« 2009年2月 | トップページ | 2009年4月 »

2009.03.30

速報→「転校生」フェスティバルトーキョー・SPAC

2009.3.29 18:00

94年初演・青山円形劇場の転校生(を10年以上の間を経て飴屋法水演出。SPARCの静岡公演(未見)をひっさげて、フェスティバル東京の最終演目。29日まで東京芸術劇場、中ホール。

教室、徐々に登校する女子高生たち。HRで担任の休みを知り、教室は騒がしくなり。そこに先生もいないのに転校生が現れるが、明らかに違う感じで。

青山円形の初演をみては居るのですが、物語の記憶はほとんどなく。ワークショップ選抜された当時女子高生(多分)たち、桑原裕子、青山麻紀子、田村友佳、端田新莱、渡辺香奈、井口千寿瑠、石村友見なんて役者たちののほぼ初舞台だったという奇跡の舞台。青山円形という小屋の広さもほどよくて。

それに比べると、今作は少々やりすぎの感。何が理由かはわかりませんが、大人たちの都合だと思うのです。たかだか4500/3500円の舞台にフェス全体のこの豪華なパンフを配るというのも昨今の状況を考えるとどうかしています。いや、客としてはもちろん嬉しいわけですが。

もちろん出ている彼女たちには全く罪はありません。役者はこれほどの大舞台、声はあやしいけれども、瑞々しくて眩しい。作家が書いた枠組みにはまるようにワークショップで誘導されただろう初演とはもちろん話題も異なっているのだけど、でも残念ながら生きている女子高生の言葉ではない感じ。 ラストシーンはさすがに生きているものの力強さの圧倒感なのだけど、それも友人に聞くとモチーフとなる映画(園子温監督『自殺サークル』-youtubeに"Suicide Circle"としてありますが、1'15"以降はスプラッタにしてもあんまり趣味が良くないので見ないこと推奨)があって、あれれ。 が、観てみると、演出はそれを知った上で作っていることがよくわかります。映画ではホームに飛び降りる女子高生たちなのだけど、今作では手を繋いだ彼女たちは両足をしっかり地面に踏ん張り、生き続けていきます。それを執拗に繰り返して生きていくことのチカラと誇示するのは、確かに感動させてしまう圧倒感があります。その意味では青山版よりも生命感あふれていて。

転校生という役を、年かさの役者にさせるというのは、アタシの記憶にはありません。詰め襟を着て「風の又三郎」風味なのはよくわかりますが、対立するでもなく受け入れる側でもなく。対比するという構造はよくわかりますが、ならば男でも、あるいは女子高生自身でも成立すると思うのです。

オープニングでやけにネタバレ感になります。映像、「転校生」→「転生」「生」と消えていくのです。しばしここに居る、ということでは転校をし続ける子供とか、朝当たり前に学校にきて、明日も当たり前にあえることを前提にさよならっていうとか、ということ。最後まで残る転校生は、明日また会えるのかということを最後まで気にしながら。この物語をアタシの中に記憶として刻み込むことが出来たのはたしかに嬉しいのです。

続きを読む "速報→「転校生」フェスティバルトーキョー・SPAC"

| | コメント (2) | トラックバック (0)

速報→「アルカリ」壁ノ花団

2009.3.29 15:00

MONOの水沼健が主宰するユニットの新作、70分。31日までアゴラ劇場。

戦争の街。もと孤児院の廃屋のような建物。自分の鞄を探し故郷に帰ろうとする女。出会った男女は孤児院のころからそこに残り続けている。

男女二人づつ、皮の鞄が乱雑に積まれた場所。静かに少々不条理なスタート。小さなシャツに首を通そうともがきつづけたり。わけのわからないまま進むうち、戦争があって、後からきたのは教師で収容所の爆撃で半年も気を失っていたなどが断片的に。

しかし、実際のところなにが物語の根幹かというのはよくわからなかったりします。後半、倒れたまま雪が降りつもる教師は、終幕近く、こどもがやっていた卓球の球を投げる(ふりをする)のだけど、死んでしまったであろう教師の思いとか、そういうことをとらえるべきなのかと頭をよぎったりします。70分というコンパクトな世界でこの座組ですから、それでもちゃんと観続けさせてしまうようところはあって。

トランクを積み重ね階段のようにするシーンはちょっと凄い感じがして、観ていて楽しい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.03.29

速報→「エスカルゴ」こゆび侍

2009.3.28 19:30

こゆび侍の新作。110分。29日まで王子小劇場。

かつては売れた詩人の家。妻のことを書いて詩集は売れたが、その妻は毒を抜くためと云ってバスルームに籠もって何年もでてこない。息子は大学をあきらめ、娘は父親と会話せず、友達が頻繁に出入りし。その息子に彼女ができて、連れてくるのだという。

終演後に聞いてみれば詩人は41歳の設定で、息子は20歳の設定なのだと云います。さすがに若い役者ではリアルにはなり得ませんが、むしろアタシの年代というリアル。観てるときは50だと思ってたのになぁ。若い作家なのに、こういう枯れたというよりオヤジ目線で女への視線がアタシのリアルな気持ちに重なります。←いやいや、なんのカミングアウト。

その妻を演じた浅野千鶴は若い役者だけれども、特徴ある声質が年齢をわからなくさせるのです。この声の心地よさったらないのです。息子の彼女を演じた佐藤みゆき、圧倒的に見ていた「柿」の客演などの成分をすっかり抜いて、次々と衣装が替わりながら実に清楚な美人という役は珍しい。うあ、こういうことができるから女優ってのは信用できないよなぁと思いつつ、目が離せないのです。オヤジだから。

暗い家の中に明かりがさしてすべてが幸せになると信じて。そのあとにあるのは絶望なのか、希望なのか。あっさりと、しかし粘度のある話を感じて

妻と毒というのは、下にあるのが「女」=妻、「母」=毒というのだというCoRichでの指摘。この流れで終盤息子娘が出ていった後に妻に戻るというのはこの流れ、実によいと思うのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

速報→「インテレクチュアル・マスターベーション」パラドックス定数

2009.3.28 15:00

下北沢・スズナリの横にあった映画館を改装した本多グループ、下北沢で7番目の劇場、演劇としてのこけら落とし。エイプリルフールまで711。110分。対面に設えられた客席、常設側が正面、裏側になるパイプ椅子席は裏の表情が楽しい。

明治、社会主義というか無政府主義を掲げる男たち。世間はきな臭くなり、その自由も怪しくなってきて。幸徳秋水堺利彦木下尚江山川均大杉栄荒畑寒村内山愚童

史実に嘘を巧みに織り込むパラ定の新作。大杉栄のような歴史上の有名人を登場させるスタイルは実は結構珍しい気もします。匿名の誰かを登場させるスタイルはあたしの好みにぴったりだし、実在の人物でも史実を知っていれば楽しいのです。が、この実在の人物となると、じつはその知識というか印象が物語を読み進むために必要な感じがします。例によってこの手の知識に疎いアタシは、大杉栄や(登場しないけど)田中正造の名前ぐらいは知っていても、登場人物たちのキャラクタというか、どんな背景の人々かは知らないまま。知っていれば、人物の造型をいきいきと感じることができそうなのだけど。

この規模の劇場でずっと張り続ける声。時代の熱さを感じさせるという効果とともに、裏側で芝居を観てもセリフがちゃんと聞こえます。戯曲を買って読むと、役者のセリフがそれほどはしっかりしていないことに気づいたりしますが、それは大きな問題ではありません。 張った声は人物の格好良さ。お互いに軽口をたたきながら、命すらなげうちそうな熱さを持った人々を丁寧にしかしダイナミックに描くのです。

屋上での集団での演説はまるで遊園地に遊びに来た男たちのようで乾いて明るく楽しい。あるいは軍人500名を前にしての演説シーン。これが記録に残っているものかどうかはわからないけれど、けっこう圧巻。「おなじものを見ている間は幸せだけど、ずれたら戦争」というくだりはちょっといい。。そういう具合にこまごまいい断片が書き込まれてるのだけど、それが有機的につながっておおきな物語に感じさせないのは史実を知らない自業自得。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.03.26

速報→「蜉蝣峠」新感線

2009.3.25 18:00

平日公演を18時開演という強気の戦略は会社勤めにには辛い。でも19:30の休憩後でもいいんじゃないか、これ。宮藤官九郎の書き下ろしの「いのうえ歌舞伎」果たしてちゃんと歌舞伎。休憩20分を挟んで360分180分(ご指摘感謝)。4/12まで赤坂ACTシアター。

蜉蝣峠で待っていた男、名前は闇太郎。友達に連れられて街に降りる。その街で起きた陰惨な事件の生き残りということで厚くもてなされ。ヤクザ者の抗争がある町で利用されつつ。しかし、事件の生き残りという闇太郎がもうひとり居て。

赤坂ACTの2Fはさすがにちょっと遠い。声で古田新太や堤真一はわかります。前半は背景説明だと思いますが、ダラダラとあんまり面白くない感じで巧く廻っていないと思うのです。役者は確実なチカラを持っていることはわかります。これはホンか演出だと思うのです。

ネタバレかも

続きを読む "速報→「蜉蝣峠」新感線"

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009.03.25

年度末。

なので、呑み会、壮行会、話したり、さまざまクロスオーバー。景気は確かに悪いし、そこで申し訳ない気持ちもあるけれど。あるいは仕事変わったり。そういえば、一年前に(同じ会社の中で)仕事の種類を替えたなぁ。さすがにこの展開は想像できなかったけど。

水曜夜に赤坂、いのうえ歌舞伎。そしてのんだくれながら週末。福岡の落語会と迷いつつ、東京で。

続きを読む "年度末。"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.03.23

速報→「お弔い」ラックシステム

2009.3.22 18:00

15周年を迎えるラックシステムの新作。このあと今年度中に二本の公演、楽しみ。130分。22日までスズナリ。

事故で突然亡くなった老婆の部屋を整理に訪れた社員や古物商たち。戦後10年、質素に暮らしているとはいえ余りにものがないことを不審に思った彼らは、彼女の秘密の部屋を見つけてしまう。戦中、中国で人気のあった女優の写真や撮影に使われたような洋服、装飾品がたくさん。映画会社の広報や大家、その財産に目をつけた詐欺師たちも藁藁と集まってきて。

泣かせる関西弁芝居という印象のラックシステムなのだけど、笑わせる序盤、コンゲームにも似た謎が謎よぶ展開の中盤、女優と部屋主の関係の謎解きの終盤という構成は巧いなぁと思わせるのです。

遺品を整理する中でさまざまなものを値踏みしていく序盤のシーンはリズムも良く、関西弁によくあいます。笑いも多くて、安心して進める物語。

そのあとにいくつかある詐欺師のオンステージがあとから思えば楽しい。もちろん観客もだまされているのだけど、その時代ならばありそう、という終幕直前の台詞も腑に落ちます。

リリパの役者にこだわらなくていいラックの座組では、魅力のある客演陣も。 武藤陶子晃子(ご指摘感謝)をラックでみられるのは不思議な感じもしますが、アタシには感無量ですら。関西の彼女の言葉が、この芝居の中で自然に流れるのがなんかうれしい。

京都人気質、というよりは京都人の大阪とは言葉も考え方も違うというプライド、アタシには真偽を知るよしもありませんが、そんな感じと思わせる説得力。その京都人、撮影所の広報を演じた八代進一は優男風、カッコイイ。

開演前に客を入り口と反対側に寄せる、というのは中央に座っていた客が下手によってしまうわけで、客の納得を得るのは難しいはずなのだけど、コング桑田という希代のエンタテナー、しかもオッチャンキャラ付きがすごくて、納得してしまうのです。もっとも、舞台の造りは、下手側によった方が見やすく作られているわけで、隙はありません。

さすがに昨今の状況では、弁当エイドとか、終演後のオマケというのを期待するわけにはいきません。それでも、有償パンフを買わないと配役がわからない、というのはちょっとしたことだけどケチくさく感じてしまうのがもったいない。いえ、webにちゃんと配役載ってはいるんですが。いえ、有償パンフだって買うんですが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

速報→「何処へも帰れない」Not in service

2009.3.22 14:00

Not In Serviceの新作。当日パンフによれば主宰は卒業なのだとか。21日まで早稲田どらま館。125分。

小さな国、国家運営コンサルタントとして民間企業から派遣されたスタッフたちのオフィス。内戦からやっと復興を始め、国の発展が始まったところ。が、周囲の国の政情不安から、内戦の火種はもういちどくすぶりだし。

大使館などの政府の機関ではなく、コンサルという民間の企業のスタッフがその国の運営をサポートをしているという構図。新進気鋭の政治家なんてのも突然訪れたり、環境を錦の御旗に勝手な行動をする人なんてのも訪れたりするけれど、少数精鋭のスタッフはちゃんと機能していて。かつて別の国で内戦を止めたなんていう伝説に近い活躍をした男を主軸に据えて物語は走ります。

中盤、本当に国のことを思っている政治家と、その本に共感する男という感じのシーン。青臭さいっぱいだし、荒削りな作りという気はするけれど、若い作家が書くゆえならばむしろ古風ですらあるスタンダードは安心感。

が、その青臭い想いは、後半になってあらぬ方向に舵を切ります。いわゆるヲタの一面が顔をみせ、それもこの社会の今の姿を確かに描いていて。なぞめいた男の対話相手もその妄想の延長か、と思っているとさにあらず、成立しない一途な想いにとらわれた元首や、あるいは母親の姿に重なっていくあたりは美しい感じもして、ちょっといいのです。

カードゲーム感覚だったり、その国の人に対する思いだったり、あるいはなにをより所として国を作っていくのかなんてことを幾重にも重ねていく終盤は、見応えはあるものの、未分化で整理されていない感じがあって、おそらく出したかったであろうスピード感よりも、過剰感の方が勝ってしまっている感じがするのは惜しい。でも、そういう熱い気持ちってのは、アタシには眩しくて、うらやましい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.03.21

速報→「mixture♯1」空間ゼリーLabo

2009.3.21 19:00

空間ゼリーのラボ公演。外部脚本を含む3本の短編で115分。22日まで池袋GEKIBA。

保育園、園児の父親との不倫がバレてやめる保母、病気の園長の代理として気を張った日々を過ごす三十路間近の保母は結婚したいと思ったりもして「らくがき」。
徹夜明けのオフィス、先輩にほのかな恋心を持つ後輩の女性、当の先輩には「永遠」と「奇跡」と名乗る謎の人物が見えていて、それは大学卒業の時以来10年ぶりで「2008年11月。」
何年かぶりに帰国した男が大学時代の仲間たちを集めて話があるというが「パンドラ」。

「らくがき」は、辞める保母のパートが前半、ねじ込んでくる母親が居て、気の張る役割を持たされているベテランではあるけれど三十路間近の保母が居て。きつい日々、結婚したいなぁでも相手いないなんていう日常の会話。 それとは裏腹に、彼女にはそこから抜け出す鍵を持っていて。冷静に考えればとっても嫌な女という感覚がしないでもないのだけど、どちらかというと地味目に見える園(平田暁子)が、というのがポイントでそれに支えられているといってもいい感じがします。正直に言えば、後半部分こそがアタシの見たいところではあるので、そこをフューチャーして凝縮したものが観たい感じはします。 「さよなら」と言い残してその部屋を去るラストシーンはちょっといい。

「2008年〜」は、10年前と現在を自在に行き来しながら、そのターニングポイントにあらわれる「しるし」を巡るはなし。洒落た感じのつくりで芝居らしさがあふれます。昔の想い出語りかと思っていると「将来につなげてみせる」女の意地のようなものがいい味に終幕に効いてきます。反面、頭良さそうな哲学めいた言葉を振り回している感じがするのは、学生特有の議論のシーンとはいえ、ことさら言葉にしない方が実はすんなりくるんじゃないかと思ったりもします。

「パンドラ」は、何かができると信じて大学時代から変わらない男と、振り回され続けている周囲の距離がくるくると変わる、作家の底意地の悪い視線が楽しく凝縮。そこに希望が残るはずなのに、それすらもなくなっちゃう、というのはタイトルによくあっています。そういえばそういう男だった、という女性視点の見方がちょっと新鮮なところはあって。人間を見ているなぁと思わせるのです。

シンプルというよりは手作り感あふれる舞台。RED/THEATERで彼らが打つようながっつりした公演だってもちろんいいのだけど、こういうシンプルな舞台ゆえに見えてくるものというのもある感じがします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

速報→「おやすまなさい」カニクラ

2009.3.21 14:00

川田希と宝積有香のユニット。準備公演2回を経てのvol.1公演。22日までアトリエヘリコプター。75分。

眠りたくて仕方のない人と、眠れなくてじゃまをする人。深夜の二人の会話。

。 五反田団名義は観たことがなくて、風琴工房の企画公演を見ただけのアタシです。どちらかといえば静かで眠りについていくような風合いの物語を強烈な色気で引っ張った風琴版に対して、パジャマ姿、散らかる部屋という風合いはおそらくオリジナルに近い仕上げ方なのだろうと想像します。

眠ること、静かに海底に沈んでいき、海底の貝殻をみつけながら、やがてその貝殻は砕け砂となっていくとか、あるいは片方がいなくなっても遺伝子のもう片方が複製していき溶けあうのだという、消えていくアタシの姿や消えていく友人の姿というようなものを、ごく丁寧に描いていきます。

アタシの座った側からは少々遠い印象で、観ているアタシがとけ込んでいくような感じにならなかったのは少々残念。貝や砂を持ち込んでいるのだけど、暗さもあいまってそれも遠い感じで最初わからないのがもったいない。 ヘリコプターに急斜面の客席を対面で。入り口はいって左側の客席は真ん中を大きく席を外し、上下二段、さらに左右に二台という片側だけに四台編成の撮影機材。アタシは反対側に座ったのだけど、果たして、やはりカメラ側に正面があるような演出でせっかくの対面舞台は見やすさ以外の点では残念な感じ。撮影を最優先としているというのは座席の作りにもでていて、左右端に階段をしつらえてはいるものの、案内もろくにしないおかげで、真ん中の導線とは考えなかったところを無理にあがる観客が多数。広角で取るためにそれだけの広さになにも入れたくなかったのだとは思うものの、ちょっと危なっかしい印象で怖い。

チラシも当日パンフも実に素敵で目に留まるデザイン。このチケット代のクラスの公演としては、実に丁寧に準備している印象がとてもかっこいい。バカ高いチケット代で当日パンフをケチる公演に比べたら志は高いのです。むりに書き下ろしを追わずに、既存の戯曲を信頼する演出にゆだねるというのも、こういう小さいユニットでは正しい選択だと感じます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

速報「同行二人」菅間馬鈴薯堂

2009.3.20 19:30

影山ザザを主役とするシリーズの新作。22日まで王子小劇場。1h26mというアナウンス、はたしてほぼそれぐらい。

四国・高松。今はキャバレーのオーナーに引き取られているが父親の芝居を引き継いだ娘が女座長、客は少ない。ザザの事務所も大変なことになって、一人で歌うためにここに。

四国といえばお遍路。逆打ち(逆回り)という独特な言葉はあるけれど、そう大きな問題ではありません。リアルかと思うと、体言止めというか言い切りというかの独特の言葉回しは、アタシが観ている範囲ではこの劇団の独特。まったくリアルではないこれがちゃんと成立する芝居のおもしろさ。

王子での公演がほとんどの菅間馬鈴薯堂、王子でやらなければこうして観続けるということすら怪しい、少し古い感じすらする構成。現代口語とはほど遠く、かといって大仰な歌舞伎のようなものとも違う90分弱。芝居がかったシーン、しずかに寂しさを感じさせるシーンなど、さまざまを取り回していくのです。

終演後、全員に開かれた劇場での飲み会は、わけへだてないオープンな感じで楽しい。半面、いい椅子の大半を予約席としているのはいい印象ではありません。

東京の歌い手、というのが圧倒的な力を持つ芸能の世界。地方でそう見えるのだろうという感じはしますが、地方での見え方をリアルで知らないアタシは、その真偽を知る方法はありません。

名前をいちいち書かなくても、圧倒的な歌手、若い歌手、女座長、その内縁の夫、芸人など、明確にキャラクタライズされた人物は明確で分かりやすくて、これは見やすくて嬉しい。

途中で挟まれるステージのシーン。歌だったり、怪しげn手品(ですらない)ものだったり。その中で圧巻なのは藤崎成益演じる駅名芸というもの。声がやけによくて圧倒的に声量のある役者の、ある種の一発芸は、ネタ自体のおもしろさというよりは役者のチカラワザ。ちょっと凄い。好宮温太郎の戻ってきた夫も力の抜け具合がいいのです。

今までのシリーズにいたマネージャーが不在な理由を、経済環境の悪化に求め、辻褄はたいしたもの。そういば、ハバロフスクへ、という台詞が過去にあったかと思っていると、アタシの友人はそうだといいますから、ちゃんとつながっている感じ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

速報→「すべての風景の中にあなたがいます」キャラメルボックス

2009.3.20 15:00

梶尾真治の「未来のおもいで」を原作にとったハーフタイムシアター王道のタイムトラベルもの。65分。29日まで新宿FACE。どちらか一本を選ぶならこちらをオススメ。

SF作家の家を深夜訪れる友人。商業デザイナーであるその男は、信じられない体験を語り始める。無名だが自分が好きで何度も上っている山。あるひ、山頂近くの雨で雨宿りの洞窟で一人の女性と出会う。その場は別れたものの、もう一度出会いたいと考えた男は、電話や住所を手がかりに探すが、見つからない。

時間を超えて知り合ってしまった男女、どうにも越えられない時間の壁、タイムパラドックスを承知でも助けたいという想い、変えられない歴史に対する無力。キャラメルボックスのタイムトラベルもの、特に笑いも交えたハーフタイムシアターのテンポの良さがいい感じで結実。名作「銀河旋律」にも匹敵しそうな物語のチカラと、1時間への圧縮による濃さ。

岡田達也・細見大輔の掛け合いは時に笑いに走りすぎるキライはあるけれど、あたしはこれぐらいの感じの軽さでとばしてくれる前半がとてもいいのです。それを受けて終幕まで走りきる感じで、いいバランス。温井摩耶はヒロインとしてあくまで美しくそこに居続けるという役柄がよくあっています。

通しで二本を見ると、幕間(まくあい)にはキャラメルボックスの過去全公演ダイジェストがついていたりしてちょっとお得な感じ。前説は、「光の〜」キャストによる合唱仕立て。このお祭り感も楽しい。

続きを読む "速報→「すべての風景の中にあなたがいます」キャラメルボックス"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

速報→「光の帝国」キャラメルボックス

2009.3.20 13:00

元リキッドルームであるFACEは小さなエレベーター3機しかなかったり4つしかない女性用化粧室が長蛇になったり(そのわりに男性小用や訳判らないぐらい多い)と、勝手の違うこともたくさん。早めに行き、あるいは備えて。65分。29日まで。

15年ぶりに再会した男と姉弟。あのころ、引っ越しを繰り返し友達ができなかった弟。一家は、あらゆる文章を記憶し忘れない不思議な能力を持っていた。その不思議な能力ゆえの迫害を恐れ、常野(トコノ)として在野に目立たないように生きてきたが、弟は、そらんじている平家物語をきっかけにある老医師と「友達」になってしまう。

記憶力がやたらに優れていると紹介されている冒頭から、人の記憶を「しまって」自分のものとしてとりこんで「ひびく」こと、というところへの展開は少々観客に対して誠実さに欠ける感じがしないでもありませんが、1時間の濃縮感はたしかな力。若い役者を核にしてもしっかりとした物語。笑いはそれほどは多くなくて軽快さよりは重さの方を感じがちになってしまうのは、恩田陸(原作「大きな引き出し」/「光の帝国」所収)ということを、アタシがことさらに意識してしまっているというだけのことかもしれません。

今作は畑中智行演じる不思議な能力を持つ一家の末っ子の成長譚と、大内厚雄演じる息子が父親の想いに気づく親子の物語の二つの軸。わずか60分の中に無理なくきっちり詰め込んではいますが、アタシの気持ちを乗せる視座に困るところはあって、そこが印象の弱さになっている感じはします。

小林千恵演じる同級生は弾けていて楽しい。坂口理恵演じる母親はこの座組の家族の中では圧倒的すぎることを自覚してかどうか、出しきっていない感じが惜しい。

親の想いの深さ、それに気づいたときの子供の気持ちの激しい揺れの感覚はあたしの気持ちに響きます。親を厳しく憎むぐらいになってる、ということならばこれは感動なのだけど、アタシはそこまでではなくて。でも、想いの深さに気づく瞬間は確かに。

続きを読む "速報→「光の帝国」キャラメルボックス"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.03.20

文字を打つ。

ポメラっていうメモ道具を愛用していました。ネットにも繋げないし白黒画面だしその割に大振りなのだけど、わりとちゃんとしたキーボードだったり、ATOKだったり、乾電池だったりといいところが沢山。それまで使っていたネット携帯+折りたたみキーボードも悪くないのだけど、どうしてもテーブルがチャンとした場所でないと打てないのに比べて、ポメラは膝の上にデイパックか何かを置いて、その上で打てるとか、ちょっと嬉しい感じ。

それが災い。芝居観て酔っぱらって帰る途中、文章書こうと思って、広げて、気がついたら降りる駅過ぎてて、で、降りたらポメラがない。慌てて駅事務室飛び込んでも、翌々日にセンターに電話しても届いてる気配はない。(しかし、これ、パソコンじゃないし、電話でどう説明したらいいんだ。思いあまって小さなワープロ、とかいいましたが。)

あらら。blogに文章は残ってますが、んー。惜しい。迷いましたが、ぽちっとしてしまいました。悩んでるぐらいならば。typePの貯金崩しつつ、ああ、そういえば給料だって(泣)。

とはいえ週末。雨模様ですが。

続きを読む "文字を打つ。"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.03.19

【映画】「嵐になるまで待って」Livespire

2009.3.17 19:00

ゲキ×シネやシネマ歌舞伎と同様のシネアルタで撮影された舞台の映画館上映。ソニーが配給するLivespireの第四弾、キャラメルボックス昨夏のツアーを。アタシはこのシステム初見です。

四演めとなるキャラメルのスタンダード。ミュージカルや歌舞伎、新感線というどちらかというと派手な演目が多い劇場上演なのだけど、エンタテインメント指向とはいえ現代の会話を中心とした芝居の上演のある種の地味さがこういう場でどう見えるのかという不安は多少。序盤こそ違和感はあるのですが、きちんと映画のようにカット割りされ編集されたものは、芝居とは別もののエンタテインメントとして成立しています。

細やかな表情の一つ一つ、もっというと皮膚の様子まで手に取るように見えてしまうDVDのような「明るい映像」がシネマサイズの高精細できっちりというのは映画とも違うし、テレビサイズの映像ともちょっと違う印象。でも、舞台を俯瞰でとり続けるのではなくてカット割りするのは、たぶん舞台を観ているかどうかにかかわらずの落としどころとしては全く正しいのです。

半面、たとえば嵐のシーンの迫力は見えてるモノだけではなくて、音が震えている感じというのは劇場では感じられるのだけど、映像ではさすがにそこまでの迫力には至らず。そのかわり、その嵐の中での台詞は舞台では聞こえないような小さな声の部分も聞こえたりして。

前売りで2000円、さまざまなサービスデイを使えば1000円で観られるというのは十分アリなんだと思うのです。

正直にいえば、音響面での不満があります。東京で現在上映されている丸の内TOEI2は初めて入りましたが、最近のシネコンに比べると椅子や上映機材こそ最新なのだけど、劇場自体が古かったり、地下鉄と思しき音(だよなぁ、これ音響の音じゃないと思う)がかすかに聞こえたり。サンシャイン劇場での爆音状態に慣れている身には、少々おとなしい印象すらあります。他の上演館には新しいシネコンもありますから、そこではどう感じられるのかを知りたい感じも。こんなことならば改装したばかりの新宿ピカデリー上演の時にみればよかったと思うのです。システム自体が黎明期で、ましてや配給を慣れないメーカが手がけるLivespieだからこそ、システムの魅力がちゃんと引き出せる場所で観たいのです。

これで安価に再生産しながら芝居への敷居が低くなるなら、そんなにいいことはないわけで。去年のクリスマスツアーもLivespireとしてラインナップされるようで、楽しみなのです。

役者はだれも印象的です。渡邊安里の表情の豊かさはアップになるとそのダイナミックレンジの広さに心奪われます。西川浩之浩幸(ご指摘ありがとうございます)や土屋裕一、細見大輔といった面々もこういうアップのカットの中では新鮮ですらあって印象に残ります。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009.03.17

速報→「15 MINUTES MADE VOLUME 5」Mrs.fictions

2009.3.15 18:00

定期的に開催されるショーケースイベント。6団体各々15分に休憩を挟み130分ほど。15日までシアターグリーンBOXinBOX。

田舎を飛び出しての成功譚フィクション「松任谷由実物語」(Mrs.fictions)。会社が倒産するその日、ビデオカメラを廻してたり原因の一端となる女が乗り込んできたり「私たちの考えた終わる会社の終わり」(ジエン社)。ダンス「case_1」(MOKK)。保険の外交員が前の担当者と交代して訪れた家には若い妻が何人も居て「恋女房」(青☆組)。死の淵の女は埋めて下さい百年待って下さいといい「再会」(東京ネジ)。家に戻ってきた女は寝る前の15分を自分を高める時間に生かすことにしていて「15分しかないの」(DULL-COLORED POP)。

いままでに比べると美術も照明も大幅なパワーアップ。ここが引き締まっているだけで、全体の印象はぐんと上がります。

この手のショーケースは名刺代わりとなるコンパクト短編が次々と観られる面白さ。劇団のことはやはり生の芝居をみるしかないわけだけど、本公演を観るリスクに比べたら15分で終わるということがはっきりしているこういうイベントはいいのです。「なんとかワングランプリ」でとかく順位を付けたがる昨今なのだけど、そのままを見せるだけ、というのがむしろ重要な気がするのです。

「松任谷〜」はあからさまなフェイクの芝居をことさらにフェイクを強調し少々泥臭く。意図してやってるとは思うのだけど、この路線で行くなら破壊力のある爆笑が欲しい。大澤夏美の表情、オーディションの無音のシーンはちょっと洒落てる。

「わたしたちの〜」は女がらみで潰れた会社、そこに居るのはなぜかかぐや姫となのる女と外からもう一人。末期的な感じでモラルハザードぐちゃぐちゃな感じのすれ違い感、で全体が崩れていく感じ、なのか。

「case〜」はほぼコンテンポラリー。狭い舞台できっちり動いたり、お互いに支え合いながらのシーケンスはちょっと楽しい。でもやはり台詞と物語があたしは欲しい。15分という区切りがわかっているから、こういうのが観られるのは正しい。

「恋女房」は短編アソート集の中の一本。使い回しと云うよりは元々このイベントのような短時間の場所で作れる芝居の必要性を感じてということのよう。全体の中では圧倒的にわかりやすくて、しかもエンゲキ的でイベントでいろんな客層にリーチする強さがあります。若い作家なのだけど、このドロドロ感はどうしたもんだ。

「再会」は夏目漱石の「夢十夜」(青空文庫)の第一夜からの引用、待ち続ける人の話へ。100年待つ、とかから母を訪ねて〜だったり、幼なじみ4人のうち、アルゼンチンに行ってしまった一人を想う気持ちなんかちょっといい。前半の幻想的なところよりも、後半の素にちかい感じのほうがアタシの好みだったりするのです。若い彼女たちだけど、どこかに80年代っぽさが出てしまうのはどうしてなんだろう。

「15分〜」15分を逆手にとって、帰宅後のたった15分の間に自己啓発的なこと考えたり、元彼からの電話があったりと、その「自分だけの時間」の重要なこと。気持ちのぶれがまるでロウソク足のように上下に振れた3人になるのが楽しくてエンゲキ的な感じ、見せ方も洒落ています。

アタシの好みでいえば、「恋女房」「15分〜」が好きな感じ。15分という時間で何を見せたいのかが明確な戦略になっているのか、というあたりがポイントになる気がします。名刺代わりの短編というのをどの劇団も一本か二本持ってるといいよなぁと思うのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.03.16

速報→「ホネノウツワ」zupa

2009.3.15 14:30

倉迫康史、水寄真弓、藤谷みきのユニットの新作。芥川龍之介「地獄変」(wikipedia, 青空文庫)と坂口安吾「夜長姫と耳男」(青空文庫)をテキストとする70分。15日まで「楽園」。

二つのテキストをもとにして再構成している、ということなのだけど原作を読まずに見てしまったアタシの印象は、芸術に生きる男が女を描こうとすると、その骨の外側にある肉体(ホネノウツワ)が邪魔をしてどうにも描くことができず、結果女を焼き殺してその骨を描こうとしている話が骨組み。 女と男の愛憎を縦糸にしながら空間を丁寧に埋めていきます。コミカルなシーンも多くあって気楽に観られます。

身体表現指向の強さは、アタシには苦手意識のある領域なのだけど、男と女とかコミカルさを絶妙に組み合わせながら気持ちが引っ張られ続けられます。自分のアイドルの話から年代とか、くじけそうになったりくだらない夢を語る男を慰めた年上女とか、没頭する男の後ろに寄り添っていたいけど前から来られるのはイマイチな女とかと、ありそうな男と女のシーンを点描。突き詰めようとしているのに、目の前にある肉体に惹かれてしまう人間の気持ち、その向こう側に行こうとして飛び込んでしまう狂気の領域。気楽に観られるのだけどシンプルでしかし実はとても怖い話なのです。

エロと暴力、のような言い方をするし確かにエロなのだけど、アタシの印象には腑に落ちない感じなのです。触れられない何かとか、触れたくてしょうがなくて溢れる気持ちのようなシンプルさが持ち味だと思うのですが、それは「エロ」って言葉とは少し違う、のだけど思いつかないどうしよう。

続きを読む "速報→「ホネノウツワ」zupa"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.03.15

速報→「108」劇26.25団

2009.3.13 19:30

再演や劇場公演以外を意味するというB公演、アタシは初見の演目です。15日までアトリエヘリコプター。100分。

日曜日の保育園。ドキュメンタリー映画の監督と打ち合わせるために待っている女性の職員たち。女性は自立しなければならないという園長の教育方針をもつこの保育園は、時に行きすぎてしまい、週刊誌の格好のネタになっていて。

3年前にかかれていて、あまり手を加えていないのだといいます。アタシは初見。ここ数年の感覚だと女性がむしろ強くて男性は滅びゆくのだ、というのがわりとふつうに感じられるのだけど、女性の自立至上で、共生という感覚がないというのがかなり偏った形で先鋭化してる「古さ」を意図的に書いている感じがしてむしろ新鮮ですらあります。

女性らしさを出したりおもねたりすることを嫌う彼女たちなのだけど、その先頭である園長が見る「夢」はオンナらしさムンムンで、それが彼女の中にある気持ち(押さえ込みたいのか眠っているのかはわからないけれど)を可視化しています。一番若い事務員はまた別のオンナが透け見えたり、女性同士の関係もあったりもして。

そこで生きていくこと、自分の主張を通すということが狭いコミュニティの中で先鋭化していくというのを描く作家の視線は鋭くて、端から見るとオカシイ人々なのだけど、その中での理屈は通っているという感覚は、「博愛」につながる得意技。

が、アタシはどうにも物語のなかに入り込めなかったりもするのです。行きすぎたフェミニズムということの違和感はともかくとして、それの行き着く先が、ある種の同性愛になってしまうというのは、あたしゃ嫌いな展開じゃないけれども、物語の深みを消してしまうような感じがします。

池田ヒロユキ演じるマジシャンの気の弱いしかし連れの女(須藤真澄)との浅はかな駆け引きの感じはちょっとおもしろい。この物語のなかで糾弾されるべき対象のはずなのだけどそれがスルーなのはもったいない。事務員を演じた清水那保の気の弱さ加減が絶妙で、視線が泳ぐような瞬間の表情。赤萩瞬純のテンション、若い世代だけど歌川椎子っぽくておもしろい。監督の永山智啓もこうみえてなかなか悪人、嘘っぽく面白がる表情が絶妙。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

速報→「アタシだけ楽しいの」バナナ学園純情乙女組

2009.3.14 19:00

バナナ学園、上がらないホンでもそれなりに見えるようになってる中日。本編100分、休憩10分を挟み「おはぎライブ」35分。15日まで王子小劇場。

中学校、入学式直後に校内闘争に巻き込まれて死者が出た一年生は反旗を翻そうとする。立ちはだかる生徒会役員。生徒会長は副会長の手に掛かり、混乱を極めていて。一年生が団結して組織を作るためには、顧問教師を見つけること、ランク付けされた生徒手帳のうち、6人しかいない「バナナ」の手帳を5冊手に入れることで。

学校の中がすべて、先輩は優しいものだった小学校から、先輩てのは怖いもの、になる中学校。一年生と在校生の対立軸での構図。アイドル志望という横糸をノイズのように織り込みつつ、男性もすべて女子学生の中、高いテンションで走りきります。人数も相当のものなのだけどきちんと。楽屋落ちっぽいところも挟みつつ(アドリブでは成立しないよなぁ。作り込まれてる。)

旗揚げから書いている作家のホンが遅いのはすでに周知、座付きではないから劇場に乗り込んで監視しながら書かせたり、という「伝説」ももはやネタの領域。果たして途中までは物語とか構造とか構図とかあるのに、ものすごくあっさり放り出されている感じは、よく言えば潔いけれど、物語だけでは走りきれなくなっている感じ。

しかし、それでも彼女たちはきっちり走るのです。歌い踊る若い女性を見ていると脳内が喜んでいるのは自覚できるのだけど、ミニスカートとキス以上に色気に走らないのは偉い。(中学生だしね)。

中学校の中には生徒と教師しかなくて、生徒の間には先輩と後輩があって、些細な日常が命を取るだのなんだのぐらいに本人たちには重大な問題なのです。

パフォーマンスな若い劇団といえばfaifaiが思い浮かびますが、スタイリッシュと普通の日常の間の行き来をしてる彼らに比べると、AKIBA、アニメ、YouTube、ニコ動というある種の泥臭さがあるバナナは対局にあると思うのです。実はちゃんと知らないネタばかりなのだけど、じゃあ、劇場上の「鑑定団」で勉強がてら眺めますか。

上がらない本を待つ間に稽古していたという、おはぎライブはちょっとすごいのだけど、終わったようでだらだらと続くのはあまりうまくない気がします。ぱっとやってしまうのが勝ちだと思うのですが。それでも、ライブでの中学生の表面的なイケイケ感と、本編の中学生なりの内面の緊張感。その対比になるということで、これを並べて見せるというのは正しい。

酒巻のはっちゃけ具合が楽しい。前園あかりのクールでかっこよさ。高村枝里の目ぢから、梶井咲希のグラマラス、柴田薫もかっこいい。山口航太は器用ではないけれど、一度見たら忘れないビジュアルがよくて。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

速報→「KAMI」Toru Sato Solo Performance

2009.3.14 15:00

桃唄309の俳優、佐藤達の紙芝居芸を核にして、ほかの作家による一人芝居を組み合わせたライブ風味の9本。70分。15日まで新宿VITUS。

開演前の「お願い」。紙芝居芸1「奇跡のパンテ」。ベンチで寝ようとしていたら通りかかったのは「清水君」。紙芝居芸2「太陽神」。女の子と暮らしたときの話しが「ありがとう」。ポカリペットの驚くべき「んだす」。寒い日に訪ねてきた女は「ある夫婦の話」。紙芝居芸3「手紙」紙芝居芸4「ムルキーヤ」。

紙芝居の方は、シンプルな線で描かれた絵で「僕の話を聞いてください」から始まるスタイル。タイトルはいちおうついているけれども、話はあちらこちらに飛び火し、回収されないまま次の話題にいってしまうものも多い、ほんとに「僕の話をきいて」状態。自分の生まれ・秋田の言葉や小さい頃の話し、母親とカレーとモロヘイヤのこと、稽古場で見つけて興奮したもの、といった具合におそらくは実体験に基づいていて、少々気の弱そうに見える見た目とあいまってついつい笑いに引き込まれる感じ。

見つけて興奮したけどそれは本当は違って、でも認識の時点では間違いなくホンモノだったからそれは本物、という強引すぎる展開はちょっとツボ。

「清水君」(三谷麻里子)は持て余す寂しい気持ちがすこしほっこりほぐれる感じで、シチュエーションはともかくアタシにも他人事ではありません。 「ありがとう」(長谷基)は役者本人も驚きのラップ仕立て。 「ある夫婦のはなし」(嶋村太一)。はどこかで聞いたような話しだなぁと思っているとやけに現代的な展開にびっくり。

作家の色がやっぱりでていて、最初はあかされていないのだけど、誰の本かなぁと思ったものがだいたい当たってたりして、それも楽しみなのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.03.13

はるまつり。

自分的には祭りのようにポチッと買ってしまう今週。電気製品とかシャツとか本とかDVDとか。景気刺激にはほど遠いけど、たまにはちょっと遣いましょうとばかりに。円高になって、Macとか安くならないかなぁ。

CoRichも舞台芸術まつり。三回目でも代わらずちゃんとやり続けるのはたいしたものだなぁと思いつつ。

かなり激戦の今週末。

続きを読む "はるまつり。"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.03.09

【トークショー】「瀧川先生の24〜出会い系サイトにて24時間不眠不休で待ち合わせしてきたのよ報告会ライブ〜(エロメール添削ライブ番外編)」

2009.3.8 19:00

瀧川英次が続けるトークライブ。前売り完売。150分。休憩あり。ロフトプラスワン。

添削スライドショーの中の人気コーナー。出会いサイトで出会えるかの実地検証。それだけを24時間続けて果たして。 序盤、ポイントを使ってほぼ月家賃と同じ金額を使ったという枕を振りながら。

記録仕切れませんでしたが、さまざまな人とのメールやらサイトのミニメールやらのやりとり。 えりか、ミキ、カヲルコ、(ジョニー先輩)、渡辺、sayuri-love-me、リサ、あーや、恵。(ミーティング)、岡田、MEI、りん、(ここからオオギリ)、瞳、らら、トルネコ、ゆり子、(ヨディ、さとう)。レイミー捜査官。

前売り完売していて、気持ちが先回りして、開場時間、初めて奥の座敷。ロフト系のミニコミや月間CIRCUSやらにインタビュー記事が載ったりしながら。偶然会った知り合いで座敷入り口横を確保。隣は女性三人組、開演直前にきた男が向かいでパソコンとカメラ出して記録する気満々。遠くには別の知り合い、アタシと云えば早々に酔っぱらって、つまみ頼んで。

女性客が半分以上、若いひともたくさん、アタシのようなおやじ少な目。休憩をはさむものの、ほぼ同じテンションできっちり。2時間ちかくを喋り倒すのです。清水宏のテンション芸に似てはいるものの、いままでよりはずっとオリジナルな喋りの印象。自分の動作を見せるのではなくて、語り喋りだけで通したのはちょっと新しい感じがします。オープニングの映像も前回の作り込みすぎから改善、わかりやすくテンションを上げるようにタイトルに引っかけて。をを。すげえ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

速報→「この世界から消える魔球」ダックスープP

2009.3.8 15:00

久し振りにブルースカイの芝居を。110分、16日までスズナリ。

パラダイス座を営む兄弟。かつては見せ物として一世を風靡していたが、今はだれも興味をもたなくなっている。チケットが売れないけれども出演者には手厚くもてなしていて、兄弟は赤貧の生活を送っていて。

ブルースカイ作演、小村裕次郎、池谷のぶえの出演となればかつて一世を風靡しアタシだってワクワクしながら通っていた「猫ニャー」の鉄板の組み合わせ。当時のそんな感じを思い出します。ナンセンスにナンセンスを重ねて物語らしいことは次々とひっくり返し、その癖膨大な無駄を積み重ねるというのは健在な感じで。

当日4000円というチケットでこの壮大な無駄を見ることをどうとらえるかというのはあるのだけど、アタシは楽しいなぁと思うのです。最先端だったはずではあるのだけど、むしろ安定の領域ですらある、というのはちょっと自分でもびっくりしますが。

松浦羽伽子(ex. 松浦和香子←googleはちゃんと「もしかして候補」に。すげぇ。)が少年役でちょっと印象的。舌足らずの飛び道具ではなくて普通に観てみたいと思わせます。池谷のぶえを小さな舞台でパワフルに見るのは久しぶりだけどほんとうに楽しい。元ハイバイの三浦俊輔もちゃんと渡り合うけど、気の弱い役というわけじゃないのがむしろ新鮮。原金太郎も無駄にパワフルで楽しい。

売れないチケットを一瞬で売ってしまう一種の魔法のくだり、流れ続ける大凶のおみくじなどはくだらなくて好きです。が、ナンセンス漫画家がふつうのまま暮らし続けていけないのと同様、この手の方法で観客を裏切り続けていくのは並大抵ではありません。あのときの熱狂、というほどにはのめり込めないのはあたし自身も同じで。それでも、メッセージなどみじんも込めない清々しさはいや、たいしたものだなぁと思うのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.03.07

速報→「MY NAME IS I LOVE YOU」快快(faifai)

2009.3.7 18:30

faifaiの小指値時代作品の大幅改定再演。英語上演とはいいながら、ほぼすべての日本人に大丈夫な60分。終演後のご飯やら酒やら、ボーナストラック(5分)も楽しいのです。前売りは完売、CoRichによれば当日券も出るとか。開場の瞬間のワクワクのため、ぜひとも早めに。8日まで五反田ソニック。

テクノカットにしたくて家を出た男、渋谷で風俗客引きの男、街に立つ女(のロボット、アンドロイド)に呼び止められるが、興味を示さない。ハチ公の間を通るとタイムトラベルできるという都市伝説は現実になり果たして未来から。

初演を見てはいるはずなのだけど、語りとハダカばかりが印象に残っているダメ人間のアタシ。そういえばハチ公、そういえばハダカ(結局それかい)とか思い出しながら。

英語上演とはいいながら、ほとんど一人が語る結果になっていて肩すかしといえばそうだけど、巧くできる方法を作り出すというのはたいしたもの。この不自由さ、言葉に縛られての動きの楽しさがあって、つまりアタシはどこまでいっても言葉が好きなのだなぁと思うのです。

コミュニケーションが嫌いな訳じゃないのだけど、話せないこと、話したいことが伝わらないことのさまざま。ガイジンがきちゃったとか、好きになった人と話せないとか。英語には慣れてもむしろ後者が不自由になってる自分に気づいたりして(泣)。英語と日本語が乖離してるデートの相談のくだりが好きき。雑踏の中の二人にはちゃんと会話ができて。ありそうなストリートの風景。

終演後のパフォーマンスは、篠田千明の語で、男二人の動きでつくる、失恋した女のハチ公などを巡る物語。一人語りの失恋話というのは大好物だよなぁ再確認、する必要もないのですが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

速報→「恋人としては無理」柿喰う客

2009.3.7 14:00

ジャパンツアーと題しての一年ぶり再演65分、9日までSTスポット、そのあと愛知・大阪・福岡。

エルサレムに入るイエスと十二使徒。多少の浮かれを感じていたが、民衆の一行にたいする期待は、やがて反感となって。

いわゆるエルサレム入城から十字架、復活に至るものがたりをわずか65分に凝縮。ほぼ黒のスエット姿、ヘッドホンやマフラーなどの小さな道具を持っている役者がその役になるというルールは初演と変わらず。イエス自身はでてこず、十二使徒たちが入れ替わり立ち替わりの「イエス君が好きだ」という気持ちでここまできてしまったことを語り続ける運び。初演5人からゲスト1名を含む7名の体制に変わっているのですが、アタシには人数が変わったことによる印象の変化はあまり感じないけれど役者が入れ替わった差はそれなりにでています。

役が次々と文字通りに「手渡されて」いくのを繰り返すうち、役者の動く速度を超えて役がうごくような独特のグルーヴが初演よりも強く感じます。 トークショーによれば「音楽のように演じていた」初演から「言葉を大切にした」再演なのだといいますが、むしろアタシはこっちの方がより音楽な感じ。 正直な話し序盤はしゃべりのスピードにも慣れないし、人名も慣れないアタシにはついていくのに苦労する感じはあるのだけど、あっという間にそのスピードに慣れてしまう自分にもちょっと驚くのです。

ご当地ゲスト、という形で「つあこん」なる一役を追加。自分の意志ではなく旗を目印に「ついていくだけ」であるイエスくんと十二使徒の関係をシンボリックに表すのです。

あえて東京をはずしたツアーは、「柿」の役者が勢ぞろいする福岡・大阪がちょっとうらやましい。それでもこの座組も柿に近い役者で構成されていて、もちろんちゃんと柿のダイナミックさを感じるのです。人数が多い芝居よりもこういうシンプルでポータブルな芝居のほうがアタシは演出のスタイルによくあってる気がするのだけど。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

速報→「誰も寝てはならぬ」国道五十八号戦線

2009.3.5 20:00

去年のアトリエ公演からの再演、本編75分。8日までdie pratze。そのあと大阪。

滅んだ演劇を復活させるという実験にDNAで集められた人々。なくなった演劇を台本から再構築する作業は何年かけてでも成功するまで続けることになっていて、軟禁状態で。

手探りでエンゲキを探す序盤、思わせぶりに芝居の本質っぽいことを突いていくセリフも楽しいのです。戯曲だけから滅んだエンゲキを考古学的に再構築しようとする過程で徐々に稽古らしいこと、演出らしいことが形成されていく過程は実に楽しいのは、演劇の進化を見るようで、というのは初演の感想と同じ。よく考えればそこかしこに芝居が絶滅した世界の割には少々妙な感じがしないでもないのだけど、まあマスコミってのはあるようだしいろいろ計算のうちといえないこともないわけでそれほど気になるわけではありません。

全体の印象があまり変わらない半面、違いは役者でしょうか。役に名前がないのでどうにも既に知っている役者で記憶を辿るしかないのだけど、今回初めての参加の菊池美里は「ソバージュばあさん」からどんだけの振れ幅なんだという一種怪演なのだけど、単なる飛び道具なんかんじゃなくて圧倒的な安定があって凄みすら。ハマカワフミエは初演のクールビューティという感じから劇中にも台詞のある融通の利かなさ加減が強く出ていてむしろ押さえた印象。

そこかしこに少しずつおかしみがあって、アタシのテンションを繋ぎます。NASAの開発したものは信用できないとか。 報酬と時間を天秤にかける序盤のシーンの感覚はおもしろい。報酬なんかなくても金払って芝居見てる立ち位置でも時間は天秤にかけるものなぁ。

今週の柿喰う客もそうですが、美術などもシンプルで少人数(今作は女3、男5)、短時間という構成のポータブルな芝居を一本持っているとツアーに向いていて劇団としての名刺代わりの広がりに繋がっていいよなぁと思ったり。ちょっと色気気味の一カ所を少しいじるだけで高校生にも向いていそうな印象があります。 ネタバレです、確実に

続きを読む "速報→「誰も寝てはならぬ」国道五十八号戦線"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.03.05

速報→「12人のそりゃ恐ろしい日本人」チャリT企画

2009.3.4 19:30

裁判員制度の話から始まるけれどそれにとどまらずに飛び回る90分。8日までOFF OFFシアター。深読みが幾らでも出来る軽薄な厚みがあります。←意味不明

風呂なしボロアパートに暮らす男、居候がいる部屋に浮かない顔で戻ってくる。世間の衆目を集める裁判の裁判員に選ばれていて、その最後の評決を決めて戻ってきたのだった。結果死刑となったのだが、それは自分の意には添わなくて。

裁判員の話に端を発しているのだけど、派遣切りやらカラスやらテロとの戦いやら隣に誰が住んでいるかわからなさだったりと、取り留めないほどに発散しているかのような物語。正直に言えば、さまざま詰め込んで軽い語り口は彼ららしいのだけど、そこから客をどうしたいのか、ということが今一つわからない感じはあって。

軽い語り口を身上としながらも、世の中のおかしさを敏感に感じ取る作家らしく、気になってしまったことをすべて放り込んでパッケージしている感じがあって、それを90分というコンパクトにしているのはたいしたものだけど、その放り込んだものをもう一段上で構造としてまとめられたらなぁと望んでしまうのです。

本当に被告は有罪なのか、それは証拠や証言に基づいて理性的に判断されたものなのか。市民感覚という錦の御旗で「思いこみ」に流されていることを自覚すらできていないのじゃないか、というあたりは明確に語られています。

ちょっとネタバレ

続きを読む "速報→「12人のそりゃ恐ろしい日本人」チャリT企画"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

不協和音

自分がちゃんとやってないからなのですが、気持ちのズレが生じているのを見るのはやっぱり厳しい。それをあとから修復しようとしても大変なのはわかっているのだけど、その先回りが出来なかったのは口惜しいなぁと思ったり。

続きを読む "不協和音"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.03.02

速報→「愛の渦」ポツドール

2009.3.1 19:30

抽選に当たらないアタシには多分最後のTOPS。ポツドールの三浦大輔、岸田國士戯曲賞を再演。140分。15日まで。アタシは今作を初めて観ます。

マンションの一室を使った裏風俗の乱交パーティの一夜。見ず知らずで集まった男女は最初こそぎこちない会話だが。

セリフもさることながら、TOPSの中にきっちり作り込まれる空気。賞を取るだけのことはあるなぁと心底しみる芝居なのです。

とはいえ、 全編ほとんどバスタオルを巻いただけの姿での上演。不思議と色気は感じなくなりますが役者には相当な負担のはず。なるほど、終演後にTOPSの名物である階段一杯に溢れる関係者と出演者が皆無なのは珍しい。時間が遅いだけかもしれあませんが。

最初にいる8人がぎこちなく相手を選び、ロフトになっているベッドに向かう、という序盤から徐々になれていったりする盛り上がり、さらに少々の諍いもあったりして。よがり声だったり、そのもののシーンだったりも挟まれたりして刺激をちりばめていて眼福なのは間違いないのだけど、そこに含まれた想いに気持ちが揺らされます。

一夜だけのセックスをするためだけの場所、電話番号の交換など関係をつながり続けることを禁止すらされている関係。その中である一組が深く愛を育んでいくのだけど、台詞では愛情が生まれていることはほとんどふれられず、台詞の上ではむしろ愛情ゆえに反発してたりしている部分だけが描かれます。もちろん、舞台をみている観客には台詞がなくて単に手をつないでたりロフトにあがる過程をみているだけで、そこに想いが生まれることは明白なのです。なるほど、作家がセリフというものを信用していないと感じさせるのだけど、それでも芝居というのは力強くそこに立ち上がるのだなと感じるのです。

携帯の番号が交換できそうでできなかったり、カーテンを開いてそれまでの一夜の関係があっさりと流し去られたりしているような日常への戻りがの一瞬など、よくできたシーンがたくさん。こういう場所というだけではなくて、所詮ひととのつながりは、どんなに愛していたとしても一瞬でなくなってしまうという無情感のようなものすら感じさせます。 これを観てしまうと寒い夜が本当に寂しくなってしまうわけで、ついついビールに手を出したりするのですが。

amazonのアフィリエイトを張ろうと思って検索したらたかだか3年前の戯曲がマーケットプレイス(古書店)でしか入手できなくなってることにちょっとびっくり。

続きを読む "速報→「愛の渦」ポツドール"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

速報→「春よ、来ない。」くろいぬパレード

2009.3.1 15:00

アタシは初見の劇団です。手堅い人情話を110分。1日までポケット。

後継者不足になやむ漁港、市役所勤務で政治家になろうと志す男は派遣切りに会った派遣社員たちを漁師として雇う試みを始める。弟と父親は漁師をやっているが、父親は先のない漁師を自分の代限りとしようと考えていて。

コンクリート岸壁、向こう側に船のマストらしいものだけというのは、キーとなる漁船そのものを見せなくても想像させるには巧い方法。手前に漁協のテントがあってそこが主な会話の舞台になります。漁村のこと、派遣切りのこと、政治家と癒着とゆすりと男女関係と金、といった「地方らしい」感じのアイテムをズラリと取りそろえ。かといって声高になにかのメッセージということもなくて、全体に綺麗に描いている感じがします。

全体に丁寧につくられているのだけれど、時々ステロタイプさが顔を出す場面があって、船の中での情事や父親が死んだことを表すシーンなどを絵として見せたい気持ちはわかるのだけど、実はなくてもわからせてほしい感じはあります。

あるいは終盤の演説会のシーンを除くと全体に照明が暗めのシーンが多いのです。夜や嵐のシーンがほとんどなので仕方ないところもあるのですが、客演以外のほとんどの役者を知らないアタシには少々厳しい。

頑固で口数の少ない親父を演じた小林至はついに55歳という老人に近い領域に。しかし違和感がないのはたいしたもの。政治に燃えながらも女にどこかだらしない役人を演じた長谷川恵一郎はしっかりとしていて安定。その陰の恋人を演じた蒻崎今日子のほどよく隠された色気はちょっといい。男の募集なのにやってきてしまった女を演じた柳井洋子は全体に一本調子になりがちな役なのだけど、はじける一瞬が逆に印象的。その弾ける題材がどうなんだ、という気がしないでもないけど、テレビじゃないからそれを狩る気持ちになっちゃいけないのだ、観客は。

| | コメント (1) | トラックバック (1)

2009.03.01

速報→「人間園」角角ストロガのフ

2009.2.28 19:00

角角、番外を挟んでの二回目公演。110分、2日まで王子小劇場。トークショーのあった土曜夜の回はゲストの力で理解が進む感じで楽しい。

産婦人科医の男や妹、家族たち。中学校の教室は教師が受験を乗り切るためにと称してイジメを奨励する異常な状態、職員室では別の仲間外れをしていて。

旗揚げと同じような雰囲気の美術。高く作り見えない客席を作らないことは徹底しています。おかげで見えないことは一つもないわけですが、いくつもの場面が本当に同時に(平田オリザの同時多発なんて甘い)展開していて、見逃してしまうことがたくさんあるのです。たぶん台詞だけならば問題ないのだけど、見える風景に引っ張られるのが人間ですから、そういう視点では明らかに見づらい舞台。たぶん、これは台詞だけで進めた方がいいと思うのです。作家の思うがままに飛び回るのですが、あちこちの舞台に飛んだり、しゃべらない場所で小芝居していたりと。 たぶん、それは作家が過ごしてきた断片なのだと思います。そこかしこがおかしい感じだけれども。

友人が云っていたのを伝え聞くと、誰もが動機が全くないというのです。こだわってはいたり、行動してたりするのだけど、その理由がまったくないのです。それはわかりやすくはないのだけど、これを110分紡ぐのはある意味凄くて、またみたいと思わせてしまう中毒性があるのかとも。

舞台としてなんとか成立させているのは、優秀な役者やスタッフに囲まれて御輿を担いでいるからだ思います。 トークショーはゲスト(はらぺこペンギンの白坂英晃)に足して役者も一人、MCとして。そういえば旗揚げも同じゲストのトークショーの回を観たのだと思い出します。作演を包むように守ったりする周辺。果たして、会話が成立しづらい作家が書いたものがこうなるということはよくわかります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

速報→「トワイライツ」モダンスイマーズ

2009.2.28 15:00

鶴田真由をヒロインに迎えての新作。120分。1日まで吉祥寺シアター。そのあと福岡、鎌倉。

病気の父親を抱えた娘。その兄は粗暴で近所でも評判がよくない。隣に暮らす少し年下の男は、小学生のころから女に恋心を抱きつづけている。やがて父親は死に、莫大な借金を抱えても兄は何も助けてくれない様子を見て、隣の男かかねてからの恋心から結婚を申し込む。金がなくても幸せ、とは時間がたつにつれていえなくなっていき...

評判はいいのにモダンスイマーズを見るのは間が空いてしまうアタシです。いままでの印象とはずいぶんちがう、ゆるやかに螺旋を描く床面とそれに沿った高い壁で構成される抽象でシンプルな舞台。

視点というか、これは誰の物語なのだということに少々戸惑いがないかというと嘘になるのだけど、なんかとても芝居らしい芝居を見たな、という気がして印象に残るのです。

鶴田真由は、序盤こそ「きれいな人であればだれでも」という印象なのだけど、そのきれいな人ゆえの何かというのは物語が進むにつれてでてきて納得感があります。

あきらかにネタバレ

続きを読む "速報→「トワイライツ」モダンスイマーズ"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年2月 | トップページ | 2009年4月 »