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2008.05.13

速報→「WALTZ MACBETH」東京デスロック

2008.5.11 15:00

東京デスロックの新作。坪内逍遙訳のマクベス(青空文庫は作業中)を大胆に再構成。吉祥寺シアターでの上演は終了し、神戸公演を控えます。100分ほど。上演前に10分ほどあらすじの説明あり。

黒の和装姿、人数よりも一つだけ少ない椅子。様子を見合いながら椅子に坐ったりゆずったり。やがて「綺麗は汚い、汚い綺麗」のセリフとともにスタート。椅子に坐ることを安定、そこから離れることを混乱や緊張という感じに見せていて、気が触れそうになる緊張感と平穏を求めるという、マクベスの感情の揺らぎを表すのにはよく機能している感じがします。

少なくともあたしに関していえば、マクベスはわりとなじみの戯曲だということと、この緊張感と椅子とりゲームの相似を見いだせたということと、その前提の上で見慣れた役者たちが、作り込まれた動きを緻密にやっている、という点で楽しむことはできました。

ただし、あらすじをパンフに書き、さらに開演前にダイジェストを説明して物語を観客に植えつけようということをしている、ということは彼ら自身も弱点に気づいているという気がするのです。 つまり、先に観客の中に物語を定着させておかないと楽しめないんじゃないかと思うのです。 子供でも大丈夫とか、知らなくても楽しめるというのはセールストークとしては正しい気がしますが、披露による肉体の変化というこなららあらゆるライブパフォーマンスからスポーツまで当てはまってしまうわけですし、物語はやはりその芝居自体で語りかけてほしい、とアタシは思うのです。

もし、これがはっきり意図された通りに作り上げられている物だとすると、物語を伝えるメディアとしての役割を放棄してしまった感すらある今作は、果たしてあたしが好きな芝居というものにあてはまるかというと微妙な印象は否めません。誰が見ても絶賛に近い「3人居る!」などと比べると、近作の評価の割れ方は、そういうあたりを許容できるかどうか、ということにかかわる気がするのです。 腕を振り上げたり走ったり踊ったりを繰り返しながら役者の肉体の疲労をリアルにみせていくという最近の手法は、好みの問題や、疲労をみるならライブの方がいいんじゃないか的指摘は別にしても、ある種どれも同じに見えてしまうのは飽きやすい観客を相手にするためには弱点かもしれません。

とはいえ、そこに確かなチカラが宿っている人々だということは間違いはないと思うのです。もしかしたら、アタシがついていけてない次の領域ってことなのかもしれないなと逡巡したりもするのです。

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演劇・芝居」カテゴリの記事

コメント

こんにちは。トラバさせていただきました。
マクベスもWALTZ MACBETHやメタルマクベス等
色々アレンジされているようですね。

投稿: ryotaro | 2008.05.25 20:52

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