたりも。

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速報→「気付かない奴は最強」箱庭円舞曲

2010.10.9 19:00

組織というものをきっちり濃密に、切なく描く物語を芝居を見慣れない、いわゆる「社会人」にこそ観てほしい120分。元気が出るってものではないけれど。11日まで駅前劇場。結成10周年を迎え、最後の前説と題して開場直後から劇団の10年を振り返って語るゲスト対談も楽しい。

船上パーティやボーリングなどイベントを企画して人を集める社会人サークルの事務所。ひとりひとりきちんと面接してメンバーのレベルを維持している。あるとき、マルチ勧誘目的という会員が見つかり、あるいは立ち上げメンバーの幹事の一人が他のメンバーに内緒でこのサークルにコンサルタントを招き入れる。サークル立ち上げメンバーたちは、このサークルを維持したいと考えているが。

組織は始まった頃から崩壊に向かっている、と云ったのは鴻上尚史だったかしらん。会社が創業者を失って、あるいは劇団が創作と生活の狭間で、というのと同じように余暇のためのこういうサークルでも、仲間だからこそ見ないふりをしていたこと、気がついていても気がつかないことをしてきたことが、こんなにずれてしまうこと。

こういう題材、劇団だったり、国の物語として語ってしまうと、そこで凡庸な見かけになってしまいがちです。あるいは会社を題材にとっても、なかなか地に足の着いた、腑に落ちるように描ける作家はそうはいない気がします。いわゆるアートしての目新しさで目立つ劇団は数あれど、わたしたちの物語として、気持ちにも理性にも無理なく描ける確かな力はもっともっと注目を集めていいと思うのです。

芝居を観始めた頃、もっと規模は小さいけれど社会人サークルでパラグライダーやらバーベキューやら行ってたころがアタシにもあったなぁなんて切ない感じ。なるほど幹事クラスの人々は出会い、結婚してたなぁ、なんてことを思い出して、物語とは別のところでも切なさを感じてしまうのは、ともかく。

マルチとこの手のサークルに本質的な違いがあるのか、という中盤で提起される問題は興味深い。マルチは鍋や化粧品や洗剤を売り、サークルはコミュニケーションを売るのだ、という類型化の流れが鮮やかで、自然な物語としても、あるいは頭をめいっぱい回転させていろいろに考えながら観ていくのもどちらも楽しそうなのです。

物語の本質とは違うかもしれないけれど、blogやtwitterや評価サイトといったたぐいの、客という立場に安住して言いたい放題な、ネットというモンスターも、社会に開いた集団を描く外的要素として巧く取り込むのには舌を巻きます。これも劇団ネタっぽいけれど、そうしないでもちゃんと成立。あるいは、アタシもいつそうなってしまうかわからない怖さ。

本作は基本的には男目線の物語。今回に限って云えば女性の描き方はその点において象徴的なキャラクタ四つに集約されていて、人間としての厚みには欠ける気がしますが、贅沢な女優陣がきっちり。出会いを求め続けている惚れっぽい幹部を演じたザンヨウコのチャーミングさと、あるいは終盤でのつっこみ。ふわふわしてそうで実はというボランティアを演じた津留崎夏子は終盤、平日夕暮れの事務所のシーンが印象的。マルチ勧誘の女を演じた片桐はづきは、追いつめられ具合の逆ギレがツボ。リュックを背負い早朝読書会を企画で少々うざったすらある会員を演じた原田優理子は、まれにみる「ブス」キャラがレアで楽しい。なるほど眼ぢからってのは一歩間違えるとうざったいのだな、とか、化粧で変わると女性を云うけれど、美人でもそうでなくできるのだなぁと思ったり。

小野哲史、霧隠才蔵の立ち上げ幹部二人、ずれを認識しても時にずらし、時にぶつかり、時に無視するという間合いやたたずまいの迫力。若手幹部を演じた須貝英は、フォロアーっぷりが印象的。コンサルタントを演じた井上裕朗は少々ヤクザっぽいのが、逆にそれらしい。

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2010.10.10

速報→「Project BUNGAKU 太宰治」Project BUNGAKU

2010.10.9 14:00 10日までワーサルシアター。本編20分×4本というふれこみですが、毎回設定されている20分弱のトークショー込みで135分。

脳病院に入れられてしまった男の日記「HUMAN LOST」(翻案・演出 広田淳一)。
愛する男の為に海水着を盗んだ女、病弱な妹、豊かではない家族、その話を書いた叔母の日記「燈籠」(翻案・演出 吉田小夏)
夫は行きつけの小料理屋の勘定を踏み倒したあげく、金を盗んでくる。家に追ってきた店主夫婦を押しとどめ、翌日その店に出向く「ヴィヨンの妻」(翻案・演出 松枝佳紀)
狂人となった男の手記と三葉の写真。人とまともに会話できない幼少、おどけて見せることで生き抜く術を見つける中学校、酒と女に浸るようになった高等学校、最後に求めたはずの無垢な女性との同居「人間失格」(翻案・谷賢一)

偉そうに云うことではないけれど、ちゃんと太宰を読んでいないアタシです。いずれも青空文庫で読めるので、後から読むのも楽しい。あらかじめ知っていればあるいは背景の知識があれば、感想は異なってくる気がします。そういう意味で、アタシの観た9日昼の回のゲスト(松本侑子,wikipedia)、背景をすべてのみこんで短い時間で総括し、元アナウンサーの経歴らしく聞きやすい声で話してくれるのは貴重。わりと一気に話されてしまって、トークショーというよりは講演という体裁だったのはどうだろう、とは思いつつ、結果としてアタシには役に立ちました。

既に知っている役者はともかく、どの役がどの役者なのだろうということが当日パンフから読み取れないのは少々残念。(別のパンフがあったのかしら)

「HUMAN〜」は、もともとの文章がそもそも物語と云うよりは日記とか散文という感じになっているのだそうで、その点描される言葉の羅列から語られる何かが見えるのがステロタイプな太宰像か。四人の女優が入れ替わり立ち替わりでリズミカルに動くさまの見た目の楽しさと物語自体のもつ鬱屈した感じを融合させるのに苦労している印象があります。

閉ざされること、そこから解放されること、金魚を袋から金魚鉢に放したところが、その解放なのだろうけれど、その先が所詮金魚鉢、というのは舞台上の制約かもしれないけれど、自由に見せた先のすぐ外側にまた壁がある、というのは暗喩のよう。

「燈籠」は普段の青☆組よりは花吹雪が舞ったり、伝統芸能っぽくみせたりと和装や様式によった演出。和服の所作が少々なじんでいない感はありますが、こういうコンペ形式の場合に強い戦略で、結果として巧く機能しています。 トークショーによれば、他の作品から女性のモノローグを引いて構成しているよう。 一人の女性の視点というよりは、待ち続ける女、一目惚れしてしまう女、短い命で自分で自分への恋文を書く女と、複数の女性の切ない視点が強く、女性の演出なのだということが全体に強く感じられます。

日記を盗み読み作品にしてしまう男の酷さを描き、それを断固として許さない女を 演じた木下祐子が凜としてカッコよく、去った男を名残惜しく思う一抹の寂しさもきっちり。男に入れあげた挙げ句の万引きをする一途さ熱さという役は珍しい感もある福寿奈央は台詞の強度もあって強い印象。病弱な妹を演じた井上みなみは、実年齢に近い役どころ、さすがに強い。

「ヴィヨン〜」は、物語自体の強度があって、ストレートに読みやすい物語をそのままコンパクトに舞台とした印象。少々グロテスクな赤ん坊の人形を使っている以外には奇をてらわなかったのも見やすさにつながります。 小料理屋で働いて一夜で看板娘となる妻の美貌を体現する伊藤えみ(検索してびっくりのグラビアアイドル、とか。wikipedia)という役者に説得力があって、キャスティングの勝利という感じはあります。

「人間〜」も物語自体の強みに加えて、舞台端で物語の外郭を形作る「第三者の読み手」が、今作の演出家自身を彷彿とさせる体裁。さらにその二人が重なるような入れ替わるような終幕が巧い。酒とタバコと女もてて、なんてことが現実の人間として成立していそうな(偏見かもしれないけれど)演出家自身じたいも芝居に取り込んでいるというのは禁じ手という気もしますが、アタシにとっては結果として四本の中でもっとも好きな一本になっています。

主役を演じるコロ、子供のころの自閉する感じから、「笑わせる」という仮面で生き抜き、学生になってからの酒と女の自堕落への流れ、ポップさとスピード感があって、現代風の人間失格の体裁なのも、見やすさの一つ。

もてまくる段での、女優たちの半裸の眼福に条件反射のように喜んでしまうオヤジのあたしだけれど、それ抜きにしたってもてまくる、という未知な、でもどこかにあるだろう世界がめくるめいて楽しい。少々ステロタイプとは思いつつも、料理しに押し掛けたり、ヒモだったり、商売女だったりとそれぞれの女性の(ある種の理想系的な)アイコンは女優のショーケースのよう。

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2010.10.09

連休です。

9月以降は休日がかなり多いはずなのだけど、今年からの勤務体系の変化で、いわゆる国民の休日がかならずしも休みじゃなくなって(代わりに有休が増えてる)、なかなかカレンダー通り、というわけにいかなくなりつつ。しかも東京通いということをしているとどうしてもちょっとばかり不便で。

月に一回か二回かは松本にとどまる週末、というのもなかなか実は大切な時間だったり。でも今週はガッツリ東京の芝居通い。

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2010.10.04

速報→「4-doors」サマカト

2010.10.3 18:00

Summer-Cut topology(サマカトポロジ)だったはずなのだけど、いつの間にかsomecut(サマカト)になっての公演。3日までシアターシャイン。75分。

四つの物語。
三人の男女。オンナノコは片想いをしている。二人の男はゆっくりと相談にのっているが「ひとつ屋根の下」
一つの小箱を手に入れるために競う人々、夜はみんなの部屋から対等に、リビングのテーブルの上に置くことにしたが、夜中にそれを手に取ったヤツが居て「箱」
飲食店らしい店のバックヤード。バイト上がりで帰宅前の女ふたり、社員らしい女、と男。当然恋の話になって。あのセンパイ、ありえないよね、とか。「変換な本音」
電車から初めて見かけたホームの男に、女は電車を飛び降りて告白してしまう。どちらも恋人が居るのにもかかわらず、二人は朝帰りをして「不親切なダイジェスト」

恋とか競争という感じで繋いだ四つの物語。恋しているのに告白することが出来ない、この箱を手に入れるにはのさまざま、実は好きだったんだけどとか、もう終わりだね、とか恋にまつわるさまざまな無茶ぶり設定とリアルらしく温度を感じる会話の言葉や演出が気持ちいい。

おどけて見せたり、ぼけには突っ込んでみたり、恋愛だのなんだのには外側からは熱くは見えないけど想いをひきずったり。作家の何を知ってるのか、と聞かれれば答えに窮するけれど、でも登場人物のいずれもが作家自身の分身のように見えて、いとおしいのです。

「ひとつ~」は片思いの相談をしながらキラキラしててかわいらしいオンナノコ。同居している二人の男は好意を持っていても、もう一人の男の存在が告白への一歩を押しとどめます。ほのかな好意が、しかし波乱の物語になったりしないところが作家の人柄っぽい。

「箱」は五人のパワーゲームという体裁だけれど、それよりも意味も着地点もわからないままにばかばしいほど真剣に語り合うやりとりが楽しい。

「変換な~」も恋にまつわるあれこれ。一本目が男同士のなら、これは女同士で、もっと本音が言えない感じの。不敵な笑いやら、駆け引きっぽさ、年上の男と同い年くらいの女は仲良くて付き合ってるんだろうなぁ、なんて会話が、バイトの現場らしくて楽しい。

「不親切な~」は終わる恋についてのあれこれ。修羅場もなく、淡々と次の人が好きになり、淡々と別れる、なんて風景の点描。二組のカップルの別れられる側にしてみればこんなに理不尽なことはないけれど、なぜそうなるのかという理詰めより、恋してしまった、別れることになった、という繊細な空気感が実にいいのです。いや、味わいたくはないけれど。

恋にまつわる、という感じでも必ずしもないし、4つのドアの意図も今ひとつ見えづらいけれど、こういう空気感の小品が好みのアタシなのです。

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速報→「オブラート」げんこつ団

2010.10.3 14:00

げんこつ団の新作。3日まで駅前劇場。120分。

ナカブンという小さな町が日本からの独立を宣言する。その町の中で起きたり起きなかったりするさまざま。

小さな町の独立国家、という枠組みがうまく機能していて全体にまとまりがいい感じ。 OLたちが核弾頭を頭に乗せてその威力で人間関係のバランスオブパワーが機能する、というのは国家の関係と同じなのが縮図になっていておもしろい。 米屋が米をもって権力を握り、国王に君臨する話はそこから派生していわゆる冒険の物語の枠組みそのまま、お米の物語とするばかばかしさ。 ハローワーク、クビになった男はカウンターのあっちがわに行ってすぐ相談して、すぐにカウンターの内側に入ってくるなど小さなところでぐるぐる回している感じ、そこに現れた庶民を見下したあの猫のキャラクタがすごい。 チュニックのブティック、中年女性向けの個人商店は、いつも同じ客しかいないようにみえて、なんでそれで機能しているんだろうという素朴な感覚によくあっていて、まさかのSF大作。 隆ほう問題は、もはや物まねってだけの気もするが、束になるおもしろさ。 レジスタンスの物語、ダンスもきっちり。

未確認下校物体はビデオだけど、海外のビデオや、それっぽい字幕の作り方が秀逸。海外ニュースの斜めに構えた海外特派員のシーンなど映像がさらにパワーアップ。

若き悩める元首を演じた久保田琴乃は若者の男の子っぽい感じが存分に。魅力的な女優がたくさん。 他には出演しない女優も多くて、ついついそれを目当てに通ってしまうあたしなのです。

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速報→「buzz」studio salt

2010.10.2 19:00

横浜の劇団、Studio Salt(スタジオソルト)の新作。80分。3日まで相鉄本多劇場。

その部屋はたまり場だった。ヤクザの事務所に出入りするようになった中学中退の男。野球部の後輩でその家の息子。ある日、女子高校生を拉致し、一ヶ月以上の監禁暴行に及び。

社会を震撼させた、といわれる割に、1988年末から翌年にかけてのこの事件(wikipedia)、ニュースもワイドショーもみてなかった高校受験のころのアタシ。コンクリート、女子高校生、という言葉として知ってはいても、記憶には残っていないのです。なるほど、ネットで調べてみれば鬼畜、と呼ぶ様々なテキスト。

作家はその事件を下敷きにしつつ、作家自身の考えである「生まれつきの悪人はいない」を補強する物語を創作して作ります。当日パンフの中でも、この事件にふれていくにつれ、その気持ちが折れそうになる気持ちも、当日パンフの中で吐露しているのです。

世間のニュースの真相はこうだった、ということを描きたいわけではなくて、そこに居た人間たちを鬼畜というシンボルではなく、人間として描き出すことに心血を注いでいると想うのです。

ネタバレ

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2010.10.03

速報→「九月の遠い海」菅間馬鈴薯堂

2010.10.2 15:00

菅間馬鈴薯堂(すがまぽてとどう)、作家の三十年前の作品を改訂上演だといいます。115分。6日まで王子小劇場。

戦後すぐ。隅田川沿いに住む子供が通っている小学校で女子生徒のブラウスが無くなった「事件」の犯人にされ、そのせいでお天道様が怒ったから雨が降り続き遠足も延期になってしまったといじめられる。大雨が降り続き、川沿いに住む児童たちに避難を呼びかけようとした女教師がは水のみこまれ行方不明になる。そんなこんなで中止になった江ノ島への遠足。中年になったあのころの同級生たちは、江ノ島へボートで行こうと、たくらむ。

1950年代の小学校やその近所での風景。そのころだって貧富は確実にあって、しかもそれは一つの小学校の中に共存していて、いまよりもずっとあからさまに子供たちの関係にも影響しています。貧しさが先なのか、住む場所や職業での差別がいまよりもずっとあからさまな時代のことなのかはわからないけれど、そこには確実にそれがあった時代を包み隠さず。

作家自身が当日パンフで語っているとおり、いまさら「古めかしい」芝居ということもできましょう。当日パンフにあるとおりに、金杉忠男や中村座といったものの強い影響を受けた時代、小学生と原っぱという取り合わせについてあまりにノスタルジーが勝ってはいないかという感じがしないでもありません。それにしたって人々の熱量が高い時代の空気は確実にあって、その熱量を存分に浴びた物語を若い役者が上演することの強い意味も感じるのです。

今回は日程の関係でもしかしたらみなかったかもしれないアタシなのだけれど、口の悪い友人のいう「若い作家たちが束になっても勝ててない」というのは、ある一面では正しくて、その評判に押されるようにして観て心底よかったなぁと想わせるちから、があるのです。

ノスタルジーと過去の作品の力というだけではありません。作家は次の世代に自分の得てきたものを伝えていこうという姿勢が見えます。台本がネットで無償公開されているほか、当日のパンフも、背景となる小学校のころの「事件」を時系列に記し、さらに物語の各場のタイトルと、それがどの時代を描いているものなのか、ということを記載していてとても参考になります。こういうことは興ざめ、という声もありましょうが、芝居ってものの成り立ちのようなものが見やすくて、アタシとしては断固支持したいのです。

黒岩三佳は怒鳴るような発声が強いられる今作においては少々声に不安が残りますが、凛として強い教師をきっちり。舘智子は朴訥としたような「大姉」での迫力や、いわゆる「いじめっ子」のリーダーでの迫力もしっかり。好宮温太郎・市橋朝子の紙芝居屋はキャッチーで印象に残ります。タテヨコ企画勢が大勢出演していることは、いつもの菅間馬鈴薯堂の雰囲気とはまた違う実力ある役者陣が揃ったことで新しい一面を観た気がするのです。                                    

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2010.10.02

大切なものとネタバレと

日々のこと、あるいは作り上げたモノで自分が一番大切だと思うことってのはあるのです。 明日は晴れて、自転車ツーキン出来るかな、と思う些細なだけど結構重要な(アタシの)気持ちだったり、 自分が作り上げた物語、モノのうち、自分が持っている一番大切なこと。 作品ならば、その琴線、根幹を、物語に浸る前につまみ食いどころか眺めただけで判断されるのは耐えられないなと思うのです。

頼まれてもいないのに、観客という立場で云いたいままに書き散らしているアタシでも、反論は少しばかりあって。じゃあ、どこまでは「あらすじ」で、どこからが「ネタ」なのか。わりとわかりやすいミステリーや推理モノはともかく、繊細な物語の線引きは難しいなぁとおもうのです。

作家にとっての根幹は何処なのか、それはアタシが思い測る根幹とどれくらい違うのか。作家が大切にしていること、を物語だけじゃなくて聴きたくなってしまうのです。

10月に入りました。多くの週末が混戦模様。行きたくて行けない芝居もやまほどあって。

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