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2006.02.18

【芝居】「夜の行進」渡辺源四郎商店

2006.2.17 19:00

畑澤聖悟のユニット、ナベゲンの新作旗揚げ。地方、老人、などを散りばめながら肩の力の抜けた見やすく面白い90分。19日までアゴラ劇場。

占い師に相談に来た老人。若い頃に亡くした妻のもとに行きたいと打ち明ける。古い知り合い、というだけではない、想いが。

年かさの役者が二人、芝居を成立させるためのテクニカルな手法がある気がします(イヤホンとかね)。台詞を覚える能力よりも、言葉やたたずまいを優先するのは正しい選択だと思うのです。

ねたばれあります。
以下、実はいったん書いたものを、全面的に書き直しています。終幕の解釈で、まったく反対に理解していたから、です。友人からの指摘は確かにその通り。

終盤、オカルトになりそうになっても、踏みとどまり、「こちら」側の理屈で説明がつくようにしているのは巧いなあと思っていたのです。
(あたしに取ってのオカルト、ってのは、説明の付かないものが世の中にはある、って類のものです。それを否定するモノではありませんが、芝居で使うのは相当に練らないと安易なだけ、と考えています。)
その理解のまま、終幕近くで、「亡くなった妻(母親)と家族しか知り得ない事実」が「憑依した妻」から語られるというところを、あたしはなぜかすっ飛ばして、「オカルト全否定」で巧いなぁと思っていたのですね。世の中には理解不能な何かがあるかもしれない、ということは否定しませんが、芝居の中で使うのはなぁ、と思っているので。あたしに指摘してくれた友人の云うとおり、青森という背景がその説得力を担っている、それも役者のおかげで格段にレベルが高い、ということなのでしょう。

それでも、芝居全体は確かに面白かったし、オススメの一本であることにはかわりありません。個人的には終幕がこうあってほしい、というのとは違っていたのかもしれませんが。

(19日深夜追記) 終幕近くのところ、カミサマが語るドライブインの旅行、台本によれば「夫と姉弟、そしてミチの旅行」であり、「妻が死んだあと、出稼ぎから盆と正月に戻ってきたじゃないか、妻の死後生きていた意味がなかったなんてことはなくて、子供を立派に育てたじゃないか」というカミサマの言葉、だったようです。したがって、話としては、オカルト的な解釈を入れる余地はまったくなくて、すべてが人の為す範囲の出来ごと。芝居がすべて合理的でなければならないとは思いませんが、この立ち位置は、いいなぁと思うのです。

渡辺源四郎商店「夜の行進」
2006.2.10 - 2.12 青森クォーター
2006.2.17 - 2.19 こまばアゴラ劇場
2006.2.8 - 2.9 札幌 シアターZOO
作・演出 畑澤聖悟
出演 森内美由紀 佐藤誠 宮越昭司(劇団雪の会) 久保りつ 工藤由佳子 萱森由介 藤本英円

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コメント

もしかして、書き直し後も誤解かもしれない、てことがわかってきたので、更に書き直す予定です。

投稿: かわひら | 2006.02.19 13:42

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