速報→「て」ハイバイ
2009.10.4 14:30
2008年作の再演。すれ違う家族の物語がストレートに響く110分。12日まで東京芸術劇場小ホール1。そのあとの北九州公演は作家自らの母親役が抜群なのはわかっているので、そのころ九州居るはずなのに見られないのが悔しい。
離れに住む祖母。母親と長男が長い間面倒を見てきた。かつての父親の暴力が許せない家族は、全員で集まるということを長いことしていなかったが、長女の提案で祖母を囲んで一度集まろうということにする。が、表面的におだやかに見える宴会も、やはり気持ちはすれ違っていて。
祖母の葬儀の場を起点にし、祖母の部屋、という舞台での出来事だけれども、そこから見える父親、母親、四人の兄弟たちが主軸の物語。ぎこちない宴会の前後の時間軸を 視点を変えて二度なぞることで、理不尽に見える家族の言い分がそれぞれに理由も想い入れもあるのだということがわかる、という物語は初演と同じ。のわりにすっかり忘れていたアタシですが。
対面座席なのも初演と同じ。死角は減っている気がしますが、可能ならば中央寄りの方がよさそう。天井が絶望的に高くてスカスカになりがちなこの劇場なのだけど、装置はほとんどないそぎ落とした空間なのに、これだけ濃密な物語をしっかりと描き出す確かな力。ここでできるなら、平場にできる劇場ならほぼどこでも通用しそうな、公共ホールならば何処にでも持って行けそうな強い力を感じます。
物語の上では過去の出来事ゆえにヒールの父親。そこに悪意などひとつもないのに、「そうなってしまう」悲劇。嫌みのすぎる長男、執拗にカラオケを勧める長女、友人を連れてきて賑やかにしたいという次男、ちゃんとこういう場所にはくる次女。この家に居続けた長男の想い、ここから家族をリスタートしたい長女。その想いのすれ違いは善意のゆえに、絶望的ですらあります。その全体を母親が見つめる印象的なシーンでアタシの気持ちを揺さぶります。
それぞれの思いが空回りしたとしても前に進んでいかなければならない「生きている人々」。終盤の火葬場のシーンはどこか滑稽に見えるアタシたちはまるで仏の視点のような感じすらするけれど、その中で踊り続けていかなければならないのは、実はほかならないアタシたち自身なのだ、ということに気づいて呆然とすらするのです。
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