速報→「学芸会レーベル」キレなかった14才りたーんず
2009.5.5 20:00
中屋敷版の75分。きちんと出来ていた稽古場の印象はそのままに。公演は終了。
保育園に現れた一人の女。園長に会わせろと強気の彼女こそ、一年前にここを辞めていた保育士だった。圧倒的な力を持っていた彼女は会話が出来ない男の子の世界を広げる万策が尽きて、ついに禁じ手の「学芸会」を試すことにしたのだが、それはあまりにも危険なパンドラの箱だった。
保育園を舞台にアニメや漫画のような対決だの伝説だのを持ち込んだようなフォーマット。台詞の量は多く、それを猛烈な早口だったり、やけにキャラクタめいた抑揚で話すというのもいつものとおりなのだけど、「柿食う客」で見る芝居に比べると感情の起伏がわりと明白に感じるのは、もともとその意図になっているのか、あるいは役者が違うのかということはよくわかりません。
「学芸会」という封印された伝説のイベントは物語中では、精神的にとらわれてしまい現実世界には戻れなくなってしまうという封印されるだけの意味を与えられています。最強の保育士が子供を想うあまりにその封印を解いてしまうけれど、それはとても人類にはコントロールできないもので、暴走を始めてしまう、なんてのは最近流行がちな物語の構成(いや、実は読んだことないので本当は知らないのだけど)で、それをテンポよく圧倒的なスピードで見せたり、場面をうまく切り替えながら見せたりと、誰でも知っていそうな背景に誰でも知っていそうな構造を組み合わせながら濃密に作るのが功を奏しています。彼女たちに限らず、役者のテンションを引き出してみせるのは演出の持ち味。
今村圭佑演じる、だにえる君なる役は後半でこそ重要なキーポイントとなりますが、たとえ無かったとしても、テンション芝居の中での緩やかな役というのは特異点であって舞台に奥行きが出るような気がするのです。本当は違うけれどバナナ学園における体操着の彼女、みたいな異質感が楽しい。
終演後のトークショーやら、ロビーで配られているフリーペーパーやらを見ていくと、イマドキの学芸会のいびつさ、なんてのが語られていたりして、それは主役をつくらないという悪平等がまかりとおるから、じゃあ学芸会なんてのは要らないんじゃん、じゃあそれはなくなって伝説になっちゃうんじゃん、と思いをはせます。やけにモンスターペアレントネタの芝居が多いと感じてしまうのはこどもの日を挟んだこのあたりだからだから、なのかなぁ。
同じトークショーで、14歳をテーマにしたこのシリーズで保育園の話というのはどうなのよ、という話があって、作家は保育園(だか幼稚園だか)の頃が自分にとってのターニングポイントで、そこから先、芝居にとらわれ続けているのだと云います(うまいこといった)。好みはあれど、確かに舞台に対する愛情はそこかしこに感じるのです。
稽古場で見たときの印象では荻野友里のアンバランスが実は気になっていたのですが、少なくとも楽日ではきっちり物語の中にはまり込んでいて、伊東沙保演じる「最強の保育士」に対峙するだけのナンバー2という役に説得力。ここ以外でこの芸風がそのまま使えるとは思いませんが、はじける笑顔とか、実はなかなか見られない側面で観客は単純に楽しい。この手の芝居は
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