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2008.08.25

速報→「真説・多い日も安心」柿喰う客

2008.8.24 19:00

王子小劇場の公演からわずか2ヶ月。再演とはいえ40名近くの役者による疾走感と迫力。110分。31日まで吉祥寺シアター。

一人のAV女優が国の頂点に立ち、監督・男優たちがそれにかしずく国「ソフト・秦・デマンド」。それ以外の女優の存在を許さず、国民はそのAVに熱狂し、その熱狂を継続するために主演AVを次々とリリースしていく。国を守るために北方には城壁を築き、リリースの本数を増やすために生理を止めることすら厭わない。さらなる権力の増大と保持を狙って西洋のあの祭典を、この地で開催することにする。

あらすじを書いていて、トラックバックスパムが大量に来ると確信できるぐらい、下世話というかAV業界を外枠に。中枠に始皇帝とかの史実の枠組みだけを、核に女性の、という感じの構造に見せています。女性であり続けることとかの深い物語かと一見見えますが、妄想エンターテインメントの看板通り、物語の深みというところに作家の興味がない気がするのは相変わらず。それよりは沢山の役者、多くの関係、構造、見せ方のかっこよさという様々な要素をきっちり作り出し、劇場の空間を埋め、観客の脳の中を芝居の間だけでも埋め尽くしてしまうということこそが、作演の一番の快感なのではないか、と思い至るのです。

吉祥寺シアターはいい劇場ですが、この空間を埋めるのは生半可では無理です。これまで使ってきた王子小劇場やシアタートラム、モリエール、フジテレビのホールなどの劇場もそれぞれに難しさがありますが、彼らはきっちりと結果を出し続けているのです。あるいは終演後にほぼ全ステージに設定されているトークショーもそうかもしれません。ともかくその時間の間きっちりと観客の気持ちをつかみ取るのです。

24日夜のトークショーでの一つの話題が終盤での歌のシーン。アタシは10年からこっちのあの番組のフォーマットがどうなっているかということを知りませんが、ああいう大勢で歌う場面を見せることの胡散臭さのようなものはまったくの共感なのです。あるいは祭典が発揚の場とか、北方の兵士たちとか、細かいところでのシニカルな見方には気持ちが寄り添います。オンナたちのあれこれ、は判る気もするけど、アタシはホントはわからない。作家は興味ないだろうな、ということは薄々判る気がします。

トークショーで作家が喋っていたのは、歴史は好きで網羅しているのだといいます。その語り口の自信の強さには少々当てられる感はありますが、大局の史実には大して興味がないアタシでもそういう話なのだと思わせる構造は強固です。

が、作家が語りたい本当の「ものがたり」がそこにあるか、というと、アタシにはそれが見つけられないのです。万が一トップの一人以外はすべてフラットになっていろ、という心意気だとするとそれはちょっと怖いのですが。劇団客演問わず役者たちも、この芝居もほんとうに愛おしいのだけれど、作家のコアとなる本当の物語が一回ぐらいは観たいなぁと思ったり思わなかったり、というのは気楽な観客の戯れ言だったりするわけですが。

たとえば「ソフト・オン・デマンド」というAVメーカーがあるかとか、役名の監督や男優たちが実在しているもののもじりだとかなんてことに笑ってしまって周囲に女性の観客が沢山いることに気づいてばつが悪いなんてのも楽しみ。佐藤みゆき演ずるNo.2女優のパワフルが楽しい。中林舞演ずる先輩女優の落ち着き、くるくると廻るある種の才能の無駄遣いにも凄み。須貝英演ずる男優の北方守備のコミカルな哀しさ。七味まゆみ演ずる侍従長の冷徹に痺れ、終幕のあれにひっくり返り。深谷由梨香演ずる女帝のテンションの強烈さはこの広い舞台で真っ直ぐ真ん中に居続けるということの強さで、絶頂期の中森明菜のような(古いねしかし)、どうかなってしまうのでないかという凄みのようなものを感じさせるのです。

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» 号泣する準備なんてできてねえよ! [号泣する準備なんてできてねえよ!]
というくらいに泣いた映画。更新しだいでは映画以外もうpしてきます。 [続きを読む]

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