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2008.05.30

速報→「SOMEDAY」StudioSalt

2008.5.29 19:30

スタジオソルトの新作。6/1(日)まで、相鉄本多劇場。100分。

湘南のカフェというか飲食店。訪れるマスターの幼なじみたち。オヤジになって、結婚してたり離婚してたり独りモノだったり結婚を控えてたりそれぞれなのだけど、ちょくちょく集まっている。ある日、パートの募集に一人の女性が応募してくる..

9ステージ5日間の芝居としては格段に質感のある舞台装置。細かく作り込まれた照明や背景に流れる波などの細かい音と相まって、湘南の海辺にある個人経営の今ひとつ垢抜けない喫茶店という雰囲気が良く出ています。湘南という場所は確かにイメージはいいけれど、平日は地元の知り合いが個人の店に集まってるという微妙な田舎町の感覚は確かにあって物語の枠組みもそれっぽくなっていてリアルな感じ。

正直な話、相当な実年齢差のある4人を同級生としているのはかなり無理な感じもするのはまあ仕方ないところ。それでも、中年男たちの人生荒波乗り越えてスタンドバイミー、いくつになっても男は少年で、といえば聞こえはいいけどオトナになりきれなさの雰囲気がアタシは好きなのです。娘の名前の配慮の無さとか、結婚前の男の浮つき加減とか、多分彼らには悪意はなくて、その考え無さ加減を拾い上げている感覚。

少なくともアタシの観た木曜夜に関して言うと前半部分、特に幼なじみ4人の役者たちの口調がどれも妙に気持ちの悪い平坦な感じになっていて、違和感のある仕上がり。終演後に知り合いの観客と話しているのを小耳に挟んでみると、この回の出来がそうだった、ということのようではあるのだけど、前半は物語があまり動かないこともあってなかなか難しいところ。

タクシー運転手とパートの女性ふたりきりのシーンからあと、後半はめきめきと物語が動き始めます。その冒頭となるこの二人のシーンがアタシの心を揺らすのです。思いっきり嫌な感じからの一転が鮮やか。 夫婦の二人の話もあったりするのだけど、より自分に近い境遇に見えるタクシー運転手の心優しいダメ男ぶりが、なんか泣けてしまうのです。対するパートの女性と妻、二人のどこか意固地で嫌な感じもリアルな感じを見せています。

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2008.05.28

なんちゃってスタッフ。

会社の大会議場を使って、半年に一度の大きな会議。なぜか巻き込まれて、まあ、タイムキーパーぐらいならいいですよと返事。

スタッフが不足するから、なんかインカム付けて歩き回ったりする係だったり、タイムキーパーもキッチンタイマーじゃあれだなと思って、今まで使ったことのないマクロ使って(でね、OfficeMacじゃ動かない)、画面にタイマー表示を出して発表者に知らせるのやってみたり。

リハーサルの時に調整室に入れば、照明卓も音声卓も映像スイッチャーもなんかやたらにおおがかり。素人でも使えるような簡単な使い方は出来るのもちょっといい。久し振りの人に会ったりするのも嬉しい。

でもなぁ、毎回コレに巻き込まれてたら本業がぁ。楽しいんだけどなと思いつつ。

週末。

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2008.05.26

速報→「スウィッチングダンパー」げんこつ団

2008.5.25 19:00

女性ばかり、毒のある笑いが得意なコント風味、げんこつ団の新作。120分、駅前劇場。

ある程度揶揄するネタのパターンに波があるのは事実なのですが、今回はうまくはまった感じ。大統領、中国、アメリカなどの時事ネタもけっこう豊富。

709号室を新たに発見した家族は先住の家族は残虐の限りをつくして。まるでアメリカ大陸で起きたこととをもっと卑近に描くとこんな感じじゃないかと思うのです。

あるいは、 日本語学校を尋ねる中国人たちの地図自体がまちがていても、傍若無人な中華な振る舞いだったり。ある種の悪意ではあるのだけど、注意深く書き込まれていて、単に馬鹿にしたりしてるだけという訳ではありません。

あいた一室を米軍に貸してる人のよさそうな家族がそのうえみかじめ料とられてたり、それが広島弁ヤクザ風味だったり。

某ねずみのオーディション会場で某猫が新しくて受かっちゃったり。

などと、さまざまなネタ。風刺もぴりっと効いているのは世界でいろいろ起きてるから、ですね。

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速報→「グローブジャングル」虚構の劇団

2008.5.25 14:00

鴻上尚史が若い役者を使って立ち上げた劇団の旗揚げ公演の千秋楽。110分、シアターグリーン大劇場。

書けなくなって仲間たちも離れてしまった劇団座つき作演の男。配慮のない書き込みでblogが炎上し写真住所名前まで晒されてしまった女。それぞれの事情で傷つき、それぞれの目的でロンドンの街に滞在を始める。
そのころ、日本人学校の児童たちに日本の民話を見せようというプロジェクトがたちあがり、日本人を募集しはじめる。

ネットに対するある種の洞察力について、アタシは鴻上尚史という作家をかなり信奉すらしているところがあります。彼の語る言葉がもし荒唐無稽であっても、それは時代の先を嗅ぎ取って書いている、と無条件に思ってしまうのです。 技術の最先端というよりは、今流行っていることを取り上げているように見えても、その先に内包されていることの萌芽が形はいびつでも書き込まれていて、それが数年後に見直したときに効いてくる感覚。 「朝日97」を初めて見たときにネットワークというものの切り取り方は先鋭的ではなかったけれど、ネットが傷つけるということと傷つけない関係が求められるだろうこととか、「ファントムペイン」(もしくは未見のスナフキンの手紙)で詠み人知らずのテキストが流布することの視点。今から思えばごくあたりまえのことを、その時点で書き込んでいることの凄さというか。

じゃあ、それに照らして本作は先々の何を書き込んでいるかということは、今現在のアタシにはやっぱり残念ながらわからないのです。blogの炎上のしくみやその過程(ロウソクを付けたり消したり日が増えていくという即物的な見せ方はちょっと笑った)が見えたり、YouTubeみたいなことはほんの少しだけ昔のことを書いていて何を今さら、という感じはするのだけど、ここに描かれた何かが、きっと数年後にああ、そういうことかと思う日が来る気がするのです。そのために、アタシは彼の現在進行形での言葉を聞き続けたい。

ネットでの傷つける側と傷つけられる側を端緒に、傷ついて逃げてきた人々、死にたいと思ってる人々の居場所。学校での芝居ということを設定して、元AV女優とか、危険な可能性があるというだけで撤去され続けるグローブジャングルという公園遊具など無難にし続ける日本の姿と合わせて描きだしていく過程は見やすく小気味いい。派手目のダンスも90年代だよねそれと云えば確かにそうなのだけど、若い役者が躍動する姿を見るのは、120分の芝居でちょっとぐらいあってもいいし、なんせ彼らは見目麗しいのです。

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2008.05.25

速報→「ショウジさんの息子」渡辺源四郎商店

2008.5.24 19:30

渡辺源四郎商店の「店主」、畑澤聖悟が弘前劇場時代最後に作演した「ケンちゃんの贈りもの」の改訂再演。青森、東京の公演は終了。90分。

かつて、お笑いのコンビを組んでいた夫婦。その妻に先立たれ、妻の父と同居している男。その義父の 傘寿の誕生日に二人、ささやかながら祝いの宴。義父は見合いの相手をその席によぶが、男は受け入れず、帰してしまう。そのあと男がプレゼントだといって用意していたのは、義父の老人ホームへの入居だった。

もとになった「ケンちゃんの贈りもの」は「賢者の贈り物」をベースにしたところがあって、そこに今の日本の地方都市の風景を織り込んだ感じの話。義父と近所の酒屋のそわそわ感といい、食卓の上のこれみよがしな大学ノートといい、物語のキモとなる部分は早々にわかってしまう感じはあります。それでも、初演に違わず、やはり客席中がすすり泣きどころか嗚咽まで聞こえてしまうほどの泣きで溢れる力が確かにあるのです。

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速報→「4x1h project #0」Bプロ

2008.5.24 17:00

戯曲選抜企画のBプロ。25日までルデコ、90分。

早朝の喫茶店、徹夜開けのタクシー運転が来たりするような店の奥から聞こえる奇妙なうめき声は「喫茶店」。
遅刻しそうな女子高生が普段使うバスの代わりに地下鉄・極楽メトロに乗って通学すると、痴漢ばかりが乗っている車両の中で、胸ばかり触る痴漢にスルーされたのが気になって「ひとさまにみせるもんじゃない」。
戦争の村、制圧されてドイツ兵が民家に滞在する。ソバージュばあさんと呼ばれるその老婆は戦争に行った息子を待ちつづけている。戦争も終結し、帰国を待つ兵士たちに届いた手紙は「ソバージュばあさん」(モーパッサンの原作、というクレジットが入ります)。

「喫茶店」は短めに20分程度。 少し狂った日常という、エレファントムーン的な世界をあっというまに作り出してはいるものの、その舞台をしつらえたところで止まり、物語が回り始めていない感じがしないでもありません。

「ひとさまに〜」は 濃密でぐいぐい引っ張る感覚で気楽に見られる半面、柿の公演と何が違うんといわれると、わりとそのまんまだったりします。限りなくシモネタだし、だめな人はだめだろうとも。あたしはかなり好きなのだけど、演出が作家本人ではなく、出演者も柿の面々ではないのに、ここまで同じ香りになるというのは、(懐かしい小劇場演劇だというフォーマットも含めて)今回の6本の中ではこの1本だけが全く異質な個性を持っていると云うことなのかも知れません。

「ソバージュばあさん」 モーパッサンの同名の短編を原作に引いているらしいのですが、脚色を加えたのかどうかはよく知りません。丁寧に描いた物語が確かにそこにあります。もとは小説のようですから、戯曲に変えるという過程が作家の仕事なのかも知れません。ただ、作家たちを前面に据えたリーディング企画という趣旨からすると、もし原作の色合いが強いならば、コンペ形式でもあるわけですから、他の作品と同じ土俵ではないのではないか、という気がしますし、作家達の言葉を聴きたいと思っているアタシには、少しばかり肩すかしにも感じるのです。

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速報→「4x1h project #0」Aプロ

2008.5.24 14:30

6本の戯曲をリーディングし、うち2本を芝居として上演するという選抜を兼ねた企画。30分×3本を一組とするうちのAプログラム。25日までルデコ。

酒を飲む男女。男が友人から聞いた話を始める。雨宿りしているときに、少し男が場所を離れた隙に女が忽然と姿を消したのだという「消えたおんなの話」。
ルームシェアしている女ふたり。居候する別の女はは働く気もない。部屋の持ち主が些細なことで喧嘩してしまい、居候に出ていけと云ってしまう「いそうろう」。
ある施設の中の少し雑然とした休憩室。やる気のない職員たち。そこに若い女性の担当者が、耐震工事の指揮のために訪れる「群盲と象」。

リーディングといいながら照明も音楽も動きも付ける「もどき」が多い中、30分かなりシンプルで動きも照明もなにもないタイプの純粋なリーディングは珍しい気がします。 長い椅子に一列に腰掛け、立ち座り以外の動きもありません。純粋にホンと役者の朗読だけの勝負。

衣装も統一され、演出も一人が担っているために、全体にしゃべり口も印象も同じようになってしまうということはあるのだけど、そのために戯曲そのものを見せるという点では効果的な気もします。

少しミステリー仕立ての「消えたおんな〜」は、過去の出来事を少しずつさかのぼって見せていくところが得意技。半面、このシンプルな見せ方の中ではあまりそれが効果的に効いてこない感じもしてもったいない気もします。物語はごくシンプル、べたでもおしゃれに見せることができるかどうか、が芝居にした時はポイントになる気がします。

「いそうろう」は、女二人のごく些細な話。出ていってしまった女を想う家主の女のシンプルな気持ち。些細な喧嘩で表面でおきていることはごくごく日常なのだけど、その中での気持ちの大きく動くところが叙情派の面目。快快で見せるような動きの派手さがない分、この気持ちがシンプルに見えるところが、もっと純粋に見えてきます。リーディングではあたしの見た回は階下の音が大きくちょっと残念。物語があるか、といわれるとそうでもなくてもっとリリカルな感じが強いのは好みも別れるところ。

「群盲〜」は、渋谷はやっぱりそういう話をしがちな場所かぁと思いつつ。片道切符の職場、地域も含め生きるのには困らないけれど、大きな問題を抱えた施設。行き場のなさゆえのやる気が喪失された現場の姿。ここまであからさまな感じにこういう題材を持ってくるのはむしろ珍しい感じもします。 女がここに残り続けようとしたのはなぜだろう、とあたしには少し違和感があったりしますが、いやな感じはよく出ています。これは切り込んで行けば結構社会派な感じにしあがるような気がします。

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2008.05.24

旅行した。

で、福岡旅行も満喫したわけですが。GPSとネットの付いた端末で遊ぶ、というのはなかなか楽しくて、あとは電池の問題だなぁと思ったりするわけです。地図も普通に使えて快適だし、写真を整理する手間も省けるし。もうちょっといろいろ遊んでみたいと思うのです。

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2008.05.23

【落語】「三之助をみたかい? vol.3」

2008.5.22 19:30

柳家三之助が今年精力的に取り組む一人会。終演21:30過ぎ。日暮里サニーホール。

お座敷で呑む男ふたり、悪酔いして隣の客にちょっかいを出して「棒だら」。あわてものの男、人垣をかきわけた先に見た行き倒れの男は知り合いで「粗忽長屋 」(wikipedia)。失明した男は医者にも見放され、神仏に願掛けに行くが悪気を起こしまったく見えなくなってしまう。もういちど信心しろとたしなめられ通うが、その満願の日になっても治らず「景清(かげきよ)」(wikipedia)

30分の遅刻。待っていてくれたわけではないのでしょうが、入った時点でまだマクラ、丁度はじまるところ。持ち味ではあるのでラッキーはラッキーなのだけど、マクラ聴きたかったなぁとも。

酔っぱらいをやらせると圧倒的な三之助らしく楽しめる「棒だら」、田舎侍の朴訥さと、たちの悪い酔っぱらいの絡み具合の切り替えがちょっと好き。

自身が好きだという「意味のない笑わせる話」に通じる「粗忽長屋」、有名なわりにアタシ初めて聴いた、というのはまあ落語ちゃんと聴いてない証拠ですが。慌て者っぷりが楽しいけれど、急く気持ちに語り口が付いてきてない感じは、まあ、押せ押せですからね、時間。

休憩を挟んでもう一席。笑わせるちからは弱めになるかわり、妻への想いを語るあたりに気持ちの動きが見え隠れする「景清」。確かにテレビにはかけづらい話ですし、気持ちがささくれ立ってしまう人がいるのもよく理解出来ます。演者のチカラだけではそう感じる人を完全にはどうこう仕切れず、それはその時代の世界観だったというしかない気がしないでもありません。

満腹感一杯、すくなくともアタシの入った時点ではほぼ満員。当日パンフが足りなかったのはちょっと残念。

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2008.05.22

速報→「BORN TO RUN」ギンギラ太陽's

2008.5.21 14:00

福岡を拠点に活動するギンギラ太陽'sの、60分短編「お蔵出し公演」。2000年11月の「さよなら20世紀スペシャル」(未見)の中の一本の再演。

初代新幹線の「0系」。すっかり新型にとって代わられ、広島以西のこだま号として細々と走り続けていたが、ついに全線から引退する日がやってきた。それを耳にした0系たちは、最後にいちど、福岡から東京までの走破を密かに実行に移す。それにはある目的があって..

平日昼だというのに400名定員の西鉄ホールはほぼ満員。アタシのような、遠方からの観客というのもちらほら居そうな雰囲気。開演前のお約束、撮影タイムは評判の「ほっかほっか亭」と「ほっともっと」(福岡本社だ)の分裂をネタにしたかぶり物。携帯電話を使って積極的に撮影させた上で、最後に電源を切らせるというのは、観客の満足と同時に確実に携帯を確認させるという意味で実に効果的な感じがします。

引退を前にジジイめいた0系たちの老体にむち打つ疾走劇。レールスターや500系といった新型車両との対立を軸に、試験車両(ドクターイエロー)やらプチ鉄を満足させるネタ満載。小ネタは福岡駅改築など新しいネタを入れていても、主軸の話は2000年時点の話を大幅に書き換えてはいないようで、500系が最新型(今はN700が最新)だったり、品川が車両基地だったり(2003年開業)という違和感はあります。時事ネタを扱う彼らの宿命とも云えるところで、書き換え続けて欲しいなと思ったりもしますが、まあ、話の筋として大きな問題ではありません。

スペシャル企画が出自らしく、他の話に出てきたキャラクタ、ひよこ侍(未見だけど)、YSさん(またはヒコーキさん@ポンキッキ)、女ビル(これも未見だ)もてんこ盛り。判っているから一緒に盛り上がるけど、初見だと訳判らないかもしれません。

YS-11でも感じたのですが、今作も特段「福岡」というネタではありません。YS-11の方は雁ノ巣という飛行場の存在が大きかったのですが、今作の博多駅はそれほどの位置づけでもなく、よく云えば汎用性がありますが、福岡こだわり、という点では物足りなさを感じます。

もっとも、小ネタと称して挟むいくつものネタは福岡どっぷり。客席は沸きますが、アタシあまり知っているネタではなくても、そのパワーのようなものは圧倒的なのです。だから、知らなくてもむしろ(新幹線のネタよりも)楽しめたりします。ロフトのビルの過去と国体道路を挟んだ天神の商業的な位置づけとか、乗客の少ない地下鉄・七隈線がキャナルシティを超えて博多まで行ければと嘆き節とか、博多駅解体を見下ろす4本のクレーン(と百貨店の話)とか。その歴史的な懐かしさ肌では知っていなくても、この町にほぼ一日滞在して観て感じるだけでも、ずいぶんとネイティブになったような気になるのです。(もちろん、「気になる」だけですが

そういう意味では福岡べったりのネタであろうと思われる7月、11月の公演がむしろ楽しみになったりして、それはそれで、うーん、時間は取れるのか、アタシ。

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2008.05.20

一日休んで

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ちょっと旅に出ます。

イーモバイルのEMONSTERを持って行くので、TrackMeというソフトを使ってログを取って見たいと思います。GPSが勝手に一定時間ごとの位置を測定して、サーバに上げてくれます。KML形式の最新のファイルはこちら>http://luisespinosa.com:80/trackme/routes/ykawahira.kml

GoogleEarthならば、「追加」→「ネットワークリンク」に上のKMLのアドレスを張ると、表示される..ってことなのだけど。うまくいくかしらん。

(2008.5.21 夜追記)

無事に帰宅しました。GoolgeEarthでトラックしてくれた方、ありがとうございます。うちの環境で見る限り、今は、21日の13時以降、福岡駅までの経過が見えるのですが、サーバにはそれ以前のデータも、それ以降(福岡空港まで)のデータもあるみたいなんですが、kmlとして見えるのはこの範囲だけなんだよなぁ。どうやったら全体のデータ取り出せるんだろう..

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2008.05.19

速報→「ジンジャーに乗って」快快

2008.5.18 18:0

小指値改め快快(faifai/ファイファイ)の改名後最初の公演。60分。25日まで王子小劇場。 セグウェイ(開発名ジンジャー)の試乗は開演1時間前までに先着30名。あたし乗りそこないました。初日から変わり続けているのだそうです。

セグウェイに乗った二人の男たち。いつ降りる?どうする、街で会ういろんな人々。

ネタバレかも

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速報→「不器用な人々」パルコ

2008.5.18 15:00

なぜか最近、短期間でのリーディング公演が続くパルコ。韓国で人気という作演を招いて代表作を。 80分。パルコ劇場での公演は終了。

夜遅く、一人部屋に戻りテレビの深夜映画をみている女の教師。テレビの調子も悪く、寝ようとした時に、覆面姿、ナイフを手に男が押し入ってくる。

「韓国の三谷幸喜、宮藤官九郎」と紹介されるのだという韓国の作家の作品を紹介するリーディング。 とはいえ動作や照明、音楽も結構入っています。一週間前の発売だというのに、どこで知ったか9割ぐらいの入り。(あたしもだ)。

押し入った男と押し入られた女。軽妙だったり大騒ぎだったりしながらしゃれた感じのロマンティックコメディーはパルコらしい感じで気楽に楽しめます。最近ありそうで、以外になかったパルコらしさは貴重だとも思うのです。

年齢の上下を強く気にかけたり、ことさらに貞操を優先するような最初の怯え方など、日本の昨今になれたあたしには少しばかり古さを感じないことはないのだけど、その制限がむしろ話をおもしろくしたり、それほど若くはないアタシにはむしろ楽しめるのです。

泥棒と女、なんか会話が押し問答だったり足止め喰らったりで進む会話はが二人の関係を変えていくというのは、王道なロマンチックコメディーな味わい。それに蛇足のようにハッピーエンドっぽくみせるやり方もとってもハリウッド映画的なのです。面白くレベルは高いのですが、芝居に限らず映画にも似合う感じは。じゃあそれは映画の方がいいじゃないかということになりかねないのが弱点と言えば弱点。

松重、小須田、池田という濃ゆい面々のなかで内田慈はかなりの奮闘。なかなかどうして。

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2008.05.18

速報→「hg」風琴工房

2008.5.17 19:00

風琴工房、長い取材を経て渾身の一作。二幕120分。18日までスズナリ。

1959年、チッソ(当時の新日本窒素肥料)の工場の会議室。原因不明の奇病の原因と名指しされた大学の報告書を受けて、会社の中の研究会。医者、研究者、工場長たち。
2008年後。地域の福祉施設。胎児性水俣病患者を中心とした作業施設を訪れる、小劇場の劇作家。

約50年の隔たりを二幕に分けて描く構成。前半は緊張感あふれる男たち。科学者として、企業として、人間としての気持ちが交差しぶつかる迫力は幅広い年齢の役者の力も相まって、一気に見せる力があります。全員がうすうす本当の原因に気づいていながら、その役割の中でロールプレイしている感じは、会社員のあたしの気持ちを震わせるに十分なのです。「プライバシー」という言葉がこの時代のこの人々が使っていたということはないだろう、など細かく気になる点がないわけではないのですが、そうれは大きな問題ではありません。

一幕二幕の間をブリッジするかたちで、その場に居あわせた人々が、排水を止められなかったこと、それが被害を拡大したことを短く描きます。続く二幕と共通の役者も居ますが、役としてのつながりはありません。が、直接はつながってはいなくても、地域の人々としてつながった後の時代であることを感じさせます。戯曲にも「同じ俳優達によって演じられること」という指定がありいます。

福祉施設を舞台とした二幕目。軸となる物語というよりは、そういう場所と人々の存在を描くことはわかっても、意図がわからず、アタシは視座をとれずに迷います。障碍者を健常の役者が演じるということは難しいバランスです。少しの時間ならともかく、60分見続けていると、どこかものまね感が出てしまいます。それでもそうとうきちんと作り込んでいることはわかります。ここを受け入れられるかどうかは、観客のポリシーの問題という気がします。

世間がおもうよりもずっと普通に暮らし生きている人々がそこに居るという事実とか、 しぐさを笑うこと、それとこれがどう違うかというのには気持ちを突かれる感じがします。

むしろ作家の迷っている様子を心情としてそのまま伝える終幕近くがあたしの腑に落ちる感じ。この事実を芝居にすることはできるのか、おこがましい気持ちではなく伝え描きだすことをきちんとしているのです。

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速報→「ゆんぼーさんが来る」play unit-fullfull

2008.5.17 14:00

フルフルの5年ぶり再演作。105分、18日までサンモールスタジオ。

婚約者と妹を残して出た旅先でなくなった男。ゆんぼーさんと呼ばれるその男の長名なじみ達が葬儀の準備や整理をしていると、旅先で会ったという人々が突然尋ねてくる。彼からもらったカエルの置物が割れてしまい予兆を感じてきたのだという。

5年前の初演はみていませんが、結局はずいぶん手を入れているよう。女があちこちに居て放浪癖のある男が消えてしまい、家に居続ける婚約者と妹の待たされ感。何を考えていたかわからないままに居なくなってしまった男への想い積み重なる感覚。

物語の終盤、しっとりとした想いを描きこんだところ、特に婚約者と姉妹の三人の人物の書き込みはアタシには厚みがある感じがします。半面、特に前半、賑やかしというか笑わせたいと思っているだろう場所は少々大げさで芝居がかった感じが少々古い感じすらしてしまって、結果として笑いに結びつかないのはもったい感じ。もっと平熱感覚で抑えたものが観たいなあと思うのです。

待ち続け、しかし前向きに「生きる」ことを決める女の姿だったり、いい子を演じ続けている不満を抱えている姿だったり、どうみても不幸な境遇なのに幸福だと心から信じている女のだめんずな姿だったりが、まるで作者の分身のように思えてならないのです。

登場人物が必ずしも作家の分身ではないとは思うものの、なんか見え隠れしてしまうように思えるのです。ある程度の年齢がいった女性の作家というのに対してアタシが妄想している女性像、ということだけなのですが。

絵描きの男の想いをモノで見せる終盤があたしは好きです。少々ベタといえばベタですが、ちょっと素敵な感じ。写真が残っていないという枠組をつくるのは少々強引な感じもありますが、腑に落ちる感じ。そのために関西弁の出来るであろう勝平ともこを配したのは正しい選択。

双数姉妹の小林至演じるヒモ同然の男のねちっこいダメっぷりが振り切れ感満載でアタシの気持ちをひっかきまわします。双数姉妹が大隈講堂裏で疾走するような芝居の頃から観てるアタシとしちゃ、その時間の流れも含めて印象にのこります。

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2008.05.16

英語がねぇ。

仕事変わってからの一つが、年に数回の少し大きなミーティングの運営というのがあって、その一週間。中身に踏み込まないかわりに全体を見渡す感じは新鮮で、他に出たことの無かったセッションで、菜年も知り合いなのに圧倒的な語学力を目の当たりにしたりして。

数年のブランクは言い訳で、やはり自分には不足してることを痛感。またラジオ講座聞くかなぁと思っていたのだけど、放送時間にちゃんと聞けないしなぁ、録音すると聞かなくなるしなぁとか思いながらNHKのサイトをうろうろして捜したのが、少数ながらネット配信でやっているラジオ講座。1週間で消えてしまうというのもいい感じ。続けられるかなぁ。無線LANに繋いだPDAで聞くとポータブルラジオみたいでいい感じです。

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2008.05.13

速報→「さよなら また逢う日まで」ブラジル

2008.5.11 18:00

ハードボイルド風味の騙し合いのような。ブラジルの新作。20日までこまばアゴラ劇場。100分ほど。

4年ぶりに出所した男。かつての犯行の仲間を呼び集めて、刑務所のなかで誘われた強盗をしようとする。かつて失敗してしまった犯行の、これはリベンジなのだという。仲間たちはあれ以来連絡を取り合うこともなく暮らしていたが、結局は集まってきて。

かつての仲間、軽口を叩き合えるような、しかし4年もの間ほとんど会うこともなかった人々。彼らの間には膿のように想いが殿っているのです。それを執拗に、丁寧に描いていくというのが確かなチカラ。 まるでテレビドラマかパルコ劇場のような、と言ったのはアタシの友人ですが、そんな規模でも楽しめるような娯楽作に仕上がっています。あとあじは決してよくはないけれど、想いの噴出はよくわかるし、物語は全く違うけど「スティング」のように、あたしは感じるのです。

正直な話、人数が多すぎる感じはします。もうすこし絞り込んで、複数のキャラクタを集約していけば、3,4人ぐらいになって、その方が緻密さがあってわかりやすくなりそうな気がするのです。

終盤一気に謎解きというか、疑いがそれぞれに向けられたりしていくのだけれど、舞台の上に見えているところではなくて、舞台の外で、つまり「ここに来ない人・居ない人」への疑いをかけていきます。もちろん、来ないことが裏切りではあるわけですから全く正しいのですが人名の憶えられないアタシには、誰それが誰それを殺しただの何だのというのを延々と続けていく終盤はちょっと厳しい。これもアタシの友人の云う、「体型とか特徴とかのあだ名に近いもの」の方が、 すっきり腑に落ちたのになぁと思ったりするのです。

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速報→「WALTZ MACBETH」東京デスロック

2008.5.11 15:00

東京デスロックの新作。坪内逍遙訳のマクベス(青空文庫は作業中)を大胆に再構成。吉祥寺シアターでの上演は終了し、神戸公演を控えます。100分ほど。上演前に10分ほどあらすじの説明あり。

黒の和装姿、人数よりも一つだけ少ない椅子。様子を見合いながら椅子に坐ったりゆずったり。やがて「綺麗は汚い、汚い綺麗」のセリフとともにスタート。椅子に坐ることを安定、そこから離れることを混乱や緊張という感じに見せていて、気が触れそうになる緊張感と平穏を求めるという、マクベスの感情の揺らぎを表すのにはよく機能している感じがします。

少なくともあたしに関していえば、マクベスはわりとなじみの戯曲だということと、この緊張感と椅子とりゲームの相似を見いだせたということと、その前提の上で見慣れた役者たちが、作り込まれた動きを緻密にやっている、という点で楽しむことはできました。

ただし、あらすじをパンフに書き、さらに開演前にダイジェストを説明して物語を観客に植えつけようということをしている、ということは彼ら自身も弱点に気づいているという気がするのです。 つまり、先に観客の中に物語を定着させておかないと楽しめないんじゃないかと思うのです。 子供でも大丈夫とか、知らなくても楽しめるというのはセールストークとしては正しい気がしますが、披露による肉体の変化というこなららあらゆるライブパフォーマンスからスポーツまで当てはまってしまうわけですし、物語はやはりその芝居自体で語りかけてほしい、とアタシは思うのです。

もし、これがはっきり意図された通りに作り上げられている物だとすると、物語を伝えるメディアとしての役割を放棄してしまった感すらある今作は、果たしてあたしが好きな芝居というものにあてはまるかというと微妙な印象は否めません。誰が見ても絶賛に近い「3人居る!」などと比べると、近作の評価の割れ方は、そういうあたりを許容できるかどうか、ということにかかわる気がするのです。 腕を振り上げたり走ったり踊ったりを繰り返しながら役者の肉体の疲労をリアルにみせていくという最近の手法は、好みの問題や、疲労をみるならライブの方がいいんじゃないか的指摘は別にしても、ある種どれも同じに見えてしまうのは飽きやすい観客を相手にするためには弱点かもしれません。

とはいえ、そこに確かなチカラが宿っている人々だということは間違いはないと思うのです。もしかしたら、アタシがついていけてない次の領域ってことなのかもしれないなと逡巡したりもするのです。

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2008.05.11

速報→「失われた時間を求めて」阿佐ヶ谷スパイダース

2008.5.10 18:00

阿佐ヶ谷スパイダースの新基軸はワークショップから立ち上げた少人数で。100分。27日までベニサンピット。

壁に囲まれた場所。扉が三つ、枯葉の舞うベンチに来る人々。この場所で何かに気づいた人、猫を探している人、つきまとう女、本を読むひと。

シアターガイドのインタビュー記事など事前のパブリシティどおり、いままでとは全く違うテイストの不条理劇。動物園物語のモチーフはありますが。正直な話、ものがたりは殆どわかりません。公園らしい場所で、初めての人が出会ったり、近づいたりすることをひたすら淡々と描いているのだけど、言葉がどんどん抽象的・観念的になっていく感じがあって、それはよく云えば「そぎ落としている」ということなのだろうけど、観ているアタシには少々難しく感じるところがあって、これは本人の体調やら気力やらに依存してしまいそうな気はします。スタイリッシュで頭良さそうで、オシャレな感じは間違いなくあります。

たった4人の役者、華があるのはみやすい感じ。奥菜恵はこの手のかき回し役のうざったい感じをやらせるとピカイチで印象に残ります。それでもアタシには物語を追えなくなると途端につらくなってしまうのです。

猫を探す男、追っかける女の序盤は楽しい。あるいは終盤の兄弟と女の距離が急速に縮まっていく感。は面白い。開幕直後の舞台美術というかアレは美しく印象に残ります。

テクニカルなことをいうと、わりと早い段階で、壁の素材が扉の開閉の振動でわかってしまうのが、後の驚きを半減させてしまう感じがあります。とはいってもそれ自体は芝居全体から観るとそんなに大きな問題ではなくて、アタシにはひたすらこのテイストを捕らえ損ねた、というのが厳しい感想になった原因なのかなと思ったりします。

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速報→「Never, Neverland」負味

2008.5.10 1400

負味の三回目の公演はオムニバスコント、と題して。100分。11日まで王子小劇場。

自分が映ってはいるが、覚えのないビデオが送られてきた女。職場の同僚の男に相談すると、住所だけ書いてある差出の住所を手掛かりに探しに行こうということになる。

テーマパークのあれこれを切り取り、微妙な笑いをちりばめながら。全体にはうっすらストーリーというか二人の気持ちとか、少女のこととかが描かれています。が、全体としてはそれの占める割合はとても低い感じがします。チラシなど良く読めば確かに「オムニバスコント」と書かれていて、そういう目で観ていれば、ちがったのかもしれません。

フリーフォール的なものを見せたお約束をあっさり崩して見せたり、高級そうなレストランでウエイターが来るたびに会話が中断して一向に進まなかったり、その出てくる料理がしょぼかったり、平和そうな日常に紛れ込んだシューティングゲームとか、サッカーゲームがいつのまにか持ち物自慢になってたりとか、さまざまに目の付けどころに面白そうな萌芽は見え隠れはします。が、それを何かの物語に組み込んだり、あるいはコントならアタシはもっと破壊的に笑いたい。という点では、残念な感じがするのです。

終盤、このテーマパークの背景のようなものをみせる影を使った映像とか、ゲーム周りの映像とか、実はけっこうレベル高い美しさとかテンポの良さがあったりしていて、見応え。傘預かり含め客入れなどちゃんとしてるなぁ、という印象があります。

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2008.05.10

ネットをまとって歩く。

先週から使っているのがS11HT。レビュー書きの道具としては、やはりATOKと大きな液晶を持つW-ZERO3にはかないません。が、無線LANとBluetoothの両方を積んでいて、3G携帯の3.6Mbpsの速度を定額で使い放題にできる、というのは想像以上にメリットがあります。

一つは、パソコンとBluetoothで繋いで、あたかもモデムかのように使えること。自宅のiMacにもちゃんと繋がります。

もうひとつはソフトを導入して、WifiRouterを入れると、携帯でインターネットに繋ぎ、その接続を無線LANに出来ます。あたかもEMONSTERがADSLモデムか何かになったように、この携帯を中継局として携帯網に繋げるのです。電車の中でiPod使ってネットを観たり、もしかしたら、劇場にPCを持ち込んでるような団体なら、複数のPCから無線LANでネットに繋ぐなんてことが出来そうです。

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2008.05.09

【レポート】王子小劇場 佐藤佐吉演劇祭 記者発表

2008.5.7 19:30

6/18からの佐藤佐吉演劇祭に先だっての、各団体を集めて記者発表会。王子小劇場の支援会員として呼んでいただきました。

【佐藤佐吉演劇祭2008 劇視力3.0 [たたかう劇場] ラインナップ】
From To 劇団名 タイトル 壇上には
6.18 6.30 柿喰う客 俺を縛れ! 俳優・七味まゆ味
7.4 7.14 smartball Kiss me, deadly 作演出・名執健太郎
7.16 7.21 elePHANTMoon 心の余白にわずかな涙を 脚本演出・マキタカズオミ
7.24 7.28 reset-N 閃光 作演出・夏井孝裕
7.31 8.4 空想組曲 僕らの声の届かない場所 作演出・ほさかよう
8.7 8.12 劇26.25団 生憎 作演出・杉田鮎味
8.21 8.25 スパンドレル/レンジ 地獄のKiosk 作演出・松本淳市
8.28 9.3 劇団競泳水着 真剣恋愛 作演出・上野友之

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2008.05.06

速報→「49日後」パルコ劇場

2008.5.5 19:00

池田成志と古田新太の発案による舞台。6日までのパルコ劇場のあと、愛知、札幌、大阪。120分。

古い一軒家、孤独死した老婆の遺品を整理するため委託をうけて清掃する業者。遺族は現れず、土地の権利書と実印だけをさがしてほしいと依頼されるが、ゴミ屋敷同然の家を掃除するうち、老婆以外に住んでいた人間が居るのではないかといぶかしむ

少々のホラー風味。個人技で笑いをとるべくさまざまなコネタをきかせる前半。しかしこの役者陣で7500円もの価格としてはバカ騒ぎまでも至らず、中途半端な仕上がりと感じます。終盤にかけて謎らしきものを徐々に解いていくのだけれど、一転して静かに進む後半はこちらのテンションを維持するのもかなり困難で、というか正直に云うと寝てしまった感じがします、たぶん。音は聞いてたと思うんだけども。

チカラのある役者が、若い作家を発掘するという心意気。正直なはなし、物語だけで大盛り上がり、というわけにはいきません。が、この物語でも見応えを持たせることはできそうな気がする、というだけのキャストと価格、なのだと思うのだけど。

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2008.05.05

速報→「プール」タカハ劇団

2008.5.4 19:00

タカハ劇団初の学外公演。王子小劇場の選球眼は確かなクリーンヒット。6日まで。日曜夜も満員。105分。

高額なバイトの募集を見てきた男、医学部のある大学の地下室、いわゆる(とは少しちがう)死体洗い。

上下二層に設えられた舞台。開演前は上に赤いビラが貼られた壁があって、外の風景が印象的。開演後は控え室になる下側をメインの舞台に、上を「プール」サイドに仕立てます。切り替えの時間も短く、テンポが良く進みます。装置には重厚さ、薄暗さを描き出しています。

死体を保存するホルムアルデヒドのプール、保全要員のバイトたち。現金で渡される高額の報酬。それぞれにちがうべつの副業があって。プールから盗んだり足したり。

どこかペニノや乞局を彷彿な感じ。生きること死ぬことというか、作家が、死をどう実感するかということの鬱々とした想いが結実している感じがします。

ネタバレかも

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物語が、始まる」月影番外地

2008.5.4 13:00

川上弘美の短編を原作に、千葉雅子の脚本・木野花の演出で舞台化。高田聖子のプライベートユニット、月影十番勝負の番外編。110分。4日までRED THEATER。

公演で拾った「男の雛形」を持ち帰った女。形は人間で言葉も喋るが知識も常識もなにもない状態の彼と同居する。

異型で自分よりも弱いであろうモノとの私的な関係を少しSFめいたかたちで描く川上節。KAKUTAで上演された川上弘美作品( 1, 2, 3, 4, 5, 6, 7) のいくつか (「星の光は昔の光」や「離さない」)にもどこか通じる枠組みに、更に時間の流れという「センセイの鞄」的なものを組み合わせています。これがむしろ先に書かれてるようですが、更に盤石な感じにみせます。恋人と呼べるものとの関係が変化していくところも、ちょっと複雑な深みを持っています。

主人公となる女の独り言を描くト書きが川上弘美の文体をつくっているところもあって、リーディングではそこが大切にされています。これを芝居にするために、会話だけで成立するようにしてあります。未読だったのだけど、会場で売られていた原作を読むと、さらにちがう場面が付け加えられていたり、けっこう端折られていたりして、ずいぶんと手を加えてしまったことがわかります。原作にはトンカツなんて下りはないし、最後のあたりもずいぶんとねっとりした感じに加えられています。それなのに、セックスが出来ないということを受け入れた二人が包容する場面に至るところがばっさり切られていて訳の分からない感じに成っていたりします。

ずいぶんと切り刻んでしまったものだとおもうのですが、それでもちゃんと川上節にはなっていいて魅力は残っています。が、原作を読んでしまった今になると、あるいは原作をリーディングという形にして更に世界を広げたKAKUTAの上演を観たアタシには、あまりいい出来だとは思えません。原作を読まずに観たから面白く観られたわけですが。もちろん、最初は子供ぐらいの大きさだったものが大人になる、というような原作そのまま、というわけにはいきませんが。

辻修という役者はずいぶん癖のある役者ですが、子供から老人という流れをきちんと押さえます 。こどもの時期に重点を置いた描き方になっているのも、彼には有利でしょう。加藤啓は抑えた感じの役をきちんと。高田聖子にも不安はありません。

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2008.05.03

速報→「アタシだけ怒られた」バナナ学園純情乙女組

2008.5.3 18:00

中屋敷法仁(柿喰う客)の作による、桜美林大学発の一本。桜美林GARA参加。80分。5日まで。

中学校の「現代大衆芸能研究会」なるクラブの部室。行方不明になってしまった友人にまつわる話。断された右腕が発見され、用務員が犯人と疑われているが、その友人が死んでしまっていることを知っている4人の女子中学生たちは、テストも終わったことだし自殺でもしようかと試みるが未遂に終わる。部室に集まって彼女を呼び出そうとオカルトに手を出したりして。

高いテンション、ゆがんだ愛情の中屋敷台本の特色が現れた物語。演出は彼ではありませんが、役者の芝居のありかたが、どこか柿の役者に透け見えてしまう感じがあります。たとえばかつての、つかこうへいの芝居をする多くの劇団がそうだったように、一種のフォーマットといってもいいのかもしれません。模倣から始まることもありますから、これはそんなに悪いことじゃありません。

完成度とか、役者のレベルという点を切り取ってみても、あるいは物語の緻密さのようなものを考えてもまだまだ先は長い感じがしますし、この演技のありかたや物語が、「柿」がそうであるように圧倒的に新しいというわけではありません。若い役者だからこそテンション芝居が合っているという点もありますが、反面この歪んだ愛情の表現には彼らは若すぎるんじゃなかと思ったりもするのです。

霊能力で死んだ友人を呼び出そうとするがそれを安全に行うための道具立てであるバナナミルクのあたりとか、冒頭のインパクトあるシーンとか、度重なる校長の女教師への呼び出しとか、あるいはリスのように落ちた食べ物を拾ってたりと、細かくあれこれを点描してはいるものの、なんか変な人が一杯居る、という感じ以上にならないのはむしろ冗長な感じがして勿体ない感じもします。

なんて不満を置いておいても、若い役者たちのテンション芝居はコンパクトなこともあって一気に観てしまう感じはあります。次々乗り移る、という「転校生」的シチュエーションは、コミカルな要素を増やす効果もあって。

終幕、再び自殺しようとするキョウコを止めるシーンは結構グッと来る良さがあります。演ずる菊池佳南は小さく見えるカラダの迫力がもっとほしいけれども居るだけでの雰囲気の強さ。演出を兼ねる二階堂瞳子は芝居の点でもコミカルからテンションまで圧倒的な感じはあって、物語とは何の関係もない隅っこでやってることにも目が奪われてしまう感じ。テコンドー部、というクレジットのばんない美喜子は芝居としてみるとちょっと癖がありますが、跳び蹴り回し蹴りが実に美しく迫力あって決まります。ポーズをとって空中を浮かんでいる、まるで少林少女、みたいというと言い過ぎですか。

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速報→「ナギプロパーティー」

2008.5.3 15:00

凪沢渋次の構成演出、ナギプロのコントライブ、ベスト集。「渦」と題したお笑いイベントのなかの一日。5月3日一日限り。85分。

(1)カップルと蕎麦食う人々、喧嘩があったり、歌の歌詞やタイトルでつづる趣向のおもしろさ。 (2)オフィス、終業。部長の退職の日花束と部長の言葉、なかなか出てこないのを周りが助けるうち。クイズ番組に変質するあたり (3)漫才師、ネタをみる銀行員、そのネタでは融資出来ないという。が、融資じゃなくて金でも何でも与えちゃう。 (4)学校、呼び出しされる父母。家での会話が不十分なのだと先生は云い。 (5)不良の生徒と教師。今日という今日はもう退学までと意気まく教師。生徒がしたというのは。ある単語に悪いイメージというだけの意味を与えて会話をするシュールさをねらったか、ちと。 (6)5人の謎めいた男、犯罪を企てる。それぞれの名前も過去も知らないはずなんだけど。 (7)新商品のプレゼン。おもいつきだけ明らかによくわからない商品、プレゼンすら。戯画化してはいるけど、まわりがむしろ気を遣ったり、切れ具合とか。

(8)レジの店員、客の女。どうも商品が袋に入らない感じで (9)アジトにあつまる男たち。圧制に耐えかね、革命を企てるが、ローカルルールばかりで。 (10)不祥事の記者会見、どうみても反省は。 (11)4人。昨日の行動を証明するひとは。そのことを証明する人は。 (12)あのアニメ。始めちゃったけどオチはどうするのだろう。 (13)エンディング。

小劇場の役者が核になってたりして、アタシ的にはこのあたりに出ていた人が結構おおくて、懐かしさもあったりして。ベストとはいえ、思いつきで始めちゃった感のあるようなシュールさのネタもあったりして、すべてが大爆笑とはいきません。が、結構いいネタもあったり。(1)は元ネタをどれだけ知ってるかに左右。(2)はフォローの言葉がクイズ対決に変質していく過程がけっこういい。(3)は単に融資できないけど金あげる、みたいなねたでもう一ひねり欲しいところ。(4)父母子供がそれぞれ別の言葉で会話しているというトライアングルがおかしい感じで笑わせる序盤から、訳せない(と思われている)言葉を引っ張ってきたり、その場所までひっくり返すなど面白い感じ。(5)ももう一ひねりほしい。(6)名前も知らない犯罪グループの筈が一人だけむしろ個人情報だだ漏れ感が面白い。(7)よくある風景と言えば良くある風景、風刺コントっぽい感じ。(8)今ひとつ意図はつかみづらい。(9)は大富豪というトランプが始めてみればローカルルールだらけでそのすりあわせが必要になるという着想が面白い。

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2008.05.02

文章を書く道具。

もうすっかり手書きはしなくなった、とはいうものの、会議に出た時のメモを久し振りに手書きノートに戻してみたりしています。メモを出す時間的余裕がいままでなかったので、ともかくその場でPCで描いてたのですが、ちょっと余裕も見えたので、手書きに戻してみたら、なんか理解して記録してる、という感じがします。たまにはやりかた変えてみるのもいいもんだ。

芝居の感想はまず携帯で、と書いてありますが、結構変遷をしています。

前はauの携帯でした。機種変更をしながら数世代。ソニーエリクソンの携帯は、外部から辞書をまとめて作成できる「辞書クリエーター」っていうのがあって、これに劇団名やら劇場名やらいれて便利に使っていました。

ここ半年ぐらい使ってるのはウィルコムのW-ZERO3。いわゆるスマートフォンです。USBのキーボードも持ち歩いてて、余裕があるときはキーボードを広げて使います。ちょっと目立つので恥ずかしいですが、なんせ早い。書かないで次をみると間違いなく忘れてしまうので、ともかく何か書き留めます。

で、最近試用してみてるのがイーモバイルのS11HT。これもいわゆるスマートフォン。同じWindowsMobileなのだけど、正直な話日本語を書くための道具としてはATOKやフォント、メールソフトや広い画面など、W-ZERO3の方が数段優れています。S11HTが凄いのは定額で高速なことと、パソコンを繋いだ場合もちゃんと定額になること。とはいえ出張なんかないしなー。道具だけ揃えてしまうアタシです。

で、問題はその3つの回線を維持してるってことだな...

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