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2008.07.14

速報→「パレード旋風が巻き起こる時」あおきりみかん

2008.7.13 17:00

名古屋の劇団、あおきりみかんの新作。劇王での受賞など実績もあるようですが、あたしは初見です。名古屋をへてシアターグリーンBoxInBoxでの公演は終了。

公園で蟻の行列を眺めている女に声をかける男。女が語り始めた話。高校の卒業式の日も同じように蟻を眺めていたら同じように声をかけてきた同級生。そんなに仲良しというわけでもない彼女が云うのは、「私のことを見ていて、女王になるから」なのだという。

蟻の行列をパレードと見立て、蟻のコロニーを人間の小さなコミュニティの中の姿に見立てた構成。女が見られることで紆余曲折しながら女王に育っていく、という過程の切り口は女性作家らしい世界の切り取り方だなぁと思うのです。

噂話、飲み会でのあからさまな会話やモーション。人間関係を見続けるということの役割をもった彼女、その彼女を気にしながら見続けている男、女王という頂点の立場なのにその男が気になって仕方ない女という人間関係の一筋縄ではいかなさ加減が幾重にも重なります。それが100分弱の時間のなかにぎゅっと詰め込まれた面白さ。

見られることが前提で変化していくこと、が、そのすべての過程はやはり彼女自身でもあってという終盤や、パレードの繰り返しなど、思いがめぐってしまったためかどうか、前半ほどの鋭さは薄まってしまっている気はします。パレードの単調さは人生になぞった結果かもしれませんが。隊列(デモだけど)で客席を囲むような話というとミナモザの名作も思い浮かびますが、使い方こそ似ていても、どちらもオリジナリティを感じさせるのです。

幕があいてすぐ、イントレで壁いっぱいに組まれたマス目の中でそれぞれが暮らしている姿はおっと思わせます。着ぐるみの多用のわりには舞台を止めないままきちんと進ませる演出や、カステラのパレードのオリジナルの歌など、楽しませる感じのつくりもあたしは好きです。

語り口での多弁さは、確かに鴻上尚史に似ている感じはあります。ほかにも群唱の多用など80年代っぽさになぞってみてしまうのもよくわかります。が、見られていくことで変わっていく、ということを作家が感じ取り、蟻のコロニーという小さな視点で切り取って見せた物語は確かに作家の言葉だと思うのです。飲み会のシーンでの「やりたい」と「おもねる」の応酬など、確かに類型的ではあるのだけど、なぜか作家の視点で切り取られると感じられるのはたとえば女同士の罵倒の言葉を「ブス」ではなく、「へちゃむくれ」と選び取るセンスから感じられるのかもしれません。

エンディングのパレードの曲はだれもが思い浮かべるアレですが、DVDにするつもりなら著作権ゴロのあの曲だけは避けた方が、と思ったりも。せめてDVDだけでも。

役名が男1、のようになっているのは台本の指定として仕方ないものの、初めて見る客にはだれがだれやらわからないのはもったいない気がします。たぶん出番順なのだけど、さて、だれがだれやら。長崎の女王のキュートさ、見続ける男の語り口の確かさが目を引きます。

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