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2010.09.20

速報→「エゴ・サーチ」虚構の劇団

2010.9.19 14:00

虚構の劇団の新作。120分。19日まで紀ノ国屋ホール。

小説家志望の男。離島に旅行に出かける女性の話を書こうとしているが、どうにも筆が進まない。ある日、編集者と話すうち、自分と同姓同名生まれも育ちもほとんど同じ男がネット上にblogを持っていることを知る。

自分の名前をネットで検索する「エゴ・サーチ」をタイトルに。ネット上のもう一人の自分の姿。ミステリーの雰囲気を漂わせながら、そのもう一人の正体を捜し求めるうちに現れる物語。

失恋にしても、失った誰かのことにしても、しつこいほどに想い続ける人の話を描くこの作家、彼の言葉を定期的に浴びたくなるアタシです。ネットにかかわるさまざま、いわゆる「流行りもの」になりがちなネットの話題は、twitter、mixi、2ch、USTREAMなど固有名詞こそ時代に流されていってしまうけれど、ネットの上に私たちがどのように存在して、対峙すべきなのかというようなことを真剣に、しかも実直に繰り返しさまざまに描いているがゆえに、その言葉を、彼の感じることを受け止めたくなるのです。

正直に言えば、沖縄という場所の扱い方がアタシには少々粗っぽく感じられて、決して若くはない作家の描くものとしては少々無邪気に過ぎるのではないか、という気がしないでもありません。ゆるやかに流れ、いやされる場所という劇中の小説で語られてる場所としての機能は理解できるものの、キムジナーなる妖精がなぜその女に惹かれたのかを説明するあたりに違和感があります。

屋上に集まる人々だったり、そこに三角関係のようなものがある、というのはどこか「トランス」の雰囲気をまといますが、屋上に居たフォークデュオ(とファンの女の三人)にあっさり空気をひっくり返されてしまうのが、ちょっと不思議。

ネット上に存在すること、そこでひっかかる検索の結果こそが「世間」なのだという感じ。中盤で語られる、いかに「ネットで支持されているか」を作り出していく過程は、個々の話題としてはもちろん知っていても、それをこういう形でコンパクトに見せられると、ああなるほどつく出されていく世間、ということなのだなということが実に腑に落ちます。

ネットはエッジな人々が逃げ込む場所だったはずなのに、そこにさまざまなビジネスや思惑が流入してきて、作家の書くネットの世界の様相が少し変わってきているという印象があります。それを声高に批判したりあきらめたりするのではなくて、そこにどう向き合っていけばいいのか、ということを単に批判でも評論でもなく、自分の生きる時代のこととして、ぶつかりながらも描き出していこうという作家の言葉をさらに聞きたいな、と思うのです。

若い役者たちとつくるこの劇団も役者たちが育ってきていて、観客を巻き込んでいる感じがします。千秋楽は決して若くない客席なのに、繰り返しのカーテンコール。フォークデュオのCDをお遊び的に作ったり、終演後に役者がロビーに出てきて気さくに観客と話していたりというのは若い劇団では珍しくはないのだけれど、客席の平均年齢は決して低くはないこの公演ではちょっと新鮮な感じがします。

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