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2009.05.31

速報→「土星の端からはらはらと」タムチック

2009.5.30 19:00

岸浪綾香、吉岡友見、小林真梨恵のタムチック(未見)が初めて外部演出を迎えてのカフェ公演。中央に客席、ぐるりと囲む小さな舞台を首どころか体を向けて観る感覚も楽しい65分。31日まで荻窪ミニヨン。レコード盤が壁一面にあるカフェという場所の力も。これからご覧になるなら、入って右側のベンチの芝居が見える場所に。

つきまとう幽霊の少女、つきまとわれる編集者。関係はないはずだけど。
引っ越ししてきた女、手伝いに来た姉。線路のそばで電車の音がうるさい6畳一間、姉は電車の音が嫌い。
出版社の化粧室、女2人+1人、合コンの気持ち満々だったり、妊娠の噂があったり。
姉妹、喫茶店で少女に出会う。
作家の家、原稿を取りに来た編集。もらって、ゆっくりとした会話。梅酒も出てきて。
妹のバイト先はスーパー(パン屋に見える)。先輩は指導する気満々。
少女は引っ越しの姉に出会う。雨の中引っ張られるようについていく。
作家は次の作品の相談にくる
レジ打ちの夕方、新たな負い目を見つけると生き生きする先輩。

全体に女目線だと思う仕上がり、役者は全員女性、演出も女性なのだけど、作家は男なのだというのに少し驚きます。女性の作家の芝居も小説も大好きなあたしなのだけど、こういうまなざしのある男性作家というのは何人か居て、それに似たテイストで、あたしの好みにかぶるのです。

三人の女性のキャラクターはそれぞれにあって、観ていて楽しい感じ。初めての外部演出がクオリティを上げている感じはありますが、訓練されている女優ばかりの舞台を見るのは、オヤジのアタシには楽しいのです。広い広間の真ん中に客席、囲むように何カ所かで芝居をします。同時多発こそないけれど、首も体も左右に捻って芝居を観るのはまあ大変だけど時間の短さでそう問題ではありません。ともかく描かれている場所が何カ所もあって、それをカフェ公演でやろうという無茶の解決策としてはまあうまく廻っている感じではあります。開演前に前説として「あちこちに体を捻って芝居を観る予行演習」をやるのが微笑ましいけれど、結構実用的だったりします。

もっとも惜しい感じというか無謀さのようなものはあって、それは彼女たちのチャレンジということかもしれません。たとえば作家の物語はもう少し上の年齢に当てて書いてある感じはあるのだけど、役者が若すぎるとか、こんなにシーンが多い芝居をこのカフェでやる無茶さ加減とか。アタシはラッキーにも上手一番奥に座りましたが。

高橋唯子・相馬佐江子演じる会社の二人、レジの二人のシーンが楽しい。物語の中ではどちらかというと賑やかしというポジションだけれど、「つめきり」時代を知るアタシには彼女たちを見られるのは楽しい。

全体に細やかなシーンが多いのだけど、 少女が見に行きたい男の子「眺めてるだけでいいの」というけど「見てるだけでいいの」がしっくり来きそうだなぁとか思ったり、三人の女優をそれぞれ主役に置こうとするためにバランスが危うい感じはあるのだけど、それでも、 全体のたたずまいはどこかアタシ好みの女性作家のよう。作家と編集者のシーンで「顔が熱いです」という台詞があって、シチュエーションもなにも全く違うのだけど、「センセイの鞄」みたいな雰囲気に感じられて。それは朗読公演に出てたりする原扶貴子だからという気がしないでもないですが。

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速報→「一月三日、木村家の人々」二騎の会

2009.5.30 15:00

宮森さつきと多田淳之介の二人ユニット。直球勝負で私たちに問題を突きつける100分。2日までアゴラ劇場。

1月3日らしい家の中。女が窓を目張りし七輪で自殺を企てる。そこにチャイムが鳴り、近所に住む従兄弟がお節を持って現れる。適当にあしらって帰らせようとするがなかなか帰らない。そのうち妹や兄夫婦まで現れて。

劇場入り口に「木村」の表札、げた箱で靴を脱いで客席に行くと、絨毯敷きの居間らしいところを囲むように客席。観客は木村家に「お邪魔して見ている」雰囲気で芝居を進めます。前説では演出家が舞台が正月だということを少々強引にしかしコミカルに説明します。

追いつめられる在宅介護者の問題を物語の根幹に。そのもととなった今の社会のシステムに対して怒りをぶつけると言うよりは諦めに近い無力感で作家の目線は介護の当事者と、家族であるはずなのにどこか他人事になっている兄弟たちとの溝に向けられます。

あたしにとっても、恐らくは大多数の観客にとっても、介護の問題はまだ実感をもって感じられない問題ですが、演出は、居間の延長線上に客席を作り、人物が時折客席に語りかけることで、「私たちの問題」であることを強く印象づけます。この部分に多少のギミックはあれど、全体としては直球勝負のまっすぐすぎる語り口は、あたしの気持ちを強く揺らすのです。

「大晦日正月にも来ないで3日になって家にくる人間の言う家族愛だの介護に協力するだのという言葉は信じられない」という長女と、「家族なんだから助け合うのを相談するために正月3日に来ているじゃないか」という終盤近くの諍いの溝の深さは、この国のあちこちで起きているリアルな問題をシンプルにしかし強く感じさせる圧倒的な力のあるシーンです。結論の出ない問題ゆえに絶望的な気持ちにすらなるのです。

正直に言えば、誰も否定できないネタを、しかも演出が自分たちも経験者なのだ、と当日パンフで前口上されてしまうとその事実の前にひれ伏するところから観客はスタートする感じがあって、個人的には少々違和感があります。よくない芝居ならなおさら。もっとも、本作は芝居に圧倒的な力がありますから、大きな問題ではないのだけど、開演前に少々警戒してしまったのは、まあアタシの問題ですが。

島田曜蔵演じる良心的なホスト、やけに知識があったりとやけに都合のいい役ではありますが、元妻はこの介護の当事者になりうるのか、という問題を持ち込みつつも、諍いのポイントをいくつにも分散させないのは巧いなと想わせます。

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速報→「赤坂炎上 Vol.4」福耳

2009.5.29 19:00

劇団福耳が主催する、コント、芝居、バンドなどアソートしてのショーケースイベント4回目。アタシは初見です。2時間強のアナウンスに対して190分ほど。赤坂MOVEは小規模のライブハウスです。

ゆげ(バンド)。東京と静岡で活動する「エンタメ集団のようなバンド」。芝居のイベントであること、着席型の客席であることに多少戸惑いながらもアタシでも気楽に乗れるテンポのいいポップス(なのか、音楽のジャンルはよくわかりませんが)。氣志團風の曲でそれをナチュラルに見せている感じがあって、そういう意味では少々古いとかダサさ、ということなんだろうけれど、ちゃんと自覚していて突っ走ってるのは気持ちがいいのです。

特に体格のいいほうの方は迫力もあってMCもちょっといい。最前列で頑なな客をなんとしても乗らせようとする意気ややよし。ちゃんと楽しめる感じになっていてアタシ好きだったりします。

myspaceとかで試聴できるのはいい時代だなぁ。そこを繋ぎながらのセットリスト。M3、M4は載ってないので表記不明です。

  1. You Get
  2. ナウなデスコでバリ☆フューチャー
  3. マーズ
  4. パパのうた
  5. YBAI

PLAT-formance。先日の王子のショーケースイベントでも登場した2人のコントユニット。元同級生のミュージシャンとラジオDJのFMインタビュー番組とCM中の落差のネタ、ニュース番組の銀行強盗中継は台風の中というネタ、部屋に来た友達がめちゃくちゃやってくネタ、二人組の強盗がシュミレーションしてみるというネタの4本。作り込まれた笑いでアタシの感覚にはよくあっていて、どのネタも安心して楽しめます。

それぞれ10分程度の短い時間の中で生きるネタということがきちんとわかっていて無理に短くもないし無駄に長くもないしというのが気持ちに合っています。二人ユニットゆえの暗転の間のつなぎ方が今後の課題かなと思ったりもしますが、それはまあ大きな問題ではありません。

■「遊ぶ金が欲しかった+檄!おはぎライブ」バナナ学園純情乙女組。友人マリを殺してしまった女子中学生ツミキはすでに頭がおかしい感じ。隠し通そうとする周囲だが、マリの持っていた財布を巡って、権力者アミダは容赦なく「遊ぶ金が欲しかった」と、ライブで構成する30分。ライブには王子小劇場の玉山悟がライブ恒例のヲタ芸ゲストに、あのミニスカ風衣装で。ある意味衝撃。時間のバランスはちょうどいい感じ。物語の方は正直に言うと聞き取れるようになるまでのタイムラグってのがあって、物語の中に入り込むのに少々時間がかかります。バナナの世界に慣れているアタシですらそうなんだから初めて見た方にはわけわからないだろうなとも思います。

完成度という点では、いつものバナナのショーケース用コンパクトサイズという感じではあるのだけど、前の二つは作り込まれていてアタシが未見だからと思うけれど、その後に来たバナナは見慣れちゃってるからか、物語が欲しくなるアタシには少々飽きが来てしまいそうな気がするのはやな感じ。反面、劇団員だけの構成ゆえにそれぞれのキャラクタとか魅力みたいなものが多めに見られるのは楽しい。二階堂瞳子のばしっと決まる感じとか、前園あかりの突っ張りながらも見えてくるある種のかわいらしさみたいなものが楽しい。普段は訳のわからない動きしか見えない浅川千絵が普通に喋るところを見るのも当たり前なのだけどちょっと意外感があって楽しい、という時点でフリークなわけでそれは普通の感想ではたぶんないのです。

トーキョーハイライト。よい役者でおもしろいコントを標榜。ほかのメンバーに抜けられた男の一人ライブのネタ、有名人連れてきたら千円の約束だけど本当かどうか疑わしいといネタ、酒をやめることをわざわざ辞表もって来て宣言する男のネタ、モノシリさんが知恵を授けてくれるのでみんなで質問するネタ。

リーダーは元芸人なのだといいます。安定した感じの笑いもおおいけれど、わりとキャラクタに頼っていたり客席からの質問を使ってというハプニング性で取る笑いという印象があります。

福耳。このライブの主催団体。 フジロックに出演出来ることになったけれど、バンドで?。サイトによれば、デスメタ調の曲にあわせてテンション高いダンスとシュールなストーリー、なのだと云います。最初のバンドの「ゆげ」とのコラボの活動も多いよう。劇団というよりは高いテンションの「芸」の様相。


個人的な好みでいえば、はじめの三本がわりとアタシの好みにはまります。何度も見ているバナナはともかく、PLAT-formanceは「売れそうな感じ」がしますし、「ゆげ」も暑苦しさも含めてバンドとしてもアタシのような不慣れな客でも乗りやすい感じが楽しい。もっとも2時間といわれてそのつもりでビールを飲み続けてしまったら3時間近くになってしまったために、目測調整を誤ったから、という可能性がないではありませんが。

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2009.05.29

月末

世の趨勢、早期退職がご多分に漏れずあって、何人かが最後の出社日。今の事業の最初の頃に長期出張で来てた若者、アタシの最後のPL商品の時にさまざま教えていただいた方などなど様々に。理由はそれぞれにあって、新しい一歩を歩んで行くのです、仕事では喧嘩したとしても、またお会いしたいなと思うのです。

週末

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2009.05.28

速報→「JUMON(反転)/便所の落書き屋さん」MU

2009.5.27 19:30

再演作を男女入れで、新作はコミカルで見やすい。休憩10分を挟み120分。31日までルデコ4。ギャラリーなので客席は変則。二辺に客席がありますが、長辺側に正面なので席があるならそちらを選ぶべし。

◆ハーレムと呼ばれる家。一人の女に男たちが同居し、千羽鶴づくりやマルチまがいで生計を立てている。男たちの家族や恋人たちが乗り込んできて。「JUMON(反転)」。
◆落書きが沢山ある有料トイレ。男が入ってきて壁の落書きを見ながら、寝袋を広げて寝る。あとから入ってきた高校生のカップルは、なにかのおまじないをするために。が、そこに寝ている彼は学校を辞めたかつての同級生で、交通事故に遭った女子生徒の命の恩人で。美術教師に恋をしていて、兄の恋敵となり恋破れて「便所の落書きやさん」。

開演前、休憩、終演後に出てくる主宰。かつては尖っていた印象が強いけれど、今公演に関して云えば、優しく場を作ることにより心を砕いている感じ。音楽が流れ、場をコントロールし気を配り、クラブ風のホームパーティの様相は、良くも悪くも主宰の世界をここに作り出すのです。

「JUMON」。 逆ハーレムという状態、男たちは逃げ場としてのこの家に居続ける。女とのシーンはないというのが特徴的。女は「汚いあたしの姿は見せられない」というのがすっくとたっていて、凛々しい。

初演は観ていませんが、男女を入れ替えるというひと工夫で、 今の時代の気持ちによくあう感じに。今の時点から考えれば、男ひとりに女たくさんというのは、古いというか昭和どころか、大昔から連綿。反転というワンアイディアで突っ走る感じはあって、部分部分は書き込んでも、その意気込みで最後まで物語を運ぶのは少々息切れの感も。

小林タクシー演じる、被害者の親というのは出落ちの感もあるものの、物語の要所要所を抑え笑わせるポイントで、見やすくしています。 成川知也は静かに居続ける大人の男、佐々木なふみは凛々しさが印象。

「便所の落書き屋さん」。 未成年だからネットカフェ難民にもなれないゆえの公衆トイレ難民というのをワンアイディア。そこに至る過程、恋の話、あるいは禁断のことを取り混ぜながら。全体にコミカルな感じが強く、漫画のようで気楽に楽しめる50分。

高校生が「ゆとり」と揶揄される世代。同級生たちは「愛」なんてのは格好悪いからそういうことは言わない世代。それに対峙する「純愛」という構図。それが今のリアルかどうかはあたしにはわかりません。それに対峙する純愛組というのはちょっとおもしろい。純ゆえにまっすぐ、あふれるような気持ちをたたきつける感じというのはたぶんいつの時代も変わらないはず、なのだけど。まあ、それだけなんてはずはない教師への恋心。

清水那保の女子高生、またオヤジのファンを増やしそうな破壊力。佐々木なふみの色気にあふれたキャラクタは得意技なのだけど、泣かせるのはちょっと新鮮。こちらでも、小林タクシーのかき混ぜ具合が楽しい。

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2009.05.25

速報→「NOT BAD HOLIDAY」競泳水着

2009.5.24 19:00

競泳水着、劇団化の第一作。26日までシアターグリーンBASE。120分。しまった、集めた仮チラシを景品に引き替えるの忘れたっ。

県の休日、県民の日。久しぶりの挑戦に出かけた人、送り出した人。しかし事故が起こる。
怪我をした実業団の野球選手。そろそろ復帰かと思っていたが戦力外通告を受ける。会社は社員としての慰留をするが野球以外には目がいかない男は会社を辞め、長姉の住むジモトに戻り姉の働く蕎麦屋でアルバイトとして働き始める。東京に残してきた彼女、その姉に中学生の頃あこがれていた後輩の医者が。

トレンディドラマとは銘打たなくなっていますが、細かい場面をつないでいって時間を微妙に前後させながら描く手法は健在。愛だの恋だのを物語に組み込んではいますが、それが恋愛至上でなくなっていて、挑戦だったり復帰だったりに向けて鬱々としている男たちに軸足があります。それは今の日本の男たちの姿に重なります。でも描かれ方は少し古め、女は男を支えてくれるというファンタジーで貫かれています。

みやすく分かりやすい物語、恋愛至上でなく人間の挑戦とかの物語というのを見ているうちに、キャラメルボックスが思い浮かびます。よくあるドラマ風ではあっても大きな劇場や多彩な役者で成立させられるような強度があります。

女家族の中で育った男の仕事のより所、家族たちに分かりやすく喜んでもらうということは、何となく作家の雰囲気に重なるように思えます。

シンプルな美術は成功しています。タイトルもシンプルだけどばっちり決まります。

女優が美しいここの持ち味、至福。 堀越涼が何カ所か行う笑いのシーンは彼の持ち味が実によくて印象に残ります。それを受ける橋本恵一郎も掛け合いのおもしろさ。玉置玲央が普通な人は珍しくほぼ笑いを封印していて、しっかり。

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速報→「玉ノ井家のエンゲル係数」ぎゃ。

2009.5.24 14:00

福岡の劇団、挨拶廻り公演と題して60分。24日までColaboCafe。そのあと大阪、福岡。

食事の準備、食卓を囲む二人の女。一人が特別な今日の日について尋ねるがもう一人は覚えていない。神と名乗る声は、過去の出来事を確認しようと言い出して。

青山円形すぐちかく、地下に降りる小さなカフェで女性二人の芝居。キッチンを使い食事の風景から始めるのはこの小さなカフェでは五感を刺激する感じ。手の込んだものではないけれど、確かにふつうに旨そうなんだこれが。

いくつかの過去の場面のリフレイン、どこで間違ってしまったのだろうということを検証していくうちに見えてくるこの食卓の秘密と、その風景。現実の社会はともかく芝居の題材としては商業演劇からアングラに至るまで扱われることも多い題材ですからそれほど芝居として万人受けしないとは思えませんが、パンフレットのピクトグラムや航空券を模したチケットの洗練さに比べると少々の違和感があるのも事実。コメディだと思ったという感想をよく聞くのも、今作に関しては損をしています。

「きれいな女」はともかく、「ずんぐりしていて、むっくりしている女」の衣装や一見出落ちのメイクは終盤に至ってテクニカルにも物語にも理由があることが見えてきますが、序盤からつっこまれることもなく物語で語られることもなく終盤まで続くのは、違和感として感じてしまいちょっと損をしている印象。あるいは食卓をL字に囲んで座るにしても客席の多い下手側から見えない時間が長いのはもったいない。

このもととなった去年の福岡での公演では、もうすこし違う作り方をしていたとのこと。販売されていた台本を見ればよかったと少し思いますが、もうすこし彼女たちの現実に近い印象の芝居を書いていたのじゃないかと想像します。

「ずんぐりしている女」に与えられた属性は、同人誌好き、引きこもり気味という感じでまあステロタイプな感じではあります。そこをことさらに強調しないでさらりと流すのは抑えている感じで好感が持てます。

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2009.05.24

速報→「愛のルーシー」北京蝶々

2009.5.23 19:30

北京蝶々の新作。見た目ラブコメなのだけど、この国のことを考える姿勢は変わらない95分。26日までOFF OFFシアター

バイオスフィアでの実験に参加している8人。実験開始からしばらくたち、二酸化炭素濃度は上昇し、水は汚染され、魚介はとれず、鶏は卵を生まない。人々はその中でも好意を寄せたりつきあったりしていく。実験施設ゆえにそれを観察している研究員たちも居て。

早稲田劇研の系譜かどうか、電子マネーやパンデミックなどほんの少し先に起きそうなことをきっちり描く作風なのだけど、今作は少々毛色が違う感じ。わりとタイト感よりも見やすさの方が勝っている感じでラブコメ風の笑いが満載。しかも破滅もなければ死者も出ないなど、少なくともここ数作を見慣れた目には北京らしくない、という感じは受けます。

地球環境を大規模施設の中に閉鎖系として再現する実験、バイオスフィア2やそれに派生する日本の実験施設の近未来を舞台に設定。閉鎖系の中での環境の維持の難しさに加えて、閉鎖系での人間関係の方がずっと難しかったり。同じ8人の閉鎖系での人間観察 というあたりに作家の中での何かのリンクが繋がったのでしょう。テレビのバラエティ、「あいのり」に重ねることでラブコメ風味の仕上がりに。そのラブコメ部分だけでもライトな感じで実に楽しい。

あたし自身はこの番組を観ていないのでそのおもしろさの半分もわかっていないのだけど、カタカナの愛称が与えられていたり、植物や生態系に対する愛や知識といったものを持つメンバーがいるなど8人の参加者には明確な役割が与えられているということは、なんとなくそういう感じを受けるのです。名前のアカラサマ加減もちょっとバラエティっぽいのです。だから、表面的には惚れたはれたをしている人間そのものでも、芝居の根っこにあるのはそれを観察している研究者だったりひいてはそれを観ている観客であるあたし自身を含めた系としての問題を突きつけている感じがします。

北京らしくないとはいえ作家の興味が近未来のあれこれで、おそらくは調べたのであろう生態系の話とかの蘊蓄ネタは彼ららしい。閉鎖系実験施設にしちゃやけに狭い感じがするのはまあ劇場の制約だけれども、OFF OFFという劇場を完全に隠蔽してしまうほど作り込んでいるのはちょっとびっくり。

テイヘンと呼ばれあまりにだめ人間扱いされる男を演じた本井博之がなんかよくわからないけれどちょっと凄い。人間くささが醸し出されるってのは技術なのかキャラクタなのか素人のアタシにはわからないのだけど。あまりな呼称といえばフコウと名付けられた都合のいい女キャラクタを演じた岡安慶子も美人だろうに不幸さ全面というのもまた別の意味で凄い。鈴木麻美演じる元ライター役が演じる、「覗いてみたい」とか「事件だいすき」の視点は、芝居や世の中を他人事として眺めている観客であるアタシにちょっと突き刺さる感じ。微妙な意地悪さの表情と少々ずりおちたメガネで見えてくるところがちょっとかわいらしさすら感じてしまうのはまあ、アタシの趣味ですかそうですか。

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速報→「成れの果て」elePHANTMoon

2009.5.23 14:30

エレファントムーンの新作。いやぁな感じがどこを切っても金太郎飴のようにめいっぱい105分。26日までサンモールスタジオ。

古い一軒家に叔母や友人と同居している女。結婚することにしたが相手はかつて妹に暴行し、それでも結ばれることになったのだった。妹に知らせるとすぐにやってきて。

かつてのレイプ犯と結ばれてしまった姉が住んでいる少し田舎の町を舞台に。その男に今の仕事を紹介した同僚にせよ、気のいいボイラー修理工にせよ、おかま二人にせよ、大福工場で働く同居人にせよ、リストラで戻ってきた叔母にせよ、小説家志望の遠慮のない女にせよ、姉妹にせよ、その男にせよみんなが少しずつ壊れている。それなのにこの狭い世界が成立していたり、少々唐突な行動が目立つ感もあって都合がよすぎるとか薄っぺらいも云えるけれど、アタシは誰でも持ちうる感情の少々誇張した表出だろうと思うのです。それはたぶん彼らの持ち味で、久しぶりのこの公演にそれがたっぷり見られるのは、彼らの復活を強く印象づけるのです。

アタシの座った下手端最前列では、たとえば歯磨きとか、たとえば叔母が顔を隠して駆け込んでくるところが実は見えないという弱点はあります。これはもっとテクニカルに処理できそうな感じはします。あそこにタンスがあるのは「らしい」感じではあるのでよく理解できるのだけど。

被害者なのにまわりには少々疎ましがられる感じの妹、というのはどこか本谷有希子な感じもあります。が、それに負けず劣らずみんながそういう感じではあるのです。

ネタバレかも

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2009.05.23

速報→「天気のいい日はボラを釣る」studio salt

2009.5.22 19:30

会社を早くあがれたので予定を変更。80分、24日まで王子小劇場

川縁で暮らしている人々。台風がくればすぐ流されるという行政の人間の云うことは流しつつ、暮らしている。腹を空かせて見慣れない新入りがきたり、その場所にテントを張ろうとする自転車乗りが居たり。釣りをしたり食べたりしながら日常が続く。この場所を危ないと思うことも起きて。

いわゆるホームレスたちの生活の場を舞台にしながら、外から来て入る人、入ってくるようで決して入ってこない人、あるいは去る人、この場を壊そうとする人など、丁寧に描きます。旅をする青年の少々うざったいほどの前向きさ加減、逃げてきてたどり着いた人、行き場が無い人など。なぜこの狭い場所に彼らが集まったのか、という点で必然を感じさせづらくて少々都合がよすぎる感はありますが、それはアタシにとっては大きな問題ではありません。

どんな理由があっても、集まった人々が暮らしたごく短い時間。人間は集団で暮らすものだよな、ほんとは。 生きていくことは食べて、暮らしていくことだという視線を常に忘れない作家は、彼らを単に面白がるわけでもなく同情するわけでもなく、生きていくことをきちんととらえます。

正直にいえば、なかなか動き出さない物語、そこにある風景をごくごく丁寧に積み重ねていくというやりかたはかなり地味な感じになります。何気ない所作のシーンひとつひとつをものすごく丁寧に作り込んでいると思うのです。

たとえば、彼らの芝居では必ず出てくる「食べる」シーン。鍋を持ち出して人々が囲んで食べているだけといえばそれだけのシーン。それまで少々この地味さにあれれと思っていたあたしなのだけど、じわりと涙がしみ出してきたりして戸惑うのです。アタシのどこにそのシーンにフックするものがあったのかわからないし、誰もが同じに感じるとは思えないのですが。物語ではなくシーンをみて深く感動したりとかなんとか、というのをあまり信用しないアタシなのですが、「生き続けていくこと」を突然ごくごくプリミティブに感じたというのでしょうか。んん、巧くいえないけれど。

あるいは終盤でテントを畳むシーンがあって(メインのシーンではなくて横でやってるのだけど)、使ったことのないテントを勘を働かせながら初めて畳む、みたいなことをやっていたりして、実は結構好きだったりもするのです。いえ、単なるマニア視点ですかそうですか。

金曜夜の回に関して云えば、出捌けに少々のトラブルがあったりして、ほかの回でもテクニカルなトラブルがあったりもしているようです。装置にしてもシンプルではありますが劇場に全く別の空間を出現させるというところまでは至っていない感じは残ります。今までのホームグランドである相鉄本多とはかなり雰囲気の違う劇場ゆえ、という感じでここは慣れなのかなと思ったりもします。

横浜の外への初進出、CoRich祭りと勝負どころに、ありていに云って地味なこれを持ってくるのは戦略とかいうことを超えて作家が表現したいものがある、ということをじわりじわりと感じるのです。

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2009.05.21

呑んだり、写真撮ったり

海外からのスタッフが集まる今週。パンデミックということもなく、US便はそれなりに検査、EU便はほぼスルー、なんてことばを聞きながら。英語は使っていないのでさすがにやばい。月曜朝の口上一番なんて出来るわけないのに。水曜日にはうっすら会話出来るようになり、木曜日になって楽になり。でも週末。

入社の頃の人々が集まる呑み会で会話したり、たとえば去る人の昔の写真がないかと探し回ったり、じゃあそれを今記録しておこうと思ってあちこちで写真撮ったり。時節柄会社を卒業する人の報を聞いてビックリしたりしたこともたくさん、呑み会の調整も始まり。でもつながっている感じがあるのはあたしをほっとさせます。

コンサートは続々中止になってますが、そらライブならば暴れるし大声出すし。決して喋らない演劇の客席ならば、大丈夫なはず。今週は注目公演目白押しなのですよ。

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2009.05.18

速報→「PRIFIX2」王子小劇場

素舞台が基本、そこで次から次へと出てくる役者が楽しい。17日まで王子小劇場。全部をみると3時間ぐらい。

■柿喰う客「邪道・プロポーズ」
アントンとチェーホフ。ネタを合わせの場所。プロポーズにきているのだけど、二人の家の間には土地とか微妙な諍いがあって。

もちろんアタシは読んでない「結婚申し込み」を原作に、漫才師のネタ合わせというフォーマットに詰め込みながら、要素を細かく押し込んだ構成。緩急をつけながら見せるのは見事。

が、60分の枠に対して30分ちょうどで終わってしまうというのはどうなんだろうと思うのです。先週のそれも同じような感じでしたから、王子は二週連続でその被害に遭っているといっても過言ではありません。さすがに責任を感じたか作演のピン芸で10分強を足しています。前半の30分は好きなフォーマットだけど、作家は猛省すべきだと思うのです。このままいくと次は公演中止の悪夢がちらつきます。

■PLAT-formance「iregular」
ある総理が辞任するまでのものがたり、20分。

どういう出自かはわかりませんが、ニュースペーパー風の政治ネタコントを二人組で。事実をつなぎ併せて笑いをとる、というのはまあお笑いのネタとしてはアタシは好きな感じなのですが。もっとも、これが小劇場の領域かといわれるとちょっと微妙な感じなのだけど、テレビのお笑いのようで実に見やすくて、こういうことに対する役者の基本がきっちりしているという気はします。 若くてテンションもリズムもあってみやすい。このネタが彼らの持ち味なのか、他のものを見たいなと思うのです。

■仏団観音びらき「KWANNON CABARET」
キャバレーショー形式の20分。 オープニング、だめんず遍歴を告白する宝塚ミュージカル風味、バキュームつまり掃除の人の「ポリバケツ」。

緻密さよりは、突き抜けた感で勝負したい彼らなのだけど、20分では暖めるところまででタイムアップという印象。定番ネタなのだというバキュームあたしは初見。ワンアイディアで突き進むだけのインパクトはちゃんとあって。

■負味「負味と申します」

1.英語かぶれの男の発音と役に立つセンテンス「オープンユアアイズ」
2.もうあとのない男、そこに突然音楽が「老衰が止まらない」
3.新しく買ったゲームは、のどかな公園に「バイオハンター2」(ほぼ映像)
4.不良になった少年は、演説集を聞いて、世をうれいて「オバマブーム」
5.バイオリン作りの少年の奏でる音楽に「耳をすまさなければ」
6.風景はどうみても西武線なんだけど「車窓の世界から」(映像)
7.ざんげをします。ノープランで出てきて「MCクライスト」
8.葬式風景に「葬式が止まらない」
9.新しく買ったゲームはあちこちに「ストリートタイガー2」(ほぼ映像)
10.受賞式なんだけど、どうやって砲丸投げたのかとか、そもそもメダルがないとか「オリンピック」
11.記憶を次々失ってしまい「メメント」
12.なぜか黒塗り「日米首脳会談」

いくつか公演で使ったネタを小品にして再利用も散見。全体にワンアイディアを5分続けるネタを12本続けるのはフォーマットとしてはどうなのだろう、と思ったり。軽い笑いなのはいいのだけれど、映像ネタが微妙に古かったり、「オリンピック」での砲丸をどうやって投げるのかとか「日米首脳会談」の黒塗りはほぼ昭和の香りすらする感じで、そういうネタで笑いを取るのはエッジじゃないしリスクばかり高くてあんまり旨味はないんじゃないかしらんとか思ったり。

■カミナリフラッシュバックス
OL4人が出てきて、脱いだストッキングをかぶって、戦う。

あんまり格闘技には詳しくないのですが、キャットファイトのような印象(いや、観たことないけど)プロレスに台本があるのは今やみんなの了解事項なので、そういう意味では舞台芸術になっていて20分としてはきちんとつなぎます。日曜昼はフライングが微妙に失敗したのは惜しい。


全体としてみると、どちらかというとお笑いのネタ見せショーケースの要素が高い感じ。この中では「柿」はずいぶん芝居寄りのつくりですが、60分埋めきれなかったのが残念。ほかはネタならばワンアイディアで続けられる時間をどれだけと見積もり、テンポで繋ぐか繰り返しで笑わせるかがアタシ的に重要なのだけど、そのバランスは全体としてはあまり巧くない感じがします。

名刺代わりのミニマルな芝居を持つのは間違いなく劇団を売り込むツールになるのは浸透しているけれど、それを「負味と申します」という挨拶代わりのタイトルにしてるのはちょっと巧い。

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2009.05.17

速報→「容疑者χの献身」キャラメルボックス

2009.5.16 18:00

東野圭吾の人気小説の舞台化。笑いはほとんど無くSKIP( 1, 2) のようなストイックな舞台装置が印象に残る135分。神戸を経て24日までサンシャイン劇場。22日夜に追加公演が設定されています。テレビの「ガリレオ」は観てないので、物語自体はじめて。

アパートに暮らす母娘。離婚した夫が金を無心するために現れる。このあともむしりとられると感じた娘が花瓶を降り上げ、母がこたつの布巻きコードで。
隣の異変に気づいた高校の教師、その母娘を助けるために緻密に犯罪を組み立てる。

外部の原作を使ったキャラメル、というのは定着した感がありますが、アタシは初めて原作を読んでからの観劇。たしかにそこに立体になった世界が広がります。時間も場所もかなり変わる上に、地の文がさまざまな人物の内面を描いてしまうタイプの原作なので実は舞台に載せるのは結構大変じゃないかと思ったりするのですが、何人かの役者に交代でリーディングのように読ませることで解決しています。 原作の地の文では西川弘幸演じる犯罪者・石神の心の動きを克明に記してある印象なのだけど、芝居ではさすがに巧くいかないと感じたかどうか、割と薄めの好意として語られながらすすみ後半でがっつり。

原作は笑いはありません。細かい部分を端折りながら、弁当屋の亭主を外したりアルバイトの女の子というキャラクタを設定したり、警察の中の会話など緩急をつけるために笑いを挟むという点では芝居を見る観客側には見やすさとして感じます。原作のタイトな感じは薄まる感じがないと云えば嘘になりますが、そのままやられてもたぶん観客としては見やすくないと思うのです。

しかし、と思うのです。物語の面白さに加え舞台としても完成度は高いのだけど、ほぼ商業演劇の領域に近い7000円というチケット代を目にすると、それはキャラメルがすべきことなのか、という感じはしないでもありません。どこにコストがかかっているかはよくわからないのですが。

西牟田恵を観るのはずいぶん久しぶり。ハスキーで甲高いという印象だったのだけど、年齢は進んでいても男がひと目で恋に落ちるという説得力。川原和久もずいぶん久しぶりなのだけど歳を取らない感すら。西川浩幸は笑いをとらず、衰えを気にする天才のという珍しいタイプの役。初めて聞いたときは合わない感じがしたのだけど、中心の役を確かにしていて、年齢を重ねた役者の重みすら感じさせます。

あたしの観た16日夜の回は西牟田恵の誕生日で終演後のカーテンコールで花を贈ったり挨拶あったり。ほどよく押さえたお祝い感が物語の印象を崩さなくていいバランス。終演後に隣のカフェで劇中に登場する「自分で淹れる湯川のインスタントコーヒー」なるものを売るのも押さえた洒落っ気で気持ちがいいのです。

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速報→「MELODY」サンダース:コンビーフ

2009.5.16 14:00

ネオゼネレイタープロジェクトの大西一郎とにんじんボーンの宮本勝行のユニット、サンダースコンビーフの第二回公演。17日までシアター711。

芝居を志して東京に出たものの、いろいろあって地元土浦に戻ってきた男。映画が大好きで実家の自分の部屋にあふれる映画のパンフレットやポスターの整理を始める。中学生の頃にサークルと称していろいろ映画を語り合った仲間も手伝いにきたり、久しぶりの再会でも口の悪いまま変わらない仲間がいて。

にんじんボーン特有の口が悪くて表面的にはどうみても意地悪だったりするのだけど、それが仲間同士にみられるじゃれあいふざけあい、というテイストをベースにして、かつての仲間というものだったり、それでも年齢を進めていくということだったり、生きていくということだったりというある種のほろ苦さを丁寧に紡ぐ印象。

このスタイルは実は結構癖があって、合わない人にはとことん合わない可能性もあるし、何度かがまんして観てみると、フザケているようにしか見えない役者の凄さみたいなものが見えてくる人も結構いる気がします。ふざけ合いのテイストも、客をとことん笑わせるというよりはずっと温度の低いところで揺らしている感じがあって、それゆえにナチュラルだともいえるのだと思うのです。

アタシ自身も、100%おもしろい大絶賛で毎回観ているわけではないのだけど、癖になるという文字通りの感じで、ついつい通ってしまうのです。

]

謎めいた存在の一人はわりと早々に着地点は見えてしまう感じはあります。もちろん謎解きが主眼ではなくて、その着地点まで、役者たちがどうやって「昔の仲間たちの再会」というテイストを作るかというあたりこそが本作でのポイントだという気がするのです。

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2009.05.16

スタンドを買う。

iMacをテーブルに置かなくていい方法を考えてたら、モニタスタンドを買える方法を思いついたのです。が、10kg超えの重量を支えられるものがそうはなくて。見つけたのは液晶テレビ用の自立スタンド。ヨドバシでも買えます。意外に小さいので宅配ボックスでも受け取れるぐらい。

もう一つ必要なのは、iMacの裏側につけるアタッチメント。(VESAアダプタ)ちょっと付け替えるのに往生しますが、なんとか付け替えて、この構成でしばらく使ってみます。最後に首が回らなくするように固定するイモネジを極小の六角でしめるのだけど、その工具が無いので明日探そう。

週末。

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2009.05.12

速報→「無頼茫々」風琴工房

2009.5.10 19:30

大正時代の新聞記者の熱い物語に女性の立場を絡めての120分。10日夜のプレビューは値段の安さもあいまって満席。18日までスズナリ。演出をはじめとしていくつもある公演サイトのblogもお楽しみも込みで読み応え。

大阪では大阪朝日が強い言論を持ち、世間は米騒動で騒がしい時代。「日の出新聞」に入社するために上京してきた男は気骨にあふれ途中で見かけた米騒動に加担して逮捕されたりしてしまう。言論の自由をめぐり新聞と政府がやりあっていた時代だったが、なかなか動かない上層部に業を煮やした若手が動き始め、内務省に目を付けられる。その署名を集めているさなか、大阪では内閣弾劾の急先鋒だった大阪朝日新聞の報道に端を発した白虹事件が起こり。

当日パンフによれば気骨ある明治の新聞人・陸羯南(wikipedia)の物語を時代にずらして語ろうとしたときに新聞のありかたが大きく変わっていることに気づいて本作になったのだといいます。大阪朝日や白虹事件(wikipedia)あるいは貧民街という時代の背景を借りながら、登場人物たちも舞台もおそらくは作家の創作として、時代をぎゅっと凝縮して詰め込んだ印象があります。

作家のパンフでの言葉の通りの中身。時代を背景とした新聞の変わる瞬間に生きている男たち、あるいはその社会にもみくちゃにされたりしながらも生きる女性たち。二つの糸を縦に横に物語を編むのです。二つは確かにその時代にあったことなのだろうけれども、アタシにしてみると物語を観るときの視座をどこにおいていいか迷いながら観てしまった感があります。もちろん新聞や言論というあたりが主軸なのだろうけれども、それに負けず劣らず記者になったり伝統的な女性の姿だったりとか、恋心めいたものとか、洋行だとかといった具合に多彩で魅力的な人物も多くて。しかも女優だからってんで目移りしてしまったというダメ観客なのだということかもしれませんが。アタシの好みでいえば、新聞と女性の話がプレビュー時点ではその混合がまだ少々解け残っているという印象。もちろんどちらも一本の芝居になりうる題材なので違和感なく融合させるのはかなり手強い題材なのに、手を抜くことなく正面突破で進もうとしている訳で、そうとう大変なことに手を出しているわけですが。

とはいえ、この手の芝居、とくにこの作家のように徹底的に調べ、物語を創作するタイプの作家の物語を上演台本とwikipediaを相棒にしながら学び読み解くというのはいくら時間があっても足りないぐらい、アタシにとって楽しい時間なのです。音では勘違いしていたのは序盤にある「政論」。変だなと思いながら「正論」だと思ってました、なんてこともわかっちゃう。

役者が大幅に入れ替わった印象のある風琴工房で客演も多い今作は次のステップに進んでいる感じがあります。作家と語りを演じた渡邉真二のぶれない感じが印象に残ります。ついつい真面目一辺倒になりがちな芝居を軽く揺らす浅倉洋介が頼もしい。多根周作の誠実に見える感じ、根津茂尚の気骨の安定も安心。はざまみゆきが見せるひたむきさ、津田湘子の見せるある種の貫禄、小山待子の溌剌さも印象的。

プレビューとはいえきっちりと作り上げられた舞台。もちろんある種の固さがあるのは否めないのだけれども、この安定は揺らがないまま1週間で熟成されていくのではないかとも感じるのです。

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2009.05.11

速報→「針」メタリック農家

2009.5.10 14:00

メタリック農家の駅前劇場進出作。童話世界のような可愛らしさの中に滲む、でも童話世界になりきれない人間の話、と読みました。100分弱。10日まで。

永い眠りから覚めた王女。その国は荒れていて知恵者の提案で王は三つの法律を決める。それは人を憎まないこと、独占しないこと、実際以上に理想像を抱かないこと。守らなければカエルの声が響き、人はそれをやめる。王女は生誕の祝いのドレスの仕立屋と恋に落ち、貧しい兄妹を知った王は妹を養女に迎え病を治療し、詐欺師の男の扱いに妻は手を焼く。

舞台いっぱいに建て込まれた童話世界を体現した装置。じゃあ物語を童話世界かというと時々現実に引き戻したり。たとえば埋められない溝として扱われている在日という存在には少々配慮が足りない気はします。もしかしたら作家の実体験の何かにつながるという可能性はないとは云えませんが、膨大な背景を持っていて観客それぞれの背景に依存しがちな単語をあえてここに持ち込まなければならないほどでもなくてあまり巧い方法ではない気がします。

三つの法律は愛とか恋とかをしているときに必ず起きる現象を禁じているというのはわりと早々に見えてきてしまう感じはしますがそう大きな問題ではありません。これだけの人数の世界で別々の人間関係から生まれるものとして描こうとしていることは終幕近くに明らかにされるのですが、観ている側からは少々散漫というかどうやって観たらいいのかわからなくて物語の軸を見失うと感じてしまいます。さまざまにちりばめられた物語が収束しない感じにみえてしまうのももったいない。

仕立屋と王女、仕立屋と未亡人のシーン、ベッドではなくて召し換えたり採寸するシーン、の二人の近さの色気。セクシーさ加減がくらくらします。仕立屋の耳に心地よい言葉も実に美しく、ファンタジーとは云いながらこういう女性視点の恋心を描かせると作家は実に巧い。

伊藤ヨタロウを舞台でみたのはずいぶん久しぶりなのだけど、ウクレレのシーンはキヨシローを織り込みつつもその一瞬で持っていってしまうような圧倒的な存在感があります。

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2009.05.10

速報「通信ボちょーだい女」バナナ学園純情乙女組

2009.5.9 19:00

バナナ(中略)組の新作。初日時点では芝居30分弱にライブ60分弱。間に着替えタイムつき。12日まで連日ライブの構成を変えながら、王子小劇場。

ぎりぎりで均衡の保たれていた生徒会と風紀委員会。恋人たちのつながりが最強で、あるいは妹たちのバランスもあって。

正直に言えば、初日時点では芝居は起承転結の起だけの印象。(ライブ後半で語られる)彼女たちの言葉を信じるならば、中屋敷台本が連日少しずつ来てはいても、初日時点ではこれだけ、ということなのだけど。好意的に解釈すれば、できていない時間を埋めるためにライブを大幅増量なのです。個人的には、中屋敷台本が上がらない、ということをネタにするのはここしばらくですからそろそろ飽きてきたりしています。面白くなりそうなキャラクタを提示されてるところですから、んん。

生徒会の危機を聞いて、昔の悪い仲間とか。面白そうにみえる素材があるのだから期待は膨らむのだけど、ホンがないから尻切れに。初日以降に本ができれば、それが補足されながら改善していく予感はしますが、あたしはこれ一回きり。

劇場を後にした時点では、魅力的な若い役者を揃えたのに、物語が完結どころか転がりもしないのに少々いらだちもしたのです。中屋敷台本が遅いのは再三ネタにしてるのだから、なぜ頼む、とか。その気持ちで劇場そばのチューハイを売りにしてる店でさんざん呑んで、思いついてもう一度劇場前に行ってみれば、劇場前でのほぼミーティング。1Fの店には迷惑だけど、(呑みもしないのに)この熱さははすごい。と思えば、ライブを大幅増量なのは、彼女たちなりの観客に対する誠意だと気づきます。 でもアタシは物語が観たい。この世界を作りあげたのは作家の手柄かもしれないけれど、ほぼ完成したこの世界ならば、この作家でなくても作り上げていく方法はあるのではないか、という気がしてなりません。

ばんない美貴子(教師役だったのか。 )のちょっと素敵な衣装をもう少し観たいとおもったりしたけれど、圧倒的に安定した蹴り、ライブラストのハイジャンプ回し蹴りが観られてうれしい。ひときわ背のある彼は山口航太かと思うのですが、不器用な見た目に反してちゃんと踊る、キャラクタもちゃんと。男だけど。 劇団のメンバーである野田、前園、菊池、加藤は安定。高村枝里の表情の豹変、春野恵の美人キャラにもちょっと。ならば、この役者やキャラクタに物語が欲しい。

秋葉原に近い立地を生かすのは、クロムモリブデンの王子進出の頃に似ていますが、彼らが利用してやる感じなのに比べると、バナナはそれにとけ込んでいる(まあ、大学公演でも同じ印象ですから一貫してますが)というか、「そういう客」が多いのはいいのか悪いのか。秋葉原は好きですが、どうにも慣れないアタシですが。

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速報「おかしなふたり~千夜一夜物語~」SUPER☆GRAPPLER

2009.5.9 15:00

スーパーグラップラー(スパグラ)の2005年作の改訂再演。110分、10日までシアターサンモール。

夢から覚めない女の子、さめるのを待ちわびる両親や兄、友人。夢の世界では他人の夢や物語にまで入り込んでしまい混乱を招く。夢なら覚めればきれいさっぱり消えるはずなのに、物語が終わって、独りで寂しいと強く思っても、現実の世界に戻ることが出来ない。それには理由があって。

初演とほとんど変わらない物語の運び。あのときはスタイリッシュにボケ倒しているという彼らの持ち味に熱狂していた気がします。最近は出ていない羊吾を軸としていた印象。本作、それに比べると違う役者でぐっと近づいてはいますが、そのボケ倒しの持ち味は薄め。破綻は少ない感じだけれども、もっとはじける感じが見たい。

それはプロダクション系の出演者というよりは、主要な役を普段劇団に出演していない役者にしたゆえの、その間合いの難しさのようなものがでてしまっている印象。だから、普段から出演しているような面々の間合いはばっちり、だと感じるわけですが。

想いが作用して戻れない、というあたりの構造が見えてくるあたりからは物語はしっかりしているのだけれども、淡々と進む感じで、もっとダイナミックさが見たいのです。

三井俊明演じるランプの精は、コミカルさをあわせもち、すべるでもなく確かにかっちりと、初演と同じ印象。原田明希子演じるニキータはメインの物語を支える今作での数少ないスパグラ勢で、確かなちから。同級生を演じた田代さやかはホリプロの中でどういうポジションなのかは知りませんが、wikipediaではグラビアっぽい感じ。が、本作においては自虐ネタを含むしっかりとしたコメディエンヌとして機能していてほぼ最後列(実は視界が開けて楽しい)でも印象的。

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2009.05.09

ポチッと。

お金使わない方向がトレンドなのに、ついつい。iMacを購入。入れ替えにしばらく時間かかりましたが、違和感なく新しい方を使っています。やってることは大差ないのだけど、余裕のあるパワーはうれしい。それにしても、OSもCPUも何回も乗り越えて同じように操作感を感じさせるのはたいしたものだなぁと思うのです。環境移行だって、ツールはあるし、それがうまくいかなくてもそんなに苦労せずに。何よりびっくりしたのは印刷物がものすごく少なくて。

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2009.05.07

速報→「少年B」キレなかった14才りたーんず

2009.5.6 16:00

14歳を正面突破で描ききる75分。アゴラでの公演は終了。 14歳のころ。夜中に家を抜け出しては友達と漫才の練習をしたり、クラスには怖くてからんでくる不良が居たり、頻発する動物殺傷事件を宇宙人の仕業だと耳打ちしてくる友達が居たり。クラスの女子とは話もできないけれど、ちょっと気になっていて。

デフォルメされてはいるけれど、あのころのクラスの様子の空気に近いと感じます。漫才をやったりしてなかったけど、クラスには怖い奴も変わった奴もいたし、女子にほのかに想いがあっても声なんかかけられないし。なんてのはアタシのリアルな感情と記憶にとても近い。小さい事件ひとつひとつが重大に感じられて、それをどう吐き出していいかもわからなくて。

僕の中心は僕なのに、世界の中心は僕ではない、というのが巧い感じ。でも僕が中心に見えている世界を描くべく、主人公はほぼ徹底して中心に居続けて、まわりが着替えさせたり自転車に載せたりというのは一人称カメラのようでちょっとおもしろいのです。

その地点を丁寧に紡いだあと後半では、大人になった現在、地方都市と思われる中学時代を過ごした土地をめぐるようなシーン。おもしろかった漫才の相方も、怖くそびえていた不良もきっちり働いていて、普通の大人になっている姿。普通になんてなりたくない、と東京に飛び出しお笑いはあきらめても役者としてたち続ける姿はある種の決意表明のようでもあります。

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速報→「すご、くない。」キレなかった14才りたーんず

2009.5.6 12:00

おそらくはあたし初見。ダンスとはいえ、笑いもせりふらしいものもぼちぼちあってみやすい60分。公演は終了。

実際のところストーリーらしいものはよくわからず。わりと自由気ままに動いているものを中心に一人の男が規制しようと孤軍奮闘するシーン(せりふだと、自分の友人のブッコミ力がいかにすごいかを説明するたりから、じっさいにブッコムあたりまで)や、寝ころんだ男たちの上で女がまるでサーフィンのように乗って見せるあたりのシーンが結構好きではあります。

子供から大人、自由から規制、人との関係なんてことが見え隠れする感じに作られて居るなぁとは想うのですが、そこに物語がある感じではなく、そもそも物語を描くこと自体は目的ではない気がします。から、まあいいのか。ここから感じ取り、物語じゃない何かを感じ取る感性を持ちたいなぁともアタシは思うのです。

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2009.05.06

速報→「学芸会レーベル」キレなかった14才りたーんず

2009.5.5 20:00

中屋敷版の75分。きちんと出来ていた稽古場の印象はそのままに。公演は終了。

保育園に現れた一人の女。園長に会わせろと強気の彼女こそ、一年前にここを辞めていた保育士だった。圧倒的な力を持っていた彼女は会話が出来ない男の子の世界を広げる万策が尽きて、ついに禁じ手の「学芸会」を試すことにしたのだが、それはあまりにも危険なパンドラの箱だった。

保育園を舞台にアニメや漫画のような対決だの伝説だのを持ち込んだようなフォーマット。台詞の量は多く、それを猛烈な早口だったり、やけにキャラクタめいた抑揚で話すというのもいつものとおりなのだけど、「柿食う客」で見る芝居に比べると感情の起伏がわりと明白に感じるのは、もともとその意図になっているのか、あるいは役者が違うのかということはよくわかりません。

「学芸会」という封印された伝説のイベントは物語中では、精神的にとらわれてしまい現実世界には戻れなくなってしまうという封印されるだけの意味を与えられています。最強の保育士が子供を想うあまりにその封印を解いてしまうけれど、それはとても人類にはコントロールできないもので、暴走を始めてしまう、なんてのは最近流行がちな物語の構成(いや、実は読んだことないので本当は知らないのだけど)で、それをテンポよく圧倒的なスピードで見せたり、場面をうまく切り替えながら見せたりと、誰でも知っていそうな背景に誰でも知っていそうな構造を組み合わせながら濃密に作るのが功を奏しています。彼女たちに限らず、役者のテンションを引き出してみせるのは演出の持ち味。

今村圭佑演じる、だにえる君なる役は後半でこそ重要なキーポイントとなりますが、たとえ無かったとしても、テンション芝居の中での緩やかな役というのは特異点であって舞台に奥行きが出るような気がするのです。本当は違うけれどバナナ学園における体操着の彼女、みたいな異質感が楽しい。

終演後のトークショーやら、ロビーで配られているフリーペーパーやらを見ていくと、イマドキの学芸会のいびつさ、なんてのが語られていたりして、それは主役をつくらないという悪平等がまかりとおるから、じゃあ学芸会なんてのは要らないんじゃん、じゃあそれはなくなって伝説になっちゃうんじゃん、と思いをはせます。やけにモンスターペアレントネタの芝居が多いと感じてしまうのはこどもの日を挟んだこのあたりだからだから、なのかなぁ。

同じトークショーで、14歳をテーマにしたこのシリーズで保育園の話というのはどうなのよ、という話があって、作家は保育園(だか幼稚園だか)の頃が自分にとってのターニングポイントで、そこから先、芝居にとらわれ続けているのだと云います(うまいこといった)。好みはあれど、確かに舞台に対する愛情はそこかしこに感じるのです。

稽古場で見たときの印象では荻野友里のアンバランスが実は気になっていたのですが、少なくとも楽日ではきっちり物語の中にはまり込んでいて、伊東沙保演じる「最強の保育士」に対峙するだけのナンバー2という役に説得力。ここ以外でこの芸風がそのまま使えるとは思いませんが、はじける笑顔とか、実はなかなか見られない側面で観客は単純に楽しい。この手の芝居は

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速報→「神様とその他の変種」ナイロン100℃

2009.5.5 13:00

ケラリーノサンドロヴィッチの新作。休憩10分を挟み180分。17日まで本多劇場。そのあと名古屋、大阪、広島、北九州。

三階建ての古い洋館に住む家族。息子は三階から見える動物園、特に象が気に入っていて。新しい家庭教師がやってくる。息子は学校に行けず、家庭教師を週二回呼んでいる。近所では刑事が聞き込みをしていて、この家を訪れた人々に連絡が取れなくなっているのだという。

オープニング、洋館の外壁を使い、窓を効果的に使いながら実に見応えのある映像。特に窓を切り替えて見せたり、奥行き方向のパースを描き出したりして独特な空間をこの平面に作り出すのは、たぶん劇場でみないと実感できないけれどもちょっとすごい。

息子を守りたい母、妻を守りたい夫などぎりぎりのところでバランスしていて危ない橋を渡る人々。カミサマを名乗る男がでてくるけれどもそれを信じることに意味があるのかには懐疑的な作家の視点がっつり。 ホントに神様がいるなら、もうちょっと平和を、なんていうタイトルになってる曲にはそれも色濃く。 しかし、何かを信じ祈ろうととする人々の強い想いにはむしろ優しい視線で、こういうバランスは、あたしの気持ちにもぴったりはまりこみます。

登校できない息子のところに怒鳴り込んでくる学校の友達の両親。暴力を振るったのに謝ることすらしない家族の一方的なヒールかとおもうとその背景を見せたり、記憶を失った女の過去を見せたりと、それぞれ一筋縄ではいかない感じではあるのだけど、あたしの気持ちを激しく揺らすほどには至りません。それはこういう親子の物語から遠い場所に今アタシが居るということだけ、という気がしないでもありません。

それでも3時間という上演時間、笑いがものすごく多いわけでもない今作を飽きることなくしっかりと入り込んでみられるということは、この規模では実は貴重なことだったりするし、それをコンスタントに作り出す作家の確かな力がやはり再確認できるのです。

ネタバレかも

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2009.05.05

速報→「シュウさんと修ちゃんと風の列車/県立戦隊アオモレンジャー全国放送版」渡辺源四郎商店

2009.5.4 19:00

ラジオドラマを舞台に載せる東京限定のリーディング企画。音効もつけての40+10分、間に解説を挟んでほぼ60分。

家出した少女、ボックスシートに腰掛けて盛岡を目指すが、普通列車はあまりに遅くて、気がつくと目の前にシュウジと名乗る男がいて、電車じゃなくて蒸気機関車に引かれた客車になっていて。「「シュウさんと修ちゃんと風の列車」
青森を狙う全国の都道府県。秋田からの刺客・ナマハゲに立ち向かう県立戦隊。「県立戦隊アオモレンジャー全国放送版」

「シュウさん〜」青森出身の二人の文学人、太宰治と寺山修司の二人をフィーチャーし、この世に居ない人々が時間を超えて現れる話。母親と娘の微妙な複雑さをからめながら生きてること死んでることをきっちり。ラジオドラマという想像力に委ねられた構成は楽しい。東京に行きたいという少女の想いと、それを許さないという境界の上を行きつ戻りつしながらというのが本人の迷いを表しているよう。終幕のまとめかたは一瞬何が起こったかわかりにくい感じもしますが、きれいな感じ。

ラジオドラマの昔風を演出して、音効を生で見せる趣向。おそらく今の現場では使われていないようなローテク感満載なのは見ていて楽しいのだけど、見た目に派手な道具もあって、一瞬それに目を奪われてしまうというのはあたしが落ち着きないからですね。

東北の言葉、発音のいちいちがきちんと描かれている感じ。それは物語のリアリティには直接関与していませんが、会話での津軽弁は舞台全体の重みを加えています。

幕間の解説によれば、新幹線が到達する前の青森の家出少女たちは、普通列車で盛岡まで出てというのが定番なのを下敷きに、太宰と寺山という二人の青森出身文学人の共通点からの発想なのだといいます。

一転して「〜アオモレンジャー」はやったもの勝ち、どれだけ郷土色っぽいキーワードを詰め込めるかの勝負。もちろん出身者ではないあたしですが、言葉のリズム感、おそらくローカルだろうなというネタを微妙に解説しながらイキオイで乗り切る楽しさ。テーマ曲まで携えて、エレキと琴という異色のコラボも楽しい。こういうノリは劇団だからだなぁと思わせます。

「シュウさん〜」で工藤静香の見せた少女固有の頑なさは時に息苦しいけれど印象的。イタコねたで二本という工藤由佳子は笑わせるパートをきっちりとぬかりなく。普段はドラマターグの工藤千夏のノリノリ感の出演も楽しい。エレキの高坂明生もちょっといい

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速報→「3月27日のミニラ」渡辺源四郎商店

2009.5.4 15:00

ナベゲンの新作。教育の現場を一種の戯画的に描かせると圧倒的なちから。それに違わず濃密に切り取る80分。青森のあと、6日までスズナリ、そのあと秋田。

公立の中学校、校長室。定年退職の校長、転勤教員の離任・退任式の日。教室に行けずに校長室に入り浸る中二の生徒、「ミニラ」。わがままし放題だがそれをたしなめもせず、言いなりになっている教師たちだが、それには理由があって。

分類するならモンスターペアレントと教育の現場という感じですが昴に書き下ろした「親の顔が見たい」(1)とは違うテイスト。学校の現場を描いたときの畑澤聖悟は強い。ちょっと一工夫で笑わせる中盤、畑澤節全開で楽しいが、教師たちのもつ無力感と深い絶望をこれほどまでに端的に、しかし芝居らしく表現されるということは実にすごい。最初から思いついたことなのかなぁ。

が、作家の筆はその発想のワンアイディアにとどまりません。その無力感を前にした教師たちのあまりに人間くさい行動があきらかになるにつれ、もちろんそれは仕方のないことなのだけど、アタシは深く絶望するのです。 さらにそこから一歩進んで、モンスターペアレントに庇護される子供の行く末を心配する気持ちまでを物語は描ききりますが、それは子供にもおそらく親にも届くことがない、ということに絶望を極めるのです。

ミニラが徹底したヒールを貫くように少なくとも表面的には描かれているのが潔くて、演じた工藤良平もそれにきっちりと答えていて、物語が進むにつれてのこの憎らしさ加減がちょっとすごい。

タバコのシーンがあること、電子タバコであること、その行為を容認しようというものではないことをパンフレットに記載しています。 アタシ自身はタバコを吸いませんが、時節柄ヒステリックになりがちな嫌煙の多い昨今ですから自衛のためにはしかたのないことだけれども、物語のきっかけとなる真実がどこにあるか、ということが最初から見えてしまうのは、これだけの物語にとってはあまりにもったいないと思うのです。なにかうまい方法はないものか。

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2009.05.03

速報→「家族のこと、その他のたくさんのこと」ロロ

2009.5.2. 19;00

王子小劇場の新作戯曲の審査制度「腕に覚えあり」の初入選。105分+ボーナストラック、3日まで。

家族、帰ってくる長男、父親を拾ってきたのだという。息子も妹も簡単に受け入れるが、母親はどうしても受け入れられない。その拾われてきた男は別の話もあって。

たった二日、4ステージ。王子の博打の結果は、アタシにはわかりにくい。学生劇団らしく。

水をまく(アタシのメモではシャワー女)の物語の上での位置はわかりづらい。家族の話と恋人たちの話が役者を共有しつつも交わらない感じなのだけど、終盤になって結びます。

。 水槽の話、とチラシにあるけれど、さすがに水槽というわけにはいかず、雨と水を貯める舞台装置、それぞれの人間の位置が見えづらくて何処に自分の視座を置くか、年齢の差なのか家族の捕らえ方の差なのか、年齢ゆえかはわかりませんが、どこにとっかかり(または視座)を持つかに迷います。

突然拾われてきた夫に戸惑う妻(文体としては息子視点なので父親と母親)にはこだわりを感じます。 作家が書きたいこと。あるいは弟や妹たちとの関係も。

終演後にボーナストラック、と題された短編。弟と姉の二人芝居。こちらもあまり印象はかわりません。描きたいことが何かある。まだ荒削りに過ぎるとは思いますが。

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速報→「14歳の国」キレなかった14才りたーんず

2009.5.2 16:00

キレなかった〜のアタシ的3本め。アゴラのサミットディレクター杉原邦生による唯一の原作つき。65分。4日までアゴラ劇場。

1997年、体育の授業中で空いた教室で生徒には内緒で持ち物を開けて調べる教師たち。その持ち物のひとつからナイフが見つかって。

いっぱいに並べられた机。終盤のほんの数分にゲームはおこるものの、それぞれに多少の癖があるような教師たちのだらだらとした会話に終始する感じがします。

ああ、そうか、この国全体が、14歳のようだ、ってことがタイトルの意味かと気づいたのは終演して随分経ってから(←遅い)。演出的わざわざ狭めて明白にしている一番若い彼に限らず周りのさまざまな年齢の教師たちだって14歳のよう。ということは、26歳の彼だけに全てを背負わせるようになっているバランスは果たして正しいのかしら。26歳が演出の年齢だというのならば、それは自分で背負っているわけですが。

若い教師の起こしたことは、(わざわざ舞台上で着替えさせて)14歳の少年であるかのような衣装だったり、そのテンションの終盤だったりします。山崎皓司の肉体の強さを生かしてはいるもののキレなかった14歳がそのまま26歳に危険を内包したまま今ここにいる、ということをいいたいのかどうなのか。稽古場では終幕のシーンがもう少し丁寧な会話劇だった気がしたのですが、それをあっさりと捨ててイキオイ、ガーッというような訳わからない感じにしてしまった意図は、なにも考えてないまま生きているよ、という解釈は出来そうな気もしますが、今一つつかめないままなのです。

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2009.05.02

速報→「ショート7(Bプロ)」DULL-COLORED POP

2009.5.1 19:00

金曜日の夜にふさわしく、エンタメ指向のBプロは3本立て。どちらか一本ならば、新作を含むこちらを。遅く着いたから2Fからなのだけど、カラダが楽なのはこっちがいいかも。表情とか細かな所作は見えませんが。2日からはほぼ毎日3本廻しで6日まで、pit北/区域。 セットチェンジ、休憩を挟んで120分。

同棲相手の浮気を疑う男、出張から一日早く戻り隠れる「息をひそめて」
閉店間近のバーで酔いつぶれるサラリーマン、合い言葉を交換するとその先に広がる桃源郷。「エリクシールの味わい」 「藪の中」で見つかった死体を見た人から繋いで、聞き込んでいって。(青空文庫)

割と静かで人間の暗部を暴き出すAプロに対して見やすいBの3本立ては、どちらか一本を見るならこちらがアタシの好みなのです。

「息を~」あり得ない建て込み装置かと思えば軋んでたりして。その効果は十分。序盤の男の一人語りは疑いを確信にする過程。隠れた後に入ってきた二人、そこから数年前の個人のものがたりがきちんと立ち上がるのは凄い。上から見てるとドキドキしちゃうのはまあ、女優が寝転んだりするからですが。Aと合わせて、堀奈津美の2本はきっちり。

「エリクシール」飲尿ミュージカル、という触れ込みの本作は今回唯一の新作。40分に及ぶ大作は隙なく台詞を埋めながらミュージカルなのです。前半の出色は、たくさん出てくる女性たち、それぞれの理由を織り交ぜながらの情景描写。もうひとつ、いわゆる蘊蓄漫画のうざったさは常々気になるのですが、毎週買ってる「神の雫」蘊蓄度合いの爆笑したい気持ちを存分に解放出来るのは、正しい。

真ん中でちゃんと歌いあげるのだけど、そこで拍手が欲しい(ミュージカルだから)。

後半はほぼ3人芝居。そこに居続ける理由、そこから出ていきたい衝動、そこにたどり着く人、毎日来る人などを緩やかにしかし他の解釈を許さないようなタイト感。行きたいのは「私の居ない世界」とか、「一人で居るのはいやなんだ」とか「しないと怒る」とか「50cm離れて」とか、きちんと世界が思い浮かびます。 全体にしてみると、笑いが沢山、女優がたくさん、切なくて一瞬うっかり泣いてしまいそうになる、という凝縮感は実にお得なのです。

その後での「藪〜」はミュージカルの後では観客がニュートラルに戻す時間が足りない。むしろ順序を入れ替えた方が観客にはいい気がします。(堀越涼はAプロの頭に出なきゃいけないのは何の拷問だ)。読んでない本なのですが、青空文庫のテキストは9894字。それを一人で語りきるのです。声色をさまざまに使い分け、所作をちゃんと切り分けて、物語を運ぶのは大変な労力。きちんと訓練された役者を観るのは実に楽しいのです。

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