【芝居】「R.U.R. - a second presentation」shelf
2006.5.2 19:30
チェコの作家、カレル・チャペックの古典戯曲、「ロボット」(amazon)、shelfとしての再演。3日までシアタートラム。80分。
労働から人間を解放する発明、ロボットが普及して年月が経つうちに再生産の力が与えられなかったロボットたちは…
戯曲を読んでみないと何とも言えませんが、友人によれば(多少の入れ替えはあっても)戯曲のテキストがほとんどなのだといいます。岩波文庫の薄い一冊買ってみようかとも思うのです。芝居そのものの感想は、すこし平板な印象を受けます。まじめに身体の表現として追いつめていった結果だろうと思いますし、劇団の規模より少し背伸びした劇場の規模ということもあると思うのです。
原作を読んではいないアタシですが、「労働」という言葉から派生した「ロボット」の語源となった戯曲だとか、反ユートピアの話だという耳年増な知識は持っていました。当日パンフでは更に機械工学というよりはバイオテクノロジーの産物として生み出されたものが、この世界でのロボットなのだという説明。この知識だけは頭に入れておかないと、ちょっとわかりにくいところもあるのですが、その対策としての当日パンフは有効なのです。
(元)理系男子としては、自然界のお手本をすべて模倣するのではなく最小限の機能を実現するように知恵を絞るという序盤での(技術者に対する)での作家の視点は、書かれた時代を考えると、とても鋭い感じ。 更にその最適化が生む悲劇を予見するのは、ペシミスティックに過ぎると思いつつも、俯に落ち、ほんとにそんな昔の作品なのだろうかとすら思うのです。
技術の進歩に関してゼロスクラッチでなく、手直しで過ごしていくことは、短期的には(いろんな意味で)コストが低減されるわけで、それはまったく正しいのだけど、長い目でみれば、それは雑巾をいかに固く絞るかという話で、その方法だけではいつか行き詰まるという話に繋がる気がしてならないのは、バイアスのかかりすぎた見方かもしれません。
終盤近く、次の世代への希望が閉じかけたところでの、焼け野原から芽吹いて次の世代への希望を垣間見せるシーンが好きです。希望が繋がった安心、自分とは違う誰かへの距離感、その中から生まれた相手を大切に思う気持ちがみずみずしくて素敵なのです。その二人がかばい合うのも、あまりにベタなシーンではあるのですが、その言葉がロボットから発せられたものだということが、その恥ずかしさを感じさせないのです。(思えば漫画のアトムもそうだ)
ゆっくりとした動きが多用された舞台で役者の身体が持つ力。前半を支えるのは川村・田口で身体の力を実感します。
shelf 「再演、R.U.R」
2006.5.2 - 5.3 シアタートラム(第10回クリックステージ)
原作 カレル・チャペック 『ロボット(R.U.R.)』
構成・演出 矢野靖人
出演 綾田將一 飯村彩子 川村岳(山の手事情社) 田口アヤコ(COLLOL) 凪景介 日高勝郎 藤井麻由
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