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2009.06.30

旅立つ人に。

先週末は古い友人と集まる呑み会。国内とはいえ少し遠くへ行く人を囲んで。久しぶりすぎるけれど出会えば昔のまま。飲み過ぎるのも昔のままなアタシ。いろんなアタシの原点を早送りで見てるような不思議な数週間、懐かしむのは年寄りの癖ですかそうですか。

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2009.06.29

速報→「15 MINUTES MADE VOLUME6」Mrs.fictions

2009.6.28 18:00

Mrs.fictionsによるショーケースイベント。安定した感は新発見より他で評判のいい劇団を集める方向に転換したとも云えるけど、だからといって圧倒的な強さという分けじゃないところが難しい15分の魔物。「おわりの会」イベント、途中休憩10分を挟んで150分。28日までシアターグリーンBOXinBOX。

■【ボーイ・ミーツ・ガール】ロロ

101人目の女の子は、突然告白してきた。東京には殺人鬼が跋扈し、元カノのことも思い出して。

ごく静かな会話劇かと思えばさにあらず、屋台崩しのようなコミカルいっぱいの。どうにもならない、好きだと思う気持ちをローションプロレスので、というのはまあ表現ではあるけれど、芝居なのか、これ。とか。

■【パーフェクト】掘出者

突然母親だと名乗るおんながやってきた。自分よりも年下の女なのに母親なのだと言い張るのは理由があって。

母親だから無条件に愛情もてないというのがベース。愛さなきゃいけないという縛る気持ちはあるけれど、近づけない。ワンアイディアとしてはちょっといい視点。それで押し切るには15分は少々長い印象。

■【隣人と祝福】26.25団

隣に住むイケメンの大学生に恋をした冴えない女、となりの音を聞きながらそれに会わせて生活をするほどに恋い焦がれる。いよいよお近づきになろうかというタイミングを図るが。

隣人の生活音に合わせて生活する、なんてネタがちょっと面白い。普段は作演に徹する杉田鮎味の挙動不審女はいわゆるオイシイ役だけれども、圧巻で場をさらいます。両親のビデオメッセージの恥ずかしい感じも面白いけれど、それが終幕でいい味に変化。タイトルの「祝福」は恋に恋する自意識からの卒業かと思ったり思わなかったり。

■【遊ぶ金が欲しかった】バナナ学園純情乙女組

同級生の友人を殺した女、バックについている暴力団はこの不良グループのバックについているが、彼らからの資金が切れることを恐れ隠し通すことを強いられ。

彼らの得意な再演作。「おはぎライブ」を封印し物語り中心に構成したのが功を奏して濃密な15分に。最初の二言三言で速度には慣れるけれど、そこが「よれる」ような感じで実に聞き取りにくいのはこの濃縮の弱点。

■【早く行け】ワワフラミンゴ

正直に言って、物語を捕らえるのはほとんど無理。偽金を口に含んでより分ける仕事、美味しいと思うものを固めて団子にして山に登る話とか、歯磨き粉なんて嫌いな女二人とか、ここは家なのか、でもあれは入り口じゃないとか、結婚するから三角パンツを穿かなきゃと告白するがみんなそうだとか。とりとめない話でころころと笑うオンナノコたちの会話を耳そばだて聴いてる楽しさ。

普段ならば物語を拠り所にしたいアタシなのだけど、こういう空気はクスクスと楽しい。人には勧めづらいのだけど、好きだと思ってくれる人なら友達になれそう感というのは、たとえばトリのマークとかかつてのベタポに近い感覚なのです。

「アタシのウエストこんなもんじゃないよ、まだまだ締められるよ」が爆発的に受ける空気も楽しい。

■【まわる。】Mrs.fictions

神様と呼ばれる男。神様の視界の端には立ち飲み屋で会話している男たちの会話が見えていて。その男の恋人だという女が神様に会いに来て、神様は恋していて。

道具立てのおもしろさ。反面二つある場所で同時多発の会話というのは聞き取りづらいだけであまり巧く機能していない感じなのは惜しい。

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速報「鳥の飛ぶ高さ」青年団

2009.6.28 14:00

青年団の日仏交流企画のプロジェクト。7時間だという初演の超短縮版をさらに日本の企業に置き換えた翻案版2時間20分。京都のあと、28日までシアタートラム。

日本の中堅便器製造会社。社運をかけた新製品の売り上げもふるわず、外資メーカーの攻勢が厳しく、買収の危機にさらされている。たたき上げの二代目社長が倒れ、次男がその路線を継承しようとしたが、銀行はフランス帰りの長男を社長とすることを融資の条件とした。フランス人コンサルタントが乗り込んできて...

売り上げ低迷とか外資とか、イマドキのサラリーマンならばまるで客観できないようなネタのオンパレード。翻案されているとはいえ、1970年にかかれたのだという元の戯曲が少なくとも現在のアタシの気持ちには身につまされる感。日本の神話やルアンダの虐殺、果ては社内抗争をめぐる色恋沙汰に至るまでさまざまな対立・融合というか包含のプロセスを少々コミカルに、しかし戯画的ではありながらも今の日本に居るアタシに実感を感じさせるのです。もちろん人によってとらえ方は違うでしょう。

外国人が演じ、外国企業の話とすること、ぎゅっと圧縮していることで、作演の意図は今一つとらえづらいところもあります。愚直に見れば、取り込まれるプロセスの泣き笑いを俯瞰して描き出しているともいえるのだけど、フランス人コンサルタントやブレストのある種の万能感を成功のプロセスとして描いているようにも見えるし、逆に少々胡散臭く描いているようにも見えます。アタシはむしろ劇中追われる側の次男に近く、この種の手法に真っ先にいかがわしさを感じてしまうバイアスをかけて見てしまいがちなのですっきりしない感じは残ります。もちろん経営者たるもの、外部の視点はほしくなるものだし、そうあるべきだとは思うのだけど。

反面、人間はまるで書き割りのような「役割」に徹して描かれているような感じがあって、個人として生きて立ち上がってきている感じではありません。葛藤があっても「そういう属性」として描かれている感じがします。それがフランス風なのか、経済戯曲なるものの語り口なのは、はたまた作演の個性なのかはいまひとつわかりません。

でも、チラシにあるとおり、「経済戯曲」という側面は確かにあって、 違和感を感じたとしても、おそらくはそこら中で起きていることをリアリティを持ってしかしデフォルメして、そのまま見せているというところはあって、それをいいとか悪いとか作家の見方がどうとかいうこと自体が無意味だという気がしないでもないのですが。

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速報→「くすり(^^)フィンガー」Cappa

2009.6.27 14:00

恋文酒場、という実在する居酒屋に集う役者たちの旗揚げ公演。らしく、その酒場で働く人々を120分。29日まで駅前劇場。

アラスカに旅立つ男の壮行会。居酒屋で働いている仲間が送る。隣には女性二人が最近越してきて。大事にしまった筈のパスポートも餞別も翌朝行こうとしたらなくて、ほかの仲間に顔向け出来ないと、押し入れに隠れてしまう。その押し入れで発見した昔の日記には隣を覗く穴から見えた女の話が。

そうそうたる役者をそろえて、と思えば脇を固める側にまわし、若い役者を中心とした構成。夫婦だの結婚だの恋人だの、相手に踏み出せないだのの物語。ポップなセットや、大音量など、懐かしさすらな感じではあって、物語はベタに感じるのだけど丁寧に紡いでいる物語なのです。正直に言えば喰い足りなさ、というところはあるのだけど、若い役者でこういうまっすぐな物語を運ぶのは、意外に少ない感じの昨今、大切なこと。ならば演出の意図は正しく機能していると思うのです。

劇中でラフカットのチラシをそのまま配るのは、観客から見るとファンタジーっぽさも含めて物語のなかに入ったのに、急に現実に戻ってしまう番宣番組のような感じがして違和感。関西から来た、という設定の三人の会話がどこまで自然かはわかりませんが、なじみやすい感じがして見目の美しさ含めて楽しめる感じ。

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2009.06.25

会えない人、久しぶりの人。

あたしには師匠って人が何人か居て。

芝居(観劇)には何人か。いまでもたぶん大部分の人とは劇場で顔合わせたりして、たまには呑んだり。

芝居を見始める前に、Macintoshとか、パソコンとか、Excelとかに対してのアタシの師匠というのが居て。学生の頃のバイトで知り合った一廻り上の京都生まれ。キューハチでも買おうかと思って横浜の石川町で始めたバイトなのだけどそこで売ってたMacintosh Plusを彼に勧められて買ったのがすべての始まり。(安くしてくれたから買えたけど、それでも夏休みの全部つぎ込んで、しかもHDDは買えなかった)。草の根BBSなんてのを始めて、そこで芝居の感想を書き始めて、もっと広い場所を求めてNIFTY-Serve(古いねしかし)のFSTAGEに出入りするようになって。

理系学生のはずなのに、思えばそこからエンジニアを踏み外した感はありますが、それでも、テクノロジーだけじゃなくてクールなものがある、ということを発見し、そのあとにデータの持ち方ってものの基本を教わり、販売、フィールドサポート、教室の現場など様々を見せてくれたのは、アタシの大きな財産なのです。もっといえば、今の会社に入ったり、その人々と出会えたってのはすべては彼から始まったこと、だと思うのです。彼の訃報を聞いたのはこのまえの週末でした。火曜日に会社を早退して(葬式で、というのは初めてだ、たぶん)、顔を見に行きました。もうずいぶん会ってなかったけど、あのころのまま。涙こそ出なかったけど、じわじわと効いてくる感じがします。

そういえば買ったままちゃんとマスターしてない本があります。ゆっくり、ゆっくり文章をかみしめながら読んでみようかと思って本棚から引っ張り出しました。これが、最後に教えてもらえることかな、と思いながら。

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【落語】「三之助をみたかい? vol.9」

2009.6.24 19:30

真打ち昇進の決まった三之助が続けている独演会。ちょっと遅刻しちゃったけど、のどの調子が悪いらしくて通常三席を二席にぎゅっと圧縮。まくらも短めでやれば出来る21時ちょっと過ぎ終演。日暮里サニーホール・コンサートサロン。

会社から運転手付きの車で戻った主人、迎えがないことから始まり家のあちこちに文句を付ける。奥さんは実家に帰るが父親に諭されて戻り「かんしゃく」(なぜかwikipiediaにはエントリがない)
植木職人がお屋敷で見聞きしたことを家に戻って「青菜」(vol.4でも)

ちょっと友人という気持ちが勝手にあるアタシですので、この会で選ぶ噺に、勝手に文脈を感じてしまうのです。奥さん(かみさん)をフューチャーしたと思うのだけどどうだろう。

「かんしゃく」は初めて。明治期の新作なのだといいます。たしかに言葉遣いどころか所作、出てくるものすら違います。もちろん、途中で着地点は見えますが、落語ですからそこは大きな問題ではありません。前半での主人の理不尽さをどれだけ出して、後半の落差をどれだけ出すかが落語としての骨格だだと思うのですが、アタシが好きなのはその間を繋ぐ、実家での父親。時代とはいえ、夫を立てることを諭すというところから入りつつ、じゃあ娘(妻)自身はどうしたらいいのか、ということがちゃんとソリューション(今風だなこれ)があって、それを実行したら、圧倒的に幸せ、という感じが実にいいのです。この諭す三之助がちょっと凄い。

「青菜」は途中まできて過去に聴いたことがある噺だと思い出しました。外で見てきたことを身の丈に合わないけれど真似するおかしさが爆笑編につなぎますが、そのおかしい夫婦の姿が、あふれるほどの愛情を感じさせて実にいい噺なのです。押し入れに隠れる、なんてことのばかばかしさとその情景が目に浮かぶのです。

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2009.06.22

速報→「空耳タワー」クロムモリブデン

2009.6.21 17:30

20周年を迎えるクロモリの新作、千秋楽。90分。

息子が女友達を刺して家に戻る母親は知恵を授けて瀕死の彼女を助けて家に幽閉しようと考える。息子は携帯電話を拾っていて、犯人をでっち上げる証拠にしようと警察に提出する。犯人とされた男のアリバイはふらりと入ったという神田駅の薄暗い場所で公演していた芝居、「空豆タワー」のあらすじを説明できるかにかかっていた。それを捜査する女刑事、署長。

荒唐無稽なベースはあるものの、きちんきちんと物語を積み上げて追っていったり、終盤もきちんと収束させていく感じになっているのは実に大人といえば大人の赤坂風味。やんちゃ度合いとか空間制圧とか大爆音とかという点では体温下がっている気もしますが、実にみやすくて物語を追える感じになっているのは広範囲の観客にリーチするような力を感じさせます。

音を重視する作演らしく、序盤は耳に心地いいリズムが続きます。会話の横で繰り返されるような単語は確かに頭の中に響くような感じがあって、台詞のおもしろさもさることながら、頭の中でリズムがずっとなっているようなグルーブ感。いままでは音楽だったり、あるいは一人の台詞のリズムだったものが、なにか重層的な感じに厚みが出来ていて。このリズム感こそが彼らの持ち味だと思うのです。

「お芝居」から派生して オシビーなる丸と三角と四角からなるオブジェのようなキカイで役者の演技を数値化するというネタがちょっと面白い。そのキカイはあたしたちを幸せにするかというのは別の問題だけどちょっといい。演劇をネタにする芝居は数あれど、内輪感に落ちないのも突き抜けてたりバランスがよかったりするのだなぁと思うのです。 観劇マニアを揶揄する台詞にちょっと後ろ指感もありますが、それも十分笑えておかしい。うあ、どんなネタだっけと思い出せない...。

終盤で音楽だけで無言のシーンが連なります。銃が次々と撃たれ人が死にという絶望感一杯に落とし込むかと思えばさにあらず。三つのオシビーに光があたり、セールスの女が祈るような身振りをすると、同じシーンなのに人は死なず、幸せになっていくような終幕に。クロムらしくないといえばそうだけど、現実がこんだけ悲惨ならば、これもありだよなぁと思わせるのです。

すのこ風の板でカウンターのような隠れ場所を作り、そこから上下しながらの出捌けを徹底するのも印象的。特に後半の「撃たれる」シーンではまるで射的の的のようでものすごい効果があります。

なまいき小娘を演じた渡邉とかげ、短絡青年を演じた久保貫太郎に飛躍的な成長を感じさせます。木村美月は公演を重ねるたびに若返っていくような感じ。色気一杯であたしは楽しい。 板倉チヒロのドラッグクイーンぽいのは楽しい。抑え気味の森下亮は新しい感じ。金沢涼恵は上品さを感じさせる役、意外に(失礼だ>あたし)似合う。

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速報→「ヨシザキ、カク語リキ」バジリコFバジオ

2009.6.21 15:00

人形を遣う劇団、バジリコの新作。人気の作家ピチチ5の福原光則の原作で。28日まで劇場MOMO。劇団サイトの道順動画が楽しい。

万引きに悩む100円ショップの店長。独立を考えて貯金をしていたが、妻の父が犯罪を犯し刑務所に入れられ計画はおじゃんとなる。ある日、バイトの男が追いかけた万引き犯は、バイトが高校生のころの転校先の女教師だった。

人形劇との融合のようなことをやっている彼らなのだけど、造形も操作もかなり凝っているのは変わらず。幕で隠す普通のスタイルのほかに、役者にくくりつけて支えながらというのはちょっと凄くてスピーディ。こういうの子供が見たら熱狂するか熱を出すんじゃないか、という迫力があります。 確かにほかのどこにもない感じの舞台。人形を操るというのはキャッチーで印象に残ります。

今作に関して云えば、物語は日常の延長から始まるのだけど、自在に時間も空間も飛びこえていきます。でも、強さのあるシーンもあって。あたしが好きなのは高校生の頃のイケてない男たちの鬱屈した感じのシーン。魚と王子の唐突な人形劇に??となるけれど、それもちゃんと回収されます。転校生が最初に入るグループが重要で、イケてないところに入るより人気者に近づいた方が得策で、そんな感情をイケてないグループの少年たちがちゃんと理解してアドバイスして送り出す、なんてのは一瞬泣きそうにすらなります。

かと思えば、牛丼太郎にまつわるシーンでの少々意地悪い見方とか、バイトと社員の、みたいなちょっと沁みる風味のシーンも。

山咲先生を演じ主宰も兼ねる木下実香が芝居でも圧巻。人形を操る表情から、パワフルなシーンが次々。吉田麻生は得意技の子供キャラで勝負しているので良くも悪くも安定。店長を演じた嶋村太一はものがたりの前半をきちんと支えます。

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2009.06.21

速報→「芍鸝(シャックリ)」乞局

2009.6.20 19:00

乞局の新作、少々混乱していきながら終盤でするすると収束する90分。駅前劇場。22日まで。

独立した国を作ったらしい会話のぎこちない人々。その創成のメンバーが第二期のメンバーを迎え入れる。その国の中央には便器があって、一人女が籠もっていて。

体温の低い会話から始まり出国とか入国とかの言葉から始まります。早く入ったわりに当日パンフを読まなかったアタシは、ホームレスの話だということをわからずに観ていたので微妙に混乱したりしながら。でも終盤に至りするすると収束しますから大きな問題ではありません。チラシの説明だともっと適切で、公園に居るホームレス、隔絶した生活はやがて自分たちが独立した国の住人であるかのような錯覚を生み、自らを神だと言い始めるが、すべてを背負う中心にはならない。そこにすっぽりとはまり込んだ女、という構造。

OLらしいベージュのスーツの女が何人かでてくるあたりでも微妙に混乱しますが、観ていると、一人の女が内面で自省とか混乱していたり、あるいは若い頃はあんなにすてきだったのに今は、というようなある種の幻滅などの一人の中を「分身」として見せるやりかたは混乱させるものではあります。でも、作家が女性に対して抱く距離感と崇拝感とがない交ぜになったような見え方が濃縮されて現れているような気がして、面白いのです。特に夫婦の会話は作演を兼ねる下西啓正が圧巻ですが、同時に女性に対して触れたいかどうか、という微妙な距離感。それでも当日パンフで子供が云々とかいていますから、それはそれ、なのですが。

ホームレスたちの方の見え方はそれに比べると人数が多い分だけ薄味になってしまっているような印象はありますが、「観客」に向かっての謝罪の嘘くささといったらなくて印象に残ります。

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速報→「一人オリンピック~千の仮面をもつ女」高木珠里ひとり芝居

2009.6.20 15:00

高木珠里の一人芝居企画。千の仮面と題しての75分。29日までリトルモア地下。

魔法が使えなくなった少女。町ではパフォーマンス・オブ・チェアなる芸をする芸人と弟子の歌が流行り、事件が多発して世界は最後に向かっていったかに見える。少女は世界を助けられる、のか。

短いビデオを挟みながらも基本的には一本の筋を持ちさまざまな人物を演じるスタイル。少々大げさにデフォルメした演技が特徴なのだけど、やはり圧巻なのはその声なのです。老婆老人から少女までさまざま自在に行き来するのです。blogに芸人が好き、みたいなことを書くだけあってインパクト勝負の老人やらが目を引きますが、後半に登場する恋する少女と老いた女歌手というのがあたしにはツボだったりします。

時間を飛び越えてみたり、巨大化してみたりと支離滅裂さ加減の物語はブルースカイ風でアタシは懐かしくも楽しい。笑いという点では薄い感じもしますが、それでも、この濃ゆい演技をこの狭い空間ですから、1時間も観れば相当におなかいっぱいで、アタシは満足なのです。

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2009.06.18

真打。

仕事の方は多少バタバタしつつも、かみ合ってる感じが嬉しい。

今日届いたはがきが嬉しいのです。長いこと聴いてるのだけど、我がことのように嬉しいなぁ。

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2009.06.16

【イベント】「INU-KERA vol.7」

2009.6.14 19:30

犬山イヌコとケラのトークライブイベント。一周年記念、あたしは初めて見ます。今回は音楽をたくさんな感じ。ロフトプラスワン。終演22時。

前半は音楽のライブ(なんせアルバムも出してるのだ、犬山イヌコ)。それぞれだったりデュエットだったり。15分ほどの休憩を挟んでの後半、変わったことは結婚、から展開するトーク、昭和おバ歌謡の大爆笑編(今検索してYouTubeで聞くとやけにいい曲だったりするのだけど、歌詞がむちゃくちゃなのだ、とか。九重祐三子「また一人」とか。いや、原曲もこんならしいんですが。)、結婚生活やら新婚旅行に行けるのかなんて話題とか。

ぬるいトークは軽妙で信頼できる二人の会話は気楽で楽しい。あっという間の2時間超。ロフトプラスワンのトークイベントでまた見続けたいと思うものが増えてしまったなぁと思うのです。

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速報→「例えば、皮膚」コマツ企画(孤天)

2009.6.14 15:00

コマツ企画の俳優・川島潤哉による一人芝居企画、出突っ張り80分。14日までRAFT。

向き合って四人組で議論し結論を出す男たち、テレビ番組で牛乳パック葉書アートを語り観客の質問に答える男や司会。胡弓を語る男、女を口説く男はどこか胡散臭く端々に組織が見え隠れ、卒業式以来の同窓会で語る教師、忍者の里の市長就任した男に観光施策を提案にきた市民たち、町中で政治を語る大学サークルの男、40年ぶりに舞台に立つお笑い芸人・ヒノマルケンペイ。

一人芝居短編オムニバスかと思うとさにあらず。おそらくは「アートの男」の物語を中心に緩やかにつながったり、言葉がリンクしたりする形でまとまる80分。コマツ企画自体の経験が浅いアタシでも、一度観たら忘れないという高い罵りテンション芸風味で彩られたキャラクタたちオンパレード。

笑わせるところもたくさんあるけれど、脳内のバラバラさ加減を楽しむ感じもあって、まさにそういうドンぴしゃのネタもあるけど、これを一本の芝居でやってしまおうということを考えること自体、頭のなかどうなってんだろうという興味津々。それを演じきってしまうわけで、役者を囲んだ観客の真ん中という息の詰まりそうなこの閉塞した空間で走りきるのはたいしたもの。

四人の相談は理性や欲望やらを象徴する脳内相談風景だったり。アートな男は余裕を見せようとしているのに観客の矢継ぎ早の質問に逆ギレ風だったりと追いつめられていく風も楽しい。こういう個々のキャラクタもさることながら、終盤に向けてぐるぐると渦を巻きながら一つの世界に収斂していく(物語になるわけじゃない)のは不思議な中毒性があります。

アンケートの代わりに質問だろうが感想だろうがあるいは脚本だろうがなんでも答えちゃうアフターメールっていうのはちょっとおもしろい。たしかにこれで十分ってことはあるし、個人企画の規模ならば使い勝手がいい気もするのです。

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2009.06.14

速報「LOVE 2009 Obirin ver.」東京デスロック

2009.6.13 19:00

劇団名に「東京」って入ってるのに東京では公演しないと決めたデスロックのぎりぎり神奈川での公演。2007年上演版を改訂再演。桜美林大学の、駅横にある施設・プルヌスホールで14日まで。80分。

前半は徐々に人が集まり、座ったり立ったりということで会話を成立させていき、好意があったり喧嘩したり。そこにはコミュニティ。後半はデスロックらしい、繰り返し、音楽、踊る。

演出に力があることはわかっているのですが、テキストを頼りに物語が見たいと思うアタシには少々難しい感じだというのは初演と同じ印象。あのときのものすごく狭い空間のあのライブ感に比べると、観客から見るとだいぶ印象が異なる感じがします。予定されている青森公演の広さの方が初演に近い感じ。

座り、立ちということを繰り返して関係と会話の間だの領域を丁寧に埋めていく前半そこで関係は見えても物語を感じさせるまでにはこの枷はあまりに厳しいとも思うのです。 このシーケンスは実に興味深くて好きなのだけど、これで感動するとか泣くとかいう感じには至りません。でも、アタシの周囲には何人もそういう人がいて、終演後に学生らしい人々が、感動してる人とワケワカラナイという人とで会話してるのを聞いたりすると、そういう会話の「きっかけ」になる強度があると思うのです。その気持ちのギャップを感じるためにデスロックに通っているというところはあって自分でもこの奇妙な惹かれ方が妙だなぁと思いながらもついつい。

中盤にはデスロックが一時期よく見せていた、強烈に踊りつづけて、繰り返しというタイプのシーン。踊りのシーンにかんして云うと人間が汗をかいてくたくたになりながらそれでも動き続けるというのはそれだけである種の感動はしてしまうのです。たとえはとても悪いけれど、アタシが通うジムの人々でもスタジオでそれなりの時間動くと上気して綺麗に見えたりするというのは、俳優だけのことではありません。それを差し引いても、女優(いや俳優全般に対して)というのは魅力を醸すのだなぁとも思うのです。

仕草だけで関係が言葉が発せられ、アイサツになり、やがて相手の好みを聞くこと、それに同調していくというのは人類の進化の過程を見るような後半。言葉をよりどころにするアタシにはこちらの方がずっと迫ってくる感じ。ああ、恋愛ってそういうことだよね、というのはすっかり忘れてしまったなぁ、駄目だなアタシ、とか思いながら見ているわけですが。終盤に至り、それが叫びのようなもの、まるで恐竜の鳴き声のようになってしまうのは、言葉が言葉として機能しない一面がある「時代の今」な感じでもあって印象的。

とはいえ、自分が諸手をあげて大絶賛はしないのだけど、こういうのが好きな人が結構居るという事実と理由を確かめるためにまた観てしまうという感じはあります。もっと濃密な空間であるグリーンパーク公演に行く、なんて声も聞こえてきて、確かにあの場所で見たいなとは思いつつ、んー。

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速報→「リサイクルショップ『KOBITO』」ハイバイ

2009.6.13 14:30

ハイバイの新作は、リサイクルショップに集うおばちゃんたちの、でも実はとても優しい視点の物語。110分。16日までこまばアゴラ劇場。

リサイクルショップに集まる、いわゆるおばちゃんたち。その中の一人の娘をつれてきて、自分たちで芝居をして見せよう、という企み。無理矢理のように見せることにはなるが、所詮素人で、人の話を聞かないうえにぐちゃぐちゃ。娘は帰ろうとするが、あとから来た客に彼らのありのままを見続けろと云われ、店に隠れて。

大きく分けて二つのパート。群れて話を聞かなくてノイジーで揚げ句喧嘩までしてしまう「野生のおばちゃん」たちの様子を見せる前半。ハイバイ作品にはよく登場する、ちょっと頭のおかしげな演出家品川(本作では物語に合わせておばちゃんだけど)が素人の劇中劇を頼まれもしないのに演出する、というある種のお楽しみパートを経て、おばちゃんたちの過去を振り返る後半。

今現在がどんなに厚顔無恥でもノイジーでも、そこに至るそれぞれの人生を振り返っていくまるで大河ドラマ。地方で貧乏な家に生まれ苦労して東京にあこがれて出てきて苦労続き、結婚しても忙しいばかりでという女、バブルを謳歌し膨らみきった夫婦の生活から急降下の生活という女。

それぞれの生まれは違っても、彼女たちにも結婚(でもあんまり恋の部分は見せない。惰性で結婚という指摘は合ってる気がする)から、幸せは何だろうと自問自答し、やがて子供が手元から去ってしまうという経験は共通。二人にスポットを当てて対比してみせることで、「誰もが通ってきた」時間のおおまかな流れを共通に感じさせるというのは、アタシの気持ちに深くしみこみます。その時間の流れの先にある、いわゆる「おばちゃん」たちの姿という背景の厚みに泣きそうになるアタシなのです。

作家が描くおばちゃんたちに対する暖かな視線。暖か過ぎる感じすらあって、もちろんウルサく感じているいらいらする感じはあるのだけど、その背景を見せることで「一人の女の半生」みたいな厚みがあって、印象的です。結婚前に恋心的なものをみせないようにしているのも、どこかそのおばちゃんたちに対する作家の想いがにじんでいるようで、気になるといえばなりますが、でもそれはあたしたちが持ってる気持ちの断片だとも思うのです。

品川幸子演じる演出家が素人芝居に演出をつける、という場面はアドリブ的なおもしろさもあって圧倒的ですらあります。

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2009.06.10

カレンダー

プライベートの予定表と会社の予定表は同じにしないといけないのです(でないと、あっという間にダブルブッキング。ポケット一つ原則。)。会社にいるときはパソコンで予定確認出来ますが、会社を出た後にどうやって確認するか。ここしばらくはwindows mobileの携帯を持ち歩いてそこに同期しておく、という運用でした。

それとは別に、google Calendarを中心として、outlookだろうが、au携帯だろうが、googleだろうが、iCal(Macintosh用のソフト)それぞれから同期するというのを試しに使ってみました。うあーすげぇ。これに会社の予定入れたいよなぁ(ポケット一つ原則だから)。でもクラウドという誰が管理してるかわからないサーバにこれをあげるわけには。

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2009.06.08

速報→「炭酸の空」津田記念日P

2009.6.7 18:00

冨士原直也の初戯曲を新たな構成で再演なのだといいます。アタシは初見。105分。7日まで王子小劇場。

「終末」を迎えて地上には人間が住めなくなった時代。シェルターに逃げ延びた5人の男女。車いすの女には今は居ない兄の姿も寄り添う。リーダー格の男は毎日の薬や施錠など規律を重んじて場所を維持する。地上は変わることなく絶望的な状況だが、有り余る食料で当面の危機はないが、閉鎖された空間は人々に徐々に影を落とし。

極限状況で破壊されていく人間関係、という様相の濃密な空間。車いすの女とその兄の関係は合間合間に挟まれつつ、終幕近くに至って謎解きされます。この場所になぜ女が残されていたか、リーダー格の男はなぜここに居るのか。

極限状況になったときの人間の行動を5つに類型化する台詞が終幕にありますが、それを体現したような人物たち。もっとも、否応なく意識する終末は彼らに影響を与えているという背景はあるものの、少々全体に唐突な行動が多くて、アタシには箱庭を観察するという以上の姿勢を持つ市座を持ちづらい感じがします。

確定している滅亡ゆえの絶望だけではなくて、もしかしたら行き仰せてしまうかもしれないという別の意味での恐怖があったり、施錠などの規律を嘘でも作ることでこの場所を維持しようとする、という考え方などそこかしこにアタシの興味をひきます。それでも、人々の行動が一貫しない感じが、違和感を残します。

牛水里美はこの手の少女役をやらせると鉄板という感はあります。山本亜希のおもねる表情にやられる相変わらずオヤジのアタシです。

繭のように楕円形に柵で囲み、中央にテーブル、外側に囲みの客席。実に美しく作られた劇場の空間は入った瞬間に息をのむようなすごみがあります。が、この構成ではもとよりどの場所から見ても見えない瞬間は避けられません。たしかにシェルターな閉息した感じはよく出ていますが、彼らと自分たちの間に確かに存在してしまう壁、という感じもあって難しいところ。

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速報→「SURROUNDED ALWAYS」年年有魚

2009.6.7 14:00

アタシは初見の劇団、90分。9日まで新宿眼科画廊(というギャラリー)。靴を脱いでスリッパであがるスタイル、ドリンク付き。CoRichで「観たい」が少ないのに「観てきた」評が多く、好意的なものが多いのも印象に残ります。

自宅の一室を絵画教室のために一回だけ解放した夫婦。妻はその教室でデッサンのモデルをしていて、ヌードだったりもする。その日の生徒の男女二人と講師が来ている。妻の友人の女、夫はその教室を外で待っている。

5年前に原型のあった芝居(未見)を改訂。作家は独身なのだといいますが、子供のない夫婦の根底に流れるねっとりした気持ちを丁寧に、しかも緩急交えて編み出していくのです。

終盤になるまで夫婦の気持ち自体はじつはあまりあからさまには語られないのだけど、周囲のある種強烈にコミカルなキャラクタたちのあけすけだったり、踏み込みすぎる会話を通して徐々に様子が見えてきます。コミカルさは少々キャラクタにすぎてリアルではないしるし役者に頼ってる感じもあるのだけれど、結果として物語をコンパクトに凝縮するためにうまく機能しています。この突飛さと体温の低い芝居が同じ芝居の中で共存しているというのは、この小さな場所故なのか、物語がすごいのかは今一つつかめませんが、ちょっと凄い。

モデル、という「見られる」存在と、家庭の中で二人きりでいるときの、一言では語れないような複雑な感情が交錯する終盤の空気感が見事。壁にかけられた「紙アート」を物語の中にうまく取り込んでいます。一見常識人に見えるのだけど、妻と視線を交わすことなく、少々突飛な行動があったりする、というのは説得力があります。

松下ロボ改め松下チヨコの飛び道具キャラクタに大笑い。ぎこちない芝居をするからとかつて名付けられたロボを捨てても、そのぎこちなさを武器にしてる感すらあっておもしろい。平田暁子のゆったりと、しかし情念持ってそうな感じは印象的。前有佳演じる妻の友人は、飛び道具キャラクタと静かな夫婦の芝居の中で一番あたしたち観客に近い視点なのだけど、この中に挟まれると少々損してる感じも。

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2009.06.07

速報→「苔の心音」あさかめ

2009.6.6 18:00

あさかめの新作。前回の二人芝居を経て、8人構成で内面を見つめる130分(休憩10分込み)。7日までC.A.Factory(現代美術製作所)。この週末は曳舟から東向島エリアの神社のお祭り。防音が十分ではない場所、しかも冷房が入らず反響のきつい場所なので覚悟を。囲みの客席、アタシの座った奥側壇上は実は温度が高いらしいので、選ぶなら舞台と同じ高さの場所を。休憩時間中のおしぼりやら、改良されたという扇風機やらこの枠組みで精一杯のホスピタリティは間違いなくて。

心臓の部屋、と呼ばれる場所。そとからいろんな人が来て、その場所に居る姉妹と会話して元の場所に戻っていく。そこには妖精が住んでいると云われ、そこから外に出ていく扉を管理していて。

その場所で均衡が保たれている場所、そこから出ていこうとする人、その場所に居続けようとする人、さまざまのバランス。作家(演出も、妖精役までも兼ねて)はどちらかというと抽象的な言葉で、その場所を描き出そうとします。 この部屋に住む姉妹。前半では妹がほぼ言葉をしゃべらず、後半では姉が体調を崩しているという様相。休憩前後で男が妹を口説こうとして休憩を挟んで男が「空っぽに」なっているあたりは、作家も30男(という台詞まで別の場所であったりしつつ)とはいえ、男子だよなと思いつつ。 後半での姉のありように違和感がありますが、そう大きな問題ではありません。

姉妹、その場所に居続ける存在と出ていこうとする存在、ダーリンとハニーの関係なのにバランスを崩しているカップル、言葉を巧く紡げないけれど出来損ないの椅子を作りつづける男など、シンボリックに形成された役。反響もきついのでたとえば元気でなんぼな子供の役の声は耳に響きすぎますが、初日は聞けば超満員、アタシの観た回は20人強となれば、響き具合もだいぶ違うでしょうから仕方のない面もあります。

少々軽いダーリンを演じた安東桂吾が浮気心を伝えるシーンが実は好きだったりします。 居続けるコバヤカワを演じた辻川幸代は、この場所のあるべきニュートラルの存在でしっかり。それに対峙するアクツを演じた野奈との対比も楽しい。

死んだ、と云われて弔いに集まった人々が地面に横たわり、苔に耳を澄ませてというシーンの見た目は印象に残りますしばらくは、死者と生きてるものの視点をひっくり返したのだとおもっていたらさにあらず、この場所で暮らす人々にとっての慶弔の一端を垣間見る感じで少しおもしろい。

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速報→「花のゆりかご、星の雨」時間堂

2009.6.6 14:00

役者を総入れ替えしての新生時間堂の公演。黒澤世莉の久しぶりの新作としても注目の90分。14日までルデコ4。客入れ中や終演後を含めて時間堂カフェと題しての提供も嬉しい。お茶もアルコールも劇中で出てくる無茶高価なワインも。

あまり商売になっていないアンティークショップ。閉店直後に飛び込んできた女は取り置いてあったソムリエナイフを引き取りに来たが、それは手違いで常連の客がもって帰ったばかりだった。

母親になる人、父親になる人に向けて、と当日パンフに書いている作家の視線は、自分たちが今ここにいることがその親たちの暖かな気持ちの中に生まれてきたことを丁寧に描きます。みんな可愛がられて育ったのだろうなぁ(いや、アタシ本当は彼らがどうか知りませんが)と思わせるような暖かさにあふれています。

アンティークショップを思わせるような物は、物語のキーとなるナイフ以外はほぼ現れません。役者たちは扇子を持っていて(衣装の腿のあたりに入れていて)、手持ちの小物の多くはそれで表現します。アンティークショップのシーン、特に序盤では音も舞台後方に置かれたさまざまを鳴らして効果音を作ったりしています。

正直に云えば、アタシのみた時点では、小物を扇子にしたことが、違和感を感じさせる原因になっている印象。これは技術の問題なのか、なじみ方の問題なのか、そもそも無謀なのかはよくわかりません。落語でやってることと意図は同じなのでしょう。しかし、暖簾をくぐって盆に乗せたカップとポットを持ってくるために暖簾も盆もポットも同じ扇子でやる切り換えや、傘を持っている手の位置が傘ではなく笠になってしまったりと、そこかしこに無理が出ている感じがするのが残念。

ネタバレ

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2009.06.03

もとやせんこう。

先週末は「劇団、本谷有希子」のDM先行発売でした。

イープラスやぴあのシステムを利用したDM先行というのはそう珍しくなくなっています。今回はイープラスでした。イープラスのIDは持ってますから時間待ちかねてサイトに行ってみて、DMに書いてある特別な番号を入れると、なぜかログインではねられます。申し込み履歴などのページを見られますからIDは生きています。

何度も試してさすがにあきらめて、イープラスの問い合わせに聞いてみると、アタシのIDは「パルコPLAY会員に所属している」のだそうで、今回のDM先行では対象外なのだと云います。ほかの方でも新感線のIDではねられたりしているようです。そう思って見直せば、メールアドレスをキーにして、どの所属かわかるような画面も作られています。結局、イープラス直接のIDをもう一度作って、何とか席は確保。

まあ、いろいろしがらみがあるとは思うのです。システムの理由かもしれませんし、劇団やプロモーターとの関係かもしれません。でも、ふつうイープラスのIDといえばイープラスのサイトの中のサービスは全部使えると思うものじゃないかと思うのです。せめて、DMの注意事項には事前にIDの種類を確認するように云うべきではないのか。

さらに、一度ログインした後に決済用には別のIDを使えるという話も聞こえたりして、何のための認証なんだよと思ったりおもわなかったり。イープラスだけじゃなくて、セキュリティの落としどころは難しいものですが。

週末。

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2009.06.01

速報→「リミックス」国分寺大人倶楽部

2009.5.31 18:00

過去の4作品からエッセンスを抜き出して再構成した100分。31日まで、中野あくとれ。

かつての恋人を思い出す男、悲しくて悲しくて仕方ないのだけど、おまえ誰だよ「リバース」。
印刷工場に体験就業にきた女子高生、箱を組み立てる軽作業を事務所の机で社員やアルバイトたちと話している。社員は結婚が近くて婚約者のことなんか意に介さない風だけれども「ハローワーク」。
引きこもっている男、離婚したらしい父親は友達と称して行きずりの女を引っ張り込んで隣の部屋で「チャイルドプレイ」。
風俗風の待合室、様子がわからずうろうろしている男に順番が回ってきた。人生で一番やりなおしたいところを見せてくれるというのだけど「メリー」。

4本のうち、2本は見ているのだけど、物語そのものは元のものとはほとんど直接は関係がないようです。テディベアというアイテムをゆるい繋がりにして、それぞれの物語の雰囲気だったりエッセンスのようなものだったりを紡いでいる印象で、巧く作られています。たとえば「メリー」は繰り返してみせる手法は抜き出しても予備校だの愛だのなんだのの話は全く関係なくなっています。

リミックスは単につなげるだけじゃなくてサンプリングし、加工し、その中からエッセンスをつなぎ合わせる作業なのでしょう。ゆるやかに人物もつながっているものの、ほとんどの人物は直接は関係がなくて結果として4つ明らかに別の芝居。それなのに、どれをとっても作家からの世界の見え方のようなものが共通な風に感じられるのは面白い。

ごつい風体なのに婚約者が来たとたんにでれでれになる後藤剛範がいつになく可愛らしいくて印象的。声だけとはいえかなり色っぽい役どころな堀川炎も、たしかにそれを隣でやられちゃ高校生は平常心じゃ居られません、というリアリティ。

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速報→「その受話器はロバの耳」青年座

2009.5.31 14:30

土田英夫脚本を青年座で。嘘をめぐるさまざま、というのは得意技ですが社会性まで併せ持つ100分。31日まで本多劇場。

携帯すらつながらないような離島に設置された食品メーカーのコールセンター。元レストランの建物を改装して設置されたため眺めがよく、ベランダもあったりする。現地採用のほか、いわゆる「島送り」になった社員で構成されるが、日に数本のかかってくるだけののんびりした職場だった。ある日、本社から元営業の男が所長として送り込まれる。ここでのんびり過ごしていた同期は優秀な同期の島送りをいぶかしむ。コールセンターの業務規律を立て直すのだと思っていたが、着任して数日で休む暇のないほどの着信数となり。

企業不祥事の時に顧客との矢面に立たされるコールセンターを舞台に、そこで働く人々の胸の内の嘘を絡めながら。アタシも会社員ですから、こういう現場は多かれ少なかれあるわけで、平常心では見られないところがあります。有害物質の混入が判明していてもしばらくは結果的に嘘をつくしかないオペレーターの現場、という企業の嘘の物語を骨格にしながらも、虚言癖から不倫、現地採用と本社社員の気持ちなどそこに居る人々のさまざまなを織り込みながら、「わたしたちの問題」に引きつけて見せます。単に企業の問題の糾弾でもなく、かといってドタバタを単に笑うでもない奥行きの深さ。

コールセンターが地方や外国にあるというのも半ば公然の昨今ですが、本社からの指示と真実と顧客との間に挟まれた現場の疲弊、あるいは派遣こそ出てこないけれど雇用形態の差や遊んでる社員の存在など、地方採用のまじめ一辺倒と思われた社員ですら。もちろん、あまりにも戯画的で誇張が過ぎる点はあって、そういう意味ではリアルはこれっぽっちもないけれど、それでも、 今時の会社の抱える問題の一面を鮮やかに並べてみせるあたり、会社員たるあたしの気持ちが穏やかではいられなくなるのです。

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