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2007.11.30

【芝居】「新♀世界」スパンドレル/レンジ

2007.11.29 19:30

アタシは初見です。明るくもなくテンションも高いわけではないのだけど、心に引っかかるところが。120分。12/3まで王子小劇場。

女囚だけの刑務所、民間の資本で運営される時代の流れ。警備の看守たちは精子検査なるものを経て種なしカボチャ病とされるものだけが。その女たち、別の病院に移されたりする、何かが迫っている。

開場時間中にアコーディオンなどの生演奏。タッパのある劇場に背の高い美術は囲い込まれるような印象で、閉塞感も含め、芝居の雰囲気にはよくあっています。

初日に関して言えば、開演かと思わせてから演奏だけの時間を長く感じましたが、遅れた観客への配慮かも知れませんし、結果的にはあまり問題にはなりません。

民間経営の刑務所、子どもが減っている、同一性障害、さまざまなキーワードは前半で示されますが、物語はあまり進みません。やがて、病気の蔓延と説明されることが、政府の何かの思惑によって起こされていることが見えてきます。

ネタバレかも。

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2007.11.29

ネットが演劇を。

CoRich舞台芸術がオープンして1年なのだそうです。紹介したときの、アタシ自身の興奮は忘れられません。ネットの観劇者たちと、演劇をする人たちを結びつける一定の役割を果たしてきました。会社として公演案内を載せているのは継続されていても、演劇祭などを通して、劇団の手による登録数もぼちぼち増えてきています。この手のサイトの中では、もっとも安定しているのだとも思います。このサイトを使って公演日で検索して予定を決める、なんて噺も聞きます。携帯だと今日を起点とした検索しかできないのがちょっと惜しいと思ったりも、なんて客は勝手なものです。

もう一つ、ネットと芝居からみでちょっといいなと最近思ったのが、「シバイエンジン」。芝居を観るだけのアタシには予約フォームを使うことしかありませんが、予約フォームと一覧を管理するシステム。オープニング中で、全機能を使っても「公演ごとにチケット3枚分」という低価格の設定(予約フォームだけなら無料のようです)で使えるASPサービス。何より偉いのは、役者それぞれの携帯・PCから予約の管理が出来るようにした仕掛けで、役者の手売りチケットを飛躍的に便利にさせる効果がありそうです。サイトを見ても、提供されるサービスが過不足なくセンスがいいなぁと思わせます。カンフェティ版のGettiも良くできたシステムだと思うのですが、チケット買うたびに手数料かかるしなぁとか、ID登録必要だしなぁとか。(前売りに出来るから、劇団の手間は格段に減ると思うけど)

それでも、経済的に基盤の弱い小劇場演劇の劇団に、ネットがこういうスパイラルを回せる力になっている、というのを実感する最近なのです。

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2007.11.26

【芝居】「ライン」サスペンディッズ

2007.11.25 17:00

アタシは初見です。小さなOFFOFFにしっかりとした話。80分、24日までOFFOFFシアターでの公演は終了。

妹の暮らすアパート、彼氏が入り浸っていたりする。彼氏は真剣に思っていていたりする。一年後、別れた後らしい時、姉がニューヨークから戻って来る。昔の訳アリの男がきたり、一階のアンティークショップのバツイチ男が訪ねてきたりとか。

二人の姉妹は心に抱えた闇。終幕近くまでそれはあまり明かされませんが、それゆえの妹想う姉の姿。だからこそ、「普通の」OLに見える妹が普通に見える生活を送っていることこそが重要なのです。彼氏が買ってきた望遠鏡を何とはなしに外に向けておいてあって。1年経って別れたあとでも、覗くわけではないのに片付けがたい気持ちがあって。姉は姉で元SM嬢で追いかけてきた客。二つの名残というかあきらめきれない気持ち。終幕近くでその望遠鏡を片づけ、ヒモで縛っている終幕の収束点が封印を印象的に見せます。

中島佳子がひたすらに可愛らしい「年相応の女性の役」。柿丸美智恵が、元SM嬢の味を見せるだけではなく、妹を何より大事に想う気持ち、細やかに見せていて、失礼ながら意外な感じで印象的。

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【芝居】「三つの頭と一本の腕」桃唄309

2007.11.25 14:00

桃唄の新作。福島の山の中の集落を巡るフォークロアというかミステリー風味の120分。公演後期には高校生版と題する別バージョンも一部設定されています。12月2日までアゴラ劇場。

大学サークルから派生し、民話や地域の古い話を収集する趣味のサークル。最近会員になって精力的に活動してきた男の田舎に旅行に向かうことになるが、現地についたころにその男が殺されたことを知り...

福島のどこかの山の集落。高校時代にも訪れたらしい土地。そこに生まれ育ち、本家分家やさまざまなしがらみなどを巻き込みながら進む物語。物語の骨子としてはミステリーといえると思います。が、フォークロアの衣を幾重にもまとい、三つの頭の龍をめぐる話がその地域の過去を重奏していて物語の雰囲気をうまく作り出します。それでも謎はどこか残っている印象はありますが。

時間の前後関係が少々ややこしかったり、台詞がけっこう膨大だったり早口だったり。抑揚は抑えめで、音として心地はいいのだけど、時間軸を見失いそうになったり、場所の感覚がわかりにくかったり。当日パンフには地図が入れられているのが、理解の助けになります。

斜めに向けられた正方形の舞台に、竹林を置いていて、青い色が印象的で視覚的に実に美しい空間が印象的なのです。

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2007.11.25

【芝居】「タンデム」tea for two

2007.11.24 19:30

評判は聞いていたのですが期間がごく短くて突発的な公演が多くて観られなかったtea for twoの公演。アタシ的に楽しみに。4バージョンを2本ずつ、90分弱、25日まで「劇」小劇場。

二つの物語。(1)別れたあと、電話で約束して再会をレストラン出行うことにする。(2)結婚が決まった元恋人同士、近況報告的に食事を。

基本的なフォーマットはどちらも同じ。「かつて恋人だった男女、再会の約束の電話、そのあと互いに相手との会話を思い描くというより脳内シミュレーション。そのあと実際にレストランで会う、互いに思い通りに会話が進むかに見えるけれども、ちょっとした違いがあって..」という感じで進みます。

序盤部分、二人の会話の片方だけを切り出した、「一人芝居のような」形式で一通りの会話。そのあと二人の会話にしたように語り直し、最後には実際に出会ったシーン。はじめの二つでベースとなる物語を作って観客と完全に共有した上で、そこからのズレの可笑しさや心の些細な動きを丁寧に描く感じ。序盤の一人語りを乗り切ることができれば、アタシが好物の素敵な男女の会話、という感じでとても楽しめます。時間が短いことが幸いして、序盤もそれほど問題ではありません。こういうフォーマットなのだと思ってしまえば、一人芝居の間、のようなものに補完して楽しめるようには出来ています。

ここまでぴったりと相手の台詞が脳内シミュレーション出来るとはもちろん思いません。が、想像して思い描くこと、現実には外乱やズレでなかなかその通りにはいかないこと、というのに自爆しがちなアタシとしては(なんだこの自白)、その想像・外乱やズレをストレートに感じられるという点で、結構好きだったりします。

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【芝居】「コント部 vol.1」競泳水着

2007.11.24 17:00

「さわエロ」を標榜しながら、テレビドラマのように見やすく、美しい役者たちで公演を続ける競泳水着。なぜかそのコント公演。男ばかり、短編、1時間すこし。これはこれで足腰になる期待。24日まで早稲田大学新学生会館B202での公演は終了。

ジュラシックパークをみたと云ったためにSFサークルに無理矢理つれて行かれた男、そのメンバーはタイムマシンを作ったといい「タイムマシンにお願い」。三つの電話を前にサングラス姿で待機する男たち。それに三段オチのように正しい言葉を発しなければ大戦争が起こるという。そこに配属されてきた新人は使い物にならず、仕方なく裏技を伝授するが「秘密結社」。大学入試に新たに加わった科目の予備校での特別授業「優しさの時間」「幸せの時間」 「エロスの時間」。予告状はレッド・フィンガーを盗むと。警備しているおとこたちの目の前に怪しい男が「田村」。人を刺して苦悩していたが「夢の中の殺人」。帰宅途中の男女、男は女に好意を持っているが言い出せず「言っちゃえよブラザース」。

オチや構造などで笑わせるという感じではありません。よけいな一言のつっこみとか、エロ妄想の端々とかというあたりでクスリとする感じ。最近のお笑いはさっぱり知らないのですが、アタシの知ってる中ではシティーボーイズのようなずれた感じを受けて楽しめます。今のところは少なくとも、シティーボーイズのように強烈な役者のキャラクタに頼れないわけで、笑いに結びつきづらい分だけ厳しいところもあるのだけど、アタシは嫌いじゃない。これ。

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【芝居】「贋作・チロルの秋」危婦人

2007.11.24 14:30

危婦人の芝居と、ゲストの朗読、切り絵作家・タンタンの展示のコラボ企画「これも、愛。それも愛」の中の芝居部分。芝居部分は約50分。24日までギャラリールデコ3。他に切り絵展示や切り絵ワークショップ、トークショーなど盛りだくさん。

久しぶりに帰省した女、祖父の葬式には間に合わなかったが祖母とは久しぶりの再会。祖母から一冊の本を手渡される。祖母が祖父にプレゼントしたものが遺品の中から出て来たのだった。読み書きが出来なかったのに大事にしていたその本は「チロルの秋」という戯曲だった。

岸田國士の戯曲をベースに、その外側にもう一皮被せた構造。開演前に元の戯曲を配布(終演後回収)しているのでよくわかるのですが、企画のテーマである愛にまつわる骨子を抜き出し、その間を女優らしき女の帰省と、祖母や家族たちのゆるくて笑いに振った会話でつないでいて、実に見やすいのです。もとの物語と、現在の会話を実に鮮やかに行き来していて、確かな力を感じさせるのに十分なのです。夢かうつつか、という感じで進む1時間ほどの時間は浸ってしまうほどの「愛」に溢れていて、幸せな時間。

なんてことを云うのが照れくさいからこその外側の構造なのかもしれません。照れるということも、それを解決するためにこういう手法をとるということも、スマートな感じで、それでもストレートに想いが伝わってくる感じでアタシの好みにハマルのです。

終演後のトークショーでは、愛にまつわる話というテーマで、アタシの観た回は少年社中の次回公演、カゴツルベの原作となった歌舞伎の終幕の一こまの朗読。タンタンによる緻密な切り絵展示も、間近で眼にするとこれはこれでインパクトがあって、圧倒されます。

ネタバレかも

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2007.11.24

【芝居】「コントローラー」北京蝶々

2007.11.23 19:30

北京蝶々の新作。90分、早稲田大学大隈講堂裏劇研アトリエ、23日までの公演は終了。

音大時代の同級生の女二人。仕事を辞めた同棲男の代わりに働きに出た女は、音大時代に寮で一緒だった同級生の女の家に行く。ピアノ教師を辞めた彼女はデイトレードで稼いでいるのだという。絶対に損しない秘密は、過去の生活や行動をデータとして入力することで未来を予測する一種のネットワークコミュニティなのだという。その中で彼女は大学時代の寮での生活を分身として緻密に再現していた。

セカンドライフのようなアバターを使ったコミュニティを枠組みに、その世界を俯瞰して見ているという視点が全体のベース。序盤のシーンは終盤のシーンの「未来予想図」になっているのだけど、その予想とは違うことが起きて、最後はほろ苦い感じを残します。

「電子マネー」や「ネットの民意の危うさ」など、テクノロジーに近い時代の空気を自分のものにして芝居を作り上げているという感じは、ありそうでなかなかない感じなのですが、アタシはこのタイプの題材が大好きです。第三舞台の「朝日のような夕日をつれて」にハマル気持ちも、そこに端を発しているのですが、芝居としてのテンションはともかく、時代に対する視線の確かさのようなものは感じます。

コントローラといタイトルは、そのゲームを俯瞰する人、という枠組みの他に、自分のまわりの出来事、とくに同級生の女を自分の思い通りにしようとして、嘘を塗り固めてコントロールする、ということが物語が進むうちに見えてきます。

ここまでの固執の理由付けとか、その割にはものすごい久しぶりらしい出会いとか、納得しづらい感じがするのも事実です。 序盤が終盤に対しての未来予想図になっているなどは鮮やかな感じもしますが、仮想世界が現実を追い越す瞬間というのがこの構造の中ではもっともクライマックスになりうるのに、意外なほどあっさり。アタシはここにわくわくが欲しい感じもします。「こういうタイプの人たち」を丁寧に描いてはいるのですが、物語が転がらない感じは少しモドカシいのですが、これこそが、「セカンドライフ」的な箱庭世界を眺めている、ということなのかもしれません。

二つの場面を行き来させる見せ方や構造はなかなかこなれていて巧い感じがします。笑いを抑えて、静かでナチュラルな芝居が多いのも彼らの成熟を感じさせます。

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速報→【芝居】「しゃんしゃん影法師」桟敷童子

2007.11.23 14:00

桟敷童子の連続二演目公演の二つ目、105分。25日まで吉祥寺シアター。

山の迫るところ、突然行方不明になる「神隠し」の村。神隠しにあった家のものとは交流しないという掟。妹が神隠しにあった男や、両親がいなくなった少年、妻や夫がいなくなったり。隠し神がおりてくる季節には狐の面をしたり、山に入らないことになっていたり。秋の祭りの季節、影絵や見せ物の小屋がやってきて。

劇場全体に作り込まれているのは一本目と同じ。役者にも慣れて、安心してみられるのです。全体に静かに積み重ね、人々の内側を描こうとしていると感じます。

終盤は美しく印象的です。反面、アタシが勝手に彼らに求めているのはダイナミックさだということが再認識されるのも事実なのです。細かい作り込みはたしかにされていますが、この細やかな芝居は先週を見てしまっているがために、劇場の規模に対しては小さな芝居だなとも思ってしまうのです。

居なくなった人を思い続けたり、時間を経て戻ってくることがコミュニティに対しては実は迷惑だったり、妻や夫が居なくなった家同士の交流を禁じるなどのさまざまの「きまりごと」。 配偶者を亡き者にして不倫で結びつく、なんてことを防ぐためのムラの知恵ではないかとおもったりもします。意識しているのかどうか、そんな絶妙なリアリティを感じるのです。

当日ふらふらと伺ったら、キャンセル待ちの人気。ロビーで待ちながら見ていると、役者達が衣装のまま客入れをしているというだけではなくて、その誰もが客の動きを把握し、コントロールしているという実に行き届いた姿勢。制作専業の体制でもなかなかこうはいきません。その直後に舞台に出るわけで、大したものだと思うのです。

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2007.11.22

ネットをどこででも

「通信兵ってのはいつでも通信路の確保が最優先」というのはどこで聞いた台詞だったか。コンバットかなぁ。会社の社内で持ち歩いてるトートバック(PCとかノート入れてる)には、LANケーブルだの、テーブルタップだの詰め込んでいて笑われがちなのだけど、仕事場ならなおさら、電源とネットワーク(WLANもあるのだけど、安定させるなら、ね。)を確保せずにはおれないというのは、アタシに染みついた何か、なのでしょう。

ケイタイもスマートフォンも、その気持ちが強いからついつい買ってしまうのです。最近だとゲーム機とかiPodとか。高速のネットワークがあるということがこんなにも快適なのか、と思ってしまうのですが、何処でも使えるわけじゃないのですよねぇ。契約してるところだと、モスバーガーとか。呑み屋と劇場と電車の中がカバーされれば、あたしはそれでいいのだけどなぁ。WiMAXが来るのが先かなぁ。

連休。うれしい。

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2007.11.19

【芝居】「傷は浅いぞ」柿喰う客

2007.11.18 19:00

ここのところ毎月のように規模のある公演を続ける柿の新作は劇団員だけの四人の強いテンションで走りきる75分。26日まで王子小劇場。24日昼に追加公演が設定されています。

鼻血で血まみれになりながら歌番組に出たために干されたアイドル。唯一オファーのあった番組は「電波ガール」。3週間の勝ち抜きで冠番組や写真集などの魅力的なオファーのアイドルゲーム番組。が、それは決してクリアできないどころか、出演したアイドルが皆引退に追い込まれるという番組だった。

劇場の幅いっぱいの円柱を斜めに切り落とした八百屋舞台。たった四人で出突っ張り、高いテンションで走りきります。人数の多い芝居すらなんの問題もなくこなす彼らです。その人数の少なさがハウリングしそうなテンションでそのまま続くのです。

たしかに云われるとおり、普段よりも更にいわゆるつか芝居に似ているところがあります。強烈なテンション、がなるような発声、フォーマットだけではなく、気持ちの奥底に強く切り込むような刃の切れ味もにています。たぶん違うのは当日パンフに作家自身が書いているような、不幸を現実として体験していないということなのかもしれませんが、そんなことはどうでもいいぐらいに見せ続け、走りきるのです。

ダンディな役柄の多いコロは今作ではさらに格別。強いテンションのヒールという位置づけは普段から多いのだけど、後半で見せる女らしさの片鱗も素敵。主役のアイドルを演じた深谷由梨香は崖っぷちアイドル特有のB級感も魅力的なのです。マネージャーを演じた黒一点の玉置玲央はいつも通りの魅力、珍しく脱がないのですが。七味まゆみは役柄として一歩引いた感じですが、要所を押さえます。

芝居だけでなく、いわゆるプロモーション力の強さも彼らの魅力なのです。2週間のロングランのために鏡割りイベントとか、トークショーとか、演出を変えたバージョンとかを企画として繰り出す思いつきのすごさとか、それを実現してしまう制作力。制作といえば、猫耳のサービスだけではなく、張り紙や案内、受付や開演前の告知などが実に丁寧で、グッズ販売の充実なども含め、彼ら自身が意識しているかは別にしてキャラメルボックスのネビュラにも匹敵する感じがします。大きくなる劇団の片鱗を感じさせます。 15分版はきちんと前半のエッセンスで、こういうことを次々と打てるというのも強み。アタシが拝見したのは鏡割り&振る舞い酒イベント。割られた樽から出てきたのは、「傷」に因んでの真っ赤な赤ワイン。いや、こういう細かいセンスが実にたいしたものです。

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【芝居】「サロン」げんこつ団

2007.11.18 14:00

女性ばかりで独特で毒のある喜劇というよりはコント的なものを上演し続けるげんこつ団の新作。130分、18日まで駅前劇場。

◆山中の洋館での殺人事件とその解決のための探偵たちの話から子供の頃に職業をきめられ、その実現のために親が影に日向に支え続け、できてないこともできたように見せてきて、実は身代わりになっていたり。◆あるいは、引きこもりの部屋に引き籠もり続ける子孫たち。神話のように外の世界を語る神話の言葉、そこから出ていく子孫の一人の物語。◆夢と希望だけとか信仰だけでささえられているマンション。◆プラスマイナスの人が居て引き合ったり反発したりのオフィス、NSの女は北しか向けず、どこにも同調しない男の背中には取っ手がついていて、誰にでもついていく性格で。◆漫画家とハリウッド、俺専用。◆実家住まいの女、奴隷のように親を鞭でこき使い。そこに男がやってきて。◆団結とか信じ合うとかメタな言葉だけで何一つ具体的なことをしない教師。◆銀行の窓口にやってきた女。ナイフを持っている。見かけだけで判断するなんて。など。

Corichあたりを見てると、戸惑う声が多いのですが、見続けているアタシにとっては、これこそ、げんこつ団の味。今回に関して言えば、全体を通してみると、子供と親、パラサイトな関係を強く意識しているネタが多い印象。引きこもりも、実家住まいも、なんかそんな流れのネタ。どこか社会的な毒ネタという感じのセレクションなのだけど、何かの批判的な視点というよりは、ひたすらに、しかし少し意地悪な角度で描写しているという感じがします。もちろん荒唐無稽なコントではあるのだけど、どこか今いる世界のずれたパラレルワールドな感じを作っているのです。

全体はゆるやかにパラレルワールドに繋がっているのですが、実はそんなに重要なつながりというわけではありません。

あたしが好きなのは、「引きこもりの部屋の神話」とでも呼べる話。カーテンの閉まった暗い部屋で過ごすスエット姿の人々。扉の向こうには行ってはいけない世界が広がる。かつて一人の男がそこにいて、酔っぱらった女を引っ張り込んで子孫が出来ている、という神話が語り継がれて。扉の向こうには母親という魔物が居て、時折ノックして、扉を開けて攻め込んできたら「こんどリビングに出ていくから」という呪文で撃退しようとする。引きこもりネタは数あれど、こういう形で神話みたいな枠組みをこんな短時間で作り上げてしまうあたりが好きで。

これもいつもの事なのだけど、強烈な冷房もいつもの印象。なぜかわからなくて、ポリシーなんじゃないかと思ったりもするのですが。毛布を配ったりして自覚はあるようなのですが。暑いよりは芝居を観るためには嬉しいんですが、それがちょっと厳しく感じて来たのはアタシが歳を取りましたか。

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2007.11.18

【イベント】「空間ゼリー5周年イベント」

2007.11.17 19:30

空間ゼリーが旗揚げ5周年を記念した限定のイベント。一日限り。歓談タイムを挟みながら予定を大幅に超過しての4時間。渋谷のとあるイベントスペース。

大きなスクリーン、つくりつけのバー・キッチン設備はあるものの、飲食店ではないような場所。わりと気合いの入ったフード・ドリンク類をキャッシュオンで楽しみながらのある種の呑み会イベント。ダンス、カラオケ、劇団への観客からの質問コーナーなどの余興的なものに加えて、作家の坪田文のウニタモミイイチのトークショー、引退した下山夏子の軌跡を辿るビデオショーなどをあれこれ。

最近は割とシリアスな芝居が多いのだけれど、このイベントに限って云えば若さ・明るさに溢れています。まるで結婚式二次会か、というような出で立ちや余興の数々。なんかいけない水商売の店に紛れ込んでしまったのではないかというぐらいに美人揃いの女優陣たちのイベントというのは、オヤジなアタシ、脳を溶かして喜んでしまうのです。一方で、トークショーで見せた作家・主宰の熱い想いのようなものは若いなりのイキオイも手伝って当てられそうになりますが、それを真摯に語る姿は実に良くて。

もっとも、考えようによっては、売り出しアイドルの手作りオフ会(1)のような危うさというか微妙さを持ちかねない感じがしないでもありません。それが悪い訳じゃないのですが、硬軟とりまぜた今回は絶妙なバランスで楽しむことが出来た、ということなのです。

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【芝居】「恐れを知らぬ川上音二郎一座」

2007.11.17 13:00

芸術座のあと、日比谷にできた新しい劇場・シアタークリエのこけら落とし公演。三谷幸喜の作演に、魅力的な役者陣の即日完売公演。譲っていただいてなんとかもぐり込みました。20分の休憩を挟んで3時間20分。

オッペケペで一世を風靡し、アメリカに渡った川上音二郎と妻の貞奴たちの一座。サンフランシスコの公演は成功したものの、売り上げを持ち逃げされ、続けての公演が打てない。ある劇場の休演日に一日だけ劇場を借りることになるが、大半の役者が出ないと言い出す。座長の音次郎は通りの向こうの劇場で上演中の「ベニスの商人」に感動し、日本版に翻案して上演するのだと公演前日の夜に言い出し....

演劇改良などの新しい動きと、嘘やはったりも含めた強烈なキャラクタの音二郎と、その妻・貞奴のアメリカでの「ベニスの商人」を翻案上演したという実話を、いわゆる芸能人など名の知られた役者たちに三谷ブランドでのショーマストゴーオン芝居として結実。こけら落としらしく、お祭りのような楽しさのある芝居なのです。もっとも、緻密さと言うよりは、役者に任される余地が(アドリブではなく)かなりある感じの緩さがあって、日や客席によってずいぶん受ける印象が違う気がします。

素舞台ではないものの、あまり立て込んだ感じのセットではなく、むしろスカスカとさえ云える感じ。劇場に当て書きした、というのはどこに書いてあったのだか忘れましたが、劇場のさまざまを芝居の中に取り込んでいます。ボックス席にもとってつけたようではあっても飾り付けがあって、劇場全体を芝居の中にとりこんでいる感じがします。

堺正章が意外なほど舞台に馴染む。大仰だし何をやってもあの芝居だという感じがしないでもないのだけど、客席をちゃんと沸かせる力というのは歴然としていてたいしたものなのだと思うのです。奇しくも「堺対決」となった堺雅人は誠実な感じが良く出ていて。堀内敬子演じる弘前の言葉の女は、言葉の素朴さと、やってることのギャップが楽しい。

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2007.11.17

【芝居】職員会議」studio salt

2007.11.16 19:30

横浜の劇団、スタジオソルトの新作は2週末にわたるロングラン。95分とのアナウンスのあとの2日目は90分ちょうどぐらい。日替わりのゲストを迎えながら25日まで相鉄本多劇場(月曜夜は別イベント)。

中学校、まだ暑い9月の午後、職員室の工事で、教室を使っての職員会議は迫った体育祭についての議題のあれこれ。

学校の芝居なのに生徒が出てこない芝居。教師でないアタシにとっては、今からおもえば、職員室というのは普通の大人たちの場所。それぞれの関係の難しさやある種の幼さがあるのは、アタシが四十超えたからの感想かも知れません。

ネタバレかも

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2007.11.15

ボーカロイド

初音ミクって知ってますか。YAMAHAの技術で作られた、「歌うソフト」。なんか凄い。アタシは作れないけれど、DTMが一人の職人で楽曲を作ることを可能にし、Flashが一人でクオリティの高いアニメを作ることを可能にしたのと同様に、また一つのツール、なのだと思うのです。

それが全てを陵駕するとは思わないけど、こうやって普通の人がコンテンツを作れるっては凄いよなぁ。表現は特別なことじゃない、ってのはそれこそ絵でも文章でも同じなのだけど、その裾野ががつんと広がるダイナミズムの中に、アタシ達は居るなぁと思うのです。

週末。

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2007.11.12

【芝居】「うそつきとよばないで」タテヨコ企画

2007.11.11 19:00

一ヶ月に渡るギャラリー公演三本のうち唯一の新作。気がついたら売り切れていて、最終日に追加された追加公演に潜り込みました。公演は終了。85分、ギャラリーカタカタ。

ギャラリーを建てた男がなくなった。追悼展をしようとあつまる人々。オーナーの女は長い間このギャラリーを支えてきて。ギャラリーは男の友人に譲られることになるし、男の家族はギャラリーもそこに集う得体の知れない人々も快くはおもってなくて。

ギャラリーと外への借景をつかった場所へのあてがきとでもいう一本。居なくなった男をめぐるまわりの人々の話、というのはまあ珍しくないベースではあります。が、新作らしく年齢を重ねた作家の描く物語。男も女も大人のほろ苦さを併せ持った語り口になっていて歯ごたえがあります。

たとえば、オーナーの女と男の関係。何かあるかのように周囲は見ていて腫れ物のように話題に触れていない。男の家族も同様に考えていて女に手切れ金を渡そうとする。この手切れ金のシーンはぞくぞくするぐらい凄くて、男の娘とのヒールさ加減も凄いし、それを表だっては刃向かわずに「いなす」感じの「大人の対応」の見えない火花の凄さ。

あるいはその少し前、ギャラリーを引き取ろうとする金持ちらしい男と、オーナーに心寄せる近所の男。オーナーの女に仕事を続けさせようとあれこれ云うのだけど、「本当にやりたいなら、自分でここを持てばいい」という正論の前に手も足も出ない。この手も足も出ないという苦さがいいなぁとか。

突き抜けた華やかさというのはないのだけれど、会場時間で口上を述べる作演の人柄が見え隠れする優しいタッチ。登場する人々がみな実にまっすぐでだれひとりとしていい加減なものの考え方をしない、というのも同じ雰囲気。タッチは優しくても、年を重ねればさまざまにある現実、若者の先にいくらでも広がりそう感とか、迫られた選択でやはりそれを選べない現実の厳しさを知っている感じとか、そことはまったく別の路線に突き抜けてしまった感じとか。アタシにとっては若者の突っ張り感は、どこかまぶしい感じすらして、それはそれだアタシ的にほろ苦さを倍増させたりもして。

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【芝居】「ゼブラ」ONEOR8

2007.11.11 14:00

10周年を迎えた劇団の代表作とするべくの再演、なのだとか。いい雰囲気の千秋楽。110分。TOPSでの公演は11日で終了。

四人姉妹と母親。父親は出て行き幼い姉妹を育て上げた母親。時は流れそれぞれが独立し始めたが、次女はまだ家にいる。母親は入院し、ぼけてもいて。

それに加え、夫たちの浮気やら金遣いやらうるさいまっすぐさやら、近所の幼なじみやら、葬儀屋兄弟たちのあれこれを単にアソートしているでけではなくて、終盤でするするとはめ込んでいくのです。寄せ木細工のようにがっちり強固に組み合わされた構成だなぁ。と思うのです。たとえば柿嫌いの葬儀屋兄弟gが無理して食べた柿を戻してしまうのだけど、その片付けのあたふた、ニオイのきつさを強がる涙のいいわけにさせるなんてのは、美しくはないし無理矢理感もあるけど、流れの中では自然に。

四人姉妹のキャラクタつけがきちんと。長女はしっかりと調整型で。ほぼ主役となる次女三女はヒネ具合のキャラクタつけが序盤に見えづらいのが勿体ない気もするけど、序盤の子供シーンがこまかくつくられているのです。三女次女は夫婦ともわりとサイドストーリー専任的な位置づけが目立つキャラクタ作りで。四女は子供らしさとヤンキーの落差も女優の特性に合っていて楽しい。(2007/11/13追記:次女・三女入れ違えておりました。ご指摘感謝)

上質で誰にでも勧められる素敵な物語、Corichなどの口コミで増えていく客、千秋楽もけっこうな数の当日券を出して。カーテンコールはONEOR8としてはあまりないのだけど、ダブルコールに。今公演から主宰になったという役者の男泣きの挨拶は実にいいのです。

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2007.11.10

【芝居】「博多湾岸台風小僧」桟敷童子

2007.11.10 19:00

迫力ある舞台は吉祥寺シアターにもちゃんと立ち上がる120分。12日まで。二本連続上演の一本目にあたります。

博多の町を見下ろす山中の集落。彼岸花が咲き臭いのきつい土地だが川底をあさる「ガダロウ(河太郎)」で生計を立てるものたち。そこから見えるマッチ工場の女工たちが酷い生活に耐えかねて脱走し、この山に追いつめられるが、自分の身を守るために見て見ぬ振りをするのが通例だった。そんな生活や集落の暮らしに嫌気がさし、いつか出て行くと決心する男は、アイスクリームの商売をすることを思いつき、必要な冷凍機を手に入れようとしている。ある日、女工たちが集団で脱走してくる...

劇場に入った瞬間に度肝を抜かれるのが劇場の雰囲気を消し去ってしまうほどに作り込まれた美術。もうそれだけでワクワクしてしまうのです。桟敷童子らしく終盤のダイナミックなシーンももちろん健在ですが、頭から終わりまで細かく作り込まれた照明が効果的で花を強烈に印象づける舞台は実に美しいのです。

女工哀史だの、悪徳工場の雇われ追っ手だの、虐げられる集落だの、個々にみていくとステロタイプにすぎる登場人物たちだし、物語はたいがい思ったところに気持ちよくはまっていく感じ。しかし、丁寧にしかも美しく迫力のある物語の運び方は、アタシの心をがっしりつかんで粗々しくひっぱり回すのです。少々の荒唐無稽は気にならないというか、むしろその「濃ゆさ」こそが、舞台を観たなあと満腹な感じがするのです。

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【芝居】「いやむしろわすれて草」三条会

2007.11.10 16:00

五反田団の中でも不条理感の薄い話 (1, 2)を、三条会のアトリエ公演として65分。13日まで。

病気がちの三女を含む四人姉妹。子供のころは自宅の両用で八百屋の二階で騒がしく。時間が流れた今は、病院に入院しているが、父親も一度倒れて八百屋も閉めている。

四人姉妹と父親、二つの時間を自在に行き来しながら、むしろ泣かせてしまうという五反田団のなかでも口当たりのやさしい、「イイ話」の一本。三条会のスタイルは強烈な音楽や、野太い声が多用されたもので、ずいぶん印象は異なります。

65分に濃縮された時間で、物語の味わいが伝わるかどうかという点で少々不安な感じはありますが、エッセンスは確かに色濃くて、アタシには楽しめたのです。父親に特定の役者を当てず、四人の姉妹が揃ってしゃべることで父親とするスタイル。姉妹は男の役者とし、幼なじみは女優にあてるなどの逆転を意識しているようだけど、入院患者はそのままだったりとすこし違和感も。

八百屋の二階をベッドの下からの声としたり、手すりの扱いなど、エッセンスの抽出とその効果的な見せ方はシンプルなわりにけっこう見事で印象的。ベッドと馬が連なる隊列のようなシーン、四人姉妹が寄り添って語り合うシーンも印象に残りますが、意図という点ではアタシにはしっくりこない感じもします。初見ではないものの、三条会のスタイルに慣れないアタシとしては、野太く声を張るシーンと、普通に会話をするシーンがあることの意図が知りたいなああと思ったり思わなかったり。

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2007.11.08

命を削ったことば。

著作権ってやつをわりともっとアナーキーにやっちまえ、とか基本的に思っているアタシでですが、あたしが好きな芝居の戯曲にももちろんそれはあるのです。

News23で取り上げられたりしてわりと知られた「高校の文化祭と著作権侵害」が週刊アスキー(11/20号)のコラム「今週のデジゴト」でも取り上げられました。そこで引用されている「ある意見交換BBS」ってのはfringeの質問掲示板だよなぁと思うのですがどうだろう。名前ぐらいのせてもいいだろうと思うのだけど、まあそれはそれとして。

アタシはアナーキーな気持ちはあるのだけど、ここで語られてるような「傲慢」というのはどうだろう。長い時間かけて絞り出した言葉にはリスペクトが欲しい。そのうえで、変えるなら変えると云ってくれって気持ちはわかるのだけど。でもそうか、人が作った歌を音痴なアタシが歌うのは、もしかしたら同一性を犯してはいないにしても、ちょっとあれかなんて弱気。

週刊アスキーのこの号、連載の「著作権という魔物」も読み応えがあります。人格権に対してもちゃんと。で、そのNews23の放送局のネタ(1, 2)の「電脳なをさん」も小気味いいのです。

週末、群雄割拠。

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2007.11.05

【芝居】「摂州合邦辻」山の手事情社

2007.11.4 19:30

山の手事情社の和物三本立ての最後は新作。四畳半ともハイパーコラージュとも違う、新しい表現の何か、という気もします。荒削りを楽しむのが吉の90分。6日までレッドシアター。

合邦という父親、辻という娘。お家騒動で身内の暗殺を企てた兄弟を止めるために、辻は殺されそうな弟を誘惑し毒酒を呑ませ、盲目にする。妻と逃げた弟は合邦に匿われるがそれを知った辻は..

文楽や歌舞伎ではよくかかる芝居なのだそうですが、アタシは観たことがありません。詳しい物語はネットにいくつもあります。(たとえば)

ごく短い物語は、当日パンフに書かれています。開演前に読んでおくのが吉。台詞が極端に少ない仕上げで、イメージをつなげているために、物語を頭に入れた上でないと、何が何だかわからなくなりそうな気もします。

同じ当日パンフで演出家はエロとかグロとかという言葉を好んで使って物語の枠組みを説明します。刀や犬に象徴される封建を、若い女性が守るというある意味の倒錯やその女性の内蔵が秘薬なのだという設定の無茶苦茶さは、たしかにその時代においてはエロでグロでファンキーだったということに想いを馳せるのはどこか楽しい感じがします。

いくつものシーンが細かく描かれます。ジョウロを持った父親が娘や家族、仕事に前後不覚になり女達を押し倒す妄想(そのたびに布団が飛んで出てきてしかれるのが可笑しい)とか、動き続けずには居られない母親とか、目の見えない夫と気遣う妻と。あるいは、このせっぱ詰まった状況を、そして自由には動けないこの時代の女性がさまざま書き分けながら、前に進む姿とか。

語られている物語はごくシンプルなものだけど、裏読みのイメージが膨大すぎて、語られるべき物語を適切に伝える手法に窮したのでしょう。当日パンフで物語を語り、劇中でもまるでトークショーのような普通の言葉で演出自身が物語を語るというある種の掟破り。これが美しい方法とは思いませんし、手法としても成立してる感じがしません。が、このおかげでイメージの羅列のような仕上がりでも、アタシは楽しめたのです。もっともそれはアタシがこの手の、女性が主導するエロティックさを肥大させる方向のイメージの使い方が大好きだから、という気がしないでもありません。

いくつか、アタシの気持ちを掴んで離さないシーンがあります。男(犬)たちが並べる箱馬、その臍の緒の先につながっているのは玉手なのだけど、その箱馬の上を不安な面持ちで歩き進んで行きます。不安に駆られて戻ろうとするのだけど後ろの箱はなく、前に進むしかないのです。このシーンの玉手の不安のなかでの力強さを強く感じるのです。

あるいは若い女がポーズを作るとシャッター音が鳴るシーン。母親がカメラを構え、そのレンズの先に居る娘のさまざま。可愛らしく作られているのです。最後に一人、母親自身らしき女性もそのポーズをとるのだけど、女性が繋がっていくさま、ということが見えて、うぁ、と思うのです。

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【芝居】「夏が来ない」タテヨコ企画

2007.11.4 16:00

タテヨコ企画の三本交互上演企画。再演の一本。70分。11日までギャラリーカタカタ。

ギャラリーの準備をする人々、オーナーと近所で幼なじみの友達のカメラマンと、バイク屋の倅は、昨日の合コンの余韻があったり。そこに合コンにいた女が手伝いにやってきて...

知っているのに言いそびれたりしてしまった微妙なこと、それは少々のいたずら心に端を発しているのだけど。傷を残したかと云えば、幼なじみ故か結局は笑ってすませてしまう絶妙な距離感の友人たちと喧嘩もはしゃいだりもできるのです。男三人のわかりやすさに比べると、ギャラリーのバイトや手伝いに来た女など、女性のほうの気持ちの動きはあまりあからさまには語られません。それどころかあまりヒントもありません。バイトの女、何かいいたい気持ちもあるだろうなぁとおもうし、そこを掘り下げて見てみたい気もするのだけど。

カタカタという場所は、舞台となる場所の背中がガラスでそとの風景。借景として使える強みがあります。もっとも、子どもが車をおいかける面白いシーンとか、走って出ていく男が通行人と鉢合わせしそうになったりとか、というハプニングが大きな笑いを生んでしまったりするのはいいのか悪いのかよくわかりませんが。

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【芝居】「棄憶」G-up

2007.11.4 13:15

もともと上演予定だった「38℃」(初演)から演目の変更。同じ作家の「731」(未見)を改題・手を加えての上演。4日まで、site。85分。

帝銀事件を契機にして、箝口令のなか戦時中の部隊での出来事をひた隠しにしてきた男たちが再び集まる。あの事件の特殊性から、専門知識と技術がなければとうてい成し得ないと思われる事件で、彼らのなかにこそ犯人がいると思われて...

小学生のころに、怪事件やら大事故をまとめて学研やら小学館やらからでていた少年向けの本(うひゃぁ、古本サイトで無茶な値段がついてる。とっとけばよかった)が好きで、帝銀事件(wikipedia)の下りの当時の怖さは今でも覚えています。731部隊というのを知るのも関連するという噂を聞くのもずいぶんあとのことですが、戦争後期から戦後すぐの混乱期のおどろおどろしさははっきりと。

劇場というよりギャラリーで、しかもほとんど素舞台状態。反響の激しい地下室であえて声を張った芝居をしているようで、むしろその反響がだだっ広く廃墟となったもと陸軍病院の建物という空間を感じさせます。白い壁、明るい照明はみやすいのですが廃墟感は少々薄くも。途中にかかる音楽も選曲が妙にサスペンスドラマ風で緊張感という点では少々薄まってしまう感も否めません。人物のキャラクタがくっきりとしているのは作り物感があるものの、たしかに見やすいのです。

731部隊(wikipedia)、帝銀事件、戸山の人骨の事件(参考)という「点」作家の想像力は、その裏側にあるつながりを発想し、緊張感のある物語として結実します。世間の噂というレベルでは語られていることなのだけど、それぞれの事件に関連性を感じ取るだけではなくて、何がどういう理由で関連しているのかということをフィクションとして描き出すところまでをきちんと形にしているのです。さらにミドリ十字の血液製剤の事件への端緒を感じさせるような端々も。実在するいくつかの点をつなげはしても、そしてある種よく語られる噂に近いモノであっても、フィクションとして書き出すこと、そして観客が限定される小劇場の演劇で、いわゆるイデオロギーの問題から自由になれるというのもこの作家の特質なのです。

優秀な学者を育てるという目的、抑えきれない探求心、実験など大義名分というか使命感にも似た何かは、ある種の選民という自覚とあいまって生み出された暴走、その現場を描いてるわけではないのだけど、この何もない部屋での会話は、その暴走のありさまをまざまざと感じさせる迫力があります。

現代にいきるアタシには彼らの感覚は受け入れられる感じのものではありません。しかし、その時代と役割の中での「正しさ」もしくは「盲信できる正しさ」をもっていて、自分がその場所に立っていたら同じように考えそうだという説得力を感じます。 人物たちが迫力を持っていて、観客であるアタシが物語世界に取り込まれるような、物語の持つ力があるのです。

ネタバレかも、の物語。フィクションです、との断りがあります。

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2007.11.04

【芝居】「砂漠の音階」風琴工房

2007.11.3 19:00

初演(稽古場初演)のあと、夏の北海道公演を経ての凱旋。105分、4日夜まで

北大の研究室、寺田寅彦の愛弟子の男。留学から帰国して北大で始めたのは雪の人工結晶研究。その大切な一日。

土曜夜のトークショーによれば、山内健司呼ぶところの「前向きシリーズ」、つまり作家は現実がすべてプラスではないことをわかった上、あえてプラスを敷衍する流れ。芝居として見ると、流れがどこか一直線な感じだったり、ことさらに声を張る役者が居たりと芝居っぽい不自然さも多く残るもの確か。もっとも、バンカラなど時代の背景をあわせて考えれば納得できないわけではありませんから、そういう意図なのかもしれません。研究室というものは遠い学生時代の記憶しかありませんが、理系的ながさつさとか、女性がほとんどいない独特の空気はアタシの腑に落ちる感じがします。

初演も見ていますが、先生とか研究者という説得力は初演よりも今作の座組に強みがある感じがします。どちらも癖がある役者ですが、プリンストン帰りの理論物理学者にしても、中谷教授にしても、研究者らしくみえる気がします。

劇場も初演とは変わった要素の一つです。先生の席が一カ所のために上手側の客席にはよくても下手端では主軸となる先生の表情がみえなかったりというのは初演とかわらないのですが、客席の通路を花道的に使い、客席後方に低温室があるように作られています。結果、舞台から客席後方に向かう人々の表情を印象的に見せることが出来て、たとえば理論物理学者が低温室に走り出すあたりとか、秘書の女性の出入りの表情など、「他の登場人物たちには見えない一瞬の表情」のクローズアップを、役者が客席を向いても不自然じゃないやりかたで見せるという点で秀逸なアイディア。

昭和11年の3月という時代の背景、戦時研究とも関係のないある意味牧歌的な、しかし札幌という場所の距離はいかんともしがたい時代を選び取るのは作家の力。先生と妻の話は感動を呼びそうな寸前でとめるのも巧い感じ。個人的な好みからいえば、もうすこし起伏がある物語を期待してしまうのだけど、このやさしい作家の視線は、あたしの気持ちにはすとんとはまります。

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【芝居】「ライン」青年団若手自主企画

2007.11.3 15:00

saladball( 1, 2) の西村和宏と鈴木大介の、なぜか青年団若手自主の企画。「罪と罰」を根っこにした11編の短編アソート。モチーフを知ってればもっと楽しめたかなぁな95分。6日までアトリエ春風舎。

囚人二人の会話やら、女子高生たちの使い物にならないタイムマシーンやら、ドストエフスキー的芝居やら、パンクな老人ホームやら。日本人には親しまれている物語(wikipediaによれば)らしいので、読んでないアタシのほうがたぶん普通じゃないのでしょう。あとからwikipediaで手っ取り早く細くするアタシです。

「選ばれた非凡人は、社会道徳を踏み外す権利を持つ」のような無茶な論理展開はそのモチーフからもってきたものなのでしょう、気がつけば根拠のない自信を持つ若者、それは今の時代だとも、若者はいつもそういうものだともいえるのだけど、そんな根拠のなさ加減が実にぴったりモチーフにあいます。「老人ホーム」で未来予知をできるといいながらカード当てをすべてはずす(赤黒なのだから、それは当ててるのと確率としては同じ事なのだけど)老人やら、「放課後」での自転車の鍵をあけられるといいながら驟雨注力がみじんもないようなそれぞれの根拠のなさと強気。「兄弟」はむしろ「三人姉妹」に重なる感じがして、これも根拠ないのにいつかは選ばれるだろうと根拠なく思ってる人々に重なります。

モチーフにあってるかどうかわからないのは「タイムマシーン」。タイムマシーンがあるのだけどわずか65秒前後にしか移動できないという制約で、そのわずかな未来をのぞき見て告白を自己完結してあきらめてしまう女子高生。制約の強烈さをうまくはめ込んでいるとは思うのだけど、わずか65秒の違いなので出捌けの場所だけで未来か現在かをというのが少々せわしい。

わずか10分ばかりの短編の積み重ねはしかし、モチーフの中で何かを見せているという点で手腕は見事だなぁと思うのです。罪と罰の登場人物をタイトルにして台詞もおそらく罪と罰から引いて演出で見せるタイプのよりもむしろ、現在の光景の中にエッセンスをはめ込んでみせる何本かのほうが、あたしの好みにははまります。

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2007.11.03

【芝居】「西国分寺物語」散歩道楽

2007.11.2 19:30

本公演は久しぶり。散歩道楽の新作は寺内貫太郎一家をモチーフ、序盤はそのフォーマットを使いつつ、固くても、終幕30分は実にいいのです。120分弱。4日までサンモールスタジオ。

西国分寺の一軒家。縁側があって、畳の部屋があって。寡黙で怒りっぽい父親がいて、意地悪ばあさん的祖母がいて、恋人を連れてくる三十路過ぎの娘がいて、騒がしい家の中、切り盛りしてるのは母親で。2年後の家の中、母親が運動に血道をあげて。

金曜夜に関していえば、前半はどうしてしまったのかしらというぐらいに気持ちがかみ合わないのです。あとから思えば演出の意図かと思う祖母(樹木希林は、そういえば当時は若かったのだよなあ)と母親の年齢の逆転のギャップも意図がわからない感じがするぐらい。見かけの下町では当たり前の、がさつな会話。が、印象とは裏腹に細かく書き込まれた言葉をあとから思い出します。

ほんとに細かな違いで印象ががらりと変わってしまうぐらい細かく書き込まれています。2007年になってそれまでうまくまわっていたものが、若夫婦が受け継いでうまくまわらなくなるバタバタ、夫婦のぎくしゃく、店子の顔見世を挟んで、兄弟の確執とか。

作家は当日パンフで自身のプライベートを少し告白しています。そういえば浮かび上がる夫婦の会話とかすれ違い。近くにできるマンションの反対運動にのめりこむ母親は、やがて明らかにおかしいことが明かされて行きます。が、そこでは終わらない、そこまでする理由はきちんと語られます。それはかなり無理矢理な理由なのだけど、それをきちんと納得させる終盤。そういえばそれは前半の祖母の台詞に端を発していて。それを父親がちゃんと受け継いでいて、たとえば息子が父親に似てくるということと同じように、「想いが受け継がれていく」ことの、濃い家族の姿を見せていきます。

終盤、父親の再登場からの部分は、しっとりと物語。更に押し詰まってから訪れる教え子は、物語の雰囲気をシフトする点になります。家族達がみることのなかった教師としての父親。父親との距離を兄弟で違った取り方をすることなど、終幕でこそ「居なくなった父親」の姿が重厚に立ち上がるのです。

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2007.11.01

【芝居】「道成寺」山の手事情社

2007.10.31 19:30

山の手事情社の三本連続公演。前売りは売り切れ満員ですが、小さい劇場にあわせてしまった感じもします。1日までレッドシアター。90分。

道成寺の物語として語られる三本の物語をかみ合わせるようにつなげるのです。女の情念に対する男の恐れという骨子は、yamanote nipponという、女性を中心に据えたシリーズとしては正しい選択です。

初演のアサヒアートスクエアは、天井も、舞台もだだっ広い箱なのでした。その空間を埋めるのは並大抵ではないのですが、彼らはあっさり空間を制圧したのでした。再演の大隈講堂は見てません。

今作ではかなり小さい空間です。初演に見られたようなダイナミックな大蛇の迫力という意味では少し残念な感じもします。が、そのかわりにこの空間で見えるのは女性からの視点。裏切られたということを、裏切られそうということを色濃く匂い立たせるのです。

こんなに見ているのになんですが、山の手事情社の身体の表現や四畳半やハイパーコラージュという手法や、文語体の台詞回しは嫌いではありませんが、そこには思い入れはありません。道成寺という演目を傑作だと思うのは、想いを三つの物語としてすくい上げ、それを終幕で一つの場所に集合させたことではないかとおもうのです。

初演で印象的だった合間のシーンは健在。酔っぱらいのおもねる感じ、キャスリーヌの卑怯に笑いをとる語り部。卵のある種の気持ち悪さも。シールを張り合う女たちの、貼られた女の姿は、そうか、表情のなさといい、ウロコといい、蛇に変わる瞬間のモチーフかと、今日初めて気づくのも、この小さな劇場ゆえなのです。「逃げるのルパム」楽しい。

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