速報→「天気のいい日はボラを釣る」studio salt
2009.5.22 19:30
会社を早くあがれたので予定を変更。80分、24日まで王子小劇場
川縁で暮らしている人々。台風がくればすぐ流されるという行政の人間の云うことは流しつつ、暮らしている。腹を空かせて見慣れない新入りがきたり、その場所にテントを張ろうとする自転車乗りが居たり。釣りをしたり食べたりしながら日常が続く。この場所を危ないと思うことも起きて。
いわゆるホームレスたちの生活の場を舞台にしながら、外から来て入る人、入ってくるようで決して入ってこない人、あるいは去る人、この場を壊そうとする人など、丁寧に描きます。旅をする青年の少々うざったいほどの前向きさ加減、逃げてきてたどり着いた人、行き場が無い人など。なぜこの狭い場所に彼らが集まったのか、という点で必然を感じさせづらくて少々都合がよすぎる感はありますが、それはアタシにとっては大きな問題ではありません。
どんな理由があっても、集まった人々が暮らしたごく短い時間。人間は集団で暮らすものだよな、ほんとは。 生きていくことは食べて、暮らしていくことだという視線を常に忘れない作家は、彼らを単に面白がるわけでもなく同情するわけでもなく、生きていくことをきちんととらえます。
正直にいえば、なかなか動き出さない物語、そこにある風景をごくごく丁寧に積み重ねていくというやりかたはかなり地味な感じになります。何気ない所作のシーンひとつひとつをものすごく丁寧に作り込んでいると思うのです。
たとえば、彼らの芝居では必ず出てくる「食べる」シーン。鍋を持ち出して人々が囲んで食べているだけといえばそれだけのシーン。それまで少々この地味さにあれれと思っていたあたしなのだけど、じわりと涙がしみ出してきたりして戸惑うのです。アタシのどこにそのシーンにフックするものがあったのかわからないし、誰もが同じに感じるとは思えないのですが。物語ではなくシーンをみて深く感動したりとかなんとか、というのをあまり信用しないアタシなのですが、「生き続けていくこと」を突然ごくごくプリミティブに感じたというのでしょうか。んん、巧くいえないけれど。
あるいは終盤でテントを畳むシーンがあって(メインのシーンではなくて横でやってるのだけど)、使ったことのないテントを勘を働かせながら初めて畳む、みたいなことをやっていたりして、実は結構好きだったりもするのです。いえ、単なるマニア視点ですかそうですか。
金曜夜の回に関して云えば、出捌けに少々のトラブルがあったりして、ほかの回でもテクニカルなトラブルがあったりもしているようです。装置にしてもシンプルではありますが劇場に全く別の空間を出現させるというところまでは至っていない感じは残ります。今までのホームグランドである相鉄本多とはかなり雰囲気の違う劇場ゆえ、という感じでここは慣れなのかなと思ったりもします。
横浜の外への初進出、CoRich祭りと勝負どころに、ありていに云って地味なこれを持ってくるのは戦略とかいうことを超えて作家が表現したいものがある、ということをじわりじわりと感じるのです。
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