速報→「偉大なる生活の冒険」五反田団
2008.3.8 15:30
前田司郎、岸田戯曲賞受賞後初の新作。90分。こまばアゴラ劇場。
写真家を志すもろくに仕事をしないまま女の家に転がり込んで、日がなファミコンをしている男。隣に住んでいる男を呼び込んでは攻略法を聞いたりしているが、家主の女はもちろんいい顔をしない。ときおり4年前に死んだ妹のことを思い出したりはするが。隣の男のところにその彼女が引っ越して来て、その挨拶に訪れる。
万年床に散らかり放題の部屋、小さなテレビとファミコンと漫画。五反田団の基本フォーマットともいうべき形。転がり込んでいる彼女の部屋と、4年前に妹が訪ねてきたときの男の部屋という二つの部屋をまったく同じ形で見せています。たとえば、4年前の部屋にしかないはずの酒がどちらの部屋にも残ってしまうというのは、気になる不整合になりがちですが、これだけ散らかった中では、背景の一つにとけ込んでしまうのか、それとも芝居がぬるいからなのか、まったく気にならないというのは、新鮮な発見。
死んだ妹も4年前に心配していたとおり、30に成っても男は仕事もしないしろくな生活はしていない。女のところに転がり込んでいるし、金がないといっても、まあちょと小金が出来たりはするのだけど、基本的にどうにもなっていないのです。それでも何とか成るだろう構える感じがちょっと粋といえば粋だし、金がないとはいっても余裕あるじゃん、という感じがしないでもありません。
例によって低い所に寝転がるシーンの多い芝居。先日のNHKのようなこともなく何処に坐ってもわりとちゃんと見えるのは嬉しい。L字型の客席のどこに陣取るかは迷うところですが。芝居は上手側の辺(舞台向かって右側の辺)が正面になりますが、アタシは入り口から遠い側の端(下手端)。役者はここがもっとも近く、側面の芝居といっても、女優がこっち向いてるシーンも多くてあたしゃ満足です。
ネタバレかもファミコンのゲームの中では、魔王を倒すためだけの毎日で、最終ステージの洞窟に入りかねて金だけはやたらに貯まっているという、リアルな世界とのギャップが楽しい。これをネットゲームとかセカンドライフを物語に載せるというのはイマ風ですが、ファミコン(しかも互換機だ)のシンプルなゲームだからこそ、その対比がかえって鮮やかに見えてくる感じがします。そうそう、本質的にはネットでなくても同じなのです。
ある程度の生活をしていれば、それ以上を目指そうという気持ちにならない、ちゃんとしなきゃ、という気持ちにならない、というのは今の日本の時代の気分によくあっている気がします。隣の似たような男をみたからか、女が出て行ってしまったからか、女のことがすきだという気持ちは確認できても、働いてちゃんとしようという気持ちは微塵もなくて。アタシとしちゃなんとかなるんじゃないかという男の姿は憧れる反面、最低限の金だけで生きていけるかというと、芝居も観たいしガジェットも欲しいし。ああ、煩悩は尽きません。
家主の女がもっている感覚は、ちゃんと仕事をしようとか、懸命に生きようと思う「普通の」感覚。このままでは「怖い」という感覚も一方では理解できるのです。二人のギャップゆえの感情の爆発は巧い感じ。ごく現代の話だけど、なんかそのまま落語の長屋の夫婦の話にもありそうな、そんな素地をもっている気がします。
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