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1998.10.16

【芝居】「絢爛とか爛漫とか(モダンガール版)」自転車キンクリートSTORE

1998.10.16 19:00

【みたままおもったまま】
東京のみ数日のお楽しみの女優(モガ)版。細かなところまで行き届いた 心配り、役者四人の見事なアンサンブルが魅力的な一本。

モボ版とほとんど同じセット。鏡台があったり微妙に置いてあるものが女性の 部屋なのだけど、シンプルで。違うといえば冒頭のダンスも、ジャズバンドの バックダンサー(どんなだ)の練習という形。あくまでも登場人物たちが能動的に 参加してくれなきゃいけないわけで、苦心のもの、という感じがします。

これに限らず、全編のものがたりの骨子はほとんどかわらないながら、 無理がなく微妙なところまで神経が行き届いた男性・女性版の書き分けが見事。

モガ版に限らず、「いくら悩んでいるように見えても所詮お金持ちたちのお遊び」 というのは確かにあたってはいるのだけど、悩みなんか人それぞれ、だれが何に 悩むかなんてのは、大きなお世話。それでも、状況は違うにせよ、じてキンの描く 世界は、どこかで自分にひきつけて、等身大に投影して見てしまうのです。 だから、多分無縁な「お金持ち」たちなのだけど、不思議と波長があって 共鳴しちゃうのです。

始まってすぐの初春のシーンでは、あれれと思いました。青臭くて硬い ブンガク論をふりまわすのがこのシーンだし、真剣だけど身の丈に合わない 議論というのが味付けなのは確かなのだけど、それにしても、語られる言葉が 上滑りするように感じてしまうのです。主役であるところの文香(歌川)はおろか、 締めるべきまや子(柳橋)までもが、キンキンとした言葉でしゃべり耳につきます。 もっとも後半ではそれががらりと変わるわけで、それを計算した上でのキンキン 声なのかもしれません。だとすると、術中にはまったのはアタシの方なのね。

聞くに耐えないトランペットの演奏で始まる3幕目の宴会なシーンは実に安心して 見られます。この時代の女性がこんなに酒呑みでどんちゃんだったかどうか なんてのは、アタシにとってはどうでもいいことで、じてキンがかつて掲げて いた「躍進するお嬢さん芸」(ってこのころは見てないんだけど)って感じ、見事 なまでに気心しれた4人ゆえの安定したシーンという気がします。もっとも、 見た目にはそうたいしたシーンではないのだけど。

特に3幕目後半、小説家をやめると言い出す薫(香里)を、ライバルだと思って がんばってきた文香が責め立て、それに応酬する、ほとんど二人芝居なシーンが あります。客席は水を打ったように静まり、咳一つない緊張感。この二人の すれすれでパンチを打ち合うようなシーンの凄さ。モボ版では感じなかった ぐらいの緊張感は、女優への思い入れゆえ、なのかもしれませんが。

モボ版での佐々木蔵之介さんにあたる、いいかげんだけど凄い小説家 というのは、この芝居ではものすごくトクな役どころという気はします。 が、それを差し引いても柳岡香里さんという女優が実に光っています。 じてキンには歌川椎子さんがいつもイチバンという感じなのだけど、それに 十分肩を並べてるな、という感じさえしてしまいます。今年の彼女は凄い。

とはいえ、歌川椎子さんにも、何の不安もありません。彼女が小説を語る シーンが何箇所かありますが、特に最後に、やっと書き上げた二作目を語る シーン、語り部としての彼女は見事というほかありません。語るだけでは なく、同じ場に居るまや子に対しての目配せなど、地の部分と語りの部分 を見事に描き分けていてすごい。でも、それをことさら凄いと強調しないで さらりとやってしまうのも、実に彼女らしいのです。

モボ・モガ版両方の完成度の高さにはびっくりします。全体的な クオリティではモボ版に軍配が上がるような気はしますが、 どちらが好きかといわれると、柳岡、歌川の応酬のシーンと歌川の 語りの凄さだけでも、モガ版を取りたいな、とおもったりします。

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1998.10.10

【芝居】「絢爛とか爛漫とか(モダンボーイ版)」自転車キンクリートSTORE

1998.10.10 19:00

【みたままおもったまま】
当たり外れがあまりなく、高水準の舞台を継続的に作り出しているじてキンは イチオシのプロデュースユニット。男4人の文士たちのまっすぐな 物語の舞台の再演。アタシは初見ですが、強く、強くオススメなのです。

社会人になって何年か経って、30歳も過ぎて、会社じゃ「これからの自分の キャリアを考える」なんて研修を受けて、この数年で自分がやってきた 仕事の棚卸ししたりして、「ああ、アタシは何が出来るのかなぁ」とか 考え直したりする昨今(←研修受けたばかりだからだけど)、こんな芝居を 見ると、なんかとても、とてもずきん、とした気持ちになるのです。

文士なんて仕事になること、まずありえないのだけど、語られる物語は、 アタシの気持ちに真っ直ぐに飛び込んできて。優秀で人間的にも尊敬 できる同僚が次々と大きい仕事をこなしてくのを見て嬉しいのだけど ちょっと焦る気持ちもあったり、畑違いのハズだったのにいつのまにか 自分と同じ仕事を優秀にこなしていたりして、また焦ったり。

あ、アタシのこと見てたな、なんて思うぐらいに、ほんとに、真っ直ぐ 来ちゃいます。もちろん見てるわけなどないのだけど。

劇中の彼らは、ほんとによく議論するのです。自分の考え方や心情、 オンナノコのこと、海水浴のこと。気持ち悪いぐらいに何かといっちゃあ 集まって、酒を飲もうが飲むまいが、じつに良く喋り、取っ組み合い、 怒り、泣き。しかも単なる友達じゃなくて、少し前を走るライバルだったり。 それが出来た時代なのか、単にアタシにそういう友人が居ないだけの ことなのか、羨ましいなぁ、そういうのいいよなぁ、って思うのです。

春夏秋冬を巡るように4つの場面、時間の流れ。あるいは下手側の 障子が開いて女中との会話(でも女中自体は出てこない)。吉田朝さんが 吹っとばされて宙を舞ったり、男が言い寄ったりの楽しさ。いろんな魅力の ある演出、これでもか。まっすぐな物語をサポートするように気持ちの いい壊れ方、押さえ方が絶妙。

苦悩する文士を演じるのは京晋佑さん。いくつもある長い台詞、早口の シーンで何を言ってるか判りにくくなるのが勿体ない。声そのものが通りやすい ものだから、余分に損してる感じ。その半面、一言づつかみしめるように 喋ると凄くいい。些細な感じもするけど、ゆっくり喋るだけでいいのに。

パワフルでおおらかな文士を演じる佐々木蔵之介さんは、じてキン レギュラーな久松信美さんの影がそこかしこに見え隠れするように前半では 見えるものの、しっかりと語る台詞と目線の鋭さが好き。

友人達をしっかりと見守る評論家志望を演じる吉田朝さんは、得意技な役 どころ、安心してみられます。心優しく女性的だけど猟奇作家を演じる岡田正 さんの温かさ、酒のみ豹変なシーンの楽しさ。

【補足】
同じテーマで女優4人の手による「モガ版」は東京のみ(10.13-10.17)。 こっちも凄く楽しみ。

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