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2010.06.30

走る、はしる。

基本はバス通勤なんですが、季節も良くなって来たので、自転車ツーキンを始めています。クルマはやせ我慢してしばらくは持たないつもりで、運動不足を解消するのも目的でクロスバイクを購入。標高500m級の土地とはいえ、やはりそれなりには暑くて、でも週1,2度の往復20km強はいい気分転換になります。となると天気がやけに気になる昨今。

2週間ぶりの上京。ここから数週間、公演集中している感じもします。

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速報→「父不在」play unit-fullfull

2010.6.20 17:00

フルフルの新作。20日までシアター711。100分。

借金まみれで女にうつつを抜かしていた父がなくなった。遺品を整理するために子供たちが集まった。嫁いでいる長女、つきあう男がことごとくダメで運のない次女、幼なじみに想いを寄せるが通じない三女、婚約中の四女。父親の友人だという初老の男がかゆいところに手が届くように手伝いをしてくれるが、どうも話の辻褄があわない。別の父親の友人だという男は、自分宛の封筒があるはずなのでそれを渡してほしいと訪れる。

古い家の裏庭らしい場所。ドラム缶に入れた紙屑を燃やしている体裁。中央には家にずっとあるというキンカンの木。四人の姉妹たち、父親に対する想いの差。かわいがられた記憶しかない四女、父親の女遊びを見ている次女三女、かわいがられた記憶がない長女。ほかの男たちはわりと「愛すべき人」という感じの認識なのだけど、肉親である彼女たちには遊び癖と借金の問題は切実で。

女性のどこかねじれた感情を描かせると得意な作家。近作ではことさら派手な感じ よりは、もう少し大人な感じの味わいが出て来た感も。同年代の役者が多かった 劇団員が減って、多彩な客演陣を加えられるようになったことも、今作にはプラスに 働いています。

かわいがられた記憶がなく、主婦であることを理由にはしているけれどお金の 問題には敏感で、少々ひがみっぽい長女。男運がどうにも悪くてという次女、不器用そうな三女、甘え上手な末っ子と、四人のキャラクタはそれぞれに丁寧に積み重ねられています。

謎の初老の男という少々怪しいポジションなのにひたすらに「いい人」というある種 無茶ぶりな役をさすがに岡田正の圧倒的な安定感。自転車キンクリートで見せる もうちょっと無茶な感じも好きだけど、このしっとり感は彼ゆえにという感があり 印象に残ります。

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2010.06.22

速報→「エラーメッセージ」tea for two

2010.6.20 13:00

喫茶店で語るような小さな空間での会話を標榜するtea for twoの新作。三つのシチュエーションをゆるやかにつなぐ三人芝居三本立て。

医者は急性腸炎と診断するが心配性らしくもっと大きな病気を隠しているのではないかとあれこれしつこく問いただす。血圧検査で話した看護師は、その医師が話すときにないようによって変わる癖があるのだと耳打ちする「第一幕」
殺人事件の容疑者として拘留されている女。弁護士は夫の古い友人ですぐにでられると話す。面会の手続きに時間がかかりそうだからと、女は夫から手紙がほしいと弁護士に託すが、せっかく夫が書いた手紙を弁護士がなくしてしまう「第二幕」
論文が海外の有名な賞の候補にのこったと知らされた若い女性の研究者。殺人事件現場でたまたま報道映像に映った見物人の中で犯人と名指しされた女性は容疑者とされている人とは別人だった。テレビ局のディレクターは、研究者には研究を知らしめるためにと説得し、誤報の被害にあった女性には訂正報道のためと説得し、それぞれにインタビューの録画を設定する。「第三幕」

彼ららしくゆるやかにつながる三つの物語。最初の二つをベースにして、そのステージの外側で起きたことが一点で交わるような感じ。お互いの構造を強く拘束するような感じではありませんが、ちょっと洒落た感じ。

第一幕、不安な患者が質問責めにする医者の「癖」がキーになって、「訊きたいことをその癖を使って引き出す」質問のやりとりのあたりが会話の芝居の圧倒的なおもしろさ。そのあとに母親の想い、のようなことも語られて物語の決着をつけますが、そこよりも、その質疑のやりとりの会話にこそ芝居らしくて印象的です。

第二幕、ひとつのほころびが強固なはずの年上女房の夫妻の関係を崩していく、その背景となる夫婦が隠したかったことがあからさまになるけれど、その秘密の「しょぼさ」加減と殺人事件の容疑者であるということのギャップ。結局のところ紛失してしまった夫の手紙の代筆というエラーがえらいことになってるという意味ではタイトルの「エラーメッセージ」に一番近い感じ。

第三幕、二つの物語をゆるやかに背景に引きながら、容疑者の誤報と、いわゆる見栄えのいい美人の研究者をスターに仕立てるようなテレビ局のあれこれ。いわゆる祭り上げること、あるいは誤報を巡るテレビ局やマスコミの問題点を物語の骨格に据えながら、あくまでも作家はこれをエンタテインメントの味付け以上には踏み込みません。追い込まれる誤報された容疑者の暴かれ方が見応えになるはずなのだけど今ひとつ腑に落ちません。どうもテレビ局のインタビュアーの慇懃無礼が先に立ってしまって、そこにばかり腹を立てながら聞いているアタシが単純すぎるんでしょうが。

容疑者だという誤報に対してのインタビューを通して暴かれる謎ときは、物語の構造として鮮やかなのだけど、どうにも違和感が抜けません。物語の結果オーライとして描かれているようだけれど、最初の誤報は誤報なのに、そこがうやむやになる描かれ方に大きな違和感を持つのです。エンタテインメントとしての物語にはどうでもいいことかもしれないけれど、そこまで執拗に描かれてきたテレビ局のひどさ、に乗っかったアタシの気持ちはどこに持っていけばいいのだろう、と思ったり思わなかったり。

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速報→「組曲『空想』」空想組曲

2010.6.19 19:00

空想組曲の新作。過去のストックや新作とりまぜて、14の断片から描くアソート120分。22日までOFF OFFシアター。日替わり短編が一日あたり一本含まれるので20もの短編からできています。

初めてのデートらしい若い男女、場慣れしない隠れ家風のレストランで、どうにもぎこちなくて「静かな晩餐」。
地球最後の男は部屋にこもって本を読む。扉の外からノックをしたのは「地球最後の男」
男との待ち合わせ。遅れているのに連絡もこない。もういい独りで生きていくと決めた。「恋愛論、クニコの」(日替わり短編, 19日)
この店でのデートも繰り返してきたらしい男女、そろそろ婚約かと期待する気持ちの女。でも、どうにもそんな感じにならない。その気がないのかきっかけが掴めないだけか「賑やかな晩餐」
女の家に来てゲームをしている若い学生らしい男。カードで勝った相手が言った行動の指示か質問に必ず答えなければいけない。年上の女性にあこがれているらしい男、女の夫は今日は戻ってこない「アクション、ヴェリテ」
ある店で店員を射殺し、人質の男をとって立てこもった男。人質はどうにかこれ以上の殺人をやめさせようと説得を試みる「彼に似合う職業」
いじめられがちな女の友人ベリーは、恨みに思っている誰かを確実に殺してくれる。「ありがちベリー」
そこに来た二人は、必ず恋に落ちる「ファミレス・ランデブー#1, #2, #3」
新婚らしい夫婦。男も忙しいが、妻は自分の書いた文章で出版してもらえるかもしれないといい夫もそれを応援していたが「時をかける晩餐」
ごみの広がった部屋にすむ女。男が訪ねてくる。男に好意を寄せている女がゴミ袋から探していたのは「サンクチュアリ」
演奏メンバーの中で独りだけ音のはずれる男、指揮者との居残り練習で曲を見事に習得して「ロマンチック主義者のためのささやかな演奏」
完全に冷えきったらしい夫婦。妻はこの場所に来ればあのときの優しい気持ちで話ができるかもしれないという一縷の望みを託して「静かすぎる晩餐」

「~晩餐」シリーズは、恋愛のゆりかごからある種の墓場まで。ちょっと甘酸っぱい初デートを描いた「静かな~」が好きというか、一連のシリーズの中で経験してるのはここ までなアタシ(泣)。 とはいえ、重大な告白を前にした駆け引きというよりは内的葛藤を緻密にしかし コミカルに描く「賑やかな~」は爆笑編に仕上がって、しかもちょっとわかる感じが楽しい。 もう少し時間がたっての、同じ人間とは思えないぐらいの心的変化を二人の役者に 演じさせる「時をかける~」はほろ苦く、あのときの気持ちを思い出したいという 一心で妻がこの場所を選んだという「静かすぎる~」はあまりに悲しい。その最後に、 絆創膏を渡す、というほんのわずかな優しさに涙するのです。まあ、できすぎたと いえばそうなのですが。

「アクション、ヴェリテ」はブラックな風味をまぶした、若い男と年上の 女の恋の物語で、かなり色っぽい雰囲気にやられます。「サンクチュアリ」は ブラックと云うよりは気持ち悪さが先に立つけれど、好きだと思う気持ちの ゆがみ具合を丁寧に描いています。

「彼に~」「ありがち~」はこの中ではかなり異質で、しかもやりっ放し感も あって、短編集だからこそ成立させられる感もありますが、ぎりぎりの心理戦の 「彼に~」の迫力にびっくりし、「ありがち~」のぶっ飛んだ無茶さ加減にわくわく します。

「ロマンチック~」は台詞無しの動きと音楽だけの少々コミカルで ロマンチックな一本。箸休めというか、こういう優しい気持ちになれる ものもこれくらいの短さゆえに楽しめるというところも。

「ファミレス〜」はワンアイディアを変奏させていく感じ。こいけけいこの女王様キャラは珍しく、新しい一面。ハマカワフミエが出てきていきなり「お客様の中に私の運命の人は居ませんか!」と客席に呼びかけるのはあまりに卑怯、手を挙げてしまいそうに(笑)。

しかし、この日最大の衝撃といえば日替わり短編の「恋愛論~」 小玉久仁子という役者がいて初めて成立するし、彼女のキャラクタとしては わりと見慣れた物ではあるのだけれど、それを突き詰めてこれでもかと 凝縮していくとすんごいことになる、という好例。この日の演目の中では 唯一、この一本の直後に客席から拍手があがるだけの迫力とおもしろさが ぎっしり。

間をつなぐ中田顕史郎のウエイターが、少し洒落ていて、コミカルで、 静かな役者の魅力を存分に。もはや空想組曲の番頭のよう。います。全体的に 冬っぽい感じの恋の物語が多く感じることもあって、クリスマス恒例だった 遊◎機械全自動シアターの「ア・ラ・カルト」にも似た風情。クリスマスに 上演するととてもいいなぁと思う構成なのです。優しくなれたり、ほろ苦かったりという恋の物語を骨格に持ちながら、この構成じゃないとしても、さまざまな役者で見たいとも思う魅力にあるバリエーションなのです。

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2010.06.21

速報→「裂躯(ザックリ)」乞局

2010.6.19 15:00

久しぶりに拝見した気もする乞局の新作。10周年を迎えて家族をテーマに据えたシリーズの始まりとなる110分。 21日まで笹塚ファクトリー。

家族から離れて改装した古民家に暮らす人々。それぞれが家族への何らかの恨みを持ち復讐の機会をねらいながら生活している。それぞれが長男次男長女次女などの役割を毎日取り替えながら、長男の役割からの指示でその日の生活を決めている。
ある日、この生活の発案者の女が突然出かけて丸二日後に戻ってくる。彼女は実の父親と母親に監禁し、自分が生まれてからこれまでの生活に何一つ楽しいことなどなかったということを反省させるためにつれてきたのだ。復讐の第一歩が始まる。

漠然とした世間に対する不安から生まれるであろう人々の悪意を描くのが得意だった作家も、当日パンフであかされたように結婚や子供ができたことの生活の変化も一通り終わり、安定している印象。えぐいほどの悪意や汚さを押していたのが彼の作風だと思っていたのも昔のこと。生活の変化が、幸せの物語につながり、少々作風が丸くなったかと思えるかもしれません。確かに表面的なとげとげしさは薄れたともいえます。でも、やはり彼は将来に対する漠然とした不安から逃れられずに物語を紡いでいると思うのです。大学卒業の頃はそれが生活だったとしても、今作は劇場でお見かけすることも多い作家の子供が育ったあとに「自分がどう思われるか」ということに対する不安というかネガティブな想像力が圧巻なのです。

全体の要となる中島佳子はジャージにスーツとオンステージ、まさかのどんでん返し、あるいは序盤の意味のないセクシーポーズとファンとしては楽しい。石村みかが演じた妻の、封建的で「おもねる」感の妻は現代の若い女優が演じるには感覚として相当に違和感があると思うのだけど、笑いになってしまうギリギリのところで踏みとどまる力の確かさ。もう一人の妻を演じた西田麻耶はむしろ積極的に笑いをとる造形で後半のかき回しのポジションが圧巻。

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速報→「アタシが一番愛してる」バナナ学園純情乙女組

2010.6.19 12:00

バナナ学園純情乙女組の新作。本編としては(おそらく)初めて中屋敷脚本を離れ、ミスコン開催中の中学校を舞台にきっちり60分。おはぎライブが35分。20日までかもめ座。せりふの聞き取りづらさは相変わらず、オープニングのビデオも頼りにならないので当日パンフの登場人物相関図と配役一覧はぜひとも開演前に(客席暗いけど)。

ミスコン開催直前で浮き足立つ市立中学。去年のグランプリ獲得者は強くて美しかったが目下行方不明、監禁の噂もある。それでもその名誉と一攫千金ゆえに今年のミスコングランプリをねらう女子生徒たち。その当日、生徒の一人が爆破テロにより死亡する。風紀委員会は顧問の女性教師の指揮のもと、海外出張中の校長が戻るまでに犯人の発見と確保、とミスコンの開催の重責を負う。が、調査は難航し、ミスコン中止を検討する風紀委員会とあくまでも開催を主張するミスコン実行委員会との間の確執は高まっている。

きっちり60分描き込まれた物語。旗揚げ以来頼りながら、遅いといわれ前回公演では本編が30分に満たなかった中屋敷台本とついに決別し、オリジナルな物語は17人の登場人物をきっちり書き込み、暴力とセックスと抗争を女子中学生の物語として描くバナナの世界をきちんと描き出すのです。

序盤こそ聞き取りやすくなったと思うものの、結局多くの役者、意図的に聞き取りづらくするためのノイズ(一人体操服でうろつく浅川千絵のポジションは不動で)を組み込んでいるわけで、せりふを頼りに物語を組み立てるのはなれないと相当に苦労する印象は変わらず。でも、要所要所はきちんと押さえているし、ずいぶん見やすく「作品」になっている印象。

女子中学生同士の恋心、ついていくきもち、 それゆえの意地悪などさまざまはきちんと。ホンが早い段階でできたのかどうか、稽古もきっちりされている印象があって、乱雑に見えながらもこの芝居を怪我なく成立させているのは若さだけではない、追い込んで作り上げ、そこには研ぎすまされたもの現れていると思うのです。

バナ学の三人は実に安定。全編を通して登場する加藤真砂美はいままでどうしてもバラエティ的な扱いが多かったののだけれど、中心の役割がしっかりと今作での伸びを感じます。支えるかたちの野田裕貴はあくまでも可愛らしくて怖くて、前園あかりは物語の上での大ボス的ポジションをしっかりとしているのに、おはぎライブでの可愛らしさとのギャップ。岩田裕耳はアルトな美声であの素顔なのに、やけに可愛らしくてメイクのすごみ、物語のルールを語る序盤で安心のちから。ばんない美貴子は蹴り倒すポジション、ライブ的大暴れで客席に座るアタシと両隣三人にダイブに喜ぶアタシ(ファン心理ですねこれ)。望月綾乃は当日パンフにあるとおりに「シャツのエロさ」と「インテリ風メガネっ娘」に気持ちを持っていかれるのはオヤジだからですが何か、と開き直ってしまうぐらいに。

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2010.06.19

速報→「ただちに犬 Bitter」どくんご

2010.6.18 19:30

アタシは初見です。去年に続けて5月から11月までの間に33カ所をテント公演でツアーするどくんごの新作。概要はこちらのblogが詳しいです。130分。松本公演は19日まで平瀬緑地公園。(全国ツアーの情報はこちら。)

舞台真ん中に転がる被害者もしくは死体らしいそれ、それを取り囲む6人にとってはその被害者は自殺するはずのない友人だったり、謎のシェフだったり、母を訪ねる小さな子供だったり、旧日本軍の秘密を暴いて家族ともども皆殺しされた記者の唯一の生き残りの復讐だったり、珍しい動物だったり、密室と思われる場所での殺人事件だったり。それぞれに犯人はあいつだ、と思っているけれど。

劇団のメンバーはみたところ出演スタッフ含めて7名、現地の受け入れメンバーが舞台に上がるところもありますが、基本的には出演は6名。一人芝居をスピーディーに繋げていくような感じ。50人ばかりの観客で一杯になりそうな広さに正方形の舞台。開演中は幕がかかっている舞台のさまざまな飾り付けや壁にあたるよしずを徐々に撤去し、舞台の向こう側の「外の様子」があきらかになります。アタシの観た17日夜は、そぼふる雨も手伝って誰もいない真っ暗な公園の芝生が借景。去年の秋に松本に来たときは、あがたの森(クラフトフェアや信州大学の前身の学校の所在としても有名)での公演だったようですが、なんだかんだいっても街中のそれに比べれば、まるで利賀村のような漆黒の空間。(もっとも実はすぐ近くに国道もバイパスもあるのだけれど、地形の関係でそれは見えない)。後半は芝生の広場も借景に使いながら、走り回り、時に砂浜になったり。

かと思えばわりとスタイリッシュなダンスだったり、演奏だったりと、実にもりだくさん。6人の物語を切り刻み、リミックスして、そこに全然別のシチュエーションの会話を取り混ぜながら進む舞台は、物語と云うよりは祝祭のそれで、学園祭やら学芸会やらの次から次へととりとめなく出てくる出し物をぼんやり楽しむのが吉。

場所が不利なせいもあって(クルマがないアタシには会場最寄の島内駅から徒歩35分、自宅からは徒歩50分は雨の中はつらい。せめて晴れてれば自転車が使えるのに)。それゆえに森の中のような静寂に現れたこの祝祭の空間を楽しむのだけれど、たとえば維新派の屋台のような賑わいには少し足りない。 アタシの隣に座った観客はポケットにハイボール缶を持参で。なるほどその手があったか。アタシの観た回は裏側にベトナムフォーの屋台。アルコールがあれば、とは思うけどクルマで来るしかないここでそれは無理かなと。観客に初日乾杯を誘ってくれるのは嬉しい。知り合いじゃなくて殆ど話さなかったとしても、テントにまだ残渣する熱気のような想いのような何かの余韻にひたるのは、知り合い居ないだけに味わえる面白さだとも思うのです。

この多彩な上演場所を、公演などを通した人のつながりを通して探しているのだといいます。観客を見ていても、何年もやってくる公演を楽しみにしているという観客が何人もいる感じに見えます。東京の小劇場シーンにどっぷり浸かっていてそれなりに知っていると思っていても、まだまだ不勉強奥が深いなと思い知るのです。たとえば先週のtwitterエンゲキとはある種対極になるような、息の長い活動を通してのネットワーク。

ネタバレかも

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2010.06.16

速報→「よせあつめフェスタ」あまうめ

2010.6.13 16:00

twitter発の演劇企画公演。たぶん、同じ盛り上がりは再び作れない、一期一会。ミラクル3回を満員に。クオリティには役者としても演目としても正直バラツキあるけれど、平均すれば水準以上といえる90分。13日のみ。 (公式サイト、いきさつのまとめwikifringeの記事、togetterまとめ 1,2,3,4)

脚本は1本を除き既存のもの。その意味で一種の担保はされています。短編をコントライブのようにすることで、見やすくて、おまつりらしい仕上がりに。

関村脚本は、ホンの圧倒的な力のわりに、どうしても「あひるなんちゃらの、誰か」が透け見えてしまうのがちょっと気になるのだけれど、おそらくオリジナルの「あひる」を見たことのないだろう役者たち。役をつけたのも写真だけで決めたよう。演出をするといってもきちんとした訓練は出来ないわけで、おそらく役者の素材を行かす方向に。結果、役者の実力や向き不向きが如実に表れてしまうのもまた事実。ああ、また見てみたいなと思う役者も居るし、ちょっと好みじゃないな、という役者も見られるというのはこの手のアソートでの観客の気楽な楽しみ。

16時の回に設定されたのは演出自らの前説タイム。あひるなんちゃら風の携帯電話の電源、うっすら注意。MC、オープニングのビデオ、MCは昔のテレビ番組へのつっこみ、テレビ探偵団から続くタイプではあります。

演出はすべて関村俊介(あひるなんちゃら)、記載のない作品の作も同様。

■「ツイッター」(岡安慶子@北京蝶々 三原一太@はらぺこペンギン)
社長と社員、二人の会話の。たぶんこれが新作。twitterを題材にしながら、小劇場界隈でのtwitter有名人岡安慶子を当てた本作は、この企画全体のどこか夢のようなこともゆるく説明している感じの仕上がり。三原一太も圧倒的な安定感があって、今作の中ではもっとも関村脚本のいつもの感じに近いリズムで仕上がっていると感じます。

■「明日パイトなんだけど」(堀雄貴@犬と串 さいとう篤史)
なるほど関村脚本らしい。日常のゆるい男子二人の会話。帰りたい、帰れないのはゴドーかよと思いつつも、この脱力具合が楽しい。

■「ゴーテンノーペ」(菊地奈緒@elePHANTMoon 本山紗奈@荒川チョモランマ 湯舟すびか@市ヶ谷アウトレットスクウェア)
15 minutes made vol.4での作品の再演。あの番組らしく、店での座り場所を延々席位置を気にしてる感じとか、友達でもないのにやたらにディープな話にいきなりなっていく不自然さを笑う感じ。貸し切りの店の料金が、シアターミラクルより高いじゃねえか、というオチがおかしい。湯舟すぴか、本山紗奈のぼけ倒しもおかしいし、常識人なのにそれを抑えきれないという役どころの菊池奈緒も、ちょとらしい感じで楽しい。

■「隅に置く」(石井舞 西恭一@The Soul Beat Ave. 松木美路子@風琴工房)
脚本:三谷麻里子
つめきりの2004年2月上演のオムニバスの中の一本(初演時は「おいとま、もしくはおあいこ」)。 多少の切なさと、だらだら生きてるようにしかみえないお姉ちゃんと姉妹の喧嘩の他愛なさ、少しの切なさとか、「おぎやはぎのように」という意味のわからない憧れという絶妙のバランスがこの作品のキモ。メールで「死んでしまえ」を送りいつそれを思ったのか思い知れ、と云ったり縦書きにしてある無駄な細かさの描写も好き。

この作家の書くものがことごとく好き、というアタシの性癖を差し引いても、このバランス感は実に面白い。がもう風琴工房ではまずありえない等身大の女性をコミカルに演じた松木美路子の新たな魅力、石井舞も安定していて、「できた妹」を好演。

■「あさはかな魂よ、慈悲涼い雨となって彼女の髪を濡らせ」(筧晋之介@エレクトリック・モンキー・パレード 寺井義貴@ブルドッキングヘッドロック 堀越涼@花組芝居)
脚本:櫻井智也(MCR
花組の圧巻のちから。 ホンの力はともかく、これは役者の力に依存するポジションがあります。堀越涼は圧巻で、全体をきっちり引っ張る安定感。 家族と病気と愛情の切なさと笑いが同居する話。切なさが行きすぎるギリギリの処をきちんとねらっている感じは、ちょっと作家の力を見くびっていたアタシなのです。

■「赤い石」(堀川炎@世田谷シルク 金丸慎太郎@国道五十八号戦線/贅沢な妥協策)
♂本番ナシ♀の2008年8月上演のオムニバスの中の一本。 関村脚本としてもかなり不条理度の高い今作。繰り返し見ると、そこに見えてくる、同居する男女の機微というか想いが力強く描かれていて、もはやスタンダードの味わいすらあって、これはいろんな役者で見たい気もする反面、役者の力がもっとも如実に表れてしまう一本という気がします。 全体に不機嫌というか無表情で話す堀川炎演じる女が、石を捨てた瞬間に見せる満面の笑みが可愛らしくてとても印象に残ります。

お祭りとしての瞬発力、担保された脚本と揃った役者。制作チームもかなり優秀でこれだけのものを形にしたというのはすべてのスタッフや出演者の火事場のバカぢからの結集。偶然もあるし、首謀者の関村俊介らの静かな、しあかし大胆でバランスのいい感覚に裏打ちされているところもあります。二匹目のドジョウはそのままの形で同じような成功につながることはないと思います。何より芝居のクオリティの担保が難しい。もっとも、クオリティの担保が出来ないのは、インプロなどでも同じで、その一点だけを取ってダメだと決めつけるのには少々惜しい感じがします。

普通だったらオーディションをして、劇団やスタッフが選ぶキャストなのだけど、今作はそのいきさつからも、早い者勝ちで役者を選んでいます。それでも成立させるというのは並大抵ではないけれど、結果、バラエティに富んだ役者だったり、今まで知り得なかった役者を知ることが出来たのが大きな収穫。なるほど、これが縁かなと思います。

それよりもあの手この手の制作ツール、関係者が何を思って行動していたか、ということはちょっと知りたい気もしていて、そういう個別のノウハウが次につながるだろうということ、twitterとという場所で公開されるということが、この公演の大きな意味だったと思うのです。

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2010.06.15

速報→「ここまでがユートピア」あおきりみかん

2010.6.13 13:00

名古屋を拠点にしながら、年に2回の名古屋・東京公演を続けるあおきりみかんの新作。100分。13日までシアターグリーンBox in Box。

政府による新たな政策実験。離島に隔離された人々はそれぞれが10箇条のルールを作り、自分から半径75cm以内を自分の「独立国」とする。テリトリに入ったものはあるルールに従って相手に吸収されてしまう。その独立の中で新たな活力を見いだそうという意図だが、10人の被験者のうち、2名が脱落し、新たに抽選で選ばれた2名が実験に加わる。

無茶な社会実験という物語の嘘を有無を言わさず引っ張り込む世界。実際のところ、十分な生活の保障とか、この「トピアンルール」とか、逃げた二人は二人のテリトリで居続ければ良かっただけなんじゃないかかとか、大きな嘘を突き通すには少々違和感のある細かいほころびというか、今ひとつ信じさせてくれないところは少々惜しい感じがしないでもありません。

その社会実験で起こるさまざまな現象を世界として描き出すというよりは、むしろ作家の関心は、もう少しパーソナルな部分に向いている気がします。他の人々はすぐ近くに居るのに、その距離は好きな人も嫌いな人も等しく平等な75cmより外。それらの人々と近づきたいという想いがあっても許されないという状態の人々に何が起こるかを丁寧に。誰かと一緒に居たいと思ったり、だれとはなくとも一人では寂しかったり、自分との自問自答が繰り返されたりというあたり、特に女性からみた視点で作家の強みがあるように思います。

円形の舞台の回りに砂。ぐるぐると砂煙を上げて廻り、あるいは舞台から飛ぶように捌けたり装置代わりの直方体を出し入れしたり。スピード感は気持ちいい反面、すこしばかりの不安があるほどに早い動きができるのは役者が若いから出来るということなのかもしれません。

手塚仁美の泣き笑いに目が奪われます。後半でのもう一役に衣装で差がつけづらい厳しい状況の中でもきちんと。成田けいのクールな感じもちょっといい。

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2010.06.14

【落語】第13回てうし寄席(柳家三之助 真打披露)

2010.6.12 14:00

銚子出身の柳屋三之助が続けてきた「てうし寄席」7年目にして、真打披露を兼ねた「故郷に錦」公演。地元らしい、かなり大きい会場に集まる人々の笑顔が楽しい。しかも雨男のはずの三之助としては珍しい快晴。

  • 入船亭 辰じん[寿限無]
  • 柳亭 こみち[薬缶][かっぽれ]
  • 柳家 喜多八[長短]
  • (仲入り)
  • 口上 三之助・小三治・喜多八・こみち
  • 林家 正楽(紙切り)
  • 柳家 小三治[小言念仏]
  • 鏡味 仙三郎社中(大神楽)
  • 柳家 三之助[棒鱈]

晴れがましい場所、寄席とは違う雰囲気、満員とはいえないけれどあの広い会場をきっちり埋めるちから。花火といえばそうかもしれないけれど、一生に一度の真打披露。

辰じん、自分の役割は観客の携帯電話を切らせることと宣言(なので仲入り前は携帯がならないのは見事。そのあとは彼のせいではないけれど残念。口上の最中にならなかったのがせめてもの救い)。スタンダードに寿限無。

こみち、(あたしとしては)かわいらしい女性の噺家だけれど、物知りをひけらかす「先生」がきちんと男。かっぽれも、祝いの場らしくて楽しい。

喜多八、アタシは三之助の長短しか聴いたことがなかったのですが、なるほどバリエーションの違い。おもしろおかしくしなくても、この対比だけでおもしろい噺のちから

口上、こみちの「一夜のはなし」、喜多八の「なれない場所」、小三治の「入門のいきさつ」

紙切り、相合い傘、客の潮来の花嫁、犬吠崎の灯台、きちんと三之助のシルエット。

小三治、まさかの携帯。腹を立てることもなくやんわりと注意しつつの。木魚の音が響かないのは、この会場の広さではしかたないところ、楽しく日常を描写するはなし、たぶんアタシは初めて聴いた噺。

三之助、以前聴いたのに途中まで気づかず。あれれ。

三之助の噺(というより入る前)が長いというのは定説だけれど、三之助が舞台に上がった時点で予定の終演時刻残り3分なので、彼のせいではありません。30分押しの17:15終演。

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速報→「カナリアの心臓」qui-co.(キコ)

2010.6.11 19:00

qui-co.の新作。100分。14日までd-platze。

父親の葬儀に集まる兄弟。喪主の次男はここを守り、10年ぶりに会った長男、嫁いだ妹も集まる。そこに来る幼なじみの筈の女。

旗揚げは作・演出・出演だったけれど、出ずっぱり故か演出を他に依頼して、企画公演というかたちに。

父親の火葬の煙を眺める序盤、久しぶりにあった兄弟。そこから過去の話が徐々にあかされていきます。現実のあの事件の頃ならばたくさんこの題材の芝居は沢山作られましたが、宗教とか大量殺人という、あの事件は背景として使われているだけで、そこから深く踏み込んでいる印象はありません。作家の視線はそこに居る人々、家族の話に思いを馳せるのです。宗教に狂いガスまで作ってしまった母親、それを信じ続け匿う父親の想いがどこにあるのか、残された兄弟たち

アタシの親は二人とも今のところ元気なので「煙が目にしみる」感じは本当にはわかりません。それでもアタシが座った上手端側から見る舞台は幕開けの二人の兄弟の側に居る視点で、彼らの会話が自分のことのように響きます。

たった四人の小さな関係の中の話。三人の兄弟妹、他にもう一人すこしばかり華やかでミステリアスな女性。そこが兄弟たちのバランスを崩す感じにしています。こういう不安定な要素は物語に力を与えていると思うのです。

序盤は少々軽い感じに笑いもはさみつつ、しかしものがたりはごくごくゆっくりと静かに進みます。物語のテンポは徐々に上がり終盤できちんとクライマックスに。スタンダードともいえるほどの確かな力を感じるのです。

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速報→「≒LOVERS」タムチック

2010.6.11 15:00

タムチックの新作。ダンスパフォーマンスを軸にしながらも盛りだくさんで気楽に楽しめる90分。13日までd-倉庫。

男女のカップル、駆け引きがあったり、惹かれる気持ちがあったり。ダンスに関して研ぎすまされた役者ばかりをそろえている訳ではないところがむしろ彼女たちの強みで、結果として間口が広くて気楽に楽しめる感じになっているのが、アタシにはうれしい。 洋楽(風)の曲に日本語の(わりとでたらめな)詩を乗せるような遊◎機械全自動シアター風があったり、あるいは(曲は全く違うけど)ミュージカルCHICAGO風のスタイリッシュなダンスがあったり。かと思えば観客に引かせたカードで決めた4音で旋律を即興で作り、それに併せて役者が(せりふのない)芝居を相談なしに当てる、というようなさまざまなバラエティ。 化粧前に並ぶ女性たちの出番前の短い時間、それぞれに整え、少し何かつまんだり、気合い入れてたり、噂話してたり、イヤだと思ったりのさまざまな短編が好きです。あるいは前出のCHICAGO風も、男女が出会い駆け引きしていく流れのおもしろさ。女性三人で一人を演じる趣向だけrど、そのスムーズさが、一人の女性のさまざまな横顔をみるようで楽しい。

男子はスポーツに燃える少々馬鹿っぽく見える一品が、女性がつくったような感じで楽しい。かれらになじめないようなメガネジャージ男は、かつてのアタシの姿に重なって甘酸っぱい。

M-Modeと銘打つこのタイプの公演で作演に加え振り付け出演までこなす小林真梨恵はメインをきっちり張りはりカッコイイ。タムチックの他の二人(吉岡友見、岸浪綾香)は今作においてはサポートに徹していて制作まわり衣装まわりまで。それが気持ちいいぐらいにチームになってる感じ。原田優理子はアタシの好きな二編でメインを張っていて美しく、すらりとした容姿を生かしていて見とれてしまいます。

見慣れた前述の三人をのぞくとじつはあまり知らない役者。いわゆる役名もないので、実は誰が誰なのか、ということを知る術がないのはもったいない。たとえば、バレエシューズを履いてた彼女、とか、あるいはストリートダンス風の彼女とか。かといって写真もなあ。「トリのマーク」でやっているような、衣装で役者名を知らせる方法もいいのだけれど、衣装替えもかなり頻繁な今作においては少々難しい気もします。

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2010.06.11

松本、東京。

結局のところ、毎週のように移動をしてるわけです。いまのところクルマを持たないつもりのアタシ(運転キライなんです)は何で移動するかというのが結構シビアなところ。自分のクルマがあれば、金曜夜や日曜夜の出発時間を自分でコントロールできますが、それができないのはちょっと痛い。

ちょっと自分用にまとめ。

交通手段 所要時間 値段(片道あたり) 新宿発最終
特急あずさ(JR) 2時間半〜3時間 4,500円(あずさ回数券) 21:00
中央高速バス(京王・松本電鉄) 3時間12分 2,975円(web回数券) 21:20
21:40(7/9~)
高速ツアーバス(トラビス・花バス) 3時間25分~3時間50分 1,900円~2,000円 21:30

新幹線のような決定打がない新宿松本間では、JR、高速バスが熾烈な競争をしています。あずさ回数券はJRの通常の回数券に比べても格安で、何回も指定を変えられたりと格段の使い勝手。3時間程度なら高速バスも車両によるけれどけっこう快適。7月からは21:40発というのがあって、日曜ソワレ後という選択肢が出来てしまいます。もっとも、松本着は午前1時ちょっと毎週というわけにはいきません。同僚が教えてくれた格安ツアーバスもなんと定期便があったりします(乗ったことないけど)。

あとはたまたまクルマで移動する同僚がいれば乗っけてもらうというのもあります。たいていの場合最速だし、快適そのものですが、いつもというわけにはいきませんし、時間があうかどうかもあります。もちろん酒を呑むわけにもいきません。

まあ、そんなこんなで結構な頻度。でも、たまには移動しない週を作るのもいいなと思ったりします。芝居が2週末に渡ってくれるとそういう調整が出来て嬉しいと思う昨今。

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2010.06.07

速報→「SHIBAHAMA」快快(faifai)

2010.6.6 14:00

快快の新作は、有名な落語、芝浜をモチーフにしたイベント仕立ての90分。13日まで東京芸術劇場小ホール1。

酒のみで仕事をしない熊、起こす妻、サゲとなる「やめとこ、夢になっちゃいけない」を骨格のモチーフに。魚屋だからといいゲストパフォーマーに魚屋を呼び(6日昼)、寝てばかりだから気絶芸、起こすのだからといいスタンガン、働かないのだからといって「芝浜ゲーム」なるシューティング、ダメ人間だからといい芝居の人(6日昼は多田淳之介による目隠し演劇)、海だからビッグウェーブ、拾った大金だからといい一攫千金100円ジャンケンをイベント的にアソート。 東京と江戸は地続きだから今のメンバーが一日考えるフィールドワーク的発表、ダンスのように構成された芝浜などさまざま。

劇場全体を四方囲みの畳風にしつらえて、壁も四面ともスクリーンに仕立て。真ん中の舞台にはインスタレーション的なオブジェさまざまに置かれています。芝浜の骨格を使いながら、言葉やシチュエーションを拾いながら短い表現を集大成。全体はDJブースがあったりとクラブイベント的な仕立てにしていて90分を楽しむ感じ。

芝居や物語として期待するとそれは大きく肩すかしをくらいます。イベントっぽい仕立てだけれど、それならばむしろ彼らが得意なオールスタンディングのイベント仕立てとした方が「らしくて」いいように感じます。劇場を使って芝居と銘打つ以上は、そこに物語が欲しいな、と思ってしまうのです。

とはいえ、働かない、働きたくない呑んだくれという江戸時代の熊を合法ドラッグのニート的な仕立てにしたのはちょっと面白い。江戸と東京を繋げようと、フィールドワークと称して今の彼らの視点で芝浜のさまざまを語らせる手法も何かの萌芽を感じられて、全力で表現に向き合おうという心意気は頼もしい。アタシはどうしても物語を期待してしまうのだけど。

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速報→「恋女房たち」青☆組

2010.6.5 19:30

青☆組の短編アソートレーベル、「Million Blue」の二回目。一回目の中の一本「恋女房」(15min madeでも上演)を核に、「女房」にまつわる6品。8日まで100分。全日程が完売のようです(当日券あり)。

保険の営業が説明に来た夏の日、幸せそうな家庭には妻「たち」が。「恋女房」
朝のゴミ捨て場、主婦たちの井戸端会議も始まる。規定では透明な袋しか許されていないけれど、昨日からここにある黒いポリ袋「燃えないゴミ」
食卓に座る男女。簡単な料理のはずなのに、まったく違う代物がでてくることに落胆し怒る男。「スープの味」
雨の夜、近所の公園で缶チューハイを飲んで帰宅したOLの家には一人暮らしの筈なのに、「女房」が居た。
待ち合わせた若い男女。少し遅れて現れた女の小指には「赤い糸」
出歩いた老婆が転倒したにもかかわらず無傷。呼び出された兄弟親戚たち。奥で母親は寝ていて四方山話をしつつ。母親が起きて現れる「末永い夜」

「女房」にまつわる6編を7パートに分けて上演。 短編としても本公演としても上演済みの「恋女房」はもはやスタンダードの味わい。とはいえ、SFチックな設定や「女房たち」の諍いなど今回のラインナップの中では笑える要素もたくさんあって楽しくてキャッチー。

「燃えない〜」は物語の舞台としては珍しい気もするゴミ捨て場に集う女性たち。ある種の井戸端、男が入りにくいという雰囲気もらしくて、ちょっとおもしろい。当番なのに遅れて現れた新婚の妻に対して緩やかに笑顔な人々なのに、それぞれが背中に隠し持つ思いの重さは一種ホラーでもあって、凄みに圧倒されます。

「スープ〜」はだだっ子のような夫、作ったスープが不味いといい、延々のせりふ。古い時代っぽい芝居を書くとはいえ、こういう理不尽を物語に乗せることはしない作家なのにあれれと思っていると、なるほど後半での種明かしというかどんでん返しが鮮やか。料理ってものをすること、それは自分の栄養でもあるけれど、誰かの為という想いで変質していくということがぎゅっと凝縮していて、ほっこりするけれど、怖くもあって。

アタシの一押しは「押しかけ〜」。木下祐子には珍しいOL役が可愛らしく色っぽい。近所の公園で呑み、猫と話、疲れて帰宅した感じ、独りの寂しさ、誰かが居ることのうれしさ、職場で微妙に浮いている感じ、男の影。年代らしい女性の切り口がしっかりと隅々まで行き届きます。 「結婚できない女の独り語り」の芝居が大好物なアタシですが、そういうアタシの性癖を差し引いても、役者といい物語といい充実の一本。凛としていたり気の強い、という印象の木下祐子をこういう「女性らし」く使うのも珍しくて、でもそれは圧倒的な色気もあって。 物語の強みは「女性が家に帰ったら女房が居た」というワンアイディアなのだけど、発端のおもしろさに甘えることなく、最後の関係の提示もきちんとどんでん返し。途中挿入されるOLたちの、いわゆる給湯室とか休憩室でのとりとめない会話の密度も詰め込んだ感じがうれしい。

6本の中では唯一結婚前の物語の「赤い糸」もワンアイディアの強み。ごく短いはなしだけれど、こういうことがあったら、というSFっぽさ。赤い糸をあっさり、というのも楽しい。10代後半くらいからの男女二人で上演できそうなポータブルな一品で、あるいは年齢を重ねたら別の味わいもありそうでいろんなキャストで見てみたいのです。

もういっぽんSFっぽい「末永い夜」こどもたちの会話、母親のために集まったところに現れる母の姿は変わっていて。可愛らしい母親の無邪気さと物語の深刻さの対比が鮮やか。なるほど終幕にふさわしいけれど、親戚とか血縁という言葉が思い浮かぶ確かさがあって強固な物語。ひとり嫁という立場の女性の微妙な距離感も絶妙。

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速報→「SUPER NOVA」あなピグモ捕獲団

2010.6.5 15:00

あなピグモの新作。6日までシアター711。100分。

ネットカフェの一室、男は寝に来ただけだったが、通信対戦のように、飛び回る。 「世界の果ての海辺」なるところに、集まったりぶつかったり別のものになったりと変化していく人々。その場所を目指してバスに乗る人々は、その道程でも衝突し思いも寄らないことが起きていく。

スーパーノヴァからブラックホールという、星の末期の出来事になぞって展開する物語。手作りではあるけれど、スタイリッシュでシンプルな舞台装置、スピーディーな展開、美しい瞬間がいくつもあってこの規模の劇団としては格段に美しいのです。

動きまわりぶつかり合う原子の運動、星の生き死にになぞられる物語は、どこかおもしろそうなフックがいくつもあります。おそらくは作家の頭の中にはたくさんの知識とそこから強固に組み上げられた世界と物語があるだろうと思うのですが、正直に言うと、アタシにはその物語が今一つ頭に入ってきません。

ネットカフェの人々、そこから少女・拳銃・スコップを入れてでていった男たち、原子に模した人々のあつまる場所、ヘッドホンのネットカフェ、ヘッドホンのドライブインシアター。さまざまな場所や人々が印象的に提示されるのだけど、それがどうにも物語としてつながってこないのは、寝不足の頭に昼食につけたビールだけのせいなのかどうなのか。

見た目はずいぶん違いますが、少年王者館や維新派の舞台を見たときに、その美しい演出や描かれている「何か」には惹かれても、アタシが物語として受容するのにけっこうなハードルになる、というのが近い感覚です。

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2010.06.02

ネットで芝居で。

twitterで2週間先の公演の人集めからスタート、という瞬発力勝負の企画公演が始まっています。 (私家版まとめ) まあ、お祭りにはのっておきますとも。

作演の最初の瞬発力がなにより凄かったのだと思います。ホンがあるということでリスクは低くて役者の参加も早かった。何よりネットをきちんと使い交通整理する力が働いています。こういう時には乗っかる人煽る人は多いけれど、落ち着いて制御していく人っていうのがあると格段に安心です。

公演たのしみにしています。

そんな中、ネットの芝居メディアとしてのCoRich! 舞台芸術、やたらに重かったり、トラックバックが全く受け付けられなくなったりと、かなり不安定。正直にいえば、その会社やサーバーがどうなろうと、それはケイザイの問題なので仕方ないけれど、あそこにつまったデータや口コミの集積というのは何者にも代え難いのです。blogやテキストサイトのように普通のユーザーがダウンロードしてバックアップを取るのは難しいタイプのサイトだけに、データを保全できるように、切に願うのです。データをある形式でどこかクラウドに置いて、とやるとただ乗りするサイトがありそうな感じもしますから難しいところかとは思いつつ。

その前に今週末の。

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