予算策定
そういう仕事はこの歳になるまでまったくやったことがなかったのです。プロジェクトの予算見積もり程度ならともかく、経費の勘案とか来年度一年の計画とか。とりあえず作ってみて判る人に教えて貰って。重ねていけば会社の中のお金の流れってのもわかるかなー、楽しみでもあったりして。
先週から今週末にかけてコマ不足が深刻で。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
そういう仕事はこの歳になるまでまったくやったことがなかったのです。プロジェクトの予算見積もり程度ならともかく、経費の勘案とか来年度一年の計画とか。とりあえず作ってみて判る人に教えて貰って。重ねていけば会社の中のお金の流れってのもわかるかなー、楽しみでもあったりして。
先週から今週末にかけてコマ不足が深刻で。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2009.1.30 20:30
持つべきはアタシが好きそうな芝居を教えてくれる友人。本公演未見の本田ライダースの企画公演。40分、阿佐ヶ谷ヴィオロン。30日まで。
古い喫茶店、暇そう。店長とバイト、賭をしている。果たしてそこに一人戻ってくる。
店主の姉、出たきり帰ってこない妹。その同級生のバイトというトライアングル。女性三人の会話の芝居が大好きなアタシです。
正直にいえば、低温から沸点のダイナミックレンジがやけに狭い人物の造形には違和感があります。それでも、40分の会話には目が離せないし、緩急や笑いを巧く取り混ぜながら空間を作ります。もちろん、重厚で味のある喫茶店という場所のチカラもたしかに。
この場所がなくなること、それに反対するひと、その理由がいくつか。居なくなった父親だったり、姉のカラダのことだったり。シチュエーションとしてあたしが未経験なので、リアルを感じ取れないのですが、テキストは地に足が付いた感じで安心。
いくつかの断片が会話に挟まります。 「それほどには他人は自分を注目していない」というのは女性の視点で腑に落ちる気がしますが、アタシには本当のことはわかりません。 あるいは かわいい、と女性同士が言い合うのを「うわべの会話」とする感覚。演じた加藤知恵の軽い感じと真剣の行き来がたのしい。あるいは姉が予想したとおりのシーケンスで会話をする妹、というシーンも好きです。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2009.1.28 19:30
去年10月のリーディングからキャスト総入れ替えでの芝居としての上演。2月1日まで「劇」小劇場。90分。出捌けの引き戸が見づらい下手端は避けて。
ごくごく近い未来。郊外に暮らしているらしい夫婦。野良猫を守るボランティアをしつつ街の電気店勤めの夫と、自主制作映画の元女優の妻。家には映画の仲間が頻繁に出入りする。妻はほかの男と時々出て行ってしまい何日も戻らないこともある。夫は気にするそぶりもないが、野良猫の世話にはただならぬ労力を割いていて。
猫好きの作家らしい物語の運びはリーディングと同じ印象(アタシの記憶が曖昧なのはいつもことですが)。ほぼ素舞台だったリーディングに対し、少々古い一軒家の畳の部屋という具象なセット。だらだら呑んでいる場面が多い造りで、ビール(とビール系飲料)の缶がずっとある感じで物語は進みます。キャストも入れ替わりですから、確かに別ものの仕上がり。
初日ゆえか少々の堅さはありますが、リーディングに比べるとずいぶん緩い空気感の仕上がりはキャストやセットの差よりは意図的な演出の差を感じます。もっと細かいシーンに別れて、もっと頻繁に人が出入りしてた気がするのだけど、アタシの気のせいでしょう、きっと。
ネタバレかも
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2009.1.26 19
フライングステージの公演。新作と再演作を組み合わせながらの公演の再演側。110分。1日まで駅前劇場。
1940年の上海、真珠湾のすこし前。サイレント映画にでていた女形は出番を失い、「ほんとうの女優」になるのだと北京にわたり、手術を受けて女となり「女優」を目指す。若さも美しさも持ち合わせないまま、しかし誇りは失わず、再起を狙う。
ある日、銃を持った男が押し入ってくる。もとは映写技師だったが、上映中にフィルムに引火した火がもとで映画館を全焼させ職を追われていた。その男が焼いたフィルムこそ、彼女が再起をかけて主演し、先行上映するためにかけていたたった一本のマスターフィルムだった。
たった三人のキャスト。人物は二人+たくさん。賑やかさも笑いも、洒落た感じもあって、見ていて楽しい感じなのです。
サイレント映画からトーキー、男装の麗人、戦争など 歴史を借景にしながら、嘘の許される町という背景の場所設定の見事さ。映画のシーンの語りを引きながら、落ちぶれつつある一人の物語が気持ちにしみこみます。
土曜昼はゲネプロだったのでアタシが観た25日夜は事実上の初日。たぶん新作の方に力を注いでしまったがために、稽古の不足はあきらかではあります。が、そういう危うさを乗り切れる役者の力の確かさは、逆にそれが観られて凄さを感じるのです。
多くの役を演じた大門伍朗のさまざまが実にカッコイイ。使用人、宦官手術の男、女形の師匠、満映の甘粕正彦。さまざまに変化する役の移り変わりが楽しい。まるで大衆演劇のような楽しさなのです。 映画をモチーフにしているけれど、全体の雰囲気は映画のよう。しゃれた音楽、笑いも泣きも。濃密でしかし気楽に楽しめる舞台、日曜夜だというのにちゃんと満員だというだけのことはあるのです。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2009.1.25 17:00
アタシとしては本公演初めて。サスペンデッズは、パブリックシアターの若手後援プログラムでの公演。100分。25日までシアタートラム。
湘南の小さな床屋。父親の七回忌が近づいている。今は息子一人が暮らしている。幼なじみの近所の女はバツイチ、しかも父親のわからない息子を抱えて実家に戻ってきているが、幼なじみの気安さから、子供が時々遊びにきたりしている。姉は嫁にいっているが、ある日、夫が浮気したのだといい実家に戻ってくる。
かつて息子と娘を捨てて家を出た母親を巡る物語が中心に。娘は今でも母親のことを許さないばかりか、自分が結婚して、子供が産まれようというときに、不安に苛まれたりしています。息子は別れた当時の記憶はほとんどなくて、子連れの幼なじみに好意を寄せているが、芽はなくて。浮気したと思われた夫の誤解の原因は、会社の部下の恋人宛のメールの送信間違いで。
たった6人の役者ががっちりと組み合わされ、ものすごく強固な物語を作ります。 子供を作ることが怖くて、子供がほしい夫との暮らしを続けていいか悩む姉、その夫は少々軽い感じのサラリーマン課長風情なのだけど、その軽さの独特のしゃべりの奥に見えてくる優しさに泣きそうになります。演じた白州本樹が実にいいのです。
その部下の造形は、この物語全体の中では少々荒っぽいのですが、少々無理のある物語の運びを引き受ける特異点のような役割で、それはとても巧く機能しています。全体にもコミカルさがちゃんとあって実に見やすい。セリフが聞こえない、という程ではありませんが、この劇場の規模では後方では聞こえないことがあっても不思議じゃない感じはちょっと勿体ない。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2009.1.25 14:00
松井周の劇団、サンプルの新作。25日までアゴラ劇場。100分。
シェルター製造会社の資料室。地下にしつらえられ、創業者の伝記をつくる作業をする専門の社員が居て調査をしている。役員は一族で占められている。そこに、創業者の愛人だったと名乗る女が息子につれられてやってきて。
いかに伝記というものがものが恣意的なものかと斜に構えた感じ。調べられたくない愛人問題に直面してあたふたする一族を後目に、「知らなきゃいけない」が暴走する社員たちがおかしい。誰もそれを望んではいないのに集中砲火を浴びせるマスコミの姿に重なる気がします。
Kなる謎の人物が看破する、父親は偉大だったが、息子も娘も閉じこもり遺産を食いつぶしているというセリフは、最近のアタシが世間のさまざまに感じる様子によくあっていて、腑に落ちる感じ。戦後死にものぐるいで働いてきて築いた繁栄が、ゆっくりと崩れていく感じ。 天井近くまで本棚がありますが、灰になった本かファイルの感じが遺産な感じをよく表しています。
Kを演じた申瑞季が実に美しく、歌も凄い。歌いあげる芝居は青年団ではなかなかありませんから、ちょっとびっくり。金子岳憲、石澤彩美、三橋良平演ずる社員たち、その微妙なバランスが面白い。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2009.1.24 18:30
パルコプロデュースで新感線のクレジット。いのうえひでのり初のシェイクスピア。20分の休憩を挟んで230分。大阪、宮城を経て2月1日まで赤坂ACTシアター。
笑いを取らない、という前触れどおりなのは前半の上り詰めていく場面。後半はもうちょっと緩い感じで、テンポもいいし見せ場も沢山。(このwebページが整理されていて見やすい)
物語自体はほとんどいじっていないのだと思います。独白をICレコーダへの吹き込み、手紙や使者をケイタイ、演説をテレビのライブ中継、戦争は銃撃戦、馬はバイク、悪食はハンバーガー。舞台の上にいくつもあるモニターを巧く使いながら、今の時代のツールに置き換えて、わかりにくいものを文字や画像で見せるわかりやすいつくりはこの手のカタカナの名前ばかり出てくる芝居が不得意なアタシでも楽しめます。さすがにわかりにくいと感じたか、当日パンフに代わり折り込みで物語の前提となる背景を説明。芝居の冒頭でも映像+音声で説明されます。偶然取れた前の方の座席なのでモニタもよく見えますが、後方ではどう見えてるのかしらん。一番大きい投影映像は暗すぎるので多分使えないし。
正直に云えば、前半のあれこれはいまひとつあたしの気持ちに入りません。悪巧みの凄みが欲しいところだけれども、そこへは至りません。それに比べると後半の厚み。女三人(三田和代、銀粉蝶、久世星佳)の嘆き、語りのシーンの凄み。あるいはリチャード三世の二つの口説きのシーン(安田成美、 久世星佳)の駆け引きのシーンが好きです。山本亨のシーン運びのある種の軽さも気持ちいい。
物語としてはシェイクスピアに格段の思い入れがないアタシには少々長すぎる感も。が、役者の魅力は存分に楽しめるのです。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2009.1.24 14:00
佐藤二朗率いるちからわざの10回目公演。作家が「演じたいこと」よりも「書きたいこと」をはじめて優先したのだといいます。120分。25日までTHEATER/TOPS。前売りが早い段階で完売。この人気はいったいどこから。
置屋が点在し、島外からもそんな客ばかりが訪れる「売春の島」。松の内もあけた頃、あまりはやっていない置屋。四人の女たちが客を取る日々。置屋の主人、腹違いの弟、妹が居るが、妹は病気で客は取れなくて。
劣悪な環境、そこから逃げ出すこともできずにいる女たち。対してオーナー側となる腹違いの兄弟たちはもうすこし自由な感じだけれど、どこかしっくりしていない感じ。拘泥して理不尽を尽くす兄が物語の柱にみえるのだけれど、妾と本妻の秘された関係の暴露が、この兄弟たちの気持ちに与えるインパクトがいまひとつ感じ取れないのです。
置屋のおんなたちの中で、コミカルをほぼ一手に引き受ける今藤洋子のコメディエンヌ、切れキャラつっこみキャラが目を引きます。こういう役をやらせるとやはり彼女は巧くて、結果ものがたりをきちんと前に転がす重要なポジション。佐藤二朗の神経質、妹思いも彼のキャラクタを生かす感じ、大高洋夫のほぼ悪役怖いキャラというのは珍しい。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
もう時間経ってしまいましたが、08年の佐藤佐吉賞が発表になりました。風琴工房の大量の入賞、しかし作品賞は劇場動員最高を更新した柿喰う客。作品もスタッフも役者も、確かに面白くて見るべき芝居でそれをこれだけ出し続けている劇場はまだ見続けていきたいのです。支援会員の募集もまもなく(微妙に値上げしつつ)。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2009.1.23 20:00
4x1h(1,2,3)の二回目のplay。演出の黒澤世莉の戯曲を組みあわせて(1,2,3) 50分+15分(休憩)+30分。休憩中には飲み物も販売、30日まで、シアター・ミラクルはトイレのドアを開けた瞬間の足下の段差に注意。←ひっかかったらしい。タッパは低い劇場なので、迷わず前を。[CoRich]。
月移民に選ばれなかった残念会。そこになぜか職員が来て、別チームの欠員を埋めるために6人の中から月に行く一人を60分で選び出せと命じて「月並みなはなし」。
戦争で制圧された村、待ち続けるばあさんの家に泊まる事になる敵の兵士、暮らし、手紙「ソバージュばあさん」(モーパッサン/「Miss Harriet」所収)。
「蹂躙します」と宣言された「月並み〜」。最初の10分はセリフも伝わらないし、そもそも登場人物より多い役者の人数。ある種ギミックに走る中屋敷演出らしさに見えます。が、そこを過ぎてから、ルールというか読み方がうっすらわかるところからは面白い。あくまでもドライに喋る、薄っぺらい断片を重ねていけばミルフィーユのように豊かで厚いものが出来る、というのが柿のやりかただと思うのですが、若い役者、この場所にこの人数、というあたりと、アタシが見慣れない役者が多いので、劇団出見られるような高みにはまだちょっと遠い感じがします。それでも、入れ替わったり、二人のやることが揃ったりずれたり、片方だけになったりという変化は実に楽しいのです。
カップルが向かい合って腰を揺らすように会話を始めようとするシーンが好きです。共振しそうで共振しない、というドキドキする感じ。あるいは真ん中に立ち続ける百花亜希が真ん中で悪巧みしそうな感じが楽しくて。ミミ、という役は実は全てをコントロールする黒幕、みたいな見方もこの芝居にはあるのだけど、それを感じさせる演出。というか、彼女の顔を見てるだけで嬉しくなってしまうのはダメ人間のあたし。
「ソバージュ」リーディングの時に作家の方に頂いたコメントによれば、大枠と数カ所の引用で体裁はほぼ書き直しているのだといいます。 それでも芯となる圧倒する物語というかセリフのチカラ。シンプルな舞台、少ない役者がしっかりと作り出す場所。演出もきっちり、あくまでも丁寧に。あたしの好きな「今の人のつくる物語」というわけではありませんが、そんなこととは関係なくたぶん芝居を観たことのない誰にでもみやすいスタンダード。
戦争というものの草の根からの見え方、そこに正義があるとかなんとかということなんか関係なくて、人を殺すこと殺されるということ、それが連鎖していくということの本質が実にシンプルに。
芝居を通して刻むメトロノームは最初こそ耳に障りますが、この静かな場所の空気に自分が取り込まれていくような不思議な効果があります。巧いなぁ。リーディングも見ていて、しかも古典ですから、アタシが泣かされてしまうのは意外な感じすらします。それはセリフだけではなく、菊池美里が体現して見せる「無表情の中に現れる色」の細やかさ、母親というものの強さがアタシを揺さぶっているから。ごくシンプルな造りなのにリーディングとは明らかに違う世界がそこにはあるのです。 それを支える三人の役者も実にいい。
ソバージュって、「野性的な」とかって意味なのね。だから野蛮とか何とかいう台詞があるのかぁ、とググって気づく楽しさも。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2009.1.18 17:00
10年目を迎える愛知の劇団、あおきりみかんの新作。シンプルな舞台にアイディア勝負の95分。東京千秋楽はセルフパロディ10分「抱き枕生活者」を終演後イベントに設定。名古屋からスタートし、18日までシアターグリーンBOXinBOX。
5年前から「すべて布団の上で生活する=蒲団生活」を始めた男。恋愛やブランド過食などさまざまな依存症を、蒲団の上でゆったりすることでやる気が起きないことによって解決するセラピーのような集会を始めている。ある日、オヤツの豆大福に薬が仕込まれていると気づいた男は母親のたくらみではないかと考え、蒲団に乗ったまま、家を逃げ出し支援者の家に向かう。
チラシによれば、作家自身がいっとき自宅ではほぼ蒲団の中で過ごしたのだといいます。物語の方はもっと進んで蒲団に依存している、とでもいうような状況。蒲団に入ることでその依存しているものに向かう欲求をやらわげる、とはいっても、結局のところそれぞれの依存からは逃げられず戻ってしまったり、肝心の蒲団生活者の創始は、もともとの依存がよくわからないままだったりもしますが。
蒲団から片時も離れないために蒲団の端に両足を乗せ、もう片方を両手で持ち、ぴょんぴょんとはねながら移動する、というジンジャーならぬ蒲団に乗って状態はちょっとコミカル。八百屋に作られた舞台をこの移動だけで前編乗り切るのは10年選手の劇団としてはこの体力勝負、無茶な感じはありますが、まあ楽しい。もっとも、そのワンアイディアだけで押し通すにはさすがに無理があって、劇中の小説家の女、男を観続ける視点の少々の切なさは作家の視点を思わせてちょっとひっかかりが残ります。
シンプルでなにもない舞台に蒲団の出し入れ、一面に敷き詰めたりと、ある種のフィジカルシアターみたいなおもしろさがあって、その間もドリフターズのようなテンポの良さがあって、観続けさせます。物語の方はアタシにはぴんとこない感じもするのですが、語りたいことを舞台に乗せる確かな力。
イベントでのセルフパロディーの方は、本編のあれこれのシーンをつまみ食いして、タイツマン扮する抱き枕男とそれに依存してしまった話。本編の直後でなければ成立しないぐらいにつまみぐいなのだけど、勢いをかってこれをやってしまうのは正しい。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2009.1.18 14:00
ずいぶん久しぶりの感じがします。これからの人生、なんてことを考えてしまう枯れた領域に足をつっこむラッパ屋の新作は、移民100年を迎えた、ということとは何の関係もないボサノバ音楽サークルの話130分。25日まで紀伊國屋ホール。そのあと、北九州、大阪を経て東京も予定。当日券ならば見切れといわれる最前列上手端は避けてむしろ後方を。
千葉の海辺のペンション。大学の軽音楽サークルのOB.OGたち。音楽業界で活躍する創設者の還暦祝いをきっかけにして、久しぶりに会う人々。三十代後半からの人々は結婚していたり、離婚していたり、不倫していたり、成功していたり、挫折していたり。
ラッパ屋は結婚申し込むだの何だのというのを題材にしていたのはついこのあいだのことだと思うのだけど、一気に人生の残り時間が気になってしまう人々の話。結婚していても喧嘩していたり、いつの間にか離婚していたり、長く続く不倫だったりと、それこそショーケースのようにここ十年を過ごした人々。どろどろ生々しいところもあるし年齢が離れているところもあるけれど、連帯している仲間というべき人々のゆるゆる。
健康診断とか人間ドックで再検査なんてものの経験、大したことないだろうとわかっていても、なにかあったらどうしよう、残り少ない時間をどう過ごそうなんてことを考えてしまう、この年代の感覚はもちろんあたしの気持ちにもぴったり。もっとも、それよりもアタシに引っかかるのは40歳乙女座A型で勝負しない体質だと連呼される男の名前だったりするわけですが。何度も連呼されるし。(^^)
アタシが好きなのは、離婚再婚した女を囲んでのかしましい話とかあるいは、再検査に揺れる男が元カノにちょっと焼けぼっくいな気持ちを抱いたり、それに目ざとく反応しちゃう妻の話だったり。あるいはこの旅行を成功させようと空回り気味でもがんばる男の姿だったり。介護、というキーワードも全体への影響はないけれど、この年代なりの説得力があります。
物語全体から見渡すと明らかに乖離しているのだけど音楽業界で成功している男の、しかし音楽というものに夢がもてなくなってしまったという独白、ネットでよく見かける論調ではあるけれど、木村靖司の有無をいわさぬ説得力が印象的。三鴨絵里子の応援する気持ちは声質もあって印象に残ります。終幕のインパクトもちょっといい。石橋道子は不倫だの悪女だのが多い役者ですが、その彼女がもう40、という台詞を喋るのも感慨深い。
当日券であたしの座った最前列上手側端側では、奥のソファーに座って話すシーンのほとんど、役者の顔が上手側ソファーに遮られて見えません。これは時間としては「すこしの見切れ」といえても、物語の体感としては半分ぐらいになってしまっている印象。料金は変わりませんから、選べるならせめて下手側、あるいは後方を。3列以降なら問題ないでしょう。もっとも、あの広さの舞台ですからあとほんの少しソファーを前に出すなり、下手側のソファーを背もたれのないものにするとかなんとか、彼らほどのキャリアならば何とかできる、と思うのですが。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (1)
2009.1.17 19:30
新年から観たことない劇団が続く王子、ちゃんと外さない選球眼はたいしたものです。19日まで。土曜夜は満員、日曜日も満員のようです。100分強。
地球に降りたっていた宇宙人。地球人たちといつのまにか交わっていた。暮らしもあったのに、いつのまにか宇宙人を排除する法律ができて。
SFの物語なのだけど、今作で描かれるのは人間とか、想いとかというあたり。規模はだいぶ違うけれど、キャラメルボックスのような味わいがあります(褒め言葉)。優しい感覚が胸とか腹とかに染み渡るような感じで。
たとえば夫婦の会話、たとえば中間管理職の悲哀やことば、たとえば引き離される恋人とその切り替わり。さまざまな人間をきっちり描くように細部まで描いていて、それはきちんと組み立てられ、観察されていて成功しています。
ネタバレかも
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2009.1.17 15:00
架空の修行僧を主人公にしたシリーズ。底意地の悪さのようなものがあっても、全体には優しい視線の105分。20日まで駅前劇場。
妖怪アメフラシを名乗り子供の誘拐を予告する脅迫状がとどいた家。老師について近くまで講演の旅にきていた修業僧の一人の実家で、警護のために修業僧4人は一泊することにする。子供の母親は修業僧の一人の姉で寺で宿望を続けていて。その夫は地元の企業で働くが、さまざまあって村を二分する争議がある。海が近く漁師の幼なじみや昔の彼女たちも子供の警護のために集まってきて。
当日パンフにあるとおり、特定の宗教がどうこう、というよりは修業僧という微妙な立場に居る男たちの、その年代なりと悩みだったりちょっと間の抜けた感じも楽しいシリーズ。アメフラシ、なる子供をさらう地元伝承の妖怪の話なのだけど、ほとんどの人には見えない全身緑の奇妙な生き物がいたずらをしたり、すんでのところで人間と入れ替わりそうになったりとコミカルなさまざま。
ネタバレかも
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
さて。
海外の人々が来ての一週間の会議の終了。アタシは矢面に立つことはありませんが、会議を聞いているとびっくりするぐらい聞けなくなっているのです。一番ヒアリングができたのはラジオ講座をちゃんと聴いていた中学生の頃、な気がします。
それで、このイキオイをかって来週テスト受けるのですが、良くないのは見えています。職場最低点を取らないようにがんばろ。←何を
一日少ない一週間なのにちょっと疲労気味、だけど呑んで週末なら楽しみ、楽しみ
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2009.1.12 13:00
桜美林大学の女性ばかりの劇団、旗揚げ公演。13日まで桜美林大学徳望館小劇場。90分強。
一室に集まる二十歳の女性たち。アルコール飲料の商品開発モニタのためだというが、スタッフはなかなか現れない。だんだん険悪な感じになっていって。
オープニングの健全に色っぽいダンスのあと、二十歳の女性ばかりが次々。女子高生風制服だったり、看護学生だったり、ドレス姿だったり、不思議ロリ少女風だったり、訓練された風だったり、和服演歌歌手風だったり。訳のわからない分煙装置持ってたり、注射器を持ち歩いてたりと妙なところをそれぞれに持っていて。時に一人語り、ときにRPG風にピコピコとそれぞれの陰の部分を描くように、チャンネルを切り替えるかのようなホワイトノイズの画面を挟みながら、モノローグを重ねていきます。
二十歳という年齢がすでに女として売り物にならないという感覚や大人になると味覚が変わる、ということにことさらに描いている感じがあって、その年代なりの気分を描くような芝居はアタシの好みではあります。
もっとも、 正直にいえば実は物語がよくわからなかったりします。 若い学生の女性たちが作るとわりとありがちなモチーフ感の前半から、少々バイオレンス感の強い終盤が、いまひとつ物語として一つの軸につながらず、結果としてどこをみたらいいかよくわからなかったり。
が、それでも何回かは見ちゃうんだろうなぁ、というのは女性の作家が書き、女性が演出する女性の芝居ってのにどこか過大なまでの期待をしてるから、なわけですが。でも、その片鱗はありそうな感じもするし、役者もちょっと気になったりします。
看護学生を演じた高村枝里は少々癖はあるものの、表情豊かさが印象的。
| 固定リンク
| コメント (1)
| トラックバック (0)
2009.1.11 19:00
シスカンパニーを離れて初めての野田地図。文字の多い有料パンフ(1000円)もちょっと嬉しい。120分強、2月28日までシアターコクーン。「新潮」に戯曲も載っています。50人に及ぶアンサンブルも珍しい。
地球からの本格移民が始まって900年経ってだいぶ荒廃している火星。ストアに暮らす父親と妹。父親が新しい女と所帯を持つと言い出すので姉を呼んで止めようとする。父親は「死者のおはじき」という小さな円盤をため込んでいる。火星移民たちに俯瞰して一生を記録するために肋骨に埋め込まれる装置で、死後取り出され、他人がその装置を自分の肋骨に当てると記録された映像が見えるのだという。新しい女の連れ子と共に記録を見る。それによれば、火星移民の時に一緒に来たのは「パイパー」というロボットようなもので。
あたしは観てないのですが、遊眠社時代を観ていた複数の知人はそのころの芝居に似ているのだと云います。いわゆる言葉遊びや人数の多さで空間を作っていくのはそういう感じがします。若い役者たちがうねるように空間を作っていくのは確かに迫力があります。
ここ何作かに近いのは、いわゆる社会的なメッセージの厚さ。たとえば、点数という一つの尺度で全体の幸せを測ろうとする馬鹿馬鹿しさ。とくに最近はアンケートを低コストで取るのは楽ですから、さまざまな点数があるにもかかわらず、それを意味があるとおもってしまったりするわけで、アタシだってmixiニュースのいろいろ、読んでしまいます。
たとえばもう一つはシュリンクしていく社会の道筋。環境、戦争、食べ物。許せること、許せないことがそれに縦横に組み合わさって物語を厚く作ります。更にパイパーという従順なロボット(だと思う)が、暴力は排除するというルール絶対で、それ以外の点ではその人間の幸せを追求しようというワガママを増幅する方向に働いた結果。
芝居の出来、という点では初日に近い現時点では完成している感じではありません。もちろんセリフだって動きだって問題はありません。テキスト自体は少々説教臭さはあるものの、きちんとアタシの頭に残ります。ならば問題はそこでもありません。言葉遊びやさまざまな動きが「こなれて」いない感じがするのです。二ヶ月近く及ぶ公演期間の後半には全く違った印象になる気がします。
小劇場好きなアタシにはアンサンブルも嬉しい。あるいは特に前半でのパイパーの動きを支えるコンドルズの凄さ。宮沢りえという女優が圧倒的に凄い感じがするのも新鮮な発見です。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2009.1.11 14:00
北村想の30年前の初演作、横浜未来演劇人シアターとしては初めての上演。18日まで相鉄本多劇場。130分。
戦後すぐ、貸本屋に毎日のように通う少年。貸本屋の奥に眠る地下のトンネルを冒険しているうち、檻に閉じこめられた「虎」を発見する。祖母の葬儀の日、戦時中、マレーの虎として知られたハリマオの活躍の末期に祖母が活躍していた記憶をたどるうち..
昭和30年代のテレビヒーローだというハリマオはさすがにアタシには記録の向こう側にだけあるもの。芝居の物語は、その骨格だけを使い、少年と祖母の記憶のつながり、のようなところを描き出すところに主眼があるようです。
特に中盤ハリマオ最後の活躍、といった場面の冒険活劇風のあたりはわくわくするシンプルな感じ。アタシはこの芝居を、少年の夢想と読みとったのだけど、そうだとするとやけにエロな感じもあって、ちょっとつじつまは合わない感じもします。
なんというのか、作家のスノップさ加減の見え隠れは少ない反面、「サラマンダの種」をめぐるさまざまなど、女性の見方について少々しつこいまでに悪ふざけにすぎる感はあって、その危うさは作家らしいと思う反面、好き嫌いは分かれてしまうかもしれません。女性はどう思うのかなぁ、この芝居。
とはいえ、特に前半は圧倒的な物量で隙間なく物語を勧めている感じはあって、芝居らしい芝居としての仕上がり。ファンタジーであってストレートに進む物語という感じではありませんから、誰にでも物語を追いやすくはありませんが、美しいシーンはいくつもあって。
ネタバレかも
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2009.1.1019:30
何人かの友人が絶賛していた劇団、王子へ。果たして。低い位置での芝居が多いのでなるべく前、無理ならばむしろヒップポイントの高い後方を。120分。12日まで王子小劇場。
中学二年生の女、公園で先輩にからまれている間に自転車が盗まれる。街をさがしまわる同級生や仲間たち。
正直に云えば、ほぼ素舞台を高さなく作ってたり、客席は微妙に段差があるわりにヒップポイントが余り変わらずに見えにくかったり。あるいは舞台の向こう側の動きが見えたりと技術のさまざまは未完成な感じは否めません。が、作家の観察するさまざまな人間の造形が凄いのです。
ネタバレかも
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2009.1.10 15:00
北九州の劇団、飛ぶ劇場の新作。北九州・大阪を経てこまばアゴラ劇場で12日まで。105分。
季節はずれの寒い時期の海岸。海の家を訪れる一行。小さな下請けゲーム会社の社員5人で普段はやらない体験サーフィンをやろうという社内旅行のようなイベント。 プライベートも仕事もいまいちぱっとしない彼らだが、イベントはイベントとして楽しもうとしていた矢先、津波の警報が出て、様子を見ることになる。海の家を営む家族はやたらにクルマに興味を示したり、娘の作る焼きそばを執拗に勧めたりする。海辺を散歩していた社員たちは打ち上げられた骨を拾ってしまう...
終わりのないゲーム、というキャッチコピーのゲームを作った彼ら。下請けゲーム制作の悲しさで作ったゲームが発売できなかった悔しさ、それに断固戦わなかった人、理由も知らされずに中止だけを告げられた社員たちなどの鬱屈。仕事だけじゃなくて、恋とか結婚とかもままならない感じで、限りなく広がる未来というわけでも、がむしゃらに突っ走るでもなく、積み重ねも、先行きも見えはじめた30代の男たち。そういう現実の物語を縦糸に。
横糸となるのは彼らの職業であるゲームというリアル感の乏しい、何度でもリセットの効く世界を発端に。海岸で出会った、波乗りを模したいかがわしげな神事はやがて、死をリアルに意識し、さらに生きていくことを強く意識するという物語。
いきることだの死ぬことだのを持ち出しているものの、今の私たちが生きていること自体がどこかリアルを感じづらく、モラトリアムという仮想の中にずっといるような、実感の得られないふわふわとした感じがあたしの気持ちにはまります。結婚できないねぇ、とかいいながら、あるいは仕事がうまくいかないねぇ、とかいいながら、じゃあそれこそ死ぬ気で何かをしたのか、なんだかんだいいながらそこに立ち止まったままくるくる回っているような妻子持ちの男の姿は、(妻子はないけど)あたしの、一歩を踏み出せない感覚によくあっています。
もっとも、劇中の彼らの年齢は30代、あたしはすでに40代ですから、おなじように感じてるんじゃ、ほんとはだめなわけですが(泣)。
紅一点の社員は、男たちとは別の役割が与えられている感じ。女性ならそれは20代のおそらく後半に考え始めること、ということなのかもしれません。それでも彼女はまだ若く、未来の選択肢を選びとる感じがあって、それはこのポジションを紅一点としたバランスがうまく機能している感じがします。演じた大畑佳子は確かに普通な(失礼)感じがよくて、可愛らしさ(水着があったりする!)もあって、みんなが好意を寄せているということにリアルを感じさせます。
元ゲーム業界だった、という作演なのですが、劇中でふれられる「カリスマゲームデザイナーも今はたいしたことなくて、九州に引っ込んでしまったからなぁ」というような要旨の台詞はどんな気持ちで書いたのだろう。別にゲーム業界に未練があるわけじゃない、とは思うのですが。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
ことしも、よろしうお願いいたします。
呑んだくれの冬休みが終わり、モチベーションが微妙なままの5日間勤務。妙に冷え性になったりするのは歳だからですかそうですか。膝掛けが欠かせないのはどうなんだ、オヤジとしてのアタシ。
三連休ですが、来週仕事にイベントあったりするので今ひとつ気持ちの上では遊べないのですが、それでも芝居はたくさん。さて。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2009.1.4 16:00
バナナ学園純情乙女組が芝居後に上演するライブユニット、初めての独立ライブ。6曲、40分ほど。dress akiba hall。アタシは初見です。4日一日限り。
5人のメンバーのうち、他公演の稽古中という菊池佳南をのぞく4人(二階堂瞳子、加藤真砂美、前園あかり、野田裕貴)で構成。チェックのセーラー服風のコスチューム。
狭い舞台を踊りまくり、歌いまくり、暴れまくり。オリジナル曲っぽいものを交えつつ、ナツメロ風、アニメ曲風のメドレーなどさまざま。
正直にいえば、1500円のクオリティーに達しているかというと微妙なところではあるのです。この狭い舞台で踊るといっても決められるほどの広さはないし、訓練されきったという感じではありません。ノープランとまではいかなくても。カラオケボックスで暴れて踊る若い人たち、のような感じ。それでも、ちゃんとエッジな感じはあって、ちょっと見守ることにしますか、と思うのです。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2009.1.3 19:00
アトリエヘリコプターが毎年新年に開くユルい感じのイベント。4日まで、170分(休憩10分込み)。
学園の美女、大山子には秘密があった。命を狙う外国人、恋したり、横恋慕したり「むらさき☆こんぷれっくす」
京都のバンド、ザ・ノーバディーズのライブ4曲、司会は前田司郎・黒田大輔・斎藤庸介。
「紅牛会」と称しての日本舞踊(、風かもしれない。よくわかりませんが)獅子舞、演奏も。
チャゲアスの誕生秘話。大学で知り合い、芸人コンビ、ひとりはチャゲじゃなくて「カゲ」。しかし居なくなってしまったチャゲを探すためのオーディション、それぞれが自分の中のカゲを披露し合うはずなのだけど..「チャゲ&飛鳥のニセモノ」
最初の1Fの頃から比べれば格段に暖かく、快適な劇場。前の方だと冷えるようですが、今回は後方を確保。前の日の呑みすぎ(自分のせいですが)でも快適に、しかし寝ないぐらいにはちゃんとしていて。
「むらさき〜」は、普通に見える私だけど実は特別な能力だったり生まれだったりという自分だけ違う特別感という少女漫画の基本骨子を濃密に抽出。さらにそれは少女ですらないというひっくり返しによってそれは少女漫画ですらないわけですが。正直に言えば、役者が多すぎる感じはあって、その人数にきちんと物語を張り巡らせきれないもどかしさがあります。
ライブはまあ、ゆるゆると。獅子舞の子獅子舞がちょっと面白い。舞踊のところで笑いが起きるのだけど、大まじめにやってると思うんだけど、笑わせる何かがあったのかなぁ。
「チャゲ〜」は、序盤で岩井秀人演じるチャゲならぬカゲの漫才突っ込みが冴える。後半のオーディションは、坂口辰平が圧倒的な感じ、ちょっと演出に似てる感じも。チェルフィッチュ風の語り口でそれぞれの体験を話す人々、それがオリジナルなのか実体験なのかはよくわかりませんが、それなりに怖かったりする感じ。ワークショップってものに出たことは当然ありませんが、こういう感じなのかなぁと思いつつ。
全体にアタシには笑いどころがあまりよく判らない感じ。いくつも笑わせるシーンはあるのだけど、終演時に面白かった!と両手を挙げては賛同できない感じ。それなのに、いくつか観客が沸くシーンもあって。ずれてますか、あたし。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
書いているのは年の瀬です。といいながら、エントリが公開されるのは年明けになる予定。散歩の後、なぜか三ノ輪橋の都電駅横の喫茶店。
2008年の観劇本数は芝居269本でした(リスト)。
体感よりもちょっと多い感じがするのは、数え方によるものというところもあって、アタシの単位はチケットの購入できる最小の単位ですが、歌舞伎は幕見がありますからちょっと違ってます。
一つの公演の中で複数演目がある場合、CoRichにどういう単位で登録するかというのは戦略の一つだと思います。感想を書く側からすれば、芝居そのものは演目単位に分けてくれた方が書きやすい気がしますが、たぶん制作する側からすればまとめた方が、「にぎわってる感じ」も演出できるし、その公演全体のコンセプトを説明しやすい、ということもあるかもしれません。
CoRichといえば、公演タイトルを、公演中次々と変えていく手法も目立ちました。正しい方法だと思いますが、公演終了後はデータベースですから煽り文句をきちんと消してプレーンな状態にしてほしい、というのは、fringeの仰るとおりだと思います。(アタシとは違う意見のエントリもありましたが、おおむね彼の目は鋭い)
ともあれ、ことしもオンライン、オフライン、芝居関係、仕事関係、プライベート、さまざまなみなさま、ありがとうございました。よいお年をお迎えでしょうか。
今回もえいやっと。リスト★を作るのをさぼってたので年末のほとんどをそれに費やしたのがちょっと失敗。圧倒的に、という芝居は以外に少なかったように感じますが、それはアタシが未見の新しいところを開拓するのがかなり少なかった、ということによるものかもしれません。
さて。順序は初日順。劇団あたりは一本、アタシが初見の脚本(再演だとしても)が条件です。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2008.12.31 23:00
デスロックの東京最終公演、著作権期限切れ(公共化)記念の大晦日夜の特別興行は音量控えめだったらしいです。5日まで、こまばアゴラ劇場。休憩込み170分。
戦時中、殺したくないからと、キリスト教信者が徴兵を拒否する。周りが離れていく空気があってすまないと思っても、揺るがない男。
終戦。男は揺るがない。周りの空気は一変する。それは幸せにはならなくて。
戦後すぐに書かれた戯曲のテキストの力は確かです。デスロックは演出先行な感じもありますが、テキストをほぼいじらないという今作はあたしの好みに近いのです。
真っ直ぐに生きすぎるというのは言い過ぎだけど、揺るぎない芯でありつづけることは時に周囲を混乱させたり、良くない目にあわせることも多数。済まない、とは思っても揺るがない気持ち。不器用な行き方という感じ。常に静かで、冷静沈着で、ということもアタシの気持ちにはまります。
学校用の机を集めた「島」のような上に役者たち。小さく固まってるコミュニティが、ある時から距離を置いてばらばらになる様子が象徴的。喋りは全体に平板に見せるやりかた。
終演がほぼ01:00、そのあと03:00から始まる新年会はすべてのキャストによる一芸大会へ。夏目バンド→夏目スケッチブック→佐山空手→折原倒れる人→笠井物まね→村上昔の自作戯曲→坂本フラフープ→桜町一人○ブリ→佐藤大好きなコンサートに行った時の自分→山田一人芝居→★矢ひとりキャバレー→山村中島→猪股代役→岩城(スタッフ)テルミン→多田朗読。終演5:00。楽しいしすごいのもたくさん。料理や差し入れも楽しく。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
最近のコメント