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2009.12.30

速報→「三之助をみたかい? vol.11」

2009.12.25 19:30

来年いよいよ真打ちの三之助、定例の独演会。いままでになく21:30には終演。粒谷区区民割引、なんていうのも楽しい。

留守をしている小僧のところにやって来た男が伝言を伝えるが 「金明竹(wikipedia)」。
知り合いが云う、熱くて評判の灸は「強情灸(wikipedia) 」
大晦日の掛け取りに頭を抱える夫婦。やっとのことで一人は追い返したものの、まだまだ掛け取りはやってくる。表で聞こえる呼び声は「借金の言い訳を代わる」のだという。「にらみ返し

クリスマス前後っていうことの話をしながら、いよいよカウントダウンが近づいていることもあって、真打ち披露興行の話、twitterの話を取り混ぜつつ。どちらかというと笑わせてなんぼ、という小編を取りそろえて、年の瀬らしい賑やかさがたのしい。

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2009.12.29

速報→「空間ゼリー感謝祭2009」空間ゼリー

2009.12.27 19:00

空間ゼリーの劇団としての感謝祭。猿田瑛の卒業イベントとして設定。桜台駅近く、JOYJOYステーション。歌、コント、トークを交えて180分ほど。

今年の公演をすべて観ることができたわけではありません。が、前回(2007.11)の時に比べればずいぶん公演の形態が変わってきている昨今、特に今年のラインナップをみれば、客席がこうなるのは想像できたことではあるのです。果たして、いわゆるアイドルヲタの人々。迷って客席後方を陣取ったアタシは最初、その違和感がどうにもぬぐい切れません。

若い頃も含めて、いわゆるアイドルのコンサートとか応援をやり損なっている(アタシの世代はアイドル好きは普通だったのだけど)アタシとしては、この70名ほどの規模でも歌を歌えばちゃんと客席が一体となって盛り上がるというのは初めての経験で、あの時代の凄さを早送りで体験するような感じ。正直にいえば、客席も決して若い人ばかりではなくて、そういう意味ではアタシにとっては居心地がよかったりもします。

歌は三曲、コント(阿部イズム作)はさまざま取り混ぜて60分以上。トークは劇団員で今年を振り返り、新入団の劇団員を紹介、さらに卒業する劇団員を見送るという構成。

アイドルを紹介し、育て、見送るというかつてはきちんとあったはずのエコシステムが薄まって久しい昨今、劇団という形態をとっていても、ここまでベタなやりかたで見せるというのは珍しい感じすらします。でも、ステージという場所で生きていくという彼らの決意は微塵も揺らがない、ということはしっかりと見届けられるステージなのです。

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速報→「殺める人々」アヴァンセP

2009.12.27 14:00

坂上忍の作・演出で小劇場の役者も招いて100分。27日まで711。

女の家。一年前に殺された夫の捜査はいっこうに進まないまま。呼ばれた探偵を前に妻は犯人を知っているといい、それは同席している夫の親友なのだという。あっさりその容疑を認めた男にどうしても納得がいかない探偵は。

なぜ一年もたってこういう依頼がくるのかというひっかかりをもとに、なぜ親友が殺すに至ったか、というあたりの謎解きはあるものの、それが主軸という感じよりは、むしろもうちょっと人の暗部にこだわって書く印象の作家。個々のシーンをつなぎ合わせながらも、それが中心となる物語につながっているようには、あたしには感じられなかったのが惜しい感じ。

テンションのある怒鳴り合いは時にアドリブっぽく作られたつっこみからコミカルに変化する感じ。物語そのものとはあまり関わっている感じはしないものの、瞬発力で見せる感じ。今藤洋子がかき回す感じを堪能、児玉貴志の斜に構えた感じだけれど、怒鳴るのは珍しい感じだけどきちんと。

たまたま顔を知ってる役者がでているからわかるものの、ご挨拶風のものはありながら当日パンフはおろか配役表、スタッフのリストすらないというのはかなり珍しく下手をすれば誰が誰やら。最前列は背もたれ付きのベンチ風だけれど、荷物を預かってもらえないのはこの規模の客席ではちょっと厳しい。現場のスタッフは隣の席をつぶして使っていいというけれど、さすがにそれは気が引けるのです。

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2009.12.27

速報→「メッテルニヒ飛行場」トリのマーク(通称)

2009.12.26 16:00

トリのマーク、年に一回の劇場公演。60分。27日までスズナリ。

飛行機も宇宙船も空を飛ぶ機械がすべて禁止された時代。昔飛行場の格納庫だった場所を訪れる人々。禁止される直前に宇宙に飛び立った飛行士は禁止措置ゆえに戻れなくなっていて。

スズナリを横置きに客席。丘のような段差、舞台中央床面にハッチのような四角い扉。いくつか連なる格納庫の中らしい場所。いつものとおり、会話を一つの物語としてとらえようとすると迷子になってしまう感覚。柳澤明子・山中正哉・原田優理子の三人の語り口には安心感がありますが、藤田早織・大畑麻衣子はアタシが慣れていないせいもあって、つかみ所に苦労します。

書くことがないのに報告書を出すノルマだけがあったり、この場所の何かを知っている風だったり。後半には久しぶりに観る「さかな男」が出てきますが、そういえばほぼ無言の不条理劇になってしまうこのキャラクタ、アタシは得意じゃなかったな、と思い出したり。

飛行が禁止された時代、でも大気圏の外側では飛び続けている人がいるという感じとか、あるいは報告書のノルマだったりというのは、少しばかり役所の硬直化加減を揶揄するようだけれど、それをコミカルにあまり昇華しないのは、彼らとしてはちょっと珍しい感じがします。飛び続けている人への想いのようなものがぎゅっと濃縮されるように感じる終盤のあたりが好きです。

もとアパートの中、という設定はスズナリのかつての場所から発想するということに繋がります。この場所での公演を何度かしていますが、毎回この場所から違う発想を引き出すのは楽しみなのです。

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速報→「すこやか息子」柿喰う客

2009.12.26 13:00

柿食う客×三重県文化会館のコラボレーション、50分。27日まで王子小劇場。各回にこれ以外にトークショーが設定されています。

子供(息子)が生まれ、父・母・姉たち、家族。祖父母たち。成長していき、祖父母が死に、息子も成長し。

三重の劇場でオーディションで集められた役者たちと二週間で作り上げたのだといいます。ひたすら動き続け、「スポーツ演劇」と名乗ります。 無機質で抑揚を無くし、淡々と語る語り口自体は今までに似ていますが、せりふの数は今までよりは格段に少なく、それも関係の事実を描写したり、まるでRPGのコマンドメニューのよう。 柿の持ち味である「薄っぺらな言葉を大量に積み重ねて人物の奥行きを描く」という感じからは離れて、あえてステロタイプな家族像を最初から観客と共有している前提で土台とし、その上に僅かな機微のようなものを乗せている感じ。

トークショーなどで「役者が健康になるために」と作演は嘯きますが、それだけが目的とは思えません。おそらくは訓練された役者ばかりではないだろう中で短期間に仕上げる手法の一つとして使っている感じ。 エアロビクス風のリズムと振り付けをベースにしてリズムに乗せて淡々と(よくある)家族の関係と、その時間の推移を追っていく構成は、正直にいえば、同じようにリズムで全体を貫きながら家族や宇宙をスタイリッシュ描いた「わが星」の後ではスタイリッシュさに欠けて分が悪い感じもしますが、むしろエンゲキ的な泥臭さが残る分だけむしろ人間っぽく感じたりもするのです。

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2009.12.26

速報→「みなぎる血潮はらっせらー」渡辺源四郎商店

2009.12.24 19:30

不定期に作られたラジオドラマ「県立戦隊アオモレンジャー」(wikipedia)外伝。リーダー「リンゴレッド」を巡る家族と父親の物語。60分強。26日までアトリエグリーンパーク。

観光物産館・アスパムの外壁によじ登って騒ぎとなり、警察で取り調べを受ける赤いコスチュームと仮面をつけた男。自らを県知事直轄の秘密組織、アオモレンジャーの一員と名乗る。が、騒ぎを起こした理由には口を開かない。

青森放送のラジオドラマとして放送され、全国版と銘打ってナベゲンのリーディングとしての記憶も新しい「アオモレンジャー」。青森をねらう日本各地の都道府県との死闘を青森ローカルネタを山ほど突っ込んで描く、いわゆる「地産地消」型の物語を下敷きに。今年49だという彼にも妻子がいる。けれど緊急事態の出動で、家を決める下見も、出産の立ち会いも、娘の運動会にも、自分の誕生日のパーティも、家族の期待も約束も裏切り続けてきた男。どちらかというとにぎやかな感じの本編と比べると、この「男」の悲哀に近い物語はごくごく静かに。

ラジオドラマからの抜粋のヒーローとしての男の姿(ここに恋ネタだの銭湯シーンだのが断片だけどてんこもり)と、それに対比するようにして男不在のまま進む家族の場面で「男を描く」ように構成。ラジオドラマの方はあくまで明るく楽しいヒーローショー。 家族の話は個々にはわりとベタだったりするけれど、とても丁寧です。もともと畑澤聖悟の一人芝居を意識して企画されたようですが、女優二人に家族を演じさせることで(しかも人数が少ないから自在に入れ替わる)ぐっと奥行きのある感じ。それでもコンパクトな仕上がりは、劇団には必ず持っていて欲しいアタシが思う「ポータブルに持って行ける芝居」なのです。

仕事をとるのか、家族をとるのかという、中年サラリーマンの板挟み。出来ない約束をしてしまって結果家族を裏切り、どんどん離れていく家族たち。全体にはヒーローの男の家族の物語に見えますが、そこはタダではすまなくて、もう一皮かぶせてせてうならせます。あまりに悲しい、しかしそこに男が泣かなくてどうする、という仕上がり。

畑澤聖悟のがっつり役者というのも久しぶりの感。なんせ主役ですからかき回しというおもしろさは薄い感じですが、かっこよさと、かっこわるさが、きちんと同居する厚みのある男がしっかり。 三人芝居を三バージョン。あたしのみた「ほたて」キャスト(全部見たかった..)は、工藤由佳子、工藤静香と、安心のナベゲン看板役者そろい。女優ふたりは妻や娘たち、アオモレンジャーの他の隊員など数役を。時に入れ替わったりもして魅力を堪能。コンパクトに作り、あちこちで上演したいのだといます。その一歩とも思える高松公演も来年控えています。

役者三人に加えて、上手奧に照明オペ卓、下手奧に音響(演奏も)オペ卓を据え、そのメカメカしい感じで「秘密基地」の体裁にしているのかっこいい。この狭さでムービングライト二基という無茶さ加減も楽しい。演奏も音響も、というのはさすがに切っ掛けが多すぎるのか少々廻ってない感もあるけれど、それはそれ、このライブ感こそがラジオドラマ出自の物語としての面目かなと思ったりするのです。

24日夜の回は青森放送のチャリティーミュージックソンの中継をいれて「アオモレンジャー全国版」のリーディング15分。こちらはあくまでにぎやかに、楽しく。

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速報→「いま祈るから少し待ってて」あさかめ

2009.12.23 17:00

ヒザイミズキ初の一人芝居。70分。23日までラ・グロット。

ラブホテルの一室、隣で眠る男には妻子が居る。ふと頭をかすめる殺意。しかし、ふとみかけた野良猫の姿を追ううちに、ある記憶がよみがえってきて。

過去の自分が向き合ってきたけれど記憶の奥に封印していた死への想い、祈る気持ちがあるきっかけで蘇るという流れ。ごくカジュアルに殺意を意識していた女の心が祈りに昇華する、というのを「背中に手の生えていた人類の末裔」という枠組みで見せます。CoRichなどによればそれは阿修羅像をモチーフに。

リボン状に裂いた布を舞台に張り巡らせ、「背中の手」と繋げてみせるビジュアルは動きを制約して一人芝居というよりは「語り」に近い体裁に。カジュアルな殺意が「周囲の繋がりで変化すると見せたいのかなとアタシは想いますが、ラブホテルという「日常」から「背中の手」へのファンタジーへの転換したっきりになってしまっているのが、日常へ戻ってくる流れを勝手に期待していたアタシには少々物足りない感も。

それでも、この狭い空間で一人芝居だからこそできる「阿修羅像」の姿というのが確かにそこには出現していて印象的なビジュアルなのです。

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2009.12.23

休み。

暖かな休日、ちょっと有休を足したりします。

変わっていくこと、変わらないことを感じながら昼ビールしながらのんびりしつつ。年賀状は新しくかったプリンターに四苦八苦しながらなんとか宛名印刷まで完了。掃除は散乱する紙をなんとか整理。拭き掃除まで行けるか。

週末

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【トークショー】INU-KERA vol.10

2009.12.22 19:30

INU-KERAの10回目。ロフトプラスワン。飲み過ぎたアタシは、後半の中盤寝てましたスミマセン。

M-1、モヤイ像、歌番組、夜のヒットスタジオ、1月3月の雷雨、執筆のファミレス、ウェンディーズ、twitter、さいたまゴールドシアター、夜のヒットスタジオ、気に入らないCM。ゲスト・大倉孝二、バラエティの現場、タモリ..(このあたりで呑みすぎ)。

開演前、いつになく静かな感じ。年齢が高いのか、忙しくて遅れてくる客が多いのか。それでもちゃんと話を進めるうちに盛り上がります。あうんの呼吸ってのはこういうものだよなぁという丁々発止が気持ちいいのです。東京以外でもINU-KERAやろう、なんて話も出てきたりするけど来てくれるかなぁ。

ステージの話とは全く別のことなのですが、 ロフトプラスワンという小屋は、場所に元気があって、スタッフがきちんと機能しているのが好きだったのです。POSレジ導入がきっかけかどうか、今日はかなり酷い。注文を取りに来ない、目があってもこない。犬山イヌコが自腹で買ったPS3を機材に繋いでセットアップしてあるけれど、音が全くでない。店として全く成立してないぐらいにダメダメだったのです。TCC(東京カルチャーカルチャー)ならあり得ない。

音が出ない映像に二人で口パクを重ねたり、コメンタリーつけたりするのはさすが。プロの技を。

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2009.12.21

速報→「立川亮とタンゴアカシアーノ×渡辺塾国民学校×部活動の『鱈。』」

2009.12.20 19:30

7th floorで三団体という合同ライブ。事前のアナウンスから変更の19:30開演。休憩を挟みながら180分弱。

渡辺塾国民学校(wikipedia)は最初と中間にひとつづつ。最初はゲストとしてこの学校の校長という触れ込みのもう一人。二つ目はいつも通りのネタとして。客席に振ったりするけれど、ちょっとその観客も手慣れた感じなのはしっかりと客を持っている感じ。
立川亮とタンゴアカシアーノ(ライブのセットリストが載るのは凄くいい)はクリスマス版かどうか、曲は少な目。自らを歌劇団となのりつつ始まる、この場所のためのテーマ曲から始まり、ラジオドラマ風はクリスマスの男女だったり、最高峰に挑む男二人の想いが交錯する「イカロスの山」風。アタシは知らなかったけれど、登山家の役を演じた彼はずっと大きい場所でやってるミュージカル俳優らしい紹介。(アタシは知らなかった)
「鱈。」はクリスマスの番組に出演したアイドル。二人組の「まばたき」は売れっ子。その一人は実はバンドのミュージシャンと気持ちが触れあっているけれど、パパラッチ、周りの目があっておおっぴらには逢えない。

全く個人的にいえば、お笑いにアタシはここにむしろ「添削」を入れたい気持ちが勝ります。いわゆるお笑いのネタとしては、鳥肌実のよう圧倒的には及ばない、と感じてしまうのは厳しい世界だとおもいます。

立川亮とタンゴアカシアーノ、は前回に観たときに比べると「物語」に重点を置いてしまった感。ボーカルの立川亮が男女を演じるネタも、冬山登頂の話もきちんと作られていますが、むしろここでは賑やかな音楽で乗りたい感じ。米米に繋がるような無理矢理でも祝祭の空間を期待してしまうのです。昔のCDってのがあるようなんですが、アタシみたいに今年になってから知る人も居るわけで、物販してほしいなぁと思ったり。

鱈は、当日パンフで部長がしばらく東京を離れるという発表。その想いいれがあるのかどうか、当日パンフでの「羞恥心を開く」という言葉通りの圧倒的なベタネタで疾走します。恥ずかしさ、大映ドラマ、ちょっと古めの歌謡曲とアタシの気持ちを揺さぶりまくり。ところがダンスパート、音楽パートどこか鬼気迫るような迫力があってものすごい精度のものをみた、という気がするのです。

終演後は誰でも参加できる忘年会。「速度」とかのいろんなユニット、ネタが集合してこちらも凄い。でも終電で途中退出、無念。

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速報→「ある冬の日に」まほろば

2009.12.20 17:00

アタシは初見の劇団です。50分。20日まで三軒茶屋・スペースSF。

広いテーブルのある場所、突っ伏して寝ているひと。客がやってくる。寝ていた人は自分で名探偵と名乗り、場所は古道具屋の奥に間借りした事務所。客は、ここで待ち合わせする手紙が届いたのだという。

どこでもない此処な感じ、コミカルに不条理を乗せている感じというのは、「トリのマーク」がやっていた感じだというとぴったりきます。物語そのものに意味を持たせるのではなく、会話が続くこと、会話の断片の「ワケワラカナサ」が芝居として成立するということを続けていた彼ら。 自称名探偵、なんていうのもトリの名作、「ギロンと探偵」シリーズ 今作の作家につながりがあるのかしらん、とおもうぐらいに、相似を感じますが、彼らはまた別の領域に進んでいますから、ここから始まる何か新しいことは間違いなくあるはずなのです。

リュカ。の増戸香織を観るのはずいぶん久しぶり。コミカルでテンションが高い狂言回しという位置づけ。名探偵と名乗るところからしてコミカルですが、ものすごく可愛らしい。小人がちょこまかするような感じではなくて、もっと大きくテンションで仕切る感じ。根津茂尚の女役というのは初めてみましたが、予想以上に美しく。でてきても台詞では一言も触れないので、これは女優の役、なのではないかと思ったり。

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速報→「モンキー・チョップ・ブルックナー」ひょっとこ乱舞

2009.12.20 14:00

ひょっとこ乱舞、オールキャストの渾身。110分。23日までシアタートラム。

男二人と女ひとりで古い一軒家をルームシェアしている。好意や想いはあっても、それは微妙なバランスの上に乗っていた。ある日、男の一人が一人の女を「拾って」くる。監禁されていて、逃げてきて、かくまって欲しいのだという。最初は反対していたもう一人の男は、彼女にぞっこんになり、ほかの二人の反対を押し切ってしばらく住まわせることにする。かくまわれた女は部屋から一歩もでることなく。

役者の一人が怪我を負い車いすになっているということを最初に口上。登場の一言のところで拍手を観客に依頼。気落ちしている役者のため、のようなことを云うけれど、それよりもむしろ観客の中で微妙な気持ちのまま引っ張らず、すっぱり切り落とすという意味で、観客にとっても実は効果的だった気がします。

微妙なバランスの上に普通に暮らせていた男女が迷い込んできた女でバランスを崩す感じの物語。色恋沙汰の果てというよりは、惚れ込んだ一人が結果的に「監禁」して囲い込んでしまう、というのはごくシンプルです。その情景、関係する周りの人々を事細かに言葉で書き込んでいくという手法はどこか野田秀樹的でもあります。

「僕は世間に参加なんかしたくないんだ、観客でいたいんだ」というような後半での台詞。彼女と二人きりで閉じこもりたいのだ、ということに続くのは少々強引な感じもしますが、腑に落ちる感じ。

アタシが昨日行った近所の飲食店のオヤジと話した「今時の若者は海外旅行死体という気持ちが薄いんじゃないか」みたいなことに繋がる感じ。若者は、というのは正しくないな、アタシだって、世間だってわりと身の回りほんの少し周りの社会にだけ関わっていたくて、その外側に積極的に関わりたいと想わないという感覚は、実に腑に落ちる感じなのです。

やってきた女、三谷クミコを三人の女優(笠井里美、中村早香、佐藤みゆき)に振り分けて演じさせるのは、ある人間の像に固定しないようにふわっとしたものにしたいという意図は感じるものの、ほかの役も振られていることもって、少々テクニカルに走りすぎた印象。まあ、三人の女優は魅力的でアタシは楽しむのですが。ルームシェアをしている三人はがっつり。チョウソンハは気の弱い童貞キャラからの間違った突っ走り感が素敵、小菅紘史は車いすの奮闘もあるけれど、強く一本筋の通った生き方像が見えて印象に残ります。コロは等身大の女性が今までで一番感じられて素敵な印象。

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2009.12.20

速報→「エンジェル・イヤーズ・ストーリー」キャラメルボックス

2009.12.19 18:00

特に平日の集客に苦戦していると聞きますが、むしろ妻や子供をもつオヤジたちにこそ観て欲しい一本。それなりのチケット代ではありますが、当日半額となるハーフプライスも出ているようです。120分、25日までサンシャイン劇場。

会社をサボった社員がライブハウスに居ると聞きつけた編集プロダクションの社長。そこでステージに立っていたフォークデュオは自分の息子だった。終演後に詰問しようとするが、突き飛ばされた弾みで頭を打ってしまう。命に別状はなかったが、病院で目覚めた時、彼には人々が口にはしないけれど思い浮かんでいることが声として聞こえるようになったことを知る。

女子高生たちの、と云われて久しい彼らも24年目。役者の年齢幅も広がり今作の物語はむしろ等身大の西川浩幸や作家・成井豊の年代の父親の側を主軸に書いた物語。 きちんと仕事をして、子供たちも順調に育ち、嫁姑問題もそれほどには波風も立たず順風満帆な幸せな日々だと信じていた男が、他人の心の声が聴ける能力(天使の耳=エンジェル・イヤーズ)を身につけた時に耳にした家族の心のうちを知るある種の絶望感。もちろんキャラメルのクリスマスツアーですから、きちんと家族の幸せな物語にきちんと収束していきます。

家族を想っていることを自負していた筈なのに、家族にはそれが伝わっていなかったことにきちんと向き合う父親の姿は、自信をなくしがちなオヤジにこそ優しく響きます。(いや、家族なんて居ないけれどもアタシは(泣))

こう聴くと「しっとり風味」かと思えばさにあらず。バラエティーかと思うぐらいに、はじける感じも、世間がこういう世知辛いときだからこそありがたい。大げさにこけて見せるにしても、舞台の上には楽しい人々がデフォルメとともにきちんと描き出されているというのは実に貴重なことだと思うのです。

父親を演じた西川浩幸はことさらに年齢より上にみせるでもないけれど、少々古風な造形も物語にあっています。娘を演じた渡邉安理とのバランスは実に良くて、大人になりつつある女性の気持ちをベースにしながらも「子供」としして描き出していて腑に落ちる感じ。物語を時にコミカルに進める編集者の三人の力は安定しています。坂口理恵の声のすばらしさに改めて感嘆し、細見大輔の小ネタのおかげで物語が軽々と進む感じも嬉しい。岡内美喜子はメインを張らない時のこういう軽い感じもしっかりしていて素敵。

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速報→「FUTURE」ブラジル

2009.12.19 15:00

ブラジルの新作。終盤に向けての物語の収束が見事な100分。21日まで駅前劇場。

共同玄関、共同トイレの古いアパート。男の部屋は失業して司法試験を目指して頑張る男。酔っぱらって拾って帰ったバッグの中には札束が。
女の部屋は作家志望の男を住まわせている女。だめ男は美人局にひっかかり、二人で犯罪に手を染める。それでもこの場所に女が住み続けるのは。

真ん中に扉が二つ。左右に一部屋づつ。交互、対比で物語が進みます。繋がっているようでいて、結節が見えないような物語。達者な役者をそろえているので、物語が観客の目にもあきらかに転がるまでの間も飽きることはありません。

ブラジルの持ち味は予想しなかった自体に直面したときの人間のおかしな感じ、というよりは、ごくあたりまえに生きている人を細やかに描写。その歯車が狂っていく感じが緻密。たとえば櫻井智也演じる司法試験を目指す男は金と来訪者という偶然が。高山奈央子演じるだめんずの女と西山聡演じる小説家の男とか。

しかし、物語のポイントはそこではありません。二つの部屋でどう繋がるかわからないピースがはまっていく終盤は実に快感があるともに、そこに人の想いがきちんと積み上げられていて、人恋しくなるクリスマスという季節にすらちゃんと合う仕上がり。

ねたばれです。かなり重要な。

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2009.12.19

あれから一ヶ月。

13日の金曜日、ってのはあるもんだ、と思ってたけど、明らかに狙ってる発表にちょっと腹立たしく。

まあ時間がたてば、落ち着くところに落ち着いていきます。東京を離れますが、芝居を観ることを諦めていませんから、今年比七割ぐらいには観る気満々です。まつもと芸術劇場、ってのもありますし、元映画館を改装した劇場で公演する劇団にはちょっと面白そうなのもありますから。

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【イベント】「快快の GORILLA」faifai

2009.12.18 19:30

盛り上がってるわりにアタシはひとっつも観てないフェスティバルトーキョー関連のイベント。池袋のウエストゲートパークに登場したドームテントを使って毎週金曜二ヶ月に渡ってのイベントの最終日。

ゴリラvs人間のガチボクシング、DJタイム、faifai内ユニット「ごすんくぎ」による書道パフォーマンス。

2009年は国際ゴリラ年(ホントに)なんだそうで、無料イベントとはいえ、寄付を募りつつ。でも、たぶんそれがスタートポイントではない気がします。ゴリラの着ぐるみで「三月の5日間」の公開稽古をやったり、あちこちで写真をとったり、デッサンしたり。町中に出現したある種の違和感を軽々とパフォーマンスにしてしまうfaifaiなのです。

芝居かというと、これはイベント。アサヒビールのドームテント、その中で小瓶のビールを片手に観る見せ物。最終日はボクシング。山崎皓司は元ボクサー、相手はあたしが知らない人だけどこれで90秒マッチを5本。ちゃんと殴り合う迫力。DJタイムはいろんな人が入れ替わり立ち替わり通りすがりゆるゆる踊り。大道寺りののコスチュームにつられてくるオヤジも沢山(わはは)。中林舞の和服もきりりと美しく、しかしちゃんとクラブ風に。

最後の最後にもって来たのは書道パフォーマンス。大きな紙に墨汁と筆(小柄の女性が筆になって)。思いついたもの勝ちだけど、ちゃんとパフォーマンス。やんや、やんや。最後に観客も含めて記念撮影。

彼らはたぶん世界中どこにいっても成立しているはずで、しかし「芸術」なんて大仰に構えない軽快さが身の上で、むしろこっちのほうがアタシのすきなエンゲキに近くて、きちんと一般にアウトリーチしている圧倒的な強さがあるのです。いや、F/Tという時点である種税金を使ってるのはわかってるけれど、この軽快さこそが世界に打ってでられる力なのだと思うのです。

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2009.12.13

速報→「『垂る』-shizuru-」ポかリン記憶舎

2009.12.13 14:30

ポかリンの新作。アタシは久しぶりなのだけど、友人の云う「眠くならないポかリン」を堪能できる75分。13日まで アトリエヘリコプター。

目黒川の水上バスの乗り場。シーズンの運行最終日の最終便を待つカップルたちや、あちこちに電話するが誰も呼び出せない女、車いすの男と介助する女。そこに、初老の女が船に乗るのをやめるように、告げにくる。

ヘリコプターを横向き幅広に使い、木目を生かしたデッキ風の仕上げ。建て込まれることの少ないこの劇場では、劇場の雰囲気をここまで消した感じはけっこう珍しく、美しくてスタイリッシュな場所を作り出します。

若いほうのカップルはどちらかというとラブラブ風。ラムネ菓子を分け合ったり、飲み物買ってきたりと睦まじく。もう少し上の年齢の方のカップルも仲良しだけれどどこか訳アリ風でもあり。それぞれの会話に聞き耳をそばだてて聞くうちに、情念めいたものが染み出してきて。終幕にこそずいぶんとエロティックな(台詞の上で、だけれど)感じになるのだけれど、そこまでの間もずいぶんと当てられる、もやもやした感じが楽しい。

町田カナ演じる「電話する女」が秀逸。カップルの片方の男に無理矢理言い寄って見せたり、会話が勝手にシンクロしたたりと、アタシの知ってるポかリンとは違う感じの笑わせるシーンが挟まれ秀逸。

正直にいえば、終幕10分強は、ポかリンらしいとは思うものの、男と二人の女の関係、背景に浮かび上がる物語にアタシ自身は今一つ乗り切れない感じも。そこにのれるアタシでありたいな、とはおもうものの。

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速報→「プルーフ/証明(Repirse)」DULL-COLORED POP

2009.12.12 19:00

活動休止するダルカラの、最後のイベント。10月公演の一本を一日二ステージだけの復活公演イベント。

役者もホンも、おそらくは演出もほぼそのままのパッケージ。一日限りのイベントの、最終回となる夜公演はあの評判を受けての満席。同じつくりとはいっても、役者にもある種の高揚感があるように見受けられます。公演期間に持続するために「抑えを効かせる」ところをはね飛ばし更にロックな感じに。とはいえ、芝居としてはきっちり成立していて巻き込まれるグルーヴ感が実に楽しくて。

中田顕史郎の様々に見せる表情のすごさもさることながら、この回の中でもっとも「飛ばして」いたのは彼で、静かに見える芝居ですら疾走感を感じさせるよう。清水那保もほぼ出ずっぱりのこの公演にきっちり気持ちを乗せていて激しい喜怒哀楽の表情が目に焼き付きます。小栗剛は誠実で悪意のない、しかし女を傷つけてしまう立ち位置の難しい役だけれどももちろん安定。木下祐子は糸の切れた凧のごとく富んでいきそうな舞台をしっかりと掴んで一を安定させていたような安心感。

カーテンコールでは小劇場では珍しくダブルコールへ。役者たちの晴れがましく興奮からさめやらない表情、ことに劇団員である清水那保のくしゃくしゃの表情をアタシは忘れられないのです。

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速報→「西から昇る太陽のように」タテヨコ企画

2009.12.12 15:00

10周年記念公演のファイナルを飾る気合い十分の100分。吉祥寺シアターにて13日まで。

どちらかというと田舎にある廃屋を改装した陶芸教室に集う人々。日常に少々飽きていたり、喪失感だったり、夫婦がぎくしゃくしていたりする主婦たち。焼き上がりを釜から出す日、一日がかりの作業のあと、酒も入ってくる。そんなばたばたしている間に、見知らぬ男が山から降りてくる。会話がどうもかみ合わないが。

失ったものに拘泥してしまう気持ち。人ならぬものを滑り込ませるのが巧い作家は、人をさらうという伝承の天狗を登場させ、登場人物の子供時代に知っているという背景二見せたり、あるいは失った子供のことを重ね合わせたりと重ね合わせていきます。終幕で彼が手を出すシーンはまた別の「人さらい」の様相なのだけど、そうはうまく事が運んだりしないのは、大人の作家らしく、ほろ苦い。

出演者に若者の割合は少なくて、30代40代を中心に据えて。それぞれに夫婦だったり、この工房を支えている講師や息子たちの想いがめいっぱい。ゲストが多いこともあって、それぞれにしっかりと見せ場があったりの作り込み。こういう作り方ではどうにも顔見せ的で薄味になりがちなところなのだけど、トークショーによれば通しからは30分近く縮まっているということば通り、濃縮感がいっぱい。

東京と比較しての田舎という場所、そこに居続けることの主婦や夫たちの鬱憤だったりということが、アタシの今の気持ちに重なります。もちろん、主婦という立場だとまた違うのでしょうが。 少々欲求不満気味、マンガ的に描かれている主婦たち がどうにも強い感じなのは作家の持ち味。こういう物語の構成で「私を見て」というのは主婦側として持ってくることが多いと想うのだけど、それを男たち夫たちの側に持ってくることが少し新鮮な感じでおもしろい視点。

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2009.12.12

速報→「おしゃべりなレストラン~ア・ラ・カルト リニューアルオープン 準備中 ~」青山円形劇場

2008.12.11 19:00

20年続いた「ア・ラ・カルト」が体制を変えるためと銘打ってのスペシャル版。ゲストにかなり左右される予感はありますが、アタシの観た川平慈英は大正解。休憩10分(ワインサービスあり¥300)込みの180分、青山円形劇場。

高泉淳子の口上に続き。オーナー不在となったこの店で少し開いた扉からギャルソンは集まってきて。
準備中のレストランを訪れた女。別のパーティ会場に持っていくつもりだった料理と酒を持って店員に。「シャンパンシンドローム〜さりげなく味わいがある料理でハートをキャッチする方法」
毎年この店を訪れた男は、前オーナーからの紹介で新しいスタッフにワインのことを「僕流のワインの定義〜ワインはわからない奴ほどよく喋る」
あの女史が新しい店長候補をつれてくる。ゲストを迎えてのトーク
失恋するたびに呼び出される男と腐れ縁の女。クリスマスの夜に、レストランに居たりして「おしゃべりなレストラン〜フランス料理恋のレシピ」
休憩を挟んで、ギャルソンのショー、"Ben"、ジャクソン5風の、ゲストのショー、ほか数曲。
初老の二人、どうも微妙にぎこちないが、テーブルの真ん中の駆け引きというか。「大人のデセール〜苺ショートとショコラなんとか」
準備中のレストランの店員に振る舞っていた女、店長候補もやってきて「クリスマスに乾杯〜いつまでも準備中じゃありませんように」

毎年この季節、あってあたりまえのこのシリーズ、去年の20周年。今年の先行予約ハガキを見てびっくりのアタシです。白井晃、陰山泰がシリーズから抜けることを発表し、今年は準備中としての上演に。半分の期待と半分の不安を抱えながら客席に座ったあたしは大満足だったのです。

偉大なるマンネリ、というのはア・ラ・カルトの持ち味で、少しずつ変化しながら、そこのキャラクタたちに毎年会うための楽しみなのは確かにそうなのだけど、この変化は全体を見直すことにつながっています。それでも、これは間違いなくアラカルトの世界でもあって。

序盤には例年の雰囲気のキャラクタも多く。一人で訪れる女、タカハシ、マダムジュジュ。特にタカハシはいつもの傍若無人が楽しい反面、逆にその相手が居ないことが浮き上がってしまうのは痛し痒し。

「シャンパン〜」は気軽な肴レシピを交えつつという感じ。いままではなかった趣向で楽しい。「おしゃべりな〜」は今までもあった腐れ縁妙齢男女のレストラン。アタシはこの感じが大好きでいろんなバリエーションがある楽しさ。本作では二日間しか出演しないために書かれた台詞を稽古せずに読みながらという趣向で、アドリブ風でも、川平慈英のテンションも含めて楽しい。ショータイムはいままでの感じだけれど、"Ben"は芸として楽しいし、I won't grow upをセンター街に通う強いオンナノコの訳詞にしたジャジカルトークライブ風も実によくて。ゲストの初恋話から始まる歌もいい。「大人の〜」は初老で、でもただならぬ距離感が楽しく、まったくあたらしいフォーマット。

川平慈英のサービス精神と濃いキャラクタが、青山円形の近さで見られる幸せ。二人のパントマイマーも魅力的。特に山本光洋の芸達者ぶりが実に楽しい。

積極的で強い女と、従う男の構図は、昨今の流行ではあるけれど、高泉淳子を真ん中に置いている今回の体制にはよくあっていて。子供を描いていた一本がなくなる代わりに、全体に恋のシチュエーションに絞ったことでこの季節にはよく合うのです。いままでの偉大なるマンネリが懐かしくないわけではないのだけど、いつまでも拘泥しないで、先に進むのは大切だ、なんて自分に言い聞かせる年の瀬なのです。

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2009.12.11

年末が来て、来年のこと。

面接をして、来年のこと決まりつつ。思いは残るけれど、生きていくために労働は必要で、でも観劇も捨てがたいアタシとしてはバランスを見つけなきゃ、な気持ち。

安心のあまり、ちょっと仕事がふわふわしてしまった今週。

年末までは意外にイベント満載。年賀状はいつ書けばいいんだ。

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2009.12.07

速報→「累累!(るいるい!)」メタリック農家

2009.12.6 17:00

小説化が決まっているのだという葛木英の短編集と映画の組み合わせ。無償の当日パンフはやるところがやれば1000円は取りそうなフルカラーの立派なもので気合い十分。105分。7日まで駅前劇場。

男が朝起きてごく普通の一日が始まるはずだったが、妻は朝からAVを見ようとしていて「鏡」。
風俗風の女の休憩室。彼女に惚れているホスト風の男が一世一代で告白してみるがあっさりと振られる。彼にはあまり時間がなくて「牛」。
クリスマスを迎える男の部屋。動くことのない彼女のためにプレゼントとケーキを用意し、あれやこれやと話をしながら実に楽しそうだが「型」。
ユニットバスに居る人魚。水から離れられず多少不便だが快適な毎日を過ごしている。部屋の主は昼も夜も働きづめだが、追いつかない。そんなある日秘密を見られてしまい「泡」。

料亭で働く男。ある日水槽の向こうに透け見えた女に恋をする。同じ料亭で働く女のことを、親方は訳ありだからやめておけと諭すが「器」(映像)。

過去に上演されたことのある二本を新キャスト。そこに新作二本と、映像一本を詰め合わせパッケージ。基本的には出落ち風のワンアイディアを引っ張りきったり、あるいはそこから少し切ない感じにまとめたりという感じ。

「鏡」はワンアイディアの勝負。どたばたコミカルがともかく大切で、妙なことをする家族たちを前に、半海一晃があせり、じたばたするところが見せ場で、その力は圧巻で見せつけます。

「牛」は過去WHATCOLORで上演したことのあるもののキャスト一新版。少々舌足らず風にしゃべるところがらしい感じで気楽に楽しめる。切なくなりがちなのに最後までコミカルで通し切ります。

「型」は痛い感じからファンタジーと想わせて強い切なさに流れ込む終盤が圧巻。動く役者はほぼ一人という終盤までの間、時にコミカル時に痛い感じで走りきる板倉チヒロの力は確かです。

「泡」は過去公演(富士ロック)でのキャスト一新再演。正直に言えば、あたしは初演の方がもっときりきりした精度があるかんじで好みでした。特に鍛えられた体でかっちり動き、焦り風に見せるのが巧い初演の板倉チヒロ相手では少々分が悪い。高木珠里は初演とは違う新たな感じになっていて印象的。

映像はワンアイディアの男女の障壁がベースのごくオーソドックスな作りだけど、「器」というものの位置づけが絶妙な感じ。映像としてちゃんとつくられている感じはしますが、悪くいえば自主映画風の手触りでそこにアレルギーがあると厳しいかも。

このパッケージで、前後に葛木英がパソコンをたたくアイキャッチを挟みます。当日パンフといい、じつは小説をプロモーションするための舞台という感じになってるともいえて、少々の違和感。それでも、ここまでつくりこんでがっつりやってしまえばアリだという気もしてきます。

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速報→「月いづる邦」La Compagnie An

2009.12.6 14:00

母親とキーワードに、どこから来てどこへいく、ということを中心に描くラ・カンパニー・アンの新作。90分。土日昼公演には15分、3曲ほどのジェストダンスライブも。7日まで座・高円寺1。

老婆が語り、話を聞く若者と記録する女。彼女のはなしはあちらこちらに飛び、宇宙から素粒子までさまざま。日本人っていうものの起源はアジアのあちらこちらからの流入で、それは突き詰めるとアフリカに行き着くのだという。

物語というよりは、「世界は一つ」観を強く意識して、どちらかというと主張が勝る骨格。台詞はあるものの、ダンスに分類するべきなのでしょう。それでも、台詞と(彼女たち独特の)ジェストダンスのわかりやすさ、加えて当日パンフでの説明までいれているおかげで、アタシには見やすい感じ。吉良知彦と小峰公子の音楽も充実しているおかげで、ショーとしての満足度はわりと高いのです。アタシ個人としてはもうすこし物語をみたい感じはあって。それはこういう題材の取り上げ方をする以上は物語中心というのも難しいのだろうなとも想うのです。

公共劇場にありがちでここも例外ではない、広くタッパのあるこの劇場を埋めるのは並大抵ではありません。空間を空間としておいたまま、広く動き回ってきちんと埋める力は身体で見せる彼女たちの強みなのです。

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2009.12.06

速報→「ネコロジカル・ショートカット・ネコロジカル」猫の会

2009.12.5 19:00

猫の会。実力派の役者をそろえての90分。7日まで日暮里・d-倉庫。

東京の郊外。おばあちゃんの住んでいたマンション。亡くなったあと遺品を整理して姉妹と猫が住む。隣はミュージシャン、反対の隣は爬虫類・両生類を飼う女。街には思い出を追いかけて廃線の痕跡を探す「教授」と、コンビニを切り盛りする姉弟、怖い男も居たりして。

正直に言えば、少々登場人物が多い印象があります。メインとなる姉妹・教授・猫に比べて周りの人々の描写が薄い感じは否めません。ならば彼らに見せ場を用意すればいいかというとことはそう簡単ではではなくて、ほぼ何もおこらないこの話を描くには90分という長さはほぼ上限に感じます。

飼われている猫が隣の家、反対の家、コンビニをするすると渡り歩く姿を描きたいということはすごく感じます。そのために芝居の中に「街」を立ち上げる必要があって、そのために人数が必要になっているというのはアタシの解釈。どこから来たかわからない猫がルーチンとして場所を渡り歩く感じは、猫に詳しくないアタシでも「らしい感じ」でおもしろい。日暮里という「猫」の聖地っぽい場所 の土地柄も楽しい。「神様」も含めて猫を演じた二人の役者(澤唯、池田ヒロユキ)の力は圧倒的で、抑えていても小気味よくて楽しい。

ジョージ線なる廃線後の痕跡を探しながら、自分の過去や土地の過去を巡ろうとする老人も、そんな街の奥行きを増やしています。練馬大火とかクラウンハイツという(おそらくは)創作の歴史をからめながらみえてくるのはちょっといい感じ。池袋から出る西武・東武系沿線を想定している(そういう台詞があるし、練馬だし)ようなのだけど、アタシの頭の中ではかってに多摩近辺 (1, 2)の印象に置き換えて見ていてそれはそれで楽しい。

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速報→「ボクダンス」孤天・コマツ企画

2009.12.5 15:00

コマツ企画の川島潤哉による一人芝居企画の二回目。80分。6日まで千歳船橋・APOCシアター。

ダンスを生業としているらしい男。日常に流されそうになったり、暮らしをしていたり、何かを変えようと考えたり。

ダンスの男を中心ということは多くのシーンにでてくるからわかるのだけど、点描されるさまざまなシーンは、笑いも少なくて戸惑い、特に前半はあまり見やすくない感じ。うむむと見続けると、後半でぽんとおもしろくなる感じがあります。実直にまじめにつくっている印象で、点描されるシーンの中から、その男が浮かび上がります。

終盤の一幕、ダンスをする男とそれを見ている批評家然とした二人のシーン。ダンスの男の独白が住んでいる場所の「おじさん」のことに及んだあたりで物語は最高潮に達します。カーテンコールで「おじさんのはなしだけが事実で」というコメント。なんていうことなかった事実が、突如そのタイミングで発露してくるというのは人間の気持ちの如何ともしがたいところ。その持て余し加減の感じが実にいいのです。そのダンスの男の方だけみてるとか「カステーヤ」っぽいのだけれど、そこに一定の分かりやすい解釈をかぶせてくれる本作の方が数段アタシには見やすい。

アタシの好きなシーンは後半に集中しています。服を買いにきた客(=ダンスの男)を上から目線であしらう店員然とした女(落ちがちょっとしゃれている)とか、町で偶然子供の頃の友人に出会った筋金入りのいじめられっこ、なんてのはちょっといい感じなのです。

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2009.12.05

速報→「午后は、すっかり雪」青☆組

2009.12.4 19;30

青年団リンク・青☆組の新作。生誕80周年となる向田邦子(wikipedia)をモチーフにしながらも、再構築。女性を描く若い女性作家の確かな力95分。13日までアトリエ春風舎。初日二日目に設定されていたトークショーを狙ったわけではないのですが、気がつけばこういうことに。

毛布にくるまって寝ている男。久しぶりに来る女は売れはじめてホテルに缶詰になって書いている作家は男の家に仕事を抜け出してはスープの仕込みとひとときの休息を得にやってくる。あるいは作家の子供の頃の家族の風景、妹の嫁いだ先、嫁がなかったもうひとりの妹のこと。

向田邦子の生きた昭和という時代とはいえ、実際のその生涯というわけではなく、昭和38-39年のオリンピック直前と昭和63-64年の昭和という時代の終わりという二つを軸にするように構築。彼女の人生を物語として描くと云うよりは、それをモチーフにしながら時代を、しかも女性の置かれた立場を強く意識して点描した印象。粗暴で感情の表現が巧く出来ない男とそれに尽くし耐える女たちの世代を30年代(「父の詫び状」が象徴的)に求め、現在に繋がるような優しい男と自由を(あの頃よりは)獲得し女たちの時代を昭和の終わりに描きます。

多くの参考文献をあげ、名前を引用しながらも、時代も時系列も人物もおそらくはかなりの部分を創作したかたち。歴史の中にフィクションを潜り込ませるということではパラドックス定数が思い浮かびますが、それよりはもっとエモーショナルに振った感じ。こういう物語空間が心地いいあたしには至福ともいえる時間なのです。

缶詰になりながらばりばりと放送作家の仕事をこなしてまさに上り調子の女と、優しいけれど仕事に就くことが出来ず多少の引け目を感じている男。この二人の静かな空間が実にやさしい。「目標を俺に合わせないでほしい」という会話をやりとりする二人に泣かされます。

あるいはシンボリックな「昭和の男」二景を描く30年代。一家の長たる父親の前に三姉妹と母親。威張り怒鳴り散らし時折愛情。あまりにステロタイプな描き方は客席に笑いを起こすけれど、あたしはむしろ泣いてしまう。これはアタシには原風景でも何でもないのだけど、そこに子供を育てるということと、間違いなく団欒(父親が寝てからの四人が秀逸)あったある種の当たり前をアタシ自身が手に入れられてないってことの屈折した気持ち故、という気がしないでもないのだけど。もう一つのばりばりと働く車のセールスマン夫の妻の風景は、もっと経験のない風景だけれど、酔って帰ってくるシーン(放送台本の体裁を取っている)がちょっといい。

セットはむしろ無機質な張り出しの島で、ちゃぶ台、毛布といった小物(でもないか)をシンボリックに置きながら世界を立ち上げます。

邦子登場のシーン、帽子姿で毛布に近づき座る姿を観るだけで、もう向田邦子にしかみえなくなってしまっている福寿奈央が実にいい。ある種の天真爛漫さがあることがこの人を作り出している印象を見事に体現していて声も実によくて。唯一一人の人物の二つの時代を演じる天明留理子も印象的。羽場睦子のコミカルさ、時代を耐えた妻の姿も印象に残ります。

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2009.12.04

公演、集中しすぎ。

木曜日はブラタモリをリアルタイムで観てtwitterしなきゃと思うから観られませんが、今週はちょっと多すぎると思うのです。アタシ的にはあきらめる公演が沢山なのはものすごく多い。

公演重なりすぎの特異点。

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2009.12.03

速報→「In The PLAYROOM」DART's

2009.12.2 20:00

アタシは初見のDART'sの新作。開演は遅いけれどがっつり見応えある105分。6日までルデコ4。日曜日は満席近いという噂も聞きます。できればその前に。

ミステリー作家のファンの人々。それぞれに本を書店や宅配で期待のシリーズ最新刊を手に入れ読み始める。プレイヤーと名乗る犯人の残虐だがしかし手口とスピード感で人気のシリーズは6巻を数えている。
挟まれている招待状に目がとまり、謎に包まれている作家に会えるかもしれないという期待を持って渋谷の廃墟のビルに集まる。彼らを前に作家はスランプなのでファンを集めて物語を紡ぎたいという。プレイヤーから届いた挑戦状はプレイヤーが鬼となる鬼ごっこを、渋谷区の中に制限し60分の制限時間逃げ切ったら助かる、というものだった。

ミステリー小説的な語り口の序盤。その後は部屋の中心にテーブル置かれたを囲んだ役者はほとんど動きません。最初に全体に顔を見せる演出は、後半にかけてほぼ動かないこの芝居のしつらえでは正しい選択なのです。

徐々に参加者が殺されていき、作家は時間と可能性を確実に方向付けながら物語を運ぶ序盤。中盤までは殺されるシーン、あがく人々をきちんと描いていきます。リアルなシーンは一つもないのに、台詞と役者のちからで思わず泣かされてしまうような強さ。作家が方向づけ、適切に端折りながら疾走感を。

後半は、この世界の落とし前をつけるような流れになっているのは少々手垢を感じなくはないのですが、それでもきっちり嘘といくつかのサプライズをきっちり貫き通すことでちゃんと世界ができあがる凄みがあります。

劇場のあるルデコ×印を付けた渋谷区の地図が配られています。その中での鬼ごっこをおいかけながら楽しめるのは面白いのだけれどむしろ迫力があるのは、渋谷駅周辺、たとえばハチ公、東急百貨店、スクランブル交差点、宮下公園というあたりの細かな描写。 「12人の怒れる〜」につながるような密室劇風味の序盤がアタシは大好きです。笑いは少なめだけれど小気味よさもあって、ある種パラドックス定数のような緊迫感が楽しい。小さな椅子で入り口の側の最前列に座っても、お尻の痛さなんてものは感じないのです。

鈴木麻美は医者役がやけに多いけれど、アタシとしては「ドラマ進化論」の作家役が思い出されてがっつり。この座組でも声が圧巻なのは強み。川田希は、まるでラスボスのような最後の登場だけれどそこにしっかりと立つ力。探偵を演じた國重直也、作家を演じた服部紘二、編集を演じた島田雅之 の男っぽいがっつり四つも迫力。

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