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2007.10.31

ふるいともだち。

歯並びは悪い癖にやたらと歯は丈夫で、親知らず抜く時だってなんかもう、よくわからない専門医療を紹介して貰って行ったのでした。が、ちょっと気になって。年賀状貰ってた高校時代の友人が近所に開業してたなぁと思い立って、その歯科医院に。

久し振りで覚えてくれてるってのは嬉しいモノで。どこか安心な気持ちもあります。同い年、こういう風にちゃんと自分の道を進んでるっていう友人と会うのはどこか眩しい気持ちもあるけど、楽しくも。いや、病院は行かずにすむならそのほうがいいわけですが。

どうしたもんだというぐらいにコマ不足の週末。

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2007.10.29

【芝居】「0.7+0.5≠1.0+0.2」ミナモザ

2007.10.28 18:00

瀬戸山美咲のミナモザの新作、100分。サンモールスタジオでの公演は終了。タイトルは「れいてんななたすれいてんごはいってんぜろたすれいてんににあらず」と読むのだそうです。

覚えがないのに招待状をもらって美術館にやってきた女。場違いな華やかな場所に気後れしながらも開館10周年のパーティに出る。片隅に飾られた少女の絵は、しつこく言い寄る男の解説によれば、美術館の持ち主であった画家が描いたもので、モデルの少女は開館の日に自殺したのだという。10年目パーティがはじまり、突然の停電の間にゲストの女性画家が殺されてしまい....

サスペンススリラー風の設定。かつての画家が憑依したりのサスペンス風味。怖いスリラーな感じを出そうとして頑張っている感じはするのですが、どうしても物語の怖さに入り込めない感じがします。一因は公演直前のキャスト変更に求めることもできましょうが、根本的にはそこではない気がします。

物語の枠組みとなる、自分がなく流されやすい女がターゲットという設定や、死んだ少女が終幕で語る「少女という属性ばかりをみていた」画家のことが好きではなく、「私を」見て欲しいのだ、それゆえに別れたのだという感覚はアタシは好きな感じです。が、全体としてみると、そこに至るまでの違和感を払拭できるに至りません。階段状の囲み舞台という美術は見た目には美しいのですが、走ったり暴れたりする時のきしむ音が、たかだか築十年の美術館には見えないのが勿体ない。(※三十年だったんじゃ、という 指摘頂きました。そうだったかもしれません、自信ありません。が、美術館てあんまり床が軋むイメージないので、アタシの違和感には変わりありませんが。)コストの問題はあるでしょうから、それならむしろ素の舞台を生かすべきという気もします。

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2007.10.28

【芝居】「ワールド・トレード・センター」燐光群

2007.10.28 14:00

911の日、ワールドトレードセンターにほど近い、日本語隔週誌の編集部の一日を追う、しかしフィクション。135分ほど。11月6日までスズナリ、そのあと伊丹、岡山、北九州、名古屋、金沢、川崎を巡演。

9月11日。ニューヨークのオフィス。物流会社の広報誌的や役割をもつ日本語の隔週誌の編集部。事件が起きたほぼ直後、取材に出かけるスタッフだったり、近くに住んでいる日本人コミュニティの人々が集まってきたり。

燐光群が得意とする実在の事件に基づいたフィクション劇。現場よりは少し離れるがビルの倒壊は目の当たりにし、当日に関して云えば続くテロの心配も抜けきらないながら、わりと日常を暮らしている。雑誌編集や会社にかかわるスタッフの他に、なぜかやけに演劇の関係者、ブロードウェイでアンダースタディの為に離れられない役者とか、日本からきて公演を控えているとか。

911、という身構えてしまいそうになる題材のわりには、現状の悲惨さはその場に近づいた何人かの言葉として語られるのみ。むしろ、普段の延長線のすこし上がったところにあるような日常感の残った描かれ方。たしかに芝居で現実を越えるのはいくらなんでも無理ですから、場所を離れたところに設定したのはまあ、現実的なことだと思います。 ほんとうの現場の様子はさまざまなメディアで描かれていますが、そこから少しはなれた地域での真実の町の姿がどうだったかということは、もちろんアタシにはわかりません。だから、こんなにも日常から離れない感じのゆるい日を描くのは、フィクションゆえなのか、現実もそうだったのかはよくわからないのです。が、身構えて観た観客のアタシにすれば少々肩すかしな感じも。

かわりに結構な部分を占めるのが、芝居に関わる部分。段ボールに一人入る、「箱男」のようなワークショップのようなものをやってみたり、直前に迫った公演ができるかどうかが最大の関心だったり。ほんとの姿はわかりませんが、演劇人がさらに呑気に描かれている気すらします。

段ボールに閉じこもり、自分を見直すということや、狭い編集室の中で肩をよせあうという姿は、911以降に顕著になったと思う、閉塞したコミュニティという感じをよく表しているとは思います。が、それが演劇ワークショップの体裁をとることが、現実を借景にしたこの芝居のなかでやるべきことだったのか、という気はするのです。たしかに、何かの代役のような感覚とか、自分と向き合うことという芝居に暗喩を求めることで見えてくる物があるのかもしれませんが、アタシは違和感が拭い切れません。

もうひとつの切り口は、サブタイトルにある「WORLD TRADE CENTER as in Katakana」、つまりカタカナ表記としての英語の切り口。外来語をカタカナで取り込んでしまうことでわかった気になってしまう危うさのようなものを描きたい意志を感じますし、面白い視点だと思うのだけど物語に取り込まれてない感じ。

現実を引き、アメリカという国やブッシュを揶揄してみたりするのは、燐光群らしい語り口ですし、現実の出来事の取材を通してみえたことを列挙することの力というのはたしかにあるのですが、それ全体がうまく物語に取り込まれていない感じ、というのはやはり残るのです。

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【芝居】「陰漏(劇場版)」乞局

2007.10.27 19:00

台風の近づく駅から遠い劇場でもちゃんと埋まり、開演もそれほど遅れないというのはたいしたもの。初演とあまり変わらない再演90分。28日までアトリエヘリコプター。

自分の部屋で死んだ男、兄夫婦が部屋を訪れるが唯一の身内だからという嫌々。同棲していた女、恋人だった女、毎日のように通ってくる男、ほぼ不法占拠している「塾」の人々。

死んだ男をめぐるミステリーっぽい展開を枠組みに。その中で自殺志願者を集めて仕事をさせることで結果的に自殺させないという団体を縦軸、死んだ男の兄夫婦を横軸。恋人たちがその間を埋めつつ進みます。死ぬ直前に男が何を考えていたのか、終幕直前の一言、上手の扉を閉める瞬間に語られる一言にすべての収束点がありますが大音量の音楽にかき消されます。それまでの間に種明かしを示唆するアイテムは数々ありますから、まあわかる気もしますが、確信は持ちづらいので、バランスが難しいところではあります。

自分を消してしまいたいという気持ち、おりのように溜まってしまった人間関係も面倒だと思う気持ち。楽しい語り口ではありませんが、そんな気持ち、あたしにはすとんとはまります。

劇場版に関していえば、舞台ほぼ目一杯に立て込んだことで、やけにがらんと広い空間にアタシは多少の違和感があります。一間のアパートなのだけど、その部屋がやけに広い。もっとも、床に散乱する衣類をわざと点在させることで、むしろそのスカスカな感じを強調しているようにも思えますから確信犯なのかもしれません。画廊版の方はもうすこし狭いところでしょうし、立て込まないシンプルな作りになるらしいので、こちらの方が違和感はないのかもしれません。

いい人、巻き込まれキャラが多い根津茂尚は力を抜かない怒りのテンションを持続させる役が珍しいけどきっちり。家によく来るバンバを演じた竹岡真悟は静かでも恐怖を感じさせるすごみと、語ることばに説得力もたせる力量が圧倒的。

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【芝居】「私の知っている男は、これだけ」mon

2007.10.27 14:00

女ふたり(山本ゆい+大久保亜美)のユニット、monの新作。語っていく中で、薄れていく記憶を語るかのような60分強。28日までギャラリー・ルデコ4。

姿を消した女についてのインタビュー。さまざまな人々、アクアリウムセラピーに通う男たちだったり、友人らしいおんなたちなど。

消えた誰かに対するインタビュー、その背景となるいくつかのシーンをつなげていく構成。たぶん自覚はしていないと思うのだけど、チェルフィッチュに感じる語り口。暗いといわれる女、消えた女と唯一電話をしたらしい女、その恋人の男、その男が通うアクアリウムセラピーをやっている熱帯魚屋店主と、同じセラピーを受ける客の男を並べ見せていきます。大久保亜美演じる女がすべてのハブ、つまり中心になって見えている、ごく狭い、しかしゆるやかにつながっている人々を、ゆるく描くのです。

ねたばれかも

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2007.10.27

【芝居】「傾城反魂香」山の手事情社

2007.10.26 19:30

山の手事情社の「和モノ」を三本立てする企画。99年の「平成・近松・反魂香」(未見)の再演。90分、28日までレッドシアター。そのあとに「道成寺」「摂州合邦辻」を順に11/6まで。

近松門左衛門の浄瑠璃をもとにしたおそらくは全体を通した形。歌舞伎ではごく一部、俗に言う「吃又」のくだりのみが上演される事が多いようですが今作はそこをむしろあっさりと、秘本の松の絵を写し取らせてくれた遊女と夫婦の約束を交わしたはずの男はそれを裏切り、姫との婚約に走ってしまう、その悲恋の物語を骨格に据えているように見えます。

和モノ古典を取り入れた初期らしく、笑いなどはあまりなくてごくストイックに長い物語を濃縮して語るという語り口。いくつものものがたりを描くが為に点描的なぶつ切りを感じるところもあるのだけど、見終わって、googleで検索しながらつらつら筋書き(たとえばここ)を読んでみたりすると、エッセンスをこのコンパクトな中に絶妙に詰め込んでいることに今さらながら驚かされます。

女性を切り口にした三本。裏切られ、それでも深い想いが結実した奇跡は、もとの物語を知らないで観たあたしには、ベタではあるとは思いますが、物語の面白さがアタシを掴んで離しません。

けっこうな人数が出ている今作においてはレッドシアターという舞台は狭くも感じる反面、それぞれのシーンの人数はすくなく、四畳半という手法にとっては舞台の一部で芝居をしているという印象もあったりします。でもバランスはいいかな、とも思うのです。

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2007.10.25

リニューアル。

ことあるごとに書いてる、CoRich舞台芸術がリニューアル。地域の切り替えタブや、UIの大枠は変えないながらも、細かく手が入っていて安心して使えるようになっています。

いろんな施策が功を奏して認知度は上がっているようですが、それでも公演情報を登録するのは、CoRichの事務局、という公演が多いのは、web2.0(気がついたら手垢の付いた言葉だなぁ)的でなくて、ちょっと残念。雑誌の編集室に売り込みに行くのと同じように、公演情報を載せる、ということを主宰でも役者でも制作でも、やらないと勿体ないのです。雑誌とかチケット販売業者のところだと、自分たちの言葉を編集に阻まれて伝わらないかもしれないけれど、よりコントロール出来る形で露出できる場所というのは重要だと思います。劇団webだと、知ってる人しかこないしね。

名の知れた劇団も、もっと広げられる場所だとおもうのですが。

CoRich舞台芸術も、気がつけばあと一ヶ月で一周年。今年はまるまる一年のデータが揃っているわけです。投票式のベストワンとか、レビュー数での順位とかも出来そうで楽しみです。

週末。

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2007.10.22

【芝居】「月並みなはなし」時間堂

2007.10.21 19:00

3年前初演を再演。1800円のシネマプライスのシリーズとして時間堂が行っている公演の一本。脚本の若さも残りますが演劇としての楽しさも溢れる105分。28日まで王子小劇場。当初のチラシに休演日が追加されて24-25日の二日間が休演になっています。終演後のトークショーが火曜日まであります。

月移民を選ぶ国家プロジェクト。大人数の選考が行われていて、選考終盤ではグループに分け、そのグループ単位での選考を行っている。そこで落選したグループの残念会に集まる人々。
そこに役人が現れ、欠員が出たので再度選ぶことになったので代表を自分たちで一人選ぶように申し渡す。

L字に囲んだ客席、舞台が一番低い構造は、人々の何かの過程を観客が観察している感じがします。一人を選ぶ、というのは畑澤聖悟の作(1,2)にシチュエーションとしては近いもの。が、終幕の感じはずいぶん異なります。

仲間たちを一人づつ落としていく、TVバラエティのサバイバー的なルール。互選というか「互落」の過程。選ぶ理由は理不尽だし、そもそもこんな選ばせ方をするというのも理不尽。人生ってのはそういうものだよなぁと思ってしまうのはアタシが何かに疲れてるのかもしれません。

軽い会話、クスリとさせる笑いもありますが、終盤にかけて静かになっていく感じがあります。ダブルキャストにすることで芝居の見た目が変わるところが結構あるようですが。

理詰めでみようとすると、腑に落ちないことはいっぱいあります。こんなに大変なことを決める過程に、今日初めてあった彼女も同じ一票にすることに納得できるかしら、とか、こんな理不尽な形で選ばせる理由はなぜなのだろうとか。

理不尽な選ばせかた、という点についてはアタシの友人の考えをきいたのですが、それは腑に落ちる感じがしましたが、あくまでも想像の域を出ません。役人が終幕でその理由らしきことをいいますが、文面通りだとは思えません。物語の上では本当の理由を登場人物たちには必ずしも知らせるべきではありませんが、観客としては、わけわからないまま放り出されるよりは何か道筋をつけて欲しいとも思うのです。トークショーで解説するというのも一つの方法かも知れません。

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【芝居】「ツーアウト」自転車キンクリートSTORE

2007.10.21 19:00

自転車キンクリートの飯島早苗のテキストも久しぶり、演出も彼女の手によるというのはアタシの記憶では初めて。ユルユルさも含めて楽しむのが吉の110分。28日までTHEATER/TOPS。

川原の休日、草野球のベンチ、攻撃の回に残る監督とスコアラー。一回の裏からやらっれぱなしだが、監督もまるでやる気がない。妻が朝から家出してしまったのだという。監督を訪ねて来る若い女、若い男。そしてユニホームの違う男も現れて。

ヘタレ草野球チームのベンチ、守備で人が少ない時を舞台に「隙間の時間」に見えてくる、「人生のツーアウトどん詰まり」の男の話。他の人物もそれぞれにどん詰まり感はあるけれど、まあ樋渡真司の演じる監督が話の軸になります。たしかに野球の描写はかなり薄くて、試合そのものは刺身のツマ、スパイスぐらいの効き具合。 それでも、その場所から離れられないリアルを持たせたり、会話をしていても試合次第でわりと寸断されぶつ切りにされる場所を作り出すために、かなり細かく音声を入れていたりして、狭い劇場の中で草野球のベンチ感とでもいうものは良く出ています。

見せ方という点では、演出に慣れがない感じは確かにあります。役者のキャラクタに頼ったドタバタやある種の泣かせをしている感じもします。反面、2週間の公演期間の中で進歩していきそうな感じも受けます。

アタシが好きなタイプの芝居である「トランクス」やら「休むに似たり」など作家や役者の年齢なりの地に足をつけたリアルタイム感をもって描かれる飯島早苗が得意とする方向のひとつの形だとも思うのです。ついに受験期の息子なんてのが出てくるってのは、自分も含めて歳取ったなあとも思うのです。終演後に聞こえてきた観客の話し声のなかに「自分の息子に重なって切実に見えた」ってのがあって、ああ、そうなのだなあと思うのです。

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2007.10.21

【芝居】「トワイライト王女」天然スパイラル

2007.10.20 19:00

三鷹の若手劇団シリーズNextの最後を飾る天然スパイラルはポップだけど骨太なファンタジーをしっかり。120分、21日まで三鷹市芸術劇場星のホール。

代々女王が支配してきた国の王女。19歳の誕生日に魔女の呪いをかけられてしまう。ため息に毒が含まれるその呪いを解くには、うっそうとした森の中に住んでいる四人のうち呪いをかけた魔女を見つける必要があるという。森に向かう王女と付き人たちは森に住む人々に見つかってしまう。

王制だの魔女だの森だのと、シェイクスピア風味ともいえる枠組み。そこに現代的な小さなギャグをはさみながらも、森の中で暮らす貧しいものたちの中でも健気に前向きに生きる女たち。アルコール依存やDV、介護なども織り交ぜて描くのです。一方で王女として生まれてきて国を背負うことへの決意を描くことで物語は俄然深みと骨太さをもちます。

空間を埋めることの難しいこの劇場に対して彼女たちが選んだのは正面突破でした。舞台の上方を大規模な吊り装置で埋めたり、舞台を何段かにすることで、空間のスカスカを全く感じさせなかったのです。細かくみればもちろん値段なりのセットですが、パルコ劇場にでもかかるんじゃないかと思わせるような、力強い仕上がりなのです。

いくつか挟まれるダンスシーンも、踊り手のバリエーションが細かく行き届いていて、しっかりと見せ続けます。若手をピックアップするこのシリーズのなかでは子どもでも年寄りでも「普通におもしろいもの」という間口の広さと同時に、ほろ苦さも、社会に対する厳しい視線もきちんと持ち合わせる作家の力を感じるのです。一方で、微妙にヤンキー臭い台詞の力とか、時事ネタなどを使いながら笑わせるテンションの強弱もしっかり。

もっとも、名作というのとはちょっと違います。茶化すというのとはちょっと違う、ええと、深い愛情ゆえに笑いにしてしまうというか。たとえば、エンディングの曲は恥ずかしいほど真っ直ぐに見せてるけど、ちゃんと作ることで恥ずかしさを笑いに転化させていると思うのです。芝居自体に酔うことなく、どこか醒めた視点をちゃんと持ってるから、それが単に恥ずかしいものにならなくて、アタシには楽しめるのです。

武藤心平は序盤の舞台を暖める気の弱い王を好演。主役の王女を演じた真白ふありは、上品さと心の強さを兼ね備えながら凛とした美しさ、何より圧倒的に通る声、元タカラジェンヌというのも頷けるのです。梨澤慧以子のあけすけな貴族と純真な子どものキャラクタ。千葉おもちゃ・金房実香・中塚未乃の男装の麗人も楽しい。

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【芝居】「15minutes made vol.2」

2007.10.20 14:00

Mrs.fictionsがホストとなって開催している15分ずつのショーケース企画。21日までザムザ阿佐谷。休憩込みで130分。終演後に面会時間+トークショーで構成する「おわりの会」も設定、+30分ほど。

●虎のこ「三途野川の手前で」
死んだまま迷って待ち続ける男、通りがった男それぞれの想い。

二人の男の逡巡。特に今通りかかったほうのスーツ姿の男の方に軸足があります。徐々に見える彼らの拝啓、「生き返る」ことができるかもしれないという気持ちと、その困難さと乗り越える気持ち。わりといい話を淡々とやろうとしているということはわかります。王道な話を王道にこなすには少々物足りない感じの役者、セミという特別な存在を話に持ち出していながらも、それがあまり効果的に生きてこないもどかしさもあって、単にローテンションなまま続く芝居担ってしまっている印象があってもったいない。

●多少婦人「嘘→lie」
小学校時代の同窓会、通りがかった女が同級生だと名乗るが記憶がない、が、調子を合わせているうちに。

自分は覚えていないのに相手は覚えていて、正直に告白できないままに話が転がっていってしまったという気まずさが複数に連鎖。誰にでもあるその気まずさは実感があって、地に足がついた感じ。前半はそれを「心の声」を録音で聞かせるという古典的と云うよりは古くさくすら感じてしまいます。後半はその「場に」応じた「人の配列」が会話に影響を与えると云いだし、Tシャツに欠かれたアルファベットの順列でいろんな単語を作り出して場を作らせようとするアイディア。このワン・アイディアはそこそこにおもしろいのです。でも、もっとできる可能性がと思うのだけど、暗転中で単語作ってみたり、あまり単語が広がらなかったりと、徹底していない感じで冗長な感じが勿体ない。

●ろりえ「アイスコーヒー」
喫茶店で待ち合わせする女二人、嘘だったり笑いあったり。

女二人の会話、意味なんかなにもわからなくてもぼおっと観ているだけで楽しいというのはアタシがおやじだからですかそうですか。まるでかみ合わないように見える、不条理劇かと思う展開。暗転あとの展開も実はよくわからないというよりは訳わからない感じがします。それでも、アタシは舞台から目が離せないということが起きるのです。もちろん綺麗な女優が二人舞台にいるということによる部分もアタシ的には大きいのだけど、それだけでなく、かみ合わない会話が実にリアルな口語劇になっている、というある種の衝撃をアタシは受けたのです。トークショーでの作家によれば、「女の子はかわいいよね」というところに立脚した視点だといいます。で、それを観たアタシもそう思うのです。ちょっとまた観てみたい感じ。

●圧力団体イクチヲステガ「『昇華』奔流の果て、静謐の畔」
閉じこめられた奴ら、扉が開いて出られる日を待っているが、その順番はなかなかこないうち、罵りあったり、誘ったり。

閉じこめられた人々、というある種のステロタイプな設定から始まり、仲間割れやら女が誘ってみることやらあるのだけど、それが実は別のものを表している、という展開。それ自体は期待させるものではあるのだけど、それを説明する録音の音声やダンスっぽいもので長い時間見せるというのは、それだけではオチとしては弱いものをさらに薄く冗長にみせてしまっている気がします。

●M.O.E.Project「天使のオシゴト」
ある日部屋にメイド姿の女が現れた。魔法学校の卒業試験のため、男を幸せにする必要があるのだという。萌えキャラ好きな男はぞっこんだが、幼なじみの女の気持ちには気づいていない。

萌えを正面切って取り上げる、というのは今更感も漂ったりしますが、腹は据わっているとも思います。トークショーで見せていた感じでは、これが萌えアイテムだよね、ということに関心があるだろう作家の視点にはぶれがない感じがあります。反面これを感動に結びつけたいのか、それとも笑いに結びつけたいのか、という着地点がいまひとつみえてこないのです。どちらにしても、その現象を醒めた目で観て、笑い飛ばせるような視点を作家が持って欲しいとアタシは思うのです。その冷静さを持つことができれば、「ヒーロー物の発砲B-ZIN」と同様の「萌にはMOE」の可能すらあると思うのです。

●柿食う客「傷は浅いぞ」(未放送版) 芸能界を干されかけているアイドル。最後に来たオファーは、過酷な試練のあまり挑戦者が皆引退してしまうというアイドルの過酷なゲームバラエティだった。

気がつけばここだけが圧倒的なテンションと、スピード感のある芝居。つか芝居っぽさのかっこよさもあってアタシは結構好きなのです。最後に設定された食材の謎は、想像するとかなり気持ち悪くて客席が引いていくのがわかります。それでも、その後にちゃんと引っ張る力。テンションで押し切ろうという心意気があたしは好きなのです。

●Mrs.fictions「秋にまたない」
突然消えてしまった女友達が残した手紙を支えにして、毎年集まり続ける男友達たち。もう期待しないという気持ちと、まだ待ちたい気持ちと

前回とはうってかわっての、静かな会話劇。待っているのが男たちというのが時代の気分を反映ししていて、固執するのが男というのもよくあっています。待ち続ける気持ちの減り方に偏りが出てくるところ、それでもそこから去ることができない気持ちはある種のゴドー待ちとういう気もします。

終演後に住宅地である外で面会をさせないためか、劇場内にとどまらせるような「おわりの会」を設定。前回のグタグダな感じに比べると格段に進歩していて、面会の時間と、トークの時間をはっきりわけていて、どちらも意味のある形になっています。

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2007.10.19

働く。

仕事を止めようとは思わないけど、遊ぶ方が楽しいなとか、酒うまいなとか、ついつい流されてしまうのですが。ちゃんとやれば、回るものなのになぁと実感したり。もうひと頑張りしますか。

テレビドラマの改編の季節。全部を見たりはしないのだけど、小劇場役者がやけに多い「ジョシデカ」、仲間由紀恵はみたいけどなぁ。原作の漫画が好きな「働きマン」は独り言をカメラ目線で語らせるというドラマにあるまじき演出手法がアタシを見続けさせるのです。

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2007.10.16

【芝居】「TOKYO SCAPE WORKSHOP発表会」

2007.10.14 18:00

去年の夏に京都で行われたTOKYO SCAPEの作演による短期ワークショップの成果報告としての発表会。岸田國士の「紙風船」を題材に、 内藤達也(bird's-eye view)、詩森ろば(風琴工房)、明神慈(歩かリン記憶舎)、夏井孝裕(reset-N)の4人が演出。全体で約100分。森下スタジオでの発表は終了。


内藤クラス

日曜日、新婚のカップル、甘い空気ではあっても、気持ちがすれ違ったり、外に出たいとか面倒だと思ったりするカップル。携帯で会話をする、それはしゃべらない訳ではなくて、サイドバンドの会話としての効果は絶大なのです。25分。

たぶん普段使っている「生きている」携帯電話でメールを送りあうことで会話を薦めます。本文打ってるわけではないでしょうが、微妙な遅れ感もあってリアルです。もっとも、外界とつながっている機械を舞台にばらまくというのはかなり冒険で、この発表でも多分意図しないまま、電話が鳴り続けたりもしました。街頭劇だとか、電話で出前を呼ぶ芝居ってのもあるわけで、外乱を巧く取り入れることが出来れば面白いかも知れません。

二人組が互いに「〜して」と頼んで仕事を押しつけ合う、バーズ的なフォーマットも健在で、活動していない彼らの手法を久し振りにみるのも楽しかったり。


詩森クラス

全編だと25分の原作を15分に短縮しての上演。次々と入れ替わる六組の夫婦が、語り続ける形式ということを除けば、しかし、これが一番スタンダードな仕上がり。このバラエティならば、まず最初にこれを見せる構成だった方が良かった気がします。

アシスタントであるはずの笹野鈴々音の妻ってのが圧巻で、パワフルに場をさらってしまうのはワークショップとしてはどうなんだろうとも思いますが、アタシは十分に楽しい。


明神クラス

抜き出した台詞を、ポかリン風味の「印象」な芝居に。ダブダブなズボンをもって歩いてくる冒頭、男5人が横に並んでズボンの中を覗き合うってのがちょっと可笑しい。男女を5人ずつ、まるで武道の団体戦のようにつぎつぎと対峙したり、相手が云った言葉に内心舌打ちしたりため息ついたりすることを強調してるような印象があるのも、男女の一種のすれ違いを描くこのホンにはよくあっている感じがします。


夏井クラス

紙風船からいくつかの台詞を抜き出しながらも、バスジャックや、工場のベルトコンベアなどと全く別の無言劇シーンのおしまいにその台詞を付ける、という手法で爆笑をさらう。もちろん詩森クラスのスタンダードがあるから、それを足がかりにして大きな力を生み出しているという、ある種卑怯な技ではあるのですが。スタイリッシュな印象が強いアタシにとってのreset-Nよりは、アタシはこういう笑いのあるのが好きだなぁ。

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2007.10.15

【芝居】「雨の一瞬前」ユニークポイント

2007.10.14 15:00

ユニークポイントの新作は、太平洋戦争中の東京の古い旅館を舞台に当時の朝鮮人と日本人との関わりを描く90分、14日までシアターグリーンBox in Boxシアター。

戦争も末期になり、本郷近くの古い旅館。両親が亡くなり姉妹で引き継いだものの、時節柄営業もできず休止している。姉は毎日の手入れを欠かさず再開の日を待ち、妹は軍需工場へ働きに行く。姉には近所の傷痍軍人が言い寄ってきたりする。ある日、脱走した朝鮮人の男たちが二人けがをして訪れる。

そこにあった差別というか恐れや深い恨みの、ある視点ではきっとあったであろう感情をあぶり出すような構成。特定の史実をとりあげているわけではないようで、作家の創作なのでしょう。

全体に隙がなく作られています。傷痍軍人が殺されることで、この旅館の中で共生する関係が生まれるというのは「なぜ行かないのか、行かせないのか」ということに一定の理由付けをしています。姉の同級生とその連れという二人を登場させることで綻びの端緒をつくり、作家の想いのようなものを語らせる場もつくります。

それでもアタシに腑に落ちないことはいくつかあるです。同級生が連れてきた傷痍軍人の妻、明らかに常軌を逸している彼女を知り合いでもないのに連れてきたのはどうしてだろう、きっかけは何だろうとか、その彼女は(一応の説明はしているにせよ)軍医を見かけて声をかけるには関係が薄いのではないかと思ったり。あるいは姉が旅館再開にかける想いが、アタシには少々ぶれます。当初の印象は理由付けだけかと思ったのだけど、心底そう思っているようで。

韓国人の俳優を招くことでの言葉の音に確かな感じ。主役の姉を演じた洪明花が翻訳を行っているという劇団としての力を感じます。

セットは美しく上品な日本家屋という雰囲気によくあっています。イデオロギーとしてはいろいろありましょうが、局地的にはあっただろうと想いを馳せることは重要だと思うのです。

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2007.10.13

【芝居】「向島の音楽が聴こえてくる-日蔽-」トリのマーク(通称)

2007.10.13 18:00

向島で一年間住みながら作品を作るプロジェクトの一区切り、彼らのアートは続きます。13日、14日の二回公演、向島百花園の中の御成座敷、40分。

毎日来るおじさん、百花園で語られた百物語、鳩の街商店街にあった薬局の話、謎の大音響、下町の話、おみこし。

街の音をテーマに、とはいいながら、拠点となっている「こぐま」に来る人々の日常の会話、近所に住んでいるから話してくるだろう昔の話などを点描。ひとつの物語を期待すると少々肩すかしを食らいますが、場所の言葉を聞く彼らの得意な手法のひとつを少し懐かしい気持ちで見ていたり。アタシはしらない近所の人々を戯画的に描くのもちょっと楽しい。

彼らを見続けている(といっても、「こぐま」にはあまり行けていませんが)アタシには、彼らのもつ想いや蓄積が見えてきて、見た目以上にアタシに力をもって見えてきます。この場所を芝居で使えるということも奇跡的です。が、正直な話、これが初見だったら、あるいは芝居を見慣れない街の人にとってどうみえるかな、とも思うのです。

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【芝居】「 マシュマロ・ホイップ・パンク・ロック」MCR

2007.10.13

MCRの久しぶりの本公演、客演てんこもりの二本立て。大人の為の「転校生」な風味。14日までザ・ポケット。100分とアナウンスされましたが、満員の客席で10分押しの土曜日昼。

予期しない突然のタイミングで強烈な快感や痛みが襲ってくる謎の症状で医者に診てもらった男。その原因はわからなかったが手遅れの難病を宣告される。が、そのことを彼女や弟に打ち明けることができない。彼女と訪れた喫茶店で男は自分の奇病の原因をつかむ。

心配かけることをよしとしないから大切な人にこそ打ち明けられないというどこかいい話をベースとしながら、下世話なハウトゥものでまことしやかに語られる、快感の男女差の話が貫く話。男は一瞬の頂点のために、女は永く持続する強烈な感覚、というほんとかどうかわからないある種の俗説を「オレがあいつで、あいつがオレで」というフォーマットの中で笑わせる流れに。

女の懐深さや男の自己中な感覚をうまく取り入れて、恋愛の現場を描かせたらさすがのチカラだなあと思うのです。弟と恋人のカップル、二人の劣等感てんこもり女と、クサイ台詞でもさらり云ってしまう男の会話の軽妙さも楽しい。下品さはあるけれど、男女の視点のズレを感じることが多いこのタイプの芝居なのだけど、少なくともアタシにはあまり違和感はない感じで楽しめる一本なのです。

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【芝居】「Caesiumberry Jam」DULL-COLORED POP

2007.10.12 20:00

劇団名にポップ、と入っているからポップだと思いこんでいたら、怒りを静かに語ろうとしています。アタシは初見。120分、15日までタイニイアリス。

カメラマンが昔取材した村の事を語る。ロシアにあるその村は、住民が出ていったが、戻ってくる人々も居て。

ネタバレかも。

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2007.10.10

年末のあしおと。

10月にもなると、芝居の方では年末興業のチケットがそろそろ出始めてます。前売り派ではないけれど、大劇場・中劇場クラスでも面白そうだと思うのが目白押しな感じで、週末がー。

フジテレビが年末年始に行う「お台場SHOW-GEKI城」(狙ったのかどうか、疑うようなセンスのネーミングですが)へ、CoRich枠から出ていく8団体が発表されました。これにフジテレビの推薦枠を足した団体でショーをする、とのことです。今回はオリジナル70分のホンで。去年(をを、フルキャストグループの提供だったのか)見なかったけど、お台場で凍えながら見に行くってのもアリはありかもしれません。

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2007.10.09

【芝居】「犯さん哉」キューブ

2007.10.8 18:00

ケラリーノ・サンドロヴィッチ×古田新太、という触れ込み。130分間ほとんど意味のない、しかし笑わせるし、役者の瞬発力とか、馬鹿馬鹿しさで楽しませる力は確かです。28日までパルコ劇場(当日券もあるようです)。そのあと大阪(ドラマシティ)。

古田新太、という作家の物語。貧乏な少年時代に志したり(14歳)、出世したり(34歳)。

でたらめ、というのを即興でやるということは難しいと思うのです。ちゃんと話のあるものを即興で台詞にする(今日の昼)というものか、でたらめを訓練して作り出すか(今作)という方法しかない気がします。ナンセンスの旗手であるケラの書くもののでたらめさ加減の凄さってのはあって、意味のないものを繋げて飽きさせずに見せ続ける力。もちろん役者にもスキはなくて。

譲っていただいたチケットが最前列中央ってやつで、役者の瞬発力を堪能。古田新太のほぼ 裸体ってもあるのですが、顔の皺が気になったり、自分のことを棚に上げて太った(一時期よりは減ってるようですが)なぁとか思ったりしながら、ほぼ出ずっぱり(しかも二回公演だ)というのも凄いと思うのです。

瞬発力と言えば、後半に出てくる、即興はちょっと面白い。どこまで段取られているか、毎日違うものになってるかはわかりません。

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【芝居】「ミラー」jorro

2007.10.8 13:00

ポツドール系、と評されるjorroの新作。アタシは劇団初見です。95分、王子小劇場。公演は終了。

女の部屋、福島に戻る男の送別会をするための友人たちのバカ騒ぎのパーティー。あるいは合コン後に来る何人か、同棲男との大喧嘩、妹の抱えた問題の相談、そしてまた別の送別会。

当日パンフによれば、状況や流れをを設定した中で役者たちが考えて台詞を組み立てていて、ほぼアドリブなのだといいます。段取りがきまっているものはアドリブではないだろうとは思いますが、それでも自然な流れの会話がとぎれなく続くのはたいしたものだと思うのです。ギターをいれているのは大した発明でテンションも上がるし、リズムがあるのです。

宴会というかパーティの賑やかさがあったその部屋で静かに深刻な話があったりするのを静かに定点カメラのようにひたすら描写していきます。アタシの好みからするともっと物語がほしくなりそうなものですし、ポツドールのような暴力や性描写などないのだけど、あたしはかなり好きなのです。この会話のテンションの強弱がいいのです。

パーティが序盤と終盤に配されていたり、空気の全く読めない男がいたり、大昔にその部屋で起きた喧嘩が描写されたり元カレの面倒くささが見えたり。時間を俯瞰するかのように見えてくるのが好きなのです。終幕の静かなシーン、空気の読めない男が何もかも受け入れて、というか聞き流すことの静かさのシーンが好きなのです。

時間の前後関係を類推しながら見る芝居ってのは、好きなのだなぁ。あたし。

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2007.10.08

【芝居】「キャバレー」パルコ劇場

2007.10.7 17:30

映画やブロードウェイミュージカルとしても有名な作品に松尾スズキの手を加えた評判作。15分の休憩を挟んで165分。21日まで青山劇場。

ナチス台頭直前のベルリン。駆け出しアメリカ人作家が次作の題材を求めて訪れ、列車で出会ったドイツ人の紹介で老女が営む安い下宿を借りる。キャバレー「キット・カット・クラブ」を訪れた作家は店の歌姫に目を奪われる。その夜、歌姫は作家の家に転がり込んで来る。その恋と時を同じくして下宿の家主もユダヤ人の果物商のプロポーズを受けるが...

恥ずかしい話なのですが、開演10分ぐらいまでの間、やはりミュージカルの「シカゴ」と完全に勘違いしていました。とはいえまあ、退廃的で爛熟した大人の場所を舞台にしているという点では同じところもあって。

爛熟した時代の空気を描く前半。ドイツという場所はそのままにしているものの、日本向けの笑いの方向にそこかしこに手を加えている感じはします。歌詞にしても、わりとこなれた言葉で作り込まれていて、キャバレーという場所を設定しているおかげでミュージカルの違和感も少なめです。前半の方に重点はあるようで、後半のメッセージ性の強い部分はごくあっさりとしている感じもします。それでも、政治への無関心が時代を暗闇に向かわせてしまったり、あるいは美しいという耳に心地よい言葉の胡散臭さなんてものも見え隠れして、毒は感じさせてもらえます。

アタシはハーケンクロイツが出てきて、少々コミカルに見えるシーンでは、コミカルな者にハーケンクロイツ、というとらえ方をして、どうしても笑いが引きつるのだけど、過剰反応ですかね。わりと客席は普通に受けているのが、アタシの違和感。

MCを演じた阿部サダヲはあっというまに客席を暖める凄さがやはり、こういう物語を背負うのとは別のところを持つと実に強い。松雪泰子はおもったよりはずっと魅力的なヒロインですが、このキャストの中だと立場はつらいかも。森山未來はスーツ姿に実に大人を感じていて魅力があります。平岩紙の力強さにびっくり。小松和重の自由さは強い。

映画も今までの舞台化も見ていないのだけど、楽しめる作りになっているのはまちがいありません。とはいえ、それが12000円となるとまた複雑な気持ちでもあるのですが。

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2007.10.07

【芝居】「もういちどスプーンを曲げよ」タカハ劇団

2007.10.7 14:00

旗揚げ三本目にして次回は学外進出のタカハ劇団の新作。90分。10日まで早稲田どらま館。

アパートで一人暮らししていた男が失踪して一ヶ月。不動産会社からの依頼で二十年も会っていなかった妹たちが引き払いに来ているが、それを制止しようと警官が来る。男が失踪した日に起きた事故に関係しているのではないかという密告受けて状況保全のためにきたのだが...

ネタバレかも。

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【パフォーマンス】「恥御殿」恥御殿

2007.10.6 19:00

女優・中里順子のセレクトショーのための企画公演ユニット。アタシは初見です。映画、芝居、レビューを休憩を挟みながら90分。8日までMatching hole。

夫婦仲の冷えた家の庭に妻は懸命に花の種をまく「カンノウの庭」(映画)。のどが渇いたとやってきた女にふともらしたひとことが「東京のラクダ」(芝居)。中里順子のレビューショーの構成。

壁一面にジャンキーなものが溢れている感じの喫茶店という風情の店。こんな機会でもないと絶対に見付からないよなぁ、てな感じ。小さな店で全体はフラット。椅子は一応並べられていますが、映画、芝居、レビューとスクリーンやアクティングエリアはそのたびに変化し、座席を移動しながらみることになります。最初の席は映画用。芝居の方はスクリーンと対面の壁側の中央+床付近がアクティングエリア。レビューは店の一番奥、「Maching Mole」と書いてある梁から奥がアクティングエリアになります。酒を含むドリンクを見ながらの観劇。床芝居が多く、芝居の時はともかく人の影にならないところを狙いましょう。

映画は不思議な雰囲気ではあるけど、むせかえる「カンノウ」さ加減が溢れる感じでその微妙な下世話さ加減が面白い。

芝居「東京のラクダ」は、不条理の様相を呈した話で、実際の所分け判らない感じではあるのだけど、俳優たちの捨て身に近い芝居も含めた面白さがあります。

レビューは、昭和ムード歌謡風とか、アイドル風とか、オペラ座の怪人的ミュージカル風とか。パフォーマーとしての中里順子の強みというか興味はここが一番強いようで、時間もかなり長めで、しかもおなかいっぱい。二人のバックダンサーも笑いを取るところも含め魅力的です。よさげな音楽も結構あって、セットリストが欲しいなぁと思いつつも、まあ難しいかな。

スペシャルシークレットゲストが設定されていて、こちらもかなり秘密兵器的な破壊力。

レビューに関して言うと、曲ごとの拍手があったほうが雰囲気にはよくあってるし盛り上がる気がするのだけど、小劇場に慣れたアタシは、そのタイミングがつかめません。いわゆる「拍手待ち」とまではいいませんが、拍手しどころのようなものを入れる工夫が欲しいところ。

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【芝居】「演劇LOVE『3人いる!』」東京デスロック

2007.10.6 17:00

東京デスロックの企画公演。芝居ならではの嘘が楽しい60分。10日までリトルモア地下。アタシは知らなかったのですが、こまばアゴラ劇場支援会員の対象公演でした。うあー、無駄遣いした...

家に戻ったら、知らない奴が家に居て、奴は俺だと名乗のる。どうしても納得できない俺は友人の家へそいつを連れて行く。

一人の人格が二人に別れて見える、しかもそれは本人だけに別れて見え、他人からは一人でしゃべっているだけに見えるという基本的なルール。三人の役者が最終的には三人を演じてはいるのですが、役が固定せずというよりは配役がダイナミックに変化して面白いのです。まったく違う役者が同一人物を絵演じるということを画像合成などを使えないリアルの演劇の中で見せると言うことは制約ともいえますが、それを逆手にとって、その役の描写を微妙に変えていくことがびっくりするぐらいの効果を生んでいます。

最初は一人が二人に分化するのをしばらく見せています。コミカルでおもしろい見せ方なのだけど、すこしばかり長く感じさせるぐらいに、しつこくくりかえします。中盤、二人に分化した男がどちらが本物かをたしかめさせようと友人の家を訪ねるあたりから、人格がさまざまな役者に組み合わされていきます。それはまるで序盤のゆるやかなパスまわしから急激にスピード感あふれる攻撃に移ったかのような鮮やかさがあるのです。

正直なはなし、めまぐるしく切り替わる役をみるうち、少々頭の中はぐるぐるとしてしまいます。そういう場合は細かなところにとらわれず、アウトラインとして観るのが吉。めまぐるしく代わってることさえ認識できていれば、ちゃんと楽しめる懐の深さもあります。

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【芝居】「演劇LOVE『社会』」東京デスロック

2007.10.6 14:00

東京デスロックの企画公演。書かれた時期からすると一番古い話。60分、追加公演ありで10日までリトルモア地下。当初初日だけの予定だった作品解説が6,7,10日にも追加設定されています。

雑誌社の休憩室。昼休みの後半の時間。雑誌読んだり、お茶飲んだり、たばこ吸ったり、携帯打ったり。気に入らない同僚の陰口があったり、昨日の飲み会での余韻の話があったり、新しい派遣社員がいたり、久しぶりの再会があったりしながら...

昨日みた新作と比べると、実にスタンダードで、会話の中で情報の偏り(誰が知っていて誰が知らない)を緻密に濃密に組み合わせた60分は、実にスタンダードで素直に作られています。それでいてちゃんとおもしろい。たった数年でここから昨日の芝居に変化した彼らの変化の早さに驚きます。

情報の偏りが生む、誤解が一挙に開花する瞬間があって、演劇的な派手さがちょっとあって、観ている側も話の起伏を感じられて面白い感じ。その意味でもスタンダードさがあって見やすいのです。

本作に関して云えば、会話の中で関係が浮かび上がってくる過程のおもしろさがあります。時間の短さもあって、この構造のまま、シチュエーションを変えて、大学とか高校の中での友人たちの会話に切り替えると、とてもいい高校エンゲキの芝居になりそうなんだけどなぁ、と思うぐらい。

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2007.10.06

【芝居】「演劇LOVE〜『LOVE』」東京デスロック

2007.10.5 20:00

東京デスロックの歴史をたどる60分の芝居を3本連続上演する企画、新作となる一本。追加公演が入り10日まで原宿・リトルモア地下。

物語は明確に示されません。前半はほぼ言葉すらなく、徐々に舞台に出てくる人々、一人が二人、二人が三人というながれのうち関係のようなものが出来上がる過程。強烈な音楽の洪水の中で徐々に踊り始める彼女たちは、やがて爛漫とピークに達し、あるきっかけが、そのコミュニティーから笑顔を奪う。再び鳴り出した音楽にも前のようにはグルーヴにならない。一人の男が現れ、彼女たちはまったく違う顔を見せる。

愛情を描く演劇なのだといいます。当日パンフによれば、観客にはイマジネーションが求められるが無限の広がりがあるということなのでしょう。芝居としてみると、あたしはイマジネーションにゆだねられるよりは揺るぎない物語が欲しいと個人的に思います。

が、60分の時間、全体としてみればアタシは思ったよりも飽きずに観られたとも思うのです。 関係の出来る過程や、喧嘩している女たちが男が現れることで、「見られることを意識して」仲良く見えるよう関係を作り出すこと、あるいはそのあとしばらく続く、まるで合コンかのような頻繁だけど溝の埋まらない会話のあたりは面白い。

もっとも、明確に物語は示されませんから、これはアタシが感じたもので、人それぞれに違うし、観客が積極的に、多分な思いこみも入れて見なければ行けないとは思います。そういう意味ではアタシにとってはダンスや無言劇に近い、良くも悪くもアートな感じを受けます。

女優たちがめいっぱいの汗をかき、上気した顔色と強い照明で光る瞳は確かに美しい。が、それは状況を描写し、印象として削りだした美しい断片であって、物語ではないのです。作家の目に見えている世界の地層断面ではあっても、あたしがエンゲキにloveであるところの、物語がアタシは欲しいとも思うのです。

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2007.10.03

風邪は早めに。

昨日の夜から喉は痛かったのだけど、まあ、案の定。会社に行こうと思えば行けたけど、明日病院休みだしなぁ、で、かかりつけに。早めなので熱が出る前にクスリで。まあ、ぼちぼち。

三連休なのになぁ。

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2007.10.01

【芝居】「過剰サスペンス劇場「家政婦はいた」」マダマダムーンプロデュース

2007.9.30 19:00

危婦人の制作団体であるマダマダムーンのプロデュース公演。10月1日まで、サンモールスタジオ。110分。

妻が働き、夫が専業主夫の家庭。それぞれの連れ子。夫の娘は引きこもっていて出てくると苦しみ。妻の娘は美人なのにおもしろいことに拘ってしまう。寒々とした家庭に嫌気がさした夫は、ある日無料お試しの家政婦を1週間頼むことにする。さまざまな問題を抱え込む家庭を前に、家政婦は「家族会議」を提案して...

家族の話を発端にしてたった5人の舞台。気持ちの奥底で説明が付かない鬱屈をあからさまに語ろうとするやりかたで家族の物語を紡ごうとする大筋なのだけど、終盤ではコンゲームのようにひっくり返りまくっています。それは物量戦とすら感じるのです。

プロデュース公演らしく、役者の力は何の不安もありません。少ない人数ゆえに役者の力が如実にでるのですが、すべてを作り物として見えるようにしていることもあって、ダメという役者がいないのは安心感。家政婦を演じた丹野晶子の棒読み的キャラすら、物語全体の中に、作り物的に作り込まれています。

チラシなどに発表されている「あらすじ」とは結構大きく違うものがたり。 全体のバランスの中で観ると、次女のキャラクタはお笑い好きの、人を疑わない、という以上には描かれていないのが少し物足りない感じがして勿体ない。かなりギリギリまで物語を追い込もうとしているのだということはよくわかります。

前半を引っ張るのは家政婦の云う「了解です、大丈夫です、あたしは家政婦ですから」という安請け合い加減が繰り返すうちに醸し出されるおもしろさ。

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【芝居】「すずらん通り数え歌」回転OZORA

2007.9.30 14:00

10周年を迎えたオゾラの新作。看板役者の一人が抜けたものの細やかに作り上げられた物語は健在。10月1日まで駅前劇場、110分。

古くからの商店街にある小さな花屋。父親なきあと娘と店員、バイトが切り盛りしている。緑の相談をやったり樹木医をめざしたりしているが、なかなか進まない。商店街の店も時代の流れに逆らえず、入れ替わりもあって。家を出ていた兄がリストラにあい、離婚されて居候として戻ってから一ヶ月、秋祭りのころに...

花屋を切り盛りする店長の女を軸に、その兄のリストラ話や商店街のさまざま。想いが届くとは限らないもどかしさを鉢植えを持ち込むさまざまな客を通して丁寧に積み重ねていきます。静かではあるものの、いい話を隅々まで細やかに誠実に。それは彼らが積み上げてきた劇団の姿にも、勝手に重ねてみてしまうアタシです。

確かに全体に確かに地味な仕上がりだということは否めません。特に、今藤洋子が圧倒を感じさせる部分、とくに笑いがからむと孤軍奮闘になってしまっている感じがあって、それに対峙できる役者が居ないように見えてしまいます。それゆえに今までの本公演のような形を望むと抜けた役者の穴は感じます。が、物語も芝居も丁寧なのは間違いないし、ちゃんとした仕上がり。

登場する人物たちは、「いい人ばかり」というのはともすれば薄っぺらと指摘されがちなのですが、あまり問題ではありません。キャバクラ嬢という一種のヒール役を置くことで、花好きばかりになるというアンバランスにも目を配っているのは見事。

報われないとわかっていてもそれを続けていくしかない想いや、それを横で見る兄の心境の変化が印象的。女性の恋心のようなものは少しだけ顔を見せるものの、それは主軸ではない感じ。モツ煮込みなど、伏線に見えてわりとほったらかしなところがあるのも勿体なく感じるのですが、まあ、大きな問題ではありません。

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