2007.11.4 19:30
山の手事情社の和物三本立ての最後は新作。四畳半ともハイパーコラージュとも違う、新しい表現の何か、という気もします。荒削りを楽しむのが吉の90分。6日までレッドシアター。
合邦という父親、辻という娘。お家騒動で身内の暗殺を企てた兄弟を止めるために、辻は殺されそうな弟を誘惑し毒酒を呑ませ、盲目にする。妻と逃げた弟は合邦に匿われるがそれを知った辻は..
文楽や歌舞伎ではよくかかる芝居なのだそうですが、アタシは観たことがありません。詳しい物語はネットにいくつもあります。(たとえば)
ごく短い物語は、当日パンフに書かれています。開演前に読んでおくのが吉。台詞が極端に少ない仕上げで、イメージをつなげているために、物語を頭に入れた上でないと、何が何だかわからなくなりそうな気もします。
同じ当日パンフで演出家はエロとかグロとかという言葉を好んで使って物語の枠組みを説明します。刀や犬に象徴される封建を、若い女性が守るというある意味の倒錯やその女性の内蔵が秘薬なのだという設定の無茶苦茶さは、たしかにその時代においてはエロでグロでファンキーだったということに想いを馳せるのはどこか楽しい感じがします。
いくつものシーンが細かく描かれます。ジョウロを持った父親が娘や家族、仕事に前後不覚になり女達を押し倒す妄想(そのたびに布団が飛んで出てきてしかれるのが可笑しい)とか、動き続けずには居られない母親とか、目の見えない夫と気遣う妻と。あるいは、このせっぱ詰まった状況を、そして自由には動けないこの時代の女性がさまざま書き分けながら、前に進む姿とか。
語られている物語はごくシンプルなものだけど、裏読みのイメージが膨大すぎて、語られるべき物語を適切に伝える手法に窮したのでしょう。当日パンフで物語を語り、劇中でもまるでトークショーのような普通の言葉で演出自身が物語を語るというある種の掟破り。これが美しい方法とは思いませんし、手法としても成立してる感じがしません。が、このおかげでイメージの羅列のような仕上がりでも、アタシは楽しめたのです。もっともそれはアタシがこの手の、女性が主導するエロティックさを肥大させる方向のイメージの使い方が大好きだから、という気がしないでもありません。
いくつか、アタシの気持ちを掴んで離さないシーンがあります。男(犬)たちが並べる箱馬、その臍の緒の先につながっているのは玉手なのだけど、その箱馬の上を不安な面持ちで歩き進んで行きます。不安に駆られて戻ろうとするのだけど後ろの箱はなく、前に進むしかないのです。このシーンの玉手の不安のなかでの力強さを強く感じるのです。
あるいは若い女がポーズを作るとシャッター音が鳴るシーン。母親がカメラを構え、そのレンズの先に居る娘のさまざま。可愛らしく作られているのです。最後に一人、母親自身らしき女性もそのポーズをとるのだけど、女性が繋がっていくさま、ということが見えて、うぁ、と思うのです。
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