速報→「うちのだりあの咲いた日に」青☆組
2008.4.6 15:00
吉田小夏の処女戯曲の5年ぶり再演。13日までこまばアゴラ劇場(劇場支援会員2008年度としての最初)。105分。
寝たきりの祖母と同居する二十歳の孫。他の家族はすべて別居していて、殆ど集まることはない。日常の介護は殆ど住み込みのヘルパーに頼っている。 日曜日、七回忌のため海外で暮らす父母たちも帰国してくることになり家族が集まる。父母たちの到着が遅れる中、孫たちが家族や恋人を連れてきて...
法事の場を舞台に、実家に寄りつかなくなってしまったり、住み続けている孫たち三人の話を主軸に。家に確かにすんでいたころの記憶、居なくなってしまったものへの想い。あるいは多感な高校生の突っ張り具合と素直さが交錯。わずか100分ほどの中に、こんなにも多くの想いや関係を詰め込んでいるのです。食い入るように観ているうちに、こんなにも物語があるのに未だ半分とか思ったりして。長いという意味ではなくて、会話がゆっくりしているのに、その密度の凄さに唸るのです。
しかし、今でも十分若い作家、その初めての戯曲(25歳ぐらいってことか)でこの細やかさ。トークショーによれば一つのシーンを除いてはほとんど変えていないのだといいますが。いえ、若い女性が細やかじゃないということじゃないのだけど、たとえばお茶の淹れ方一つとっても、ヘルパーは湯呑みに取り急須、長女はそのまま急須。お菓子を小さく割って一つだけ食べるキャラクタ(6日昼は思いもよらないこと起こったようですが、これもトークショーネタ。)とか、ともかく細かいし、細かいだけではなくて全体に見通しのいい感じに作られているのです。
法事で僧侶の有り難い話、というのは確かにその通りなのだけど、多少インパクトというずるい手を使いつつもそこに一癖もふた癖もスパイスを加えて、振り幅の大きさで見せてしまうというのがちょっと凄い。そこにヘルパーや連れ子の女子高生の会話、あるいは犬を家族と言い切る隣人夫婦の寂しさ、さまざまな視点が積み重なり、厚みが出てくるのです。「うちのだりあ」という考え抜かれたタイトルもちょっと凄い。
難点が無いわけではありません。上手端庭の手前側で行われる低位置の芝居は後方からは見えづらい気がします。幸運にもアタシはその最前列でしたが、そうすると下手端の女子高生とヘルパーの会話とか、僧侶の語るシーンとかが見えづらい感じだったりもします。見せ場を上手下手両方に振る、という点では巧いとも思いますが。
タバコに関して厳しい昨今、タバコのシーンが多いばかりではなく、誰が喫煙するかにも厳しい目が向きがちな題材ではあります。が、そんな些細なことを大騒ぎするのはテレビに任せておいて、その中に見える人の関係を見据えた方が、芝居は楽しいと思うのですが。今作についていえば、タバコに見える医薬品(これもいろいろありそうですが)を使っている、のだそうで気配りはきちんとされています。これ、タバコ無しじゃ成立しない話だもんなぁ。
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