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2010.08.30

速報→「UFOcm」あひるなんちゃら

2010.8.29 15:00

再演といいながら、大幅改訂の80分。29日まで駅前劇場。

遠くに駅のみえる小高い丘。夏祭りの近づいた日。丘に椅子を置いてUFOを呼んでいる女。この季節にかつてUFOを目撃したのに、信じてもらえないから証明するためにもういちどUFOを呼び出そうとしている。バラ園からバラを盗んで売っている花屋に意地悪をしてあり得ないと云われていた青いバラなら100万円で買うといってしまった女は、それが遺伝子組み替えで可能になったと知り青ざめる。花屋は100万円のバラを探したい、買うと云ってしまった女は逃げたいと考える。
あるいは、倒れていた時の記憶がない男、脳の異常かもしれないが、もしかしたらUFOにさらわれたのかもしれない。または、友達らしい二人の女。小学校だけをでていないために常識的なこと、友達の作り方もわからない。
そんな想いを寄せて、願い事がかなうという噂を胸に、UFOを呼ぶ女のいる丘に人々が集まって。

いつもよりは少し広い感じの駅前劇場、緑を敷き詰めて丘の上の様相。それぞれがずれた会話がてんこ盛り、それをこの芸達者の役者たち。お得感もいっぱい。ここしばらくのもっと濃密な感じよりは、人数が多いこともあってすこし薄さを感じることもあります。が、全体を貫くあひるのテイスト。その世界は実に強固なのです。

初出演のザンヨウコは普段に比べてずっとゆっくりとした「あひる」のペースに合わせた感じが新鮮。黒岩三佳との二人の会話は初めてとは思えないぐらいにきっちり。アタシとしてはポジションを入れ替えたものも観てみたい。石澤美和はそこに居つづける存在感。終盤の張り手の迫力もちょっと凄い。異議田夏葉、澤唯は圧倒的な安心感。高橋優子(ex.チーム下克上)・篠本美帆の「友だち」という配役も観客の勝手な思いこみで裏の物語を作ったりできそうで楽しい。

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2010.08.29

速報→「ログログ」キリンバズウカ

2010.8.28 19;30

キリンバズウカ、年に一回のペースで三回目。トラムで。110分。29日まで。

病院を辞め一軒家を借りてカウンセラーをする男、引っ越しを手伝う人々。中学の同級生たち。その中の一人がつれてきたのは、中学時代、校舎から飛び降りて、しかし助かった男。記憶が飛んでいるばかりでなく、「人の記憶を自分のものとして共有してしまう」のだった。

中心となる記憶の物語以外にも、夫婦の間の闇めいたこと、片思いし続ける女、浮気を疑う女、捜査することなどさまざま。記憶を自分のものとしてしまう、というニイムラ(三浦俊輔)以外の人物たちの記憶も混濁していて、取り違えていたり、たった一言に拘泥していたり、たった一人に拘泥していたりと、記憶や想いというものの、アテにならなさ。それぞれがありそうな感じにきっちりと作り込まれていて見応え。

たとえば「頭の中の記憶を消してしまう消しゴム」というワンアイディアが秀逸なのと同様に、少し説明が必要だけれど「人の記憶が自分のものになってしまう」という設定は圧倒的にキャッチーなのです。このアイディアで勝ったも同然、そこに役者陣も充実。ならばもっと、と期待してしまうのが観客の勝手な想い。

もっとも、物語も役者も隙はありません。すでに観たことのある役者が多いということを差し引いても、得意技も、もうすこし別の引き出しもちょこちょこあって、観ていて安心感もお得感もあります。 中山智明は怖さと優しさを合わせもち、傍線のようでいてものがたりの中にしっかりと軸を。こいけけいこは得意なキャラクタという印象はあるものの、それゆえにのびのびとしていて印象深い。岡田あがさは普段見せるよりは一歩引いた可愛らしさが印象的、終盤のちょっとしたステップがすごい。堀越涼の間合い、金沢涼恵に以外にない大人の女約、川田希は静かに見せていての終盤がちょっとすごい。

。 正直に言えば、劇場のだだっ広さをうまく処理し切れていない感は残ります。競泳水着よろしく、舞台上に何カ所かのアクティングエリアを配しています。上手の客席側となるカウンセラーの部屋というのがもっとも中心で、ここの芝居がほとんど。潜り込めただけで感謝なのだけれど、下手側からでは全体に遠い印象があります。まあ、ここに限らず公共系の劇場の多くが抱える問題ではあるのですが。

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速報→「猫のサロン ~奇譚集~」猫の会

2010.8.28 16:30

北村耕治の作品を上演する猫の会の企画公演「猫のサロン」。夏らしく少し怖い話を1+2+3人芝居の三本立て計60分。30日まで、小劇場・楽園。

毎日出かける男の前を黒猫が通りすぎる。妻とも話しているそんな毎日を過ごす中、猫の姿が見えなくなる。男の帰りは遅くなり「猫の通り道」。
亡くなった女を弔問に訪れた男。出迎えたのは妹と名乗る女。居心地のわるくなった男が帰ろうとすると、靴がなくて「猫のいる部屋」。
久しぶりに里帰りした三女、居眠りする畳の上。晩ご飯の準備もそろそろ、というころ。起こした長女は祖母から教わった"猫童子"の語りを近所の子供会でやっていて「猫童子」。

夏らしい不思議な物語を三本でコンパクトに。いろんな役者で観たい気もするポータブルな芝居。 新聞紙を丸めて敷き詰め、斜めに走るたくさんの細い棒の抽象的な舞台。ちゃぶ台が中央。天井から電球。

「〜通り道」は、佐藤達という役者の独り語りの口調。普段彼自身がやっている独り芝居のようなゆるさ、笑いというよりは、もうすこし男の独り語りにシフトした印象。「妻」のことを想っていないわけではないのに、距離が出来てしまうという男のどこかもの悲しささえ感じさせる機微の味がいいのです。

「〜部屋」は、ホラー風味の味付け。序盤のちょっと理不尽な"妹"のやることの理由が見えてくる後半でどんどん怖くなるかんじ。そこの部屋にいる「おばあちゃんの猫」はなんだったんだろう、と感じたりはします。でも、どうもちょっとちぐはぐな感じで進んできたやりとりが、静かに翻弄されるだけだった男がはき捨てる「小遣い」の一言でぴしっと合う感じがぞくぞくします。

「〜童子」は夏の日の畳の部屋、というだけで自転車キンクリートの名作「蠅取り紙」という印象をもってしまうのだけれど、語り口も少し似ています。猫童子という童話の語りをめぐるこの家族たち。田舎を感じさせる為かどうかの名古屋弁(だよな、これ)はそうすべきなのかどうか難しいところだけれど、夏の帰省という場面の感じがよく出ています。

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速報→「粋で鯔背で、すごい馬鹿」散歩道楽

2010.8.28 13:00

散歩道楽2010の三本連続上演の二本め。浪曲の常設劇場、浅草木馬亭。ぐんぐん伸びるスカイツリーと、サンバカーニバルに浮かれる土曜昼。95分。29日まで。

大衆演劇の一座。座長の父親を筆頭に妻、息子たちのほか、元カメラマン、元ストリッパー、元小劇場役者などのそとからの役者たちと半々の構成。本拠地の浅草での公演初日の直前、座長が倒れ病院にかつぎ込まれる。翌日の昼何事もなかったかのように劇場に現れた座長は、一座を集めて、引退を宣言する。

小劇場の芝居で劇団とか芝居を題材にとるというのはどうしても作家たちの近いところに題材を求めすぎるという点でうまくいくことは少なくなりがちです。彼らにとっては身近で切実な問題なのでしょうが、そういう芝居がかなり多いことと、普遍性とか客観性のようなものの距離感が難しくなるからです。本作も芝居で生きる人々の物語。が、大衆演劇に題材をとり、あるいはさまざまな実年齢の役者を揃えたことで作家や役者たちの生々しさからは少し距離を持たせたという効果が感じられます。菅間馬鈴薯堂の人気シリーズとおなじような印象。

カリスマともいえる求心力のある役者、舞台外の活動に活路を見いだす役者、いい年齢になっても役者を続けていくことの覚悟、のようなもの。作家の宣言ともとれる感じが少々青臭くても頼もしい。百貨店勤務のサラリーマンの弟を置いたことで、芝居の世界で生きているわけではない私たち観客にぐっと引き寄せる感じがうまい。芝居じみた大仰な土下座をさっとサラリーマンの弟の姿に重ねるあたりに至り、それまで違和感のあったコマがきゅっと繋がる感じで作家の企みの巧みさに舌を巻きます。

芝居好きなブロガーという役があって、あれれ思っていると後半でモンスターペアレントよろしく逆上する、なんてあたり、伝搬力とか注目を浴びることで個人の能力を晴香に越えた力をもってしまうこともあるのだけれど、そこにおごっちゃいけないのだよな、自分は大丈夫だろうかなんてことを自戒するのです。

今藤洋子の熱くて空回り気味の女、巻き込まれ型のつっこみに強い彼女が必ずしも得意な役ではないと思うけれど、しっかりと。小高仁の格好良さ、鉄炮塚雅よの面倒くさいキャラクタも印象に残ります。

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2010.08.28

夏の在庫整理

イキオイづいて青春18きっぷを買ったものの、一回使ったきりで使い切れない予感。ためしに検索してみると、金曜夕方、会社を同じ時間に出てもなんとか横浜にたどり着けることが判明。これなら値段半分。もちろん、時間はかかるけれど、早く戻ってもどうせ呑んだくれるだけなんだから、アルコール摂取量を最小限に抑えられるんじゃないか、なんてことも考えつつ。

予定通り順調に来たけれど、相模湖で20分ほど足止め。中央線の警報がなったために確認。まあ、甲府さえ通り過ぎていればその後何本か電車があることはわかっていたけれど、けっこう綱渡り。でも、これもまた旅。結構楽しめるな。もっと早く気がつけば。高速バスより安いし。

今週はかなり注目作揃い。

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2010.08.23

速報→「臭う女~におうひと~」野の上

2010.8.22 18:00

強烈な津軽弁で芝居を作る「野の上」。弘前劇場時代の若手公演[CoRich]を新キャストで上演。青森のあとアゴラ劇場での上演は22日まで。100分。

農家の庭先に集まる近所の主婦たち。青森県産にんにくの出荷の最盛期、外皮を取り、仕分けや計量をして梱包をしている。70になるのに働きに出ていたり、中国からの留学生として来日し結婚していたり、という女たち。近所の噂話、それぞれの夫の話まで、シモの話も含めて姦しい。

せりふの一言目から、津軽弁満載。弘前劇場や渡辺源四郎商店を通してなれてきているアタシでも強烈な「臭い」を感じるせりふ。まったく聞いたことのない人にどう感じられるのかは今一つ想像できませんが、少なくとも前半の話題はわりと軽めに作られていることもあって、ネイティブではないアタシにとってもやがて慣れるように構成されているように感じます。

近所のあの人がどう、という噂話から、手にしたニンニクを旦那のソレに見立てての屈託のない世間話。高価な農機具を売りにくるディーラーの営業やらさまざま。

ネタバレ

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速報→「吐くほどに眠る」ガレキの太鼓

2010.8.22 14:00

ガレキの太鼓、華やかで濃密な女性ばかりの95分。26日までAPOCシアター。

女性の語り。優しいお兄ちゃんが居て子供のころから後をついまわっていた。中学にあがる頃、学校に行けなくなった兄は留学のために家を出ることになった。繊細なところがある父親と母親、残った彼女は、健気に家族を支えなければと考える。中学、高校とすすみ、恋もして友達も出来て、大学に入って、バイトして、社会人になり結婚して。

中央に少し高い台。その左右に大量に掛けられた衣装。 木崎友紀子が語る、女の半生。それ以外の役者は、その女も母親も父親も、兄もまわりの人々も役を入れ替え、舞台上で着替えながらその女の半生を追いかけます。人に聞かれて語っている風の女は、自分の半生を語りますが、何のためのインタビューなのか、ということはかなり後半になるまで明らかにされません。半生のところどころで見せる女の拘泥や一途、それぞれは小さなきっかけだったりするけれど、積み重なり年月が重なっていく様子。

子供のころの無邪気さ、兄が家を出るあたりの少し暗い感じ、高校から大学にかけての青春まっただなかな感じ。闇を細かく「さし」のように入れながらも、華やかな中盤までは実に楽しい。高校に入っての部活、バンド、彼氏への告白(やや前傾姿勢、という少女マンガのような細かな作り込みがちょっとすごい)への流れのあたりが好きです。 高校からの親友、ユミとのあれこれ。依存してしまって不安定な大学入学直後、披露宴での二人。そのユミが語る恋愛遍歴の波瀾万丈の楽しさ。

人が生きていく上では何かへのこだわりだったり、市場とする何かの考えなんてものがだれにでも多かれ少なかれあると思うのです。彼女の場合はそれが家族で、あるいは誰かに頼られる、という強いつながりへの依存。それは他人からみればときに滑稽だし、まわりは本人が思うほどの重大さを感じていなかったりもするけれど、そのささいなきっかけが、「事件」を起こす、という物語の運びの見事さ。これがなんせ90分に濃縮されている見事さに舌を巻くのです。

語りを一手に引き受ける木崎友紀子は確かな語り口、華やかなこともあったけれど、というある種の疲れを感じさせる表情の奥深さ、確かなちから。高橋智子演じる、親友ユミの恋愛遍歴はちょっとコミカルだけれど圧巻。北川裕子、上村梓、石井舞、菅谷和美、由かほるもそれぞれが子供から母親、ときに祖母に至るまで変幻自在で、全体の水準が高い座組となってこの物語をしっかりと支えるのです。

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速報→「対岸の花火」年年有魚

2010.8.21 19:00

年年有魚の新作。100分。24日までOFF OFFシアター。

小さな町の和菓子屋。店を訪れる人は居ないが、三代目を継いだ次男は、ネット通販で塩大福を三ヶ月待ちになるほどの人気にのしあげて、雑誌の取材は断るほどになっている。ある日、東京で美容師としてカリスマになっている長男が数年ぶりに戻ってきて、一緒につれてきた編集者の取材を受けるように云う。

女優の浴衣姿と帰省にからむいわゆる「田舎」の物語、夏休みらしい感じで季節にあっています。

実家の跡を継ぐこと、という男目線の物語を軸に据え、離婚して戻ってきた女や結婚を意識し始めた三男と恋人、あるいは従業員のほのかな恋心。長男が戻ってきて次男ともめたというだけで翌日には噂話になってしまうような小さな町。久しぶりに訪れた町は、自分が知ってる頃とは変わらないところもあるけれど、合併があったりして、様変わりしていく町の姿。あたしはそれほどまだ深刻には感じないけれど、生まれ育った町は間違いなく変化していくことは、歳をとればとるほど実感するのです。

東京に出ていった長男、跡を継いだ次男の葛藤があきらかになる後半のシーン。ちょっと出来すぎな感じがしないでもないのだけれど、長男が出ていったことや次男が頑なに取材を拒否する理由がするするとつながっていく感じは鮮やかです。

そこかしこに恋の物語をちりばめながらも、三兄弟の物語の一角をなす三男と恋人を以外はさらりと流した感じ。全体の印象も、どこかさらっとしている印象なのだけど、劇中語られる「薄味」を感じる才能みたいなもので、ああ濃い芝居ばかりみてるとこういう「そよぐような」芝居を感じる舌も鍛えなきゃなぁと思ったり思わなかったり。

全体を通して出ている印象の前有佳が印象的。松下知世は少しコミカルな方があっている印象。小谷美裕は恋人に半切れになるシーンがちょっといい。安東桂吾はちゃらちゃらしているようでしっかりとしたところを見せる終盤、カッコイイ。

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2010.08.22

速報→「のるもの案内」時間堂+スミカ

2010.8.21 16:00

原田優理子のユニット、スミカの立ち上げ公演は時間堂との共同で。短編2編休憩なし60分。22日までMODeL T。1ドリンクと、おみやげにお菓子がつきます。小さな空間であることもあって、前売り完売。

早朝の山手線の中、池袋をでたところ。呑み会帰りらしい若い男女。男は写真の夢を熱く語り、女はそれを素直にすごいと思いながら、自分はなにになりたいか今一つ強い意志をもてずに、菓子作りの専門学校に通っている。少し離れて一人で乗っている朝帰りらしい男、駅で乗り込んできたスーツケースを抱えた女は知り合いだった。久しぶりの再会に驚きながら、互いの近況を探る微妙な距離感「池袋から日暮里まで」
空港で飛行機を待つ女。彼女のことをご主人様と呼ぶ彼は、この旅行で常に傍らにいるのだ、という。彼女の母親とも旅を共にしていたらしい。そこに長いことずっと傍らにいたという男女が、自分たちをおいていくのか、と二人の旅立ちを止めようとして「真ん中から少し浮く」

旅とか乗り物にまつわる短編二つを核に、役者のゲームとかちょっとした動きを重ね合わせての60分。「宿題」と称して、「思い出深い旅の行き先とそのコメント」を観客にカードに書かせたものを壁に貼り、その場所やコメントを何気ない会話の話題として使うスタイル。

オープニングのダンスは寝ている女たちを引き起こす男たちが担いだりして、男と女が居るこの世界を色気のあるシーンにして印象的。時間堂とも、原田優理子の所属するトリのマークとも違うテイストを印象づけます。

「池袋〜」は15min madeで上演されたものの原田優理子演出による再演。初演に比べるとこじんまりした空間。初演の動きをあまり覚えていないけれど、二組の男女を背中合わせにして動かすというスタイルは列車の大きさを想像させるようで楽しい。トランクを役者が演じるけれど、それ自体にはあまり大きな意味はないように思います。 若い頃の何でもできそうな自信に満ちた時間と現在のギャップを鮮やかにみせる本作は、30代ぐらいから後の世代にはスタンダードという味わいすら感じさせ、あたしの気持ちを揺らす一本であることを再認識。もっと「マカロン、マカロン、マカロン」のおまじないを強く見せた方がわかりやすいんじゃないか、というのは初演の時と同じ感想。

「真ん中〜」は作家の初脚本だといいます。ふつうの日常を送っていて、仕事もそこそこきちんとやっていて、部下もできるように過ごしている彼女が、突然旅に出るのは、ということなのだけれど、その理由をことさらに深堀りしたりはしなくて、その気持ちの揺れを丁寧に形にするということに主眼があるように思います。

★ねたばれ★

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2010.08.16

速報→「あなたに似た人」mitsudomoe

2010.8.15 18:00

古川貴義、玉置玲央、須貝英のユニットのリーディング企画。80分。16日までSIMスタジオ。男二人女一人の三人芝居を俳優二人で、女の台詞を語らないという特殊な上演形態のため、台本を持ちながらあるいはあらかじめ読んでおくのを強く推奨。会場での販売(500円)の他、ネット上での公開もされています。

脳神経科学の学会発表。壇上の研究者はある精神疾患についての新しい知見を発表する。近親者のことを、そっくりなニセモノだと思い込んでしまうその疾患を人為的に作り出し、愛情などの感情と記憶のメカニズムに迫ろうという研究だった。その被験者となったのは、研究者の妻だった。

台本はフェーズ、と名付けられた場の番号が逆順振られていて、どうしてそうなった、という感じで時間軸を遡るように物語が進みます。中心を向いた三脚の椅子と机。一つの席は語られない女の役、他の二人は場面ごとに配置を替えていきます。表情以外の動きはほとんどなく、まさにリーディングでの勝負。

そこに謎があって、困難であれば困難であるほど突破口を探って右往左往しながらも先に進みたい、という研究者。振り返って俯瞰してみればそれは最初の目的とは違ったものになっているかもしれないけれど、それでもそれが新たな知見を生むと判れば試さずにはおられない、という、科学に携わるもののある種の業。そこからは一番遠い場所にあるはずの「愛情というものの解明」にかかろうとした瞬間のどうしようもない悲劇的な感覚はアタシの気持ちを揺らします。

三人という少人数、セットを作り込まない上演が可能で、たとえば鴻上尚史の「トランス」にも似たポータビリティと力のある脚本。魅力ある役者がシンプルに初演してというのは、脚本を丁寧に育てていくという意味である種のワークインプログレス。芝居を育てていくという過程の片鱗を味わうことの楽しさ。

正直にいえば、もともと三人用に書かれた芝居の初演を、一人の台詞を発しない、という特殊な上演形態で行うのは少々残念な気もします。台本の無償公開と販売を事前にアナウンスしているので責められるという程ではないのですが、初演だからこそ脚本のシンプルな力を味わいたいと個人的には思うのです。もっとも、一人欠いて始める、というのはパズルの最後の一ピースを探すということとも云えて、それはそれでいい企みだなとも思うのですが(どっちやねん>アタシ)。

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速報→「トップ・ボーイズ」フライングステージ

2010.8.15 14:00

「トップ・ガールズ」に着想したゲイたちの物語、フライングステージの新作。110分。15日までOFF OFFシアター。

ゲイ同士で日本では始めての結婚式をあげたカップル。その新居に集まったのは、歴史上の著名なゲイたち。しかし、カップルの片方は現れない。同じ会社につとめる二人。二人はゲイのカップルであることを隠しているが、片方は自分がゲイであることを周囲に明らかにしているが、その相手は、周囲はおろか親にすらゲイであることのカミングアウトしていない。

前半はゲイにまつわる歴史上著名な人々を登場させ、そこに至る背景を描きます。同性愛自体が犯罪という西欧の時代、男色自体が問題にはならなかった時代などを通して彼らが勝ち取ってきたことを描いていく部分、そういう背景に疎いアタシです。喋っていること自体は理解できても、それをエンタテインメントとして楽しむというところまではなかなかいけないのがつらいところ。

現代のゲイカップルを描く後半は、打って変わって実に見やすい。同性愛を社会が認めることを勝ち取った、という前提で描いていて、前半にあったような犯罪なんていわれることはなくなっているはずなのに、カップルの一人はカミングアウトできずにいるのです。一人はあっけらかんと公言しているのに、一人は隠したいという意志が強く働くこのギャップ、二丁目という特殊な場所はあっても、隠して生きている(劇中では「クローゼットの隠れゲイ」と揶揄される)生き方もまだ生きていて、みんなが認める時代に流れていくのは明らかなのだけれど、その足並みがまだそろわない。自分は自分であれば大丈夫、ということはタテマエとしてはわかっていても、一人では生きていけないわけで、そういう過渡期の物語はおそらく作家やその周囲にとって切実な問題なのです。

役者もそれぞれ魅力にあふれています。母親を演じた石関準のおおらかに包み込むようで、母性を感じさせる美しさ。オバサンであるところの近所の主婦を演じた関根信一とあわせ、後半部分のコミカルなところを徹底していて印象に残ります。メインのカップルを演じた羽矢瀬智之、久米靖馬はことさらにゲイっぽさに走らない自然さが好感。ますだいっこう演じるアランも不思議な説得力があります。まあ、あたし自身がチューリング、ってのに馴染みがあるということかもしれませんが。

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2010.08.15

速報→「夜も昼も -Nigh and Day-」文月堂

2010.8.14 19:00

文月堂の新作。芝居の現場とバイト先という現実をのみこみつつ仕上げられた120分。17日までアゴラ劇場。中心やや下手側のほうが見やすいと思います。

芝居がしたくて高校を卒業後上京してきた男。大学には入らずに大学の劇団に潜り込む。メンバーが卒業し就職し抜けていっても主宰として頑張る。バイトはいつしか育毛剤の通販コールセンター。

小劇場の作家が芝居で喰っていきたいのにそうならないもどかしさを描くのは実際の所よくある題材ではあります。10年やってきたのに何やってるんだろう、芝居でもそれ以外でも何かを掴み始めた奴らも居るのに、芝居もままならず、社会人としても中途半端。自分はどうしてこうなんだろう、という想い。芝居が第一だから、バイトで働くことは「生活の糧」に過ぎなくて、死んだ目をして無茶苦茶なシフトを組んで、長いこと職場にいてもほとんど誰とも関わらずにやっていく、なんてぐあい。

冒頭に描かれるのは溢れるカエルの鳴き声。地方を象徴するものとして描かれるこのシーン、アタシにも実感として感じられるのです。カエルの声が聞こえるというのではなくてカエルの鳴き声の中に沈んでしまうような感覚が、都会としての東京からの距離を実感させる、というか。

このカエルのモチーフ、作家はその一歩先に踏み込んでいきます。その溢れる鳴き声をコールセンターの喧噪に重ねていく作家の真意はよくわからないけれど、アタシは志しているはずの芝居からの遠さと、生活の中に埋没してしまいそうになるということを描き出したいのだろうな、と読みます。

小劇場の役者の生活をダメさ加減で描くのはリアルかどうかはわからないけれど、男女がくっついただの離れただのということと、カネの問題がからみあっていくというのはまあ、きっとそうなんだろうなと思わせます。コールセンターの方は、社員、契約、バイトのいろんな働き方に、生き方だったりマイノリティーだったり、そこまで派手なことじゃなくても、新人の研修や休憩室のやりとりなどと、人間のふくらみ方の幅がさすがに広くて、腑に落ちる感じ。作家が実際に目にしたことなのかどうかは知りませんが、観察と構成のちから。

藤原よしこは、二つの場面の両方で大量の台詞を駆使して場面のリアルさを作り上げます。特徴的な声が印象的。辻久三はコールセンターでの「引き継ぎ(このこと自体のリアルさはともかく)」にまつわる場面が強い印象。諦めと優しさが入り交じるこのシーンが好きです。

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速報→「ひつじ〜Les moutons」タクトフェスティバル

2010.8.14 17:45

国際児童青少年芸術フェスティバルの一環。池袋、東京芸術劇場小ホール前の広場に作られた「羊の放牧」。無料で通りがかりでもみられる楽しさがあふれています。自由な場所でみることが楽しい30分。開演が押してしまったため、後の予定で半分ちょい、ぐらいしか観ていません。残念。びわ湖、松本、大阪の公演を経て15日まで東京芸術劇場地下の広場。

ありていにいってしまえば、着ぐるみの羊とふれあったり観察したり、追いかけられたりというインスタレーション。正直にいって、生で生き物をみることを越えられるわけではないのだけれど、それをポータブルに持ち運んで、「箱庭」のように見せることは確かに意味があります。 芸劇地下という公共の場所、通りすがりが立ち止まり観るという敷居の低さでやるからこそ成立するという感じはあります。そこには通りがかりの観客、という立場が絶対に必要で、東京芸術劇場という場所はたしかに良くフィットしています。

事前に情報をきちんと手に入れていなくて見損なった、 アタシにとっての日常の土地である「まつもと芸術館」でこれがどう成立していたのかに興味があります。街なかの中心地ではあるけれど、普段から人通りの多い場所ではなくて、「松本ぼんぼん」という祭りで賑わう中だからこそ成立したのだろうなと勝手に思いつつ。また松本来てくれないかしらん。

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速報→「さらば八月のうた」M.O.P.

2010.8.14 14:00

M.O.P.の26年目、最終公演。大阪から始まったツアーは16日まで紀伊國屋ホール、そのあと京都。休憩10分を挟み本編160分。そのあと5分強の演奏。前売りは完売していますが、見切れ席(といってもそう大きな問題ではありません)を中心に当日券も出ています。

ラジオ番組に寄せられたメール、祖父が歌っている昔の歌が何かを教えてほしいという。番組のDJは女子大生出身でそこからずいぶん時間が経っているが、その歌に聞き覚えがあるというが、スタッフは誰一人知らない。
横浜港に係留される船、その甲板で毎年8月に集まり旧交を温める人々、時間の流れには抗しがたく人数が減っている。彼らが歌う歌。
その船の甲板、かつては慰問、かつては病院船という時代を経ている。

1932年から2010年に至る時間の流れを行きつ戻りつしながら流れる物語。わりと無駄に見える部分も多いのは作家の作風なのだけれど、丁寧に丁寧に描きます。番組が続いた26年という月日を劇団に重ねつつ、そのノスタルジーに浸らないのは作家の照れか、スタイルなのかと思いつつ。

漫才師、バンド、歌手、その時代なりに職業を変えながら人のつながり。激動の時代だからこそ、「食っていける」なら何でもやる、という時代を描きつつ、劇団が解散するということはそれぞれのメンバーへのメッセージかと思ってしまうのは考え過ぎかしらん。

映画のチケット、漫才師の慰問団、ラジオの外回り中継など、無関係に挟まれたようにみえる(しかもそれぞれの時間が結構長い)のだけれど、終幕に向かってするするとつながるつくりはさすが。番組が終わったあと、終幕はテクニカルには着替えの時間だけれど、戦争前後と現代の間を繋ぐブリッジの役割を持っていて、これはこれで印象的。正直にいえば、休憩後の後半が物語の中心だし、特定の何人かの役者の魅力に依存しているという印象は否めません。でも、これこそがM.O.P.のスタイルだし、劇団ってものだよなぁとも思うのです。

見慣れた役者たちがいくつもの顔をみせるのも魅力。キムラ緑子は漫才師からDJと人物は違うけれど女性の強くなる進化の過程を見せるように力強い。三上市朗はセンセイの一本の軸でひどい男からの長い時代をきちんと描き出し、小市慢太郎は見守る男のポジションが実に暖かいのです。幾太郎を演じる奥田達士も見守るポジション。キムラ緑子・小市慢太郎・奥田達士の三人が、離婚するだのしないだのの会話をする1943年の病院船のシーン、その曲がつくられたすべての源となる結実点が優しくて美しい。

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2010.08.14

速報→「express」PLAT formance

2010.8.13 19:30

二人組のコントユニット。スタイリッシュで、そこに大きな物語をきちんと作り上げる90分。王子小劇場。

漫才、受ける漫才なのに一人が辞めるという。駅で電車に飛び乗る。車内ではさまざまな人が乗り合わせる。

コントらしく、駅とか鉄道というテーマ縛りで独立したスケッチを並べていく、いわゆるコントの形式かと思っていると、個々のスケッチがするすると一つに繋がっていきます。コンビ解散を言い放って逃げた相方を追う男、その駅での出来事、列車の中でのできごとはやがてノスタルジーに溢れる物語に変質していきます。ピースのようにはまっていくさまの鮮やかさは圧巻なのです。

最初の漫才のシーンだって、きっちり面白い漫才として成立しているのが大したもの。ここをきちんと練り上げてあるのは全体の質感に繋がります。あるいは酔っぱらいのシーンのドタバタとした強烈な笑い、鉄道ヲタへの愛情とするっとひっくり返すバランスオブパワー、爆発物処理を巡る話と、そのオチなど、それぞれがきちんと作り込まれたコントで独立してもきちんと楽しめるのです。

ポストラーメンズ、と劇場はいいますが、それをあんまりよく知らないアタシには、洗練されていてスタイリッシュなコントという意味で、ラジカル・ガジベリンバ・システムやシティーボーイズの手触りに近いものを感じます。あの頃のテレビなら深夜枠でこういうものを作ることが出来たけれど、イマドキのテレビではなかなか観られないような90分の濃密な時間。こういうネタとしてきちんと作り込まれたモノを観られるのは実に楽しいのです。

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速報→「15 minutes made volume 9」Mrs.fictions

2010.8.13 14:00

15分×6団体というフォーマットで9回目。休憩10分を挟み120分。15日までシアターグリーンBox in Box。

あれだけ好きで貢いだ女の子から結婚式の招待状が届いたのに喜んで出席しようとする弟を見かねて、兄は罵倒することを教えようとする「わるぐち」(ひょっとこ乱舞)
壮大な勇者の冒険の物語、を上演しようとはおもったが、役者のあれこれの理由でちょっと残念な「OCEAN〜失われし七つの秘宝」(犬と串)
缶蹴りをする子供たち、ガキ大将風、転校生、可愛らしい娘さまざま、鬼が抜け出せなければ助けたり、和気藹々ともいえるけれど。「ジョゼたち」(ナカゴー)
妻が部下の男と浮気をした。許せないが妻とは分かれたくないし、部下は優秀で首を切れない。二人の話をとてもききたい。「性的人間」(シンクロ少女)
売り出し中の漫才師のライブ。ネタは一つしかできない。次の番の先輩漫才師が現れず。「漫才」(Defrosters)
男二人が寝ようとしているが、どうにも寝付けない。怖い話をすることになって「僕を寝かさない」(Mrs.fictions)

休憩を入れてるのにきっちり120分。珍しく短いものも混じっているようです。

「わるぐち」は気の弱い弟、それを鍛える兄の構図を基本に、そこから兄と弟のバランスオブパワーの鮮やかな転換で見せる印象。この構造よりも「一生あわないとわかっていたらやさしくできる」とか居なくなった描写などの細部がちょっと好き。

「OCEAN〜」はヘタレ劇団という描写ではあまり笑える感じにならないのが残念。むしろ、遅れ客、というのが秀逸で、自分も含めてあるあるネタのおもしろさ。

「ジョゼ〜」は子供の世界の理不尽さとバラバラさ加減、それでも仲間で友達で遊んでいる、という子供の遊び友建ちという集団の不思議なパワーを感じるのです。終盤いい話風になるのも見やすくすることに効果があります。

「性的〜」は許せない浮気なのに、その二人を許すばかりか、細かなことまで聞きたくなるという、男の弱さ。なんせその男は仕事から優しさから丁寧さから、女を虜にしていて、とうてい夫には太刀打ちできないのだけれど、それでも聞きたくなってしまう描写、なにより作家自身が演じる妻の描写の色っぽさに頭がぼおっとする感覚。終演後のトークショーによれば通しの時点で2分しかなかった、というぐらいにワンアイディアの勝負ではあります。

「漫才」は芝居のイベントなのに漫才かよ、それも大しておもしろくもないし、と思っているとそこから始まる喧嘩やごたごた。舞台袖での出来事として描くのがスタンダードな感じですが、それを観客が観ている舞台の上で起きていること、として描くのはちょっと珍しくて、しかもそれは効果的に働いています。

「僕を〜」は今回のイベントの中では実は一番芝居らしくて面白い感じ。怖い話は、一人減ったり増えたりという話なのだけれど、たった一晩のうちに起こっているそのできごとは、自分が友達と出会い、やがて別れていくという長い時間をぎゅっと圧縮して早回しで見せているような不思議な手触りで、魅力的な仕上がりです。

正直にいうと、全体にこじんまりしている印象がありますが、ショーケースでさまざまな芝居を観られるということのこの公演の意味は間違いなくあるのです。次回は10回目、その次は来年なのだけれどスペシャル、と題されているようで楽しみなのです。

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2010.08.13

盆休みに芝居を観る。

入社の頃は、全社一斉の休みは年末年始ぐらいで、夏の休みは各自バラバラに取得、というしくみでした。ここ数年、ビルの冷房を止めることでエコに貢献、という切り口(見つけた人は偉いと思う)で夏に2日の全社休日。

歳を取ったからなのか、職種が変わったからなのか、この夏休みが有り難いのです。

家族に会ったりしつつも、それを目一杯使って、トーキョー観劇三昧の週末。

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2010.08.09

速報→「パーティーが始まる」TOKYO PLAYERS COLLETION

2010.8.8 18:30

劇団競泳水着の上野友之の立ち上げた新ユニット、トープレの旗揚げ公演。80分。8日まで王子小劇場。劇場の演劇祭、「佐藤佐吉演劇祭のオープニング企画。

二十歳の学生の男。まわりは就職活動を始めていたりする。本人はといえば前の彼女に振られてから一年になろうとしていて、悶々とする日々。何か物語のようなものを書きたいと思っているが、サークルに入ったりそのための勉強をしているわけではないし、そもそも、自分はなにを書きたいんだろう。

まだ何者にもなっていない二十歳の頃。無限に広がる未来があったのだ、ということに気づくのはそこを通り過ぎた後の話。当人にとってみれば、やりたいこととできること、道筋をどうやってつければいいのかの模索の日々なのです。そんな時代、作家自身を匂わせる少し内気で女の子が好きだけど話しかけられない青年が主人公となり物語は進みます。作家には衝動がなければならないのに自分にはないと悩み、書き方がわからないと悩み。教室でみかけた可愛らしい女の子への想い、電車でよく見かけるエロいお姉さんへの妄想。しかしそれはなかなか形にはならないのです。「ものがたりを作りたい」ということこそが彼の衝動なのだということは芝居では語られるけれどそれはあの当時の彼自身にはわからなくて。

物語ることの原風景、青年、少女、友人、母親のほかに物語の中の登場人物たち、それに加えて「観客」というポジションがあって始めて作品として成立するのだという作家の視点はしっかりしています。書くこと自体はマスターベーションになりかねないけれど、そこに観客という存在があることで作品となり、表現となるのだということは当たり前のことなのだけれど、こういう芝居で描かれることはほとんどない気がします。それをきちんと描く作家へのあたしの信頼感はさらに深まるのです。

青年を表の姿と裏の声で演じた二人の女優、渡邉とかげと前園あかりはその頼りなさのような線の細さを好演。女優が演じるクッションのおかげで生々しさが減じられて、より効果的に。コメディパートを引き受ける村上誠基はベタな感じだけど、きちと舞台のリズムを作ります。少女を演じた泊ヶ山まりな、エロイ美女を演じた清水久美子と女優の選球眼は相変わらず鋭く、あえて地味に描く富永瑞木もその地味さもまた捨てがたく、だめおやじなアタシなのです。

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速報→「女の罪」ブス会

2010.8.8 14:30

ポツドールの企画公演のほか、AV監督としても活躍するペヤングマキの立ち上げた「女をテーマにした芝居」のユニット「ブス会」の旗揚げ公演。当日券でなんとか。10日までリトルモア地下。60分。

スナックらしい店内、夜遅く。場所に不釣り合いな「ふつうの主婦」が初めて訪れる。自分の留守中に夫がギャル風俗に行っていることに気づいて、自分のセックスが奪われたと感じるのだという。店のママは時折り店をあけて誰かに会いにいっている。二十歳のバイトの娘は年の離れた彼氏が居る。店にもう一人居る客は主婦と同い年で、風俗で働いているという。あとから店にやってきたのは、かつてこの店でバイトをしていて、今はキャバクラで稼ぐ女。結婚していて子供も居て、実はしっかりしていて。

ガールズトークというには少々年齢のあがった、さまざまに現代に生きている女たちの語り口。主婦だけれど子供のいないままセックスレスとなっている女、いい年齢だけれど結婚していなくて謎の多いママ、天然か計算か可愛らしさ満点に振る舞うけれど少しエグ味のあるバイトの娘、風俗嬢として働く女、子供も旦那もいて実はいちばんまっとうなキャバクラ嬢。30代後半ぐらいから20歳ぐらいまでにアソートの5人。主婦の一人をのぞくと夜の世界の女たちを据えて、たしかに「女をテーマにした」物語の作家の語り口の確かさに舌を巻くのです。

年齢でかならずしもいつも決められることではないけれど、たった20年弱の間の女たちの生きざまの世代間のコントラストが鮮やか。30代の女たちよりも、もっと下の世代のほうが、しっかりとふつうの生活をしているということの力強さ。バブルの世代はもっとしたたかで気を張ってすっくと立っている感じ、その残さの世代はどこかまだふわふわとしているという感じがよくでています。若い女は時代というよりは、この世代特有の世間をなめている感じ(それは可能性ってことでもあるのだけど)を印象づけるのです。

結婚式の定番ソングで泣き、そのアーティストつながりで世代や生き方の差を軽々と飛び越える中盤のシーンが好きです。アタシもちょっと泣いてしまうような鮮やかさ。終幕の女二人の対峙は短いシーンだけれど、まぶしいぐらいに真っ直ぐな女と意地を張ってでも負けない女の生き方の差すらぎゅっと濃縮している感じで強い印象を残します。

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速報→「部活動の鱈の(ほ)’」Hula-Hooper

2010.8.7 19:30

団長こと主宰の菊川朝子の出身地、鳥取の駅にほど近いライブハウス。なぜか階下は温泉で、温泉付きチケットも楽しい110分。終演後休憩を挟んで「鰺。」と題した安田奈加バンドのライブ40分。鳥取、アフターアワーズ。

物語の基本的な演出に至るまで、基本的には東京公演と同じ。小屋の違いはあって、7th floorに比べると、幅が広く天井が高くて奥行きがないつくり。動線の違いと、鳥取公演だけの出演者。二人は団長の従姉妹と従姉妹半、とクレジットされています。

東京に比べて全体の印象は、もっとタイトに精度を上げてある感じがします。おそらく東京から相当に稽古をしたのではないかしらん。正直にいって、説明なく役が入れ替わったり、時間が行き来したりと、見慣れない観客には決してわかりやすい構造の芝居ではないと思うのですが、それでも最初に堅かった客席が曲や芝居を通じてこなれていく感覚は、東京よりももっと強く感じられます。

団長と同じ鳥取出身の仗桐安との鳥取弁の会話の納得感は更に印象的に感じるのは周辺を歩いて街で耳にする言葉を浴びた上で観たからかもしれません。バンドメンバー、岡野直史の「時代遅れの河童」は凄みすらあって、こちらも印象的。

上枝鞠生、畔上千春、服部弘敏は上の役者たちに比べると、アウェイでもあるし言葉の点でも不利な点は否めませんが、7th floorよりも広めに使える舞台を存分に生かしてこの少ない人数できっちりと空間を埋めていて魅力的。

「違う」ことを乗り越える恋のちからを主軸に据えた物語の強みはそのままに。出演者が絞り込まれているがために、同じ人物を役者が入れ替わって演じるなどの無理があるのは、初演のときの制約をそのままにしても完成させるという心意気だと思うのです。

こなれた役者ばかりではない座組、観客にも小さい子供もいたり、何かが落ちて大きな音がしたりというハプニングを、菊川朝子はいちど呑み込み、きちんと制御するのです。役者みんなにもそれは徹底されていて、力や芝居や声の大きさなんてもので押さえ込んだりしない感じが大好きなのです。

温泉チケットで階下のレトロな温泉に浸かり、余韻を楽しむことが出来るのもなんかものすごく贅沢な感じなのです。

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2010.08.06

夏休みのさまざま

東京のオフィスとは違って、地域や社内のさまざまなイベントがあります。先週は会社の地域の夏祭り。イキオイで申し込んで、でも結構楽しんで。今週は会社の中の夏祭り。配偶者や子供がいれば社内の見学ツアーも設定されてるのです。子供の頃にオフィスとか工場とか見たら盛り上がるよなぁ。いい思い出になってほしいのです。

あたしの夏休み的イベント。先週は久しぶりの秋葉原歩き。ああ、歩行者天国じゃないんだ、ああ、ザ・コンって閉店したんだ、ぐらいに久しぶり。パーツ買って、イキオイでAndroid Tablet も買い込んでちょっと楽しく遊んで(買ったのはePad 1.7 版のやつ。15900 円。USB と有線無線LAN が使える。たいしたもんだ。アダプタをコンセントに挿したまま外出するにはあまりに怖い工業製品だけど。)

今週もちょこっと旅をしつつ。来週は夏休みもちょっとあるし。

今週はいろいろ未定。■鱈。は見る気満々。■TOKYO PLAYERS COLLECITIONも、■ブス会も見たい。

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2010.08.03

速報→「きみどりさん」東京ネジ

2010.8.1 18:00

東京ネジの新作。110分。1日までOFF OFFシアター。

その家の押入には、一人の老女が住んでいた。名前はきみどりさん。親子5人の世帯だが、血縁ではなく、行動もすこし度を超していて、妙だった。

いくら昭和だからといっても、アタシにとってはリアルには感じられない物語。だけれど、作家が当日パンフに「実際の」と書いていたり、アタシの友人がそれをリアルな体験として感じていたり、むかしの文章には時折垣間見える、きっとそこかしこにあった時代の残渣。もっとも過去の昭和42年の話として挿話される、「誰かを待っている」のは家族から捨てられた、もしかして男かもしれない、という、時代の薄暗さともいえるし、そういう人を同居させることの出来た時代のおおらかさともいえます。

血縁の祖母祖父の同居であれば、それは自分につながる「家族」が間違いなく存在しているという時代の縮図がそこにはあるのだけれど、血縁でもなく身よりもない老人が同居しているという状態は、必ずしも器用には生きられていない三人の兄弟たちには、一人で「人に迷惑をかけて」生きていくのではないかという未来の選択肢をリアルに感じさせる物語の背骨の一つは、アタシの気持ちを激しく揺らすのです。

佐々木富貴子演じる「きみどりさん」は終始ハイテンションのまま大声を張り上げ、小さい体で押入の上段に這いあがる姿は滑稽だけれど、何かの想いがそこにあって、居つづけているという姿、やがて押し入れに昇ることすらままならない、と時間の流れをきっちり。迫力さえ帯びてくるのです。小林至はスマートではないけれど一途に妻を気遣う夫を好演。小劇場のこの年代の役者になかなかみられない「疲れた中年」らしさの味わいにますます磨きがかかり目が離せません。佐々木なふみ演じる次女は、気ままで少々暴力的で情熱的で情にもろい。こういう役をやらせると本当に強いと感じます。

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2010.08.02

速報→「また逢おうと竜馬は言った」キャラメルボックス

2010.8.1 14:00

劇団の人気演目、四演め。若手を厚く配役して新しい世代を印象づける120分。8日までサンシャイン劇場、そのあと名古屋、神戸。

あらゆる乗り物に弱いのにツアーコンダクターの男。愛読書の「竜馬がゆく」を胸に、強い男でありたいと思っているが、実際はなかなかそうもいかない。添乗員を変わって貰った同僚は、ツアーの参加者の女はどこか雰囲気が妙で...

竜馬に憧れる男の奮闘と、力強い同僚とその妻たちのものがたり。いわゆる時代劇ではなくて、現代劇、ひ弱な主人公の成長譚にしあげたキャラメルらしい一本。その時々の若手とベテラン組を竜馬とひ弱な男に当てることで、劇団の中での男性俳優をどう育てていこうとしているかが透け見えるのです。

物語に携帯電話はでてくるシーンもあるけれど、連絡が付かないとかすれ違うとかいう点で携帯が使われないなど、細かく時代を感じさせるところもあります。10年ぶりの再演にあたって音楽はずいぶん変えたようですが、物語の印象は変わらない感じがします。好意的に解釈することもできるけれど、キャラメルの過去作ではそろそろその意味での改訂があってもいいなと思ったりもします。

物語を翻弄する、女性ツアー客は、岡田さつきのミニスカート姿、という印象の強い役だけれど、ここも世代交代。渡邊安理もミニスカでこそないけれど、いままでになく脚線やボディラインを強調した衣装。若い世代らしく、ケバさが強いのですが、こちらの方が今時の感じの納得感があります。もともと好きな役者ですが、オヤジのあたしにはそこにばかり目がいってしまうのもよしあし。 三浦剛、筒井俊作、阿部丈二もいままでだったら違う配役になりそうな印象の役なのだけれど、やさ男だったり、悪役だったりと、それぞれに新しい側面を。

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