速報→「リアリティ・ショウ」虚構の劇団
2008.12.20 14:00
鴻上尚史が若い役者たちと立ち上げた劇団の第二回公演。120分。20日まで紀ノ國屋ホール。
動員500が越えられない小さな劇団「祝祭の草原」。起死回生をねらって、ネット番組への出演を決める。隅々までテレビカメラとマイクが設置された一軒家に共同で住み、24時間のリアルタイム中継を4週間行い、4週間後に公演を打つ、という企画だった。世間で評判のタレントを一人加え、ロミオとジュリエットの稽古が始まり、中継も同時に始まった。
ロミオとジュリエットの物語を稽古中の劇中劇として組み込み、それを稽古している劇団員たちの想う気持ち、というよりありていにいえば恋愛模様を二重の構造にしていきます。 抗争している二つの家の間の二人の若者の禁じられた恋を描いたロミジュリに、原作ではせりふとしてしか登場しないロザラインをオリジナルの役として登場させ、ロミオとジュリエットの二人の間に補助線として見せ、「想いはあるけれど恋人にはなれない」と考え恋人にならない/なれない二人の姿が見事な感じなのです。
しかし現代の現実の三人の男女は、そんなに簡単ではありません。好きだという気持ちの一徹だけでは物語としては完結できません。カルト宗教、そこからの脱出の困難さを軸にした終盤の物語運びは、アタシには遠い昔のリアルを感じさせる一面があって、気持ちを揺らしてしまうのです。
更に、「世間の目」に見られていること、世間体に縛られる人の姿。監視カメラに晒されることを自覚していることが逆に自由に感じられてしまういう象徴的なシーンがアタシに腑に落ちる感じで、このあたりの「少し先の時代の気分(軽い言葉だ、我ながら)」を確実に吸い上げるのは鴻上芝居を観る醍醐味なのです。
正直なはなし、役者こそ若いものの、演技の形とか、ダンスが挟まる感じとか、古さを感じないことはないのですが、まだ伝統芸能というのには日が浅い小劇場演劇の一つ形ですから、これはそういうものだと想ってみるのが吉。
ずっと劇団の話ばかり、というのは確かに作家の特性なのだけど、芝居と恋愛と孤独であることだけを延々に見つめ掘り下げ、こねくりまわして物語を作り始めるこの作家がアタシはとても愛おしいのです。ネットワークとか、人と人のつながりにうだうだと考え続ける鴻上節はあたしの気持ちを揺らすのです。「監視カメラを監視する会」なんていう過去公演のネタが顔を出すのもちょっと楽しい。
ふらふらと買った当日券は後ろ2列目。訓練された若い役者とはいえ、奥行きのあるこの劇場でのこの場所は少々厳しい感じ。確かにパソコンの画面の向こう側でくりひろげられる他人事の世界という感じにはなりますが、ある種の没頭感がほしいところ。もちろん、優柔不断に前売りを買わなかったアタシが悪いわけですが。半透過のスクリーンを使って、舞台をスクリーンに見せる方法はおっと思わせるし確かに効果的なのだけど、セリフと役者だけでそういう「場」を立ち上げて欲しい感じもします。
渡辺芳博の安定は物語を運ぶ心となる感じで安心。大久保綾乃の想いの伝わる感じが好き。小沢道成は、コミカルの軸だけれども隅々まで押さえられている感じで、その場所を愛してやまない作家の視線を強く感じさせるのです。
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