2005.5.4 19:30
「スキップして行きたくなる学校」をコンセプトにした、演劇制作のための集団なのだそう。あたしは初見。会話とインタビューを重ねながら、ある事件の背景を浮かび上がらせていくのです。8日まで、こまばアゴラ劇場。
ええと、どこかで観たスタイルだと思うのです。観たことあれば一目で分かる、「チェルフィッチュ」のスタイルに酷似しています。マネ、とかパクリ、と観客がいうのは簡単なのですが、おそらく悪意はなくて、スタイルの後追い検証か、あるいはまったく独自に同じところにたどり着いたのだと、あたしは思います。
渋谷のホテルで殺された女。そこから遡る数ヶ月。地方都市らしい街、インタビュー取材に訪れるカメラマンとインタビューアー。近くの工場で働いていたのに、逃げ出してきた兄弟。若い女。出会ってすぐセックスしてしまったり、しまくってしまったり、ということをあれこれ描写しながら、事件へ至る過程を積み上げるのです。
語りの口調はひどく繰り返し、聞きにくい一人語りと、旧来の演劇のダイアログのスタイルをハイブリッドしたものだと、あたしの友人の感想。たしかにそう思います。ものがたりはまるで「三月の五日間」のように(というよりは、あれよりも)ひどくセックスに偏ってる気はしますが、あたし個人としては、その方がテンションが維持できて(←おい)見やすく感じるのも事実です。そのバランス感覚はたいしたもの。
「やりまくってる」最中のことを語る二人の仕草は直接的にすぎますが、面白い。
かつて「静かな演劇」というのがはやった時に、青年団のおおもとからスタートした似たもの(フォロアー)は、やがてそれぞれのスタイルを確立できたと思うのです。もしかしたら、本公演は、その潮流の一つ、なのかもしれません。
(追記)
「デジタルからアナログ」さんからトラックバックをいただきました。それを読んで自分の文章の間違いに気づく情けなさ。一つまえの段落で書きたかったのは、「青年団からたくさん出てきたフォロアーたちが、それぞれのスタイルを作っていったのと同様に、チェルフィッチュから出てきた大きな流れの一つがこの劇団だろう。最初はチェルに似ている、と言われるかもしれないけど、やがてそれぞれのスタイルに定着していくんだろう」というようなことでした。
「しのぶの演劇レビュー」さんで書かれている、役者の多くがウィッグというのは、あたしも感じました。ウィッグか眼鏡、すくなくともどちらかをしているというところにはたぶん何か意味があるんだろうなぁ、ぐらいに思ってました。
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