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2006.07.16

【芝居】プレビュー「無外流 津川吾郎」ハイバイ

2006.7.15 19:00

10月に10日間の公演を予定しているハイバイのプレビュー公演。約90分。

定年退職後に出会った老人・津川の凄みに魅せられて連れだってあちこちに行く男。二人で出かけた似つかわしくないカフェで出くわした修羅場のカップルに、男はなすすべが無かった。ふたたびその女に出会いうことを妄想する二人だったが、本当に出会ってしまう。家族ともろくに会話もない男の息子は演劇を志し、短編を書いたりしているが、その作品をテキストにした稽古場に...

大きくわけて4つの場面、何人かが繋がっている関係。老人二人(A,B,+I)、定年退職した男の家庭(B,C,d,+J)、修羅場のカップル(E,f)、劇団の稽古場(C,F,g,H)。カップルと家庭の情景だけは微妙にデフォルメはありながら、根っこの部分ではどこかにありそうなシーン。稽古場はこの二つのシーンを飲み込んでしまいながら、微妙な笑いを作り出す構成だと思います。

それなりの笑いは取っているし、緻密に丁寧に作られていることはよくわかります。今までの芝居もそうでした。見て楽しい芝居ではあるのだけど、これの見所を自分で腑に落ちさせることができずにいます。構造が面白いのか、あるいは個々の場面で出てくるずれが面白いのか。でも、本番もきっと見てしまいそうな気はします。

一つの場面で障害者を扱った場面がありますが、ここにあたしは違和感を感じます。妻(母)と夫(父)に心の傷を与え、母の強さと父の脆さを鮮やかに描く巧い場面ではあるのです。が、その災難をもたらすモンスターのような扱いがベースになってる気がしてならないのです。物語の構成上こういう特性の災難を起こすためにはこうするしかないこともよくわかりますし、現実にこういうことが起こりうるということもよくわかるのです。しかし、あたしはこの描き方に痛みを感じてなりません。
【追記】あたしのこの違和感をもっと、きちんと書いていらっしゃる 「小劇場系」さんのエントリも参照下さい。

小劇場の芝居ってのがどういうタイムスケールで作られるモノかよく知りません。プレビューとはいいながら一応に舞台はしつらえられていますし、緻密に作られていて反面、顔に皺をマジックで書いてるのはシャレなのか真剣なのか。彼らならこのまま舞台に乗せてしまいそうな気もします。通常プレビューは本番の直前にあるものですが、一応形になっているものがこの時点で存在し、あと2ヶ月以上の期間で、これがどう進化していくのかということに興味があります。

blog経由で今回のお知らせを頂きました。あたしのようなおちゃらけな書き手にも、企画概要書や劇団のプロフィールをpdfの形になったものを書類として送ってきたというのは今までに例がありません。ありがたいことです。

通常、web上に存在する芝居の感想は公演期間中に書かれることは少ないと思います。amazonのレビューなどのように、受け手の小さな感想を集客に結びつけるのは難しいのが現実です。それを変えようという意志を感じます。

今回の公演自体も、特定の書き手を集めただけでなく、劇団webで公募し、集めた感想を全てweb上で公開すると言うことを明言しています。普通の観客の細かな感想をくまなく拾い上げ、それをパブリケーションに生かせるだけの時間を取ろうとした戦略の結果が今回の2ヶ月前のプレビューに結実したのだと思います。この試みが、ネットと芝居の集客のあり方の一つの形になるのではないかと期待したりもします。まあ、全部が全部こうでなくてもいいとは思いますが。

ハイバイ 「無外流、津川吾郎」(プレビュー公演)
2006.7.14 - 7.15 ギャラリールデコ5
作・演出 岩井秀人
出演 金子岳憲 餅松亮 今井勝法(幹生) チャン・リーメイ 浜田信也(イキウメ) 岩井秀人 永井若葉(幹生) 松本裕亮 三浦俊輔 北村延子(蜻蛉玉) 

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