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2009.11.02

速報→「プレイバック Part3」チャリT企画

2009.11.1 14:00

チャリT企画の第20回公演は戦後日本の右だの左だのをめぐりながらイデオロギーに思考停止しない105分。3日まで王子小劇場。

日本を代表する作家がなくなり、全集を発行するにあたって身辺の資料を整理に訪れる編集者。膨大な取材テープの内容を確認するうち、戦争中に作家自身が南京で行ったことを告白するテープが現れる。

時代が変わり今よりももっと若い世代の右傾化がすすみ過激な論調もあって、右翼運動としての学生運動すら起きているという近未来を設定。 大虐殺はあったのかなかったのか、に代表される戦後歴史教育における史観の問題を真正面から。真実を明確に語る証拠がなく、事実なのかどうなのか、もし事実だとしても それを今更公表する必要があるのか、という何段階にもわたる議論のありかたを描きながらも、作家の女性問題をめぐり家の相続をめぐる遺言がないことにこじんまり投影しながらつくる構成。とっつきにくくなりがちなことを卑近な形に単純化して見せる中盤はわくわくとします。

史観がどうか、ということは見方だからそれぞれにあるのだろうけれど、それで議論をしようとか明らかにしようとはせず、むしろ観て見ぬ振り、避けて通ろうとするあたしです。そんなあたしに、軽い語り口でも切っ先を突きつけるような迫力がこの芝居にはあるのです。

ネタバレかも。

戦争ヨクナイと紋切り型で大団円かと思いきや、作家はそこにとどまりません。終盤でみせる教師の陰のある笑顔の意味は、ということが今一つ腑に落ちないのだけれど、広い屋敷の中から抜け出せずに何度も同じところに現れてしまう大学生の姿は、もしかしたら「いつかきた道」ということなのかなと想ったり想わなかったり。

末娘を演じた米田弥央は凛とした美しさが作家の娘らしく説得力。編集者を演じた石黒圭一郎は軽さと説得力を合わせもっていて印象に残ります。

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