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2010.07.31

夏休みな感じで

学校は夏休み。朝見かける学生、子供たちもホントに少なくなりました。会社の夏休みはちょっと先だけど、週末を使っての夏休みシリーズ。先週の有休から始まり、あずみ野まつりにちょっと参加してみたり、少々旅行してみたり。

で、今週末の芝居は1日だけ。

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2010.07.27

速報→「華麗なる招待」toi

2010.7.26 15:00

Long Christmas Dinnerを題材にワンアイディアの演出で押し切る65分。8月1日までSTスポット。

古い家の食卓、90年に渡るクリスマスの風景。

大きな食卓に机。誕生しあるいは訪れてこの家の食卓を囲む一員となり、ここから去り、の繰り返し。誕生、死の出捌け口を固定することで様式的な美しさも、言葉で多くを語らなくてもいい効果。 この物語自体が、定点観測カメラ的な視点の物語。なるほど、演出が描く「とき」にまつわる一連の作品につながる感覚があります。

ワイルダーの原作こそがオリジナルだとはおもうモノの、あたしにとってはそれをオリジナルに引きながら日本人の感覚によりぴったりとフィットするラックシステムの「お正月」という名作を先に見てしまっているがために、物語としての感動は薄めなのです。それでもワンアイディアの企みはそれが機能し始めた途端にわかりますが、タイトに作られたその企みのバランスは抜群で、わかっていても少々うるっとくる感じは印象的なのです。

ネタバレ

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2010.07.26

速報→「鱈の(ほ’)」hura-hooper

2010.7.25 19:00

hula-hooperの、部活動として公演を重ねた「鱈。」のしばらくお休み前公演。2008年の「悪友ナイト」改訂再演、がっつり120分。これを鳥取ツアー(8/7)に。行く気満々。

妖怪たちが棲む場所。猫娘三姉妹、狼男のウルフ(とは呼ばれていない石原裕次郎か)、鳥おんなのヒバリ、男を惑わす女。そこには困難があるということはわかっていて、それでも体の中から溢れてしまう気持ちゆえに行ってしまう、道ならぬ恋。

初演もかなりバタバタだった印象(終演後に友人が云ってた、初演は主演女優があれこれ)。人数はたぶん減っているし、ステージ数も一回限り。ツアーのためともいえますが、少人数ゆえの無茶な展開も、実は結構たのしいし、少々無茶な設定でも、ねじ伏せるようにきちんとファンタジーを成立させています。

鳥取公演を組み入れたために、その土地に向き合うベクトルが強く働いていて、妖怪にまつわるあれこれが機能している感じ。特に序盤にある鳥取出身の作家、菊川朝子と、同じ土地出身の仗桐安の会話のシーンがネイティブらしく言葉そのものの強さのようなものがあって、強い印象を残します。もちろん、引用された詩のもつ力は圧巻で、それを織り交ぜながらの気持のいい空間は鱈の醍醐味なのです。

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速報→「孤天『「「「愛」を使う」と言う」とつぶやく』」コマツ企画

2010.7.25 15:00

コマツ企画の役者、川島潤哉の「一人で演劇」企画の三回目。70分。15日までルデコ5。

どんな危機にも対処する探偵のもとに来た依頼は行方不明の二人の子供を捜してほしいというもので『ある二人を追う男「佐藤あゆむ」』
公園で子供を遊ばせながら独身の友達にいう言葉は『主婦「尾丸秀子」』
書けない作家の『作家「高橋徳三郎」』
自然の中で子供に語りかける『父「和田和夫」』
集会に集まったなかで静かに語りはじめる自分の生い立ち『被差別市民「引田素直」』
探偵に追われた二人の『ある二人』

まるで、踊る大捜査線レジェンドのようなタイトルも楽しいラインナップ。三回目を迎えて、絶好調の感もある一人芝居企画。1時間強の時間、少しの毒を盛ってあって、緊張感もあって時間を感じさせないのです。

二人の逃避行、本当の恋人は別にいるのにそれとは違うひとを逃避行のパートナーに選んだ二人の葛藤の物語とそれを追いかける探偵の危機感離能力の高さのふたつの物語が オープニングとクロージングに。特に逃げている二人の関係は、そんなに珍しいオチではないのだけれど、そこまでの追い込み方が圧巻で、そのほんの少しの力で大きな効果を生む、テコのような面白さがあります。

欲求不満な主婦の下ネタ愚痴大会な「主婦〜」、こういう女性キャラをやらせるとこの役者は抜群に巧くて、そこに毒を盛っている感もあって印象的。 「父〜」、父親と息子の自然の中での対話、というとてもいい話ふうだけれど、そこに隠された絶望の物語も、オチそのものよりは、そこまでの追い込みの緻密さに効果がある感。 「被差別市民〜」、は笑いにはどう考えてもむすびつけづらい題材なのだけれど、差別しないことを突き詰めていくと、人種、種、動物植物、宇宙に至るまで同じに扱うしかない、というのは、途中までは思いついても宇宙、なんて突き抜け方をするやりすぎ感が好きです。あるいは終幕直前、差別なんてしない、といいながら、区別としてカテゴライズして、というのも毒が効いていて印象に残ります。

おしまいのシーンで座布団に座り、かみしもを切ってはなすあたり、落語を彷彿とさせるけれど、その枠組みに留まらない感も。

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速報→「反重力エンピツ」国道五十八号戦線

2010.7.24 19:30

作家の急病により新作から変更して2009年8月初演作を再演。役者が変わってもびっくりするほどきちんとハマる110分。8月1日までサンモールスタジオ。開場中には対角線に並んでいる椅子の延長線上ではない場所の席を。

アパートの一室らしい部屋。女をモデルに坐らせて男はイーゼルを据えて小説を書く。同じ部屋、集う人々は学生運動の人々。カレーという隠語で呼ぶ爆弾を仕掛ける新たな行動。少し前にも試みたのだが、内部の分裂で未達に終わっている。満を持して今回再び行動を起こすが、こんなに少ない人数なのに内部ではいくつもの対立が芽生えている。

今作に限らず、実は芝居の物語や細部の記憶ってものがびっくりするほどダメなアタシ。今作でも、 イマサラの学生運動の話、イーゼルで小説という印象的な構図は覚えていても、いくつかのどんでん返しを含め、覚えていないのだけれど、観ている最中に鮮やかによみがえる記憶。

企業とか団体とかいうものは何かの目的遂行のためにあるはずなのに、今なお実らぬ学生運動、政治活動、潰しあいのゴタゴタ。これもまた集団というモノの一つの側面だけれども、その閉塞感。潰しあう男女二組、その背景は後半で語られますが、カップルが、ということではなくても、現実のいろんな集団で日常的に目にすることをきっちり描き出す作家の目は確かなのです。

男女二人、モデルとスケッチしている(というか文章を書いている)風景と、学生運動のアジトと化している女性一人のアパート、二つの場面が描かれます。どちらが他方を内包しているのかということは、明確には語られません。アタシは部屋に集まる人々がベースとなる現実の物語で、男女のスケッチのシーンは女が想い描く世界だと感じます。

彼女には、たった二人でバカ話したり突っ込んだりしながら彼の思い描く世界が見えて、自分が溶け込んでしまって、その世界を本当にほしいと想う世界。(学生運動の)現実のシーンでは、この二人、ほとんど会話を交わしません。男は本作戦のリーダーだけれど、女は部屋の主ではあっても、言葉を発することすら稀で、でも彼らを追い出すこともありません。

終幕でその彼女がとる行動はあまりに唐突でファンキッシュ(という言葉があるかどうかしらないけれど)。初演観たときには、それをすっぽり見落としていたけれど、今回感じた補助線の上に載せてみると、それは実に筋が通っていて、腑に落ちるのです。

少々幼い感じに見せる男たちが楽しい。対する女優陣の力も圧巻。アタシの嗜好は別にしても(笑)、衣装や所作、ポーズのさまざまが「男を動かす為のオンナ」をきっちり、ああ、なるほど、歴史は世間はこうやって動くのか。堀奈津美は、コントロールするような強さをしっかり。岡安慶子は初演と同じ役だけれど、おもねる声で甘えてコントロールする力。ハマカワフミエは物語の真ん中の軸なのです。

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2010.07.25

速報→「暖かそうな場所」ろりえ

2010.7.24 17:00

タイトルが「暖かそう〜」だからなのか、この真夏日で風の通らない場所で設置されている冷房を切ることだけが声高に非難されることになっている番外公演、75分。25日まで。でもホントに暑いのでともかく涼しい恰好で、団扇でも扇子でも持参で。

孤児院の四人の女、孤児でも不自由なく暮らしている。シスターの誕生日の準備をたのしげにしているが、シスターは二度と姿を現すことはなかった。その日を境に家賃の取り立てをはじめ金に困る日々、このままではこの家を追い出される。血こそつながっていないが、長女はスッチーだが稼いだ金をタイ旅行につぎ込み、次女は高額な通信教育にはまり、三女は大人数の中国人と、危ない仕事に手を出す。四女はムカデが父だと信じ込み、少しでも資金を楽にしようと殴られ屋をやっている。

孤児でも明日がくれば、というミュージカルのことを物語の骨格に。閉塞した感じだけれど、そのなかで前向きに生きている四人の物語を骨格に。それぞれの真っ直ぐな想い、時に漫画かと思うような無茶でぐだぐだな展開、脇道をすり抜けていきます。

女優四人芝居を楽しみに。増席もでていたけれど、当日キャンセルでなんとか潜り込んだ客席。何にせよ観られたことには感謝するけれど、横から見る形になって、オーディションのシーンなど全く見えないシーンがいくつもあったりと、配席の影響は小さくありません。シンプルな物語に、可愛らしい女優たち、うんこうんこ云わせるアンバランスな感じ。本公演を観たことないと思ってたけど、実はアタシ観てて、そのときの感想と一緒なのは作演が一貫してるということでそれは誉めていいのかどうなのか。

開場中は効いている冷房を上演中は切ってしまいます。案の定、この気温の中では客席の灼熱地獄が待っています。物語がことさらに静かでなければ成立しないというわけでもなく、かといって終演後に販売するビールが売りたいというほどぼろ儲けというわけでもないはず。少なくともアタシの観た回に関して言うと、役者の集中力という点でもあまり効果的ではない感じがしています。

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速報→「エーデルワイス」falblabo-P

2010.7.24 15:00

恵比寿駅前バーで、fablaboのプロデュース企画としての65分。30日まで。

地球があとわずかで滅亡しようという頃、世紀末、恵比寿のバー。彼氏は彼女に打ち明け、彼女は憤慨して出ていってしまう。近づいた世界の終わりに、町は荒んでいる。その日は一刻と近づき。

バーのカウンターと云えばオトコとオンナ、愛憎入り交じりのさまざま。別れ話の男女を「世界の終わり」に重ねるシンプルなワンアイディアがホンモノのバーと言う場所に支えられて世界を作り出します。 正直に云えば、骨格がシンプルで短い時間ゆえに、この小さな世界を描き出すのには少々人物が多い印象があって、バーの外が荒んでいるという世界を描き出すのも荒っぽい感じは否めません。

いっぽうで男の後ろめたさの描き方、ちょっと面白い物語が作れそうな萌芽を感じます。

石井舞演じる「別れた女」の出番はそう多くはありませんが、真ん中にまっすぐ、ぶれない感じは凜として美しくて、見惚れてしまうのです。

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2010.07.24

梅雨があけました。

先週末からいい天気。安曇野も暑くなりました。出張でずっと来てる街だけど、夜中に暑くて目が覚めるということがあるのは多分初めての体験。連日の晴れでほぼ毎日自転車通勤。平均時速18kmで40分。距離は10.5kmぐらい。金曜日に戻ってくるための荷物を抱えるとさすがに自転車では行けず、会社のバスに1週間ぶりに。運転手のおっちゃん「晴れてるから自転車だねぇ、今日は戻るの?」なんていう何気ない会話が楽しい。会社としてはあまり続けたくないバスなんだろうけど、続く限りは(自転車の合間をぬって)乗りたいのです。

週末。

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2010.07.20

速報→「ON THE WAY HOME」喝采企画(黒澤世莉版)

2010.7.19 13:00

池袋にほど近い新劇場、KASSAIのオープニング企画としての、同一原作を4人の演出家での連続上演の最初となる黒澤世莉演出。90分。19日まで。

太平洋戦争の末期、本土から遠く離れた南の島。入植者たちは情報が遮断され、敗戦を迎えたことを知らない。知らずに入港してきた米国の貨物船の船員が持っていた新聞で敗戦を知り、古い船を改造して日本を目指すことにするが。

演出は当日パンフで太平洋戦争に関わる作品を意図的に避けてきた、といいます。アタシも同じ想いで基本的には時代劇モノのいわゆる戦争モノは避ける傾向にあります。現実を描くならドキュメンタリーの方がずっと優れていると思うし、現実の想いだけをすくいとり隙間をねらって創作すると嘘が目立ったり不自由になるざるを得ないとおもうからです。丁寧に作られている今作においても、アタシの想いは変わらないのです。

戦争が起きていてもなに不自由なく暮らせて、連合軍の標的にもならないという南の孤島への入植者たち、まして当時の日本式の教育をしよう、というぐらいの入植を行っているのにそこが拠点とならなかったこの島はいったいどこの国の息がかかっていたのだろう、という物語の骨格に対する違和感が最後まで抜けません。

ほぼ素舞台で作り上げるスタイルは時間堂的でスタイリッシュ。国籍不明風の衣装も、いたずらにリアルにするよりは虚構の物語にはあっている感じがします。帰りたいと想う気持ちと、狂信し共振する気持ちは見えやすくなっている感じがします。 物語とは直接関係ないけれど、女二人が甲板で寝転がり、はなすともなく身の上話、というシーンは演出の得意な方向で巧い感じ。好きなシーンです。

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2010.07.19

速報→「葬式クラス」恵比寿駅前バーP

2010.7.18 20:30

アタシは初めて訪れた劇場、恵比寿駅前バー。その初劇場プロデュース公演なのだそう。20日まで。普段とは違うらしい入り口側とカウンター、カウンター上のモニタも使った設定で途中入場は無理な85分。

中学の同級生たち、卒業後の7年で6人が死に、葬式が続く。いつしか、「恵比寿駅前バー」に寄る同級生たち。それからも隔年では葬式があって。
2002年には会社を解雇された同級生を悼む男はなぜか高価な注文を繰り返し。
2004年には冴えなかった地味グループの女子がキレイになっていて、でも幸せからは微妙に遠く酔いつぶれていて。
2006年には順風満帆におもわれたクラスのアイドルも、結婚したらしたで姑との問題などはあって。
2008年にはそれまで冷静だったバーテンダーが大泣きして、それには背景があって。
2010年にも、また集まることになって。

オカルトのように葬式の続く同級生。いつしか集まる場所ができて、定点観測のようになる時間の流れ。10年近い時間の流れに対してのケアよりは同級生ならば常に同じ時間にいるという感覚で、そういう意味ではリアルではありません。

中学生という純粋だった時間を共有していた同級生の何かの想いというモチーフ、たとえば高校や大学の頃のそれとは全く違う意味のある中学同級、そこに葬式という少々無茶な足かせが実はうまく機能している感じがします。

島田雅之は情けない男の表情をさせるとさすがに巧い。所属名称のはずれた鈴木麻美は喪服に始まりながらも幸せな感じで、結婚式風のドレスなど変化も、なかなかない「あばずれ」な感じも魅力なのです。

初めて入った劇場ですが、山の手事情社の水寄真弓が続けていた「プリズム」にも向くようなカウンターのあるわりと広いスペース。当日パンフによれば「音楽プロダクション」の小屋なのだといいます。いわゆるバンドが使うには狭すぎる感がありますが、パフォーマンスを前提にする飲食の空間というのはもっとあちこちにあっていい気がするのです。

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速報→「2番目、或いは3番目」NYLON100℃

2010.7.18 14:00

ナイロンの新作。19日まで本多劇場。そのあと名古屋、大阪、広島、北九州、新潟、いわき。休憩15分込みで205分。

何かがあって、破壊されてしまった町。その町に何か援助ができないかと5人の来訪者たちがやってくる。自分たちの町も復興を待っている状況なのだが、ここに留まり援助をしようとする。が、建物こそひどい状況だが、水も食べ物も自給自足が可能な程度には確保できていて、なぜか町の人々は笑顔さえこぼれている。

自分たちより悪い状況のところを探し援助するという形で自分たちが救われるという一種のエゴのはなし、とまとめようと思うとそれだけでは終わりません。わりと飽きずに長い上演時間を見られるのに、なにか感想にしようとすると、一癖もふた癖もあって、一筋縄ではいかない感じ。何かの教訓とか、何かを教えてくれるという感じではなくて、そこにいる人たちを少々意地悪に、そしてコミカルに描き出して、人間ってものの愚かさだったりある種の悲しさだったりを丁寧に描き出します。

もと劇団の、という少々無茶な注釈付きで展開されるチェーホフ風の衣装と雰囲気は、しかし結果的にちょっと意味シンで効果的。帰る場所のないこと、救いのないことを薄々感じていても、その先の希望を口にするせりふ、というのはアタシの感じるチェーホフっぽさの感じによくあっています。

上演時間の長さは、おそらく本筋とは違う枝葉をたくさんもってるためで、それは一見無駄なようだけれど、結果そこにできた「虚構の世界の強固」さに舌を巻きます。

正直に言うと、前半のゆるい感じの町の裏側が見え始めるあったりからのあれこれは少々唐突な感じを受けます。特に小出恵介演じる若者の豹変がいちばん落差が激しく、衝動的に過ぎる感じ。もしかしたらアタシが何かを見落としてしまったのかもしれません。

大倉孝二演じる老人が笑わせるぼけ倒ししまくるなかに時折深そうなことばを織り交ぜる感じ。役柄もあって全体に客席が沸く場面が多く今作においては圧倒的に強い印象を残します。とくに老夫婦の終幕シーンは、軽々として深さもあっていいシーンなのです。

三宅弘城演じる来訪者の男と、村岡希美演じる町の娘の恋心な物語はベタではあるけれど、同列に提示される若者たちの恋が恋心というよりは衝動に近いように描かれるのに対比して、牧歌的ですらあって、ほっこりする感じ。ナイロンっぽくないといえばそうなのだけど、これはちょっといい感覚。

ここ数作でタイトル部分の映像の処理が圧巻なのは本作においても。かつての町の姿をベクタグラフィックで描き出すタイトルの映像がちょっとすごい。おそらく映像として残るものよりも、あれがセットと組合わさって現物として見えることがより強い効果を持っているように思うのです。

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2010.07.18

速報→「ザ・キャラクター」NODA MAP

2010.7.17 19:00

東京芸術劇場の芸術監督になって初めての野田地図。芸劇の外側に(実は絵の)キャスト一覧の風景が、微妙に時代を感じさせつつ140分。8月8日まで中ホール。

町の書道教室、いつのまにか修行だったり、住み込みが増え、家族を奪われた人々が騒ぎ始める。何かを見つけたトップは更に頂点を目指して暴走し、集団は彼のためにすべてを捧げる。そこに誰かを見つけようと潜入してきた女。

どこかで耳にしたとおり、もうずいぶん時間の経った事件をモチーフに。有料パンフで作家は宗教も哲学も(学生運動後の)思想もない日本と、神話がほぼ唯一宗教にならなかったギリシアを繋いだのだといいます。なるほど、ならばあのとき、日本で起こったこのシーンをここに再現することの作家の意図が見えてくるのです。

ネタバレ。

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速報→「秘密をふやす」セキララ

2010.7,17 15:00

あたしは初見です。60分。幅の広い劇場の中央と両端のテーブルがアクティングエリアなので、そこを見渡せる場所を。18日までルデコ2。

寝台列車の中。談話室で「私」が話を聞いた女は、浮気相手と列車の中で逢い引きをしている夫を捜しているのだという。長い間のセックスレスの夫婦。でもそれは夫が浮気しているからだといい。

まあ、どうみても列車の中、というのは無理な設定。そこは言わないのが花。閉鎖された空間、夫婦と女、それから話を聞いている「私」の四人で進む話。それぞれに抱える秘密、他の人には話さないでほしいといいながら、「私」には秘密を吐露してしまう人々。時に愛憎、時にセックスのことをよく知らない他人なのに、なのか他人だから、なのかわりと軽くはなしてしまう感覚。

物語の主体はその「他人のもめ事」の甘露がほしくてたまらない女、語られる話自体はわりと三文小説的ではあるけれど、少しばかり意地悪く、興味津々でその「秘密」をはなしてもらいたい、というこれも「私」の秘密の語り。秘密を聞き取ると洋服に端切れがつけられていく、というのはちょっとおもしろい感じ。終幕で、そのつけられた端切れふくめ女が脱ぎ捨てるというのは何か象徴的だけれど、いまひとつどういうことか、というのはあたしにはぴんとこない。

言葉で語られる「他人の秘密の甘露」を美術というか衣装という形でなんとか形にしよう、という強い意図。言葉だけに頼らずにそれをやるのはずいぶん効率は悪いけれど、効率だけじゃないのが芝居ですものね。その心意気。

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2010.07.17

梅雨はあと少し

今週は雨続き、最後の金曜日になって雨の合間を縫って通勤に。なるほど帰京のためのバスやあずさの時間に対してそれなりの時間で移動したり、家に一端戻ったりできる自由度は捨てがたい。まあ、クルマがあればもっともっと自由な訳ですが、もう少し意地を張ります。

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2010.07.12

速報→「けやきコース」ワワフラミンゴ

2010.7.11 16:30

ワワフラミンゴの新作。50分。11日までルデコ2。

ブドウたち、押すとつぶれたり理不尽な目にあったりする。そのうちの一人は人間に雇われてご飯を作ったりもしている。

彼女たちを表現するのに、「さえずるように」というのを常套句のようにアタシは使います。不条理っぽいシチュエーション、若い女性たちの楽しいことばかりではない会話、それなのにどこか詩的で私的な感じがあります。何がそう感じさせるのか、どこに秘訣があるのか、いまだによくわからないのです。

アタシがなぜかどこかで通底するなと感じるのはUNIQLOCKなのです。リズムも早いし派手な感じで ずいぶん違うのだけど、あれを音楽消して、言葉をキャプションか語りで入れた感じだなぁと思うのです。でも誰も同意してくれないだろうなとも。

いつものとおりに、物語らしいものを追いかけようとすると簡単に破綻します。ぶどうたちの会話、どこか見下されていたり理不尽なめにあわせたりする人間たち。時に恋の話、時に仕事の話、ときに 昔もらった宝石の話だったり、やさしくされたりされなかったりの話だったり。とりとめもなく、あちこちに分散。他の芝居で観たり話したりしている素の彼女たちはごく普通の大人の女性、という感じなのだけど、ファンタジーっぽい雰囲気に不条理感満載こういうものを作り出してしまう彼女たち。支離滅裂とも云えるこういうことを単なるでたらめではなくてしっかりと形として作り出す力なのです。

どちらかというと物語が好きなアタシがなぜそれに惹かれてしまうのか、いまだによくわからないのですが、たとえばトリのマーク(通称)にも通じる何か、そこに何かがある、と思うのです。

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速報→「フラグメント/20分 400円」ワワフラミンゴ

2010.7.11 14:30

ワワフラミンゴの本公演の合間に挟んだ「出し物」企画。土曜の「30分500円」日曜の「20分400円」というタイトルが秀逸。

質問は座右の銘から健康法に「日野・榎本が訊く」
ブドウちゃんと誰かの会話、すぐ食べられちゃったりする「ヘンテコぶどうちゃん,1,2,3」
過去のオリジナル「歌」 太極拳(?)と悪い男のはなし「鈴木のコーナー」
列をなすほかの全員の相談を一刀両断「原口・榎本の人生相談」
「フエの時間」
なんだおまえの服はとか、「北村の説教」
質問はピンクの服から苦手だったりタイプな男の話に「菅谷・宍戸が訊く」

タイトルを読み上げ、切れ目でベルを鳴らす「司会」をおいて次々のゴングショー(違う)。そもそもが物語からは遠い本公演、そのテキストの断片のリーディングだったり、ごくふつうのインタビューというより日常の聞き取りだったり、妙なつっこみネタだったりと、さまざまに取り合わせ。全体としてオチにはなっていなかったり、ずれ具合も微妙だったりと、「こういうものがすき」という人にはリーチしても、ふつうに誰でも勧められるかというと、それは確かに微妙。

もっとも、値段も時間もきっちり明記(なんせタイトルだ) されているというのは、お試しにはいい感じで、それを芝居の間に押し込んで、ほかの芝居の合間需要をねらうというのはうまい方法かもしれません。もっとも、客は決して多くないので、続けられる方法ではないかもしれませんが。

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2010.07.11

速報→「ともだちのそうしき」RONNIE ROCKET

2010.7.10 20:00

ほとんど昭和の住宅、という風情の家をつかった70分のほぼ二人芝居。2010年4月の初演からわずか3か月での再演。舞台も畳の和室なら、客席も同じでステージあたりわずか24席の計6ステージ。70分。11日まで大吉カフェ。

33歳の男の通夜。離れの和室で出会った二人の男。高校の同級生と大学の同級生。二人はなくなった男の親友だったと思っている。二人で酒を酌み交わし思い出話をしようとする。高校の頃は活発で人気者、大学に入ってからはどうにも陰湿な感じだったようで、同一人物とは思えないぐらいに二人の覚えている男の様子は違っていた。浪人時代になにがあったのだろうと想いを巡らせるうち。

通夜の思い出語り。互いに知り合いでなくても一人の人物を亡くしたということを共有して語り合えるドラマの舞台。人物像の大幅なずれからミステリーっぽさを見せるかと思いきや、あっさりうっちゃるように結末。それをやっちゃあ何でもありでしょといえないことはないのだけれど、ごく短編の本作は素早く結論に持っていくための装置として機能。謎解きの過程を楽しむという感じではなくて、そのズレた人物像を語る二人の役者を楽しむことこそが本作のメインなのだろうと思うのです。

世田谷の真ん中、幹線道路のすぐ横にこんな空間があることが奇跡ですらあって、そこの濃密な空間で濃密な物語を散歩がてら楽しめるのはいいなぁ。

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速報→「遊園地3兄弟の大冒険」ギンギラ太陽's

2010.7.10 17:00

地方遊園地をめぐる表題作90分+老舗デパート岩田屋をめぐる「男ビルの一生」20分を含む約120分。11日まで東京ドームシティシアターGロッソ。

天神の流通激戦区。老舗デパート岩田屋は買い取り仕入れを主とするZ-SIDEを開業するが、なかなか乗らない。長い歴史の中で何度もの危機を乗り越えてきたが「男ビルの一生」
動物とのふれあいと林間学校を軸とする子供たちのための到津遊園(いとうずゆうえん)の閉鎖が決定された。戦前から子供たちのため、動物たちのために生き抜いてきた動物園だった。西鉄を経営母体とする香椎花園(かしいかえん)、だざいふ遊園地とともに長い歴史を作ってきたが、大手テーマパークの一人勝ち構図の中ではどうにもならず「遊園地三兄弟の冒険」。

2000年初演、2007年再演に続く三演め。今までアタシが観た中でも格段に地元の話題という割合が高く、ヨソモノには懐かしさというプラスアルファがない分、なかなか乗りずらい感じがあります。動物園を巡る長い歴史をなぞっていくということを軸にしながらもどうにも地味な感じではあって、遊園地三兄弟の活躍の「夢見る」をファンタジーとして添加、エンタテインメントに仕上げています。

とはいっても、戦前の活躍、戦時中の悲劇、戦後の復興、現在の没落、そこからの新しい姿という構図はわりとギンギラの定番という描き方。安定している反面、すくなくともあたしが見ているわりと多くはこのパターンで、王道の安心感、作家の溢れる優しさの視線が心地よい半面、一歩間違えると説教くさくなるギリギリの線。

遊園地というとどうしても大型テーマパークを引っ張り出さないわけにはいきませんが、著作権ゴロのあの鼠を引っ張りだしてくるのは相当なリスクを負っています。NHKの収録用というカメラが入っているけれど、放送できたらすごいなぁ。会場である後楽園も登場はしますが、ジェットコースターの名付け親、というぐらいの薄いつながりでしかなく、ちょっと無理矢理感は否めません。

2000年初演だからかどうか、「サザエボン」や「だんご三兄弟」のような微妙に忘れられてしまってる危うい時事ネタがあったり、香椎花園がシルバニアファミリースポンサードのような形態になっていることを抜いてあったりと、現実を芝居にしたゆえにアップデートが必要なところも散見されます。

男ビルの一生は、岩田屋(wikipedia)という老舗の存在についてはさすがに福岡にこれだけ通えば知っていますが、地元の大きな百貨店が業態としてなかなか成り立たなくなってきているという厳しい現実をしっかりと見据えながらの復活劇。

閉園した遊園地にせよ、本体を売却して生き残りを図る老舗百貨店にせよ、懸命に生きる「人々の想い」をかぶり物として表現する彼らのものがたりは力強くてしっかりとしているのです。

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速報→「Wannabe」柿喰う客

2010.7.10 15:00

柿喰う客とアジアの役者たちのコラボ企画。60分+トークショー。19日までアトリエ春風舎。ほぼ全編を英語上演、字幕なし。といってもごく簡単な英語で、若者ならば「ありがち」な恋の話、要所要所で日本語の注釈も呟くように入っていて、アタシでも問題ないぐらいに楽しめます。

アジア人たちだけが住む家。大金持ちのイタリア人の持ち家で、アジア人ならば自由に住むことが許されている。厳格な管理人は非常に厳しく、うるさくしたり酒を飲んだりすることを許さない。その管理人が旅行に出かけた日、思い思いに過ごしているが、住人の一人がバイト先の女の子に恋をして、それを成就させようと、騒げる今晩、彼女を呼んでパーティーをしようと考える。

国籍の違う若者たちが一軒家、パーティに騒ぎ、亡くしもの一つの大騒ぎ、妙な奴が居たりしながらもの大騒ぎな共同生活。体験してはいないけれど、若者の共同生活の姿、もう眩しさすら。ましてやブロークンどころか、下手な感じであっても気にせず身構えず英語で気楽に会話を交わし、それを芝居として成立させてしまうのは頼もしさすら感じるのです。

物語の枠としては前半をラブコメ風、後半をホラー風味に味付け。物語をベクトルを細かな感情の揺れに置いたりするよりもエンタテインメント指向に仕上げることができるこの選択は正しい気がしますし、どこかアジア的なテイストがでてくるのもメリット。恋人に「なりたい」、ともだちに「なりたい」などのいくつかのwannabeを散りばめて、シンプルな気持ちを物語の原動力とするのも言葉の壁を乗り越えるひとつの力。

中国・韓国の役者たちが実に魅力的。感情を爆発させたり、どこか奥ゆかしかったりとそれぞれに与えられたキャラクタがしっかり濃く描かれているのも魅力を増している感じがします。迎える「柿」の役者たちは、表情のまったくない「シチミ」(七味まゆ味)をはじめ、全体に押さえた感じ。普段の疾走感のある柿の芝居ではむしろ引っ張る側ということを考えると、このコントラストが作れる役者の振り幅が頼もしいのです。

須貝英演じる、「恋する男の子」の一連の話が愛らしく楽しい。日韓会話の本を持って愛を告白しようとしたり、この家に住みたいから部屋がみたいわという折角のチャンスを周囲が盛り上げたにも関わらずあっさり逃してしまう不器用さとか、もう会話も動きも一つ一つがとても好きなのです。中国人、韓国人の俳優たちが見栄えも良くて豊かな表情、なんか全身から若さが溢れるような感じは、更に眩しくて魅力的なのです。

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2010.07.10

クルマは速い。

わりとテツなアタシですが、週末の移動には高速バスを使いまくりな昨今。新宿松本便は早朝深夜便の増発、1000円増しのSクラスシート、Wifiの設置などさまざまにサービス向上で実にエキサイティング。普段使いじゃないけど、松本ー京都大阪便ももうすぐ夜行便の設置も楽しみ。

同僚の車に乗せて貰って横浜に戻ってくると、実に早く到着。それは新宿から電車に乗ったりとかなんとか、ということもあるけれど、松本で公共交通機関だけで乗り継いだときに時間が限られているから、ということはもちろんあって。自転車ならば何時でも思いついた時に帰れるわけで、なるほどクルマがあれば、ということはよくわかるのだけど、もうちょっと意地張ってみようかと(自転車楽しいし、今のところは)

週末。

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2010.07.06

速報「恋する剥製」クロムモリブデン

2010.7.4 17:00

クロムモリブデンの新作。大阪に続いて、東京・レッドシアターでの公演は4日が千秋楽。105分。 恋愛に関するどんな依頼でもかみのようにこなす男の事務所にはだまされたと訴える女性も来るが、恋愛に悩みをもつ女性が今日もやってくる。警官への恋心を成就の依頼を引き受ける。
いい加減な占いを調子にのっている男女の前に現れたのは、あきらかに怪しい男。でたらめな言葉こそが人々を救うのだと嘯き、マンションの一室で始める占いの館に誘う。そこにやってきた女性、皆が話す恋愛の話題が正直苦手で、恋愛このことを話したり悩んだりしなくていい世界がないかと相談に訪れる。神々しささえ持つ彼女を占いの館のカリスマに仕立て上げようと考える。

恋愛をめぐるさまざま。恋する気持ち、足を引っ張ったり焦ったりという気持ちなどをリミックス。アタシの観た中では、少なくとも表面的にはもっともポップな仕上がり。

クロムの魅力の一つは、日常の「ほころび」から巻き込まれていくある種の狂気の世界をポップに描くことだと思うのですが、いままでのものは銃が出てきたり殺人だったりとわりと物騒な描くべき事象と、描き方との落差がその特徴を印象づけていたという感じもします。今作、さすがに「恋」だからと作家が思ったかどうか、人は死なないし、全体にトーンは明るいままで、そういう意味では今までとは少し違う感じがします。

それでも今作においては、好きであること、それを押し進めていくことがカルトだったり、駆け引きや作戦があったりという恋愛のある側面を根底に置いて、カルト、占い、恋愛サービス、果ては警察官に至るまで、その危うさうさんくささをそこかしこに小気味よく揶揄しながら進める言葉。

ネタバレかも。

物語の辻褄とか、想いを描くというよりは、そういういろんな側面を描き出し、さまざまに乱反射していくのです。終盤の大混乱は収束することはなくほっぽりぱなしということもできますが。

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2010.07.04

速報→「女ともだち」競泳水着

2010.7.3 19:30

競泳水着の新作。前回のミステリー風味とは打って変わった起伏のない、しかし豊かな女性たちの輝いている時間と、辛い時間を丁寧に描く110分。6日まで「劇」小劇場。5日昼に追加公演が設定されています。

鎌倉からひと駅、海辺に近い親戚の家に高校生の頃から住んでいた教師、引っ越しの日。その家の母親、娘、高校の友達、教師になってからの教え子たちとの10年にわたる時間。

劇団としては初めての女性キャストだけの公演。上演時間はこれだけなのに、二世代の彼女たちの「女ともだち」たちのをめぐる様々な物語は、アタシにとっては想像の世界でしかない会話なのだけれど、いちいちね腑に落ちるのです。

彼女たちの人生にとっては激しい起伏、中学生、高校生、大学生、社会人という時間の流れ。「つきあう男で変わるというけれど、」というのはEPOの「うわさになりたい」だけれど、そこに翻弄されるけれど、支えるともだちがいることの女性たちの強さすら感じさせるのです。

喧嘩もするけれど、人生はそれぞれに分かれていくけれど、場所が変わっても再会できることを信じるのも彼女たちの姿。

昼に観たパラドックス定数は女性作家の男子高校生と大人の話、今作は男性作家による女性の時間の流れの話。好対照をしていて、それぞれの物語を一日で見られるのはとても幸せな時間なのです。

役者陣もさすがの充実。作家は今まで母親という役割を舞台に上げたことはなかったと思うのですが、今作では初めて、ゆったりと包容感のある人物として藤原よしこ。その娘としての川村紗也は中学生から大学生という時間のながれをしっかりと。泊まりにきた女性から、メールと恋の伝授をされるのを懸命にメモするシーンが大好きです。宮嶋美子演じるちょっとズレた役がおもしろい、対する斎藤淳子の波乱を演じる姿がとてもいのです。大川翔子演じる女性教師、美月の高校生のころの「女ともだち」である梅舟惟永演じる、すみれの華やかさ、地味だった美月が変わるきっかけ。加えてもうひとつの頂点を占める甘粕阿紗子、かわいらしく、嫉妬する表情もとてもいいのです。

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速報→「元気で行こう絶望するな、では失敬。」パラドックス定数

2010.7.3 15:00

パラドックス定数の新作。三鷹市芸術文化センターが続ける太宰治作品をモチーフにしたシリーズ上演。高校同級生20名を巡る物語はいままでのパラ定にはないテイストで新しい局面を見せる120分弱。4日まで三鷹市芸術文化センター星のホール。

田舎の男子校、20人のクラスメイトたち。子供を孕ませたり、親の借金をめぐる気まずさがあったり、いじめがあったり、いたずらがあったりの当たり前の男子校的な日常だった。が、あれから18年経った彼らの記憶はそこで止まっていて。

前回の三鷹はたった5人だった空間に一挙に四倍の人数。さわやかな高校生活だったり、リズムが取り入れられていたりと、いつものパラ定の作家のテイストだとおもっているとちょっと違う印象があります。空間を埋めるもう一つのやりかた。

アタシ自身の体験とは少し違うかんじだけれど、高校生男子たちの、疾走するようなスピード感と、ばかばかしい感じ、年上にもてあそばれたり、一方では別の女子校の生徒たちのパンツをみようとする幼さの同居。「田舎の高校生」という設定がうまくきいています。女性の作家らしく、汗くささのようなリアルを丁寧にこそげ落としていて、かといってBLのようなステロタイプな夢想に走るでもなく、 丁寧なしかし妄想する教室の風景が心地いいのです。

なるほど、これを平田オリザ「転校生」や空間ゼリー「ゼリーの空間」のような女子高生たちの物語としてではなく、(過去を振り返っている構成とはいえ)男子高校生たちの繊細な話として描くというのはほかにみない感じがします。

それは男を描き出すことに対して圧倒的な力のある作家の力はもちろんあるのだけれど、太宰治という人物のある種の幼さだったり、やけに女性にモテる感じだったり、覚悟した強い意志としての死ではなく、あっさりと「スライドする」ように一線を越えてしまう感じだったりという儚さを、作家は見いだして高校生たちの物語として描き出すちからに舌を巻くのです。

社会人になってからとして描かれる後半は、パラ定らしいメガネとスーツの人々。前半のおかげでこの人物たちの判別も容易なのはいい副産物。二人だけ高校生の頃の姿でい続ける役が強烈な印象を残します。生きていること、いなくなってしまったことの曖昧。物語ではそれを想い続け過去に捕らわれている男の話に落としこまれているけれど、客席に向かった群唱は、客席にいるアタシたちに「向こう側にいかないこと」を強く訴える感じになっています。パラ定らしくはないけれど、こういう時節だからこそ、あえてその強い想いを表出する今作は気持ちを強く揺らすのです。

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