2007.5.5 15:00
青年団の代表作の一つ。色褪せないスンダードの強みを感じる105分。ほぼ一ヶ月のロングラン公演。14日までアゴラ劇場。
美術館のロビー。年に一度兄弟達で会食するために集まっている。今年は東京の美術館のコーヒーハウスで。そのために上京してきた長女。結婚しておらず、親と同居していて地方に暮らしている彼女は絵が好きで、集合時間よりも早く長男次男の妻と連れだって(ご指摘感謝)、食事をしたり美術館で絵を熱心に見ている。ヨーロッパで戦争が起き、避難措置で日本に美術作品が送られてきていて、滅多に見られない絵をみるチャンスでもあったのだ..
1994年の初演(未見)、あたし個人が見るのは、1998年のスズナリ、利賀、1999年の横浜美術館、2004年の若手公演に続いての4回目。アゴラでの再演も始めてとのことですので、アゴラでみるのはアタシにとっても初めての体験。
もう、何度見ても結局のところ、カメラを構えて「好きな部分を切り取る」ことを続ける長女と、もう来年は会えないかも知れない次男の妻との会話のものすごさに圧倒されるということに尽きてしまうのです。若手公演を除いて、あたしの見ている上演はいずれもこの二役を松田弘子・山村崇子にあてていて、この二人のもつ空気感に、いつも心が震えるのです。
13年前の初演ということは、それなりの年齢に当てて書いている筈だし、年齢にずいぶんと関係しそうな役の作られ方という気もするのだけど、社会情勢が変わったのか彼女たちが化け物なのか(失礼)、違和感ないどころか、ますますはまっていく感じすら受けるのです。
カメラだけはさすがに「デジカメ」に変わったりして時代を感じたりはしますが、まあ、レンズを使ったものには違いがないのであまり大きな問題ではないかもしれません。それよりも時代の流れに対して深刻なのは、待ち合わせのすれ違いの描写。これだけ待ち合わせのすれ違いがあっても、誰一人携帯電話を取り出さないのは書かれた時代を考えれば当然なのだけど、まあ、ちょっと違和感を感じないでもありません。美術館という場所の想定のおかげでギリギリあり得る感じもしますが。(でもロビーだし)。
上記二役に比べるとどうしてもアタシにとっては他の印象は薄くなりがちです。全体にオリジナルキャストに近い座組ですが。新しい配役の中で印象に残るのは学芸員を演じた大塚洋。オリジナルの志賀廣太郎の圧倒的な存在感を超えるところまではいきませんが、オリジナルとは少し違う方向を模索している感じはあって、その意味で印象に残ります。
とはいえ、ある意味、現代の日本における小劇場演劇のスタンダードの姿の一つであるのは間違いなくて、一度は見ておくべき、というタイプの芝居なのです。
大きなプラズマディスプレイを設置して、開場中は美術館のデジタルサイネージ(digital sinage)的な使い方で雰囲気を作りますが、上演中はここを使って8カ国語から選択した字幕上演をしています。(あたしの見た回は英語)。タイミングもばっちりで、2002年の欧州ツアー以降、6カ国語DVDなどの成果の集大成を十分に生かした上演なのですが、同時多発の会話となると、やはりちょっと厳しい感じがしないでもありません。
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