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2010.04.29

さあ、GW。

世間は29日から休みですが、転勤したこっち側では出社日。1日から5日が休日です。

松本に来てからも毎週のように東京の芝居を観ていますが、予告をしてなかったのは生活のリズムを調整していて、近所を飲み歩いたりしてたからなのですが..

で、GWはがっつり芝居を見に行きます。で、その次の週末は初めて松本で暮らしてみようかと思います。自転車を何処で買おうか楽しみにしつつ。これからいい季節です。

久しぶりに予定。

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2010.04.27

【稽古場】「おるがん選集〜春」風琴工房

2010.4.25

29日が出勤日になってしまって、どうにも見られないとぼやいていたら稽古場の見学に誘っていただきました。感謝25日夕方時点で「桜」「藤」どちらも休憩無しで80分ほど。26日から29日までルーサイトギャラリー。アタシはやや上手寄りから、表情がたくさんみえて楽しい。

■「桜」 座る女。あの家の男たちのことを聞きたがる人々に葡萄酒を頼み静かに語り始めるあの家の最後の三人の男の話「寡婦」(青空文庫)
玉ノ井。傘に入れてもらったお礼に女の部屋に呼び込まれた男は小説家で、通うことになる「濹東綺譚(ぼく東綺譚)」(wikipedia)

■「藤」 津島の部屋に勝手に入ってきた男、幼なじみで今はこの津軽で百姓だという。酒を呑もうといいだして。「親友交歓」(青空文庫)
お忍びで訪れた皇太子にこの施設の将校が死刑の装置について語り出す。この装置を作ったのは前の指令官だが、国が外国に統治され「流刑地にて

作家が好きな短編を選び、大切な本のページをめくるように語るシリーズの春編(チケット代には上演台本が「おみやげ」として込み)。場所は見られなかったけれど、たぶん隅田川沿いの一軒家、場所を探すことでは比類ない力の持ち主が主宰ですから、そこにいけないアタシは本当に残念(GWにでも散歩に行きますか)

ネタバレかも

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2010.04.26

速報→「パンラが野毛にやって来た★GA~!GA~!GA~!」studio salt

2010.4.24 19:30

横浜のstudio salt、二回目の東京公演にして下北沢初進出、75分。29日までOFF OFFシアター。

公営で入場無料、毎年のように閉鎖が話題に上る野毛丘動物園。偶然のキッカケで、日本で留学中の皇太子から珍獣パンラが寄贈されることになった。小さな動物園に世間の注目が集まるが、万が一不手際があれば国際問題に発展しかねない。その"VIP"を迎えるために各部署からよりすぐりのメンバーで飼育チームが結成された。

初下北沢にもってきたのは劇団員だけのミニマルな構成。ソルトでは珍しいタイプのコメディ仕立てだといいます。いまひとつ冴えない男たちを描けるのはここの劇団員の強みですが、慣れない歓迎ソングやダンスを練習したり、それぞれの担当動物への想いがすれ違ったりというあたり は初日時点では当日パンフに云われているとおり「コメディは難しい」なと感じさせるある種の固さがあります。なかなか爆笑まではいきづらいところ。

歓迎ソングやダンスのダサさ出来なさ加減は、無料の公共動物園というのんびりした職員たちという感じによくあっていてほほえましいのです。そんな中で東享司は少々嫌みな中堅職員を好演。泣いてる彼をわりと周囲が放っておくのは切ないけれどよくある風景。結果として初日では一番笑いの起きたポイント。

モデルにした横浜野毛の「野毛山動物園」はエンゲキでは最近注目の「急な坂スタジオ」にほど近く、横浜のこどもたちの遠足ポイントの一つで、アタシも子供の頃に行ったきりだけど、ひさしぶりにwebを覗くと「動物を間近に感じ、動物とのふれあいやいのちを教育する場」としての側面が強くなっていて、この芝居の中で描かれている動物園の根っこがここにあるのだなということがよくわかります。人名に横浜市沿岸部の地名を散りばめるのも、ちょっといい感じ。

ネタバレかも

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速報→「背伸び王(キング)」コマツ企画

2010.4.24 14:00

コマツ企画の「少人数芝居」と銘打ってぎゅっと濃密75分。25日まで「楽園」。

目が覚めた男四人。最初に目覚めた男が死神らしい男から聞いたという話では、ここは死に際がけっぷちの男たち、あとは自分の意志で死ぬか生きるかという瀬戸に居るのだという。

当パンによれば「男の背伸び」について描いているのだといいます。それぞれの男たちが人生を振り返ったりする形で進む物語。やがてそれは「主人公っぽい男」対3人という感じの構図になっていきます。どこがどう背伸び、なのかはじつはいまひとつわからないのだけれど、男のどこかいびつな感情や考え方の源泉やトラウマの類を描かせると、作家の視線は鋭いし、俳優たちがもつそれぞれの個性だったり個人技だったりが短いけれど濃密な時間を作り出すのです。

佐野功演じる「主人公っぽい男」が物語の主軸となってからはぐんぐんと。 会話に入っているようで入っていけない自意識な感じは物語の中では「上から目線」と云われたりします。アタシが面と向かって云われたことはないけれど、アタシの腑に落ちる感じ。自分は「ふつうだ」といいながらも、 金融な会社の感じ、会社に対しての疑問をかんじるところをたたかけていくシーンでのリズム感はちょっとおもしろい。意味も一応通っている感じだけれど、このままでオレいいのか感覚の芽生えが実によくでていて。中学生、家族の再現ぽいあたりが座組の役者たちのバランスが抜群にいいのです。

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2010.04.20

速報→「カスパール・ハウザー」JAM BAL JAN JAN パイレート

2010.4.18 17:00

JBJJPの新作。彼女たちの弱点とされるカツゼツの課題は残るけれど、こちらから前のめりで聴いていくうちに、聞こえてくるようになる不思議。座・高円寺1の舞台の広さをきっちり埋めて、あちこちにとびまわる物語はけっこう楽しい90分。 18日まで。

ある日発見された少年、カスパール・ハウザー(wikipedia)。言葉もおぼつかないし、狭い部屋に軟禁されていたことが伺える物証。謎は謎のままだが。

いくつかの芝居で取り上げられるカスパール(カスペル)ハウザーの物語。そこから発想したさまざまを盛り込みながら、ときに(アタシの友人の云う)ぼやき漫才風、時に詩的に流れる言葉、時にダンス、時にコントにさまざまにリミックス。おそらくはたくさん読んだものを脳内でさまざまに混ぜ合わせての出力。会話していても次々ほかの言葉思い浮かんでしまって、外から見ていると話飛びまくりでワケワカラナイ感じ。あの回転数ではないけれど、思いついて言葉にしてしまう感じはちょっとアタシの腑に落ちる感じ。

オープニングのあと、清水エリナが一人で語りまくる漫才風味。決して巧くない役者なうえにカツゼツは明らかに悪いのだけれど、この芝居のすべての言葉が彼女から生み出されたのだと思うと前のめりになって聴こうと思うのです。  クイズ形式で、野生児、豚娘、狼少女、若人あきら、ピアノマンなど、どこからきたのかわからない謎の人物のさまざま列挙するあたり、同性愛者に対するアップルのロゴの意味とか、ジャイ子のペンネーム、さまざまに盛り込み。これは盛り込みすぎなのはあきらかなのだけど、これを音で、あるいは戯曲で確かめたいと思ってしまうのです。録音したのを売ってほしいなぁ。

あるいは愛犬のしっぽのさまざまのが語られたかと思うとカスペール・ハウザーにまつわる断片が語られたり、あるいは音の洪水も、音楽の洪水も、ダンスのちからも楽しい。

実際の処語られていることの多くはwikipediaなどで調べればアタシでもたどり着けるようなエピソードが多いのだけれど、その膨大な情報を自分の中で租借して、彼女たちの風景としてきちんと描き出す力こそが、作家の強みなのです。 生まれから部屋に閉じこめられている間のカスパール・ハウザーについては、もちろん推測に過ぎないし、その心象風景は妄想ともいえます。blogに至ってはめちゃくちゃです。でも、その「気持ち」が見えるように感じることこそ、この作家の強みじゃないかと思ったりもするのです。

あるいは煙突掃除人というのを設定したのが秀逸でものがたりにぐんと深みが生まれます。その二人の会話は自問自答な感じもするけれど、暗闇に独りならば「幻聴絶好調」にもなる気がするのです。 アカゲザルの感覚遮断実験(母親から隔離して毛布で作った母親、ミルクはくれるが針金の母親というもののどちらに惹かれるかの実験)を通して、カスペール・ハウザーの心象風景に結びつける感覚のセンスのよさ。ハメルンの笛吹男、その一人がハウザーじゃないかというのはちょっとおもしろい。時間軸にならべて夢想するのは実に楽しい空間。

一方でコミカルな感じ、 ボックスをさまざまに組み合わせ、最後の授業、最後の一葉、とかとの一瞬芸、 あるいはのど自慢四人がいい。コント風だけれど、「冥途枠」とか「オペラのタイトルが変」とかという飛びまくり感がたのしい。

とはいえ、云われ続けているように滑舌の問題はあまり改善していません。それでも、千秋楽のおかげかどうか、作演以外の役者たちのレベルを上げるという方法は確かに効果があります。舞台が広すぎるという指摘もありますが、アタシはむしろ広い舞台の方がむしろ生きる感じがするのです。

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速報→「八百長デスマッチ/いきなりベッドシーン」柿喰う客

2010.4.18 14:00

柿喰う客の一人芝居再演と新作二人芝居を組み合わせた企画公演。フランス公演や次回予告の映像を挟みながら30+40分で全体では90分。18日までタイニイアリス。

小学校入学式の日、自分の後をついてくる足音はどこまでもついてくる。それは同級生の姿。互いに互角で、どこまでも好みも似ていて、怒られるのもなにもかも一緒で「八百長デスマッチ」
高校入学の日、胸躍らせてあらゆる部活とあらゆる委員に立候補し、セイシュンの高校ライフをめいっぱい楽しもうとする女子高生。なにもかも手に入れて順風満帆に思えたが、担任の教師はそれでもまだ青春の半分しか楽しんでいないという。そこから見えてくる青春ダークサイドに気づいてしまい「いきなりベッドシーン」

再演の「いきなり〜」の方は2年前の初演から、大阪の一人芝居フェスティバルなどを通して七味まゆ味が大事に育ててきた一本。初演のときの印象よりもより静かにダークサイドを強調する印象。よりダークに、静かに迫力を持つ領域になりつつあります。

初演となる「八百長〜」は、二人の声のユニゾンが心地よい序盤からスピード感よりは少しゆっくりとしたリズムの暖かさが見えてくる一本。互角な親友という得難い宝物を大事にする暖かくいい雰囲気の芝居ともいえてこの二本を比べると作家の立ち位置の変化のようなものを感じ取れておもしろいのです。 小学校でいやおうなく感じる「負ける」ということや、いつまでも友達と一緒というわけにはいかない、というある種の孤独の感覚も腑に落ちる感じ。芝居としてはこちらの方が今の柿の感じには近くて。テンション強めの部分では玉置玲央の強み、終盤の少しの哀愁を含んだ人間くささでは村上誠基の味に強みがあって、それぞれの役者の強みを感じさせられます。

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2010.04.19

速報→「ぼくらのアイドル」味わい堂々

2010.4.17 19:30

アタシは初見の劇団です。アイドルに翻弄されるファンと、不自由で恋愛も出来ないアイドルたちのものがたり90分。21日までOFF OFFシアター。

海辺のコンビニ。店長の弟は学生でいじめられ気味。バイトの女は垢抜けない感じだけれど男性タレントのファンでテレビの収録がある火曜日には休みを取って何時間もかけて出待ちをしにいくほどにはまっている。そのタレントは女性アイドル歌手とお忍びで、この海辺にやってくる。

アイドル自身、憧れるひと、翻弄される人、アイドルを核にしたさまざまな人々を切り取り並べ見せていきます。タレントに憧れるあまりに生活に支障を来しかねなかったり、アイドルをどこまでもココロの中にしまい込んで大切に拘泥してしまったり、あるいはアイドル自身だって恋もしたいのになかなかそうもいかないなど。戯画化しているけれど、憧れる何かへの行き過ぎた感覚のとらえかたは面白くて腑に落ちます。

たとえば店長とバイトの駆け引き会話の凄さ。休みを取ってデートに行きたい店長と出待ちのためにどうしても休みたいバイト。表面的にはごく穏やかな会話なのだけれど、互いに一歩も引かず、というよりはまったく歩み寄ろうとしない会話の迫力を静かに感じるのです。特にタレントにはまり込んでいるバイトの女の「静かに常軌を逸した」感じはもしかしたらアタシも他からみたらそう見えているんじゃないかという感覚の空恐ろしさ。 「あたしからユーシンをとったら」という台詞が、アタシ(にとっての芝居)という感覚にはまりこみます。

崇拝する人に対して近づきがたいという感覚のある種の奥ゆかしさは女性の作家らしい距離感で心地いい。酔っぱらってるというのではなくて、仕事(など)のストレスで吐くという感じも腑に落ちる感じがします。

弱点がないわけではありません。役者がいくつかの役を持っている構造なのにどの役なのかを峻別しずらいところが何点か。終幕で「店長の彼女」を見て驚くポイントが今ひとつ腑に落ちるような落ちないような。 あるいはなぜそこまでファミマにこだわるのかも今ひとつ。制服もそれっぽいし、入店音(ピンポン×3)とかにこだわったわりにPOSでもなく、ディスカウントスーパーのように棚に段ボールというのがちょっと不思議なバランス。

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2010.04.18

速報→「息つくとき」ワワフラミンゴ

2010.4.17 14:30

さえずるような45分。小さなカフェという空間はよくあいます。18日まで下北沢・3rd StoneCafe。

カフェらしいところで話すオンナノコたち。エロ漫画雑誌の回し読みだったり、マッドサイエンティストの話だったり、男と付き合えない話だったり、男と付き合うと変わる話だったり、結婚詐欺師ぶりの話だったり。

流れというかシーン一つすら意味をなしている感じではない彼女たちのさえずり感。もちろん会話にはなってるのだけれど、いままでよりももっと一つの物語としての統一感は少なくなって、その空気感を楽しむという感じ。芝居になにを求めるかということで大きく評価は変わりそうだけれど、日常に見える風景の中に会話があることが重要で意味とか解決に向かう何かということが重要ではない、という「おしゃべり」というもののエッセンスを切り取って舞台に乗せる感じにより進化しているともいえます。

ふつうならば芝居には物語があってなんぼ、というのがアタシの持論というか感覚なのだけど、彼女たちの芝居に関していうと、その持論はまったく成り立っていなくて、こんな会話のさえずりの中にアタシがいることの楽しさ。たとえば電車の中での誰かの会話にならない会話を聞くともなく聞く感じ。それをわざわざ金払って観るかね、という指摘は至極ごもっともだけれど、この気持ちよさはホントに捨てがたいのです。

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2010.04.12

速報→「春の海」世田谷シルク

2010.4.11 17:00

世田谷シルク初めての完全オリジナルな物語。ダムに沈む村の学習塾を巡る100分。11日までシアター711。

実験を通して子供に考えさせることを主眼とした村の学習塾。騒がしい子供たちの風景。その風景を撮影したフィルムが見つかって。

古来の物語と現代の会話の重ね合わせが持ち味のシルクなのだけれど、ある村の物語のいくつかの時代のシーンを切りとって、細かなカットバックが冴えます。時にアタシの視点は混乱するけれど、やがてその速いテンポが実に気持ちよくなってくる不思議。

やがて、そこには山田くんという少々手に負えない子供が描かれます。彼だけは役者ではなく周りの人々の会話と、スライドによる山田くんの言葉という形で描かれます。それは先生たち同級生たちの見つめる視線は観客の視線と重なり、まるで自分が山田くんになったようないくつかのシーンに。

教師の注意も聞かずに自分のしゃべりたいことに夢中になってしまうこと(音楽に乗せるのが秀逸)、勘違いで引っ込みがつかなくなって喧嘩になること。さまざまな子供の頃の風景、涙がでるほどにノスタルジーに浸ります。

ラジオの向こうに聞こえる切れ切れな言葉、役者が一音ずつ発音して台詞を綴るというごくシンプルなシーンなのだけど、これをきちんと成立させるのは実はかなり作り込まないといけないんじゃないかと思います。シンプルだけど美しいのです。

三年生はぎりぎりの子供の境界線、何かが芽吹くうらあたたかな季節の春の海の中のよう、ということを作家が感じてのタイトルかどうかはわからないけれど、ダムに沈んだ村という水中に眠る過去の賑やかな感じはよく出ていていいタイトルなのです。

いくつかの実験のシーン。いわゆるゲルマラジオ、謎の気体の実験、ペットボトルの浄水器など、わりと小学生のものとしてリアルな感じが楽しい。ラジオはわざわざコイルを巻いた小道具だったり、ダイオードなんて言葉が出てきたりとわりと作家の理系性(かどうか知らないけれど)が見え隠れ。学研のカガクで育ったオヤジとしては実に楽しい。

ペットボトルの浄水器の実験は、リズムに乗せるのはたとえば維新派、たとえば柴幸夫がみせたような感じでやっぱり気持が踊ります。それを机の上というごく小さい世界で成立させてしまって、必ずしも身体表現に乗せずにやってしまうというのが、身体表現にもこだわりのある彼らがやる意味を感じるのです。

子供の喧嘩、帯金ゆかり、堀越涼、松下幸史のあれこれが楽しい。大人のシーンとの二つ持ちの落差も彼らの力をしっかりと感じます。特に松下幸史はいままで見せたことのない陰のある感じが新鮮。

失うものに対する想い、それはダムの村、痴呆の進む父、行方の知れない山田君。何かの解決ではなく、ノスタルジーをあるままに提示して観客の気持ちの何かを揺らす感じがします。反面いままでは強力な古来の物語に重ねることであった軸が、ふわっとした「想い」を頼るざるをえないところが、力強さの点では物足りない感じも。でも、このふわっとした感じは何かの鉱脈がありそうな感じ。もうちょっと見てみてたいのです。

ポリシーとして折り込みを受けず、自身の劇団もほとんど折り込みをしていないのは一つの見識。かわりに googleの広告ででてきたりと度肝を抜かれます。開場時間中にスライドで折り込み代わりに映写するのはいいアイディアだけれど、壁の模様が邪魔になって見えないのはちょっと残念。手元に残らないのは集客の手段としてはいたしかゆし。まあ、劇団名ぐらいみておけばいくらでもググればいいわけですが。

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速報→「ORGAN」elePHANTMoon

2010.4.11 14:30

elePHANTMoon、臓器移植を巡る提供者側と受容者側と名付けた2バージョン上演。アタシは受容側のみ。60分。18日までサンモールスタジオ。

毎年一回の恒例のバーベキューに集まる人々。事故で亡くなった兄の臓器を提供した家族が、臓器移植を受けた人々に課した条件で、年一回、必ず一同に集まること。何年かが経ち、それぞれに生活も変わってきて。

臓器を提供した兄のことに拘泥する妹。どうしても年に一回集まることを続けたい。結婚や仕事、それぞれの生活の変化は、一同に同じ日に集まることを難しくしている。それに聞き分けのない妹の姿といってしまうと、あれなんだけど、たとえばパン屋の「ジャムおじさん」への拘泥など、それぞれの地雷というかこだわりどころを主張するばかりでそのズレがどうにも埋まらない気持ち悪さ。 その結末はelePHANTMoonらしくあまり後味のよくないものだけど、ここまでいくとそれは漫画的ですらあって。

短いゆえに、妹の想いと周囲のズレという一点突破の勝負。物語の質感というか、全体の雰囲気は丁寧に組み立てられていて結構好きだったりします。妹にしてもそれぞれの受容者たちにしても短い時間の中でいい造形だと思うのです。それなのに終幕での一気の飛躍は、ほぼ妹の想いの暴走というしかないのだけれど、それを腑に落ちさせてほしい感じがします。

そういうズレがあるんだということを誇張して見せているのだと思います。この記憶の風化にどれほどの時間が経過しているのかとか、特定の一日にこだわり続けている理由のようなもの、逆に受容者側にしてもそのたった一日がいくら北海道でも仕事でも調整できないのはなぜなのかがいまひとつぴんとこない。だってきっと葬式なり法事ならくるでしょ、この人々の感じだと。「来たくない」理由があるとしか思えないのだけれどそれを見逃してしまったのか、提示されていないからか、さっぱり理解できる感じではないのです。

妹を演じた菊池佳南は人物を実に丁寧に作り上げていて物語の主軸を担うだけの力をみせます。

正直に言えばこれだけ短いものならば2バージョンを一つにまとめたコマで上演してほしいと思ったりもします。セットがもしかしたら大幅に違うのかもしれないけれど、ちょっとコマつぶしになってしまってもったいない。

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2010.04.11

速報→「THE LEFT STUFF」Piper

2010.4.10 19:00

Piperの新作。マルチエンディング風味、物語よりはアトラクションのように楽しい135分。開場から舞台上のボードに観客が署名する趣向ありなので、早めに。キシリッシュがスポンサーに(終演後配ってくれる)。25日まで本多劇場。そのあと大阪、名古屋、広島、仙台。

研究機関、NEOに集められた七人の男女。新エネルギーを求めた海洋調査の研究員を選抜するための実験だという。そのひと部屋の暮らしの様子を観察し、選抜するのは客席に座る400人で。

毎回やることががっつり変わるPiperの色を説明するのは難しいのです。メンバーの5人がそれぞれの才能を持っていることがその理由なのだけど。

遊気舎時代にこれでもかと繰り出した客いじり、あるいはピスタチオの根幹をなしていたパワーマイム(劇中ではペルーマイム)とか、懐かしい鉄板の技を繰り出します。

客に選ばせてマルチエンディングな感じに見せていますが、選択肢の行き先はかなり狭い感じで、たぶんどれを選んでもそう大きくは変わらないのだろうなと想像します。初日時点で見る限り、舞台に上げたり、スポットライトの当たる客は仕込みな感じすらします。

それにしても芸達者な面々。相武紗季の表情の豊かさが実に楽しい。後藤ひろひと大王の台詞、説明役がたくさんでてくるのも楽しい。

まあ少人数なので、関西の劇団にありがちな、有料のパンフ以外にそれを知る術がないというのは大きな問題ではありません(ガムもらったし)。でも、これは全体にケチくさい感じに見えちゃうのだよなぁ。ほんとに。グッズのチラシの片隅にでも印刷すればいいのに。

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速報→「ウツセミウツラ」タテヨコ企画

2010.4.10 15:00

タテヨコ企画の人気シリーズ、修行僧の物語。旅先ではなく修行する寺での物語はもしかしたら初めて?な105分。11日までスズナリ。

毎々寺派の総本山。長い歴史をもち修行専門道場となっている。休養日の一日、修行僧の多くは町にでているが、一年目は外にでられないため、禅の悟りにまつわる牛の絵になぞられ、「この寺の中にいる牛」を探す遊びに凝っている。OB/OGの僧侶たちも打ち合わせのために訪れて。

厳しい修行、老若問わずの入山順の上下関係の理不尽さをコミカルに描いて枠組みに。小田豊か演じる、どうみても貫禄十分なのに入山一年目でそのくせやりたい放題という修行僧が前半を笑わせ、引っ張ります。ちょっとサラリーマンNEOの「大いなる新人」に似た感じの笑い。でも、こっちはホントにやりたい放題。その子供っぽさもほほえましい。

好宮温太郎、郷志郎演じる一年目の修行僧の真剣な想いは、ほんとに人生を賭ける修行というものの本質を突いているよう。それはカノジョと別れちゃう話とか、なんかどうしようもなくイライラする感じとかに揺れ動く感じ。一日でこのふれ幅というのはまあ、芝居ということだし。

牛女、お世話係、スナックの女と外側にいる女性たちが実にバラエティ豊かでたのしい感じなのだけど、そこに隠された関係のびっくり、という感じのその先がみたい感じも。出番がちょっと少ない感じで残念なのはアタシがおやじだからですかそうですか。

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2010.04.06

速報→「とりあえず寝る女」箱庭円舞曲

2010.4.4 19:00

10周年にして駅前初進出の箱庭円舞曲の新作。今までの公演タイトルを各場のタイトルにする意気込みもきっちり。しばらくぶりの家族の話だといいます。135分。6日まで。

小さな一軒家がたくさん立ち並ぶ古く造成された団地。母親と娘が暮らす家。母親の峠に、妹が帰ってくる。この場所を再開発するという役人と自治会(劇中では親睦会)長。

母親のこと、姉妹のこと、姉妹が住んでいるこの場所のこと。すぐ寝る女という、無茶なタイトルをきちんと作り込むのです。 この家が好きというだけで立ち退きを拒否する気持ち。好きなものを守りたいと訴える女、それに共振する男の気持ち。それは純粋なものなのだけど、それを「手なづける」(この言葉を選びとるのは巧い)と見てしまう周囲の色眼鏡の哀しさ。

ギャラリーのオーナーと受験生のやりとり。背景のネタはともかく、ちょっと偉そうなことを云っおうとするオトコが後半あっさりといなされる小さなパワーゲームはちょっと面白い。いや、笑ってる場合じゃないのですが。

きっちりした一本の物語というよりは、さまざまな人々を点描していく感覚。たくさんの人々の想いの交錯を描くのを支えているのは役者陣の充実。 劇団としては男たちなのに、女性を中心とした物語をきっちりと支える劇団というのは10周年の今だからこその浮かれないストイックさがカッコイイ。

正直に言えば、あたしの観た日曜夜の回、終盤の客席はかなり気温が高かったのです。それで二時間超えは、たたみかけるエンディングは少々つらかったのです。が、よく考えれば客が入らなくなってきている日曜の夜公演にもかかわらず、きっちりこの劇場を埋めるのは(期間が短いとはいえ)彼らの実力を観客も知っているということなのです。

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2010.04.05

速報→「夕焼けとベル」カムヰヤッセン

2010.4.4 15:00

カムヰヤッセンの新作。島に暮らす人々と島を巡る想いの100分。11日まで王子小劇場。コの字型の客席、客席入り口に近い側の二辺側が舞台の正面になるようです。

一隻の小さな船だけが渡る手段の島。裏側になる西の集落は独特の生活習慣を持っていて島の他の集落との交わりは薄い。その集落で時を告げる鐘をついている男の子の家は西の集落の長らしい。その同級生の女の子の家は表側の集落で、駐在の父、民宿を営む母親、発達障害らしい姉と暮らしている。その民宿に映画の撮影だという若者5人がやってくる。

二組の姉妹。姉・妹に対する素直になれない想いを物語の骨格。その物語の骨格が見えるまで、ごくごくゆっくりと丁寧に、その家族と背景を断片として積み上げていきます。断片としてそれぞれのシーンは丁寧に描かれるものの、物語の運ばれる方向がなかなか見えない序盤に観客としてのアタシが気持ちを乗せるのは少々ホネではあります。事件としての何かを期待するよりは、人々の関係が浮かび上がってくる過程を楽しむのが吉。

骨格が見えはじめてからは、アタシの気持ちを物語にのせるのは実にスムーズ。姉妹の想いが語られるのはかなり後半になってきますが、この小さな一人一人の気持ちの一点に向かって描き出そうとする作家の視座は揺るぎません。

正直にいえば、全体の雰囲気は少々地味めなところがあります。その中にあって重実百合演じる妹は、想いを担うと同時に、コミカルな会話の巧さ、ぎこちなさげな動きも併せてとても印象に残ります。川村紗也演じる自暴自棄な女、序盤の少々色っぽいところもオヤジなアタシにはどきどきなのだけど、全般にかっこよい。

å コの字型の客席の一番奥に座ったアタシです。部分的にはボーナストラックな感じの、この席でしか見えない表情のようなものはありますが、全体に入り口側を向いての芝居が多く、そこかしこのシーンの表情をメインに楽しむならば、そちら側を。

終幕は少々びっくり。それをことさらに強調したりせずにさくっと流してしまうあたり、少々もったいない感じはしますがこの作家らしい。この季節らしくて美しい。

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【トークショー】赤ペン瀧川先生の24 season2

2010.4.3 20:00

瀧川英次のトークライブ。3日にロフトプラスワン。120分。 これを持ってハーフジャパンツアー。 大阪(4/17 本町MOTHER POPCORN)、 山口(4/18 スタジオイマイチ)、 福岡(4/19 THEVooDooLounge)+東京で報告会を予定。

出会い系サイトをでポイントを使いながら24時間で女の子と出会うためのセミドキュメンタリー風のシリーズ二回目(前回)。「赤ペン添削家」を名乗るだけあって、メール(メッセージ)のやり取りにツッコミを入れていく手腕はたいしたものなのです。ルール説明から入り、テンポよくきちんと語っていくとあっという間に2時間経ってしまうのです。今までよりは短め、120分にパッケージするというのもDVDや、ツアーというパッケージを考えれば勿論正しいのです。

全体にツクリモノっぽさが見え隠れしてしまうようになったのは、あれですか、アタシがこのシリーズのことが好きすぎて、慣れてしまったということかしら。んんん。

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2010.04.04

速報→「乱反射ドロップ」みきかせプロジェクト

2010.4.3 15:00

リーディングだけにとどまらない「みきかせ」というプロジェクト。二団体ずつ二バージョン、計4団体。そのうちの、こゆび侍と本田ライダーズのイチゴ組。転換を挟み90分。4日まで、ワーサルシアター。

蟻地獄に落ちた蟻。蟻地獄に毎夜おもしろい「お話」を聞かせ続ければ殺されずにいられるという。「私と彼氏の物語」を語って何とか助かったが「網膜火傷」。
小学五年生の女の子には、許婚者がいる。その大切な結納の日、家宝の「河童の皿」を隠してしまうが、その皿を狙った怪盗を名乗る同級生の男の子と出会ってしまう。男の子の両親はその海の外側に投げ出されてしまったのだという。海の外で生きられるのか、二人は決死の覚悟で「二匹のマシンガン」。

網膜火傷はこゆび侍での2007年作を約半分に短縮しリーディング形式に。物語を語ることで命をつなぐ、というどこかで聞いたような話の枠組みだけれど、それにとどまらず、人の物語を奪ったり、打算だったりとのイヤな気分全開な書き込み方。もともとは「蟻たち」だった部分を一人の「男」に集約させたことで物語の骨組みがシンプルにわかりやすくなっています。

低く押さえた台詞という微妙なバランスの上に成り立つ語り口という感じはあってそれすらたった4人でバランスを成立させるのはとても難しいことをやっているのだと思うのです。

客演・瀧川英次の圧倒的な存在感。蟻地獄が絶対のものだと感じさせ、その弱さもあわせ持った確かな力。

「二匹のマシンガン」は、 人類の進化の過程の失われた時期、人類は海の中にいたのだという想像を物語のベースに。海で暮らす人類という大仰でマンガのような構造の中に、ボーイミーツガールなものがたりを強固に組み入れています。 ト書きが効果的に効いていてスピード感、軽快な語り口はラジオドラマのようで楽しめるリーディングとしての完成度が高い。基本的に動きらしい動きをする部分はごく少なくて、役者の表情で見せる感じ。この雰囲気は、つめきりの「スイッチョン」に出てきた声優のシーンにちょっと近い感じ。「みきかせ」という点では独自性は薄いといえばそうなのだけど、楽しめる一本なのは間違いがなくて。マシンガンを手に入れると豹変する感じ、男の子より女の子の方がませている、という小学五年生らしさってのも、その属性だけで一瞬にして雰囲気を作ることに貢献しています。

ト書きを読む加藤智恵は脚立の上という更に制約された場所での表現の豊かさ。女の子を演じた生見司織(ヌクミシオリ)、男の子を演じた印宮伸二(イングウシンジ)の二人の軽快なコンビネーションも魅力的。

「みきかせプロジェクト」がリーディングをさらにどうしたものにしたいのか、ということは今ひとつ見えてきませんが、単なるリーディングにとどまらず、しかし上演するまでの障壁を低くすることには貢献しています。相鉄本多劇場が一時期やっていた「横濱リーディングコレクション」(サイト内検索)に雰囲気は似ています。上演の障壁を低く、繰り返しに耐えるモノをつくっていくというのはいいことだと思うのです。

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