速報→「ブロークン・セッション」elePHANTMoon
2009.11.22 14:30
elePHANTMoon、4x1hでの20分の短編を膨らませる形での75分。23日までサンモールスタジオ。
ごく普通に見える台所だが時折家の奥から悲鳴が聞こえてくる。奥から出てきた女はすっぽりとかぶったゴミ袋に血をつけている。奥にいるのは、ある事件の加害者で、子供を殺された親たちが、その犯人に暴行を加えて賠償としていて。
払えない賠償金を被害者の親たちの暴行という形で相殺しよう、というワンアイディアの前半。「犯人を殺してやりたい」という、いわば常套句をギリギリのところで成立。幸いにしてどちらの立場も経験がないアタシは、ここにリアリティがあるのかどうかはわかりません。これを納得して始める人々と、仲介しようとする人々が居る、ということは無条件に了承するしか物語を読み進むことができません。なのでそこは判断停止のアタシです。ここまでの骨格は4x1h。
中盤、映像を撮ろうという少々傍若無人な二人の描き方はアタシの腑に落ちる感じ。都合のいいことだけを拾い上げ、切り取り、づかづかと踏み込むのは編集というものの宿命だけれど、そこを映像に近い立場の作家だからこその冷静で自分を見つめる視点は頼もしい。自分自身の犯罪行為すら、記録せずにはおれない、というあたりの脅迫観念は、一人で旅行して自分の写真を撮り、twitterしまくってしまうアタシの病的さにもはまる感じがします。
終わらない復讐劇はごくあっさりと、唐突に終わりを迎え、芝居はあれよあれよと「壊れて」いきます。人物の動きは衝動的でつながりが無く、どうにもいきあたりばったり。そこまで見せていた人物の厚みが一瞬で薄くなるのはマンガ的ですらあります。 血塗れだったり解体だったりとことさらにグロなことを物語に取り込んでいながら、実際には見せずに、ごくごくあっさりと。ちゃちになるよりはこの方がよっぽど正しい。
物語を描かない新しい手法というよりはもって行き場に困ったのではないか、というのがアタシの勝手な解釈ですが、たしかにそのタイプの映画もあるわけで、表現としてダメというわけではありません。舞台上に役者を乗せずに、役者たちが奥に引っ込み、声だけで描かれるシーン。時間の経過を示す照明は細かく美しい。
終幕近く、小林タクシー演じる男が逃げた理由をまるで小学生の言い訳のように延々話すくだりがちょっといい。ハマカワフミエの包丁を持った冷たい笑顔もちょっと見せますが、前半目を真っ赤にはらしていたのにホラー映画の話にのっかる時の無邪気な笑顔もアタシは捨てがたい。永山智啓・酒巻誉洋のふたりが落ち着いて全体を締めていて安心感なのはここの強み。
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